オールスターゲーム (日本プロ野球)

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テンプレート:独自研究 日本プロ野球オールスターゲームは、日本野球機構が主催する、セントラル・リーグパシフィック・リーグの各選抜チームによる対抗試合である。毎年7月に行われ、監督推薦やプロ野球ファンによる投票などで選抜された選手が出場する。現在正式な大会名はマツダオールスターゲームとなっており、通称はオールスターまたは球宴(きゅうえん)である。

概要・歴史

1リーグ時代の1937年から、アメリカメジャーリーグベースボールを手本に「職業野球東西対抗戦」という大会名で、本拠地別に配分した東西オールスターとして行われたのが始まりとされている。1リーグ時代はシーズン終了後に行われていた。

2リーグ制になった1950年は実施されず、1951年からセントラル・リーグパシフィック・リーグの対抗方式で実施されている。シーズン終了後は日本シリーズが行われることから、時期を夏場に移しての開催となっている。

スタート当初は年度により2試合と3試合とでばらつきがあったが、1960年代以降は3試合で定着してきた。しかし、MLBオールスターが年1試合なのに対し、日本の3試合は多いのではないかという日本プロ野球選手会側からの要望もあり、1989年以降は原則2試合となった。但し基本的に夏季オリンピック開催年については3試合を維持した上で、第3戦を地方で開催することとなり、1992年宮城球場を皮切りに地方開催が実施されるようになった。2001年を最後に3試合制は原則として一旦消滅し、2002年2010年は完全2試合制となり、隔年で2試合のうち1試合(原則第2戦)を地方開催することとなった。しかし、2011年には選手年金の財源確保などNPBの収益強化を目的として10年ぶりに3試合制が復活し[1][2][3][4]2012年2013年も3試合制で行われた。なお、2011年からの3年間については東日本大震災の復興支援の意味合いもあり、3試合目は被災地である宮城・岩手・福島の各県の球場で実施された。2014年からは再び2試合制となる。

また試合開催日も初期の1951年 - 1957年は7月初旬か中旬の開催だったが、梅雨の時期と重なり雨天中止・延期が長引いたケース(1953年など)もあったため、1958年以後は2001年まで梅雨明け後・夏休み初めの週末となる7月下旬に行われた。第1戦は土曜日、第2戦は日曜日、移動日を挟んで第3戦は火曜日に開催された。1990年代の2試合制は平日開催(第1戦火曜日、第2戦は水曜日)だった。その後夏休みの公式戦開催を強化したいという意向で2002年 - 2004年は7月中旬に一旦繰り上げられるも、セ・パ交流戦開始による同一リーグ所属チーム間との対戦、あるいは交流戦の雨天中止・延期分の予備日日程確保の観点から、2005年以後は7月下旬に戻され、今日に至る。近年は第1戦が木曜日や金曜日に始まる年や2011年には3試合連続で開催された事もある。

開催に際しては12球団持ち回りで開催権が与えられ、基本的にその球団の本拠地(専用球場)で開催となるが、地方開催の場合は日本野球機構(NPB)が直接開催権を持ち、セ・パのどちらをホームとし、どの球団が運営要員を派遣するかはそれまでの開催実績を元に決定される。また、かつてはナイター開催が可能な照明設備を有する収容人員3万人以上の野球場での開催が義務付けられていたため、以前近鉄バファローズ藤井寺球場日本生命球場を本拠にしていた頃、藤井寺は当時照明設備がなく、日生は収容人員が2万人強と規定を満たしていなかったため、近鉄主管では開催されず、本来近鉄主管となる順番の1959年1967年1973年1979年は南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の本拠地・大阪球場で振り替えた上、南海に開催権を譲渡して開催した。また東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)が1953年から1961年の間、駒澤野球場をフランチャイズとしていた9年間の東映の主管試合とロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)が1973年から1977年の間、宮城球場をフランチャイズとしていた5年間のロッテの主管試合は開催されなかった。理由は駒澤野球場と宮城球場のキャパシティが上述の3万人以上収容の規定に満たなかったことや、周辺施設の問題による。なお、2002年の第2戦は広島東洋カープが開催権を持つ順番だったが、ゲームが開催されたのは広島市民球場ではなく松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム)であり、地方開催のため広島球団ではなくNPBが主催の上、運営要員は広島を中心にセ各球団から派遣された。また2008年より試合前の公式練習では、出場選手・コーチ陣はミズノ提供によるプラクティスユニフォームを着用している。

オールスターゲームにおいては一時期、真剣勝負を「直球勝負」と曲解する風潮があった。そのため投手が直球を多投する光景が多く見られ「オールスターでは変化球を投げづらい」「真の真剣勝負が見られない」などといった意見もあった。

2009年には、プロ野球実行委員会において「交流戦があって、価値が薄れている」と、オールスターゲームそのものの見直しが検討された。オールスターゲームはNPBの基幹収益事業の一つで、毎年多くの観客を集め多額の収益をもたらしているが、その一方で、かつては推定2億円近くに及んだ地上波テレビ中継の放映権料が、近年は下落の一途をたどっている。また、冠スポンサーも三洋電機の撤退以来、長期契約を希望する企業が未だ現れず、こうした要因から既に収益が頭打ちとなっている側面がある[5]

オールスターゲームの結果で優位だったリーグには、その年のプロ野球ドラフト会議ウェーバー優先権が与えられる。

大会名

1988年より冠大会となっている。

地方開催

前述の通りオールスターゲームは、NPB12球団の本拠地になっていない地方都市でも開催されている。NPBではオールスターゲームの誘致条件について「プロ野球開催に対応する施設を有し、且つプロ野球公式戦等の開催実績を積み、施設運営のノウハウを培うことが前提」と説明している。

なお地方開催の場合、開催権はNPBにある。主管相当球団は本拠地開催の場合と同様に運営要員などを派遣しているが、厳密な意味での主管球団ではない。

地方開催球場(後に本拠地となった球場含む)
開催年 球場名 主管相当球団
1992 県営宮城球場[6] ロッテ[7]
1996 富山市民球場アルペンスタジアム 中日
1999 倉敷マスカットスタジアム 広島
2000 長崎ビッグNスタジアム ダイエー
2001 札幌ドーム[8] 西武
2002 松山坊っちゃんスタジアム 広島
2004 長野オリンピックスタジアム 西武
2006 サンマリンスタジアム宮崎 ソフトバンク[9]
2010 HARD OFF ECOスタジアム新潟 横浜
2012 松山坊っちゃんスタジアム ヤクルト
岩手県営野球場 楽天
2013 いわきグリーンスタジアム

