ライチョウ

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テンプレート:生物分類表 ライチョウ雷鳥、学名:Lagopus muta)は、キジ目ライチョウ科ライチョウ属のの一種である。日本の固有種である亜種ニホンライチョウ(Lagopus muta japonica )は、国指定の特別天然記念物であり、長野県岐阜県富山県の県鳥である[1]

季節が変わってもすみかを移動せず丸一年を同じ地域で過ごす留鳥であり、気温が激しく低下する冬場においても、それ以外の季節と同様、高山で暮らす。

英語圏では、冬に白い羽となるライチョウ属の種をPtarmigan、羽の色を変化させない種はGrouse と呼び区別される[2]

分布

ライチョウ科の鳥は世界に6 属17種が生息し(但し分類には諸説ある)、ライチョウの仲間では最も寒冷な気候に適応した種である。ユーラシア大陸北アメリカ北極海沿岸、ヨーロッパアジアの一部の高山帯に広く分布する[3][4]ピレネー山脈アルプス山脈日本には隔離分布している[5]。Johsgardによる1983年の報告で、フィンランドで約8,000羽、イギリスで2,000-20,000羽が生息していると推定されている[6]

ライチョウ属

テンプレート:Sister テンプレート:Sister ライチョウ亜科には717があり[7][8]、ライチョウ属には以下の3種がある。

Lagopus lagopus カラフトライチョウ
北極圏のツンドラ地帯などに分布する。生息地にはヤナギやカンバなどの潅木がある。アラスカ、カナダ、アメリカ北部、スカンジナビア半島シベリアカムチャッカ半島などの15の亜種に分類される[9]
Lagopus leucurus オジロライチョウ
アメリカ大陸西北部に分布し、以下の5亜種に分類される[10][11]。繁殖地は森林限界より上部の標高約3,500 mの高地で、一夫一妻であり、メスだけで雛を育てる[11]シノニムLagopus leucura
L. l. altipetens テンプレート:AU, 1901 - ロッキー山脈中南部に分布
L. l. leucurus (テンプレート:AU, 1831) - ユーコン半島、カナダのロッキー山脈、海岸山地に分布
L. l. peninsularis テンプレート:AU, 1902 - アラスカからケナイ半島に分布
L. l. rainierensis テンプレート:AU, 1920 - レーニア山周辺に分布
L. l. saxatilis テンプレート:AU, 1939 - 海岸山地南部とバンクーバー島に分布
Lagopus muta ライチョウ
北極を中心とした周極地方の以下の亜種に分類されていて[12][13][14][15]、スカンジナビア半島からコラ半島までのヨーロッパ大陸とスコットランドに分布する秋に翼が秋に灰色になるグループと、これ以外のグループ(北シベリア、アラスカ、北部ユーコン地域アリューシャン列島に分布する)に分類される[5]。日本の固有種の亜種ニホンライチョウ(Lagopus muta japonica)は、後者である。シノニムがLagopus mutus
L. m. muta (Montin, 1781) - スカンジナビア半島北部とロシア北西部のコラ半島に分布する。
L. m. millaisi テンプレート:AU, 1923 - スコットランドに分布する。
L. m. helvetica (テンプレート:AU, 1829) - アルプス山脈に分布する。
L. m. pyrenaica Hartert, 1921 - ピレネー山脈に分布する。
L. m. pleskei テンプレート:AU, 1926 - シベリア北部に分布する。
L. m. nadezdae Serebrovski, 1926 - シベリア南部とモンゴル国北部に分布する。
L. m. gerasimovi テンプレート:AU, 2005 - ロシアのカラキン島(Karaginsky Island)に分布する。
L. m. ridgwayi テンプレート:AU, 1884 - ロシアのコマンドルスキー諸島に分布する。
L. m. kurilensis テンプレート:AU, 1924 - 千島列島に分布する。
L. m. japonica H. L. Clark, 1907 - ニホンライチョウ。日本の本州のみに隔離分布、シノニムがLagopus mutus japonicus[12][16]
L. m. evermanni テンプレート:AU, 1896 - アラスカニア諸島アッツ島に分布する。
L. m. townsendi Elliot, 1896 - アラスカのラット諸島キスカ島に分布する。
L. m. gabrielsoni テンプレート:AU, 1944 - アラスカのラット諸島のアムチトカ島とリトルシットキン島(Little Sitkin Island)に分布する。
L. m. sanfordi テンプレート:AU, 1912 - アリューシャン列島のアトカ島に分布する。
L. m. chamberlaini Clark, テンプレート:AU, 1907 - アラスカのアンドリアノフ諸島アダック島に分布する。
L. m. atkhensis テンプレート:AU, 1882 -アンドリアノフ諸島のアトカ島に分布する。
L. m. yunaskensis テンプレート:AU & テンプレート:AU, 1951 - アリューシャン列島のユナスカ島(Yunaska Island)に分布する。
L. m. nelsoni テンプレート:AU, 1884 - アリューシャン列島のユニマック島(Unimak Island)とウナラスカ島(Unalaska Island)に分布する。
L. m. dixoni テンプレート:AU, 1909 - アラスカ南東部のグレイシャー湾島に分布する。
L. m. rupestris (テンプレート:AU, テンプレート:AU, 1789) - 北アメリカ北部とグリーンランドに分布する。
L. m. welchi テンプレート:AU, 1885 - カナダニューファンドランド島に分布する。
L. m. saturata テンプレート:AU, 1950 - グリーンランド北西部に分布する。
L. m. capta テンプレート:AU, テンプレート:AU, 1934 - グリーンランド北東部に分布する。
L. m. hyperborea テンプレート:AU, 1845 - スバールバルライチョウ。ノルウェースバールバル諸島とロシアのフランツ・ヨーゼフ諸島の最北に分布する最大亜種[17][18]
L. m. islandorum (テンプレート:AU, 1822) - アイスランドに分布する。

