吉村裕基

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テンプレート:Infobox baseball player テンプレート:告知 吉村 裕基(よしむら ゆうき、1984年6月14日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手外野手内野手)。

経歴

プロ入り前

テンプレート:By福岡県で生まれる。中学時代は地元の野球チーム「福岡ライナーズ」に所属。東福岡高校時代は甲子園にも出場した。高校通算43本塁打を記録。テンプレート:Byドラフト会議において、横浜ベイスターズに5巡目で指名され入団。このドラフトでは、高校の先輩にあたる日本大学村田修一も入団している。

横浜・DeNA時代

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イースタン・リーグで5番打者として活躍。シーズン終盤に一軍に昇格し、10月3日の対中日ドラゴンズ戦(横浜スタジアム)で迎えた初打席二塁打を放つと、その翌日(同カード)にはプロ初本塁打を放った。

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開幕一軍メンバーには漏れるも、7月3日に昇格。7月7日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)では代打決勝適時打を放ったほか、7月9日フレッシュオールスターゲームでは筒井和也から2ラン本塁打を放つ。同年11月には吉村の風貌に由来する愛称「モンチッチ」にちなんだ、「吉村モンチッチ」人形が発売された。

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4月中旬の二軍での対北海道日本ハムファイターズ戦で死球を受けて骨折。イースタン・リーグでは三塁手のレギュラーとして打率.252、10本塁打の成績を残すも、骨折による不振が響いて一度も一軍に昇格できなかった。出場機会を増やすため、同年の秋季キャンプから外野手の練習を本格的に開始した。

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開幕一軍入りを果たす。開幕から好調を維持し、交流戦直前から外野手としての先発出場が多くなった。6月に死球離脱があったものの、高打率を維持してチームの主力に成長、4番打者・村田に続く5番打者を任されるようになった。守備では外野全ポジションと一塁で満遍なく起用され、規定打席未満ながら打率.311、26本塁打の記録を残すなど、新人王の有力候補に名前を挙げられるほどの活躍をみせるも、新人王は惜しくも梵英心に譲った。

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新監督の大矢明彦意向によって、外野手から一塁手にコンバートされ、全試合を一塁手として出場。前年ほどの打率は残せず、下位打線を打つことも多かった。6月9日の対千葉ロッテマリーンズ戦(横浜スタジアム)では4回裏に成瀬善久から、成瀬にこの年唯一の黒星を付ける一発となった決勝2ラン本塁打を放っている。自身初の規定打席に到達し、チーム2位の24本塁打、85打点を記録した。

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前年外野を守っていた佐伯貴弘と入れ替わり、一塁手から右翼手に再転向した。4月26日の対広島東洋カープ戦(横浜スタジアム)では右翼手として、一試合3補殺を記録。村田が北京五輪出場のため離脱した際は、8月3日の対阪神タイガース戦からプロ初の4番打者に座り、村田の穴を埋める活躍をみせた。最終的には自己最高の34本塁打(リーグ5位)、91打点(同6位)を記録し、低迷するチームの中でも首位打者内川本塁打王・村田、そして吉村と右打者3人が並ぶ強力なクリーンナップは、他チームの脅威となった。

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打撃練習を行う吉村(2009年、阪神甲子園球場)
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5月まで僅か3本塁打に止まるなど、前年から一転不振に陥る。打順を変えて復調を待つも打率、本塁打共に数字は伸び悩んだ。全144試合出場を果たしたが、レギュラー獲得後最低成績となる打率.248、16本塁打、54打点に終わり、2年連続リーグ2位の134三振を記録した。

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開幕から不振が続き、下園辰哉の台頭や井手正太郎の加入などで5月11日に降格[1]。成績は僅か49試合出場、3本塁打に留まった。

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開幕戦で4打数4安打を記録。さらに一時は打率3割を超えるなどの好調だったが、他球団から研究をされた影響か調子は長続きせず、前年に続き二軍降格となった。復帰後も状態が上向くことはなく、81試合出場で打率.200、5本塁打、11打点と結果を残せず、得点圏打率至っては.108と極端に低い数字に終わった。2011年現在、チーム内に吉村以外に「吉村」姓を名乗る選手・スタッフは在籍していなかったが、この年よりユニフォームの背ネームが、イニシャルを付した"Y.YOSHIMURA"に変更された。

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開幕を二軍で迎えた。4月末に昇格し、5月5日には2打席連続ホームランを記録した[2]。その後も6番・右翼手としてスタメン出場していたが再び打撃不振に陥り、交流戦以降は金城龍彦や下園辰哉にスタメンの座を奪われ代打要員に降格したが調子が一向に上向かず、7月5日に二軍に降格してから再昇格ができなかった。11月5日、多村仁志神内靖吉川輝昭とのトレードにより、山本省吾江尻慎太郎と共に福岡ソフトバンクホークスへの移籍が発表される。[3]背番号は6[4]

