イッセー尾形
イッセー尾形(イッセーおがた、1952年2月22日 -)は、日本の俳優。一人芝居のスタイルを確立し、日本における一人芝居の第一人者となる。
目次
来歴・人物
本名は尾形 一成(おがた かずしげ)。「一成」の名は宇垣一成に因むという。[1]芸名の「イッセー」は、本名の音読みからつけたものである。
福岡県福岡市生まれ。父は保険会社のサラリーマンで転勤を繰り返し、まもなく北九州市小倉に移り、幼稚園から小学校1年まで長崎県佐世保市、その後また福岡市に戻り小学校3年の時、東京都杉並区に引越す[2]。高校3年の時千葉県津田沼に移る。東京都立豊多摩高等学校卒業。江戸川区西葛西在住。
日本テレビの『お笑いスター誕生!!』で金賞を獲得して広く認知されるようになった。この直後の『意地悪ばあさん』(青島幸男主演)では早野金造巡査を演じ、認知度は一気に高まった。
現在では日本国内のみならずアメリカやヨーロッパといった海外でも巡業を行っている。また一人芝居の他にも桃井かおりや小松政夫との二人芝居、映画、ドラマ・CM・司会、小説の執筆、絵画など幅広く活動を行なっている。
生前の渥美清が、その才能を高く評価した。
2009年3月10日に服用した皮膚病の薬のアレルギーで一時入院、[3]翌日には退院した。
『意地悪ばあさん』は1982年にレギュラー番組が終了した後、月曜ドラマランド枠の単発スペシャルが放送されたが、1983年10月の第1作で早野は警察をクビになって波多野医院(ばあさんの長男のシゲル(佐藤英夫が演じた)が経営する医院)の事務長になっている。しかし不評だったのか1984年4月の次作以降は警察官に戻っている。それほどイッセー尾形=早野巡査のイメージは強かった。 『お笑いスター誕生』に出演していた頃。折からの漫才ブームの中で観客は“爆笑型”の笑いを求める傾向にあり、イッセーの芸風は他の出演者に比べて地味な印象があった。「自分も爆笑型をやった方がいいのだろうか」と悩み、爆笑型のネタを作り収録前のリハーサルで披露した。しかし番組のディレクターから「イッセー君は、そういうのとは違うんじゃない?」とアドバイスされ、自分のスタイルを貫くことに自信を持った。
一人芝居のスタイル
平均して公演は1時間30分~1時間45分前後で、6演目前後のネタが披露される。ひとネタは10分から20分前後で、暗転に始まり暗転に終わる。ネタが演じられている間は、照明や音響効果が施されることはほとんどない(演出上それらが使用される場合もあり、その際には非常に劇的な効果が見られる)。ネタとネタの間の着替えはBGMとともに照明がついた状態で行われ、観客は衣装替えやメイクの過程を見ながら次のネタへの推理を働かせることが出来る。公演の最後は「歌ネタ」と呼ばれる、楽器(ギター、チェロ等)を使用したネタが演じられるのが通例。 基本的に、芝居はイスや携帯電話など最小限の小道具と衣装だけで行われる。ネタの内容は市井の人物が、誰かと掛け合っているシチュエーションが主で、一種落語的ではあるものの、落語と違って状況説明は一切行われない。演目名さえ劇中では明かされず、終演後に公演劇場のロビーの掲示板などで示されるのみである。つまり、新ネタが演じられると観客は当初、その状況をまったく把握できないわけだが、時間を追うごとにイッセーの演技によって状況が理解できるようになり、そのミステリアスかつ知的にスリリングな展開もイッセーの舞台の大きな魅力となっている。作品の全ては演出家の森田雄三と打ち合わせながら作られ、アドリブのように見える自然なセリフ回しも、公演に上げられた段階でほぼ完璧に作り上げられている。複数の公演における同じネタを比較しても(間合いなどに微妙な変化があったとしても、ビデオで確認してさえ)セリフはほとんど同一で変わらない。これは年月が隔たった公演における同一ネタの再演の場合でも同様で、イッセーの驚異的・天才的な記憶力がうかがわれる。
出演作品
テレビドラマ
- ザ・ハングマン(1980年-1981年、ABC松竹芸能)第44話「人狩り村に潜入せよ」- 武田正男 役
- 野々村病院物語II(1982年 - 1983年、TBS) - 延命順作 役
- 意地悪ばあさん(1981年 - 1989年、フジテレビ)
- 藤子不二雄の夢カメラ(1986年3月3日、1987年3月2日) - ヨドバ 役
- ビートたけしの学問のススメ
- お坊っチャマにはわかるまい!(1986年、TBS)
- まんが道(銀河テレビ小説)(1987年)
- 凛凛と(1990年、NHK)
- 大河ドラマ(NHK)
- くろしおの恋人たち(ドラマ新銀河)(1994年)
- やさしい関係(ドラマ新銀河)(1995年)
- 都会のタコツボ師1~3
- 男たちの運動会
- ラベンダーの風吹く丘
- 花へんろ
- さよなら李香蘭
- くらげが眠るまで(1998年 - 1999年)
- イッセー尾形の「たった二人の人生ドラマ」(2006年、NHK)
- つばさ(NHK) - ラジオの男役、ナレーション
- 天使のわけまえ(NHK) - おっさん〈佐藤喜市〉 役
- 松本清張没後20年特別企画・市長死す(2012年4月3日、フジテレビ) - 田山与太郎 役
