ダチョウ倶楽部

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テンプレート:Infobox お笑いコンビ ダチョウ倶楽部ダチョウくらぶ)は、日本のお笑いトリオ太田プロダクション所属。

出川哲朗らと並んで、俗に言う「リアクション芸人」の代表格である。「ヤー!!」、「ムッシュムラムラ」など同じ言葉を連呼するギャグものまねなどを得意とする。

メンバー

元メンバー
  • 南部寅太(なんぶ とらた) - ボケ担当、初代リーダー。

脱退後、南部虎弾と名を改め電撃ネットワークで活動中。電撃ネットワークにはボケ・ツッコミはない。

来歴

肥後は商業デザイナーから転身してコメディアンの杉兵助に弟子入りし、渋谷道頓堀劇場でお笑い芸人として活動しており、寺門と上島は劇団テアトル・エコー附属養成所に所属する役者志望だった。彼らが知り合ったのはテアトル・エコーの先輩・渡辺正行の紹介である。

3人はコント赤信号の劇団員として活動後、多人数のコントグループ「キムチ倶楽部」として活動。キムチ倶楽部には俳優の近藤芳正なども在籍していた。諸事情により改称し、南部寅太(現:南部虎弾)と共に「ダチョウ倶楽部」を結成した。初代リーダーは南部だったが、1987年に彼が脱退して電撃ネットワークを結成したため3人編成となる。

南部脱退の理由については、4人とも明確に語ろうとしていなかったが、最近では理由を語っており、上島竜兵曰く「南部が深夜、電話にて上島に『ビー玉飲めるか?』と言ったがために、それは出来ないと仲たがいになり、南部が脱退した」とのことで、要は方向性の違いによるもののようだ。 以下の文はあくまでも噂である。

  • 南部がメンバーに「金魚飲める?」「花火を背負いたい」「コントで使うオモチャのウンコを本物のウンコにしたい」など現在の電撃ネットワークの方向で行くことを要求したが、他の3人がそれを拒んだため[1]
  • ひょうきん予備校に出演した際に、南部がスタッフから「面白いから先輩を怒らせろ」と言われたのをいいことに、大先輩のハナ肇に対し「あなたは本当に面白くないですね」と言ってハナ肇を本当に怒らせてしまい事務所から脱退させられた。
  • 南部がテレビ番組で山本晋也に「山本監督は監督らしいことをしてないのに、どうして監督と呼ばれてるんですか?」と言ったところ、「本気で静か」に怒られ、南部のみが番組降板となってしまい、後のダチョウ倶楽部強制脱退に繋がった。

なお、これらの噂について2008年4月23日放送の『大人の自由時間・なぎら開宝計画』(BS11)にゲスト出演した南部は、ハナ肇には「ハナさんは意外と真面目な方なんですね」と言ったら怒られた。山本晋也には「俺がどうして監督って呼ばれてるかわかるか?強いからだよ!」と言われスタジオの外に連行されたと発言している。

南部脱退後、事務所の指示で(戸籍上は)最年少ながら一番背の高い肥後がリーダーとなった(実際の最年少は寺門、詳細は当該項を参照)。フロントマン兼リーダーの南部脱退により、当時太田プロに在籍していた芸人の間では南部なしのダチョウ倶楽部の行く先が危ぶまれたという。その後ショーパブ、ライブなど経て、お笑い第三世代ブームでブレイクするが、ネタ番組では一本ネタはさせてもらえず、ショートコントばかりという扱いだった。「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」(以下、「お笑いウルトラクイズ」と略す)にて後述するような独特な芸風(リアクション芸)を生かし再ブレイクする。かつてネタでは上島がツッコミ役だったが、笑福亭笑瓶の助言により、上島がボケ役に回った。

1993年10月からは初めてゴールデンタイムで『王道バラエティ つかみはOK!』のメイン司会を担当するが、視聴者から抗議が殺到し(特に上島のドリカム吉田美和のモノマネは大顰蹙を買った)、視聴率も苦戦した事から半年で打ち切られる(次番組は『クイズ悪魔のささやき』)。以後テレビではメインではなくサブとしての出演が中心となる。なお、台湾で『つかみはOK!』を放送していた頃、彼らをパクった「アヒル倶楽部」なる細身2人にデブ1人という男性3人組お笑いグループがいた。