ソフトバンク時代

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開幕を二軍で迎えるも、4月27日一軍昇格。同日の対ロッテ戦にスタメン出場した第1打席で、前年まで.412と得意にしていた成瀬善久から移籍後初本塁打を放った[5]

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 横浜
DeNA
6 22 18 2 4 1 0 1 8 3 0 0 0 0 2 0 2 4 1 .222 .444 .808 1.252
テンプレート:By2 10 13 13 1 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .154 .154 .154 .308
テンプレート:By2 111 416 396 57 123 24 1 26 227 66 5 3 2 2 10 1 6 116 5 .311 .336 .573 .909
テンプレート:By2 141 566 519 69 142 21 4 24 243 85 5 3 3 5 30 1 8 95 16 .274 .320 .468 .788
テンプレート:By2 143 574 530 69 138 30 4 34 278 91 9 5 2 1 30 1 11 135 9 .260 .313 .525 .837
テンプレート:By2 144 588 528 62 131 26 2 16 209 54 13 7 0 4 45 1 11 134 17 .248 .318 .396 .714
テンプレート:By2 49 141 132 12 27 4 0 3 40 11 0 2 1 3 5 0 0 41 5 .205 .229 .303 .532
テンプレート:By2 81 245 220 25 44 8 1 5 69 11 0 1 2 1 15 0 7 59 3 .200 .272 .314 .586
テンプレート:By2 25 72 67 4 14 3 0 2 23 7 0 1 0 0 5 0 0 22 0 .209 .264 .343 .607
テンプレート:By2 ソフトバンク 36 104 93 13 18 0 0 5 33 16 1 0 1 0 7 0 3 23 2 .194 .272 .355 .627
通算:10年 745 2741 2516 314 643 117 12 116 1132 345 33 22 11 16 149 4 48 634 58 .256 .307 .450 .757
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

年度別守備成績


一塁 三塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2003 - 6 5 7 1 1 .923 -
2004 1 7 0 0 1 1.000 - -
2006 22 174 11 0 9 1.000 - 85 153 3 4 0 .975
2007 138 1270 94 10 103 .993 - -
2008 - - 140 251 11 2 4 .992
2009 - - 144 260 6 4 0 .985
2010 - - 42 71 2 1 0 .986
2011 1 1 0 0 0 1.000 - 60 102 5 3 0 .973
2012 4 19 1 0 1 1.000 - 13 26 1 1 0 .964
2013 9 59 4 1 9 .984 - 16 19 2 1 0 .955
通算 175 1530 110 11 123 .991 6 5 7 1 1 .923 487 856 29 15 4 .983
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

  • 初出場・初先発出場:2003年10月3日、対中日ドラゴンズ24回戦(横浜スタジアム)、7番・三塁手として先発出場
  • 初打席・初安打:同上、2回裏に平松一宏から左越二塁打
  • 初打点:同上、3回裏に平松一宏から押し出し四球
  • 初本塁打:2003年10月4日、対中日ドラゴンズ25回戦(横浜スタジアム)、7回裏に野口茂樹から左越決勝2ラン
  • 初盗塁:2006年5月18日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(横浜スタジアム)、3回裏に二盗(投手:久保康友、捕手:里崎智也
  • 100本塁打:2009年10月3日、対中日ドラゴンズ24回戦(横浜スタジアム)、6回裏に吉見一起から左中間へ2ラン ※史上257人目
  • 4試合連続本塁打:2008年9月11日 - 14日(11日:対広島東洋カープ戦、12 - 14日:対中日ドラゴンズ戦)
  • 全打順本塁打:2009年6月17日、対オリックス・バファローズ4回戦(横浜スタジアム)、1番・右翼手で出場、6回裏に金子千尋から左越2ラン ※史上8人目(最年少となる24歳で達成とセ・リーグ初の達成者)

背番号

  • 31 (2003年 - 2012年)
  • 6 (2013年 - )

高校時代の記録

登場曲

  • 「Yeah 3x」Chris Brown
  • 「ボラーレ ~ Nel Blu, Dipinto Di Blu」「ライフ イズ ビューティフル」「三十路ボンバイエ」ケツメイシ
  • 「NHKテレビ小説あまちゃんのオープニング曲」大友良英
  • 「オリジナル楽曲」大蔵(ケツメイシ)

脚注

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関連項目

外部リンク

テンプレート:福岡ソフトバンクホークス

テンプレート:横浜ベイスターズ2002年ドラフト指名選手
  1. 吉村が登録抹消、打撃不振で荒治療 nikkansports.com 2010年5月12日
  2. テンプレート:Cite news
  3. ソフトB多村 3対3のトレードで古巣復帰
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