- PRICELESS〜あるわけねぇだろ、んなもん!〜(2012年10月 - 12月、フジテレビ) - 財前修 役
- よる★ドラ『恋するハエ女(2012年11月 - 12月、NHK) - 藤巻総理 役
- プレミアムドラマ『ペコロス、母に会いに行く(2013年2月17日、NHK BSプレミアム) - 岡野雄一 役
- 長谷川町子物語〜サザエさんが生まれた日〜(2013年11月29日、フジテレビ) - 長谷川勇吉 役
- SMOKING GUN〜決定的証拠〜(2014年4月 - 6月、フジテレビ) - 田坂繋 役
- 55歳からのハローライフ(2014年、NHK) - 第5話(最終回)主演
映画
- それから(1985年) - 寺尾 役
- そろばんずく(1986年) - 花月 役
- 男はつらいよ(松竹)
- 男はつらいよ 幸福の青い鳥(1986年) - 車掌 役
- 男はつらいよ 知床慕情(1987年) - 医者 役
- 男はつらいよ 寅次郎物語(1988年) - 警官 役
- 男はつらいよ 寅次郎心の旅路(1989年) - 旅行社の社員 役
- 男はつらいよ ぼくの伯父さん(1989年) - 列車内の老人 役
- BU・SU(1987年) - 北崎 役
- 悲しい色やねん(1988年) - 盛山昇 役
- 会社物語 MEMORIES OF YOU(1988年) - セールスマン 役
- ノーライフキング(1989年) - サラリーマン 役
- 未来の想い出 Last Christmas(1992年)
- ヤンヤン 夏の想い出(2000年) - 大田 役
- トニー滝谷(2004年) - トニー滝谷/滝谷省三郎 役(二役)
- 晴れた家(2005年)
- 太陽(2005年) - 昭和天皇 役
- ホームレス中学生(2008年) - 田村一郎 役
- 60歳のラブレター(2009年) - 松山正彦 役
- 図書館戦争 革命のつばさ(2012年) - 当麻蔵人 役※声の出演
- 沈黙 SILENCE(2013)
- 「また、必ず会おう」と誰もが言った。(2013年) - 柳下吉治 役
オリジナルビデオ
- 企業戦士YAMAZAKI(1995年) - 山崎宅郎 役※初主演
ラジオ
- イッセー尾形のニュースなひとり(1994年、TBSラジオ)
バラエティ
- イッセー尾形の笑ートカタログシリーズ(ファミリー劇場)
- 大正週間漫画 ゲラゲラ45(テレビ朝日系)(アナウンサーのムトベさん役)
- イッセー尾形がみたい!(ビデオ)
- イッセー尾形 The Best of Best Collection '89-'93(DVD)
ドキュメンタリー
- 珠玉の感動ストーリー ありがとう(BS朝日、2014年4月9日 - ) - 語り
音楽番組
- 夢・音楽館※桃井かおりの代役
CM
- 片岡物産 モンカフェ
- ポーラ化粧品(1984年)
- 日本ポラロイド ポラロイドカメラ(1984年)
- 森下仁丹 暮らしのデオドライザーシリーズ(1984年)
- 東洋現像所 (IMAGICA への社名変更告知CM。1986年 - 1987年)
- 学生援護会 就職情報誌「DODA(デューダ)」(1989年、大地康雄と共演)
- サニクリーン
- エッソ石油
- ニビシ醤油
- セガ・ゲームギア
- キリンビバレッジ Jive(1991年)
- トヨタ・カローラ(7代目)(1993年)
- ユニクロ(2006年)
- 武田薬品工業 「アリナミン」(2006年)※店頭での販促用DVD
- 公共広告機構 「バレなきゃいい、が見えている」(1994年)
- 東日本旅客鉄道 (安全啓発のポスターおよび山手線の車内放映用CM 2007年 - )
- 北海道新聞社 喜怒哀楽編(2007年 - )
- 日本自動車連盟 心配性の父篇(2013年)
音楽
レコード
- 「葛飾亀有三丁目交番番歌」(コロムビア、1983年5月21日)※「爆笑!!ドットスタジオ」挿入歌
CDシングル
CD
- 『昭和コミックソング大行進~笑いのギフト・パック~』(コロムビア、2003年)
- ※「葛飾亀有三丁目交番番歌」を収録
CD-BOX
- 『(笑)タイム』(EMIミュージック・ジャパン)
- ※Disc-3に「葛飾亀有三丁目交番番歌」を収録
関連項目
脚注
- ↑ 僕の本名の「一成」は、陸軍大将の名前をそのまま借用したそうだ。僕のその「宇垣」という陸軍大将のことはほとんど知らない。昔は偉い人の名前をそのまま付けるということがちょくちょくあったようだ。僕のように名前のルーツに興味がなくなったのか、いただき名前の習慣は廃れたみたいだ。(「いただき名前」)
- ↑ 『「家」の履歴書』 光進社 2001年、114-120頁
- ↑ イッセー尾形 薬アレルギーで緊急入院 2009年3月12日 スポニチ閲覧
外部リンク
IsseyOgata Official Web Site] - イッセー尾形本人公式サイト
IsseyOgata Official Web Site] - イッセー尾形公式サイト
- ロングインタビュー 前編 - パーソンアップ
- イッセー尾形オフィシャルブログ「ISSEY OGATA」
- イッセー尾形