金子誠

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テンプレート:Infobox baseball player テンプレート:MedalTop テンプレート:MedalSport テンプレート:MedalBronze テンプレート:MedalBottom 金子 誠(かねこ まこと、1975年11月8日 - )は、千葉県我孫子市出身の北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手内野手)。

妻は元テレビ朝日スポーツ記者・ニュースキャスターの白木清か愛称は「マック」、「マコ」、「ネコ」、「相談役」。

経歴

プロ入り前

茨城・常総学院高等学校で甲子園には春夏合わせて3回出場。高校時代は遊撃手をしていた。3年夏(テンプレート:By第75回選手権大会)は、準決勝で土肥義弘を擁する春日部共栄高等学校に敗退。同大会では全試合で安打を記録した。同年秋のドラフト会議で日本ハムに3位指名されて入団した。

プロ入り後

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プロ3年目にレギュラー二塁手となり、打率.261、パシフィック・リーグ最多の38犠打を記録し、その年のパ・リーグ新人王に選ばれた。同年のセントラル・リーグの新人王は、同じ常総学院のOBでもある仁志敏久だった。
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1試合2発を含む自身初の2桁本塁打(12本)、打率.277を記録。この年はオリックス・大島公一に1票差でゴールデングラブ賞受賞を逃すも、翌テンプレート:Byテンプレート:Byと2年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。
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それまで正遊撃手だった田中幸雄三塁手コンバートされたのに伴い、遊撃手にコンバートされた。また、兄貴分として慕っていた片岡篤史阪神タイガースへ移籍したため、片岡が着用していた背番号8を受け継いだ。
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トレイ・ヒルマン監督に出塁率の低さを指摘され、新外国人のエリック・アルモンテに遊撃手のレギュラーの座を奪われて開幕二軍スタートとなるも、アルモンテの不振によって5月に一軍昇格し、レギュラーに復帰した。シーズンオフに、札幌グランドホテル開催された選手ディナーショーに出演しファン層拡大に努めた。
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日本ハム選手会の会長に就任。主に9番打者として活躍し、リーグ優勝、日本一を達成。中日との日本シリーズ第2戦では1対2とリードされた7回表、山本昌から逆転打を放ち、その裏では1死一、二塁のピンチで代打・立浪和義の三遊間の難しいあたりを好捕し、二塁封殺を取る活躍を見せ、お立ち台に上がった。第5戦では0対1とリードされた5回裏、川上憲伸から巧妙なスクイズバントを決め、同点に追いつく活躍を見せた。この年のパ・リーグプレーオフからはリストバンド浅葱色のものに変更[1]
その色が新選組の隊服のダンダラ羽織の色に酷似していたことから、五稜郭の誠の旗が非公式応援グッズとしてファンの間で使われ始める。
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主将に就任。シーズン序盤は打線全体の低調ぶりと相反して金子の打撃は好調だったためクリーンナップを打つこともあったが、主に九番を打った。打率.243(リーグ最下位)ながら得点圏打率は.285で、チーム3位の53打点を記録した。中日との日本シリーズでは第1戦、7回までセギノールのホームラン1安打で抑えていた川上からセンター前ヒットを放つ。
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開幕から打撃不振でケガもあり絶不調に。9月以後持ち直すも打率・本塁打数は前年をも下回ってしまった。同年オフに同じ遊撃手の二岡智宏がトレードで日本ハムに移籍したことについて、対抗心こそ見せないが「自分らしく」と、マイペースな意気込みを語った。
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選手会長の座を後輩の田中賢介に、主将の座も稲葉篤紀にそれぞれ譲ることになった。4月には7日の対千葉ロッテマリーンズ戦から15日の対オリックス・バファローズ戦にかけて、日本プロ野球新記録となる7試合連続二塁打を放った事と、月間打率.423が評価されてパ・リーグ月間MVPに野手部門で選ばれた。[2]最終的に、1997年以来の2桁本塁打と、キャリア初の打率3割を記録した。自身3度目となるゴールデングラブ賞を受賞、過去の2度は二塁手部門で、遊撃手部門としての受賞は初。これらの好成績が評価され、12月10日には球団との交渉の結果、自身初めての1億円越えとなる1億3500万円(推定)の年俸で来季の契約を更改した。なお、金子の初めての1億円越えは17年目のことであり、球団史上最も遅い記録だった。[3]
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痛めていた両足のアキレスけん痛や股関節痛で開幕から2軍スタートだった。その後1軍復帰するも右内側腓腹筋の筋挫傷(2度=中等度)[4]で2軍落ちした。その後の出場は1度もないままシーズンを終えた。
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故障への配慮から飯山裕志今浪隆博らと併用され、一度も二軍落ちせずシーズンを乗り切ったが、打撃成績・守備成績ともに下降した。
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このシーズンも怪我の影響で戦線離脱はあったが、3年ぶりに100試合以上の出場を記録した。しかし、打率は2割台前半に低迷し、1995年以来の本塁打0本に終わった。
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この年は故障の影響と、若手選手の中島卓也やオリックス・バファローズからトレード移籍してきた大引啓次の台頭もあり、一軍定着後では最低の32試合出場に留まった。打撃面では56打席で18三振を喫し本塁打0本打率2割に低迷し、守備でも2002年以来となる二塁手を主に努めたが、二塁での守備率は.927と低い数字で、攻守に精彩を欠くシーズンとなった。