新潟は2004年4月の段階で2008年のオールスター開催が内定していたものの、同年に新潟県内では平成16年7月新潟・福島豪雨(7・13水害)や新潟県中越地震などの自然災害が相次いだ。県は災害復旧を最優先させるため、2008年竣工予定だった県立野球場の建設事業を凍結し、2005年7月に開催返上を決定。同月末に日本野球機構に開催辞退の申請を提出し、8月1日に行われた実行委員会で正式に承認された。オールスターゲームの地方開催を辞退するのは史上初のケースだった(2008年に地方開催が無かったのは、新潟の開催辞退が影響したものである)。その後2006年に球場建設の目途が付いたことから再び開催地に立候補し、2010年の開催が内定。2009年6月の実行委員会で正式に開催が決定した(試合詳細は2010年のオールスターゲーム (日本プロ野球)を参照)。

開催概要

選出方法

ファン投票により、外野手のみ上位3名まで、その他のポジションについては1位の選手が選出される。また、2008年より選手間投票が導入され、ファン投票と同様に各ポジション1位と外野手上位3名が選出される。翌日発表の監督推薦(前年リーグ優勝球団監督が担当)を併せて両チーム28名ずつ(計56名)がメンバーとして登録される。2010年から、ファン投票・選手間投票・監督推薦の選手以外から「最後の1人」をインターネット投票で選出する制度が導入された。

選手枠は原則として28名(合計56名)だが、試合数などを考慮し2011年は32名(合計64名)としている。

監督は前年度にリーグ優勝したチームの監督、コーチは前年度に2位・3位であったチームの監督が務める。

ファン投票

ファン投票は、公式投票はがき、市販の郵便・私製はがき、インターネット(パソコン、携帯電話)から投票する。インターネット投票では、同一サーバから1日5回までという投票制限がある。

公式投票はがきは公式戦の開催会場やコンビニエンスストア三洋電機商品取り扱い店などで配布され、公式戦会場など一部では直接投票できる(切手不要)投票箱が設置されている。2004年まではコンビニエンスストアにも投票箱を設置していたが、2005年は設置を取りやめた。一説には個人情報保護法による影響と言われており、2006年以降は個人情報を記載しなくてもよい公式投票はがきが導入されたことからコンビニエンスストアに投票箱が復活した。

投票開始日から数えて概ね1週間経過してから締切日までほぼ毎日(土・日曜日は除く)途中経過が発表され、締め切り後1週間程度をメドに最終集計が公表される。

1986年までは18名(1975年の指名打者制度投入後は19名)連記、あるいは1名のみの単記・または18名連記のどちらか等投票方式の変化をたどってきたが、1987年以後は単記・連記自由で、連記の場合は19名(セ・9人、パ・10人)までであれば自由となった(下記参照)。その後ルール改正で投手については「先発」「中継ぎ」「抑え」の3人ずつまで投票できるため、連記の場合は23人(セ・11人、パ・12人)まで投票できる。ただし、各リーグ・各ポジションにつき1名(外野3名まで)は厳守することとなっている。

公式投票はがきからの投票の場合、マークシート方式であらかじめノミネートされた選手の中から選んで塗りつぶす方式が取り入れられている。

2005年より、ファン投票において得票数トップとなった選手は「最多得票プレーヤー」として表彰される。表彰は出場選手発表後、所属チームのホームゲーム開催球場にて実施され、認定証、盾などが贈呈される。

基本的にファン投票で選出された選手は出場を辞退することができない。辞退した場合は野球協約86条により球宴終了後の後半戦開始から10試合、選手登録ができなくなる。2006年まで「顕著な傷病等により出場できなかったものとコミッショナーが認めた時は、出場登録できるまでの期間を短縮することができる」とあり、故障による出場辞退の場合は登録停止期間の短縮もしくは免除を受けることができたが、明確な適用基準がなく悪用の恐れがあるとのことからこの年を以って廃止となった。この制度の適用を受けたことがある選手は2003年川崎憲次郎、2006年の福留孝介小久保裕紀の3人である。福留は後半戦開幕から活躍したため制度の悪用との批判が絶えなかった(いわゆる福留オールスター辞退問題)。このようなトラブルを避けるため、強行出場もしくは1打席のみの代打出場、場合によってはベンチに座っているだけという選手が出てきているのも現状である。

歴代のファン投票の方式
  • 1951年、1952年:18名連記。市販のはがき使用による郵送のみ
  • 1953年:単記(1名のみ)。はがき郵送のみ
  • 1954年、1955年:単記・18名連記のどちらでも可(市販のはがきの郵送の他、新聞刷り込み投票用紙、はがき大の画用紙でも投票と持ち込みも可能)
  • 1956年:はがきの場合は単記・18名連記どちらも可。新聞刷り込み投票用紙は18名連記のみ。何れも郵送のみ受付で小包は使用不可
  • 1957年 - 1970年:はがき、新聞刷り込み投票用紙とも18名連記のみ。何れも郵送のみで小包使用不可
  • 1971年、1972年:両リーグとも同じ守備位置・選手を1つ(1名)ずつ選ぶ準単記方式(即ち投手を投票したいのであればセ・パそれぞれの投手の中から1名ずつ選ぶ)。はがき・専用投票用紙による郵送のみ
  • 1973年 - 1975年:両リーグとも投票者が各自守備位置を選び2名ずつ投票する準単記方式。はがき・専用投票用紙による郵送のみ
  • 1976年 - 1986年:19名連記(守備位置と背番号の数字と球団の英略を併記)。はがき・専用投票用紙による郵送のみ
  • 1987年 - 現在:単記・連記どちらも可。連記の場合は19名(その後投手を3つに分類したため現在は23人)までの範囲であれば自由に投票できるようになった。はがき・専用投票用紙による郵送、球場などでの直接持ち込み、その後インターネットパソコン携帯電話)からの投票も可能となる
参考出典:ベースボール・レコード・ブック1988年版(ベースボール・マガジン社)「オールスターゲーム」の項目を参照
現在のファン投票の問題点
  • インターネット投票の導入により、安易に大量投票が可能になったため、故障で試合出場のなかった選手が選ばれたり、そのポジションを経験したことのない選手が票を集めるといった不可解な結果が多くみられるようになっている(例:2003年の川崎祭)。好意的解釈をするか否定的に受け止めるかは人それぞれだが、打撃が得意だったトレイ・ムーア投手に一塁手での投票が入っていたり、一部のファンが中村紀洋の三塁手部門での選出を阻止するため小笠原道大に票を集中させたり、リック・ショートにほとんど守ったことのない遊撃手(ショート)での票が多く入っていたこともある。
  • ノミネートされた選手への投票に比べて、その他の選手への投票は手間がかかるため、ノミネート外選手が選出されることは少ない。そのため、シーズン途中からレギュラーになった選手、ノミネートされていない選手は選ばれにくい。また、シーズン中にポジションの変更が行われた選手も変更前のポジションでの得票が圧倒的に多い。また、ポジションを変換した選手は票が各ポジションに分散されてしまう(2000年代後半以降では松中信彦への票が一塁手、外野手、指名打者に分散されてしまっている)。
  • 先発・中継ぎ投手は1球団あたり5〜6人ずついるが、枠はそれぞれ1つずつしかないため監督推薦でなければ出場は難しい。
  • 票が入りやすいという条件さえあれば、故障選手・2軍調整中選手まで選出されてしまうことがある(2007年の松本輝など)。
  • 稀に球団自らが、あるいは球団所在地の地元マスメディアなどが主導する形でチームへの関心の喚起を目的としてファンに投票を呼びかけた場合、結果的に当該球団所属選手への大量得票に繋がってしまうケースがあり、特にその球団のシーズン成績が不振である場合には非難の対象となりやすい(1978年日本ハム1995年横浜など。特に前者の場合は一部選出選手が出場辞退に追い込まれている)。

