村上春樹
テンプレート:Infobox 作家 村上 春樹(むらかみ はるき、1949年1月12日 - )は、日本の小説家、アメリカ文学翻訳家。京都府京都市伏見区に生まれ、兵庫県西宮市・芦屋市に育つ。
早稲田大学第一文学部演劇科卒業、ジャズ喫茶の経営を経て、1979年、『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞しデビュー。当時のアメリカ文学から影響を受けた文体で都会生活を描いて注目を浴び、村上龍と共に時代を代表する作家と目される。
1987年発表の『ノルウェイの森』は上下430万部を売るベストセラーとなり、これをきっかけに村上春樹ブームが起きる。その他の主な作品に『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』など。
日本国外でも人気が高く、柴田元幸は村上を現代アメリカでも大きな影響力をもつ作家の一人と評している[1]。2006年、特定の国民性に捉われない世界文学へ貢献した作家に贈られるフランツ・カフカ賞をアジア圏で初めて受賞し、以後日本の作家の中でノーベル文学賞の最有力候補と見なされている。
デビュー以来、翻訳の活動も行っており、フィッツジェラルドの諸作品やレイモンド・カーヴァー全集のほか、ハードボイルド文学の創始者のひとりであるレイモンド・チャンドラーの長編作品など、多くの訳書がある。随筆・紀行文・ノンフィクション等も多数。
経歴
生い立ち
1949年、京都府京都市伏見区に出生する。父が私立甲陽学院中学校の教師として赴任したため、まもなく兵庫県西宮市の夙川に転居。父は京都府長岡京市粟生の浄土宗西山派光明寺住職の息子、母は大阪・船場の商家の娘という生粋の関西人で、「当然のことながら関西弁を使って暮らしてきた」[2]。また両親ともに国語教師であり、本好きの親の影響を受け読書家に育つ。書店でツケで本を買うことを親から許されていたという[3]。西宮市立浜脇小学校入学。西宮市立香櫨園小学校卒業[4]、芦屋市立精道中学校[5]、兵庫県立神戸高等学校卒業。両親が日本文学について話すのにうんざりしテンプレート:Refnest、欧米翻訳文学に傾倒[6]、親が購読していた河出書房の『世界文学全集』と中央公論社の『世界の文学』を一冊一冊読み上げながら10代を過ごした。また中学時代から中央公論社の全集『世界の歴史』を繰り返し読む。学校自体はあまり好きではなく、「どちらかといえばかなり反抗心の強い生徒だった」[7]。神戸高校では新聞委員会に所属。高校より自己流でペーパーバックを読み始めるが、英語の授業は二の次であったため成績は芳しくなかった[8]。
1年の浪人生活を経て、1968年、早稲田大学第一文学部に入学、演劇科へ進む。在学中は演劇博物館で映画の脚本を読みふけり、映画脚本家を目指してシナリオを執筆などもしていたが[9]、大学へはほとんど行かず、新宿でレコード屋のアルバイトをしながら歌舞伎町のジャズ喫茶に入り浸る日々を送る。(年代不詳)東京都千代田区水道橋にあったジャズ喫茶「水道橋スウィング」の従業員となった。1971年、高橋陽子と学生結婚、一時文京区で寝具店を営む夫人の家に間借りする。在学中の1974年、国分寺にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開店(店名は以前飼っていた猫の名前から。夜間はジャズバー)。開店資金は500万円で、半分は夫婦でアルバイトをして貯めたお金、残りは両方の親からの借金であった[10]。1975年、7年間在学した早稲田大学を卒業。卒業論文は「アメリカ映画における旅の系譜」でアメリカン・ニューシネマと『イージー・ライダー』を論じた。指導教授は印南高一(印南喬)[9]。1977年、「ピーター・キャット」を千駄ヶ谷に移す。
デビュー、人気作家となる
1978年4月、店の近所にあった明治神宮野球場でプロ野球の試合を観戦中に小説を書くことを思い立ったという。それからはジャズ喫茶を経営する傍ら、毎晩キッチンテーブルでビールを飲みながら書き続けた。1979年4月、『群像』に応募した『風の歌を聴け』が第22回群像新人文学賞を受賞。同作品は『群像』1979年6月号に掲載され、作家デビューを果たす。カート・ヴォネガット、ブローティガンらのアメリカ文学の影響を受けた文体で現代の都市生活を描いて注目を集める。同年、『風の歌を聴け』が第81回芥川龍之介賞および第1回野間文芸新人賞候補、翌年『1973年のピンボール』で第83回芥川龍之介賞および第2回野間文芸新人賞候補となる。1981年、専業作家となることを決意し、店を人に譲る。同年5月、初の翻訳書『マイ・ロスト・シティー フィッツジェラルド作品集』を刊行。翌年、本格長編小説『羊をめぐる冒険』を発表し、第4回野間文芸新人賞を受賞。
1985年、2つの物語が交互に進行していく長編『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』発表、第21回谷崎潤一郎賞受賞。1986年、ギリシャあるいはイタリアに移住し、1991年まで日本との間を行き来する生活を送る。1987年、「100パーセントの恋愛小説」と銘うった『ノルウェイの森』刊行、上下430万部を売る大ベストセラーとなる。これをきっかけに村上春樹ブームが起き、国民的作家と目されるようになった。1989年には『羊をめぐる冒険』の英訳版『Wild Sheep Chase』がアメリカで出版された。
1991年、ニュージャージー州プリンストン大学の客員研究員として招聘され渡米する。前後して湾岸戦争が勃発。「正直言って、その当時のアメリカの愛国的かつマッチョな雰囲気はあまり心楽しいものではなかった」とのちに述懐している[8]。翌年、在籍期間延長のため客員講師に就任する。現代日本文学のセミナーで第三の新人を講義、サブテキストとして江藤淳の『成熟と喪失』を用いる。
「デタッチメント」から「コミットメント」へ
1994年、『ねじまき鳥クロニクル 第1部』『同 第2部』刊行。1992年から『新潮』に連載されたもので、ノモンハン事件などの歴史を織り込みながら人間の中に潜む暴力や悪を描いて話題を集めた。1995年、1月に起こった阪神・淡路大震災と、3月に起こった地下鉄サリン事件に衝撃を受ける。同年6月、帰国。8月に『ねじまき鳥クロニクル 第3部』刊行、翌年第47回読売文学賞受賞。1997年、地下鉄サリン事件の被害者へのインタビューをまとめたノンフィクション『アンダーグラウンド』刊行。それまではむしろ内向的な作風で社会に無関心な青年を描いてきた村上が、社会問題を真正面から題材にしたことで周囲を驚かせた。1999年、『アンダーグラウンド』の続編で、オウム真理教信者へのインタビューをまとめた『約束された場所で』により第2回桑原武夫学芸賞受賞。2000年2月、神戸の震災をテーマにした連作集『神の子どもたちはみな踊る』刊行。同書に収められた短編『神の子どもたちはみな踊る』はのちに映画化される。
この時期、社会的な出来事を題材に取るようになったことについて、村上自身は以下のように「コミットメント」という言葉で言い表している。
- 「それと、コミットメント(かかわり)ということについて最近よく考えるんです。たとえば、小説を書くときでも、コミットメントということがぼくにとってはものすごく大事になってきた。以前はデタッチメント(かかわりのなさ)というのがぼくにとっては大事なことだったんですが」[11]
- 「『ねじまき鳥クロニクル』は、ぼくにとっては第三ステップなのです。まず、アフォリズム、デタッチメントがあって、次に物語を語るという段階があって、やがて、それでも何か足りないというのが自分でわかってきたんです。そこの部分で、コミットメントということがかかわってくるんでしょうね。ぼくもまだよく整理していないのですが」[12]
「コミットメント」はこの時期の村上の変化を表すキーワードとして注目され多数の評論家に取り上げられた。また村上は作品の題材とした震災と地下鉄サリン事件の二つの事件について、この2つは彼にとって別々のものではなく、「ひとつを解くことはおそらく、もうひとつをより明快に解くことになるはずだ」(『辺境・近境』)と考えたと語っている。このため、『神の子どもたちはみな踊る』に収められている作品はすべて震災が起こった1995年の1月と、地下鉄サリン事件が起こった3月との間にあたる2月の出来事を意図的に描いている[13]。
翻訳家として
村上は創作活動と並行して多くの翻訳を行ってきた。『カイエ』(冬樹社)1979年8月号に掲載されたスコット・フィッツジェラルドの短編『哀しみの孔雀』が、商業誌に発表したものとしては初めての作品である。「最初に『風の歌を聴け』という小説を書いて『群像』新人賞をとって何がうれしかったかというと、これで翻訳が思う存分できるということでした。だからすぐにフィッツジェラルドを訳したんですよ」[14]と語っているように、『哀しみの孔雀』の発表は『風の歌を聴け』が『群像』1979年6月号に掲載されてからわずか2か月後のことであった。
1981年5月、中央公論社より初めての翻訳書『マイ・ロスト・シティー フィッツジェラルド作品集』を刊行。1983年7月、中央公論社よりレイモンド・カーヴァーの作品集『ぼくが電話をかけている場所』を刊行。村上はカーヴァーの作品の翻訳を行い続け、『レイモンド・カーヴァー全集』全8巻の翻訳を成し遂げた。
2003年以降、高名なアメリカ文学の新訳をたて続けに刊行している。同年4月、『ライ麦畑でつかまえて』のタイトルで親しまれてきたサリンジャーの長編の新訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を発表。同作品を皮切りに、フィッツジェラルドの『グレート・ギャッツビー』(2006年11月)、レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』(2007年3月)、トルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』(2008年2月)、チャンドラーの『さよなら、愛しい人』(2009年4月)、『リトル・シスター』(2010年12月)、『大いなる眠り』(2012年12月)、サリンジャーの『フラニーとズーイ』(2014年2月)等を翻訳した。
小説の執筆と翻訳を交互に行う仕事のスタイルを、村上は「チョコレートと塩せんべい」という比喩で語るテンプレート:Refnest。
近年の活動
2002年、初めて少年を主人公にした長編『海辺のカフカ』発表。2004年にはカメラ・アイのような視点が登場する実験的な作品『アフターダーク』を発表。2005年、『海辺のカフカ』の英訳版 Kafka on the Shore が『ニューヨーク・タイムズ』の"The Ten Best Books of 2005"に選ばれ国際的評価の高まりを示した。2006年、フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞(Frank O'Connor International Short Story Award)と、国際的な文学賞を続けて受賞。特にカフカ賞は、前年度の受賞者ハロルド・ピンター、前々年度の受賞者エルフリーデ・イェリネクがいずれもその年のノーベル文学賞を受賞していたことから、2006年度ノーベル賞の有力候補として話題となった。同年の世界最大規模のブックメーカーである英ラドブロークス(Ladbrokes)のストックホルム事務所による予想では、34倍のオッズが出され18番人気に位置(受賞は同予想で1位のオルハン・パムク)。2007年の同予想では11倍のオッズ、6番人気とさらに評価を上げている[15]。また近年の年収は海外分が既に国内分を上回っており、事務所の仕事量も3分の2は海外とのものであるという[16]。
なお多くの村上作品が海外に翻訳・紹介されてはいるが、初期の2作(『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』)は講談社英語文庫版が存在するにもかかわらず、村上自身が「未熟な時代の作品」とみなしており、この2作品の英訳版は海外での刊行が行われていない[17]。
2008年6月3日、プリンストン大学は村上を含む5名に名誉学位を授与したことを発表した[18]。村上に授与されたのは文学博士号である。
2009年2月、エルサレム賞を受賞[19]。当時はイスラエルによるガザ侵攻が国際的に非難されており、この受賞については大阪の市民団体などから「イスラエルの戦争犯罪を隠し、免罪することにつながる」として辞退を求める声が上がっていた[20]。しかし村上は賞を受けエルサレムでの授賞式に出席する。記念講演では「この賞を受けることがイスラエルの政策を承認したとの印象を与えてしまわないかと悩んだ」ことを告白し、その上で「あまりに多くの人が『行かないように』と助言するのでかえって行きたくなった」「何も語らないことより現地で語ることを選んだ」と出席理由を説明した。そして「高くて固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」と、イスラエル軍によって1000人以上のガザ市民が命を落としたことをイスラエルのペレス大統領の面前で批判した。さらに「私たちはみな国籍や人種・宗教を超えてまず人間であり、『システム』という名の壁に直面する壊れやすい卵なのです」と語った[21][22] [23] [24]。スピーチの途中からペレス大統領の顔はこわばってきたという [25]。