1994年の『24時間テレビ』のチャリティーマラソンでは3人同時に走った[2]

1995年、『ダチョーン倶楽部』内の上島企画「目指せ! ヒット曲」において、Club D名義でシングルCDを1枚リリースした。

2006年、CS放送テレ朝チャンネルにて『ダチョ・リブレ』がスタート。「竜兵会」「ネイチャージモン」の2部構成。「竜兵上島のオチのない話」などオリジナル企画を放送。

2009年時点で3人揃って出演するレギュラー番組は上記の『ダチョ・リブレ』の他にローカル局で放送している『パチンコ・パチスロ大冒険ジャンバリ〜黄金ホールに眠る秘宝〜』のみだが、在京キー局が制作するバラエティ特番に出演することも多い。

エピソード

  • 現在のメンバー3名は、テレビ番組等では「結成時のエピソード」を語る際、南部のことにあまり触れない場合が多い。たとえば2007年1月14日放送の『いつみても波瀾万丈』においては、ダチョウ倶楽部がかつて4人組だったという事は一切触れられず、結成当時の写真が映された時に南部の顔はモザイクで消されていた。理由は、決して不仲ではなく、番組の構成上、4人だったという話をしてしまうと尺が足りなくなるから。2013年6月30日放送分の「誰だって波瀾爆笑」では、南部の話題が出たり、4人時代のコント映像が流される。また、ビートたけしの番組にダチョウ倶楽部と電撃ネットワークそれぞれが出演した際、たけしが南部に「ダチョウをクビになったやつじゃねえか」と突っ込み、それに呼応してダチョウの三人が南部にネタとして殴る蹴るなどしてみせたり、『大仁田厚千針記念パーティー』にて、偶然ダチョウと電撃の両方が招待され、4人が揃う形になり、この時の様子が『リングの魂』にて、南原清隆から紹介されたことがある。
  • 1994年の「さんまのナンでもダービー」スペシャル内のレースにおいて、神立高原スキー場を舞台に、「お笑い対抗雪上レース」が開催された。1枠に「電撃ネットワーク」(南部虎弾はレースには不参加)チーム。2枠に「ダチョウ倶楽部」チームの全7頭立で行われる。電撃チームに比べ、ダチョウ倶楽部の前評判は決して高くなかったが、予想屋の明石家さんまが『(ダチョウは)電撃チームにライバル意識があるために絶対に真剣にやるはず』と、大御所らしい深読みをし、ダチョウに高評価を与えるが、案の定、終始笑いに走りほぼ上位争いに参加せず、レース終了後、さんまに愛想を尽かされてしまう。電撃チームは2着入賞と健闘し、レースを制したのは「吉本興業チーム」だった。
  • 土田晃之が「ダウンタウンDX」出演時に、「この3人はそれぞれが面白いエピソードをたくさん持っている。だけどトーク番組などで、この3人から面白いエピソードをあまり聞かない。その理由は、3人が全員、そのエピソードを話す話術を持っていないから。つまりダチョウ倶楽部という人たちは、話術を持っていない3人が集まったグループである。」と評したことがある。当人たちにもその意識があるようで、上島が「アメトーーク」(芸人ドラフト会議)に出演した際に、「(トークについては)俺もリーダーも土田に生かされている」とコメントしている。また、土田は「ダチョウ倶楽部ってのは、変わり者1人(寺門)にバカ2人(肥後&上島)のグループ」と評している一方、雑誌のインタビューで「上島、肥後が僕らの位置まで下りてきてくれて、何でも言いやすいような空気を作ってくれたから。そこが、あの人たちの唯一いいところで偉大なところ」とも評している。
  • 志村けんと多数の共演ができるようになったきっかけはプロレスラーの川田利明で、川田が上島を志村に紹介した。メンバーは川田に非常に感謝している。
  • 全員関西以西の出身なのに、東京でデビューし、東京を活躍場所としているので、立場としては関東芸人とされている。「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」に出演した際、「関東の人間として関西芸人には負けられないよ!」などと意気込みを語っていたが、浜田雅功から「お前ら全員西(日本)の人間やないかい!」とツッコまれていた。なお3人とも年齢はダウンタウンの2人より上ではあるが、デビューしたのはダウンタウンが先である。
  • 第5回お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル』(2006年7月25日放送)では、普段の芸風とは違う真剣な面を見せて優勝した。
  • 近年は各メンバー単独での活動も多いが、以前はピンの仕事でもギャラを三等分していた。
  • ものまね王座決定戦で肥後が堺正章の真似をした際(寺門と上島はサカイ引越センターのCMキャラの徳井優を寺門、華ゆりを上島が演じた)、ネタの一つであるテーブルクロス抜きを成功させたことがある。しかし後に「あれはストーリー上、派手に失敗して『失敗しましたかくし芸~の堺』と続く予定だったのに成功しちゃったから一瞬固まりました」とコメントした。実際、寺門が「成功しましたかくし芸~の堺」とアドリブで歌詞を変え、肥後もビックリした様子だった。同じくものまね王座でレオ三兄弟(肥後:森本レオ、寺門:ウルトラマンレオ、上島:ジャングル大帝レオ)が、同番組の物まねリクエストで1位を取ったことがある。
  • 同じく、ものまね王座決定戦初出場時、彼等が少年隊の「君だけに」をウルトラ3兄弟のコスチュームで物まねした後、評価を訊かれた峰岸徹から「団長倶楽部」と言われた。
  • 3人の中でも肥後と上島がよく飲みに行っているが、寺門は酒が飲めずそういった席を避けているだけで、決して二人と不仲というわけではない。寺門が竜兵会のメンバーでないのもこのためである。ロケで地方へ行くと、今でも3人で食事をしたり部屋飲みをする程仲は良い。
  • 一番死ぬかと思った仕事は、「第9回大会 ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」でのバス吊り下げアップダウンクイズ。スタッフが予行を実施した際は天候も良く海も穏やかだったのだが、撮影当日は漁師が漁に出られない程海が荒れていた[3]