これらの問題の改善策として、ノミネート制度の廃止やポジション別での選出の見直しなどが議論されている。王貞治(ソフトバンク球団会長)は私案として、AKB48の総選挙と同じような方式、すなわち、観戦券1枚に投票用紙1枚を添付する方式を示している[10]

守備位置の記号

  • 先発投手:1-1
  • 中継ぎ投手:1-2
  • 抑え投手:1-3
  • 捕手:2
  • 一塁手:3
  • 二塁手:4
  • 三塁手:5
  • 遊撃手:6
  • 外野手:7,8,9
  • 指名打者:DH

投票で使う球団略号

セ・リーグ
パ・リーグ
過去に使われた略号
  • セ・リーグ
    • (第1次)大洋ホエールズ→(第2次)大洋ホエールズ→横浜大洋ホエールズ(W)
    • 大洋松竹ロビンス(R)
    • 横浜ベイスターズ(YB)
    • サンケイアトムズ→アトムズ→ヤクルトアトムズ(A)
    • 松竹ロビンス(R)
  • パ・リーグ
    • 阪急ブレーブス→オリックス・ブレーブス(B)
    • オリックス・ブルーウェーブ(BW)
    • 毎日オリオンズ→毎日大映オリオンズ→東京オリオンズ→ロッテオリオンズ(O)
    • 高橋ユニオンズ→トンボユニオンズ→高橋ユニオンズ(U)
    • 大映スターズ(S)
    • 大映ユニオンズ(U)
    • 近鉄パールス(P)
    • 近鉄バファロー→近鉄バファローズ→大阪近鉄バファローズ(Bu)

選手間投票

2008年から、現役選手がファン投票とは別に投票を行って出場選手を選出する制度を導入した。概要は以下の通り。

  • 投票は12球団の支配下登録選手全員によって行う。
  • 投票対象選手は各球団が選出したファン投票リストの30名。
  • セ・リーグは9ポジション9名、パ・リーグはDHを含む10ポジション10名へ投票。外野手はポジションを分けず3名。
    • 2010年までは自球団の選手への投票はできなかったが、2011年度より可能となった。
  • セ・パそれぞれのポジションの得票数1位をオールスター出場選手とする。
    • ファン投票と選手間投票の1位が同一選手であった場合、2位選手の繰上げは行わず、その枠は監督推薦選手に組み入れる。

プラスワン

2010年に60回大会特別企画として導入。冠スポンサーのマツダの協力を受け、「マツダ・プレマシー プラスワン ドリーム」(2010年)、「SKYACTIV TECHNOLOGY プラスワン チャレンジ」(2011年)、「SKYACTIV TECHNOLOGY プラスワン ドリーム」(2012年)として実施される。

プラスワン投票選出者
セ・リーグ パ・リーグ
選手名 所属 選手名 所属
2010年 クレイグ・ブラゼル 阪神タイガース 田中賢介 北海道日本ハムファイターズ
2011年 澤村拓一 読売ジャイアンツ 斎藤佑樹
2012年 堂林翔太 広島東洋カープ 角中勝也 千葉ロッテマリーンズ
2013年 内川聖一 福岡ソフトバンクホークス

概要は以下の通り。

  • ファン投票、選手間投票、監督推薦による出場選手決定後に、選出されていない出場条件を満たすすべての選手の中から選ぶ。MLBオールスターゲームにおける「33人目の選手」とは異なり、候補者の選考は行われない。
  • 投票の受付はインターネットのみ。
  • セ・パそれぞれの得票数1位をオールスター出場選手とする。

出場対象選手

  • 原則として5月末までに支配下登録されている選手を対象とする。
  • 2004年から、1軍の試合実績のない選手への投票を抑制すること、また組織票防止の観点から、打者は10試合以上、若しくは20打席以上出場、投手は5試合以上、若しくは10回以上の登板(出場)実績のない選手は選考の対象から外される事となった(川崎祭を参照)。
  • 外国人選手はファン投票に関しては推薦の上限を設けない(試合出場に際しては同時出場の場合上限あり)。
  • 投票期間中の選手移籍に関しては、同一リーグ内の場合は前所属球団の分と併せて得票数に計算。異なるリーグへの移籍となる場合は、前所属球団の分はそのまま「移籍前」扱いとして残して、移籍先球団の所属するリーグでは改めて0の段階から得票を数えていく。

試合方式

  • 予告先発があり、第1戦は試合前日に発表される。第2戦、第3戦は試合終了後に発表される。
  • すべての試合で指名打者制。
  • 9イニングで終了、延長戦は無し。引き分け再試合も無し。
  • 雨天により続行不可能となった場合は公式戦同様コールドゲームは5回裏終了時点で成立とみなす
  • 投手は3イニングを超えて登板することはできない。ただし1死または2死後に登板した場合は、以後の完全な3イニングを投球することができる(したがって、記録上は最大3回2/3まで登板が可能である)。
  • 外国人選手枠は1チーム最大5名(2010年までは4名)。同時に出場できる外国人選手は投手1名、野手4名(2010年までは3名)まで。
  • 試合の審判は、NPB審判部から選ばれた審判員による。日本シリーズと同じく6人制。公式戦・交流戦とは違い、外審と呼ばれる審判(以前の線審、主に両翼ポール際への打球のファウルかホームランを判定する)が両翼のファウルライン上に立つ。
  • 明確に規定されているわけではないが、開催球場を本拠地とするチームの投手が先発を務めることが慣例になっている(山本昌が自身の公式ページで言及していた)。例としては2003年第1戦(大阪ドーム)の先発投手は、全セが阪神(当時)の井川慶、全パが近鉄(当時)の岩隈久志だった(この年の主管球団は大阪ドームを本拠地にする近鉄だったが、2002年のオールスター開催条項改正で2試合開催の場合のホームゲームはセ・パ各1試合とする取り決めとなったため、セ・リーグのホームゲームとなった)。

大会CM

1999年と2000年には、両軍監督出演の大会オリジナルCMが制作され、6月ごろから各球場の大型映像装置(オーロラビジョンなど)で上映された。

大会マスコットキャラクター

1990年代、三洋電機スポンサー時代のこと、星をモチーフにしたオールスターゲームオリジナルの大会マスコットキャラクター「うっ太」と「なげ太」が存在した。ヘルメットにセ・リーグのロゴが書かれたものと、パ・リーグのロゴが書かれたものの2体が存在。