2009年5月、長編小説『1Q84』BOOK 1およびBOOK 2を刊行。同年11月の段階であわせて合計223万部の発行部数に達した。同作品で毎日出版文化賞受賞。同年12月には、独創的な作家としてスペイン政府から芸術文学の勲章として、スペイン芸術文学勲章が授与され、それによりExcelentísimo Señorの待遇となる。
2011年6月、カタルーニャ国際賞を受賞。副賞である8万ユーロ(約930万円)を東日本大震災の義援金として寄付する。カタルーニャ国際賞の受賞スピーチでは日本の原子力政策を批判した[26]。
2012年1月2日、1月3日に放送された箱根駅伝のTVコマーシャルのナレーションを執筆した。制作はサッポロビール。監督は是枝裕和[27]。
2012年9月28日、『朝日新聞』朝刊にエッセイ「魂の行き来する道筋」を寄稿した。その中で、日中間の尖閣諸島問題や日韓間の竹島問題によって東アジアの文化交流が破壊される事態を心配して、「領土問題が「感情」に踏み込むと、危険な状況を出現させることになる。それは安酒の酔いに似ている。安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。」「しかし賑やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ。」「安酒の酔いはいつか覚める。しかし魂が行き来する道筋を塞いではしまってはならない。」と警告した[28][29]。
作品の特徴
平易な文章と難解な物語
平易で親しみやすい文章は村上がデビュー当時から意識して行ったことであり、村上によれば「敷居の低さ」で「心に訴えかける」文章は、アメリカ作家のブローティガンとヴォネガットからの影響だという[30]。「文章はリズムがいちばん大事」[31]とは村上がよく話す言葉だが、そう思うに至った理由を次のように説明している。「何しろ七年ほど朝から晩までジャズの店をやってましたからね、頭のなかにはずっとエルヴィン・ジョーンズのハイハットが鳴ってるんですよね。」[31]
隠喩[注 1]の巧みさについて、斎藤環は「隠喩能力を、異なった二つのイメージ間のジャンプ力と考えるなら、彼ほど遠くまでジャンプする日本の作家は存在しない」と評している[32]。
一方、文章の平易さに対して作品のストーリーはしばしば難解だとされる。村上自身はこの「物語の難解さ」について、「論理」ではなく「物語」としてテクストを理解するよう読者に促している。一辺倒の論理的な読解ではなく、「物語を楽しむ」ことがなによりも重要なことだという。また、物語中の理解しがたい出来事や現象を、村上は「激しい隠喩」とし、魂の深い部分の暗い領域を理解するためには、明るい領域の論理では不足だと説明している[33]。このような「平易な文体で高度な内容を取り扱い、現実世界から非現実の異界へとシームレスに(=つなぎ目なく)移動する」という作風は日本国内だけでなく海外にも「春樹チルドレン」と呼ばれる、村上の影響下にある作家たちを生んでいる[34]。また、村上の作品は従来の日本文学と対比してしばしばアメリカ的・無国籍的とも評され、その世界的普遍性が高く評価されてもいるが、村上自身によると村上の小説はあくまで日本を舞台とした日本語の「日本文学」であり、無国籍な文学を志向しているわけではないという。なお村上が好んで使用するモチーフに「恋人や妻、友人の失踪」があり、長編、短編を問わず繰り返し用いられている。
長編小説家
村上の著作は長短編小説のほかエッセイ、翻訳、ノンフィクションなど多岐にわたっており、それらの異なる形態の仕事で意図的にローテーションを組んで執筆している[35]。しかし自身を本来的には長編作家であると規定しており、短編、中編小説を「実験」の場として扱い、そこから得られたものを長編小説に持ち込んでいると語っている[36]。またそれらのバランスをうまく取って仕事をする必要があるため、原則的に依頼を受けての仕事はしないとしている[35]。
「総合小説」への試み
村上は1990年代後半より、しきりに「総合小説を書きたい」ということを口にしている。「総合小説」として村上はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を引き合いに出している。それは「いろいろな世界観、いろいろなパースペクティブをひとつの中に詰め込んでそれらを絡み合わせることによって、何か新しい世界観が浮かび上がってくる」[37] ような小説のことを言う。そして「パースペクティブをいくつか分けるためには、人称の変化ということはどうしても必要になってくる」[37] という意識のもとで、村上は「私」と「僕」の物語が交互に語られる『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、一人称の中に手紙や回想が挿入される『ねじまき鳥クロニクル』、すべて三人称で書かれた『神の子どもたちはみな踊る』、一人称と三人称が交互に現れる『海辺のカフカ』、三人称に「私たち」という一人称複数が加わる『アフターダーク』と、作品で人称の変化について様々な試みを行っている。
村上が影響を受けた作家と作品
村上は自身が特に影響を受けた作家として、スコット・フィッツジェラルド、トルーマン・カポーティ、リチャード・ブローティガン、カート・ヴォネガット、レイモンド・チャンドラーらを挙げている[38]。このほかにフランツ・カフカ、ドストエフスキーらの作家も加わる。また訳書『グレート・ギャッツビー』あとがきにおいて、「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本」としてフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、そしてチャンドラーの『ロング・グッドバイ』の3冊を挙げている。読売新聞で『1Q84』をめぐる記者との対談に於いて、後期ヴィトゲンシュタインの「私的言語」概念[39] に影響を受けていたことを明かした[40]。
評価
文学賞選考における評価
- 第22回群像新人文学賞(1979年4月発表)に『風の歌を聴け』が受賞。5人の選考委員全員から支持を得た。丸谷才一はアメリカ文学からの影響を指摘しながらもその才能を激賞し、「この新人の登場は一つの事件」であるとした[41]。
- 第81回芥川賞(1979年7月発表)の候補作に『風の歌を聴け』が選ばれるが、受賞には至らなかった。丸谷は「もしもこれが単なる模倣なら、文章の流れ方がこんなふうに淀みのない調子ではゆかないでせう。それに、作品の柄がわりあい大きいやうに思ふ」という選評を述べた。瀧井孝作の評は「外国の翻訳小説の読み過ぎで書いたような、ハイカラなバタくさい作だが……。(中略)しかし、異色のある作家のようで、わたしは長い目で見たいと思った」。大江健三郎の評は、「今日のアメリカ小説をたくみに模倣した作品もあったが、それが作者をかれ独自の創造に向けて訓練する、そのような方向付けにないのが、作者自身にも読み手にも無益な試みのように感じられた」。
- 第83回芥川賞(1980年7月発表)の候補作に『1973年のピンボール』が選ばれるが、受賞には至らなかった。大江と吉行淳之介が支持に回ったものの、井上靖、中村光夫らは拒否した[42]。その後村上が長編小説を仕事の中心に構えたこともあって、作品が芥川賞の候補に選ばれることはなかった(芥川賞は中編、短編が対象)。村上がのちに世界的な作家へ成長したことにより、この「取りこぼし」はしばしば芥川賞に対する批判の的となる。
国内の評価
- 松浦寿輝は、「言葉にはローカルな土地に根ざしたしがらみがあるはずなのに、村上春樹さんの文章には土も血も匂わない。いやらしさと甘美さとがないまぜになったようなしがらみですよね。それがスパッっと切れていて、ちょっと詐欺にあったような気がする。うまいのは確かだが、文学ってそういうものなのか」[注 3] と論評、村上の作品に疑問を呈している。
- 斎藤美奈子は、プロットの展開を「ロールプレイングゲーム」になぞらえ、「村上春樹をめぐる批評ゲームは『オタク文化』のはしりだった」と評している[46]。さらにしばしば村上龍と対置されることについて「もし龍か春樹のどちらかが『村上』じゃなかったらどうだったのか」「村上春樹が村上春子という女性作家だったらどうなるのか」「村上龍と対比されるべき対象は、村上春樹ではなく、田中康夫であってもよかった」とも述べている[46]。
- 田中康夫は、村上の作風について「『女の子は顔じゃないよ。心なんだよ』といった小説好きの女の子を安心させる縦文字感覚」「彼のエッセイは、常に『道にポンコツ車が捨ててあったから、拾ってこようかと思った』という内容」[47] と評する。
- 小谷野敦は、『ノルウェイの森』の「徹底批判」と称して、「巷間あたかも春樹作品の主題であるかのように言われている『喪失』だの『孤独』だの、そんなことはどうでもいいのだ。(…)美人ばかり、あるいは主人公の好みの女ばかり出てきて、しかもそれが簡単に主人公と『寝て』くれて、かつ二十代の間に『何人かの女の子と寝た』なぞと言うやつに、どうして感情移入できるか」[50] と述べている。また、『ノルウェイの森』と村上春樹について、そのどちらかが2002年に東京大学で配布されたビラ「反白色テロル大連帯」におけるクリスマス、バレンタイン、ホワイトデーの「三大白色テロル」に加わえるべき「白色テロル」であると評している[51]。
- 大塚英志は、『アンダーグラウンド』の書評で、「麻原の物語と対峙する術として導き出されたのが、危機管理への警鐘という凡庸な保守論壇的日本社会批判でしかないことは、『アンダーグラウンド』の最大の欠点であり、限界であるといえる」と述べている[52]。
- 加藤典洋は、短編小説集『女のいない男たち』の各収録作品に関しては、「停滞しており、凡庸」「全体の記述が少々軽薄」「楽しめるのは残りの『シェエラザード』と『木野』くらい」といった意見を述べているが、今後の作品に期待する趣旨も示している。[57]。しかし『村上春樹論集 1-2』(若草書房、2006年)、『イエローページ村上春樹』(荒地出版社、1996年)、『イエローページ村上春樹 Part 2』(荒地出版社、2004年)、『村上春樹の短編を英語で読む 1979〜2011』(講談社、2011年)など、多数の評論を出版している上で、村上自身を高く評価している一人である。
- 川本三郎は、村上を早くから注目していた人物の一人。『カイエ』1979年8月号で最初のインタビューを行った。村上との共著に『映画をめぐる冒険』(講談社、1985年12月)がある。近年は村上の作品に対し批判的な意見を述べることが多い。
- 清水良典は、『村上春樹はくせになる』(朝日新書、2006年)、『MURAKAMI 龍と春樹の時代』(幻冬舎新書、2008年)などの著書がある。村上を高く評価する人物の一人。
- 福田和也は、『作家の値うち』(飛鳥新社、2000年)の中で村上を夏目漱石以降で最も重要な作家と位置づけた。『ねじまき鳥クロニクル』に現役作家の最高得点を与えた[58]『「内なる近代」の超克』でも称賛している。
- 内田樹は、『村上春樹にご用心』、『もういちど 村上春樹にご用心』等の著書において、村上の著作を全面的に肯定、評価している。「結婚詐欺」と断じた蓮實重彦に対し、「蓮實は村上を罵倒する前に、どうして『表層批評宣言』が世界各国語で訳されて、世界各国から続々と『蓮實フォロワー』が輩出してこないのか、その理由についてせめて三分ほど考察してもよかったのではないか」と述べている[59]。
- 竹田青嗣は、『村上春樹をめぐる冒険 : 対話篇』(河出書房新社、1991年、共著)という著書がある。肯定派として知られる。
- 柘植光彦は、『村上春樹の秘密 ゼロからわかる作品と人生』(アスキー・メディアワークス、2010年)という著書がある。肯定派として知られる。
- 諏訪哲史は、同じ小説家の立場からハルキストを自任している。村上作品はすでに普遍的な「世界文学になっている」と賞讃しつつも、顕著さが強まる近年の「スマートな神秘主義はやや不安材料」であると述べる。また、「心の闇は、本当は言葉とか所作とか『表面』にだけ現れることであって、精神世界とか宗教とかに行くと、それは現代では怪しげな『オカルト』になってしまう。僕は、『慎重な世代』の人間として(諏訪哲史は1969年生まれ)、春樹さんが小細工のないリアリズムで書く方を好む。」と発言している[60]。
