ボビー・オロゴン

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テンプレート:Infobox お笑い芸人 ボビー・オロゴン(Bobby Ologun、1966年4月8日 - )は、ナイジェリア連邦共和国イバダン出身、埼玉県さいたま市在住[1]タレント格闘家。アレムコプロダクション所属。血液型O型。本名は近田 ボビー(こんだ ボビー)。ナイジェリア国籍時代の旧名はカリム・アルハジ・オロゴン。2007年に日本国籍を取得[2]。実弟はキックボクサーのアンディ・オロゴン

来歴

貿易会社を経営する父親のもと、34人きょうだいの3番目として生まれる。ナイジェリアでは一夫多妻制が認められているため、父には6人の妻がいた[2]。父親は厳格だったが、教育のために幼少から仕事の現場を見せてくれたり、仕事で日本を行き来していた関係から、日本の良さや日本人の優しさなどを教わる[3][2][4]

ナイジェリアの国立大学経済学部を卒業後、父の仕事の手伝いでドイツイギリスなど世界各国を回り、1995年に糸の買い付けを目的に初来日。買い付け資金500万円とパスポートリムジンバスの中に置き忘れてしまうが、幸運にも戻ってくる。この出来事について、「お金が戻ってくる国なんて世界中でも日本だけ。素晴らしい国だと思ったよ」と回想しており、「父の言葉は本当だった」と思ったという。1998年タイヤチューブの買い付けのため再来日するも、日本で知り合った人に「パチンコをやればお金はすぐに2倍になる」と唆され、3か月で全ての資金を使い果たしてしまい、そのまま日本にとどまる[5]。 後に妻となる日本人女性とは東京のバーで知り合い、交際を始める。ボビーがナイジェリアに帰国する際に彼女も付いて来てくれ、向こうで1年ほど生活したのち、結婚[2]

2001年TBSバラエティ番組さんまのSUPERからくりTV』で街頭インタビューを受けた際のデタラメな日本語がプロデューサーの目に留まり[2]、その後始まったコーナー「セインのファニエスト外語学院」に学院生としてレギュラー出演するようになる。すると、「ボビーだと思います」「もす(押忍)!」などの微妙に間違っている日本語と天然ボケが評判となり、人気者となる。

2004年1月、ファニエスト外語学院の先生セイン・カミュ、生徒のアドゴニー、アミールらとともに、ユニット「The Students」の一員として初CDシングル『ハトマメ 〜Say Hello To The World.〜』をリリース。作詞・作曲・プロデュースは槇原敬之、振り付けはKABA.ちゃんという豪華な顔ぶれとなった。また、この番組からは2004年末の『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!』への出場を目指す企画もスタート。ついには本当に格闘家デビューを果たす(後述)。

2006年1月、当時の所属事務所・アールアンドエープロモーションと出演料などをめぐり対立。事務所内で暴れ、その場に居合わせた鈴木宗男衆議院議員(当時)の元私設秘書ジョン・ムウェテ・ムルアカに軽い怪我を負わせる事件を起こし[6]、芸能活動の休止を余儀なくされる。同年5月、ボビーは同事務所からの独立を一方的に宣言するも、同社は「契約が2007年末まで残っており、それまでタレント活動はできない」と主張し対立が深まったが[7]、同年7月、両者と利害関係のないフェイスネットワークへ移籍することで決着した。

2007年日本国籍を取得[2]。妻の姓「近田(こんだ)」と、ニックネームであった「ボビー」を個人名とし、日本名を「近田ボビー」とした。

2013年6月、自身が監督・制作・企画・脚本・主演を務めた自伝的映画『MOON★DREAM』が公開される[8]

人物

日本人の妻との間に一男三女をもうけている。最近では子どもたちと一緒に番組出演している。

ナイジェリアの公用語である英語ヨルバ語、そして日本語が話せる。前述したように、「ボビーだと思います」「ナイジェリアはイッポンヤサイ(一夫多妻)」「揚げ物(曙)さん」などといった微妙に間違っている日本語の言い回しを多用したり、言葉使いがやや悪く無軌道な振る舞いを見せるタレントとして認知されているが[3]、実際は流暢に日本語を話せるため、テレビ番組で共演した長男から「どうしてテレビではバカのふりをするの?」と指摘され、慌てた様子も見せた。ただし最近は番組やインタビューなどにおいて正しい日本語を話す機会も多くなってきた。

