ものまね王座決定戦

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テンプレート:基礎情報 テレビ番組 テンプレート:Ambox-miniものまね王座決定戦』(ものまねおうざけっていせん)は、フジテレビ系列で1973年から1986年まで改編期に放送されて、1987年から1998年まで春・秋の改編期・11月下旬又は12月上旬に放送されて、1999年から2000年まで再び春・秋の改編期に放送されて、2012年から毎年、年末(12月下旬)に放送されているものまね番組。通称「ものまね王座」。第1期は主に『火曜ワイドスペシャル』枠で放送されていた。

本項では特別編にあたる『発表!日本ものまね大賞』と総集編にあたる『あなたが選ぶ!ものまね王座決定戦ベスト101』についても述べる。

歴史

『ものまねブーム』まで

1973年、『火曜ワイドスペシャル』として、『第1回オールスターものまね王座決定戦』としてスタート。開始当初から非常に高視聴率を記録し、スペシャル番組として定着した。後に、笑いに特化した内容の番組が1985年7月2日『第1回爆笑!スターものまね王座決定戦』としてリニューアルして、1985年以降は正統派ものまねの『オールスターものまね王座決定戦』と、お笑いものまねの『爆笑!スターものまね王座決定戦』を交互に放送されていた。

番組初期は当時の売れっ子アイドル歌手や演歌歌手らの余興的色彩があったが、1987年に後のブームを構築する木村忠寛がプロデューサーに就任。1987年3月放送の『第2回爆笑!スター』からこれまで司会を務めたあのねのねに代わり、新たな司会者に所ジョージ榊原郁恵が就任(1988年4月の『第20回オールスター』からそれまで桑野信義とタッグを組み出場者側だった田代まさしも加わる)し、審査員に淡谷のり子を加えてからは、いわゆるものまね四天王を前面に出す番組作りに衣替え。ダチョウ倶楽部ピンクの電話のような、ものまねよりも単なる一発芸やカラオケに終始したネタも頻繁化され、1990年代にものまねブームを巻き起こした。

1986年までは3ブロック制で90分での放送だったが、1987年の90分での放送が2ブロック制に改める。

1987年 - 1998年までは年に3回(オールスターものまねが秋、爆笑!スターものまねが春と11月頃に放送)この2番組が並行して行われていたが、1997年・1998年の11月頃に放送される分はこれまでの優勝者・決勝進出者に常連組が揃ったグランドチャンピオン大会になった。

1989年に入ると春の改編期に『爆笑!スター』、秋の改編期に『オールスター』を放送するようになり、この年の10月に放送された第21回以降の『オールスター』から3ブロック制に変更され、翌1990年4月にも第7回以降、春の改編期に放送する『爆笑!スター』も3ブロック制に変更された。

1989年12月の「爆笑!スター」からは審査員のネームプレートが手書き体からナールフォルト体に変更。

また、それとは別に『火曜ワイドスペシャル』や『金曜おもしろバラエティ』→『金曜ファミリーランド』枠で、年数回、特別版や番組の舞台裏ドキュメントを放送した。

しかし、木村とコロッケの対立が発端になり、コロッケは1992年3月31日放送分の『第11回爆笑!スター』を最後に降板。コロッケを含め、司会者だった研ナオコや常連出演者であった岩本恭生、ものまね女四天王の一員であった篠塚満由美らが、1994年12月に日本テレビでスタートした『ものまねバトル大賞』(後の『ものまねバトル』に移動する事件が起きる。

一方で当時番組のメイン司会者格の榊原郁恵や1980年代後半から長年出演中の松居直美清水アキラ栗田貫一、ダチョウ倶楽部など、なんとか無事にフジテレビに生き残れた出演者も多かったが、上記の事件が大きく響き、ものまねブームは沈静化する。四天王の一員だったビジーフォーが降板し、視聴率も『ものまねバトル』に奪われるなどした。1999年以降は1回減らした年2回の編成となる。番組の司会の顔であった榊原も2000年4月7日放送の『第25回爆笑!スター』で降板、同時に司会者全員の赤いブレザーや、1980年10月28日放送回から続いてきた最高100点得点式採点方式もこの回で終了した。

2000年10月3日放送の第32回でテコ入れをしてリニューアルし、プロデューサーも木村から水口昌彦に交代(この回は司会に今田耕司東野幸治篠原ともえ。基本的に生バンドであった演奏も事前収録の効果音に変わった。これ以降ネタの伴奏は生バンドによる事前収録となる)するが、視聴率が本番組史上最低の13%となり、さらに『ものまねバトル』に敗戦したことを受けて、この回を最後に本番組の第1期は打ち切られ、27年の歴史に幕を降ろした。

司会陣も所[1]・田代は1990年12月の『第8回爆笑!スター』で降板し、1991年4月の『第9回爆笑!スター』からは研ナオコ(1994年11月の『第16回爆笑!スター』まで)に交代。しばらくするとメイン司会が井上順(1995年4月の『第17回爆笑!スター』から)の復帰や松本伊代(1996年4月『第19回爆笑!スター』から)の審査員からの移行など司会者が目紛るしく変わることもあった。 司会者の人数も3人から、1996年4月の『第19回爆笑!スター』からは4人に、1998年10月の『第30回オールスター』~1999年10月の『第31回オールスター』には5人までに増えた(1998年11月の「グランドチャンピオン大会」と2000年4月の『第25回爆笑!スター』は4人に戻る)。

トーナメント制も、1997年10月の『第29回オールスター』から2000年4月の『第25回爆笑!スター』まで、春・秋の改編期の『爆笑!スター』、『オールスター』が4ブロック32組となる。複数名のユニットも作られるようになり、最大で50人を超えたこともあった。

番組のセットに関しては、中央が従来のトーナメント表を表したセットだったが、周りが電飾中心のセットになり、出演者席も中央のトーナメント表の所から両側に座ることになった。また、トーナメント表もコンピュータ処理になり、表示されたが1999年10月 - 2000年4月の回はなかった。審査員席の後ろも1997年10月からは観客に埋められ、1998年4月 - 1999年4月はものまねのターゲットとなった出演者とグラビアアイドルに埋められたが、1999年10月 - 2000年4月の回は周りが花に埋められた。