大会シンボルマーク

  • 三洋電機時代:セ・リーグとパ・リーグのロゴが、書かれたヘルメット。

プラクティスユニフォーム

2008年より、練習中や試合前イベント時に限りセ・パそれぞれのイメージカラーである連盟旗の色(セ・リーグ=緑、パ・リーグ=青)を基調としたプラクティスユニフォームミズノ株式会社提供)を着用(なお、プラクティスユニフォームはホームラン競争などのイベント中のみに着用され、試合中はそれぞれの所属チームのユニフォームでプレーする)。 ちなみにこのユニホームは、出場者の直筆サインを入れてインターネットオークションに出品。チャリティーによる売上金は、日本赤十字社を通して同年発生したミャンマーのサイクロンや中国の四川大地震での被災者への救援に充てられた。

2009年は、開催球場を本拠地とする球団のチームカラー(セ・リーグ=カープのレッド、パ・リーグ=ファイターズのブルー)に、2010年はそれぞれの開催地をイメージした色(セ・リーグ=新潟の日本海に浮かぶ夕日のオレンジと日本海のブルー、パ・リーグ=福岡の玄界灘の深い海をイメージした黒と紺)にそれぞれ変更されている。

2011年は、セ・パともにマーク・ロゴ以外は全て同じデザインとした。これは同年3月11日発生の東日本大震災からの復興を12球団一丸となって取り組んでいるというメッセージを込めたもので、日の丸をイメージした「白地に赤」となっている。2012年・2013年も同じデザイン(ロゴは変更[11])のものを使用。ちなみに、実際に大会で使用されたユニフォームは出場者の直筆サインを入れて、インターネットによるチャリティーオークションに出品される。オークションの売上は、全額日本赤十字社を通じて震災の復興のために使用される。

2014年は、3年ぶりにデザインが変更となりセ・リーグは銀、パ・リーグは金を基調としたユニフォームとなっている。

このユニフォームについては、提供者であるミズノが一般向けとして作製しているレプリカ版を、通販などで販売もしている。なお、販売は期間限定で、ファン投票期間中から開始される。

過去の試合方式

延長戦の規定
  • 1953年:12回まで
  • 1954年、1955年:日没まで。
  • 1956年 - 1958年:22時15分以降新しいイニングに入らない。
  • 1959年 - 1964年:22時30分以降新しいイニングに入らない。
  • 1965年 - 1967年:22時15分以降新しいイニングに入らない。
  • 1968年 - 1973年:22時20分以降新しいイニングに入らない。
  • 1974年:21時30分以降新しいイニングに入らない。
  • 1975年 - 1987年:試合開始3時間を越えて新しいイニングに入らない。
  • 1988年 - 1991年:試合開始4時間を越えて新しいイニングに入らない。12回打ち切り。
  • 1992年以降:延長なし。9回打ち切り。
指名打者
  • 1982年以前:採用せず。
  • 1983年:採用するもパ・リーグのみ使用。
  • 1984年 - 1989年:採用せず。
  • 1990年 - 1992年:パ・リーグ本拠地球場のみ採用。
  • 1993年以降:全試合採用。

各種表彰

  • 最優秀選手賞(各試合につき1名ずつ):賞金300万円
  • 優秀選手賞(各試合につき4名ずつ):賞金100万円
2009年度からは優秀選手に代えて次の各賞を贈呈。
  • ベストバッター賞(最も優れた打撃技術を見せた選手):賞金100万円
  • ベストピッチャー賞(最も卓越した投球を見せた選手):賞金100万円
  • ベストプレー賞(守備・走塁など様々なプレーでこれぞプロという技を見せた選手):賞金100万円
  • 最多得票プレーヤー(ファン投票において得票数トップとなった選手):認定証、盾など
  • マツダ賞
    • 正式名称はマツダ・ビアンテ賞(2008年)→マツダ・アクセラ賞(2009年)→マツダ・プレマシー賞(2010年)→SKYACTIV TECHNOLOGY賞(2011 - 2013年)→Be a driver.賞(2014年 - )
    • 全試合を通じて、プレーやパフォーマンスなどでファンに夢と感動を与え、最も強い印象を残した選手1名:マツダ・ビアンテ(2008年)→マツダ・アクセラ(2009年)→マツダ・プレマシー(2010年)→マツダの「SKYACTIV TECHNOLOGY」搭載車(2011年-)[12][13][14][15]

過去の各賞

  • SANYO賞→ガリバー賞(各試合で最もファンの共鳴を与えたファインプレーをした選手。SANYO賞のときは随時表彰(賞金10万円)だったが、ガリバー賞は2試合を通して1名にガリバー提供の中古車(車種は選手が決めることができる)が贈られる。2007年度の審査員長は萩本欽一茨城ゴールデンゴールズ監督が務める)
  • ホームラン賞(各試合でホームランを打った選手に随時):賞金3万円(テレビの中継では、金額の詳細は略され「賞金が贈られます。」と紹介される)
  • サンヨーオールスター新人賞→ガリバーオールスター新人賞(全試合を通して、この年オールスターに初出場を果たし、活躍した選手を各リーグから1名ずつ):賞金30万円
三洋電機が協賛していた時には各賞受賞者に副賞として三洋家電製品が贈呈された。また、各試合の勝利リーグや試合前のアトラクション出場選手への参加賞、オールスター選出選手全員にも出場記念品として三洋製品が贈られた。