- 高橋秀実は、『村上春樹 雑文集』の書評で、「実際の村上さんは、作品の文章と印象があまり変わらないのである。日常会話でも彼の言葉は一つひとつが屹立しており、ウソやごまかしがない。言葉の裏に作為のようなものが感じられず、『牡蠣フライが食べたい』と言えば、それは牡蠣フライを食べたいということしか含意していない。(中略)本書は村上さんの実像を味わえる貴重な一冊といえるだろう。」と述べている[62]。
- 小川洋子は、「自分が敬愛する作家の、もっとも好きな作品が短編である場合(中略)、短編ならばふと思い立った時、最初から最後までいつでも通して読み返せる。」「村上春樹作品の中で、私がそういう読み方をしているのは『中国行きのスロウ・ボート』に収められた、『午後の最後の芝生』である。」と述べている[63]。
- 高橋源一郎は、『群像』1979年6月号を書店で立ち読みした際に『風の歌を聴け』を初めて読んだという。同時期に『風の歌を聴け』を読んだ人間の中で、自分が「世界で一番衝撃を受けた人間かもしれない」と述べている[64]。
- 柴田元幸は、翻訳チェックをする上で感じた、村上の仕事ぶりの特徴を次のように述べる。「ふつう誤訳を指摘されるとひとは傷つくんですよ。傷ついて自己弁明するのにいちいち時間をかけているとこっちはくたびれるんです。そういうのがいっさいない。」「ここの三行目ですけど、といった時点で、彼はもう直そうという気になっている。」[65]
エルサレム賞受賞スピーチに対する批評
- 2009年2月15日に行われたエルサレム賞受賞式のスピーチにおいて、村上は、自身が小説を書く際に留意していることとして「壁と卵」の比喩を用いた。村上はその比喩について自ら解説し、明らかにしている。それによると、卵は全ての人間のことであり、壁はシステムのことである、人間を脅かすそのシステムから魂を守るために小説を書くのである。村上はそのように解説をした[24]。当該比喩が大きく注目されたため、スピーチ自体を「壁と卵」と呼ぶこともある。
- 斎藤美奈子は、『朝日新聞』紙上で「卵を握りつぶして投げつけるぐらいのパフォーマンスを見せればよかった」「ふと思ったのは、こういう場合に『自分は壁の側に立つ』と表明する人がいるだろうか」と感想を述べている[66]。[67][68]。
- 田中康夫は、浅田彰との対談で、エルサレム賞がノーベル文学賞の登竜門であるとされることから、「誰もが『卵が尊い』と唱和する局面であえて、壁の側にだって一分の理はあるのではと木鐸(ぼくたく)を鳴らしてこそ、小説家としての証しだとするなら」という前置きをしたうえ、ノーベル賞をくださいと正直に言うことが大人の商売人である論評した[67]。ただし、2009年2月27日、新党日本のYouTubeチャンネルで、田中は村上にノーベル賞への気持ちがあったかどうかは、問わないとしている[66]。
- 浅田彰は、上記の田中康夫との対談で、壁と卵の比喩が曖昧すぎると批判した[67]。
- 村上本人は、あの場所でできる発言としてはギリギリの物だったと述べている[69]。イスラエル政府要人が集まる舞台であれ以上の発言をすることは困難であり、またあれ以下の発言では意味がない。他の人ならあれ以上の発言ができただろうか。もちろんバレンボイムなどのように政権に批判的なユダヤ人が厳しい発言を行ったことはある。しかし同胞のユダヤ人が批判を行うことと、日本人が批判を行うこととでは受けとられ方が大きく異なる。エルサレム賞を受賞すると聞いて多くの「進歩的」メディアから批判を受けたが、現地で発言することに意味があると思ったし、メディアにも自分のそれまでの行動からある程度の推測をしてほしかった、と述べている。
人物
生活
- かつては一日3箱を喫うヘヴィースモーカーであった。『羊をめぐる冒険』の執筆が完了した後に禁煙した。
- 他方で、飲酒については好意的である。アイルランドのウイスキー賛歌ともいえるエッセイ『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(1999年12月、平凡社)なども著している。
- 猫好きであり、大学生の頃からヨーロッパで生活する1986年まで、多くの猫を飼った。ヨーロッパに渡る前、飼っていた猫をに講談社の当時の出版部長に預ける。その時に条件として、書き下ろしの長編小説を渡す、と言う約束をした。この書き下ろしの長編小説が『ノルウェイの森』である[70]。「猫」は村上小説の中で重要な役割を果たすことが多い。仕事で海外を飛び回ることが多いため、現在飼うことは断念しているという。
趣味・嗜好
- マラソンを続けている。トライアスロンにも参加している。冬はフルマラソン、夏はトライアスロンというのがここ数年の流れである。これは、小説を集中して書き続けるために体力維持に励んでいる、という理由による。毎朝4時か5時には起床し、日が暮れたら仕事はせずに、夜は9時すぎには就寝する。ほぼ毎日10km程度をジョギング、週に何度か水泳、ときにはスカッシュなどもしている[71]。「ワーク・アウト」という言葉は、しばし村上のエッセイ等に言及がある。
- 中学生の頃からジャズ・レコードの収集をしており、膨大な量のレコードを所有している(1997年当時で3000枚)。音楽はジャズ、クラシック、ロックなどを好んで聴く。エルヴィス・プレスリー[注 4]やビートルズ、ザ・ビーチ・ボーイズをはじめとする古いロックはもちろん、レディオヘッド、オアシス、ベックなどの現代ロックを聴き、最近ではコールドプレイやゴリラズ、スガシカオのファンを公言している。常に何か新しいものに向かう精神が大事なのだという[72]。
- 東京ヤクルトスワローズの熱心なファンである。そのきっかけは、東京に移り住んだ時にその土地のホームチーム(読売ジャイアンツ、東映フライヤーズ、東京オリオンズ、サンケイアトムズ)を応援するべきだと考え、その中で立地と居心地の良い神宮球場が気に入り(当時の神宮球場は観客席の一部が芝生だったため)、サンケイアトムズの応援を始めたことである。その後も、東京ヤクルトスワローズのファンを続け、いまでもなお、しばしば球場に足を運んでいる(『村上朝日堂ジャーナル』)。神宮球場でデーゲームの野球観戦中にビールを飲んでいたところ「小説を書こう」と思い立ち、『風の歌を聴け』を執筆したという逸話がある[注 5]。そうしたこともあり、2013年9月、ヤクルト球団からオフィシャルファンクラブ『スワローズクルー』の名誉会員への就任が発表された。スワローズオフィシャルファンクラブ名誉会員としては出川哲朗(タレント)に次いで2人目である[73][74]。
メディア・広報活動
- 日本のテレビ、ラジオに出演したことはない。近年はインタビューの依頼があっても、一部の雑誌を除いて積極的には応じない。インタビュー嫌いの理由として、本人は、ジャズ喫茶経営時代に「毎晩客の相手で一生分の会話をした。今後は、本当に話したい人にしか話さないと誓った」からだと述べている[6]。
- その一方で、海外マスメディアのインタビューには精力的に応じており、自身の文学観、作品の意図、日本社会の集団性の強さについての言及、日本の文壇における否定的評価への不満などを日本文学者としての義務感から積極的に述べている。それらの中には日本における村上春樹像に対する反論も少なくない[75]。
- 1996年6月、ホームページを開設。「村上朝日堂ホームページ」(1996年6月~1997年11月、1998年2月~1999年11月、2006年3月~6月更新)や「海辺のカフカ公式ホームページ」(2002年8月~10月更新)などを通じて読者と積極的に意見交換を行った。村上は評論家などによる自身に関する文章はまったく読まないと語っており、むしろ多数の一般読者の意見を聞くほうが、総体として正しい意見を得ることができるとしている[76]。ただし村上はエルサレム賞受賞に関するマスメディアの批評は十分認識していた[69]。近年はエッセイの執筆に消極的だが、それは本来小説に向かうべき個人的体験や経験を切り売りすることに抵抗を覚え始めたからだという[77]。
発言・エピソード
- 「作家は批評を批評してはならない」[78]
- 「まず妻より始めよ。あとの世間は簡単だ」[79]
- 「個人と組織が喧嘩をしたら、まず間違いなく組織のほうが勝つ」[80]
- 好きな日本の小説家は夏目漱石、吉行淳之介で、川端康成はそれほど好きではない、という[81]。
- 選択的夫婦別姓について、自由の面から賛同するテンプレート:要出典。
- 村上春樹のデビュー作である『風の歌を聴け』にでてくる作家デレク・ハートフィールドは架空の人物であり、大学図書館などでは、「デレク・ハートフィールドの著作を読みたい」という学生のリクエストに応えて司書が著作を探しては首をかしげるという誤解が後を絶たない(『図書館司書という仕事』久保輝巳著「1章 ある図書館司書の生活」はこのエピソードを描いたものである)。
関わりのある人物
ここでは村上春樹と特にかかわりのある人物を取り上げる(順不同)。
- 村上龍
- 小説家(1952年2月19日 - )。村上春樹と村上龍は、同時期に登場し、いずれも人気作家となったことから「W村上」などとも呼ばれるが、縁戚関係はなく、互いの作風も特別共通点があるわけではない。春樹と龍は作風が対極にあるが、同時代人として同じ空気感を背負っている。
- 龍は学生時代、春樹の経営する「ピーター・キャット」に通っており、デビュー前からの顔見知りであった[9]。初期には互いのエッセイで頻繁に言及しあっており[82][83]、1981年には対談集『ウォーク・ドント・ラン』を出版している。以前は猫を譲ったりするような間柄であった。龍は春樹の姿勢とその仕事を評価している。特に春樹の作品が海外で広く高く評価されている点や、春樹が海外に自己の作品を積極的に問う点である。清水良典は『MURAKAMI龍と春樹の時代』(幻冬舎新書、2008年)で、二人が互いの作品を意識し対抗しあう「セッション」をずっと繰り広げてきたとし、それぞれの代表作を対比して論じている。
- 春樹は『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』の中で、龍が「最初から暴力というものを、はっきりと予見的に書いている」という点で鋭い感覚を持った作家だと評価したうえで、自分は「あそこへ行くまでに時間がかかるというか、彼とぼくとは社会に対するアプローチが違う」と述べている[84]。
- 柴田元幸
- 英米文学翻訳家、元東京大学教授(1954年7月11日 - )。村上がジョン・アーヴィングの『熊を放つ』(1986年5月、中央公論社)を翻訳した際、柴田が訳文を「細かくチェック」[85]したことから交流が生まれた。村上が柴田の授業に参加したり(『翻訳夜話』、『翻訳教室』)、積極的にロングインタヴューに応じたり(『ナイン・インタビューズ―柴田元幸と9人の作家たち』、『代表質問 16のインタビュー』)と、二人の親交は篤い。『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』などを通して「村上自身が語る文学観」を柴田は引き出している。また、CDブック『村上春樹ハイブ・リット』(アルク、2008年11月)の総合監修も行った。「村上朝日堂ホームページ」において、読者からの英文法に関する質問に対して村上の代わりに答えたこともある(同ホームページ、読者&村上春樹フォーラム39、2006年4月17日)。
- 2006年3月に東京、札幌、神戸で行われた「国際シンポジウム&ワークショップ 春樹をめぐる冒険――世界は村上文学をどう読むか」のアドバイザーおよび司会を務めた。かつ、同シンポジウムを記録した書籍『世界は村上春樹をどう読むか』(文藝春秋、2006年10月)の編集も行った。
- 村上は、柴田が責任編集を務める文芸誌『MONKEY』(スイッチ・パブリッシング)から依頼を受け、短編小説「シェエラザード」を執筆した[86]。同作品はその後、『女のいない男たち』(文藝春秋、2014年4月)に収録された。
- 安原顯
- 編集者(1939年4月29日 - 2003年1月20日)。安原は中央公論社で文芸誌『海』や『マリ・クレール』の編集に携わった人物。村上が経営するジャズ喫茶の客で、『風の歌を聴け』が出版される1979年以前より交流があった[87]。「中国行きのスロウ・ボート」を『海』1980年4月号に掲載する際、初めて書いた短編小説であるにもかかわらず、安原から書き直しは一切要求されなかったという。「細かい実務的な作業は、この人の好むところではないようだった」と村上は述べている[88]。2003年1月20日に肺がんのため死去した。
- 村上は 2006年3月10日発売の『文藝春秋』4月号に、『ある編集者の生と死――安原顯氏のこと』と題するエッセイを発表。自身の直筆原稿が本人に無断で、安原によって流出させられ、東京・神田神保町の古本屋や、インターネットオークションで販売されていることを述べた。「基本的な職業モラルに反している(中略)のではあるまいか」「それら(注・安原ルートで流出した自筆原稿)が不正に持ち出された一種の盗品であり、金銭を得るために売却されたものであることをここで明確にしておきたい」[89]とコメントをしている。