放送日

オールスターものまね王座決定戦

回数 放送日 放送タイトル 優勝者 視聴率
第1回 1973年(放送日未定) 第1回オールスターものまね王座決定戦 森昌子 不明
第2回 1974年(放送日未定) 第2回オールスターものまね王座決定戦 藤圭子
第3回 1975年10月14日火曜日 第3回オールスターものまね王座決定戦 五木ひろし
第4回 1976年4月20日(火曜日) 第4回オールスターものまね王座決定戦 細川たかし
第5回 1976年10月26日(火曜日) 第5回オールスターものまね王座決定戦 森昌子
第6回 1977年4月26日(火曜日) 第6回オールスターものまね王座決定戦 浅野ゆう子
第7回 1977年10月11日(火曜日) 第7回オールスターものまね王座決定戦 石川さゆり
第8回 1978年4月11日(火曜日) 第8回オールスターものまね王座決定戦 西城秀樹
第9回 1978年(放送日未定) 第9回オールスターものまね王座決定戦 石川さゆり
第10回 1979年4月10日(火曜日) 第10回記念オールスターものまね王座決定戦 五木ひろし
第11回 1979年9月18日(火曜日) 第11回オールスターものまね王座決定戦 角川博
第12回 1980年10月28日(火曜日) 第12回オールスターものまね王座決定戦 小林幸子
第13回 1981年10月6日(火曜日) 第13回オールスターものまね王座決定戦 野口五郎
第14回 1982年10月19日(火曜日) 第14回オールスターものまね王座決定戦 研ナオコ
第15回 1983年10月18日(火曜日) 第15回オールスターものまね王座決定戦 松居直美
第16回 1984年10月9日(火曜日) 第16回オールスターものまね王座決定戦 ラッツ&スター
第17回 1985年10月8日(火曜日) 第17回オールスターものまね王座決定戦 ビジーフォー
第18回 1986年11月4日(火曜日) 第18回オールスターものまね王座決定戦 ラッツ&スター
第19回 1987年6月23日(火曜日) 第19回オールスターものまね王座決定戦 田代まさし&桑野信義
第20回 1988年4月12日(火曜日) 第20回記念スペシャル! オールスターものまね王座決定戦 原田ゆかり
第21回 1989年10月3日(火曜日) 第21回オールスターものまね王座決定戦スペシャル 岩本恭生
第22回 1990年10月2日(火曜日) 第22回オールスターものまね王座決定戦スペシャル 松本明子
第23回 1991年10月1日(火曜日) 第23回オールスターものまね王座決定戦スペシャル 栗田貫一
第24回 1992年9月28日月曜日 第24回オールスターものまね王座決定戦スペシャル 布施辰徳
第25回 1993年10月5日(火曜日) 第25回オールスターものまね王座決定戦スペシャル 布施辰徳
第26回 1994年10月4日(火曜日) 第26回オールスターものまね王座決定戦スペシャル 星奈々
第27回 1995年10月3日(火曜日) 第27回オールスターものまね王座決定戦スペシャル 中島マリ
第28回 1996年10月1日(火曜日) 第28回オールスターものまね王座決定戦スペシャル 星奈々
第29回 1997年10月2日木曜日 第29回オールスターものまね王座決定戦スペシャル 清水アキラ
第30回 1998年10月8日(木曜日) 第30回オールスターものまね王座決定戦スペシャル 原田ゆかり
第31回 1999年10月5日(火曜日) 第31回オールスターものまね王座決定戦スペシャル 城之内早苗
第32回 2000年10月3日(火曜日) 第32回オールスターものまね王座決定戦スペシャル 松居直美

爆笑!スターものまね王座決定戦

回数 放送日 放送タイトル 優勝者 視聴率
第1回 1985年7月2日(火曜日) 第1回爆笑!スターものまね王座決定戦 太平サブロー・シロー 不明
第2回 1987年3月27日金曜日 第2回爆笑!スターものまね王座決定戦 コロッケ
第3回 1987年10月20日(火曜日) 第3回爆笑!スターものまね王座決定戦 清水アキラ
第4回 1988年11月29日(火曜日) 第4回爆笑!スターものまね王座決定戦 ビジーフォー
第5回 1989年3月28日(火曜日) 第5回爆笑!スターものまね王座決定戦 篠塚満由美
第6回 1989年12月5日(火曜日) 第6回爆笑!スターものまね王座決定戦 松本明子
第7回 1990年4月3日(火曜日) 第7回爆笑!スターものまね王座決定戦 森口博子
第8回 1990年12月4日(火曜日) 第8回爆笑!スターものまね王座決定戦 清水アキラ
第9回 1991年4月2日(火曜日) 第9回爆笑!スターものまね王座決定戦 コロッケ
第10回 1991年12月3日(火曜日) 第10回爆笑!スターものまね王座決定戦 ビジーフォー
第11回 1992年3月31日(火曜日) 第11回爆笑!スターものまね王座決定戦スペシャル 栗田貫一
第12回 1992年12月1日(火曜日) 第12回爆笑!スターものまね王座決定戦 ビジーフォー
第13回 1993年3月30日(火曜日) 第13回爆笑!スターものまね王座決定戦スペシャル 斉藤ルミ子
第14回 1993年11月30日(火曜日) 第14回爆笑!スターものまね王座決定戦 C.C.ガールズ
第15回 1994年4月5日(火曜日) 第15回爆笑!スターものまね王座決定戦スペシャル わたる哲兵
第16回 1994年11月29日(火曜日) 第16回爆笑!スターものまね王座決定戦 清水アキラ
第17回 1995年3月28日(火曜日) 第17回爆笑!スターものまね王座決定戦 松居直美
第18回 1995年12月12日(火曜日) 第18回爆笑!スターものまね王座決定戦 市原利花
第19回 1996年4月2日(火曜日) 第19回爆笑!スターものまね王座決定戦スペシャル ビジーフォー
第20回 1996年11月26日(火曜日) 第20回爆笑!スターものまね王座決定戦スペシャル ダチョウ倶楽部
第21回 1997年3月25日(火曜日) 第21回爆笑!スターものまね王座決定戦スペシャル 星奈々
第22回 1997年11月27日(木曜日) 第22回爆笑!スターものまね王座決定戦 チャンピオン大会 栗田貫一
第23回 1998年4月2日(木曜日) 第23回爆笑!スターものまね王座決定戦スペシャル 工藤兄弟&松村和子
第24回 1999年4月8日(木曜日) 第24回爆笑!スターものまね王座決定戦スペシャル ダチョウ倶楽部
第25回 2000年4月7日(金曜日) 第25回爆笑!スターものまね王座決定戦スペシャル すだちtoかぼす