歴代試合結果

月日 スコア 開催球場 MVP
1 1951年 7月4日 2 1 阪神甲子園球場 川上哲治
7月7日 4 2 後楽園球場 野口明
7月8日 3 4 林義一
2 1952年 7月3日 2 2 阪急西宮球場 (該当者なし)
7月5日 1 8 後楽園球場 飯島滋弥
3 1953年 7月1日 0 2 後楽園球場 飯田徳治
7月6日 2 0 阪神甲子園球場 平井三郎
7月8日 0 3 中日スタヂアム 堀井数男
4 1954年 7月3日 2 5 阪急西宮球場 中西太
7月4日 1 2 後楽園球場 山内一弘
5 1955年 7月2日 0 2 大阪球場 山内一弘
7月3日 9 4 阪神甲子園球場 西沢道夫
6 1956年 7月3日 0 8 後楽園球場 森下正夫
7月4日 2 0 吉田義男
7 1957年 7月11日 2 5 中日スタヂアム 大下弘
7月13日 5 4 中日スタヂアム 宮本敏雄
8 1958年 7月27日 5 2 平和台球場 宮本敏雄
7月29日 3 8 広島市民球場 中西太
9 1959年 7月28日 0 9 阪急西宮球場 山内一弘
7月29日 6 4 大阪球場 中利夫
10 1960年 7月25日 1 3 川崎球場 森下整鎮
7月26日 5 4 後楽園球場 金田正一
7月27日 5 6 張本勲
11 1961年 7月18日 0 3 中日スタヂアム 広瀬叔功
7月19日 2 4 阪神甲子園球場 田宮謙次郎
12 1962年 7月24日 0 7 平和台球場 ジャック・ブルーム
7月26日 4 5 広島市民球場 張本勲
13 1963年 7月22日 6 4 後楽園球場 近藤和彦
7月23日 11 9 東京スタジアム 王貞治
7月24日 8 5 明治神宮野球場 古葉毅
14 1964年 7月20日 1 0 川崎球場 金田正一
7月21日 5 1 中日スタヂアム ジェームス・マーシャル
7月22日 2 10 大阪球場 ジョー・スタンカ
15 1965年 7月19日 2 5 後楽園球場 ダリル・スペンサー
7月20日 3 6 阪急西宮球場 高倉照幸
7月21日 1 1 平和台球場 江藤愼一
16 1966年 7月19日 2 6 東京スタジアム 広瀬叔功
7月20日 3 6 阪神甲子園球場 榎本喜八
7月21日 5 1 広島市民球場 古葉竹識
17 1967年 7月25日 4 9 明治神宮野球場 土井正博
7月26日 3 7 中日スタヂアム 長池徳士
7月27日 6 9 大阪球場 大杉勝男
18 1968年 7月23日 2 1 川崎球場 江藤愼一
7月24日 8 3 後楽園球場 柴田勲
7月25日 4 5 阪急西宮球場 小池兼司
19 1969年 7月19日 6 7 東京スタジアム 土井正博
7月20日 3 6 阪神甲子園球場 船田和英
7月22日 4 4 平和台球場 (該当者なし)
20 1970年 7月18日 9 13 明治神宮野球場 長池徳士
7月19日 4 1 大阪球場 江夏豊
7月21日 8 6 広島市民球場 遠井吾郎
21 1971年 7月17日 5 0 阪急西宮球場 江夏豊
7月19日 0 4 中日スタヂアム 長池徳士
7月20日 2 3 後楽園球場 加藤秀司
22 1972年 7月22日 2 5 東京スタジアム 野村克也
7月23日 0 4 川崎球場 阪本敏三
7月25日 1 0 阪神甲子園球場 池田純一
23 1973年 7月21日 9 3 明治神宮野球場 若松勉
7月22日 0 1 大阪球場 福本豊
7月24日 1 2 平和台球場 山崎裕之
24 1974年 7月21日 2 3 後楽園球場 高井保弘
7月22日 3 6 阪急西宮球場 福本豊
7月23日 0 1 広島市民球場 張本勲
25 1975年 7月19日 8 0 阪神甲子園球場 山本浩二
7月20日 4 3 中日スタヂアム 松原誠
7月21日 0 3 明治神宮野球場 土井正博
26 1976年 7月17日 1 3 川崎球場 有藤道世
7月18日 1 11 後楽園球場 門田博光
7月20日 5 1 大阪球場 吉田孝司
27 1977年 7月23日 2 1 平和台球場 若松勉
7月24日 0 4 阪急西宮球場 野村克也
7月26日 4 3 明治神宮野球場 王貞治
28 1978年 7月22日 7 5 広島市民球場 エイドリアン・ギャレット
7月23日 0 9 阪神甲子園球場 簑田浩二
7月25日 8 5 後楽園球場 掛布雅之
29 1979年 7月21日 11 2 大阪球場 王貞治
7月22日 1 3 ナゴヤ球場 ボビー・マルカーノ
7月24日 7 5 明治神宮野球場 山本浩二
30 1980年 7月19日 7 6 阪急西宮球場 岡田彰布
7月20日 1 3 川崎球場 平野光泰
7月22日 2 1 後楽園球場 江夏豊
31 1981年 7月25日 3 5 阪神甲子園球場 藤原満
7月26日 6 3 横浜スタジアム 掛布雅之
7月28日 6 0 明治神宮野球場 山倉和博
32 1982年 7月24日 2 7 後楽園球場 福本豊
7月25日 5 5 西武球場 柏原純一
7月27日 3 2 大阪球場 掛布雅之
33 1983年 7月23日 3 5 明治神宮野球場 門田博光
7月24日 3 4 阪急西宮球場 梨田昌孝
7月26日 1 4 広島市民球場 落合博満
34 1984年 7月21日 5 14 後楽園球場 簑田浩二
7月22日 5 6 阪神甲子園球場 ブーマー・ウェルズ
7月24日 4 1 ナゴヤ球場 江川卓
35 1985年 7月20日 2 0 明治神宮野球場 高木豊
7月21日 6 5 川崎球場 ウォーレン・クロマティ
7月23日 2 10 藤井寺球場 松永浩美
36 1986年 7月19日 4 6 後楽園球場 山本和範
7月20日 3 4 大阪球場 清原和博
7月22日 5 3 広島市民球場 吉村禎章
37 1987年 7月25日 4 7 西武球場 高沢秀昭
7月26日 3 8 横浜スタジアム 石毛宏典
7月28日 7 9 阪神甲子園球場 清原和博
38 1988年 7月24日 1 3 阪急西宮球場 ブーマー・ウェルズ
7月25日 4 1 ナゴヤ球場 岡田彰布
7月26日 4 3 東京ドーム 正田耕三
39 1989年 7月25日 0 6 明治神宮野球場 村田兆治
7月26日 4 1 藤井寺球場 彦野利勝
40 1990年 7月24日 0 7 横浜スタジアム ラルフ・ブライアント
7月25日 7 12 平和台球場 清原和博
41 1991年 7月23日 1 0 東京ドーム 古田敦也
7月24日 3 3 広島市民球場 広沢克己
42 1992年 7月18日 1 6 阪神甲子園球場 石井浩郎
7月19日 6 4 千葉マリンスタジアム 古田敦也
7月21日 4 2 県営宮城球場 駒田徳広
43 1993年 7月20日 8 10 東京ドーム 清原和博
7月21日 10 8 グリーンスタジアム神戸 トーマス・オマリー
44 1994年 7月19日 1 8 西武球場 秋山幸二
7月20日 7 3 ナゴヤ球場 グレン・ブラッグス
45 1995年 7月25日 4 4 横浜スタジアム 落合博満
7月26日 7 6 広島市民球場 松井秀喜
46 1996年 7月20日 4 7 福岡ドーム 山本和範
7月21日 3 7 東京ドーム 清原和博
7月23日 4 2 富山市民球場 金本知憲
47 1997年 7月23日 0 5 大阪ドーム 松井稼頭央
7月24日 6 3 明治神宮野球場 清原和博
48 1998年 7月22日 4 1 ナゴヤドーム 川上憲伸
7月23日 3 3 千葉マリンスタジアム 松井秀喜
49 1999年 7月24日 8 4 西武ドーム 松井秀喜
7月25日 9 5 阪神甲子園球場 ロバート・ローズ
7月27日 2 1 マスカットスタジアム 新庄剛志
50 2000年 7月22日 5 4 東京ドーム ロベルト・ペタジーニ
7月23日 12 4 グリーンスタジアム神戸 山崎武司
7月26日 9 3 長崎ビッグNスタジアム 清原和博
51 2001年 7月21日 1 7 福岡ドーム 松井稼頭央
7月22日 12 6 横浜スタジアム ロベルト・ペタジーニ
7月24日 4 8 札幌ドーム 中村紀洋
52 2002年 7月12日 4 1 東京ドーム ジョージ・アリアス
7月13日 2 4 松山坊っちゃんスタジアム 的山哲也
53 2003年 7月15日 4 4 大阪ドーム 高橋由伸
7月16日 5 3 千葉マリンスタジアム 金本知憲
54 2004年 7月10日 3 6 ナゴヤドーム 松坂大輔
7月11日 1 2 長野オリンピックスタジアム SHINJO
55 2005年 7月22日 6 5 インボイスSEIBUドーム 金城龍彦
7月23日 5 3 阪神甲子園球場 前田智徳
56 2006年 7月21日 3 1 明治神宮野球場 青木宣親
7月23日 7 4 サンマリンスタジアム宮崎 藤本敦士
57 2007年 7月20日 4 0 東京ドーム アレックス・ラミレス
7月21日 11 5 フルキャストスタジアム宮城 阿部慎之助
58 2008年 7月31日 4 5 京セラドーム大阪 山崎武司
8月1日 11 6 横浜スタジアム 荒木雅博
59 2009年 7月24日 10 8 札幌ドーム 青木宣親
7月25日 4 7 マツダスタジアム 松中信彦
60 2010年 7月23日 4 1 福岡Yahoo! JAPANドーム 阿部慎之助
7月24日 5 5 HARD OFF ECOスタジアム新潟 片岡易之
61 2011年 7月22日 9 4 ナゴヤドーム 畠山和洋
7月23日 3 4 QVCマリンフィールド 中村剛也
7月24日 0 5 日本製紙クリネックススタジアム宮城 稲葉篤紀
62 2012年 7月20日 4 1 京セラドーム大阪 中村紀洋
7月21日 4 0 松山坊っちゃんスタジアム 前田健太
7月23日 2 6 岩手県営野球場 陽岱鋼
63 2013年 7月19日 1 1 札幌ドーム 澤村拓一
7月20日 3 1 明治神宮野球場 新井貴浩
7月22日 1 3 いわきグリーンスタジアム 内川聖一
64 2014年 7月18日 7 0 西武ドーム ブラッド・エルドレッド
7月19日 6 12 阪神甲子園球場 柳田悠岐
通算成績(2014年第2戦まで):パ・リーグ80勝、セ・リーグ75勝、10引き分け