主なギャグ

3人の計算されたコンビネーションで見せる芸が多い。その内容はウケる、ウケないではなく、もはや伝統芸の領域に入ってきている(マンネリの美学)。またリアクション芸については、ノリだけで行っているように見える裏側に「リアクションの際はカメラを凝視する」「限界の状況でも常に安全を確認、かつ最低限のマージンを取って芸に臨む」など全てが計算されている。また、一見つまらないようなギャグでも3人で行うと迫力があって面白く感じるとも語っている。『アメトーーク』出演の際のリアクション芸人講座など自分たちの芸について語る機会があると、リアクションシーン直前にカメラに写りこまない部分で行われる準備、リアクション中の様々なテクニックや、流れるようなフォーメーションが随所に織り込まれていることを解説している。

最近では、ダチョウが下記のギャグをやろうとする流れになると、他のタレントによって「例の“キス”だろ?」などと言われて成立しなくなる(そこで笑いになる)パターンも出てきている(とくに有吉弘行などが使う)。

  • 聞いてないよォ」(1993年流行語大賞大衆部門・銀賞)
    • 彼らを一躍スターダムに押し上げた「お笑いウルトラクイズ」で生まれたギャグ。最初は本当にこれから行われる企画をまったく聞いておらず、その企画で受けたあまりに過酷な仕打ちから、寺門が「聞いてないよォ」とポロリと言ったことから生まれた。その後、同番組で受ける企画がどんどん過激かつ過酷になるにつれて、本当にケガなどしたら危ないということで企画会議の段階から参加するようになったといわれる。よって、定番化した頃にはあらかじめ知っていたのに3人が声を揃えて白々しく吐くギャグとして認知されるようになった。一世風靡したこのギャグだが、現在はあまり披露されていない。
    • 織田信長」(高橋英樹主演)への客演時にも、出演シーン(長篠の戦いに際し野戦築城の材を担いで行軍する場面)での台詞に反映されている。
  • 「(上島)俺は絶対やらないぞ!(肥後)お前やらないの?じゃあ俺がやるよ!(寺門)いやここは俺がやるよ! (上島)・・・じゃあ俺がやるよ。(肥後&寺門)どうぞどうぞ!
    • 熱いおでんを食べるなどの過酷な企画を誰がやるか決める時のギャグ。「ナイナイナ」(テレビ朝日)の企画で偶発的に生まれたものである。
    • 逆さバンジージャンプなどのスタントをやる人を決める際、ナインティナイン石塚英彦らとともにこのギャグを演じる。当時はいわば「ナイナイナ」限定のギャグだったが、「ナイナイナ」終了後は他の芸人とも一緒にやるようになった。また上島の代表的な芸として認知されているため、上島しかいない場合でも他の芸人やタレントから彼に対して振られることもしばしばある。
    • たまに「俺は絶対やらない」の代わりに「俺は○○じゃない」(○○には人物名が入ることが多い)というフレーズを使い、その後同じような流れでいったために最後の「どうぞどうぞ」がかなり不自然な形になり、上島が「使い方が違う!」とキレる変形パターンも披露している。ダチョウ倶楽部のメンバー以外との絡みでよく発生する展開である。
    • その演者を選ばないギャグの汎用性の高さからか、上島以外の芸人やアイドルグループのトークなど、ダチョウ倶楽部が居なくても「お約束」として引用ている。一般人も巻き込み100人以上で行なったこともある。
    • 2011年3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)において、食糧やガソリンなどの物資を買い占めせずに被災者に譲ろう、という趣旨でインターネット上などでこのギャグが取り上げられ、先に『節電』の趣旨で取り上げられていた新世紀エヴァンゲリオンの『ヤシマ作戦』に倣い『ウエシマ作戦』と呼ばれるようになる。
