三菱自動車工業

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三菱自動車工業株式会社(みつびしじどうしゃこうぎょう、MITSUBISHI MOTORS CORPORATION)は、三菱グループに属する日本自動車メーカー。1970年三菱重工業から独立した。日本国外ではMITSUBISHI MOTORS(ミツビシ モータース)という表記を用いていたが、日本国内でも「MMC 三菱自動車」から「MITSUBISHI MOTORS」というロゴを1999年1月より[1]使用するようになった。

グローバルブランドスローガンは「Drive@earth」。

概要

日本の自動車メーカーとしてはかなり古くから存在しており、最も長い歴史を持つメーカーの1つである。

三菱重工業とクライスラーとの合弁事業としてスタートし、1993年までクライスラーと資本提携していた。その後、2000年からドイツに本拠を置くダイムラー・クライスラー(現ダイムラー)と資本提携関係となったが、2000年に三菱リコール隠しが発覚。この不祥事を受けて自動車売り上げが激減し、2005年に解消。クライスラーとの技術提携関係は2009年まで継続されていた。[2]

2003年には大規模なリコール隠し問題を起こし、後に法人としての三菱自動車に対し有罪が確定した。テンプレート:Main また、同年トラックやバスなど大型車事業を分社化した。テンプレート:Main

モータースポーツ事業に力を注ぎ、世界ラリー選手権 (WRC) やダカール・ラリーに参戦し、前者は「ランサー」後者では「パジェロ」により総合優勝をはじめとした好成績を多く残して、2009年ダカールシリーズまで「レーシングランサー」で活動を続けてきたが、いずれも経営上の判断からワークス活動を終了している。また、Jリーグ浦和レッドダイヤモンズ(浦和レッズ)の親会社でもある。

2008年の販売台数は106万6000台で、内訳は,北米11万9000台、欧州27万2000台、日本国内16万8000台、アジア・その他地域50万7000台。[3] なおロシアではプジョー・シトロエンとの合弁工場で販売拡大を狙っている。カルーガ州に2011年操業開始。[4]

