金城龍彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox baseball player 金城 龍彦(きんじょう たつひこ、1976年7月27日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手外野手内野手)。

経歴

プロ入り前

近鉄バファローズの選手である父・金城晃世の三男として生まれる。元在日韓国3世であり、旧名は金 龍彦(キム・ヨンオン、김용언)。

高校は近大付高に在学。2年の夏、大阪大会決勝で松井稼頭央福留孝介を擁するPL学園に勝ち、甲子園出場を果たし、金子誠を擁する常総学院に敗れ2回戦で敗退。当時のポジションは投手で、同期の藤井彰人とバッテリーを組んでいた。

テンプレート:Byには韓国の高校野球大会に在日韓国人チームの一員として出場するが、その際には現地の韓国人に受け入れてもらえず厳しいバッシングを受け、とても悔しい思いをしたという[1]

高校卒業後は社会人野球の住友金属に所属。速球と大きく曲がるカーブを武器に活躍。チームを日本選手権優勝に導き、1997年には優秀選手にも選ばれる。

1998年度のドラフトにて5位指名で横浜ベイスターズに入団。

プロ入り後

プロ入りと同時に打者転向。従来は右打席であったが、スイッチヒッターに転向した。1年目のテンプレート:By10月3日中日戦でプロ初出場を果たす。

テンプレート:By槙原寛己からプロ第1号となる代打本塁打を放つ。これをきっかけに2番打者、三塁手レギュラーに定着。驚異的なペースでヒットを積み重ね、打率が一時4割を超え話題となった。8月18日の対阪神タイガース戦で打率.384で規定打席に到達した[2]。そのまま閉幕まで打率トップを維持し、首位打者新人王のタイトルを獲得。同時受賞はプロ野球史上初であり、横浜の選手が新人王となるのは斉藤明夫以来23年ぶりであった。オフにはテレビCMにも出演するなど飛躍の一年となったが、当時、球団が金城の人気を盛り立てようとファンから募集して決まった「ハマの龍神」というニックネームは、あまり定着しなかった。同年結婚し、同時に日本国籍を取得した。

三塁手としては失策が目立ったことや、俊足・強肩を生かすため、新監督の森祇晶の意向でテンプレート:Byから外野手に本格的に転向。他球団のマークがきつくなったこと、サインプレーを好む森監督の采配によって2番打者としての要求が増え、自由な打撃ができなくなったことなどから打率を大きく下げたが、球団記録となる43犠打を記録するなど繋ぎ役として活躍。しかしテンプレート:Byはキャンプイン前の減量が仇になり、さらに大きく打率をさげて1割台に終わった。

テンプレート:Byは1番打者として打率3割を記録し、16本塁打を記録するなど長打力も身につけた。同年、1試合左右両打席本塁打を2回達成したが、1年での達成はセ・リーグ史上初であった。

外野転向後は主に中堅を守っていたが、テンプレート:Byから多村仁が中堅に入り、金城は右翼を守るようになった。同時に、打順も6番になったが、2年連続となる打率3割を記録した。

テンプレート:Byに打順が3番になると、ロバート・ローズの球団記録にあと1本と迫る191安打を放ち、打点も自己最多を記録。さらに、守備も評価され、ゴールデングラブ賞を初受賞。これらの働きが評価され、テンプレート:By3月に開催されたWBC日本代表に選出された。

2006年は前年に続き3番・右翼に入るが、調子が上がらず、後半になると7番打者に回り、最終的な打率も.268に終わる。しかし故障者が相次ぐ中全144試合出場を果たした。

ファイル:Tatsuhiko Kinjou in 20100403.JPG
打席に立つ金城
(2010年4月3日、明治神宮野球場)

テンプレート:Byは多村が福岡ソフトバンクホークスへ移籍したこともあり、再び中堅手に戻る。前半戦は打撃不調に陥るが、後半戦で打率を2割8分台まで持ち直した。2度目のゴールデングラブ賞を受賞した。

テンプレート:Byは4月に猛打賞を3度記録するなどしたが、夏場には調子を落とし、スタメン落ちもしばしば経験した。最終的には打率.247で、本塁打も9本の成績に終わる。FA権を取得したが、FA権は行使せず残留することを表明し、横浜と2年の複数年契約を結んだ。