各リーグの連勝記録

ここでは引き分けは挟まない(引き分けでも連勝ストップ)ものとして考える。

  • セ・リーグ:6連勝(1999年第1戦〜2000年第3戦まで、2005年第1戦〜2007年第2戦までの2回記録)
  • パ・リーグ:5連勝(1960年第3戦〜1962年第2戦まで、1973年第2戦〜1974年第3戦まで、1983年第1戦〜1984年第2戦までの3回記録)
  • 引き分けを挟んだ場合にはセ・リーグが1997年第2戦〜2000年第3戦まで1998年第2戦の引き分けを挟んで8連勝している。

主なオールスター記録

太字名は現役選手、所属球団名は記録達成時のもの

出場に関する記録

年齢に関する記録

記録 年齢 選手 所属球団 達成年月日 達成試合・球場
最年少ファン投票選出 17歳 尾崎行雄 東映フライヤーズ 1962年  
最年長ファン投票選出 43歳 門田博光 福岡ダイエーホークス 1991年
最年長出場選手 45歳 野村克也 西武ライオンズ 1980年7月22日 第3戦・後楽園球場
最年長本塁打 43歳5ヶ月 門田博光 福岡ダイエーホークス 1991年7月24日 第2戦・広島市民球場
最年少MVP 18歳11ヶ月 清原和博 西武ライオンズ 1986年7月20日 第2戦・大阪球場
最年少登板投手 17歳10ヶ月 尾崎行雄 東映フライヤーズ 1962年7月24日 第1戦・平和台球場
最年長登板投手 42歳2ヶ月 工藤公康 読売ジャイアンツ 2005年7月23日 第2戦・阪神甲子園球場
最年少勝利投手 17歳10ヶ月 尾崎行雄 東映フライヤーズ 1962年7月26日 第2戦・広島市民球場
最年長勝利投手 37歳8ヶ月 村田兆治 ロッテ・オリオンズ 1989年7月25日 第1戦・神宮球場
最年少敗戦投手 18歳8ヶ月 田中将大 東北楽天ゴールデンイーグルス 2007年7月21日 第2戦・フルキャストスタジアム宮城

最多通算記録

記録 選手 達成までの所属球団
通算試合出場 58 王貞治 巨人
通算MVP 7 清原和博 西武 - 巨人
通算安打 48 野村克也 南海、西武
通算二塁打 15
通算三塁打 4 柴田勲 巨人
通算打点 34 清原和博 西武 - 巨人
通算得点 26 福本豊 阪急
清原和博 西武 - 巨人
通算本塁打 14 山本浩二 広島
通算盗塁 17 福本豊 阪急
通算四死球 33 王貞治 巨人
通算三振 38 清原和博 西武 - 巨人 - オリックス
通算登板 28 金田正一 国鉄 - 巨人
通算登板イニング 64回2/3
通算奪三振 84
通算勝利投手 7 山田久志 阪急
通算セーブ 6 江夏豊 広島 - 日本ハム
通算敗戦投手 4 金田正一 国鉄

最多連続記録

記録 選手 所属球団 達成年月日・達成試合・球場
連続フル出場試合 17 イチロー オリックス・ブルーウェーブ 1994年7月19日・第1戦・西武球場
- 2000年7月26日・第3戦・長崎県営野球場
連続打数安打 6 ロベルト・ペタジーニ ヤクルトスワローズ 2001年7月22日・第2戦・横浜スタジアム第1打席
- 7月24日・第3戦・札幌ドーム第1打席
連続試合安打 11 イチロー オリックス・ブルーウェーブ 1996年7月23日・第3戦・富山アルペンスタジアム
- 2000年7月26日・第3戦・長崎県営野球場
連続打席本塁打 3 掛布雅之 阪神タイガース 1978年7月25日・第3戦・後楽園球場
連続試合本塁打 4 松井秀喜 読売ジャイアンツ 1997年7月24日・第2戦・神宮球場
- 1999年7月24日・第1戦・西武ドーム
連続三振 江藤智 広島東洋カープ 1993年7月21日・第2戦・グリーンスタジアム神戸 3
- 1995年7月25日・第1戦・横浜スタジアム 1
連続奪三振 15 江夏豊 阪神タイガース 1970年7月19日・第2戦・大阪球場 5
- 1971年7月17日・第1戦・阪急西宮球場 9
- 1971年7月20日・第3戦・後楽園球場 1