亜種ニホンライチョウ

日本には亜種ニホンライチョウが本州中部地方の高山帯(頸城山塊飛騨山脈御嶽山赤石山脈)のみに生息する。日本の生息地が、ライチョウの南限である。日本国内の、現在の分布北限は新潟県頸城山塊の火打山焼山、分布南限は赤石山脈(南アルプス)のイザルガ岳である[19]。なお、北海道には別属(Bonasa 属)のエゾライチョウTetrastes bonasia)が生息する。北海道にLagopus属 が生息しない理由は分かっていない。

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テンプレート:Habitat

日本の過去の生息地

江戸時代以前の文献では蓼科山八ヶ岳白山[16]にライチョウが生息していたと記録されているが、現在は生息していない[19]。また、岩手県と(1969年)、群馬県尾瀬で過去に観察報告があるが、詳細は不明である[20]岐阜石川県境に位置する白山は大正初期を最後に確認が途絶え、絶滅したとされた。しかし70年後の2009年6月2日に石川県白山自然保護センターが雌1羽を確認し[21]、3年間生存が確認されている[22]。このライチョウは石川県立大学によるDNAの解析などで飛騨山脈方面から飛来したものと推定されている[23]中央アルプス1960年代まで生息が確認されていたが、駒ヶ岳ロープウェイの開通後数年で絶滅したとみられている(因果関係は不明)[24][19]

本来ライチョウの繁殖活動が確認されていない八ヶ岳東天狗岳飯縄山戸隠連峰高妻山で、1960年代以降数回にわたり登山者により写真撮影されたり、糞が確認されたことがある。これは、本来の生息地である高山帯の生息環境が悪化した事によって、新しい生息場所を求めて飛来した個体と考えられる[25]

1980年代に行われた縄張りの垂直分布調査から、「年平均気温が3℃上昇した場合、日本のライチョウは絶滅する可能性が高い」ことが指摘されている。

日本に生息する種の起源

ライチョウが日本にやってきたのはおよそ2万年前の氷河期で、カラフト、カムチャッカを経由し本州中央部の高山帯に定住したが、氷河期が終わり温暖になったことで大半のライチョウは寒い北へ戻ったがごく一部が日本の高山に残った[12]。現在は北極周辺が主な生息地域である。日本のライチョウは一番南の端ということになる。ミトコンドリアDNAの解析結果では、北アルプスに2系統、南アルプスに2系統の種が生息している[26]。また、年平均気温は現在より2-4℃高かった 6000年前から9000年前のヒプシサーマル期の前半に著しく個体数を減少させた事が遺伝的多様性に欠けた個体群を形成させた[27]。南部の生息地ほど遺伝的多様性に欠けている。同属の Lagopus属の分布で物理的な距離が最も近いのはカラフトであり、日本に生息する種は物理的にも隔絶されている。

