恩賜上野動物園
テンプレート:動物園 東京都恩賜上野動物園(とうきょうとおんしうえのどうぶつえん)は、東京都台東区上野公園の上野恩賜公園内にある東京都立の動物園である。通称上野動物園。指定管理者制度により公益財団法人東京動物園協会に管理委託している。
概要
開園は、1882年3月20日で、日本で最も古い。開園時には農商務省が所管、その後宮内省、東京市[1]、東京都建設局が管理していたが、2006年4月1日より指定管理者制度の導入に伴って、多摩動物公園・葛西臨海水族園・井の頭自然文化園とともに「公益財団法人東京動物園協会」が管理する。
上野恩賜公園内にあり、上野駅(公園口)から徒歩5分の場所にゲートがある。敷地は西園と東園に分かれており、両園を結ぶ都営モノレール(上野懸垂線)は日本初のモノレールである。
スマトラトラ、ニシローランドゴリラ等の希少動物をはじめ、500種あまりの動物を飼育している。この飼育動物の種類は、日本で東山動植物園(550種)に次いで多い。
日本一の入園者数を記録する動物園である。旭川市旭山動物園が月間入園者数で上回る月もあるものの、年間入園者でみると当園が日本1位である。ただし、2006年度では上野動物園が350万人であったのに対し、旭山動物園は304万人(前年比98万人増)、また、2008年度は後述のパンダの死亡の影響等もあり、約290万人にまで急減。旭山動物園が約277万人となり、差が急激に縮まっている[2]。
1990年代以降は、多摩動物公園で行われたような、飼育環境をできるだけ自然な状態に近づける取り組みが行われている。スマトラトラのコーナーでは密林の雰囲気が演出されている。また、同コーナーにはトラが泳げる水槽がある。
多摩動物公園、井の頭自然文化園等の都立動物園とともに「ズーストック計画」(動物保管計画)を実施。この計画により、恩賜上野動物園で飼育していたライオンは1991年に多摩動物公園に移され、ライオンがしばらく不在となった。しかし来場者の要望に応え、2002年3月27日からは横浜市のよこはま動物園ズーラシアから貸与を受けて、インドライオン(メス)を公開している。
1950年代に、コウテイペンギンなどの飼育が行われた。以来1970年代頃まで、南極産ペンギンを飼育する数少ない動物園の1つであった。
1936年、園内からクロヒョウが逃げ出し、警視庁の特別警備隊が出動する騒ぎとなった(上野動物園黒ヒョウ脱走事件)。この事件は阿部定事件、二・二六事件とあわせて「昭和11年の三大事件」[3]と呼ばれている。このヒョウは排水溝に隠れていたところを捕獲されたが、後の戦時中における園飼育動物の殺害決定にはこの事件が影響したといわれている[4]。
ジャイアントパンダ、オカピ、コビトカバと世界三大珍獣が飼育されている。
施設・動物一覧
- 東園
- キジ舎
- パンダ舎(2011年4月1日再オープン)
- ハクビシン・アナグマ舎
- 猛禽舎
- ゴリラ・トラのすむ森(1996年春オープン)
- 主な動物 - ニシローランドゴリラ、スマトラトラ、インドライオン、シロテテナガザル等
- ドール放飼場
- 夜の森
- 主な動物 - デマレルーセットオオコウモリ、ベンガルヤマネコ、ヨタカ、スローロリス等
- クマたちの丘(2006年4月28日オープン)
- バードハウス(1984年完成)
- バードケージ
- アフリカクロトキ舎
- ツル舎
- 主な動物 - ホオカザリヅル、オグロヅル、シュモクドリ、ヘビクイワシ、クロエリセイタカシギ等
- サル山(1931年10月15日完成)
- サル舎
- ホッキョクグマとアザラシの海(2011年10月28日オープン)[1]
- 主な動物 - ホッキョクグマ、カリフォルニアアシカ、ゼニガタアザラシ、スバールバルライチョウ、シロフクロウ
- 前身のホッキョクグマ舎は1927年に完成した日本初の無柵放養式飼育場。
- ゾウのすむ森(2004年オープン)
- 日本の動物(1995年完成)
- 旧寛永寺五重塔(重要文化財、周囲の掘割にガン類を飼育)
- 日本の鳥I
- 日本の鳥II
- バイソン舎
- 主な動物 - アメリカバイソン、クビワペッカリー、オグロプレーリードッグ
- ラマ舎
- エミュー放飼場
- いそっぷ橋下放飼場
- 西園
- こども動物園
- カナダヤマアラシ舎
- レッサーパンダ舎(2011年6月13日オープン)
- 小獣館
歴史
- 1882年3月20日 - 農商務省博物局付属の動物園として開園。当初は1ヘクタールの広さであった[1]。
