網走市
テンプレート:Infobox 網走市(あばしりし)は、北海道オホーツク総合振興局管内にある市で、振興局所在地である。
市名の由来については、アイヌ語「チパ・シリ」であり、「チパ」は祭壇を意味する古語。網走川の河口の沖にある帽子岩[1]を指したもので「祭壇のある島」と呼ばれていたものが古語のため難解になり、言語の変遷と共に元の意味が忘れられ、「チ・パ・シリ」(我らの見つけた地)と俗解され、更に「ア・パ・シリ」(我らの見つけた地)と転じた。(チ、アはどちらも“我ら”の意) また俗解として「アパ・シリ」(入り口の地)と解されたりもした。
日本の市町村をアルファベット順に並べると、当市 (Abashiri)が一番初めになる。
目次
地理
オホーツク総合振興局管内東部、北見市から東に約50kmの位置にある。オホーツク海に面する。高い山はなく、丘陵地が多い。市街は網走川河口付近と、その南に続く海岸段丘上の平地に広がる。北西部に能取湖、中部に網走湖、東部に濤沸湖があり、それぞれ網走国定公園の一部である。
気候
一年を通じて晴天が多く、年間降水量・降雪量は少ない。オホーツク海に面するため海洋性気候の影響も受け、北海道東部としては比較的温暖な気候である。
春は寒暖差が非常に激しく、5月の連休の頃に雪が降ることもあれば、その数日後にはフェーン現象によって道内で最も早い真夏日を観測することさえある。夏季はオホーツク海高気圧に覆われると、涼しい日々が続くが、太平洋高気圧の勢力が強くなると太平洋側に比べて気温が上がりやすい。南や南東からの風が吹いたときにはフェーン現象により、しばしば真夏日になり、猛暑日さえ観測されることもあるなど気温差は激しい。最高気温記録は1994年8月7日に観測された37.6℃と帯広の37.8℃(1924年7月12日に記録)についで道内官署では2番目に高い記録である。秋は短く、春と同様気温の変動が大きい。台風の影響を受け、大雨となることもあり、10月になると紅葉が始まり、10月下旬~11月始めには雪が降り始める。冬季はオホーツク地方では雄武に次いで、冬の平均気温が高くなっており、過去最低気温の記録は1902年1月25日に観測された-29.2度であるものの、1987年2月20日の-20.6度を最後に過去25年以上も-20度以下の気温は観測されず、近年は下がっても-17度前後のことが多い。流氷が接岸し、内陸性の気候の特色が加味される2月が年間でもっとも寒く、流氷が消える3月半ばまで冬は続く。降雪量はそれほど多くないが、冬の終わりの2月下旬から3月にかけては低気圧の通過により、ドカ雪をもたらすことがあり、2004年2月23日には過去最深積雪の143cmを記録している。一般に、暖冬年ほど年間降雪量が多くなる傾向にある。
網走は気象庁により都市化の影響の少ない観測地点として北海道の観測地点では根室、寿都と共に北日本の平均気温の算出地点に選ばれているが温暖化が著しく、特に冬季の平均気温は急激に上昇している。下記の1961年~1990年平年値と比較すると、1月が1.1℃、2月は1.2度の上昇となった。都市化の影響が比較的少ないにも関わらず、特に2月の上昇率は全国の官署地点の中では同じオホーツク海に面する雄武と共に最も激しことから、流氷の減少との関連も指摘されている他、観測露場における日だまり効果を指摘する研究者もいる[2]。
人口
歴史
- 1798年(寛政10年) - 谷口青山の「自高島至舎利沿岸二十三図」の第二十二図にアバシリ沿岸および番屋が描かれる。
- 1812年(文化9年) - 藤野喜兵衛、アバシリ川河口右岸に弁天社を創祀(祭神は弁才天、のちに町民が譲り受けて厳島神社となる)。
- 1857年(安政4年)5月 - 網走初のストーブ(宗谷製)、毛布、コーヒー使用。
- 1858年(安政5年) - 松浦武四郎、アバシリ川を溯り『戊午日誌』(西部安婆之利日誌)を著わす。
- 1864年(元治元年) - 藤野家、アバシリ川河口右岸に稲荷社を創祀(明治28年にオショップに移築)
- 1869年(明治2年) - トーマス・ブラキストンが来網、ポンモイの柱状節理を見る。
- 1871年(明治4年) - アイヌが全て平民に編入され、身分上の差別を撤廃。