チャンピオン大会

回数 放送日 放送時間 放送タイトル 優勝者 視聴率
第1回 1987年12月1日(火曜日) 19:30 - 20:54 第1弾オールスターものまね王座決定戦 チャンピオン大会 栗田貫一 不明
第2回 1988年8月9日(火曜日) 第2弾オールスターものまね王座決定戦 チャンピオン大会[2] -
第3回 1998年11月23日(月曜日) 19:00 - 20:54 オールスターものまね王座決定戦 グランドチャンピオン大会 清水アキラ

第1期終了後

2000年末に、それまで1988年正月より年末年始に行われていた『オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!スペシャル』に吸収合併。完全リニューアルを行った結果、視聴率の巻き返しに成功。その後『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』に改題してパワーアップを図り、ステレオ放送の実施や吉本興業所属芸人を中心とするお笑いタレントを多く出演させるなどの演出の変更を行った。なお、本番組最終回の司会であった今田、東野はリニューアル後も続投している。視聴率でも『ものまねバトル』を再び抜き、『ものまねバトル』を2009年1月4日の放送を以って打ち切り・同年5月3日から『ものまねグランプリ』へのリニューアルという形に追い込んだ(『ものまねグランプリ』はトーナメント戦や1対1など、本番組のような個人戦となっており、個人戦から団体戦に変更したフジテレビと逆のパターンのリニューアルとなった)。

『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』は本番組時代に比べてテロップの乱発が著しくなっているのも特徴。

一方で、かつての本番組の映像をまとめたビデオソフトが、2008年12月17日DVD BOXとして発売された(ポニーキャニオン 本編540分・3枚組)。DVDでは過去の対戦VTRの一部が収録され、エンディングトークとして歴代司会者の榊原郁恵、松本伊代、ガタルカナル・タカ、清水國明が近況や当時の思い出などを語っている。また、冒頭のタイトルコールもこの4人によって行われている。なお、本番組放送時はモノラル放送であったが、DVDでは全編ステレオ音源で収録されている。

また、2009年2月18日にはその第2弾にあたる「ものまね四天王DVD 伝説復活!爆笑ものまねオンパレード!!」というDVD BOXとして発売した。内容はものまね四天王の過去の全対戦VTRが収録されているものである。

第2期

※視聴率は関東地区、ビデオリサーチ調べ。

回数 放送日 放送時間 放送タイトル 優勝者 視聴率
第1弾 2012年7月6日金曜日 19:00 - 22:52[3][4][5] 12年ぶりに今夜復活! ものまね王座決定戦 芸能界日本一は誰だ? 大激突トーナメントスペシャル ミラクルひかる 15.5%
第2弾 2012年12月28日(金曜日) 18:00 - 22:52 日本一は誰だ!? ものまね王座大決定戦 最強トーナメント 超下克上スペシャル!! ビューティーこくぶ テンプレート:06.8%(第1部)
12.3%(第2部)
第3弾 2013年12月28日(土曜日 19:00 - 23:10 最強トーナメント2013 ものまね王座大決定戦 新王者誕生スペシャル!! 友近 10.2%
  • 2012年6月7日に『12年ぶりに今夜復活! ものまね王座決定戦 芸能界日本一は誰だ? 大激突トーナメントスペシャル』の収録が湾岸スタジオで行われることが発表された。
    • なお、出演者・審査員の大半と司会者は『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』と共通になっている。
    • この日は、『オールスター芸能人歌がうまい王座決定戦スペシャル』と同様、Aブロック・Bブロック・Cブロックの3ブロックでトーナメント対決を行った。
    • 基本的には歌ものまねオンリーになるため、お笑いものまねを披露する2000年秋までの常連だった松村・ダチョウや『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』でネタを披露する岡田圭右ますだおかだ)とタカアンドトシなどの一部のお笑いコンビ、そっくりさんなどのグループ、フジテレビアナウンサーは出演しない。
    • また、出場者は個人およびコンビがほとんどで、1997年秋 - 2000年秋にあった合同グループはチームよしもと(山崎邦正・オリエンタルラジオ・NON STYLE・楽しんご)のみとなる。
    • 『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』と同じくテロップの乱発が著しくなっている。
    • なお、2004年秋の『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』以降、司会を務めていた当時フジテレビアナウンサーの中野美奈子(同年7月末でフジテレビを退社)はものまね番組の担当はこの回で最後となった。
    • 金曜プレステージ』枠で放送。
  • 2012年12月28日に復活第2弾にあたる『日本一は誰だ!? ものまね王座大決定戦 最強トーナメント 超下克上スペシャル!!』は18:00 - 22:52の5時間と全テレビ局およびフジテレビのものまね番組としては2番目に最長[6]で、本番組としては最長の放送時間になる[7]
    • この日は、放送時間が7月の放送より1時間長いため、総勢32組のものまね芸人や芸能人・一般人がAブロック・Bブロック・Cブロック・Dブロックの4ブロックでトーナメント対決を行った。三田友梨佳にとって2回目の司会となった。
    • この回は「ひとネタ四天王」は6人が出場した。
    • 『金曜プレステージ』枠で放送。
  • 2013年12月28日には1年ぶりに復活第3弾にあたる『最強トーナメント2013 ものまね王座大決定戦 新王者誕生スペシャル!!』が放送。
    • 出場32組をAブロック・Bブロック・Cブロック・Dブロック・Eブロック・Fブロック・Gブロック・Hブロックの8つのブロック(各ブロック4組)に分かれるため、決勝は8組になる。内田嶺衣奈にとって2回目の司会となり、西山喜久恵が新司会者となった。
    • 決勝戦は予選(1回戦・準決勝)の合計得点が低い順にものまねを披露した。
    • この回は「ひとネタトリオ」は6人が出場した。
    • 土曜プレミアム』枠で放送。