沿革

  • 1870年 - 海運会社九十九(ツクモ)商会誕生。
  • 1893年2月 - 三菱合資会社を設立。
  • 1917年10月 - 三菱造船として独立。
  • 1934年4月 - 三菱造船は三菱重工業に社名変更。
  • 1950年
    • 1月 - 過度経済力集中排除法により東日本重工業、中日本重工業、西日本重工業3社に分割され、自動車事業部門は中日本重工業となった。
    • 9月 - 東日本重工業が、カイザー=フレーザーと技術提携し日本でのヘンリーJCKD生産およびアジアへの販売権を取得。販売子会社東日本カイザーフレーザー社を設立。
  • 1951年 - 東日本カイザーフレーザー社がヘンリーJ販売開始。
  • 1953年
    • 1月 - ジープのCKD生産を開始。その後段階的に完全国産化。
    • 5月 - 日本国との平和条約により、三菱の商号や商標の使用も許され、東日本重工業、中日本重工業はそれぞれ三菱日本重工、新三菱重工業に社名変更。
  • 1954年 - 三菱日本重工、日本国内での生産中止にともないヘンリーJ生産を終了。
  • 1959年 - 軽3輪トラックの「レオ」を発売。
  • 1960年 - 戦後初の自社開発乗用車、三菱500を発売。
  • 1962年 - 軽自動車ミニカ発売
  • 1964年6月 - 1950年に分割された3社が再び合併し、三菱重工業となった。
  • 1969年 - コルトギャランを発売。
  • 1970年2月 - 三菱重工業とクライスラーが合弁事業に関する契約締結。
  • 1970年6月1日 - 三菱自動車工業として独立。
  • 1971年 - 北米のクライスラーチャンネルでコルトギャランが販売された。
  • 1973年2月 - ランサーの販売開始。
    • 韓国の現代自動車(ヒュンダイ)との技術援助契約を締結。
  • 1974年 - 第22回サファリラリー優勝。
  • 1978年 - 乗用車の第二販売チャネルとしてカープラザ店を設立。従来の販売チャネルはギャラン店へ。他社と違い、ディーラーの社名はどちらも「○○三菱自動車販売株式会社」なので、社名だけで見分けることはできなかった(ただし、一部例外もあった)。
  • 1981年 - 米国三菱自動車販売を設立。
  • 1984年 - 三菱自動車販売を合併。
  • 1985年 - アメリカ合衆国ダイヤモンド・スター・モーターズ (DSM) 設立。
  • 1988年 - 松任谷由実のコンサートツアーに協賛を開始。
  • 1988年 - 東京大阪名古屋の証券取引市場第1部に株式上場。(大阪・名古屋の両証券取引所は現在上場廃止)
  • 1989年 - 岡崎研究所内に、三菱オートギャラリーを開館。
  • 1991年 - オランダ政府、スウェーデンボルボとオランダで乗用車合弁生産契約に調印。NedCar(ネッド・カー)発足。
  • 1992年 - 初代ランサーエボリューションを発売。
  • 1993年 - パジェロがパリ・ダカールラリー総合優勝。
  • 1994年5月 - ベトナムにプロトンなどとの合弁会社ビナスター・モーターズ(Vinastar Motors)を設立。
  • 1996年 - GDIエンジンがRJCテクノロジー・オブ・ザ・イヤー受賞。
    • 米国三菱自動車製造 (MMMA) においてセクハラがあったとして、民事訴訟が提訴された。
  • 1997年 - GDIエンジンが、日本自動車技術会賞/技術開発賞を受賞。
    • 総会屋への利益供与事件を摘発
  • 1998年 - ランサーエボリューションがWRC完全制覇。
  • 1999年 - ボルボと大型車分野における資本・業務提携を結んだ。
    • トミ・マキネンが前人未到WRC4年連続ドライバーズチャンピオンを達成、記念としてランサーエボリューションVIトミマキネンエディションを発売
  • 2000年 - 道路運送車両法違反(リコール隠し)が発覚、河添社長が辞任。本社等の強制捜査を受ける。詳しくは三菱リコール隠しを参照。
    • 10月18日 - ダイムラー・クライスラーと乗用車分野における資本・業務提携を結んだ。これを機に、大型車分野における提携パートナーをボルボからダイムラー・クライスラーに変更した。
  • 2002年8月 - ミラージュディンゴとRVRが生産終了し、カープラザ店専売車種が事実上消滅。
  • 2003年 - ギャラン店とカープラザ店が統合。
  • 2004年
    • 3月9日 - プロトンの保有株式(7.93%)を全株売却し、資本提携を解消した。
    • 4月 - ダイムラー・クライスラーが経営追加支援の中止を発表。三菱グループ主導で再建へ。再建計画では、京都への本社移転、岡崎工場の閉鎖、コンプライアンスの徹底などを訴えた。しかし、京都への本社移転、岡崎工場の閉鎖は一時は公表されるも後に白紙になる。
    • 6月 - 2002年に発生したふそうトラックのタイヤ脱落事故捜査に端を発し、さらなるリコール隠しと「ヤミ改修」が発覚。河添元社長など多くの関係者が逮捕され、大打撃を受けた。
  • 2005年