日本の生息数

2005年の調査によれば新潟県頸城山塊の火打山と新潟焼山に約25羽、北アルプス朝日岳から穂高岳にかけて約2000羽、乗鞍岳に約100羽、御嶽山に約100羽、南アルプス甲斐駒ヶ岳から光岳にかけて約700羽生息しているとみられる。日本国内では合わせて約3000羽程度が生息していると推測されている[1][19]2007年には南アルプス北岳で絶滅したとの報告があったが2008年には生息が再確認されている。

天敵の猛禽類や動物に捕食される以外に、山小屋などから排出されるゴミに混じる病原体やヒトが持ち込むサルモネラ菌ニワトリなどの感染症であるニューカッスル病、ロイコチトゾーン感染により国内のライチョウが減少することが懸念されている。また、登山者の増加に伴い登山道周辺のハイマツ帯が踏み荒らされ劣勢となり次第に減少しており、それに伴いライチョウの生息数も減少している。卵及び幼鳥やメスはオコジョテンキツネなどの天敵に捕食されやすいと考えられ、オスの比率が高い地域は絶滅の前兆とされている[25]

温暖化に伴い、ニホンジカキツネニホンザルの生息域が高山帯に拡大することでシカ、ニホンサルとの餌の競合や、キツネに捕食されることにより生息数は減少している[28]

生態・形態

は褐色・は純白と季節によって羽毛の色が変化するのが特徴である。夏期は標高2,000-3,000 mのハイマツ帯に分布し、繁殖期にはつがい毎に直径300-400 m程度の縄張りを形成する。日本ではライチョウの分布とハイマツの分布には正の相関関係があるが、世界の別な地域に生息するライチョウ科にはこのような特徴はみられない。厳冬期は餌を確保するために森林限界付近まで降下し、ダケカンバの冬芽やオオシラビソの葉を餌としている姿が観察されている。

冬は羽毛の中に空気をたっぷり蓄えて体温を逃さないようにしている。羽毛は軸が2つに分かれその軸に突いた細かい羽毛の密度が高いため、空気をたくさん含むことができる。冬のライチョウはめったに飛ばない。ゆっくり歩いて雪の中で体力を温存する。夜、休む時には雪を掘り首だけ出して休む。また、脚に羽毛を持つのは他のキジ類にない特徴である。

一般的に登山者の間では「ガスの出ているような天候の時に見ることが多い」と言われている。 もともと寒冷な地域を生活圏とする鳥であるため夏場の快晴時には暑さのためにハイマツ群落内、岩の隙間、雪洞の中などに退避しているという可能性、天敵から身を隠しているという2つの可能性からこのようなことが言われていると考えられる。寒さが得意なライチョウは逆に夏の暑さが苦手で気温が26以上になると呼吸が激しくなり、体調を崩したという報告もある。

生態

体重は400-600 g程度(ヨーロッパのものがオス375-610 g、メス347-475 g[5])。全長は約37 cm翼開長は約59 cm[1]。成鳥の採食物は植物食で主に木本の高山植物の冬芽、葉、果実、草本の高山植物の葉、花、種子、蘚苔類、昆虫など多種多様な採食物が報告されている。幼鳥は動物質の餌も多く採食していると考えられる。

ヨーロッパと日本の亜種は定住性であるが、北方の亜種は広範囲の移動を行う[5]。飛ぶことはあまり得意ではないといわれており、基本的には地上を徘徊する。飛翔能力については、十分に解明されていないが、前述のように本来の生息域外の山塊で発見されていることから、低山帯を中継しながら15-30 km程度の距離を飛ぶ能力は有していると考えられる。

産卵用の巣は30 cm程度の比較的背の低いハイマツやシャクナゲ類の陰に作られることが多く、産卵は5月下旬-7月上旬、淡黄灰色の暗褐色の大小の斑点がある25 g程度の卵を5個から10個程度産み、メスのみが抱卵を行う。抱卵の時期にはメスは通常より10倍ほど大きな糞をする[29]。孵化日数は3週間程度で孵化後は巣には戻らない。孵化から1か月で100 gを越える大きさに成長し、幼鳥は4か月程度メスに保護され、10月には親鳥と同じ程度まで成長し親離れすると共に白色の冬羽へと変化を始める。

孵化直後のヒナは背丈およそ6 cmほどで、足は体と比較して大きい。他のキジ類の鳥類と同じように生まれて半日も経たないうちに巣を離れ自分の足で歩き出し産卵用の巣は放棄される。また、親鳥からの給餌は行われず、自力で採餌も始める。柔らかい新芽が好物である。