組み合わせ抽選

  • 最初は出場者のマネージャーが組み合わせ抽選を行い、終了後、本人に対戦相手を告げた。
  • 1998年の「グランドチャンピオン大会」と2000年放送回の2回は番組のオープニングに出場者(2人以上のユニットは代表者)が抽選し決定する。
    • 1998年の「グランドチャンピオン大会」では、左から順に「A-1」から「B-8」までのカードが入った封筒をめくり発表したが、2000年放送回の2回はくじ引き形式で発表し即時に対戦相手がわかる様になった。

ルール・審査方法

トーナメント方式で競うルールである(決勝戦は当初は2人だったが、後に3人になる)。初期は、審査員が5人であり、審査員長が口頭で発表する形式で、例えば「3対2で○○の勝ち」といった審査方法だった。1979年4月10日放送回からは、6人の審査員が1人10点、合計60点満点で勝敗を競う形式に、1980年10月28日放送回から2000年4月7日放送までは、10人の審査員が1人持ち点10点、合計100点満点で勝敗を決める形式だった。一人の審査員が付けられる最低点は6点だが、指で5点以下の点数を示したこともあった(ものまね紅白歌合戦で出た1回のみ。時期・詳細は不明)。なお、審査員の点数・合計得点の点数を表示する得点板は、初期は電球で表示していたが、1989年に合計得点のみがデジタル表示に、1991年には審査員の点数もデジタル表示となる。同点の場合は1回勝負のジャンケンで勝敗を決めていた。2012年7月6日、12月28日放送分では審査員10人、先攻を赤、後攻を青として、10点満点で2組同時に得点を付け、審査員席の前面のモニターに表示した後に2組の合計得点を発表する、決勝では1人ずつ順番で個別に得点を付ける形式となった。2013年12月28日放送分では、100点満点で2組同時につけ、1000点満点で合計得点を発表する。  中期までは8点や7点もかなり付けられて、合計点数が80点台またはそれ以下というのも珍しくなかったが、93年に淡谷のり子が降板して以降2000年4月7日までは点数がかなり甘くなり、10点と9点しか付けなくなり100点も乱発するようになった。ただし審査員によっては8点以下の点数も付けていた。例としてしのざき美知志茂田景樹菊池桃子がそれぞれ審査員の時に本人の物まねを、朝田昌貴が淡谷の物まねをした際6点をつけている。特に朝田の場合は明石家さんまが「番組史上初の6点」と紹介していた。

前述のとおり、1989年10月の「オールスター」~1997年3月の「爆笑!スター」は3ブロック制で決勝に残るのは3組。1997年10月の「オールスター」~2000年4月の「爆笑!スター」は4ブロック制で決勝に残るのは4組。11月前後の「爆笑!スター」(1997年・1998年の「チャンピオン大会」)は2ブロック制で決勝に残るのは2組となる。

第32回(2000年10月3日放送)の審査方法

審査員に大江千里山田邦子石井和義高嶋ちさ子市田ひろみを迎えた。トーナメント方式によるルールは従来通りであるが、決勝戦以外(一回戦から準決勝まで)は、1人3点の持ち点でどちらか良かった方の挑戦者に[3-0]、[2-1]、[1-2]、[0-3]の4段階で点数を付ける方式に変更された。審査の発表形式は、各審査員席の前に星型(または鈴型)のランプが3個設置してあり、赤か白かに分かれて一斉に表示していた(例えば、清水アキラ対栗田貫一の対戦で清水が赤(★)、栗田が白(☆)の場合、各審査員の点数がそれぞれ[★★★]、[★★☆]、[★☆☆]、[★★☆]、[☆☆☆]であれば、清水の得点が8点、栗田が7点で清水の勝ちとなる)。合計15点を2人で取り合うため絶対に同点や引き分けにはならず、それに伴うジャンケンは廃止された(現在の『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』、『お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル』の形式)。決勝戦は、審査員が1人ずつ名前(プレート)を出し、支持の多い人がチャンピオンとなる。

この回は、日野美歌セリーヌ・ディオンのものまね)、すだちtoかぼす(ディフェンディングチャンピオン。KinKi Kidsのものまね)、松居直美(小泉今日子のものまね)が決勝進出となった。審査結果発表はまず、一斉に名前の入ったプレートを出すと、大江が日野を挙げ、山田と石井が松居を挙げ、高嶋と市田がすだちtoかぼすを挙げた。この時点で、大江が唯一挙げた日野のチャンピオンがなくなった。大江が改めて、松居かすだちtoかぼすを選んだ結果、松居を挙げて、松居がチャンピオンとなった(チャンピオン達成の瞬間にはくす玉が割れて紙吹雪風船が降って、紙テープが舞う場面のあとに松居をバックにして「優勝おめでとう!!松居直美さん!!」の字幕スーパーが出ていた)。

この回の第32回オールスター・決勝戦で行った審査方法は、2008年から毎年10月下旬に放送している『オールスター芸能人歌がうまい王座決定戦スペシャル』でも採用される。ただし異なる点として、前者では5人一斉に提示したが、後者では右から順に1人ずつ、司会者がコールをした後にプレートを提示する形だった。