- 1883-1901年 - アジアゾウ、トラ、ヒョウ、シフゾウ、ハリモグラ、ニホンオオカミ、アホウドリ、ウシウマ、トキ、シマフクロウなどが来園。
- 1895年 - 日清戦争で旅順を陥落させた山地元治第1師団長からフタコブラクダ2頭が皇太子に献上され飼育された[1]。
- 1902年 - ドイツ帝国ハンブルクのハーゲンベック動物園からライオン(バーバリーライオン)[1]、ダチョウ、ホッキョクグマなどが来園。
- 1903-1935年 - キリン、カバ[6]、チンパンジー、ゴールデンライオンタマリン、テングザル、メガネザル、レッサーパンダ、ナマケモノ、センザンコウ、タイマイ、クロツラヘラサギ、モリバトなどが来園。
- 1907年 - キリンが2頭来園。当初ラクダ小舎の天井を除き、柱を継ぎ足した仮設キリン舎で飼育された。この年入場者数が初めて100万人を超えた[1]。
- 1924年2月1日 - 管理者が東京市となる(皇太子御成婚記念による特旨)。
- 1935年 - タイの少年団から親善のためゾウ(ワンリー)が寄贈され来園。
- 1936年7月25日 - クロヒョウ脱走、14時間後に無事捕獲。
- 1937年 - 日本で初めてキリンが繁殖する(ただし、この時点で繁殖賞は存在しない)。爬虫類室が完成[1]。
- 1938年 - 日本で初めてカバが繁殖する。
- 1943年8-9月 - 東京都長官・大達茂雄の命により、ゾウ(ワンリーとトンキー)、ヒグマ、ツキノワグマ、ライオン、ヒョウ、クロクマ、トラ、チーター、ホッキョクグマ、ガラガラヘビ、ニシキヘビ、マレーグマ、アメリカバイソンなど14種27頭が戦時猛獣処分される。1944-1945年には餌不足により一部動物が処分される[7]。
- 1949年 - ゾウ「インディラ」と「はな子」来園。
- 1950年 - 国内で初めてノドジロオマキザルの繁殖に成功する(これ以降、繁殖賞を受賞)。
- 1951年 - 捕鯨団が持ち帰ったヒゲペンギンが来園[1]。
- 1952年 - 開園70周年を記念して、ディック・クレメンスによるライオンショーが行われた[1]。3月20日、海水水族館完成。
- 1959年 - アフリカ生態園完成(1979年まで)。
- 1960年 - 2年前に来園したトラのワンとシュフが繁殖に成功、11年間で12回43頭を出産した[1]。
- 1961年 - 国内で初めてオランウータン、カリフォルニアアシカの繁殖に成功する。
- 1962年 - 国内で初めてジャガー、コビトカバの繁殖に成功する。
- 1972年
- ジャイアントパンダ「カンカン」と「ランラン」来園。パンダブームが起こる(以下、特筆の無い“パンダ”はジャイアントパンダを指す)。
- 世界で初めてニシアフリカコビトワニの繁殖に成功する。
- 1977年 - 国内で初めてマナヅルの人工授精に成功する。
- 1985年
- 国内で初めてチンパンジーの人工授精に成功する。
- 国内で初めてジャイアントパンダの人工授精に成功するが出産2日後に母親の下敷きになり死亡。
- 1986年 - パンダ「トントン」が誕生。
- 1989年 - ズーストック計画実施。
- 1990年 - 国内で初めてアムールヤマネコ、ベルツノガエルの繁殖に成功する。
- 1996年春 - ゴリラ・トラのすむ森完成。
- 1997年 - 世界最高齢のゴリラの雄「ブルブル」(推定44歳)が死亡。
- 1999年7月20日 - 両生爬虫類館完成。
- 2001年 - アイアイ、オカピ来園。
- 2002年 - 国内で初めてアカガシラカラスバト、ハダカデバネズミなどの繁殖に成功する。
- 2003年 - 国内で初めてアイアイ、タテガミオオカミの繁殖に成功する。
- 2004年 - ゾウのすむ森完成。国内で初めてオグロヅルの繁殖に成功する。
- 2006年4月28日 - クマたちの丘完成。
- 2008年4月30日 - パンダ「リンリン」慢性心不全により死亡(22歳)、最大5頭飼育されていたパンダがいなくなる。
- 2009年5月23日 - アイアイのすむ森オープン。
- 2010年 - 東京都が、上野動物園で2011年にもパンダを復活させると公表。
- 2011年