春は黒い羽毛が混じりはじめる。目の上には赤色の肉冠がある。これはオスの特徴で興奮しているサインである。ハイマツやお花畑の周辺に集まり採食する。鳴き声はカエルに似ている。ハイマツ周辺ではオス同士の縄張り争いが行われ、5-6月のハイマツの縄張り形成期に縄張りに侵入してくるオスと激しい空中戦を行うことがある。メスは背中が茶色になる。オスは黒い尾羽を広げるときは求愛のポーズである。孵化後はオスの縄張り活動はなくなり、単独またはオスだけの群れを形成する。

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ライチョウの親子と
高山植物荒川岳にて
砂浴びするライチョウの
幼鳥、間ノ岳南稜コルにて
ライチョウ
冬毛に変わる途中
ライチョウ(雄・晩秋)
上河内岳にて

日本人とライチョウ

イヌワシなど猛禽類天敵を避けるため朝夕のほかにの鳴るような空模様で活発に活動することが名前の由来と言われているが[30]、実際のところははっきりしていない。古くは「らいの鳥」と呼ばれており江戸時代より難、雷難よけの信仰があったが[31]、「らい」がはじめから「雷」を指していたかは不明である[2][32]。ヨーロッパや北アメリカでライチョウ類は重要な狩猟対象の鳥として古くから利用されていて、信仰の対象として崇められていた日本とは対照的である[32]。狩猟文化があるイギリス人のウォルター・ウェストンが日本に長期滞在した際の1894年(明治27年)8月8日に常念岳周辺でライチョウの狩猟を行っていた[6]

名前の変遷

文献上での最初の登場は1200年正治2年)にまとめられた歌集「夫木和歌抄」での、後白河法皇が詠んだ「しら山の松の木陰にかくろひてやすらにすめるらいの鳥かな」と従二位藤原家隆が詠んだ「あわれなり越の白根にすむ鳥も松をたのみて夜をあかすらむ」で、当時の白山登山者から伝わった話が京の、後白河法皇に伝わり、「らいの鳥」の名で詠んだとされている[33]。江戸時代初期に中国のから渡来した高泉性敦が『鶆(らい)』を著した名称も用いらるようになった[33]1711年正徳元年)に加賀藩がライチョウを見た白山と立山の登拝者から調査した調査では、「らいの鳥」が用いられ、1720年享保5年)の調査では「らいの鳥」と「雷鳥」の両方が用いられていた[33]。江戸時代には立山、白山、御嶽山にライチョウが生息していることが、登拝者により広く知られていて、江戸時代後期に牧野貞幹が『野鳥写生図』でライチョウのオスとメスを写生し「鶆鳥」と表記し、毛利梅園が『毛利禽譜』で白山のライチョウのオスと雛を写生し「雷鳥」と表記している[31]1779年安永8年)に葛山源吾兵衛の「木の下陰」などにあるように長野県の諏訪や上伊那では『岩鳥』と呼ばれていて、1834年天保5年)の「信濃奇勝録」の乗鞍岳のものには『がんてう』の振り仮名が付けられていた[2]1813年文化10年)の小原文英による「白山紀行」の写生図では「雷鳥」と「鶆鳥」の両方を記している[2]。地方名では富山県で『閑古鳥』、木曽の御嶽山で『御鳥』などの記録がある[2]

日本のライチョウに学名『Lagopus muta japonica』が付けられたのは、1907年明治40年)である[2]1916-18年(大正5-7年)の百科事典「広文庫」で『雷鳥に鶆に作るは誤、本邦の神鳥にして支那になし』と記載され、『雷鳥(ライチョウ)』の名称が一般的となった[2]。現在は和名で『ライチョウ』と表記され、識別のために日本の亜種が『ニホンライチョウ』と表記される場合がある[12][34]

亜種ニホンライチョウの保護

保護の歴史

日本のライチョウは江戸時代までは信仰の対象として保護され、明治時代に一時乱獲され、以後の以下年表の法律で保護され現在に至っている[35]

近年の飼育活動

日本のライチョウがトキコウノトリのように絶滅することが危惧されていて、以下年表の飼育研究活動が行われている[49]

