成瀬善久

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テンプレート:Infobox baseball player 成瀬 善久(なるせ よしひさ、1985年10月13日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手投手)。栃木県小山市出身。

経歴

プロ入り前

小山市立桑中学校在学時はエースとして第22回全国中学校軟式野球大会に出場。1試合16奪三振と毎回奪三振の大会記録を樹立しチームを全国第3位に導く(毎回奪三振は長谷川滋利山本省吾らも記録している)。なお、同中学の2年先輩には東京ヤクルトスワローズ飯原誉士がおり、成瀬が1年時のエースは飯原であった。

横浜高校時代は度重なる故障に悩まされたが、第75回選抜高等学校野球大会で3回戦の明徳義塾を劇的に破ると勢いに乗って、準優勝。決勝では西村健太朗白濱裕太バッテリーを擁する広陵高校と対戦。先発した1学年下の涌井秀章リリーフしたが共に打ち込まれ、3-15という大敗を喫した。第85回全国高等学校野球選手権大会神奈川県予選では決勝進出を果たすも給前信吾と、1学年下に田澤純一を擁する横浜商大高校に敗れ春夏連続出場を逃した。2003年ドラフト6巡目で千葉ロッテマリーンズに指名され入団。背番号60

プロ入り後

ファイル:Naruse Yoshihisa, Beijing 2008.jpg
北京五輪での成瀬(2008年)

テンプレート:Byは故障の影響もありシーズン前半を棒に振る。後半からは二軍で安定した成績を残した。

テンプレート:By5月17日に一軍昇格し、対横浜ベイスターズ戦でプロ初登板初先発初勝利を飾る。一軍最後の登板では初完封を達成し、結果的に13試合で5勝をあげ先発ローテーション定着を果たす。しかし、シーズン終了後の阪神タイガースとのファーム日本選手権では喜田 - 桜井 - 藤原に3者連続本塁打を浴び敗戦投手となった。

テンプレート:Byは開幕ローテーション入りし、16勝1敗、防御率1.81。オールスターに出場、月間MVPを二度受賞し、最優秀防御率最優秀投手を獲得した。この年の黒星は交流戦(横浜戦)のみで、パ・リーグ球団との試合では無敗であった。しかし、北海道日本ハムファイターズとのクライマックスシリーズ第2ステージ最終戦では敗戦を喫した。援護率5.64はリーグトップで、与四球27は規定投球回に到達した投手では武田勝の17についで2位。ちなみに、防御率1点台、勝率9割台でシーズンを終えた投手が出たのは1959年杉浦忠以来48年ぶり、2リーグ制以後では史上2人目である。西武・日本ハムには強く、それぞれ6勝0敗(7試合)・4勝(4試合)を挙げる一方で、東北楽天ゴールデンイーグルスには2試合先発して0勝0敗、防御率は4点台と相性が悪かった。

翌年の北京五輪出場を目指す野球日本代表に招集され、台湾で行われた最終予選の第2戦・韓国代表との試合に先発。4回途中までで2失点。勝ち負けはつかなかったが、チームは勝利した。

テンプレート:Byに背番号を17に変更。北京オリンピック野球代表日本に選出され、第5戦(カナダ戦)に先発し、7回を被安打2、10奪三振、無失点で勝利した。大会通算19奪三振で奪三振王に輝いた。また交流戦では、投手としては珍しい三塁打を放った。

テンプレート:By春期キャンプで故障し出遅れる。その影響か前半戦は調子が上がらず打ち込まれる場面が目立ったが、徐々に復調し、オールスター後は無傷の7連勝を果たしてシーズンを終え、最終的にはチームトップの11勝を挙げた。この年の活躍が認められ、年俸一億円に到達した。

テンプレート:Byはオープン戦で16回を15失点と不調だったが、自身初の開幕投手に指名された。横浜高校の後輩でもある西武の涌井秀章と投げ合い、5回まで無安打に抑えるも7回に2被弾し、逆転される。打線も1点に抑えられ、3安打2失点完投も敗戦投手となった。なお、ダルビッシュ有岩隈久志も開幕投手として登板し完投負けを喫していたため、開幕投手が3人揃って完投負けしたこととなった。この珍事は実に50年ぶりとなる。シーズンではチーム最多の13勝を挙げ、203.2イニングを投げ完投7、無四球試合4、192奪三振、WHIPは1.02の好成績を残した。しかし、被本塁打が激増し29本を浴び、11敗を喫した。対オリックス戦では7戦7勝と抜群の相性を誇り、最終戦でも勝利し、チームをCS進出に導いた。

