海辺のカフカ
『海辺のカフカ』(うみべのカフカ)は、村上春樹の長編小説。15歳の少年、田村カフカをめぐる物語である。
目次
概要
2002年9月12日、新潮社より上下二分冊で刊行された。2005年3月2日、新潮文庫として文庫化された。
2005年にフィリップ・ガブリエルにより訳された英語版『Kafka on the Shore』は、「ニューヨーク・タイムズ」紙で年間の「ベストブック10冊」及び世界幻想文学大賞に選出された[1][2]。
ギリシア悲劇と日本の古典文学を下敷きにした長編小説であり、フランツ・カフカの思想的影響のもと[3]ギリシア悲劇のエディプス王の物語と、『源氏物語』や『雨月物語』などの日本の古典小説が物語の各所で用いられている。20代後半から30代前半の主人公が多い村上小説にしては珍しく、15歳の少年「僕」が主人公で、不思議な世界を自ら行き来しながら、心の成長を遂げていく物語である。また本作は『ねじまき鳥クロニクル』からの暴力、戦争といったテーマが引き継がれており、生々しい残虐なシーンも同様に登場する。
『海辺のカフカ』のホームページが2002年9月12日から2003年2月14日まで設けられた。その間、13歳から70歳まで、アメリカ、韓国など世界各国からも寄せられた感想や質問はのちに『少年カフカ』(新潮社、2003年6月10日刊)に収録された。
本作は演出家の蜷川幸雄によってこれまでに2度舞台化された。1度目は2012年5月から6月にかけて上演された。2度目の公演は2014年6月から7月にかけて国内で、2015年5月にロンドンで、同年7月にニューヨークで行われる予定[4]。
特徴
多様な解釈が許されるストーリーが展開されている。実際に『少年カフカ』では、物語の内容に関する多くの質問が寄せられているが、村上は読者それぞれの解釈を重要視しており、答えを明示していない[5]。
世界背景は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と『ねじまき鳥クロニクル』を融合したものを下地にしている。例として、読み進めていくうちに謎の全貌が明らかにされていくといった推理小説風の手法と世界を異にした2人の主人公によって語られるパラレル(平行)進行、村上春樹の作風でもある「非現実」の舞台回しとしての「夢」や戦後世代的な戦争観からくる「暴力」「旧日本軍」「絶対悪」ほか「森」「影」などのキーワード、物語の終盤で姿を現した「森の中枢の世界」の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』にある「世界の終り」の街との類似性、などが挙げられる。
「僕」の章は一人称および二人称現在形、「ナカタさん」の章は三人称過去形で物語られる。
あらすじ
「僕」田村カフカは東京都中野区野方に住む15歳の中学3年生である。父親にかけかられた呪いから逃れるために家出を決心し、東京発の深夜バスを四国の高松で降りる。少年は高松の私立図書館に通うようになる。
ナカタもまた野方に住む、知的障害のある老人であった。通称「猫殺し」の男を殺害し、東京を離れる。その頃ちょうど少年は、図書館の司書の大島から父親が自宅で殺されたニュースを知らされた。ナカタはトラック運転手の星野の力を借りて「入り口の石」を探すことになる。
やがて警察の手がのびる。大島が提供してくれた森の隠れ家に移り、少年はさらに森の奥の異界へと迷い入るが、現実へ戻ることを決意し、岡山から新幹線に乗って東京への帰途につく。
登場人物
- 僕(田村カフカ)
- 父親から「「母と交わり父を殺し、姉とも交わる」という呪いをかけられたため、家出を決意する。読書好き。自立心・自制心に優れるが、反面、抑制的で孤独癖のある少年。名前を尋ねられた際には「カフカ」という偽名を名乗る。これはフランツ・カフカからの借用であると共に、チェコ語でカラスという意味をあらわす。四国で数々の試練に立ち向かう。
- カラスと呼ばれる少年
- 主人公にアドバイスを与える謎の少年。
- 大島さん
- 高松の甲村記念図書館の司書。
- 佐伯さん
- 甲村記念図書館の管理を任されている女性。50歳。過去に恋人を亡くしている。
- さくら
- 「僕」が夜行バスの中で出会った若い女性美容師。
- ナカタさん(ナカタサトル)
- もう一人の主人公。猫探しを得意とする。一人称は「ナカタ」であり、「ナカタは~であります」「ナカタは~なのです」と特徴的な喋り方をする。幼少の頃、疎開先で「お椀山事件」に遭遇して、全ての記憶と読み書きの能力を失った。その代わりに、猫と話ができるようになった。
- 星野
- ナカタさんと道中を共にすることになったトラック運転手の青年。元自衛隊員で中日ドラゴンズのファン。数年前に亡くした祖父と似た雰囲気を持つナカタさんに、親しみをおぼえる。
- ジョニー・ウォーカー
- ウィスキーのラベルの人物に扮した謎の人物。近辺の猫をさらって殺していた、通称「猫殺し」。
- カーネル・サンダーズ
- ケンタッキーフライドチキンの創業者の扮装をした謎の人物。星野青年に「入り口の石」のありかを教える。