1試合チーム記録

記録 チーム 達成年月日 達成試合・球場 補足
1イニング最多連続安打 8 セ・リーグ 2011年7月22日 第1戦・ナゴヤドーム  
チーム最多安打 23 2001年7月22日 第2戦・横浜スタジアム
最多安打 33 1987年7月28日 第3戦・阪神甲子園球場 セ・リーグ 16本、パ・リーグ 17本
チーム最多打点 12 パ・リーグ 1970年7月18日 第1戦・神宮球場  
1984年7月21日 第1戦・後楽園球場
連続得点 8 セ・リーグ 2011年7月22日 第1戦・ナゴヤドーム
チーム最多得点 14 パ・リーグ 1984年7月21日 第1戦・後楽園球場
1イニング最多本塁打 4 セ・リーグ 2011年7月22日 第1戦・ナゴヤドーム 荒木雅博中日)1本
畠山和洋ヤクルト)1本
ウラディミール・バレンティン(ヤクルト)1本
長野久義巨人)1本
チーム最多本塁打 5 パ・リーグ 1987年7月28日 第3戦・阪神甲子園球場 清原和博西武)1本
村上隆行近鉄)2本
リチャード・デービス(近鉄)1本
石嶺和彦阪急)1本
1990年7月25日 第2戦・平和台球場 清原和博(西武)2本
石嶺和彦(阪急)1本
大石大二郎(近鉄)1本
鈴木貴久(近鉄)1本
最多本塁打 8   1979年7月24日 第3戦・神宮球場 王貞治(巨人)2本
山本浩二(広島)2本
白仁天ロッテ)1本
レオン・リー(ロッテ)1本
有藤道世(ロッテ)1本
柏原純一日本ハム)1本
1987年7月28日 第3戦・阪神甲子園球場 清原和博(西武)1本
村上隆行(近鉄)2本
リチャード・デービス(近鉄)1本
石嶺和彦(阪急)1本
小早川毅彦(広島)1本
ランディ・バース阪神)1本
衣笠祥雄(広島)1本
チーム最多三振 16 パ・リーグ 1971年7月17日 第1戦・阪急西宮球場  
チーム最少三振 0 セ・リーグ 2008年8月1日 第2戦・横浜スタジアム
最少三振 3 セ・リーグ 0、パ・リーグ 3
継投による無安打無得点 セ・リーグ 1971年7月17日 第1戦・阪急西宮球場 江夏豊(阪神)
渡辺秀武(巨人)
高橋一三(巨人)
水谷寿伸(中日)
小谷正勝大洋
最多継投人数 9 2007年7月20日 第1戦・東京ドーム 上原浩治(巨人)
高津臣吾(ヤクルト)
林昌範(巨人)
木塚敦志(横浜)
岩瀬仁紀(中日)
黒田博樹(広島)
久保田智之(阪神)
マーク・クルーン(横浜)
藤川球児(阪神)
2011年7月22日 第1戦・ナゴヤドーム 岩瀬仁紀(中日)
江尻慎太郎(横浜)
榎田大樹(阪神)
久保裕也(巨人)
山口俊(横浜)
デニス・サファテ(広島)
林昌勇(ヤクルト)
浅尾拓也(中日)
藤川球児(阪神)

1試合個人記録

記録 選手 所属球団 達成年月日 達成試合・球場 補足
最多安打 5 ロベルト・ペタジーニ ヤクルトスワローズ 2001年7月22日 第2戦・横浜スタジアム ※1
最多打点 6 土井正博 近鉄バファローズ 1967年7月25日 第1戦・神宮球場
エイドリアン・ギャレット 広島東洋カープ 1978年7月22日 第1戦・広島市民球場
ロバート・ローズ 横浜ベイスターズ 1999年7月25日 第2戦・阪神甲子園球場
最多本塁打 3 エイドリアン・ギャレット 広島東洋カープ 1978年7月22日 第1戦・広島市民球場
掛布雅之 阪神タイガース 1978年7月25日 第3戦・後楽園球場
最多盗塁 4 松井稼頭央 西武ライオンズ 1997年7月23日 第1戦・大阪ドーム
最多盗塁補殺 3 古田敦也 ヤクルトスワローズ 1991年7月23日 第1戦・東京ドーム
最長登板イニング 5 斉藤明夫 大洋ホエールズ 1982年7月25日 第2戦・西武ライオンズ球場 ※2
最多奪三振 9 江夏豊 阪神タイガース 1971年7月17日 第1戦・阪急西宮球場
連続奪三振 ※3
最多三振 3 土井正博 近鉄バファローズ
江藤智 広島東洋カープ 1993年7月21日 第2戦・グリーンスタジアム神戸
最多失点 9 武田勝 北海道日本ハムファイターズ 2011年7月22日 第1戦・ナゴヤドーム
最多自責点
最多被安打 11 成瀬善久 千葉ロッテマリーンズ 2008年8月1日 第2戦・横浜スタジアム
最多被本塁打 4 武田勝 北海道日本ハムファイターズ 2011年7月22日 第1戦・ナゴヤドーム

※1:第1打席から2安打、四球を挟んで第4 - 6打席までの計5安打。
※2:通常1投手3イニングまでの登板とされているが、延長戦に入った場合はその規定の対象外となっていたため。
※3:江夏は1970年のオールスター登板を5連続奪三振で終えており、当該試合を経て第3戦の6回に登板。1三振(江藤慎一)を奪ったのち、野村克也にセカンドゴロで阻止されるまで、3試合合計で15連続奪三振を達成したことになる。

その他

記録 選手 所属球団 達成年月日 達成試合・球場 補足
最短試合 1時間46分     1953年7月6日 第2戦・阪神甲子園球場 セ 2 – 0 パ
最長試合 3時間15分
(9イニング)
1970年7月18日 第1戦・神宮球場 セ 9 – 13 パ
最長試合 4時間30分
(延長21回)
1952年7月3日 第1戦・阪急西宮球場 セ 2 – 2 パ
最多観客 48,671人 1951年7月4日 第1戦・阪神甲子園球場 パ 1 – 2 セ
コールドゲーム 2007年7月21日 第2戦・フルキャストスタジアム宮城 ※1
満塁ホームラン 榎本喜八 大毎オリオンズ 1963年7月23日 第2戦・東京スタジアム ※2
大杉勝男 東映フライヤーズ 1967年7月27日 第3戦・大阪球場 ※3
ランニングホームラン 半田春夫 南海ホークス 1960年7月26日 第2戦・後楽園球場
遠井吾郎 阪神タイガース 1970年7月21日 第3戦・広島市民球場
藤原満 南海ホークス 1978年7月25日 第3戦・後楽園球場
大友進 西武ライオンズ 1999年7月24日 第1戦・西武ドーム
代打逆転サヨナラホームラン 高井保弘 阪急ブレーブス 1974年7月21日 第1戦・後楽園球場 ※4
投手によるホームラン 巽一 国鉄スワローズ 1960年7月27日 第3戦・後楽園球場
江夏豊 阪神タイガース 1971年7月17日 第1戦・阪急西宮球場
投手による
サヨナラ打(犠飛)
水野雄仁 読売ジャイアンツ 1988年7月26日 第3戦・東京ドーム ※5
サイクル安打 古田敦也 ヤクルトスワローズ 1992年7月19日 第2戦・千葉マリンスタジアム
単独ホームスチール SHINJO 北海道日本ハムファイターズ 2004年7月11日 第2戦・長野オリンピックスタジアム
最速球速 162km/h 大谷翔平 2014年7月19日 第2戦・阪神甲子園球場 ※6