復活版

  • 1回戦~準決勝までは、赤コーナーと青コーナーに分かれて対戦を行う。
  • 決勝戦は、4時間版ではAブロックとBブロックとCブロックのそれぞれの勝者が赤コーナーと黄コーナーと青コーナーに分かれるが、5時間版ではAブロックとBブロックとCブロックとDブロックのそれぞれの勝者が赤コーナーと黄コーナーと青コーナーと緑コーナーに分かれるが、4時間10分版はAブロック・Bブロック・Cブロック・Dブロック・Eブロック・Fブロック・Gブロック・Hブロックそれぞれの勝者が赤コーナー・青コーナー・緑コーナー・黄コーナー・橙コーナー・紫コーナー・水コーナー・桃コーナーに分かれる。詳細は下記通り。
パターン Aブロック vs Bブロック vs Cブロック vs Dブロック vs Eブロック vs Fブロック vs Gブロック vs Hブロック
4時間版 決勝者 vs 決勝者 vs 決勝者
5時間版 決勝者 vs 決勝者 vs 決勝者 vs 決勝者
4時間10分版 決勝者 vs 決勝者 vs 決勝者 vs 決勝者 vs 決勝者 vs 決勝者 vs 決勝者 vs 決勝者

同点決勝

決勝はソンミ・清水良太郎・ビューティーこくぶ・ミラクルひかるの4組が戦い、ビューティーこくぶとミラクルひかるが同点になった為、第1期にありえなかった決戦投票を実施。第32回オールスター・決勝と同じ審査方法で決したが、審査員が10人である為、5対5に割れた場合は審査員長の堺正章が挙げた人が優勝となった。

スタジオ(復活版)

復活版では、『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』のスタジオセットを使用しているが、トーナメント表は審査員席の背後のLEDスクリーンに表示される。

チャンピオン決定後

決勝戦の審査結果発表でチャンピオンが決定し、くす玉が割れ(割れる場面をアップで写す)、大量の紙吹雪と風船を浴びる優勝者の表情を映し出した。中には、大号泣する優勝者(コロッケ、清水アキラ、栗田貫一、松本明子森口博子、松居直美、中島マリ、岩本恭生など)も多数いた(松居、松本、森口が決勝戦の結果発表の際は、3人が抱き合いながら大号泣していた)。

なお、初期のチャンピオンへの賞品はハワイ旅行だったが、第10回以降からは賞金100万円(84分(1997年・1998年は114分)以上の拡大スペシャルの場合は200万円にアップ。ただし、2000年10月放送回・2012年以降の復活版は100万円だった。賞金目録小切手をモデルにしたものだった)。ダチョウ倶楽部がチャンピオンになった回(1996年11月と1999年4月放送回(この回の優勝賞金は200万円だった))では、賞金を3等分できないとの理由で更に100万円を追加、都合賞金300万円となったこともある。そして、ゴールデントロフィーと花束が贈呈される。惜しくも敗れた決勝進出者にも、得点に関わらず「準優勝」と書かれた目録が渡される(1997年のオールスターでは賞金50万円と海外旅行)。

なお、賞金総額は1994年秋などでは500万円、1997年秋などで700万円だった。

また番組の収録が長時間に渡るため、収録終了後は近くの居酒屋などで飲み会が開催される。この代金は優勝者の賞金から支払われ、残金が優勝者の物になるのが通例であった。この模様はドキュメントで放送された。

2012年7月6日に復活してからの放送では優勝者に対するトロフィー・賞金小切手パネル贈呈はあったが、祝賀用くす玉・キャノン砲(紙吹雪・風船・紙テープ)はなかった。

チャンピオン達成者

太字は複数回のチャンピオン達成者。

初代チャンピオンである。
2000年10月3日放送の第32回でチャンピオン達成。本番組第1期として最後のチャンピオンとなった。
清水アキラと共に最多優勝回数を記録。
ラッツ&スター名義で出場した回を除く。
  • 清水アキラ(5回)
  • 栗田貫一(4回)
ジャンケンでの敗退が多く、初めてのチャンピオンはグランドチャンピオン大会で達成。ものまね四天王で優勝が最も遅かった。
単独・橋本志穂とのペアとで各1回ずつ優勝している。
  • 篠塚満由美
  • 岩本恭生
  • 松本明子(2回)
  • 森口博子
  • 布施辰徳(2回)
1992年の第24回で初出場初優勝の記録を作る。
実力があるのにもかかわらず、万年1回戦落ちであった。しかし1994年の第15回で初の1回戦突破を果たし、そのまま初優勝。
優勝3回は、松居とともに女性としては最多。
原田ゆかりとペア出場の時に記録。この時の司会に、夫のガダルカナル・タカがいた。
2012年復活版第1弾で優勝。
  • ビューティーこくぶ
2012年復活版第2弾で優勝。
  • 友近
2013年復活版第3弾で優勝。