テンプレート:By以降はスタメン出場が激減し、守備固めや代打として出場することが目立つようになった。テンプレート:ByオフにFA権を行使したが他球団からオファーはなく、年俸5000万円の1年契約で横浜に残留した。

テンプレート:Byは体重を首位打者を獲った当時に戻した。開幕スタメンこそならなかったが、前半戦はレギュラーに定着。夏場はスタメン落ちが増えるも安定した成績を残していたが、9月26日の対広島東洋カープ戦で走塁中に左足を痛め、左大腿二頭筋肉離れで全治4~6週間と診断され戦線を離脱する。そのまま復帰できずにシーズンを終え、108試合の出場に留まった。

ファイル:20120318 Tatsuhiko Kinjoh, outfielder of the Yokohama DeNA BayStars, at Yokohama Stadium.JPG
金城の打撃フォーム
(2012年3月18日、横浜スタジアム)

テンプレート:Byは開幕スタメンに名を連ね、4月1日の開幕第3戦となる対阪神戦で横浜DeNAベイスターズとしてのチーム第1号本塁打を放つ。9月14日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)にて村中恭兵からこの日2安打目となるヒットをセンター前へ放ち、通算1500本安打を達成。スタメンの機会は多かったが、代打での打率が3割越えを記録するなど、代打で結果を残すことが多かった。一方得点圏打率が.132に終わるなど、チャンスには極端に弱かった。結局、オフには40%ダウンの3000万円プラス出来高で契約更改を行った[3]

テンプレート:Byは開幕スタメンを逃す。多村のDeNA復帰、ナイジャー・モーガンの加入などで外野のスタメン争いが激化したが、アレックス・ラミレスの不振により出場機会が増える。5月25日の対千葉ロッテマリーンズ戦では通算100号ホームランを達成。モーガンが中堅手、荒波が右翼手で固定されることが多くなり、シーズン中盤からこれまであまり守らなかった左翼手での出場機会が増えた。最終的に前年より少ないもの118試合に出場し、打率.291、本塁打6、打点36を記録し、ここ5年間で一番の成績を残した。得点圏で.342、代打で.306を記録。5月1日のヤクルト戦ではサヨナラホームランを放つなど、かつての勝負強さを発揮した。また苦手の盗塁を全て成功させた。

テンプレート:By5月26日の対オリックス戦(横浜スタジアム)の延長10回2死一、二塁の場面で代打で出場、サヨナラ打となる中前適時打を放つ。通算8本目のサヨナラ安打は球団タイ記録となった[4]

人物

礼儀正しく謙虚な人柄である。子どもの頃から人に対してとても優しく謙虚な姿勢の父を見てきたため、その姿をずっと目標にしてきたとのことである[5]

金城が生まれる前に父はプロ野球選手を引退していたが、物心がついた頃に父がプロ野球選手だったことを知り、自分も同じようにプロ野球選手になると決めていた。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 横浜
DeNA
6 11 11 1 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 2 .182 .182 .182 .364
テンプレート:By2 110 475 419 60 145 18 3 3 178 36 8 7 17 0 37 0 2 58 6 .346 .402 .425 .827
テンプレート:By2 138 579 480 68 130 19 2 3 162 49 10 10 43 0 56 0 0 57 6 .271 .347 .338 .685
テンプレート:By2 111 258 224 13 38 8 1 0 48 13 5 0 14 3 14 2 3 35 2 .170 .225 .214 .440
テンプレート:By2 136 592 549 78 166 26 1 16 242 40 4 13 2 4 33 3 4 60 7 .302 .344 .441 .785
テンプレート:By2 133 527 486 53 147 15 2 13 205 52 0 5 6 0 29 3 6 74 12 .302 .349 .422 .771
テンプレート:By2 144 642 590 70 191 30 1 12 259 87 1 2 5 8 32 1 7 63 6 .324 .361 .439 .800
テンプレート:By2 144 618 552 60 148 22 2 11 207 59 2 1 8 3 48 7 7 57 14 .268 .333 .375 .708
テンプレート:By2 139 580 511 66 145 27 2 14 218 66 2 2 12 4 49 1 4 64 11 .284 .349 .427 .775
テンプレート:By2 136 532 489 44 121 16 1 9 166 41 0 4 6 2 32 1 3 64 11 .247 .297 .339 .636
テンプレート:By2 118 341 312 37 88 21 2 9 140 34 1 3 5 1 18 6 5 44 6 .282 .330 .449 .779
テンプレート:By2 96 149 130 9 27 7 0 1 37 10 0 0 4 0 15 1 0 17 3 .208 .290 .285 .575
テンプレート:By2 108 354 324 24 88 13 1 3 112 29 1 0 6 5 16 0 3 35 8 .272 .307 .346 .653
テンプレート:By2 129 331 294 29 70 11 0 3 90 18 2 1 3 2 26 0 6 37 1 .238 .311 .306 .617
テンプレート:By2 118 334 306 33 89 12 1 6 121 36 3 0 2 1 17 2 8 40 8 .291 .343 .395 .739
通算:15年 1766 6323 5677 645 1595 245 19 103 2187 571 39 48 133 33 422 27 58 705 103 .281 .335 .385 .720
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

