エゾヒグマ
エゾヒグマ(学名:Ursus arctos yesoensis or U. a. ferox Temminck, 1844)は、ネコ目(食肉目)クマ科クマ亜科クマ属に分類されるヒグマの亜種で、北海道に生息するクマである。日本に生息する陸上動物としては最大の動物である[1]。
ヒグマの亜種であるウスリーヒグマ(Ursus arctos lasiotus)と同亜種とする説もある[2]。
目次
分布
北海道の森林および原野に分布する。夏季から秋季にかけての時期は中山帯と高山帯にも活動領域を広げる。石狩西部と天塩、増毛の地域個体群は、絶滅のおそれがある地域個体群(LP)に指定されている[1]。
江戸時代末期から明治時代初期(1865年 - 1868年)にかけては、集落などのように人が多い地域を除けば、北海道全域が本種の生息域であったといわれている[3]。
オホーツク文化期の末期(13世紀)までは利尻島と礼文島にも生息していたようである[4]。
ヒグマ種の化石がブラキストン線(津軽海峡)以南の本州と四国、九州の約1万年前の更新世末期の地層から発掘されており、本州以南にもヒグマ種が生息していたようである[4]。
形態
成獣の大きさはオスとメスとで異なり、オスの方が大きく、体長はオスが約1.9 - 2.3m、メスが約1.6 - 1.8m。体重はオス約120 - 250kg、メスが約150 - 160kg[5]。480kgの個体もある[6]。近年の記録に残されている最大の個体では、体重はオスが520kg(2007年、えりも町 推定17歳)、メスが160kg(1985年、推定8 - 9歳)。体長はオスが243cm(1980年、14 - 15歳)、メスが186cm(1985年、8 - 9歳)[5]。毛色は褐色から黒色まで個体により様々であり[1]、その色合いごとに名称が付けられている。黄褐色系の個体は金毛、白色系の個体は銀毛。頸部や前胸部に長方形様の白色がある個体は月の輪。また夏毛は刺毛で構成されており、冬毛は刺毛と綿毛で構成されている[5]。歯数は、切歯が上6本下6本、犬歯が上2本下2本、前臼歯が上8本下8本、後臼歯が上4本下6本、合計42本。乳頭数が、胸部2対、腹部は無し、鼠径部1対、合計6個。指趾数(指の数)は、前肢が5本、後肢が5本、合計20本[7]。
新生子の大きさは、体長が25 - 35cm。体重は300 - 600g。視力はなく、歯も生えていない。体毛は、産毛がまばらに生えている[5]。
生態
本種の行動は、発情期と子育て期以外は単独行動である。活動時間帯は昼夜を問わず一定していない。休息場所は特に決まっておらず、気に入った場所で休息する。本種は犬掻きによる泳ぎが得意である。若い本種は木登りも得意であるが[5]、それは体重が軽いためである[8]。本種は手をよく使い、手の爪が伸びる速さは足の爪が伸びる速さの約2倍である。これは手をよく使うために手の爪の摩耗が速く、摩耗した爪を補うために速く伸びるものと推考できる。また後肢で2本足立もする[5](→立ち姿の写真)。
活動期間は、春から晩秋・初冬にかけての期間で、活動地域は平野部から高山帯に至るまで様々な地域で活動する。餌となる植物を得られない残雪(春)や降雪による積雪(晩秋・初冬)の多い地域にはおらず、植物を採食できる地域に移動している。越冬のために巣穴に籠る時期は晩秋から初冬にかけての時期で、出産は越冬期間中に行われる[5]。
食性
食性は雑食性である。 植物性のものを食べる目的は二つあり、一つは栄養を摂取するため。もう一つは便秘予防や消化促進のためである。 本種が前者の目的で摂取する植物は、栄養素を多量に含むフキやセリ科などの草と木の実である。 本種は植物繊維を分解して栄養素に変換する機構を備えておらず、また草食動物のように植物繊維を分解して栄養素に変換する腸内細菌と共棲していない。そのため本種がスゲ類[9]などの植物繊維の多い植物を摂取する目的は後者である。 本種は様々な動物性のものを摂取するが、主に鳥類と哺乳類、昆虫類、水棲動物ではザリガニやサケ、その他の魚類である。鳥類と哺乳類の場合は既に死亡しているものを食べ、捕食することは珍しい。本種は共食いをすることがある。摂取した昆虫類やザリカニの外骨格、羽毛、獣毛などは分解できず、未消化のまま排泄される。 本種の食性は非常に多様性に富み、人が食べることができるものは元より、それ以外のもの食べることができ、樹脂も食べる。草類は約60種類、木の実が約40種類、動物が約30種類である[10]。
前述の通り本種が様々な動植物を食べるが、代表的なものをいくつか次に示す。
- 草本