  • 訴えてやる!
    • 上島がキレて床に帽子を叩き付けた後、指を指しながら吐き出す台詞。バリエーションに、「告訴するぞ!」がある。このギャグも「聞いてないよォ」と同様に一世風靡したギャグだが、近年は上島が自身のネタ紹介的に披露する程度。キレてから帽子を取り出し、一度被ってから行うパターンや、なぜかこのギャグを長く引っ張って出し惜しみするというパターンもあり。
  • 「(肥後と寺門)テレビテレビ!カメラ回ってる!!(三人)すいません、取り乱しました
    • 「訴えてやる!」とのコンボで使う。これでその場をまるく収める。肥後と寺門が突っ込む前に上島が自分で「すみません」と納めて自己完結するというパターンもある。
  • クルリンパ
    • 上島の芸。クルリンパと言いながら、叩き付けた帽子を手際よく頭にのせる。「訴えてやる!」等とのあわせ技。ただし本人もいつ使っていいのか分からないことを後輩に漏らしている。発展技として逆回転する「パラリンク」がある。
  • 「(上島)押すなよ!押すなよ!絶対に押すなよ!
    • 上島が熱湯風呂に入る時の決まり文句で、「押すなよ」は準備中、「絶対に押すなよ」は準備完了(押してくれ)の合図である。初出は上島が熱湯兄弟の長男も務めた「スーパージョッキー」(日本テレビ)の名物企画「熱湯コマーシャル」。
    • 上島の解説では、このセリフを言う直前に肥後・寺門に指を出し、その指の本数分「押すなよ」と言ったら2人が押すという時もある。
    • 肥後と寺門が本当に押さず、しばらく経ってから上島が「押せよ!」とキレるパターンもある。
    • 現在では熱湯以外のシチュエーションにおいても、「~するな」という文句が暗に「~しろ」と示しているものとし、お笑いにおける暗黙の了解の一つとして用いられている。
    • これには続きがあり、上島が熱湯風呂に突き落とされ溺れ助け出された後、仰向けにされ、心臓マッサージの要領でおなかをさすられると、噴水のように水を口から出す。そして目を覚ました後不意に立ち上がり、カメラに向かって一言ネタでオチをつける。なぜか「ハッピーターン」が使われやすい。
  • ヤー!!」(登場時の掛け声として多用。掛け声と同時に、両手を斜め前に出すが一方の手を短くしズラす)
  • ムッシュムラムラ」(目の前に水着美女が居た時に拝むように放つ。元は関敬六のギャグ)
  • つかみはOK!」(あまりウケないギャグをやった後に行うが、初めからこのネタを言うためにその前のギャグが存在することすらある。初の冠番組のタイトルにもなる。元々は笑福亭笑瓶の発言で生まれた)
  • みんな仲良く脇(和気)・アイ!アイ!
  • 金貸してくれ!
  • (「バカじゃないの?」などと言われた後、怒ったような感じで)「何?バカ?」 (急にバカっぽく)「はは~ん、バカだなぁ!」(元はWけんじのネタから来ている)
  • ごめ~んなチャイチャイチャイニーズ
    •  ウンナンの気分は上々の企画で生まれたギャクで、作ったのは上島である。元々はテンションが低いギャクがったのだが、居酒屋の店員に披露したときは、多少テンションを上げて披露したがあまり受けなかった。しかし、現在では何かミスして謝罪する場面に多用されるギャグとなる。
  • ストッピング!
  • この○○(料理名)は甘からず、辛からず、かといって美味からず」「まずいんじゃね~かよっ!」(以前自動車雑誌「J's Tipo」で別人による同じネタが掲載された。ただそのときのオチは「もう食うな!!」だった。)
  • ヨゴレでごめーんねっ
  • カットしないでね