公式プロフィールでは1973年生まれとなっているが、2006年1月に起こした暴行事件の際に提出されたパスポートの記載内容から、「実際は1966年生まれ」などとスポーツ紙に報道された。ただし本人は「ナイジェリアでパスポートを取得した時に間違えられた。アフリカではよくあること」と否定している[9]

前職の経験を生かし、為替の取引、FXなどを趣味としている。2013年には別荘を購入している[3][10][4]

格闘家としての活動

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2004年1月、前年の大晦日に見たというボブ・サップ vs 戦に触発されたボビーが、『さんまのSUPERからくりTV』のコーナー「セインのファニエスト外語学院」で柔道を体験する企画に挑戦。柔道未経験にもかかわらず有段者を裏投で豪快に投げ飛ばすなどし、立ち会ったバルセロナオリンピック柔道金メダリストの古賀稔彦を驚愕させる。このVTRを見た番組司会者の明石家さんまが、「年末の格闘技イベント(K-1 Dynamite!!)出場も夢ではない」と冗談半分で言ったことから、2004年末の『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!』の出場を目指す企画がスタート。番組内ではさまざまな格闘技の指導を受け、同年2月には格闘チーム「GRABAKA」に入門。菊田早苗の下で本格的に格闘技を学ぶ。3月にはディファ有明ホイス・グレイシーとのスパーリングマッチ(3分3R)で対戦し、2Rに腕ひしぎ十字固めで一本負けしたものの、ホイスを出血させるなど健闘を見せた(同年4月4日放送)。その後も修行を続け、柔道では黒帯を取得。K-1から正式にオファーを受け、同年12月31日の『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!』第0試合でキックボクサーマイク・ベルナルドとの対戦が決定する。その後ベルナルドの負傷欠場によりシリル・アビディとの対戦に変更された[11]。試合では、菊田とタレントの関根勤(番組レギュラー)をセコンドに迎え入場。3R判定勝ち。

翌2005年の『K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!』にも出場。元横綱・曙との対戦が決定する[12]。試合は、2Rにスタミナの切れた曙をボビーが攻め立て、3R判定勝ち。

2006年7月には藤本祐介と初のK-1ルールで対戦。跳び膝蹴りをヒットさせるなどの身体能力を見せたが、K-1ルールでは禁止されている投げ技を仕掛けるなどの反則もあり判定負け。

同年12月の『K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!』ではチェ・ホンマンと対戦し[13]、1R16秒パウンドでTKO負け。

2007年の『K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!』に4年連続参戦。ボブ・サップと対戦し[14]、1R4分10秒パウンドでKO負け。

その後格闘技の試合は行わず、プロボクシングに転向した実弟・アンディ・オロゴンをサポートすべく、平仲ジム所属でセコンドライセンスを取得したが、2011年8月には女子シュートボクシングの大会をプロデュースしたり[15]、10月にも自身の練習するGRABAKAの初の自主興行において、ミノワマングラップリングルールで対戦するなど[16]日本ボクシングコミッション(JBC)の定める「ボクシングのセコンドライセンスを保持しながら、他の格闘技興行に関わることを禁止する」という規定に反する行為を繰り返した。この試合後、JBCによりセコンドライセンス取り消される処分が下された[17][18]

総合格闘技

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キックボクシング

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グラップリング

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出演

テレビ

現在出演中
過去の出演
ドラマ

ラジオ

映画

CM

PV

ゲーム

作品

CD

著書

  • ボビーだと思います。(ワニブックス、2005年6月8日)
  • もしも8歳のこどもが大統領に選ばれたら(ポプラ社、2010年7月7日) - 挿画担当

DVD

  • ボビー・オロゴンの日本文化講座 美しい国,ニッポン。(ビデオメーカー、2007年12月22日発売)

脚注

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関連項目

外部リンク

  • テンプレート:Cite web
  • 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「libra」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  • 3.0 3.1 3.2 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「spa」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  • 4.0 4.1 テンプレート:Cite web
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  • テンプレート:Cite news
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  • テンプレート:Cite web
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  • 本名の「近田ボビー」名義による監督作品で、監督・制作・企画・脚本・主演の5役を務めた。