    • 1月 - 赤字が拡大したことなどから、2004年に就任した一部の取締役陣が退任し、新取締役陣が就任。
    • 1月17日 - 日産自動車との包括的な事業提携。日産にeKワゴン・スポーツ(日産名:オッティ)を新たに年間3万6000台の予定で供給することを発表。同時に2社で軽自動車製造の新会社創設説も浮上したが、撤回となった[注 1]
    • 1月28日 - 新経営計画「三菱自動車再生計画」を発表。三菱グループ三菱重工業三菱商事東京三菱銀行に増資などの追加支援を要請。これによって三菱重工の出資比率が15%を超えるために持分法適用による連結対象会社となり、同社の傘下で再建を目指すこととなった。
    • 2月4日 - フランスPSA・プジョーシトロエン (PSA) に、日本で同年10月に発売されたアウトランダーを年間3万台規模でOEM供給すると発表。
    • 11月11日 - ダイムラー・クライスラーが全株式を売却。資本関係の解消。
    • 12月 - 市場低迷を理由に、中型・大型セダン市場から撤退。ギャラン、ディアマンテの日本国内生産・販売終了。
    • 12月12日 - 三菱重工業の持分法連結会社となった。
    • 12月14日 - 2006年度からWRCワークスチームの活動を経営再建に徹するため休止することを発表。
  • 2006年
  • 2007年
    • 1月5日 - 本社を品川グランドセントラルタワーから旧本社ビルであった第一田町ビル(東京都港区)へ再移転。
    • 4月26日 - 4年ぶりに2006年度当期利益の黒字転換を発表。
    • 6月 - 軽乗用車でもっとも長い歴史を持っていたミニカ(5ナンバー車)の生産が終了。(4ナンバーのバンは継続)
    • 7月1日 - 直系ディーラーの体系を全面的に見直し、越境合併を含む大幅な統合を行った。
    • 8月23日 - ギャランフォルティス発売。「ギャラン」の名が国内で復活。
  • 2009年
    • 6月5日 - リチウムイオン電池を搭載した量産型電気自動車i-MiEVを発表。
    • 8月10日 - エボリューションおよび商用バンを除く国内向けランサーの生産を終了。事実上、大衆向け小型セダン市場からの撤退となる。
    • 9月4日 - 電気自動車アイ・ミーブをベースにした欧州向けモデルをプジョー・シトロエンにOEM供給する基本契約締結を発表した。2010年10月から生産を開始して2010年末に発売した[6]
    • 9月10日 - クライスラーは、2005年からミシガン州ダンディで合同生産していた三菱と現代自動車との低燃費車向けエンジンの合弁生産事業を解消したと発表した。三菱・現代両社は8月末までに、合弁工場の出資分をクライスラーに売却していた[7]
    • 12月14日 - 大阪証券取引所での上場を廃止した。
  • 2010年
    • 6月5日 - 「三菱愛着力プロジェクト」を開始。具体的には日本メーカーとして初[注 2]となる「最長10年10万km特別保証延長」の設定(5年目以降の車検入庫時に保証延長点検(24か月定期点検相当)を受けることが条件、対象車種はi-MiEVRVRコルトコルトプラスデリカD:5で、今後も改良等のタイミングで対象車種は増える予定[注 3]。i-MiEVとRVRは発売開始日にさかのぼって適用する)、ライフステージやライフスタイルの変化に合わせてボディコーティングやルームクリーニングなどの各種サービスや福祉車両「ハーティラン」を提供する「リフォームサービス」、キーレスエントリーキーの電池交換や洗車・ガラス撥水といったクイックカーメニューを中心とした「愛着クーポン」を配布するサービスを実施する。
  • 2011年
    • 3月 - 2代目スズキ・ソリオのOEMにあたる小型トールワゴンのデリカD:2販売開始。
    • 5月 - 軽ボンネットバンでもっとも長い歴史を持っていたミニカバンの生産が終了(翌月末をもって販売終了)。これによりミニカの商標は名実共に8代49年の歴史に幕を下ろす結果となった。
    • 6月 - 三菱自動車・日産自動車の軽自動車事業に関わる合弁会社、株式会社NMKV設立。(資本構成は双方50%ずつ)
  • 2012年
  • 2013年
    • 8月29日 - スズキと軽商用車のOEM供給につき基本合意。これはミニキャブ バン・ミニキャブ トラックのガソリンエンジンモデルの生産終了に伴うもの。ミニキャブMiEVバン及びミニキャブMiEVトラックについては継続[8]
    • 11月5日 - ルノー=日産アライアンスと生産・技術・生産を共用するプロジェクトに合意。NMKVとルノーの協業で電気自動車仕様も含めたグローバルエントリーカーの開発・生産をすすめていく方針。また、ルノーの傘下である韓国ルノーサムスン自動車においてはアメリカカナダ市場向けの三菱ブランドのDセグメントセダンの生産を行う予定、と発表された[9][10]
  • 2014年
    • 3月28日 - ランサーエボリューションを現行モデル限りで生産を終了する事を発表。事実上、同社からスポーツ系車種が消滅する事となる。