    • 連続でネタを披露する際に、次のネタに移るタイミングで挟む。これを行うことでカットを入れた際にすぐ分かるようになるので、結果的につまらないネタでも全てオンエアされる。
  • あれ いつの間に
    • 熱湯風呂などを用意された際に、企画をやるならあらかじめ告知してくれなくては困るという趣旨の発言をしながらも服を脱ぎ、その下にはすでに水着が装着されている。現在では「聞いてないよォ」が使われなくなりこちらのパターンが多い。
  • そんなお前にチェックメーイト!
    • このギャグもいつ使うべきなのか分からず、未だ手探りである。
  • 上島竜兵○歳、代表作これと言ってなし
  • ナイスネイチャー!
    • 寺門がネイチャージモンとして相手を褒めるときに使う褒め言葉。対語は「バッドネイチャー
  • フェー!フェー!フェー!」(上島がやるフェーフェーおじさん)
  • 殺す気か!」これをグレードアップさせた「殺せー!
  • ジャンプ
    • 何らかの理由で上島が怒り、足を地面に叩き付けると、その衝撃(?)で周りの芸人がピョンと軽く飛び上がる。(後にこのアイデアはとなりのトトロのパクリだったと上島がカミングアウト)最初は周りの数人が飛び、なんども繰り返して飛び上がる人数を増やしてゆく。状況によってはスタジオにいるスタッフも飛び上がるに至る。「どうぞどうぞ」と同じく汎用性の高いギャグ。誰もジャンプせず上島がキレるパターンも存在する。
  • キス
    • 上島が他のメンバー、主に肥後や出川哲朗・カンニング竹山などと1対1の口論になり、ヒートアップして互いに相手に詰め寄るが、何故かキスをしてしまい、和解して丸く収まる。だが、土田や有吉には詰め寄ってもほとんど拒否されている。
  • ケンカ
    • ひな壇や多くのタレントがいる時に使われ、上島が怒り出し相手の下へ詰め寄っていき、周囲がケンカを止めようと取り囲んでいるといつの間にか上島が下着一枚になっており、カメラに向かって「ハッピーターン」などの一発ギャグで締める。変形パターンとして、取り囲みの解除が早く、脱いでいる最中の姿を見せられるといったパターンも存在する。「どうぞどうぞ」と共に汎用性も高く司会が続けざまに他のタレントに振る時もある。
  • やってくれたな!
    • 上述のジャンプやケンカなど周囲の暗黙の協力で行われるギャグにおいて、「ジャンプしない」「取り囲み解除が早い」等、周囲が故意に成立させず、結果上島がスベった空気になり、「やってくれたな!」とキレる。

出演メディア

※ダチョウ倶楽部としての出演番組を記載。個別での出演番組は肥後克広寺門ジモン上島竜兵を参照。

レギュラー出演番組

単発

過去

以下は4人組時代のレギュラー

映画

CM

パチンコ

  • CRフィーバーダチョウ倶楽部(2002年、ダイドー
  • CRフィーバーボビーとダチョウ倶楽部の世界紀行(2006年、SANKYO

CDシングル

DVD

書籍

  • FromD―リアクション芸人就職情報(2006年、双葉社)ISBN 4575299251

ゲーム

  • ジグザグキャット ダチョウ倶楽部も大騒ぎダ(スーパーファミコン 1994年6月24日 DEN'Z)

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. ゆーとぴあ結成前のホープも「芸風がヨゴレ過ぎてテレビ向きではない」との理由で、メンバーにクーデターを起こされリーダーの座を追われている。
  2. スタートからゴールまでの全走行距離は約2km。2011年フジテレビ「27時間テレビ」ビートたけし談。
  3. 2013年1月29日、『ももももクロ試練の七番勝負 episode.3』にて発言
  4. テンプレート:Cite web