年度別守備成績


二塁 三塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1999 - 3 1 6 1 0 .875 3 0 0 0 0 ---- -
2000 1 2 1 0 1 1.000 83 69 130 12 9 .943 - 25 39 2 0 0 1.000
2001 - - - 137 281 14 5 1 .983
2002 - - - 102 136 7 3 1 .979
2003 - - - 136 268 15 5 1 .983
2004 - 1 0 0 1 0 .000 - 133 216 7 4 1 .982
2005 - - - 144 290 11 1 4 .997
2006 - - - 144 274 8 4 2 .986
2007 - - - 137 257 10 4 2 .985
2008 - - - 132 223 2 2 0 .991
2009 - - - 97 146 3 0 1 1.000
2010 - - - 47 66 2 1 0 .986
2011 - - - 94 166 5 0 1 1.000
2012 - - - 95 122 3 0 0 1.000
2013 - - - 87 122 0 1 0 .992
通算 1 2 1 0 1 1.000 87 70 136 14 9 .936 3 0 0 0 0 ---- 1510 2606 89 30 14 .989
  • 2013年度シーズン終了時

タイトル

表彰

記録

初記録
節目の記録
その他の記録
  • オールスターゲーム出場:3回 (2003年、2005年、2006年)
  • シーズン打率:.34606(2000年) ※スイッチヒッターとしては歴代最高
  • シーズン犠打:43(2001年) ※球団記録
  • シーズン安打:191(2005年) ※スイッチヒッターとしては西岡剛松井稼頭央に次いで歴代3位
  • サヨナラ安打:8 ※球団タイ記録
  • 先頭打者本塁打:計7本
  • 1試合左右両打席本塁打 ※史上16人目(同記録3度以上は史上6人目・セ・リーグ初)
  日付 対戦球団 球場 打席 相手投手 打席 相手投手
1 2003年8月13日 阪神22回戦 札幌ドーム 4回裏 藪恵壹 9回裏 ジェフ・ウィリアムス
2 2003年8月16日 広島17回戦 広島市民球場 3回表 佐々岡真司 4回表 西川慎一
3 2006年8月19日 広島15回戦 横浜スタジアム 4回裏 フアン・フェリシアーノ 7回裏 高橋建

背番号

  • 37 (1999年 - 2000年)
  • 2 (2001年)
  • 1 (2002年 - )

関連情報

CM

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:横浜DeNAベイスターズ テンプレート:Navboxes テンプレート:2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表

テンプレート:横浜ベイスターズ1998年ドラフト指名選手
  1. 朝日新聞(2006年8月9日)
  2. 2001 ベースボール・レコード・ブック 53頁 「2000年度の主な記録と出来事」より。
  3. 【DeNA】金城40%減「こういう世界」 - 2012年11月21日,日刊スポーツ
  4. キヨシ的中!代打金城10回サヨナラ打ニッカンスポーツ2014年5月27日配信
  5. これまでの道 これからの道 横浜ベイスターズ 金城龍彦選手 SPORTSよこはま