主な司会者

  • 小林大輔(時期不明)
  • 坂上二郎(1973年〜1978年秋):司会退任後は、審査員を担当。
  • 榊原郁恵(1987年春〜2000年春):アイドル時代には出場者としての経験がある。1985年頃から審査員を担当した後、歴代司会者の中でもっとも長く司会を担当していた(13年)。現在の『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』では審査員として出演していた。
  • あのねのね(1979年春〜1986年晩秋):また、所ジョージ司会時代に『日本ものまね大賞』の司会を担当。司会就任前は坂上と『紅白ものまね歌合戦』の司会を担当。
    • 清水國明(1989年春・1991年春〜1999年秋):1992年秋は原田伸郎とともに審査員を担当。また、所司会時代に『ものまね紅白歌合戦』等の番外編の司会も担当。
    • 原田伸郎(1991年春より不定期)
  • 明石家さんま(1985年秋・1992年秋):また、研ナオコ司会時代に『ものまね紅白歌合戦』や『日本ものまね大賞』の司会を担当。
  • 研ナオコ(1985年秋・1991年春〜1994年晩秋):さんまと研は出場者としての経験もあり、二人でコンビを組んで出場したこともある。また、研は1996年からは日本テレビ系列『ものまねバトル』の司会となる。
  • みのもんた(1980年秋〜1984年秋):みのはあのねのねとは異なり、曲フォローと得点を公表する位置だった。
  • 所ジョージ(1987年春〜1990年晩秋)
  • 田代まさし(1988年春〜1990年晩秋)
  • 井上順(1977年春・1995年春〜1998年秋):1996年秋・晩秋と1997年秋と1999年秋〜2000年春は審査員を担当。
  • 松本伊代(1996年春〜2000年春):1998年春は審査員を担当。本番組降板から12年半後の2012年9月21日には『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』にご本人ゲストとして出演。
  • 東ちづる(1996年春):東は榊原の産休中による代役で出演。
  • (1996年秋・晩秋):1997年秋〜1998年春は審査員を担当。
  • 愛川欽也(1997年秋・1998年春)
  • ガダルカナル・タカ(1998年秋〜2000年春)
  • 薬丸裕英(1999年春〜2000年春):1998年秋は審査員を担当。
  • 今田耕司(2000年10月3日・2012年復活版〜現在)
  • 東野幸治(2000年10月3日・2012年復活版〜現在)
  • 篠原ともえ(2000年10月3日のみ)
  • 高島彩(2012年復活版第1回・第2回)
  • 中野美奈子(2012年復活版第1回のみ)
  • 三田友梨佳(2012年復活版第2回のみ)
  • 西山喜久恵(2013年復活版第3回)
  • 内田嶺衣奈(2013年復活版第3回)

主な審査員

  • 高崎一郎(初期の頃)
  • 坂上二郎(司会退任後に数年間担当)
  • ジェリー藤尾(80年代前半まで)
  • 小松政夫
  • 野際陽子:中島マリと松本明子にものまねをされたことがある。
  • 土居甫
  • 小池聰行(80年代中期まで)ヘッドホンを片手に変顔で聴き入る姿がいつも映し出されていた。
  • 黛ジュン:篠塚満由美と星奈々と俵山栄子にものまねをされたことがある。
  • 淡谷のり子:審査員としては10点をなかなか出さない厳しい人だった。特に、(下品な物まねが比較的多かった)清水アキラに対しては非常に厳しく採点した。また自身のものまねをされた朝田昌貴に対して、2度も6点(最低点数)を出した。ちなみに、高齢がゆえに機械の使い方が自分に合わないためか、自身から見て右の人(生田悦子が大半だった。)に得点のボタンを押してもらっていた。93年に降板。
  • 小森和子
  • 藤村俊二:主に80年代末まで登場。
  • 海老一染之助・染太郎:とんねるずとおぼんこぼんとおきゃんぴーにものまねをされたことがある。
  • 針すなお:出場者がものまねする相手の似顔絵を描いている。採点に厳しく、満点(10点)にすることが少なかった。特に針を除き全ての審査員が10点のケースも度々見られた。
  • 大矢明彦
  • 鈴木邦彦:作曲家。長年にわたり番組に出演。
  • おすぎピーコ鈴木末吉X-GUNにものまねをされたことがある。
  • 森本レオ:肥後克広にものまねをされたことがある。
  • 野口五郎:コロッケと布施辰徳にものまねをされたことがあり、どちらにも10点を出している。しかし、コロッケの過度な演出(鼻くそをほじって舐める、など)に対しては実力を認めながらも困惑していた。
  • 保沢紀:基本的に、誰にでも10点をつけるが、しのざき美知に9点、ピンクの電話に8点を出したことがある(曰く「(着ぐるみの衣装代がかさみ)銀行がもう金貸してくれない」)
  • 生田悦子
  • 峰岸徹ダチョウ倶楽部少年隊の「君だけに」をウルトラ3兄弟のコスチュームで物まねした後、評価を訊かれた時に誤って「団長倶楽部」と言ってしまい、彼等から「ダチョウ!ダチョウ!」と指摘されたことがある。
  • 菊池桃子:しのざき美知が本人のものまねを披露した際に6点を出した。
  • 定岡正二(後期の頃):通常回で肥後克広にまねされた時は10点を出すが、正月の紅白歌合戦では6点を出し、ダチョウ倶楽部を怒らせた。
  • うつみ宮土理:山本ヘンダにものまねをされたことがあり、その時は6点を出した。
  • 美川憲一:コロッケと布施辰徳とつぶやきシローにものまねをされたことがある。
  • 辺見えみり
  • 水前寺清子:佐山友香と清水アキラと松居直美と俵山栄子にものまねをされたことがある。
  • 美保純
  • 浅田美代子:コロッケにものまねをされたことがある。
  • 瀬川瑛子:栗田貫一と原田ゆかりと星奈々がものまねをしたことがある。
  • 秋元康:上島竜兵がものまねをしたことがある。
  • きよ彦:笑福亭笑瓶がものまねをしたことがある。
  • 志茂田景樹:1992年早冬に登場。しのざき美知が本人のものまねを披露した際に6点を出したうえ、罵倒した。
  • 西村知美:9点以下を出したことは一度もない。栗田貫一にものまねをされたことがある。
  • 鈴木ヒロミツ
  • 高樹沙耶:1980年代後半に登場。8点もかなり出していた。
  • 大江千里(2000年10月3日のみ):布施辰徳と香田晋にものまねをされたことがある。
  • 山田邦子(2000年10月3日のみ)
  • 石井和義(後の『紅白』にも出演)
  • 高嶋ちさ子(後の『紅白』にも出演)
  • 市田ひろみ(2000年10月3日のみ)
  • あのねのね:肥後克広と寺門ジモンにものまねをされたことがある。
    • 清水国明(1987年春〜1990年早冬)
    • 原田伸郎(1987年春から不定期)
  • 松本伊代(1992年春〜1994年早冬):原田ゆかり・しのざき美知・松下桂子・有田哲平(当時・海砂利水魚)・三井ゆりにものまねをされたことがある。
  • 井上順:鈴木末吉にものまねをされたことがある。
  • 平尾昌晃:モト冬樹にものまねをされたことがある。