- 最もよく利用される草本はアキタブキとされ、ついでエゾイラクサが食べられる[11]。これらの植物を食べるヒグマは日本国外ではみられない[11]。セリ科の植物(ハクサンボウフウ、シラネニンジン(別名:チシマニンジン[12]など)は日本国外のヒグマと同様によく餌とし、自生地域は本種の食餌場となっている[13][11]。本種がミズバショウを好むという通説は誤りで、ミズバショウと混生しているザゼンソウを好んで食べる。ザゼンソウが生えていない場合はミズバショウも食べる[14]。北海道ではグラミノイド(イグサ科・イネ科・カヤツリグサ科)の利用割合は少ない[11]。
- 木の実
- 落ちている木の実を拾って食べる。樹木に登って食べることもある[13]。6月中旬には実がなっているヤマグワを、9月から10月にかけてはハイマツ、タカネナナカマド、ウラジロナナカマド、クロウスゴの実を食べる[13]。北海道の多くの地域のエゾヒグマはミズナラの堅果を利用するが、渡島半島ではブナの堅果を餌とする[15]。
- 魚類
- サケ・マス類を食べるエゾヒグマは知床半島の一部に限定され、北海道の多くの地域ではサケ・マス類の利用はとても少ない[16]。知床半島では10月にテッパンベツ川に遡上したカラフトマスを捕食し、11月になるとサケを捕食することもある。1940年代まではこれらの魚類が遡上する川がある地域が北海道内に多く存在したので、そのような地域では本種はサケやマスを捕食していた[17]。
- 節足動物(昆虫など)
- アリの巣穴を掘って、出てきたアリを舐めて食べる。蟻酸の味を好むようである[4]。とくに大量にいて攻撃性の低いアリを選択的に利用することがわかっている[18]。土中にいるコガネムシの幼虫を掘り出して食べることもある[4]。また、沢やその周辺の石をどかしてザリガニを探して食べる[4]。
- エゾシカ
- 北海道に広く生息するエゾシカを餌として年間をとおして利用する[16]。主に餓死した個体や放置された狩猟個体を食べ、積極的に捕食することはあまりない[16]。
- 屍肉
- 本種は腐敗臭が漂う屍肉も食べる。海岸に打ち上げられて死んでいる海獣や魚類などは本種の餌となる。屍肉食は、雑食性の動物にはよくあることである[17]。
- 農作物
- トウモロコシ、テンサイ、メロン、スイカ、イネなど様々な野菜や果物、穀物を食べる[19]。北アメリカやヨーロッパではヒグマが農作物を利用する報告はあまりみられず、北海道特有といえる[19]。
- 哺乳類
- 家畜や人を捕食することもある[17]。本種がこれらを食べるときは内蔵から食べ始めるという通説は誤りである。本種は最初に筋肉から食べ始め、最後に四肢を食べるが、肘から先の部分と膝から先の部分は食べないことが多い。頭部はなおのこと食べないことが多い[20]。
鳴き声
成獣は相手を威嚇する時に「ウオー」「グオー」「フー」などの鳴き声を発声する。鳴き声以外にも歯を鳴らしたり、足で地面を擦るなどして音を出して威嚇する[21]。
新生子や子グマは「ビャー」「ピャー」「ギャー」などと鳴く[21]。
繁殖と子グマの独立
発情期は初夏から夏にかけての期間。妊娠期間は約8ヶ月間で、翌年の越冬期間中に巣穴で出産する。産仔数は1 - 3頭。子育てはメスだけで行う[5]。越冬期間中に出産と母乳による子育てをするため、春に巣穴から出る頃には母グマの体重は約30%減少している[22]。新生子は視力や歯などがない。生後6週目に聴力を得て、7週目に視力を得る。生後4ヶ月で乳歯が生え、母グマと同じものを食べるようになる。1 - 2歳になると親離れする(→子グマの写真)。子グマが繁殖できるようになるのは4 - 5歳で、最年少の記録は3歳。30歳ぐらいまで繁殖が可能である[5]。
冬籠り
越冬用の巣穴は山の斜面に横穴を掘り、縦穴は掘らない。他の個体が前回の越冬に使用した穴を使用することもある。岩穴や樹洞を使うことは滅多にない。独立して行動する年齢になった本種は複数個の巣穴を持っており、その使い方は個体により様々。巣穴に籠る時期は晩秋から初冬にかけての期間であるが、積雪とは関係がない[23]。冬籠り中の体温は活動時期より4 - 5度下がる[24]。
動物園などでの飼育下では、本種を冬籠りさせないことができる[22][25]。また、冬ごもりさせる動物園もある。テンプレート:Seealso
熊棚
本種は樹木に登って木の実を食べることがあるが、そのときに熊棚(くまだな)ができる場合がある[13]。本種が樹上で木の実がなっている枝を手繰り寄せたときに枝が折れることがあり、折れた枝は本種の臀部の下に敷く習性があり、枝の数が多くなると棚のようになるので、これを熊棚という[26]。
エゾヒグマが引き起こす問題
農業被害