主な開発・生産拠点

日本国内

  • 乗用車技術センター(愛知県岡崎市)- 乗用車の研究・開発拠点、岡崎テストコース。
    • 十勝研究所(北海道河東郡音更町)- 新型車のテスト走行など
    • 東京デザインスタジオ(東京都港区)- 本社に併設されている。かつては、関東三菱自動車販売多摩ニュータウン店(東京都多摩市)の隣に拠点を置いていたが、現在は移動に伴いデザインスタジオは閉鎖されている。
  • 水島製作所(岡山県倉敷市) - 戦前の三菱重工業水島航空機製作所。一式陸攻紫電改を生産していた。このため、水島空襲では主要な攻撃目標とされた。
製造車種 - ギャランフォルティスランサーエボリューションeKワゴン、eKカスタムeKスペース日産・デイズ日産・デイズルークスi-MiEVミニキャブ・ミーブ

日本国外

過去

車種一覧

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グループ会社

主要連結対象会社

主要持分適用会社

不祥事・事件・問題・事故

三菱リコール隠し

詳しくは三菱リコール隠しを参照。

軽自動車エンジンのリコール問題

詳しくは三菱自動車・3G83エンジンに関する問題を参照。

関連施設

これらの医療機関は企業立病院であるが、三菱自動車工業関係者以外も利用可能。

CI

自動車検査証では「三菱」と表記されるが、一般的な通称は「三菱自動車」である。「三菱自工」と略することもある(例・水島臨海鉄道三菱自工前駅)。

エンブレムは当初からスリーダイヤを用いているが、1976年~1982年ごろまで三菱のイニシャルであるアルファベットの“M”を模したエンブレムを付けていた。しかしいすゞ自動車(の当時のマーク、1974年から1991年まで使用)と間違えられがちだった為、1980年代前半~1990年代中頃には英文社名からの略「MMC」をシンボルマークとしていた(ただし、輸出車ではスリーダイヤとMITSUBISHIのロゴを使い、ふそうの中大型商業車のステアリングホイールにはちゃんとスリーダイヤが刻印されていた)。
その後1987年以降からはスリーダイヤが復活しMMCロゴと併用される様になったが、1999年から日本国内でもスリーダイヤとMITSUBISHIのロゴを使う様になった。
インターネットでのドメイン名「mmc.co.jp」が同じ三菱グループ三菱マテリアルに先に使われた事もあって現在MMCは欧文でのニュースリリース以外ではほとんど使われていない。(三菱ふそうバス製造ではMMCロゴが2003年頃まで窓ガラスに使われていた)

キャッチフレーズ

  • 選ぶのはあなたです(1973年頃)
  • 技術と信頼の三菱(1974年頃)
    • 安全は人と車でつくるもの(1975年~1978年3月)
    • 安全に走れ。それが一番早いのだ。(1978年4月~1980年3月)
  • 燃費の差は技術の差1980年4月~1981年3月)
  • 燃費は技術(1981年4月~1982年4月
  • 未来をひらく技術と信頼1982年5月~1984年)
    この頃から「MMC三菱自動車」に
  • BE BEST for good days いつもベスト(1985年~1987年9月・ギャラン店用)
  • sparkling now (1985年~1987年9月・カープラザ店用)
  • いい街 いい人 いい車1986年6月~1987年9月)
  • 新技術を、ときめきに。 NEW Motoring Wave1987年10月1991年3月
  • あなたと創る Creating Together1993年~1995年)
    この頃から「三菱自動車」に。またふそうの車種では1997年まで起用
    • もっとクルマをおもしろく。元気、三菱。
  • その差が、三菱。(1996年~1997年)
  • いいもの ながく(1998年~1999年)
  • Heart-Beat-Motors(2000年-2005年9月27日)
    この頃から「MITSUBISHI MOTORS」(提供表示は現在も継続、読み上げは2009年6月末まで続いた)
  • 答えは、クルマで出します。(2005年前期、CM以外では使われていない)
  • クルマづくりの原点へ。(2005年9月28日-2008年3月)
  • ミツビシミテカラ(2006年9月-2008年5月)
  • Drive@earth(2008年6月-)
    2009年7月からは読み上げも「三菱自動車」に再度変更。ただ、上記の通り提供表示はそのまま

提供番組

テレビ

日本テレビ
テレビ朝日
TBS
フジテレビ
その他

テレビ(終了・撤退)

ラジオ(現在)

ラジオ(終了・撤退)

関連項目

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製品

人物

スポーツ関連

注記

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ソース 

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外部リンク


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テンプレート:三菱グループ
  1. ミラージュディンゴの登場と同時に使用開始。
  2. テンプレート:Cite news
  3. テンプレート:Cite news
  4. テンプレート:Cite
  5. 2006年度グッドデザイン賞ベスト15 - 日本産業デザイン振興会
  6. テンプレート:Cite news
  7. テンプレート:Cite news
  8. 三菱自動車、スズキからのガソリン軽商用車のOEM供給受けについて - 三菱自動車工業プレスリリース 2013年8月29日
  9. ルノー・日産アライアンスと三菱自動車 広範囲に及ぶグローバルな商品・技術における協力関係を検討三菱自動車工業 プレスリリース 2013年11月5日(2013年11月7日 閲覧)
  10. ルノー・日産アライアンスと三菱自動車 広範囲に及ぶグローバルな商品・技術における協力関係を検討日産自動車 ニュースリリース 2013年11月5日(2013年11月7日 閲覧)
  11. テンプレート:Cite news


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