- 2月21日 - 中国からの借り受けにより、パンダの雄「比力(ビーリー)、5才5か月」と雌「仙女(シィエンニュ)、5才7か月」が来日。来日にあたっては、中国当局に対するレンタル料および研究資金として、諸外国の同種施設と比べて約10倍の金銭の投資(日本8千万円、アメリカ4千万円、イギリス9百万円、東南アジア諸国5百万円ほど)をしたことが奏功し、およそ3年振りにパンダが復活することになった。
- 3月9日 - 東京都が、パンダの日本名と一般公開日を発表。雄は「リーリー(力力)」、雌は「シンシン(真真)」に、公開日は3月22日の13時。
- 3月11日 - 東日本大震災発生。目立った被害は無し[8]。
- 3月17日 - 東日本大震災の影響で「節電への協力や余震が続く中で来園者の安全確保が困難」である事を理由に、この日より当分の間休園。これにより、22日のパンダ一般公開も無期限延期となった。
- 4月1日 - 動物園が再開(節電のため開園時間は当分の間通常より1時間半短縮)。延期していたパンダ2匹の一般公開開始。
- 4月16日 - 東日本大震災が遠因の怪我や内臓機能障害により、カバの「サツキ」が死亡[9]。
- 2012年
関連人物
- 石川千代松 - 魚類学者。動物園が東京帝室博物館の付属施設だった頃、海外から動物を輸入する際に力量を発揮。「恩賜上野動物公園」初代監督[12]。
- 黒川義太郎 「恩賜上野動物公園」2代監督(-1937年)[12]。
- 歴代園長
- 古賀忠道(初代、1937年-1962年)
- 林寿郎(2代、1962年-1966年3月)
- 今泉英一(3代、1966年4月1日-1969年12月10日)
- 浅野三義(4代、1969年12月11日-1972年11月30日)
- 石内展行(5代、1972年12月1日-1978年5月31日)
- 浅倉繁春(6代、1978年6月1日-1987年5月31日)
- 中川志郎(7代、1987年6月1日-1990年7月31日)
- 田代和治(8代、1990年8月1日-1992年6月30日)
- 増井光子(9代、1992年7月1日-1995年5月31日)
- 齋藤勝(10代、1995年6月1日-1998年)
- 安部義孝(11代、1998年-2000年)
- 菅谷博(12代、2000年-2004年)
- 小宮輝之(13代、2004年-2011年7月31日)
- 土居利光(14代、2011年8月1日-)
- 西山登志雄 - 東武動物公園初代園長・名誉園長。上野動物園ではカバの担当飼育員だったため、後に「カバ園長」として有名になる[13]。
- 宇田川竜男 - 麻布大学名誉教授。東京獣医畜産大学を卒業後勤務する。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 1.9 週刊ポスト2012年5月25日号 21-25頁
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ <文化環境研究所 News> 第41号(2011年9月17日時点のアーカイブ)
- ↑ 上野動物園(1982年)、本編。
- ↑ 繁殖のためシンガポール動物園に貸し出し中
- ↑ 日本初「河馬初めて来る」明治44年5月18日東京日日新聞『日本全国諸会社役員録. 第回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ Starving the elephants; Asia-Pacific Journal, 38-3-09, 2009
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ ジャイアントパンダの赤ちゃん誕生! - UENO-PANDA.JP
- ↑ シンシンの子が死亡しました - UENO-PANDA.JP
- ↑ 12.0 12.1 川口幸男, 2010.鯉淵研報(26): 44-48
- ↑ テンプレート:Cite web
参考文献
関連項目
- かわいそうなぞう
- 象のいない動物園
- トンキー物語
- おサル電車 - かつて上野公園にあった、猿が運転する電車に乗車するアトラクション。
- 博物館動物園駅 - 過去に存在した京成本線の駅。本園の最寄り駅だった。
- 藤堂高虎 - 園内に墓所が残されている(関係者のみ立ち入り可能)。なお、墓所を管理する寒松院は公園隣接地に移転。
外部リンク
- 東京ズーネット(公益財団法人東京動物園協会が運営する都立動物園の情報サイト)
- UENO-PANDA.JP(公益財団法人東京動物園協会が運営する上野動物園のジャイアントパンダ情報提供サイト)