- この発表は各方面に大きな波紋を広げ、出版業界にはびこる「自筆原稿の流出」という、半ば公然の闇の事態が明らかとなった。安原が故人であったため「死者に鞭打つような仕打ち」と一部で批判する者もあったが、村上はこのような事態が、彼に関してのみならず、多くの作家に関しても未だに行われていることを指摘しつつ、誰かが声高に叫ばなければ、流出によって傷つけられる、生きている者たちの痛みはなくならないのではないか、と反論している[90]。なおこれら一連の動きから、明確な意思表示がない限り「生原稿は作家の所有物である」との確認が日本文芸家協会によって行われ、「生原稿『流出』等についての要望」としてまとめられ、関係各所へと配布された。
- 安西水丸
- イラストレーター、漫画家(1942年7月22日 - 2014年3月19日)。安西は千駄ヶ谷の「ピーター・キャット」に客として行ったとき初めて村上と会ったという[91]。エッセイ集『村上朝日堂』シリーズをはじめ、ショートショートの挿絵など、数多くのイラストを安西は担当している。対談の数も多く、コミカルな話題で盛り上がっている様子が伝わってくる。安西のイラストがあまりに苦労してなさそうに描いていることから、コラム連載中は「一度でいいから安西さんにものすごくむずかしいテーマで絵を描かそうとずいんぶん試みてきた」という[92]。安西は村上についてこう評す。「とても人見知りをする人だけれど、友情のあつさにおいては完璧なものがある」[91]。村上によれば、安西は「尊敬まではできないけれど、ある種の敬意にはじゅうぶん値する」人物だという[93]。
- 本名の「渡辺昇(ワタナベノボル)」は様々な作中人物の名前に使われている。例として「象の消滅」(象の飼育係)、「ファミリー・アフェア」(妹の恋人)、「双子と沈んだ大陸」(共同経営者)、「ねじまき鳥と火曜日の女たち」(猫および妻の兄)、「中断されたスチーム・アイロンの把手」(壁面芸術家)、「鉛筆削り (あるいは幸運としての渡辺昇①)」、「タイム・マシーン (あるいは幸運としての渡辺昇②)」、「タコ」などがある。そして長編『ノルウェイの森』では「ワタナベトオル」と名を変え、『ねじまき鳥クロニクル』では「ワタヤノボル」となる。
- 安西の死後、『週刊朝日』2014年4月18日号に「週刊村上朝日堂 特別編」が掲載される。村上は「描かれずに終わった一枚の絵―安西水丸さんのこと―」と題する追悼文を書き、安西のイラストもそこに付された。
- 河合隼雄
- 心理学者、元文化庁長官(1928年6月23日 - 2007年7月19日)。河合は年長の学識者の中で、村上が唯一繰り返し対談した人物。団塊の世代である春樹にとって、1928年生まれの河合は親の世代である。
- 「僕にとっての『小説の意味』みたいなものをきちんと総合的にすっと理解し、正面から受けとめてくれた人は河合先生一人しかいませんでした。『物語』というのが我々の魂にとってどれほど強い治癒力をもち、また同時にどれほど危険なものでもあるかということを、非常に深いレベルで把握しておられる方です。」[94]「河合先生に会うたびに、僕は元気づけられます。ああいう人ってなかなかいないです。」[95]「僕が『物語』という言葉を使って話すときに、その意味をきちんと理解してくれるのは、河合先生ぐらいだった」[96] と語っている。
- 2013年5月6日、村上は河合隼雄物語賞・学芸賞創設を記念して公開インタビューとスピーチを京都大学で行った[97]。
- 活字になった河合と村上の対談は以下のとおりテンプレート:Refnest。
- 現代の物語とはなにか『こころの声を聴く―河合隼雄対話集 』新潮文庫 ISBN 978-4101252230 初出:新潮 1994年7月 91巻 260-282頁
- 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』新潮文庫 ISBN 978-4101001456 初出:世界 1996年4月号 621号 257-280頁、1996年5月号 662号 210-235頁
- 「地下鉄サリン事件と日本人」現代 1997年7月号 31巻 28-41頁 話題の書『アンダーグラウンド』をめぐって 村上春樹、河合隼雄
- 河合隼雄氏との対話(『アンダーグラウンド』をめぐって 「悪」を抱えて生きる)『約束された場所で―underground 2』ISBN 978-4167502041 初出: 文藝春秋 1998年11月号 76巻 262-277頁「ポストアンダーグラウンド」をめぐって―麻原・ヒットラー・チャップリン
- 連続対談 河合隼雄x村上春樹 京都での対話(上)(下) 臨床心理学者と作家が語り合った2日間 フォーサイト(新潮社) 2003年10月号[98] 第14巻第10号通巻163号 52-57頁、2003年11月号[99] 第14巻第11号通巻164号 52-58頁
- ジェイ・ルービン
- 日本文学研究者、翻訳家(1941年 - )。村上の作品の主たる英訳者、アルフレッド・バーンバウム、ジェイ・ルービン、フィリップ・ガブリエルの3人のうちで、個人的にもとりわけ交流が深いのがルービンである。『ねじまき鳥クロニクル』の翻訳を、同作品がまだ『新潮』に連載中のときに村上本人から依頼を受けて行う[100]。これまでに長編小説を4編(『1Q84』はBOOK1とBOOK2のみ)、短編小説を24編訳している。また2009年2月にイスラエルで行われたエルサレム賞受賞式の英文スピーチの英訳も行った[101]。現在は『小澤征爾さんと、音楽について話をする』の翻訳にとりかかっている[102]。
- ルービンは自著『ハルキ・ムラカミと言葉の音楽』(新潮社、2006年9月、畔柳和代訳)の参考文献として、村上の私信や講演の未刊原稿、村上夫妻の未公開のインタビューや談話を多く用いている。
- 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(岩波書店、1996年12月)の対談の席にルービンは、発言こそ取り除かれたものの陽子夫人と共に参加した。東京大学文学部で行われた柴田元幸の翻訳演習の授業にも村上と共に参加した。このときの授業の模様は『翻訳教室』(新書館、2006年3月)に収録されている。
- 2006年3月に東京、札幌、神戸で行われた「国際シンポジウム&ワークショップ 春樹をめぐる冒険――世界は村上文学をどう読むか」に参加。同年6月、アイルランドで開かれたフランク・オコナー国際短編賞受賞式(受賞作品は短編集『Blind Willow, Sleeping Woman』)に村上の代理として出席した[103]。
- 村上はルービンが訳した芥川龍之介の短編集『Rashōmon and Seventeen Other Stories』(2006年)の序文を書いている。同書は2007年6月、新潮社から日本語版が出版された(『芥川龍之介短篇集』)。
年譜
- 1949年1月12日 - 京都府京都市伏見区で生まれる。
- 1955年(6歳) - 西宮市立浜脇小学校入学。
- 1961年(12歳) - 西宮市立香櫨園小学校卒業。
- 1964年(15歳) - 芦屋市立精道中学校卒業。
- 1967年(18歳) - 兵庫県立神戸高等学校卒業。
- 1968年(19歳) - 早稲田大学第一文学部に入学。
- 1971年(22歳) - 結婚。
- 1974年(25歳) - 国分寺にジャズ喫茶「ピーターキャット」を開き、オーナーとなる(1977年に千駄ヶ谷に移転)。
- 1975年(26歳) - 早稲田大学第一文学部映画演劇科を卒業。
- 1979年(30歳) - 『風の歌を聴け』で第22回群像新人文学賞を受賞。
- 1981年(32歳) - ジャズ喫茶「ピーターキャット」を友人に譲り、小説家業に専念。
- 1982年(33歳) - 『羊をめぐる冒険』で第4回野間文芸新人賞を受賞。
- 1985年(36歳) - 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で第21回谷崎潤一郎賞を受賞。
- 1986年(37歳) - 10月、ヨーロッパへ渡る[注 6]。
- 1990年(41歳) - 1月、ヨーロッパ滞在より、帰国。
- 1991年(42歳) - 1月、米国のプリンストン大学に客員研究員として招聘される(92年から1年間は、客員講師[注 7]として大学院で週にひとコマのセミナーを担当)。
- 1993年(44歳) - タフツ大学に移籍。
- 1995年(46歳) - 5月、4年間にわたる米国滞在を終え帰国。
- 1996年(47歳) - 『ねじまき鳥クロニクル』で第47回読売文学賞を受賞。
- 1999年(50歳) - 『約束された場所で―underground 2』で第2回桑原武夫学芸賞を受賞。
- 2006年(57歳) - フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、世界幻想文学大賞を受賞。
- 2007年(58歳) - 2006年度朝日賞、第一回早稲田大学坪内逍遥大賞受賞。リエージュ大学(University of Liège)より名誉博士号を受ける[104][105]。
- 2008年(59歳) - プリンストン大学より名誉博士号(文学)を受ける。カリフォルニア大学バークレー校より第1回バークレー日本賞を受賞。
- 2009年(60歳) - エルサレム賞、毎日出版文化賞を受賞。スペイン芸術文学勲章の受勲。
- 2011年(62歳) - カタルーニャ国際賞を受賞。
- 2012年(63歳) - 国際交流基金賞を受賞。小林秀雄賞を受賞。
文学賞受賞・候補歴
- 第22回群像新人文学賞[小説部門]受賞(1979年) 『風の歌を聴け』
- 第81回芥川賞候補(1979年上半期) 『風の歌を聴け』
- 第1回野間文芸新人賞候補(1979年) 『風の歌を聴け』
- 第83回芥川賞候補(1980年上半期) 『1973年のピンボール』
- 第2回野間文芸新人賞候補(1980年) 『1973年のピンボール』
- 第4回野間文芸新人賞受賞(1982年) 『羊をめぐる冒険』
- 第21回谷崎潤一郎賞受賞(1985年) 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
- 第23回新風賞受賞(1988年) 『ノルウェイの森』
- 第17回川端康成文学賞候補(1990年) 『TVピープル』
- 第47回読売文学賞[小説賞]受賞(1995年) 『ねじまき鳥クロニクル』
- 第2回桑原武夫学芸賞受賞(1999年) 『約束された場所で―underground 2』
- フランツ・カフカ賞受賞(2006年)
- フランク・オコナー国際短編賞受賞(2006年) 『めくらやなぎと眠る女 TWENTY-FOUR STORIES』
- 朝日賞受賞(2006年) 「世界各国で翻訳され、若い読者を中心に同時代の共感を呼んだ文学的功績」
- 第32回川端康成文学賞候補(2006年) 『ハナレイ・ベイ』
- 第一回早稲田大学坪内逍遥大賞受賞(2007年)
- エルサレム賞受賞(2009年)
- 第44回新風賞受賞(2009年) 『1Q84』BOOK 1、BOOK 2
- 第7回2010年本屋大賞候補(2010年) 『1Q84』BOOK 1、BOOK 2
作品一覧
長編小説
作品名 | 出版社 | 出版年月日 | 各国語翻訳一覧 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
風の歌を聴け | 講談社 | 1979年7月25日 | 「#翻訳」を参照 | 『群像』1979年6月号掲載。 | |
1973年のピンボール | 講談社 | 1980年6月20日 | 「#翻訳」を参照 | 『群像』1980年3月号掲載。 | |
羊をめぐる冒険 | 講談社 | 1982年10月15日 | 「#翻訳」を参照 | 『群像』1982年8月号掲載。 | |
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド | 新潮社 | 1985年6月15日 | 「#翻訳」を参照 | ||
ノルウェイの森 | 講談社 | 1987年9月10日 | 「#翻訳」を参照 | 上下二分冊で刊行された。 | |
ダンス・ダンス・ダンス | 講談社 | 1988年10月24日 | 「#翻訳」を参照 | 上下二分冊で刊行された。 | |
国境の南、太陽の西 | 講談社 | 1992年10月12日 | 「#翻訳」を参照 | ||
ねじまき鳥クロニクル | 第1部 泥棒かささぎ編 | 新潮社 | 1994年4月12日 | 「#翻訳」を参照 | 『新潮』1992年10月号~1993年8月号掲載。 |
第2部 予言する鳥編 | 新潮社 | 1994年4月12日 | |||
第3部 鳥刺し男編 | 新潮社 | 1995年8月25日 | |||
スプートニクの恋人 | 講談社 | 1999年4月20日 | 「#翻訳」を参照 | ||
海辺のカフカ | 新潮社 | 2002年9月10日 | 「#翻訳」を参照 | 上下二分冊で刊行された。 | |