- ゴマ
- 行方不明の猫。この迷い猫の捜索からナカタさんは数奇な運命へ導かれる。
- ミミ
- 上品なシャム猫。名前の由来はプッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』の中の『私の名はミミ』より。
翻訳
翻訳言語 | タイトル | 翻訳者 | 発行日 | 発行元 |
---|---|---|---|---|
英語 | Kafka on the Shore | フィリップ・ガブリエル | 2005年1月6日 | Harvill Press(英国) |
2005年1月26日 | Knopf(米国) | |||
ドイツ語 | Kafka am Strand | Ursula Gräfe | 2004年2月25日 | DuMont Buchverlag |
フランス語 | Kafka sur le rivage | Corinne Atlan | 2005年12月20日 | Belfond |
イタリア語 | Kafka sulla spiaggia | ジョルジョ・アミトラーノ | 2008年3月 | Einaudi |
スペイン語 | Kafka en la orilla | Lourds Porta Fuentes | 2006年11月 | Tusquest Editores |
カタルーニャ語 | Kafka a la platja | Albert Nolla | 2006年 | Labutxaca |
ポルトガル語 | Kafka à beira-mar | Maria João Lourenço | 2006年 | Casa das Letras (ポルトガル) |
Kafka à beira-mar | Leiko Gotoda | 2008年3月10日 | Alfaguara(ブラジル) | |
オランダ語 | Kafka op het strand | ヤコバス・ウェスタホーヴェン | 2009年9月 | Atlas |
デンマーク語 | Kafka på stranden | Mette Holm | 2007年 | Klim |
ノルウェー語 | Kafka på stranden | Ika Kaminka | 2005年 | Pax forlag |
スウェーデン語 | Kafka på stranden | Eiko Duke, Yukiko Duke | 2006年 | Norstedts |
フィンランド語 | Kafka rannalla | Juhani Lindholm | 2009年3月 | Tammi |
ポーランド語 | Kafka nad morzem | Anna Zielińska-Elliott | 2007年 | Wydawnictwo MUZA SA |
チェコ語 | Kafka na pobřeží | Tomáš Jurkovič | 2006年 | Odeon |
ハンガリー語 | Kafka a tengerparton | Erdős György | 2006年 | Geopen Könyvkiadó Kft. |
ルーマニア語 | Kafka pe malul mării | Iuliana Oprina | 2006年 | Polirom |
ブルガリア語 | Кафка на плажа | Людмил Люцканов | 2006年 | Колибри |
ロシア語 | Кафка на пляже | Иван Логачев, Сергей Логачев |
2004年 | Eksmo |
エストニア語 | Kafka mererannas | Kati Lindström | 2008年8月 | Varrak |
ラトビア語 | Kafka liedagā | Ingūna Bek̦ere | 2012年 | Zvaigzne ABC |
リトアニア語 | Kafka pakrantėje | Ieva Stasiūnaitė | 2007年 | Baltos lankos |
トルコ語 | Sahilde Kafka | Hüseyin Can Erkin | 2009年11月 | Doğan Kitap |
ヘブライ語 | קפקא על החוף | Einat Cooper | 2007年 | Keter Publishing House |
韓国語 | 해변의 카프카 | 金春美(キム・チュンミ) | 2003年7月 | 文学思想社 |
中国語 (繁体字) | 海邊的卡夫卡 | 頼明珠 | 2003年 | 時報文化 |
中国語 (簡体字) | 海边的卡夫卡 | 林少華 | 上海訳文出版社 | |
ベトナム語 | Kafka bên bờ biển | Dương Tường | 2007年 | Nhã Nam |
初版と現行版の本文異同
以下は単行本初版(2002年9月10発行)と文庫本(2005年3月1日発行)との本文異同である。
初版 | 現行版 | |
---|---|---|
上巻 p100 |