プレースタイル・人物

テンプレート:スポーツ選手の出典明記 守備が非常に上手く、ショートとセカンドの両方を守ることができる。田中賢との二遊間は山田久志から「12球団一と言われた中日の荒木雅博井端弘和と遜色ない」「金子なんて井端以上だよ。肩は強いし、送球がぶれない。守備位置も金子のほうが後ろだから、守備範囲も広くなるし、それだけ深い三遊間でゴロでとってもノーバウンドで投げてアウトに出来る」と絶賛された[5]

打撃に関しては通算1500本安打と節目の記録に到達しているが、好調なシーズンと不調なシーズンがはっきりしている。長打力はあまり無いが、1997年2009年には二桁本塁打を記録している。2009年は開幕から絶好調で、「恐怖の9番打者」として恐れられた。

2006年のドラフト会議で同姓の金子洋平が入団してきたため、「金子誠」と表記されるようになる。2009年限りで金子洋平は引退したが、以降も新聞などではフルネームで表記されている。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 日本ハム 4 6 6 0 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .333 .333 .500 .833
テンプレート:By2 117 465 395 50 103 14 2 4 133 33 15 2 38 4 25 0 3 67 5 .261 .307 .337 .644
テンプレート:By2 134 604 513 80 142 18 2 12 200 53 13 9 36 5 46 0 4 91 10 .277 .338 .390 .728
テンプレート:By2 127 442 380 53 100 10 2 4 126 26 11 3 20 0 40 0 2 42 7 .263 .336 .332 .668
テンプレート:By2 135 473 416 56 114 17 3 3 146 29 4 6 18 0 38 0 1 65 11 .274 .336 .351 .687
テンプレート:By2 113 445 402 53 93 12 1 3 116 31 12 4 15 0 26 1 2 40 5 .231 .281 .289 .570
テンプレート:By2 140 559 501 57 127 22 2 8 177 56 9 9 10 4 38 3 6 65 4 .253 .311 .353 .665
テンプレート:By2 104 434 393 46 112 19 3 6 155 29 9 4 17 1 19 1 4 44 2 .285 .324 .394 .718
テンプレート:By2 117 409 373 42 91 19 2 3 123 33 8 6 6 5 22 2 3 61 10 .244 .288 .330 .618
テンプレート:By2 109 372 332 42 85 15 1 3 111 39 5 2 6 2 28 0 4 86 7 .256 .320 .334 .654
テンプレート:By2 79 230 208 19 50 9 1 4 73 24 2 2 8 1 13 1 0 33 3 .240 .284 .351 .635
テンプレート:By2 126 439 393 44 100 26 3 6 150 40 7 1 15 4 24 3 3 63 5 .254 .300 .382 .681
テンプレート:By2 132 470 419 34 102 15 4 4 137 53 9 5 20 0 27 0 4 78 9 .243 .296 .327 .623
テンプレート:By2 96 331 291 24 63 16 0 2 85 29 0 1 13 5 20 0 2 76 5 .216 .267 .292 .559
テンプレート:By2 136 510 454 58 138 31 2 14 215 66 6 4 22 4 27 0 3 88 8 .304 .344 .474 .818
テンプレート:By2 77 291 264 30 69 10 0 5 94 34 2 2 15 0 12 0 0 60 7 .261 .293 .356 .650
テンプレート:By2 98 279 256 18 60 7 1 3 78 20 0 1 12 0 11 0 0 49 5 .234 .266 .305 .571
テンプレート:By2 103 311 277 21 63 18 0 0 81 22 1 4 17 2 15 0 0 53 2 .227 .265 .292 .560
テンプレート:By2 32 56 50 3 10 0 0 0 10 1 0 0 4 0 1 0 1 18 1 .200 .231 .200 .431
通算:19年 1979 7126 6323 730 1624 279 29 84 2213 618 113 65 292 37 432 11 42 1079 107 .257 .307 .350 .657
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績