CSファイナルステージの対戦相手であるソフトバンクには、シーズンでは防御率こそ3.32だったものの0勝4敗と相性が悪かった。しかし、第1戦はファーストステージ第1戦(対西武、7回0/3、2失点)から中4日で1失点完投勝利を挙げると、更に最終戦となった第6戦にも連続中4日で登板し、4安打完封勝利を挙げるなど、全く危なげなく連勝。同制度下ではシーズン3位チーム初の日本シリーズ進出に大きく貢献し、MVPに輝いた。日本シリーズでも、第1戦と第6戦に先発し、第1戦では2失点に抑え勝利し、自身初の日本シリーズの勝利投手となった。

テンプレート:By1月1日に成瀬の公式ブログにおいて「野球やめようか」と引退を示唆する書き込みが行われ騒動となるが[1]、何者かの不正アクセスによる書き込みで引退はデマであるとブログや公式ツイッターなどで否定されている[2][3]7月21日のオールスター第2戦では、新変化球のナックルフォークを実戦で試投した。この年は最終的に12勝をあげ、四年連続の二桁勝利となった。

テンプレート:Byは、怪我の影響で14試合登板にとどまり4年連続2桁勝利と6年連続規定投球回到達の記録が途絶えた。

テンプレート:Byは6月23日に、前日に鹿児島県出身の1歳年下の一般女性と結婚したことを発表[4]

プレースタイル

ボールの出所を隠しながらゆったりしたモーションで投球する変則的なフォームで打者のタイミングを外し、平均球速約137km/h[5]、最速147km/hのストレートチェンジアップ、高い制球力を武器に三振を奪い、スライダーカーブも投げ分ける。テンプレート:要出典範囲。投球時のテイクバックが小さく、手首の曲げ具合が招き猫の上げた前脚に似ており、「猫招き投法」と呼ばれることもある。この投球フォームについて、「和田選手の出所を隠す部分と杉内選手のゆったりした部分を足したフォーム」であると語っている[6]

2010年までの通算奪三振率8.15と奪三振が多い。特に一軍に定着した2006年は9.54、2009年は9.14(リーグ2位)、2010年は8.48(リーグ4位)を記録し、高低のコースを突くストレートと右打者は外のチェンジアップ、左打者は外のスライダーで三振を奪う。被本塁打は2008年はチームの規定投球回に達した投手の中で最も少なく、2009年もチーム2番目に少ない被本塁打14に抑えていたが、2010年からは3年連続でリーグワーストの被本塁打数を記録し、2013年も87投球回で13被本塁打となっている(この年の被本塁打王である岸孝之野上亮磨はそれぞれ178回1/3と152回2/3で17本)。

人物

チームでのニックネームは「ニャー」(彼の投球フォームに由来)。これにちなみ、2008年シーズンからのマッチデープログラムでは、終了した清水直行エッセイ『やるしかないねん』の跡を継ぎ『なんとかニャルセ』を担当。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 ロッテ 13 13 2 1 0 5 5 0 0 .500 326 78.1 75 6 21 0 4 83 2 0 33 30 3.45 1.23
テンプレート:By2 24 24 6 4 2 16 1 0 0 .941 675 173.1 132 10 27 0 4 138 0 0 36 35 1.81 0.92
テンプレート:By2 22 22 3 0 0 8 6 0 0 .571 616 150.2 126 12 35 0 3 119 3 0 57 54 3.23 1.07
テンプレート:By2 23 22 5 1 2 11 5 0 0 .688 627 153.2 146 14 28 1 3 156 2 0 61 56 3.28 1.13
テンプレート:By2 28 28 7 1 4 13 11 0 0 .542 817 203.2 173 29 34 2 4 192 8 1 78 75 3.31 1.02
テンプレート:By2 26 26 6 3 4 10 12 0 0 .455 765 189.2 188 15 18 0 1 151 3 0 75 69 3.27 1.09
テンプレート:By2 28 28 5 2 1 12 11 0 0 .522 806 200.2 176 21 34 1 2 122 4 0 71 63 2.83 1.05
テンプレート:By2 14 14 1 0 0 6 4 0 0 .600 364 87 81 13 25 1 2 51 1 0 36 29 3.00 1.22
通算:8年 178 177 35 12 13 81 55 0 0 .596 4996 1237 1097 120 222 5 23 1012 23 1 447 411 2.99 1.07
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

記録

投手記録
打撃記録
節目の記録
その他記録

背番号

  • 60 (2004年 - 2007年)
  • 17 (2008年 - )

登場曲

脚注

  1. 成瀬元日引退騒動はイタズラ日刊スポーツ 2012年1月1日
  2. [1]千葉ロッテマリーンズ公式ツイッター
  3. ☆注意事項☆成瀬善久オフィシャルブログ 2012年1月1日
  4. ロッテ成瀬が結婚を発表 1歳年下の鹿児島出身の一般女性とスポニチアネックス 2014年6月23日
  5. 『週刊プロ野球データファイル』31号、ベースボール・マガジン社、雑誌27743-11/16、12頁。
  6. 報道ステーション2007年10月5日放送のスポーツ内より

関連項目

外部リンク

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