2012年復活版(第2回)での審査員

☆ = 「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」でも審査員

代表的な出演者

★ = 2012年復活版にも出演 ☆ = 「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」にも出演している。

ものまね四天王
  • コロッケ(日本テレビのものまね番組へ移動)
  • ★☆栗田貫一
  • ★☆清水アキラ
  • ビジーフォー
ものまね女四天王
  • ★☆松本明子
  • ★☆松居直美:本番組ADの男性と結婚し男児をもうけるが、教育方針の対立により2003年に離婚。結婚後にスタジオで共演する場面があった。
  • ★☆森口博子
  • しのざき美知(初期)
  • 斉藤ルミ子(中期 - 末期)
  • 篠塚満由美(日本テレビのものまね番組へ移動)
ものまねお笑い四天王
  • ☆ダチョウ倶楽部
  • 笑福亭笑瓶
  • ピンクの電話
  • しのざき美知(女四天王より移動)
その他の常連出場者

ほか多数

2012年復活版

☆ = 「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」にも出演している。(2013年2月1日放送現在)

ものまねスター誕生!(発表!日本ものまね大賞)

テンプレート:基礎情報 テレビ番組 プロのものまねタレントが出演する『ものまね王座決定戦』と並行して、番組に応募した素人の出演者がものまねを披露する『発表!日本ものまね大賞』も年1回程度放送された。司会者や審査員、生バンドスタイルもそのままであったが、司会者は赤いブレザーを着用せず、その代わりに金と銀の背広を着用した。(初期と後年になると全員が赤いブレザーになった。)

チャンピオン(この時もくす玉と紙吹雪と風船と紙テープがあった)は、賞金20万円と海外旅行が贈られる。(稀に審査員特別賞がある年もあり、その場合は海外旅行が審査員特別賞に回され、チャンピオンは賞金のみとなる。)チャンピオンとは関係なくプロデューサー・出演者などの評価によってはプロの本選であるものまね王座決定戦に出場できる。栗田貫一、松村邦洋、中島マリ、布施辰徳、ジェニーいとう、ナオミ・グレース等がこの番組からデビューし、本選の常連となった。素人時代のコージー冨田はこの番組での優勝を機に本格的にプロ転向し、後に日本テレビ『ものまねバトル』でブレイク。若手時代の千秋(当時・藤本千秋)も出演したことがある(ネタは浅田美代子の「赤い風船」や山本リンダなど)。

出場者の中にはオンエアでカットされる人もおり、司会者もひくような出場者もいて、ものまねの発表中「弱ったな…」「バカヤロー」「金縛りになる○○(司会者)」とテロップを残していた。

また、1994年では明石家さんまが森高千里の「気分爽快」を数回行った。これはのちにレギュラー出演した藤川なお美が披露した後に行っており、その年の秋の「オールスター」では藤川と同じ回から出演している中島マリが披露する前に榊原がコメントをし、1995年の「ベスト101」では本番組・紅白以外の映像でベスト3に入った。

2013年8月27日には、『カスペ!』枠にて『ものまねスター誕生![10]として約15年ぶり[11]に復活した。この放送でのMVPは、賞金30万円と『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』の出演のチャンスが贈られる。

回数 放送日 放送時間(JST 放送タイトル MVP 視聴率
第1弾 2013年8月27日火曜日 19:00 - 20:54 ものまねスター誕生! 超ものまね大好きさん全国から大集合スペシャル 千葉彩 テンプレート:07.4%

名物素人として、以下が挙げられる。

  • カメちゃん(亀田さん)
眼鏡をかけた太った女性。誰がどう聴いても全く似てない桜田淳子の歌真似(「夏にご用心」)を披露した。歌う時には体を少し低くして、左右に横歩きをする。全然似ていないのに、本人は至って真面目に堂々と披露するので、爆笑の嵐が起こった。他にもアグネス・チャン(「ひなげしの花」)や日吉ミミ(「男と女のお話」)、天地真理(「恋する夏の日」)の歌真似も披露するのだが、司会の原田がその都度途中で「桜田淳子」と言って遮り、本人もそれに応えて繰り返し桜田の歌真似を披露、爆笑の連続だった。また、本人は誰かが止めなければずっと歌い続ける姿勢だったので、きりのいいところで止めるようにアドバイスされ、最後にもう1回披露した時はちょうど一小節歌い終わったところでポーズを決めながら止めてみせることができ、拍手喝采だった。
  • 土肥さん
海外のオペラ歌手のものまねを披露。司会者、審査員、観客のほぼ全てが、ものまねをされる歌手や曲名についての知識がないために一同呆然となった。しかし、淡谷のり子からは歌唱力を高く評価された。
本人は「人間ジュークボックス」と称していた。魚の名前などの一覧表を示し、審査員や司会者に、表に書かれた言葉を適当に選んで貰う。そして様々な歌の歌詞に、その言葉の駄洒落を当てはめて歌う。これを繰り返す。つまり駄洒落替え歌を歌うのである。特に司会のあのねのねは、毎回盛んに「クロッコダイルのおべんとばこに」のネタを振っていた。
歌声や振りは誰の物真似でもなく、ただ普通に歌う。純粋に駄洒落替え歌を披露するだけで、全然物真似ではない。ゆえにネタ自体は、物真似番組である本番組の趣旨に完全に反する。しかし、余りの面白さと圧倒的な馬鹿馬鹿しさで爆笑の嵐が毎回起き、高く評価されて数多くの回に出場した。2001年以降は、『ものまね紅白歌合戦』にも出場した。ここでは、様々な映画の題名を想い付くままに審査員に言ってもらい、即興で駄洒落替え歌を歌った。
打ち上げ花火や「ゴジラが世界にやってきた」を始めとする声帯模写の技術は一級品だったが、「大人のサザエさん」、「大人のドラえもん」、「ロボコップの小便」など、あまりにお下劣系ものまねを連発したため、その印象が強い人物。ターミネーターミッション・インポッシブルなどの映画ネタも持つ。