※1:8回表降雨コールド パ5 – 11セ
※2:1回裏2死満塁 投手・稲川誠大洋
※3:4回裏2死満塁 投手・江夏豊(阪神)
※4:9回裏1死一塁 投手・松岡弘(ヤクルト)
※5:3 – 3で迎えた延長12回裏無死一・三塁、打順は投手の中山裕章(大洋)。野手は全て出場していたため、セ・リーグの王監督が投手の中でも打撃の良い水野を代打起用し、センターにサヨナラ犠牲フライを打った。同様の理由で、1980年7月22日第3戦(後楽園球場)、2 – 1で迎えた9回表パ・リーグの攻撃2死満塁の場面で、松沼博久(西武)の代打にパ・リーグの西本幸雄監督(近鉄)が山内新一(南海)を送ったことがあったが、セ・リーグの抑えの江夏豊(広島)に三振に打ち取られた[16]
※6:1番鳥谷敬への2球目(結果はファール)と5番阿部慎之助への1球目(ボール)の計2球で記録。

テレビ・ラジオ放送

現在は日本国内でのみ地上波放送・衛星放送共に民間放送が中継。NHKでもかつてはテレビ・ラジオ両方で放送していたが、冠大会の制約(冠スポンサーのCMを流さなくてはならない)により、テレビは1994年、ラジオは2003年をもって全国中継から撤退した(ラジオ放送で地元向けの放送が行われることはある)。

テンプレート:See also

オールスターゲームの地上波テレビ中継の視聴率

オールスターゲームの地上波テレビ中継の視聴率1970年代末期から1980年代までは30%台を記録し1990年代までは20%台をキープしていたが、ここ数年は10%台に下がる傾向にあり、2007年度第2戦では関東地区で1桁台を記録し2010年度第2戦には、ついにナイターで初めて1桁の視聴率を出した。しかし関東地区では低下傾向であるものの、関東地区以外では高い数字を記録している。

視聴率低下の要因は、視聴者の関心・趣味の多様化、少子化による若年層ファンの減少、人気選手のメジャーリーグ移籍、セ・パ交流戦開催による両リーグ間の対戦の目新しさの低下など多岐に亘る。

いずれも関東地区平均(ビデオリサーチ調べ)。

世帯別平均が高視聴率の試合
1978年:第1戦(7月22日、TBS系)34.6%
1979年:第1戦(7月21日、TBS系)34.6%、第2戦(7月22日、TBS系)32.9%、第3戦(7月24日、フジテレビ系)33.5%
1981年:第2戦(7月26日、TBS系)32.8%、第3戦(7月28日、フジテレビ系)29.8%
1983年:第1戦(7月23日、フジテレビ系)32.5%、第2戦(7月24日、フジテレビ系)32.5%
1984年:第1戦(7月21日、日本テレビ系)30.9%
1988年:第1戦(7月24日、フジテレビ系)30.5%
1998年以降の世帯別平均視聴率
第1戦 第2戦 第3戦
開催年 開催日 放送局 視聴率※2 開催日 放送局 視聴率※2 開催日 放送局 視聴率※2
1998年 7月22日 TBS系 21.2% 7月23日 TBS系 21.0%  
1999年 7月24日 テレ朝系 27.6% 7月25日 テレ朝系 23.6% 7月27日 フジ系 16.7%
2000年 7月22日 日テレ系 22.0% 7月23日 フジ系 22.0% 7月26日 日テレ系 19.8%
2001年 7月21日 フジ系 ※1 15.2% 7月22日 TBS系 16.0% 7月24日 14.5%
2002年 7月12日 テレ朝系 16.3% 7月13日 日テレ系 18.1%  
2003年 7月15日 14.7% 7月16日 TBS系 14.3%
2004年 7月10日 フジ系 14.7% 7月11日 15.4%
2005年 7月22日 テレ朝系 11.9% 7月23日 テレ朝系 10.3%
2006年 7月21日 フジ系 12.6% 7月23日 TBS系 12.2%
2007年 7月20日 日テレ系 13.5% 7月21日 8.2%
2008年 7月31日 フジ系 11.4% 8月1日 11.3%
2009年 7月24日 日テレ系 14.8% 7月25日 11.7%
2010年 7月23日 テレ朝系 11.1% 7月24日 テレ朝系 9.5%
2011年 7月22日 TBS系 13.0% 7月23日 8.6% 7月24日 テレ朝系 7.4%
2012年 7月20日 テレ朝系 10.8% 7月21日 10.8% 7月23日 フジ系 9.6%
2013年 7月19日 12.5% 7月20日 11.5% 7月22日 9.8%
2014年 7月18日 7月19日  

(「日テレ」は日本テレビ放送網、「フジ」はフジテレビジョン、「テレ朝」はテレビ朝日の略)
※1:『FNS ALLSTARS27時間笑いの夢列島『』内で放送。
※2:関東地区のみ。

注釈

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関連項目

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外部リンク

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  6. 2005年より東北楽天ゴールデンイーグルス専用球場となった。以降2007年2011年にオールスター戦を開催。
  7. 東北野球企業が興行面で協力。
  8. 2004年より北海道日本ハムファイターズの専用球場となった。以降2009年と2013年にオールスター戦を開催。
  9. 場内アナウンス(ウグイス嬢)は読売ジャイアンツの球団職員が担当。
  10. 王会長 球宴はAKB総選挙方式で - 日刊スポーツ(2012年6月22日付) 2013年6月8日閲覧
  11. 胸マークには2012年の開催地である大阪・松山・岩手のイメージをカラーで表現。
  12. なお、過去に冠協賛がなかった時代には自動車が各試合のMVP副賞として贈呈されたことがある。
  13. 2011年の場合は「今後発売されるSKYACTIV TECHNOLOGY」搭載車」としており、開催時に「SKYACTIV TECHNOLOGY」が搭載されていた車はデミオ 13-SKYACTIVだけであったためデミオが賞品イメージ車両として球場に展示されていた。よってデミオが商品だったわけではない。
  14. 2012年は受賞者がSKYACTIV TECHNOLOGY搭載の「デミオ」「アクセラ」「CX-5」のいずれか1台が贈呈される。
  15. 2014年は「アテンザ」「アクセラ」「CX-5」のいずれか1台が贈呈される。
  16. 無死満塁で登板した江夏は、レロン・リー有藤通世(共にロッテ)、山内を3者連続三振に討ち取り、先制打を打った真弓明信と本塁打を打った掛布雅之(共に阪神)を抑えてMVPを獲得した。これは“9連続三振の再現”“前年の日本シリーズ(江夏の21球)の再現”と話題になった。