アフターダーク | 講談社 | 2004年9月7日 | 「#翻訳」を参照 | ||
1Q84 | BOOK 1 | 新潮社 | 2009年5月30日 | 「#翻訳」を参照 | |
BOOK 2 | 新潮社 | 2009年5月30日 | |||
BOOK 3 | 新潮社 | 2010年4月16日 | |||
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 | 文藝春秋 | 2013年4月12日 | 「#翻訳」を参照 |
中編小説
作品名 | 初出 | 単行本 | 備考 |
---|---|---|---|
街と、その不確かな壁 | 『文學界』1980年9月号 | 未収録 |
短編小説
雑誌・新聞等掲載
作品名 | 初出 | 単行本 | 備考 |
---|---|---|---|
中国行きのスロウ・ボート | 『海』1980年4月号 | 『中国行きのスロウ・ボート』 | |
貧乏な叔母さんの話 | 『新潮』1980年12月号 | 同上 | |
ニューヨーク炭鉱の悲劇 | 『BRUTUS』1981年3月15日号 | 同上 | |
5月の海岸線 | 『トレフル』1981年4月号 | 『カンガルー日和』 | |
スパゲティーの年に | 『トレフル』1981年5月号 | 同上 | |
4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて | 『トレフル』1981年7月号 | 同上 | |
眠い | 『トレフル』1981年8月号 | 同上 | |
かいつぶり | 『トレフル』1981年9月号 | 同上 | |
カンガルー日和 | 『トレフル』1981年10月号 | 同上 | |
32歳のデイトリッパー | 『トレフル』1981年11月号 | 同上 | |
タクシーに乗った吸血鬼 | 『トレフル』1981年12月号 | 同上 | |
彼女の町と、彼女の緬羊 | 『トレフル』1982年1月号 | 同上 | |
サウスベイ・ストラット―ドゥービー・ブラザーズ「サウスベイ・ストラット」のためのBGM | 『トレフル』1982年2月号 | 同上 | |
あしか祭り | 『トレフル』1982年3月号 | 同上 | |
1963/1982年のイパネマ娘 | 『トレフル』1982年4月号 | 同上 | |
バート・バカラックはお好き? | 『トレフル』1982年5月号 | 同上 | 『村上春樹全作品 1979〜1989』第5巻収録の際、「窓」に改題。 |
図書館奇譚 | 『トレフル』1982年6月号~11月号 | 同上 | その後改稿されて『ふしぎな図書館』のタイトルで単独で出版された。 |
駄目になった王国 | 『トレフル』1982年12月号 | 同上 | |
チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏 | 『トレフル』1983年1月号 | 同上 | |
鏡 | 『トレフル』1983年2月号 | 同上 | |
とんがり焼の盛衰 | 『トレフル』1983年3月号 | 同上 | |
鹿と神様と聖セシリア | 『早稲田文学』1981年6月号 | 未収録 | |
カンガルー通信 | 『新潮』1981年10月号 | 『中国行きのスロウ・ボート』 | |
あしか | 『ビックリハウス』1981年10月号 | 『村上春樹全作品 1979〜1989』第5巻 | |
パン屋襲撃 | 『早稲田文学』1981年10月号 | 『村上春樹全作品 1979〜1989』第8巻 | その後改題・改稿されて『パン屋を襲う』に収録された。 |
書斎奇譚 | 『ブルータス』1982年6月1日号 | 『村上春樹全作品 1979〜1989』第5巻 | |
月刊「あしか文芸」 | 糸井重里『ヘンタイよいこ新聞』1982年 | 同上 | |
おだまき酒の夜 | 『ショートショートランド』1982年夏号 | 同上 | |
午後の最後の芝生 | 『宝島』1982年8月号 | 『中国行きのスロウ・ボート』 | |
土の中の彼女の小さな犬 | 『すばる』1982年11月号 | 同上 | |
シドニーのグリーン・ストリート | 『海』臨時増刊「子どもの宇宙」1982年12月号 | 同上 | |
螢 | 『中央公論』1983年1月号 | 『螢・納屋を焼く・その他の短編』 | |
納屋を焼く | 『新潮』1983年1月号 | 同上 | |
めくらやなぎと眠る女 | 『文學界』1983年1月号 | 同上 | |
プールサイド | 『IN★POCKET』1983年10月号 | 『回転木馬のデッド・ヒート』 | 連載短編。副題は「街の眺め」。 |
雨やどり | 『IN★POCKET』1983年12月号 | 同上 | 同上 |
タクシーに乗った男 | 『IN★POCKET』1984年2月号 | 同上 | 同上 |
今は亡き王女のための | 『IN★POCKET』1984年4月号 | 同上 | 同上 |
野球場 | 『IN★POCKET』1984年6月号 | 同上 | 同上 |
BMWの窓ガラスの形をした純粋な意味での消耗についての考察 | 『IN★POCKET』1984年8月号 | 未収録 | 同上 |
嘔吐1979 | 『IN★POCKET』1984年10月号 | 『回転木馬のデッド・ヒート』 | 同上 |
ハンティング・ナイフ | 『IN★POCKET』1984年12月号 | 同上 | 同上 |
踊る小人 | 『新潮』1984年1月号 | 『螢・納屋を焼く・その他の短編』 | |
三つのドイツ幻想 | 『BRUTUS』1984年4月15日号 | 同上 | |
ハイネケン・ビールの空き缶を踏む象についての短文 | 『ショートショートランド』1985年5・6月特大号 | 『村上春樹全作品 1979〜1989』第8巻 | |
パン屋再襲撃 | 『マリ・クレール』1985年8月号 | 『パン屋再襲撃』 | その後改題・改稿されて『パン屋を襲う』に収録された。 |
象の消滅 | 『文學界』1985年8月号 | 同上 | |
はじめに・回転木馬のデッド・ヒート | 『回転木馬のデッド・ヒート』に書き下ろし | 『回転木馬のデッド・ヒート』 | |
レーダーホーゼン | 同上 | 同上 | |
ファミリー・アフェア | 『LEE』1985年11月・12月号 | 『パン屋再襲撃』 | |
双子と沈んだ大陸 | 『別冊 小説現代』1985年冬号 | 同上 | |
ローマ帝国の崩壊・一八八一年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランド侵入・そして強風世界 | 『月刊カドカワ』1986年1月号 | 同上 | |
ねじまき鳥と火曜日の女たち | 『新潮』1986年1月号 | 同上 | |
中断されたスチーム・アイロンの把手 | 『別冊 小説現代』1986年春号 | 未収録 | その後、安西水丸著『POST CARD』に収録された。 |
雨の日の女 ♯241・♯242 | 『L'E』(アド・プロラーズハウス)1987年1月号 | 『村上春樹全作品 1979〜1989』第3巻 | |
TVピープル | 『par AVION』(MAD出版)1989年6月号 | 『TVピープル』 | 雑誌掲載時のタイトルは「TVピープルの逆襲」。 |
飛行機―あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか | 『ユリイカ臨時増刊』1989年6月号 | 同上 | |
我らの時代のフォークロア―高度資本主義前史 | 『Switch』1989年10月号 | 同上 | |
眠り | 『文學界』1989年11月号 | 同上 | その後改稿されて『ねむり』のタイトルで単独で出版された。 |
加納クレタ | 『TVピープル』に書き下ろし | 同上 | |
ゾンビ | 同上 | 同上 | |
トニー滝谷 | 『文藝春秋』1990年6月号 | 『村上春樹全作品 1979〜1989』第8巻 | その後『レキシントンの幽霊』に収録された。 |
沈黙 | 『村上春樹全作品 1979〜1989』第5巻に書き下ろし | 『村上春樹全作品 1979〜1989』第5巻 | 1993年、集団読書テキスト中高生用として単行本化された。 |
緑色の獣 | 『文學界』1991年4月臨時増刊「村上春樹ブック」 | 『レキシントンの幽霊』 | |
氷男 | 同上 | 同上 | |
人喰い猫 | 『村上春樹全作品 1979〜1989』第8巻に書き下ろし | 『村上春樹全作品 1979〜1989』第8巻 | |
青が消える (Losing Blue) | 『ル・モンド』1992年 | 『村上春樹全作品 1990~2000』第1巻 | |
ふわふわ | 『NUNO NUNO BOOKS : FUWA FUWA』1998年5月 | 『ふわふわ』 | |
めくらやなぎと、眠る女 | 『文學界』1995年11月号 | 『レキシントンの幽霊』 | |
七番目の男 | 『文藝春秋』1996年2月号 | 同上 | |
レキシントンの幽霊 | 『群像』1996年10月号 | 同上 | |
UFOが釧路に降りる | 『新潮』1999年8月号 | 『神の子どもたちはみな踊る』 | 連作短編。副題は「地震のあとで」。 |
アイロンのある風景 | 『新潮』1999年9月号 | 同上 | 同上 |
神の子どもたちはみな踊る | 『新潮』1999年10月号 | 同上 | 同上 |
タイランド | 『新潮』1999年11月号 | 同上 | 同上 |
かえるくん、東京を救う | 『新潮』1999年12月号 | 同上 | 同上 |
蜂蜜パイ | 『神の子どもたちはみな踊る』に書き下ろし | 同上 | |
バースデイ・ガール | 『バースデイ・ストーリーズ』(2002年12月)に書き下ろし | 『バースデイ・ストーリーズ』 | |
蟹 | 『Stories Magazine』2003年4月号 | 『めくらやなぎと眠る女』 | |
偶然の旅人 | 『新潮』2005年3月号 | 『東京奇譚集』 | 連作短編。副題は「東京奇譚集」。 |
ハナレイ・ベイ | 『新潮』2005年4月号 | 同上 | 同上 |
どこであれそれが見つかりそうな場所で | 『新潮』2005年5月号 | 同上 | 同上 |
日々移動する腎臓のかたちをした石 | 『新潮』2005年6月号 | 同上 | 同上 |
品川猿 | 『東京奇譚集』に書き下ろし | 同上 | |
恋するザムザ | 『恋しくて』(2013年9月)に書き下ろし | 『恋しくて』 | |
ドライブ・マイ・カー | 『文藝春秋』2013年12月号 | 『女のいない男たち』 | 連作短編。副題は「女のいない男たち」。 |
イエスタデイ | 『文藝春秋』2014年1月号 | 同上 | 同上 |
木野 | 『文藝春秋』2014年2月号 | 同上 | 同上 |
独立器官 | 『文藝春秋』2014年3月号 | 同上 | 同上 |
シェエラザード | 『MONKEY』2014年2月15日発行・Vol.2 | 同上 | |
女のいない男たち | 『女のいない男たち』に書き下ろし | 同上 |
書籍
作品名 | 出版社 | 出版年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
中国行きのスロウ・ボート | 中央公論社 | 1983年5月20日 | |
カンガルー日和 | 平凡社 | 1983年9月9日 | 『トレフル』1981年4月号~1983年3月号連載。 |
螢・納屋を焼く・その他の短編 | 新潮社 | 1984年7月1日 | |
回転木馬のデッド・ヒート | 講談社 | 1985年10月15日 | 『IN★POCKET』1983年10月号~1984年12月号掲載。なお2編は書き下ろし。 |
パン屋再襲撃 | 文藝春秋 | 1986年4月10日 | |
TVピープル | 文藝春秋 | 1990年1月25日 | |
レキシントンの幽霊 | 文藝春秋 | 1996年11月30日 | |
神の子どもたちはみな踊る | 新潮社 | 2000年2月25日 | |
象の消滅 短篇選集 1980-1991 | 新潮社 | 2005年3月30日 | 1993年3月にクノップフ社より刊行された短編集『The Elephant Vanishes』の日本語版である。 |
東京奇譚集 | 新潮社 | 2005年9月18日 | |
はじめての文学 村上春樹 | 文藝春秋 | 2006年12月10日 | 「はじめての文学」シリーズ全12巻のうちの一冊。 |
めくらやなぎと眠る女 | 新潮社 | 2009年11月27日 | 2006年7月にクノップフ社より刊行された短編集『Blind Willow, Sleeping Woman』の日本語版である。 |
女のいない男たち | 文藝春秋 | 2014年4月18日 |
超短編・ショートショートなど
作品名 | 出版社 | 出版年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
夢で会いましょう | 冬樹社 | 1981年11月25日 | 共著:糸井重里 |
象工場のハッピーエンド | CBS・ソニー出版 | 1983年12月5日 | 絵:安西水丸 |
夜のくもざる | 平凡社 | 1995年6月10日 | 同上 |
またたび浴びたタマ | 文藝春秋 | 2000年8月30日 | 絵:友沢ミミヨ。回文の本。 |
村上かるた うさぎおいしーフランス人 | 文藝春秋 | 2007年3月29日 | 絵:安西水丸。かるたの本。 |
収録作品の一覧
- 夢で会いましょう
- アイゼンハワー* / アスパラガス* / アンチテーゼ* / インタビュー / インディアン / エレベーター / オイル・サーディン / オニオン・スープ / カーマストラ / カツレツ / クールミント・ガム / グレープ・ドロップス / K / コーヒー / コーヒー・カップ / コンドル / サドン・デス** / シーズン・オフ / シェービング・クリーム / シゲサト・イトイ** / シャングリラ / ジャングル・ブック / スウィート・スー / スクイズ / スター・ウォーズ* / ステレオ・タイプ** / ストレート* / タルカム・パウダー / チャーリー・マニエル / テント / ドーナツ* / バー・トーク / ハイヒール / パン / ビール / ピンボール / フィリップ・マーロウ その1 / フィリップ・マーロウ その2 / ブラジャー / ブルー・スエード・シューズ / ブルーベリー・アイスクリーム / プレイボーイ・パーティー・ジョーク / マッチ / マット / モーツァルト* / ヤクルト・スワローズ / ラーク / ラブレター** / ラジオ / ワム!*
- *1986年6月 講談社文庫版に書き下ろし。**同版で訂正。
- 象工場のハッピーエンド
- カティーサーク自身のための広告 / クリスマス / ある種のコーヒーの飲み方について / ジョン・アプダイクを読むための最良の場所 / FUN, FUN, FUN / 万年筆 / スパゲティー工場の秘密 / マイ・ネーム・イズ・アーチャー / A DAY in THE LIFE / 双子町の双子まつり / マイ・スニーカー・ストーリー / 鏡の中の夕焼け / サヴォイでストンプ / にしんの話 / あとがきにかえて
- にしんの話・あとがきにかえては、1999年2月 『新版 象工場のハッピーエンド』に書き下ろし
- 夜のくもざる
- 「Jプレスの広告」 (1985年4月〜1987年2月『MEN'S CLUB』他)
- ホルン / 鉛筆削り(あるいは幸運としての渡辺昇①) / フリオ・イグレシアス / タイムマシーン(あるいは幸運としての渡辺昇②) / コロッケ / トランプ / 新聞 / ドーナツ化 / アンチテーゼ / うなぎ / 高山典子さんと僕の性欲 / タコ / 虫窪老人の襲撃 / スパナ / ドーナツ、再び /他(詳細不明)
- 「パーカー万年筆の広告」 (1993年4月〜1995年3月『太陽』)
- 夜のくもざる / ずっと昔に国分寺にあったジャズ喫茶のための広告 / 馬が切符を売っている世界 / バンコック・サプライズ / ビール / ことわざ / 構造主義 / 大根おろし / 留守番電話 / ストッキング / 牛乳 / グッド・ニュース / 能率のいい竹馬 / 動物園 / インド屋さん / 天井裏 / もしょもしょ / 激しい雨が降ろうとしている / 嘘つきニコル / 真っ赤な芥子 / 夜中の汽笛について、あるいは物語の効用について /他(詳細不明)
随筆
書籍
作品名 | 出版社 | 出版年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
村上朝日堂 | 若林出版企画 | 1984年7月15日 | 『日刊アルバイトニュース』1982年8月16日号〜1984年5月21日号連載、ほか。 |
映画をめぐる冒険 | 講談社 | 1985年12月24日 | 共著:川本三郎 |
村上朝日堂の逆襲 | 朝日新聞社 | 1986年6月25日 | 『週刊朝日』1985年4月5日号〜1986年4月4日号、1995年11月10日号〜1996年12月27日号連載。 |
ランゲルハンス島の午後 | 光文社 | 1986年11月30日 | 『CLASSY』1984年6月号~1986年5月号連載。 |
THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代 | 文藝春秋 | 1987年2月1日 | 『Sports Graphic Number』1982年4月20日号~1986年2月25日号連載ほか。 |
日出る国の工場 | 平凡社 | 1987年4月1日 | 共著:安西水丸 |
ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック | TBSブリタニカ | 1988年4月8日 | 村上のエッセイ8編、フィッツジェラルドの翻訳2編。 |
村上朝日堂はいほー! | 文化出版局 | 1989年5月20日 | 『ハイファッション』1983年8月号〜1988年12月号連載(ただし1987年を除く)。 |
やがて哀しき外国語 | 講談社 | 1994年2月25日 | 『本』1992年8月号〜1993年11月号連載。 |
うずまき猫のみつけかた―村上朝日堂ジャーナル | 新潮社 | 1996年5月24日 | 『SINRA』7月号〜1995年10月号連載。 |
村上朝日堂はいかにして鍛えられたか | 朝日新聞社 | 1997年6月1日 | 『週刊朝日』1995年11月10日号〜1996年12月27日号連載。 |
若い読者のための短編小説案内 | 文藝春秋 | 1997年10月10日 | 『本の話』1996年1月号〜1997年2月号連載。 |
ポートレイト・イン・ジャズ | 新潮社 | 1997年12月20日 | 共著:和田誠 |
ポートレイト・イン・ジャズ2 | 新潮社 | 2001年4月25日 | 同上 |
村上ラヂオ | マガジンハウス | 2001年6月8日 | 『anan』2000年3月17日号〜2001年3月3日号連載。 |
意味がなければスイングはない | 文藝春秋 | 2005年11月25日 | 『ステレオサウンド』2003年春号〜2005年夏号連載。 |
走ることについて語るときに僕の語ること | 文藝春秋 | 2007年10月15日 | |
村上ソングズ | 中央公論新社 | 2007年12月10日 | 『エスクァイア日本版』2004年9月号〜2005年8月号連載。歌詞の翻訳と和田誠の挿絵が中心。 |
村上春樹 雑文集 | 新潮社 | 2011年1月31日 | |
おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2 | マガジンハウス | 2011年7月7日 | 『anan』2009年10月21日号、2010年3月3日号、2010年3月24日号〜2011年3月23日号連載。 |
サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3 | マガジンハウス | 2012年7月9日 | 『anan』2011年3月30日号〜2012年4月4日号連載。『GINZA』2012年4月号。 |
雑誌・新聞等掲載
- アメリカン・ホラーの代表選手――スティフン・キングを読む (1980年 『happy end通信』3月号 Vol.2 No.2)
- 親子間のジェネレーション・ギャップは危険なテーマ - 『ヤング・ゼネレーション』特集3 (1980年 『キネマ旬報』3月15日号)
- 中年を迎えつつある作家の書き続けることへの宣言が、『ガープの世界』だ (1980年 『happy end通信』8月号 Vol.2 No.7)
- 太陽の眼 (1980年〜1981年 『太陽』)
- 「やさしい」映画を作ろうとするほど映像はデモニッシュになる。『ツィゴイネルワイゼン』 (1980年7月号)
- こんな立派な映画をお子様になんぞ観せておくのはもったいない。『少年の黒い馬』 (1980年8月号)
- 歌舞伎町のゲームセンターで時折感じる〝リアリティー〟。『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』 (1980年9月号)
- 完璧な「書き割り」の平面に、ポランスキーの才気がひかる。『テス』 (1980年10月号)
- カーター→カントリー・ミュージック。人気歌手が唄いまくる。『忍冬の花のように』 (1980年11月号)
- 中産階級的光輝に充ちた映画青年の「哲学」が脈打つ。『ヒポクラテスたち』 (1980年12月号)
- くだらない男は撃ち殺せ! 八〇年代の女はタフにならねば。 『ハンター』と『グロリア』 (1981年1月号)
- 四千メートルの海底からひきずり出された四万六千トンの夢。『レイズ・ザ・タイタニック』 (1981年2月号)
- キューブリックの『シャイニング』は「恐怖」だけが輝いていた。 『シャイニング』 (1981年3月号)
- 防衛庁の隣で、階級闘争的なにっかつポルノを観る。『OL縄奴隷』『ウディー・アレン/セックスのすべて』 (1981年4月号)
- バルト海の底で僕を待ちうけていた鰻たちに関する「テーゼ」。 『ブリキの太鼓』 (1981年5月号)
- 八月の庵 僕の「方丈記」体験 (1981年 『太陽』10月号)
- 同時代としてのアメリカ (1981年〜1982年 『海』)
- 「疲弊の中の恐怖 --スティフン・キング」 (1981年7月号)
- 「誇張された状況論 --ヴェトナム戦争をめぐる作品群」 (1981年9月号)
- 「方法論としてのアナーキズム --フランシス・コッポラと『地獄の黙示録』」 (1981年11月号)
- 「反現代であることの現代性 --ジョン・アーヴィングの小説をめぐって」 (1982年2月号)
- 「都市小説の成立と展開 --チャンドラーとチャンドラー以降」 (1982年5月号)
- 「用意された犠牲者の伝説 --ジム・モリソン/ザ・ドアーズ」 (1982年7月号)
- 日記から (1982年 朝日新聞夕刊 3月29日〜4月10日)
- 僕も今やmarried peopleの一員になった 「いつも二人で」 (1982年11月『私の一本の映画』 キネマ旬報社) 映画『いつも2人で』についてのエッセイ
- 佐々木マキ・ショック・1967 (1984年2月『佐々木マキのナンセンサス世界』 思索社)
- ある編集者の生と死――安原顯氏のこと (2006年 『文藝春秋』4月号)
- The (Generally) Sweet Smell of Youth (2010年 Natsume Soseki『Sanshiro』Penguin Classics所収のIntroduction) 英文。お気に入りの日本の作家は誰かと質問されて真っ先に頭に思い浮かぶ名前が漱石であるという。
- 魂の行き来する道筋 (2012年 朝日新聞朝刊 9月28日)
- 魂のいちばん深いところ 河合隼雄先生の思い出 (『考える人』2013年夏号)
- 球場に行って、ホーム・チームを応援しよう (2013年9月1日 東京ヤクルトスワローズ公式サイト)[106]
- 厚木からの長い道のり --小澤征爾が大西順子と共演した『ラプソディー・イン・ブルー』(『考える人』2013年秋号)
- 村上春樹私的講演録 職業としての小説家 第1回「小説家は寛容な人種なのか」(2013年10月7日発行『MONKEY』Vol.1)
- 村上春樹私的講演録 職業としての小説家 第2回「文学賞について」(2014年2月15日発行『MONKEY』Vol.2)
- こんなに面白い話だったんだ! (2014年2月 新潮社HP「フラニーとズーイ」特設ページ )[107]
- 描かれずに終わった一枚の絵―安西水丸さんのこと― (2014年 『週刊朝日』4月18日号)
- 村上春樹私的講演録 職業としての小説家 第3回「オリジナリティーについて」(2014年6月15日発行『MONKEY』Vol.3)
紀行文・ノンフィクション
作品名 | 出版社 | 出版年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
遠い太鼓 | 講談社 | 1990年6月25日 | |
雨天炎天 | 新潮社 | 1990年8月28日 | 「ギリシャ編 アトス―神様のリアル・ワールド」と「トルコ編 チャイと兵隊と羊―21日間トルコ一周」の二分冊。 |
アンダーグラウンド | 講談社 | 1997年3月20日 | |
辺境・近境 | 新潮社 | 1998年4月23日 | |
約束された場所で―underground 2 | 文藝春秋 | 1998年11月30日 | 『文藝春秋』1998年4月号~11月号連載ほか。 |
もし僕らのことばがウィスキーであったなら | 平凡社 | 1999年12月15日 | 『サントリークォータリー』1997年55号、56号掲載。 |
シドニー! | 文藝春秋 | 2001年1月20日 | |
東京するめクラブ 地球のはぐれ方 | 文藝春秋 | 2004年11月15日 | 『TITLE』2002年10月、11月号、2003年3月号~5月号、7月号、10月号、11月号、2004年1月号掲載。 |
対談集・インタビュー
書籍
作品名 | 出版社 | 出版年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
ウォーク・ドント・ラン | 講談社 | 1981年7月20日 | 共著:村上龍 |
村上春樹、河合隼雄に会いにいく | 岩波書店 | 1996年12月5日 | 共著:河合隼雄 |
翻訳夜話 | 文藝春秋 | 2000年10月20日 | 共著:柴田元幸 |
翻訳夜話2 サリンジャー戦記 | 文藝春秋 | 2003年7月20日 | 同上 |
夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです | 文藝春秋 | 2010年9月 | インタビュー集 |
小澤征爾さんと、音楽について話をする | 新潮社 | 2011年11月30日 | 共著:小澤征爾 |
雑誌・書籍等掲載
- 五人十色 (1984年6月 フィクション・インク) 主著:稲木紫織
- One Author, One Book. 同時代文学の語り部たち (2001年7月 本の雑誌社) 主著:新元良一
- インタビュー『海辺のカフカ』について (2002年 『波』9月号)
- ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち (2004年3月 アルク) 主著:柴田元幸
- 翻訳文学ブックカフェ (2004年9月 本の雑誌社) 主著:新元良一
- 翻訳教室 (2006年2月 新書館) 主著:柴田元幸
- 代表質問 16のインタビュー (2009年6月 新書館) 主著:柴田元幸
- 「成長」を目指して、成しつづけて - 村上春樹インタビュー (2009年 『モンキービジネス』2009年spring号)
- 独占インタビュー&受賞スピーチ 僕はなぜエルサレムに行ったのか (2009年 『文藝春秋』4月号)
- 村上春樹ロングインタビュー (2010年 『考える人』2010年夏号)
- するめ映画館 (2010年10月 文藝春秋) 主著:吉本由美
- 巻頭インタビュー 村上春樹「僕は走り続けてきた、ばかみたいに延々と」 (2011年 『Sports Graphic Number Do』4月号) インタビューの他に読者との質疑応答のページもある。
- 魂のいちばん深いところ 河合隼雄先生の思い出 (『考える人』2013年夏号) 公開インタビューに際してのスピーチ原稿が掲載された。
インターネット関連
作品名 | 出版社 | 出版年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
CD-ROM版村上朝日堂 夢のサーフシティー | 朝日新聞社 | 1998年7月1日 | CD-ROMと書籍。 |
「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? | 朝日新聞社 | 2000年8月1日 | |
CD-ROM版村上朝日堂 スメルジャコフ対織田信長家臣団 | 朝日新聞社 | 2001年4月1日 | CD-ROMと書籍。 |
少年カフカ | 新潮社 | 2003年6月10日 | |
「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? | 朝日新聞社 | 2006年3月30日 | 台湾と韓国の読者からの質問は本書のみに収録。 |
「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける490の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? | 朝日新聞社 | 2006年11月30日 |
絵本
作品名 | 出版社 | 出版年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
羊男のクリスマス | 講談社 | 1985年11月25日 | 絵:佐々木マキ |
ふわふわ | 講談社 | 1998年6月 | 絵:安西水丸 |
ふしぎな図書館 | 講談社 | 2005年1月31日 | 絵:佐々木マキ |
ねむり | 新潮社 | 2010年11月30日 | イラストレーション:カット・メンシック |
パン屋を襲う | 新潮社 | 2013年2月28日 | 同上 |
写真集
作品名 | 出版社 | 出版年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
波の絵、波の話 | 文藝春秋 | 1984年3月25日 | 写真:稲越功一 |
PAPARAZZI | 作品社 | 1990年7月 | 編集:伴田良輔 |
使いみちのない風景 | 朝日出版社 | 1994年12月10日 | 写真:稲越功一 |
辺境・近境 写真篇 | 新潮社 | 1998年5月25日 | 写真:松村映三 |
翻訳
「*」印のついたものは「村上春樹翻訳ライブラリー」(中央公論新社)として刊行されている。
- ジョン・アーヴィング
- クリス・ヴァン・オールズバーグ
- ティム・オブライエン
- ニュークリア・エイジ (1989年10月 文藝春秋、1994年5月 文春文庫)
- 本当の戦争の話をしよう (1990年10月 文藝春秋、1998年2月 文春文庫)
- 世界のすべての七月 (2004年3月 文藝春秋、2009年6月 文春文庫)
- レイモンド・カーヴァー
- ぼくが電話をかけている場所 (1983年7月 中央公論社)
- 夜になると鮭は… (1985年7月 中央公論社)
- ささやかだけど、役に立つこと (1989年4月 中央公論社)
- レイモンド・カーヴァー全集 (全8巻、中央公論社、新版2004年)
- 頼むから静かにしてくれ (1991年2月)*
- 愛について語るときに我々の語ること (1990年8月)*
- 大聖堂 (1990年5月)*
- ファイアズ(炎) (1992年9月)*
- 水と水とが出会うところ / ウルトラマリン (1997年9月)*
- 象 / 滝への新しい小径 (1994年3月)*
- 英雄を謳うまい (2002年7月)*
- 必要になったら電話をかけて (2000年9月)*
- カーヴァー・カントリー (1994年10月 中央公論社)
- CARVER'S DOZEN レイモンド・カーヴァー傑作選 (1994年12月 中央公論社)
- ビギナーズ (2010年3月 中央公論新社)*
- トルーマン・カポーティ
- おじいさんの思い出 (1988年3月 文藝春秋)
- あるクリスマス (1989年12月 文藝春秋)
- クリスマスの思い出 (1990年11月 文藝春秋)
- 誕生日の子どもたち (2002年6月 文藝春秋、2009年6月 文春文庫)
- ティファニーで朝食を (2008年2月 新潮社、同年12月、新潮文庫)
- マイケル・ギルモア(Mikal Gilmore)
- 心臓を貫かれて (1996年10月 文藝春秋、1999年10月 文春文庫全2巻)
- ビル・クロウ(Bill Crow)
- さよならバードランド―あるジャズ・ミュージシャンの回想 (1996年1月 新潮社、1999年2月 新潮文庫)
- ジャズ・アネクドーツ (2000年7月 新潮社、2005年7月 新潮文庫)
- J・D・サリンジャー
- キャッチャー・イン・ザ・ライ (2003年4月 白水社、2006年3月 白水社新書版)
- フラニーとズーイ (2014年2月28日 新潮文庫)
- シェル・シルヴァスタイン
- おおきな木 (2010年9月 あすなろ書房)
- マーク・ストランド(Mark Strand)
- 犬の人生 (1998年10月 中央公論社、2001年11月 中公文庫)*
- ポール・セロー(Paul Theroux)
- ワールズ・エンド(世界の果て) (1987年7月 文藝春秋)*
- スコット・フィッツジェラルド
- マイ・ロスト・シティー (1981年5月 中央公論社)*
- ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック (1988年3月 TBSブリタニカ)*
- バビロンに帰る ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック2(1996年4月 中央公論社)*
- グレート・ギャツビー (2006年11月 中央公論新社、村上春樹翻訳ライブラリー版および愛蔵版)*
- 冬の夢 (中央公論新社、2009年11月、箱入単行本)*
- C・D・B・ブライアン(Courtlandt Bryan)
- 偉大なるデスリフ (1987年11月 新潮社)*
- グレイス・ペイリー(Grace Paley)
- 最後の瞬間のすごく大きな変化 (1999年5月 文藝春秋、2005年7月 文春文庫)
- 人生のちょっとした煩い (2005年6月 文藝春秋、2009年6月 文春文庫)
- マーク・ヘルプリン文、クリス・ヴァン・オールズバーグ画
- 白鳥湖 (1991年12月 河出書房新社)
- アーシュラ・K・ル=グウィン
- 空飛び猫 (1993年3月 講談社)
- 帰ってきた空飛び猫 (1993年12月 講談社)
- 素晴らしいアレキサンダーと、空飛び猫たち (1997年6月 講談社)
- 空を駆けるジェーン-空飛び猫物語 (2001年9月 講談社)
- レイモンド・チャンドラー
- ジム・フジーリ
- ペット・サウンズ (2008年2月 新潮社)
- マーセル・セロー(Marcel Theroux)
- 極北 (2012年4月 中央公論新社)
- ジェフ・ダイヤー(Geoff Dyer)
- バット・ビューティフル (2011年9月 新潮社)[108]
- その他
- and Other Stories―とっておきのアメリカ小説12篇 (1988年9月 文藝春秋、共訳:川本三郎、柴田元幸、畑中佳樹、斎藤英治)
- Sudden Fiction 超短編小説70 (1994年1月 文春文庫、共訳:小川高義)
- 月曜日は最悪だとみんなは言うけれど (2000年5月 中央公論新社)*
- バースデイ・ストーリーズ (2002年12月 中央公論新社)*
- 村上ソングズ (2007年12月 中央公論新社、共著:和田誠)*
- 村上春樹ハイブ・リット (2008年11月 アルク) CDブック
- 私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー (2009年3月 中央公論新社、村上春樹編)*
- 私たちがレイモンド・カーヴァーについて語ること (2011年6月 中央公論新社、サム・ハルパート編)*
- 恋しくて TEN SELECTED LOVE STORIES (2013年9月 中央公論新社、村上春樹編)
- 村上春樹翻訳ライブラリー
- 新書版。中央公論新社から刊行。装丁は和田誠。主な上記作品を、2006年1月より2009年3月にかけ隔月23冊刊行。翌年以降も追加刊行し現在27冊。
映像化された作品
- 風の歌を聴け - 出演:小林薫、真行寺君枝、巻上公一、監督:大森一樹(1981年)
- パン屋襲撃 - 出演:室井滋、監督:山川直人(1982年)
- 100%の女の子 - 原作『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』、出演:室井滋、監督:山川直人(1983年)
- 森の向う側 - 原作『土の中の彼女の小さな犬』、出演:きたやまおさむ、一色彩子、監督:野村恵一(1988年)
- トニー滝谷 - 出演:イッセー尾形、宮沢りえ、監督:市川準(2004年)
- 神の子どもたちはみな踊る - 出演:ジェイソン・リュウ、ジョアン・チェン、ソニア・キンスキー、監督:ロバート・ログヴァル(2008年)
- 四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて[109] - 出演:Takayuki Onosaka、監督:トム・フリント(2008年)
- ノルウェイの森 - 出演:松山ケンイチ、菊地凛子、水原希子、監督:トラン・アン・ユン(2010年)
- パン屋再襲撃 - 出演:キルスティン・ダンスト、ブライアン・ジェラティ、監督:カルロス・キュアロン(2010年)
参考文献
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- テンプレート:Cite book - 責任表示:柴田元幸・沼野充義・藤井省三・四方田犬彦 編。
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- テンプレート:Cite book
脚注
注釈
出典
外部リンク
- Features: Haruki Murakami (英語) - Random House, Inc.
- テンプレート:Cite news (2006年7月1日) - Ben Naparstekによるインタビュー記事
- テンプレート:Cite news
- 「村上春樹文学誕生の秘密-上田秋成から20世紀アメリカの作家達」(pdf)兵庫県立図書館
テンプレート:S-hou
テンプレート:S-ach
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
(村上春樹が初代)
|style="width:40%; text-align:center"|バークレー日本賞
村上春樹
2008年
|style="width:30%"|次代:
宮崎駿
2009年
- 転送 Template:End
- ↑ 柴田元幸編・訳『ナイン・インタビューズ - 柴田元幸と9人の作家たち』株式会社アルク、2004年、259頁。
- ↑ 『村上朝日堂の逆襲』新潮文庫、23頁。
- ↑ 『村上朝日堂』新潮文庫、136頁。
- ↑ 『夢のサーフシティー』朝日新聞社、1998年7月、読者&村上春樹フォーラム91。
- ↑ 『村上朝日堂』新潮文庫、58頁。
- ↑ 6.0 6.1 テンプレート:Cite news
- ↑ 『村上朝日堂の逆襲』新潮文庫、109頁。
- ↑ 8.0 8.1 『やがて哀しき外国語』講談社、1994年2月。
- ↑ 9.0 9.1 9.2 横山政男「群像新人文学賞=村上春樹さん(29歳)は、レコード三千枚所有のジャズ喫茶店店主」『週刊朝日』朝日新聞社、1979年5月4日号。
- ↑ 『村上朝日堂』新潮文庫、56頁。
- ↑ 村上春樹・河合隼雄『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』岩波書店、1996年、12頁-13頁。なお収録されている河合との対談は1995年11月に行なわれたもの。
- ↑ 同上、70頁。
- ↑ 「物語はいつも自発的でなければならない」『広告批評』1999年10月号。
- ↑ 柴田元幸『翻訳教室』新書館、2006年2月、151頁。
- ↑ テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
- ↑ 物語の力―村上春樹氏インタビュー(上) 『中日新聞』、2008年4月18日付夕刊、6面。
- ↑ 都甲幸治『偽アメリカ文学の誕生』水声社、2009年6月。
- ↑ Q・ジョーンズ、村上春樹に名誉学位 米プリンストン大 CNN、2008年6月8日閲覧。プリンストン大学のウェブサイト Princeton awards five honorary degrees Karin Dienst、2008年6月8日閲覧。
- ↑ 村上春樹さん、エルサレム賞記念講演でガザ攻撃を批判 朝日新聞、2008年3月1日閲覧。
- ↑ 大阪の団体、村上春樹さんに「エルサレム賞」辞退求める 朝日新聞、2009年2月10日閲覧。
- ↑ テンプレート:Cite news実際の講演の録音起こし。
- ↑ テンプレート:Cite news テンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:Cite news テンプレート:リンク切れ
- ↑ 24.0 24.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ サッポロビール2012年企業広告特別篇について ~ 村上春樹さんが初めてCMナレーションを執筆、監督は是枝裕和さん ~サッポロビール株式会社
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 柴田『ナイン・インタビューズ』前掲書、286頁。
- ↑ 31.0 31.1 新元良一『翻訳文学ブックカフェ』本の雑誌社、2004年9月、256頁。
- ↑ 斎藤環「解離の技法と歴史的外傷」『ユリイカ臨時増刊 村上春樹を読む』青土社、2000年、65-66頁。
- ↑ 『「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』朝日新聞社、2006年3月、185頁、197頁。
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 35.0 35.1 村上春樹(聞き手:大鋸一正)「[Eメールインタビュー]言葉という激しい武器」ユリイカ臨時増刊 村上春樹を読む』前掲書、11-12頁。
- ↑ 『「これだけは、村上さんに言っておこう」』前掲書、204頁。
- ↑ 37.0 37.1 柴田『翻訳教室』前掲書、187-188頁。
- ↑ 柴田『ナイン・インタビューズ』前掲書、258-259頁。
- ↑ 私的言語論の参照:
- 私的言語論(en:Private language argument)
- ソール・A・クリプキ 『Wittgenstein on Rules and Private Language』 ハーバード大学出版 1982年 ISBN 0-674-95401-7
- 日本語訳: 黒崎宏 『ウィトゲンシュタインのパラドックス - 規則・私的言語・他人の心 - 』 産業図書 1983年1月 ISBN 978-4782800171
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 丸谷才一「『風の歌を聴け』評」『群像日本の作家26 村上春樹』所収、小学館、1996年。
- ↑ 東京紅団「村上春樹と芥川賞」
- ↑ 柄谷行人「村上春樹と『風景』」『終焉をめぐって』福武書店、1990年。
- ↑ 渡部直己「村上春樹とその周囲」『不敬文学論序説』太田出版、1999年、238-249頁。
- ↑ 蓮實重彦「『結婚詐欺』からケイリー・グラントへ」『早稲田文学』2003年7月号、4頁。
- ↑ 46.0 46.1 斎藤美奈子「村上春樹 ゲーム批評にあけくれて」、『文壇アイドル論』、岩波書店(ISBN 4-00-024613-5)。
- ↑ 田中康夫『ファディッシュ考現学2』新潮文庫、97-98頁。
- ↑ 渡辺美恵子。慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻卒業。詩人、画家。國學院大學講師。「女のいない死の楽園 供犠の身体・三島由紀夫」で第一回女性文化賞受賞。
- ↑ 渡辺みえこ 『語り得ぬもの:村上春樹の女性(レズビアン)表象』 御茶の水書房、2009年7月、ISBN 978-4275008398
- ↑ 「『ノルウェイの森』を徹底批判する−極私的村上春樹論」『反=文藝評論』(新曜社)所収、262頁。
- ↑ 「『ノルウェイの森』を徹底批判する−極私的村上春樹論」『反=文藝評論』(新曜社)所収、279頁。
- ↑ 『村上春樹スタディーズ 04』若草書房、1999年9月、251頁。
- ↑ 『村上春樹スタディーズ 04』前掲書、234頁。
- ↑ 【豊崎由美氏インタビュー】1冊1冊と踊る書評のために──書評というジャンルの現在とこれから | ビジネス+IT
- ↑ 金井美恵子『目白雑録5 小さいもの、大きいこと』朝日新聞出版、2013年9月。
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 福田和也『作家の値うち』飛鳥新社、2000年4月、214頁。
- ↑ 内田樹の研究室 2004年9月17日「After dark till dawn」
- ↑ ハルキスト諏訪哲史、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』……を読む 『七ツ寺通信+α Vol.32』七ツ寺共同スタジオ、2013年6月。
- ↑ 「読売新聞」2009年6月7日朝刊
- ↑ 高橋秀実/村上さんってどんな人? | 村上春樹『村上春樹 雑文集』新潮社
- ↑ 小川洋子『博士の本棚』新潮社、2007年7月、273頁 「『中国行きのスロウ・ボート』を開きたくなる時」。
- ↑ 『文藝』2006年夏季号、「特集:高橋源一郎」。
- ↑ 三浦雅士『村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ』新書館、2003年7月、161頁。
- ↑ 66.0 66.1 新党日本のYouTubeチャンネル「LoveNippon」2009年2月27日付を参照(村上「壁と卵」春樹とは)
- ↑ 67.0 67.1 67.2 『ソトコト.net』 田中康夫と浅田彰の「憂国呆談@WEB」参照(村上春樹の「壁と卵」に物申す)。
- ↑ 朝日新聞、2009年2月25日付、文芸批評欄。
- ↑ 69.0 69.1 『考える人』 2010年夏号「村上春樹ロングインタビュー」。
- ↑ 『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』新潮文庫、98頁。
- ↑ 『走ることについて語るときに僕の語ること』文藝春秋、2007年10月。
- ↑ 『「ひとつ、村上さんでやってみるか」』前掲書、46頁。
- ↑ 【Swallows CREW】名誉会員に村上春樹さんが就任 東京ヤクルトスワローズ プレスリリース 2013年9月1日付
- ↑ 村上春樹氏 ヤクルトFC2人目の名誉会員に エッセイも寄稿 スポーツニッポン 2013年9月1日閲覧
- ↑ 英語圏におけるインタビューは、都甲幸治『偽アメリカ文学の誕生』(水声社)を参照。
- ↑ 柴田『翻訳教室』前掲書、187-188頁。
- ↑ 『「ひとつ、村上さんでやってみるか」』前掲書、375頁。
- ↑ 『村上朝日堂の逆襲』新潮文庫、206頁。
- ↑ 『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』新潮文庫、132頁。
- ↑ 『うずまき猫のみつけかた―村上朝日堂ジャーナル』新潮文庫、71頁。
- ↑ 京都大学でのインタビュー
- ↑ 『村上朝日堂』新潮文庫、138頁。『村上朝日堂の逆襲』新潮文庫、65頁。
- ↑ 村上龍「ノルウェイの森」『村上龍全エッセイ1987-1991』講談社、1991年。村上龍「オレは十七歳だが、とても忙しい、その理由は、しっかり者だからだ」『走れタカハシ』講談社、1986年。
- ↑ 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』新潮文庫、207-208頁。
- ↑ ジョン・アーヴィング『熊を放つ』中央公論社、1986年5月、訳者あとがき
- ↑ 『女のいない男たち』文藝春秋、2014年4月、まえがき、9頁。
- ↑ 『文藝春秋』2006年4月号、262-263頁。
- ↑ 『文藝春秋』2006年4月号、264-265頁。
- ↑ 『文藝春秋』2006年4月号、276-277頁。
- ↑ 『「ひとつ、村上さんでやってみるか」』前掲書、33頁、76-77頁。
- ↑ 91.0 91.1 『群像日本の作家 26 村上春樹』小学館、1997年5月、178-181頁 「村上春樹さんについてのいろいろ」
- ↑ 『村上朝日堂』前掲書、100頁。
- ↑ 『「これだけは、村上さんに言っておこう」』前掲書、25頁。
- ↑ 『夢のサーフシティー』前掲書、読者&村上春樹フォーラム93。
- ↑ 『夢のサーフシティー』前掲書、読者&村上春樹フォーラム65。
- ↑ 信濃毎日新聞、2008年3月30日付。
- ↑ 「村上春樹 公開インタビュー」に応募されたみなさまへ
- ↑ フォーサイト2003年10月号 目次 - 新潮社公式サイト。
- ↑ フォーサイト2003年11月号 目次 - 新潮社公式サイト。
- ↑ 『村上春樹スタディーズ 05』若草書房、1999年10月、162頁。
- ↑ 『文藝春秋』2009年4月号、158頁。
- ↑ 「米国文化への愛感じる」 村上春樹作品の翻訳者に聞くBOOK asahi.com (朝日新聞社の書評サイト)
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ Université de Liège - Presse et Communication - リエージュ大学公式サイト。テンプレート:リンク切れ
- ↑ Université de Liège Rentrée académique 2007 - リエージュ大学公式サイト。
- ↑ Swallows CREW 名誉会員 村上春樹さん東京ヤクルトスワローズ公式サイト
- ↑ 〈村上春樹 特別エッセイ〉こんなに面白い話だったんだ!(全編)新潮社公式サイト
- ↑ 新潮社(書籍詳細)
- ↑ 四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて視聴無料の映画 - ショートフィルム映画祭 - CON-CAN ムービーフェスティバル
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