  • 1960年(昭和35年)8月 - 生息地拡大のために白馬岳で捕獲したオス1羽、メス2羽、ヒナ4羽の合計7羽のライチョウが富士山に運ばれた。一時期は繁殖に成功し1966年に10羽が確認されたが1970年以降の目撃情報はない[50]
  • 1963年(昭和38年) - 生態研究のため、長野県大町市の大町山岳博物館が飼育研究を開始した。
  • 1966年(昭和41年) - 富山県も飼育研究を開始した。
  • 1967年(昭和42年)7月 - 南アルプス北岳から山梨県金峰山に5羽が移植されたが、定着しなかった。定着しなかった理由として、隠れ家や営巣場所となるハイマツ帯の面積が小さかったことや、山体の形成年代が新しく餌となる高山植物が十分に無かったため、とされている。
  • 1969年(昭和44年) - 山梨県も飼育研究を開始した。しかし各県の飼育は、寄生虫や家禽類起源の感染症、サルモネラ菌、トリアデノウイルスなどにより死滅する例が多く、安定した増殖には繋がっていない。
  • 2004年(平成16年) - 大町山岳博物館で飼育鳥の全てが死滅し、現在は飼育されていない。
  • 2008年(平成20年)12月5日 - ノルウェースバールバル諸島産の大型亜種スバールバルライチョウが、上野動物園で公開されており、そこで生まれた個体が長野市茶臼山動物園富山市ファミリーパーク[18]でも公開されている。

種の保全状態評価

国際自然保護連合(IUCN)により、軽度懸念(LC)の指定を受けている[3]。ヨーロッパのいくつかの国、中国、日本でレッドリストの指定を受けていて、その他の地域では狩猟対象となっているところがある[4]スウェーデンでは、1978-1980年に年間11,700羽ほどのライチョウが捕獲されている[6]アイスランドでは、狩猟による生息数への影響調査が行われている[4]

日本では亜種ニホンライチョウ(Lagopus muta japonica)が環境省により、絶滅危惧IB類 (EN) の指定を受けている[51]。日本国指定の特別天然記念物であり[39]、国内希少野生動植物種(種の保存法1993年)の対象である。また以下の都道府県により、レッドリストの指定を受けている[52]。富山県の立山の生息地で立山黒部アルペンルートの開発前後で生息数が約250羽から約150羽(1983年)に減少したと調査報告されている[24][53]

国際ライチョウシンポジウム

ライチョウ属などの研究に関する国際的なシンポジウムがほぼ3年ごとに開催されている。2012年7月20日-24日に長野県松本市で「第12回国際ライチョウシンポジウム」が開催された[17]

開催地

地方公共団体の鳥に指定している自治体

以下の自治体の鳥に指定されている。

都道府県

市町村

日本国外

出典

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

メディア

参考文献

写真集

絵本

関連項目

テンプレート:Sister テンプレート:Commons&cat

外部リンク

  • 1.0 1.1 1.2 テンプレート:Cite book
  • 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、159頁
  • 3.0 3.1 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「IUCN」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  • 4.0 4.1 4.2 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「GSG」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  • 5.0 5.1 5.2 5.3 ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、184-185頁
  • 6.0 6.1 6.2 ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、163頁
  • 6属17種とする分類例もある。ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、169頁
  • テンプレート:Cite book
  • ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、186-187頁
  • テンプレート:Cite web
  • 11.0 11.1 ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、190-192頁
  • 12.0 12.1 12.2 12.3 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「.E9.9B.B7.E9.B3.A5.E3.81.8C.E8.AA.9E.E3.82.8A.E3.81.8B.E3.81.91.E3.82.8B.E3.82.82.E3.81.AE_.282006.29.E3.80.8119-21.E9.A0.81」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
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  • 16.0 16.1 テンプレート:Cite web
  • 17.0 17.1 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「IGS2012」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  • 18.0 18.1 テンプレート:Cite web
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  • 日本鳥学会(目録編集委員会) 編集,『日本鳥類目録 改訂第7版』、日本鳥学会、2012年、ISBN 978-4-930975-00-3
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  • 24.0 24.1 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「biodic」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  • 25.0 25.1 山岳地帯の環境破壊による鳥類の分布と生態の変化について : 特にライチョウを中心として 日本生態学会誌 24(4) pp.261-264 19741231
  • ニホンライチョウの遺伝的多様性と分化 ニホン鳥類学会
  • ニホンライチョウ(Lagopus mutus japonicus)におけるミトコンドリアDNAコントロール領域の遺伝変異性日本鳥学会誌 Vol. 50 (2001) No. 2 P 53-64,107
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  • 31.0 31.1 雷鳥が語りかけるもの (2006)、101-102頁
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  • 33.0 33.1 33.2 ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、157頁
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  • 「都道府県指定状況を一覧表で表示」をクリックすると、出典元の各都道府県のレッドデータブックのカテゴリー名が一覧表示されます。テンプレート:Cite web
  • ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、7頁
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