1970年代から1980年代まではエゾヒグマが農作物を荒らすことは少なかったが、1990年代後半から2000年代にかけて農作物を食べるエゾヒグマが増加した[27]。その理由として、農業従事者の減少によって畑などに人が入ることが少なくなったため、クマが畑や人を警戒しなくなったことが挙げられている[27]。本種による農業被害額は年間で1億円を超えると推定されている[28]。ツキノワグマと違って林業被害は報告されていない[28]。
家畜被害
家畜が襲われる被害は1970年代以降大きく減少している[28]。
人身被害
エゾヒグマと遭遇することで人が襲われ、負傷もしくは死亡する事例もたびたび発生している。札幌丘珠事件(1878年)、三毛別羆事件(1915年)、石狩沼田幌新事件(1923年)のほか、福岡大学パーティー遭難事件(1970年)など複数の被害を出した事例も少なくない[29]。 本州のツキノワグマの場合偶発的に人間を殺傷してしまう例がほとんどであるが、ヒグマの場合、上記の事件では集団の人間を捕食対象として認識し、計画的に執念深く追尾し、捕らえ、捕食し、さらに遺体を持ち帰り食用として保存までしている。
駆除と保護
駆除
(本節は『野生動物調査痕跡学図鑑』(p409, p410)を参考文献とする。)
エゾヒグマは害獣に指定されて100年以上経つ(2008年時点)。1875年(明治8年)12月20日に害獣に指定され、2008年(平成20年)時点では、10月から翌年1月までの狩猟期と、鳥獣保護区では狩猟期以外の時期も害獣として駆除されている。1877年(明治10年)9月22日に北海道全域で捕獲奨励金制度が始まり、1888年(明治21年)11月22日にこの制度が廃止されるまで続いた。そして1963年(昭和38年)2月3日に奨励金制度が再度始まる。1962年(昭和37年)6月に十勝岳が噴火し、降灰地域に生息していた本種が東へ移動し、本種が移動地域の家畜に被害を与えたため、1963年(昭和38年)4月にヒグマ捕獲奨励金制度が始まり、1980年(昭和55年)3月まで続いた。1966年(昭和41年)4月に計画駆除事業(通称「春熊駆除」)が始まり、1989年(平成元年)まで続いた。駆除時期は、1966年(昭和41年)の駆除事業開始時は2月から雪解けまで。1976年(昭和51年)頃から1986年(昭和61年)までは、3月15日から5月31日まで。1987年(昭和62年)から1989年までは、地域により駆除期間を30 - 40日間に短縮した。その後、春熊駆除は中止される。2008年(平成20年)時点では、予防駆除として本種の駆除が続いている。殺獲数は、2005(平成17)年度が568頭、2006(平成18)年度が430頭。
保護管理
駆除だけに頼らずに被害防止と共存を実現するためのさまざまな取り組みも2000年代以降に北海道各地で行われ始めた。2000年には「渡島半島地域ヒグマ保護管理計画」が策定され、科学的なエゾヒグマの保護管理政策が実施されている[30]。自然遺産に指定されている知床でも「知床ヒグマ保護管理計画」の策定に向けた取り組みが進められている。
新世代クマ
1990年に春熊駆除が廃止されヒグマを取り巻く環境が保護へと転換されてから15-20年以上が経過した2000年代、人に対する恐怖経験が全くない世代のエゾヒグマが現れるようになった[31]。こうしたクマは「新世代クマ」と呼ばれ、大きな問題となっている[31][32]。新世代クマとみられるエゾヒグマが住宅地に出没する事例も季節を問わず発生している[32][33]。こうした状況になると、警察によるパトロールや周辺学校での集団下校、遊歩道や公園の閉鎖が行われたり、住民が外出を控えるようになったりと物々しい騒然とした事態となる[34]。2011年10月には千歳市や札幌市の市街地でクマが相次いで目撃され大きく報道された[35][36]。
脚注
参考文献
ウェブサイト
- テンプレート:Cite journal
- テンプレート:Cite journal
- テンプレート:Cite journal
- テンプレート:Cite journal
- テンプレート:Cite journal
- テンプレート:Cite journal
- テンプレート:Cite journal
- 子グマの写真 -テンプレート:Cite journal
- テンプレート:Cite journal
- テンプレート:Cite journal
出版物
関連文献
外部リンク
- 「ヒグマの保護管理」 北海道 環境生活部 自然環境課
<ref>
タグです。
「.E7.B1.B3.E7.94.B0_.282008.29_p77
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません<ref>
タグです。
「.E6.97.AD.E5.B1.B1_website
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません