1973年のピンボール

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1973年のピンボール』 (せんきゅうひゃくななじゅうさんねんのピンボール) は、村上春樹の2作目の長編小説

概要

デビュー作『風の歌を聴け』から9箇月後、文芸誌『群像1980年3月号に発表された。同年6月、講談社より単行本化された。表紙の絵は佐々木マキ。第83回芥川賞(1980年上半期)候補作でもあった。1983年9月、講談社文庫として文庫化された。タイトルは大江健三郎の『万延元年のフットボール』のパロディという説がある[1]

「僕と鼠もの」シリーズの第2作目。1973年9月に始まり、11月に終わる、「僕」の話であるとともに友人の「鼠」の話で、ピンボールについての小説という形をとる。第1章から第25章まで、「僕」の物語の章と鼠の物語の章に分かれ、二つの物語系列がパラレル(平行)に進行していく。

村上は当初、小説をリアリズムで書こうとしたが挫折し、「鼠」の章のみリアリズムで書いたと述べている[2]

多くの村上作品が日本国外に翻訳・紹介されているが、初期の長編2作は講談社英語文庫の英訳版(『Hear the Wind Sing』と『Pinball, 1973』)が存在するにもかかわらず、村上自身が初期の長編2作を「自身が未熟な時代の作品」と評価しており、日本国外における英訳版の出版は行われていない[3]

あらすじ

「僕」の物語

1973年、大学を卒業し翻訳で生計を立てていた「僕」は、ふとしたことから双子の女の子と共同生活を始めることになる。そんなある日、「僕」の心をピンボールが捉える。1970年ジェイズ・バーで「鼠」が好んでプレイし、その後「僕」も夢中になったスリーフリッパーのピンボール台「スペースシップ」を捜し始める。

「鼠」の物語

鼠は1970年に大学を辞めて以来、故郷の街のジェイズ・バーに通ってバーテンジェイを相手に現実感のない日々を送っていた。1973年9月不要物売買コーナーを通して女と知り合うが……

登場人物

作中の語り手。友人と翻訳専門の事務所を設立し、英語の翻訳をしている。郊外のアパートに住んでいる。
双子の女の子
「僕」の同居人。トレーナー・シャツの胸にある208と209のプリントでしか見分けがつかない。
友人
「僕」と翻訳専門の事務所を設立し、フランス語の翻訳をしている。
事務員の女の子
ビジネススクールを卒業し、「僕」らの事務所に勤める。ビートルズの『ペニー・レイン』をサビ抜きで1日に20回も口ずさむ以外にはこれといった欠点はない。
1970年に大学をやめて以来、現実感を喪失している。
ジェイ
ジェイズ・バーバーテンダー。中国人。片手の猫と暮らしている。
鼠の女
突堤の近くのアパートに住む。美術大学の建築学科を卒業し、設計事務所に勤めている。
直子
1969年に「僕」とつきあっていたが死亡している。
井戸掘り職人
井戸掘りの天才。直子が17歳の秋に列車に轢かれ死亡。
直子の父
仏文学者。大学の職を辞してからは古い書物の翻訳をしていた。
髪の長い少女
「僕」が大学生の時に同じアパートに住んでいた。1970年3月大学をやめ故郷に帰る。
土星生まれの男
大学の一部を占拠する政治的なグループに所属。
ピンボールのコレクター
もと養鶏所の倉庫に78台のピンボール・マシンを集めている
ピンボール・マニアのスペイン語講師
電話局の男
金星生まれの男
ピンボール会社の集金人兼修理人

翻訳

翻訳言語 翻訳者 発行日 発行元
英語 アルフレッド・バーンバウム 1985年9月 講談社英語文庫
ロシア語 Вадим Смоленский 2002年 Eksmo
韓国語 金蘭周(キム・ナンジュ) 1997年1月15日 열림원
ユン・ソンウォン 2007年12月 文学思想社
中国語 (繁体字) 頼明珠 1992年2月25日 時報文化
中国語 (簡体字) 林少華 2008年8月 上海訳文出版社
タイ語 นพดล เวชสวัสดิ์ 2002年11月 สำนักพิมพ์แม่ไก่ขยัน

脚注

  1. ウォーク・ドント・ラン』(1981年7月、講談社)21-22頁で、村上本人はこう述べている。「ぼくは、一つの言葉から、なんかつくるっていうの好きなんですよね。『1973年のピンボール』にしても、まず、ピンボールについての小説を書きたい。ピンボールっていう題があるから、じゃ、年号をつけようか。〝1973年のピンボール〟でいこう、と。」
  2. 「聞き書 村上春樹この十年 1979年~1988年」『村上春樹ブック』(『文學界』1991年4月臨時増刊)。
  3. 都甲幸治『偽アメリカ文学の誕生』(水声社)

関連項目

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