(月曜日はべつだ。月曜日は甲村図書館が休みなので、かわりに大きな公立の図書館に行った) | 削除 |
上巻 p270 |
マクドナルド、セブン-イレブン、ローソン、すかいらーく、デニーズ……、騒音に満ちた現実が僕らを取りかこんでいく。 | マクドナルド、ファミリーマート、ローソン、吉野家……、騒音に満ちた現実が僕らを取りかこんでいく。 |
上巻 p275 |
二人が過失致死罪で、短い懲役刑を宣告された。 | 二人が傷害致死罪で、短い懲役刑を宣告された。 |
上巻 p309 |
大島さんはチノパンツのポケットから財布を出し、そこからプラスチックの運転免許証を抜きだして彼女に渡す。 | 大島さんはチノパンツのポケットから財布を出し、プラスチックのカードをとって彼女に渡す。写真入りのIDカード。たぶん何か病院の関係のものだろう。 |
上巻 p368 |
市内に計理士の事務所を持っている経営者の息子には | 市内に税理士の事務所を持っている経営者の息子には |
下巻 p247 |
僕は夜中に激しい喉の渇きで目を覚まし、寝袋から出て水道の水を飲む。 | 僕は夜中に激しい喉の渇きで目を覚まし、寝袋から出て水を飲む。 |
下巻 p337 |
台所には電気冷蔵庫がある。東芝製の、それほど大きくない古い型の電気冷蔵庫だ。 | 台所には電気冷蔵庫がある。それほど大きくない古い型の電気冷蔵庫だ。 |
下巻 p341 |
古いかたちの三菱製のカラーテレビがこの部屋にあるただひとつの家具だ。 | 古いかたちのカラーテレビがこの部屋にあるただひとつの家具だ。 |
その他
- カーネル・サンダーズが星野青年に向かって、「ロシアの作家アントン・チェーホフがうまいことを言っている。『もし物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない』ってな。どういうことかわかるか?」「チェーホフが言いたいのはこういうことだ。必然性というのは、自立した概念なんだ」「お前の抱えている石は、チェーホフの言うところの『拳銃』なんだ」と言う場面がある[6]。
- 村上はのちに『1Q84』の登場人物にも同様のことを言わせている。拳銃をひとつ用意してほしいと頼む青豆にタマルは次のように言う。「チェーホフがこう言っている。物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない、と」「物語の中に、必然性のない小道具は持ち出すなということだよ」[7]
- カフカ少年は「人が生きながら幽霊になることってあるの?」と大島さんに尋ねる。大島さんは「たとえば『源氏物語』の世界は生き霊で満ちている」「紫式部の生きていた時代にあっては、生き霊というのは怪奇現象であると同時に、すぐそこにあるごく自然な心の状態だった。そのふたつの種類の闇をべつべつに分けて考えることは、当時の人々にはたぶん不可能だっただろうね」と答えている[8]。
- 村上自身も河合隼雄と1995年に行った対談の中で、同じような質問をしている。「『源氏物語』の中にある超自然性というのは、現実の一部として存在したものなんでしょうかね」という問いかけに対する河合の返答は、「あんなの(注・怨霊等)はまったく現実だとぼくは思います」「もう全部あったことだと思いますね」[9]
舞台(2012年版)
蜷川幸雄の演出、フランク・ギャラティの脚本。日本人演出家による村上春樹作品の舞台化は初めてである。主演は舞台初出演の柳楽優弥。
日程・会場
- 2012年5月3日 - 5月20日 (彩の国さいたま芸術劇場 大ホール)
- 2012年6月21日 - 6月24日 (イオン化粧品シアターBRAVA!)
キャスト
舞台(2014年版)
演出、脚本は2012年版と同じ。主人公のカフカ役は、オーディションで抜擢された古畑新之。
日程・会場
- 2014年6月1日 - 6月7日 (彩の国さいたま芸術劇場 大ホール)
- 2014年6月13日 - 6月16日(シアターBRAVA!)
- 2014年6月21日 - 7月5日 (赤坂ACTシアター)
- 2014年7月11日 - 7月13日(北九州芸術劇場)
キャスト
脚注
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 村上は、たとえばこれを「まわりにある抑圧的な現実を冷静に観察し、そこから自分にとっての有効な現実を真摯に、物静かに追求していく」こととしている。(村上春樹、安西水丸『「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』朝日新聞社、2006年3月、200頁。
- ↑ 舞台『海辺のカフカ』公式ブログ 2013年8月27日
- ↑ 村上春樹『少年カフカ』新潮社、2003年6月。
- ↑ 本書 文庫版 下巻 127-128頁。
- ↑ 『1Q84』BOOK 2、新潮社、33頁。
- ↑ 本書 文庫版 上巻 474-476頁。
- ↑ 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』新潮文庫、143頁。