一塁 二塁 三塁 遊撃
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1995 - 3 1 1 0 1 1.000 - -
1996 - 116 269 327 15 56 .975 - -
1997 - 132 343 456 11 110 .986 - 3 8 13 0 3 1.000
1998 - 125 260 364 9 71 .986 - 10 1 11 0 1 1.000
1999 - 129 319 405 7 81 .990 10 9 16 2 1 .926 5 4 4 0 2 1.000
2000 - 112 250 368 7 81 .989 - 1 0 1 0 0 1.000
2001 - 140 352 439 10 103 .988 - 1 0 0 0 0 ----
2002 - 23 33 65 1 11 .990 - 83 103 227 8 41 .976
2003 - - - 116 185 346 13 83 .976
2004 - - - 109 173 316 13 71 .974
2005 - - - 79 106 191 4 52 .987
2006 - - - 126 198 391 10 90 .983
2007 - - - 132 172 408 12 80 .980
2008 - - - 96 142 287 2 54 テンプレート:Color
2009 - - - 136 203 446 8 76 .988
2010 - - - 77 113 261 10 59 .974
2011 - - - 97 114 246 11 40 .970
2012 - - - 103 143 295 6 43 .986
2013 2 2 0 0 1 1.000 11 17 21 3 7 .927 9 3 4 0 1 1.000 3 2 6 0 0 1.000
通算 2 2 0 0 1 1.000 791 1844 2446 63 521 .986 19 12 20 2 2 .941 1177 1667 3449 97 695 .981
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • テンプレート:ColorはNPBにおける歴代最高

表彰

記録

初記録
節目の記録
  • 1000試合出場:2004年4月6日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、9番・遊撃手で先発出場 ※史上391人目
  • 1000本安打:2005年8月23日、対西武ライオンズ15回戦(インボイスSEIBUドーム)、7回表に大沼幸二から中前安打 ※史上236人目
  • 200犠打:2007年8月14日、対福岡ソフトバンクホークス15回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8回表に和田毅から ※史上27人目
  • 1500試合出場:2008年8月18日、対福岡ソフトバンクホークス19回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、9番・遊撃手で先発出場 ※史上162人目
  • 250犠打:2010年6月5日、対読売ジャイアンツ4回戦(東京ドーム)、6回表にウィルフィン・オビスポから投手前犠打・野手選択 ※史上12人目
  • 1500本安打:2011年4月20日、対オリックス・バファローズ2回戦(ほっともっとフィールド神戸)、7回表に小林雅英から左翼線適時二塁打 ※史上107人目
その他の記録
  • オールスターゲーム出場:3回(2002年、2004年、2009年)
  • 5年連続守備率1位:1997年 - 2001年 ※二塁手のパ・リーグタイ記録
  • 1試合5三振:1997年6月14日、対西武ライオンズ13回戦(西武ライオンズ球場) ※史上8人目(パ・リーグ4人目)
  • 1試合遊撃手最多11補殺:2004年7月6日、対大阪近鉄バファローズ14回戦(札幌ドーム)、8回表及び2012年4月12日、対福岡ソフトバンクホークス3回戦(福岡 Yahoo! JAPANドーム)に記録
  • 7試合連続二塁打:2009年4月7日の対千葉ロッテマリーンズ1回戦(東京ドーム)~4月15日の対オリックス・バファローズ2回戦(札幌ドーム) ※7試合連続は史上最多

背番号

  • 30 (1994年 - 2002年)
  • 8 (2003年 - )

登場曲

関連情報

出演

脚注

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関連項目

テンプレート:北海道日本ハムファイターズ テンプレート:Navboxes テンプレート:アテネオリンピック野球日本代表

テンプレート:日本ハムファイターズ1993年ドラフト指名選手
  1. 2006年オールスター休み時に行われたデパートのトークショーにてテーマカラーに決定。ファンから「一つの色にこだわってみないか」と提案され、のり気ではなかった金子は「皆さんで決めてください」と回答。その時着ていた上着の色が水色だったことから水色を提案される。浅葱色になったのは、坪井智哉のサックスブルーとかぶらないために変えた。
  2. 初受賞がプロ16年目なのは、1992年の金石昭人(日本ハム)の14年目を更新し、月間MVP制定後、パ・リーグで最も遅咲きの初受賞となった。
  3. 日本ハム・金子誠、17年目の1億円到達!(サンケイスポーツ)‐2010年1月17日閲覧。
  4. 北海道日本ハムファイターズ公式サイト ニュース 金子誠選手の診断結果
  5. Sports Graphic Number』 665号