2013年の復活SP放送の際には再び本名を名乗り、トリで登場。タレントとしてではなく、あくまでも復活した素人として出演した。しかし規制があるのか、かつてのような下ネタを封印し、「ロボコップアイアンマンの違い」、「トランスフォーマー・オプティマスのまね」、「エヴァンゲリオンのまね」と、昭和・平成のロボットのものまねを真面目に披露した。他の出場者がふるわず、大きなクオリティの差があったことから、司会を務めたさまぁ~ず大竹一樹から、「今日、初の本格的な奴だよ!」と絶賛された。

ディズニーランドのものまねで話題に。 カリブの海賊の船頭さん、エレクトリカルパレードなど。ほかには、柴田理恵ピーターの顔まねを披露。
学生服学ラン)を着た現役男子高校生が当時人気の女性アイドルを披露した。男子で且つ声の変声期も過ぎた低い大人の声になったにもかかわらず、若い女性特有の甘くて黄色い声であり且つ女性アイドルの声は本人とそっくり似ており、司会者、他の出場者、観客も非常に驚いていた。特に菊池桃子のものまねについては非常に好評であり、総集編で何回も放送されていた。
  • 山野井隆(現:Ryu
久保田利伸の『LA-LA-LA LOVE SONG』を披露し審査員から高評価を得る。
森本レオ、野口五郎、スピッツなどを披露した。
  • 窪隆司
野生のインパラのまねや電化製品のぼやきなどを披露した。
  • 神山三岬

8歳ながら武田鉄矢ちびまる子ちゃん山瀬まみ土井たか子などを披露した。後に審査員としてものまね王座決定戦に参加している。

  • 国井藍里

3歳ながら村田英雄やVIPのCMのまね、間寛平などを披露した。パカボンのママやのび太のママのまねも披露している。ご本人の前で当時司会だった研ナオコのまねも披露した(鼻にテープを貼り、再現。)

あなたが選ぶ!ものまね王座決定戦ベスト101

あなたが選ぶ!ものまね王座決定戦ベスト101』とは『ものまね王座』の総集編・リクエスト特番で1990年度から1998年度まで『火曜ワイドスペシャル』や『強力!木スペ120分』にて放送された。本番組ではハガキでのリクエストやリクエストした視聴者への逆電が行われ、『ものまね王座』の他『ものまね紅白』や『ものまね珍坊』や『日本ものまね大賞』の各VTRが使用された。

放送日・放送時間

第1回
  • 1990年7月10日(火曜日)19:30 - 20:54(JST
第2回
  • 1992年2月25日(火曜日)19:30 - 20:54(JST)
第3回
  • 1993年3月2日(火曜日)19:30 - 20:54(JST)
第4回
  • 1994年3月1日(火曜日)19:00 - 20:54(JST)
    • フジテレビ開局35周年記念特別企画として放送。
第5回
  • 1995年3月7日(火曜日)19:30 - 20:54(JST)
第6回
  • 1996年2月20日(火曜日)19:00 - 20:54(JST)
第7回
  • 1997年3月4日(火曜日)19:00 - 20:54(JST)
第8回(最終回)
  • 1998年3月5日(木曜日)19:00 - 20:54(JST)

歴代司会者

スタッフ

歴代プロデューサー
  1. 井上信悟 … 1985年 - 1986年早冬
  2. 木村忠寛 … 1987年春 - 2000年春 鉄拳制裁を厭わない厳しい演出などが原因で出演者との対立を起こし、ものまね四天王ブームやその後のタレント流出を起こした。しかし、時代に合わせたかったらしく、1997年から司会者とものまね者がものまね前後のトーク時にはしゃべる際にテロップを入れるようにし、(『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』と同じ文字)出演者の名前スーパーもそれまでの文字だけから、文字後ろに派手な背景がある現代風へ変えた。セットも現在のお台場社屋へ移転した1997年春より、それまで登場待ち出演者がセット後ろの見えるところに座っていたものを楽屋で待ってもらうようにし、普通のセットに変えた。
  3. 水口昌彦 … 2000年秋 第1期の最終回では、赤いブレザーを廃止し、司会者・採点方法を一新、後に紅白へ変えた。
  4. 石川綾一 … 2012年 第2期初代プロデューサー
  5. 加茂裕治 … 2012年 第2期2代目チーフプロデューサー

関連番組

脚注

  1. 所はこの時期、自身が抱いていたフジテレビへの不信感を理由に、本番組のみならずフジテレビでのレギュラー・準レギュラー番組を全て降板している。その後、1998年10月より所は『奇跡体験!アンビリバボー』にレギュラー出演していたが、2012年9月を以って降板、以後再びフジテレビでのレギュラー・準レギュラー番組はなくなった。
  2. この時はチャンピオンを競う大会でなく、ものまね四天王(清水・ビジーフォー・栗田・コロッケ)によるものまねステージ特番であった。
  3. CLAP & WALK
  4. 東海テレビ関西テレビは19:57飛び乗り
  5. 極上のものまねが勢ぞろい!『12年ぶり復活!ものまね王座決定戦!芸能界日本一は誰だ?大激突トーナメントスペシャル』
  6. 全テレビ局およびフジテレビのものまね番組の放送時間最長は2011年12月31日に放送された『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』の5時間45分
  7. 月刊TVガイド 2013.1月号
  8. 山崎は以前、日本テレビ系列『ものまねバトル』→『ものまねグランプリ』に出演していた。
  9. 2008年12月30日までは、『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』にも出演していた。
  10. カスペ!ものまねスター誕生!超ものまね大好きさん全国から大集合スペシャル!
  11. 『発表!日本ものまね大賞』は2000年まで放送されているため厳密には13年ぶりである。

外部リンク

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