- 1872年(明治5年)
- 3月 - 北見国網走郡の名が与えられる(網走市の開基)。アバシリ村が設置される。
- 9月 - 官立病院が設けられる。
- 1873年(明治6年)7月20日 - アバシリ村に開拓使根室支庁網走出張所を置き、紋別・常呂・網走・斜里の各郡および釧路国網尻郡を所轄、紋別郡に分局を置く。
- 1875年(明治8年)5月24日 - 漢字をあてて、網走村となる。
- 1876年(明治9年) - アイヌに苗字をつけさせ、待遇上の差別を取り除き、特別保護を廃止。
- 1881年(明治14年)11月15日 - 網走村網走川河口部右岸に市街地を区画し「北見町」と命名、宅地の払い下げ開始。
- 1882年(明治15年) - 町田孫六が川向の橋のたもとを開墾し、網走で初めて専業農家を始める。馬鈴薯、大根、麻など。
- 1884年(明治17年) - 宮部金吾、クルマトマナイ[3] にうるし樹林発見(安政6年前後に宮崎三右衛門によって会津から移植されたものと推定)。
- 1890年(明治23年) - 釧路集治監網走分監、網走囚徒外役所(現在の網走刑務所の前身)が開設
- 1891年(明治24年) - 集治監の収容者の強制労働により北見方面への道路が開通
- 1897年(明治30年)
- 1902年(明治35年) - 網走郡網走村、北見町、勇仁村(いさに)、新栗履村(にくりばけ[4])を合併し2級町村制施行、網走郡網走町となる。
- 1906年(明治39年)1月21日 - 私設網走図書従覧所開設。
- 1908年(明治41年)8月14日 - 広島県厳島神社の分霊を迎えニクル[5](桂町)に網走神社創祀。
- 1910年(明治43年) - クルマトマナイ[3] の造園工事で応永の年号のある板碑発見。
- 1913年(大正2年)
- 1915年(大正4年)
- 1917年(大正6年)10月1日 - 能取岬灯台が完成、初照射。
- 1921年(大正10年) - 女満別村(現・大空町)を分村。
- 1922年(大正11年)7月16日 - 皇太子裕仁親王が網走町を訪問、網走 尋常高等小学校に宿泊。
- 1925年(大正14年)
- 1926年(大正15年) - 大字北見町などの旧町村名を廃し、市街地に条・丁目制施行。
- 1931年(昭和6年) - 女満別町との境界線を変更。
- 1938年(昭和13年)2月20日 - 網走町の字名・字界・地番・南北条・東西丁目を一斉改正。
- 1942年(昭和17年)10月 - 網走水産指導所を設置(後の網走支場)
- 1945年(昭和20年)7月15日 - 米軍機、網走を空襲(網走地方の犠牲者14名)
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)11月 - 網走水産指導所を新築(網走支場)
- 1954年(昭和29年) - 中川イセの熱心な働きかけにより、武田時宗が大東流合気柔術の大東館道場を設立(「大東流合気武道」と名称を改め、宗家に就任)。
- 1956年(昭和31年)6月1日 - 網走市オホーツク水族館が開館。
- 1960年(昭和35年)
- 1963年(昭和38年)
- 1964年(昭和39年) - 魚肉協会技術研究所、網走市に設置。
- 1971年(昭和46年)9月20日 - 網走熱帯植物園が経営不振で閉園。
- 1989年(平成元年)
- 1991年(平成3年)
- 2月9日 - 北海道立北方民族博物館が開館。
- 7月17日 - 網走脳神経外科病院が桂町に落成、建設費約12億円、病床数88床。
- 1993年(平成5年)12月2日 - 大東流合気武道宗家の武田時宗が死去。
- 1996年(平成8年)5月1日 - 医療法人網走脳神経外科病院が法人名を「医療法人明生会」に改称。
- 2002年(平成14年)8月31日 - 網走市オホーツク水族館が閉館。
- 2007年(平成19年) - 3月末時点の人口が、市制施行以来初めて4万人を割り込む(39,983人)。翌月末に4万人台に回復。
- 2008年(平成20年)
- 3月末時点の人口が、再度4万人を割り込む(39,557人)。以降、4万人台に回復せず。
- 4月9日 - 北海道網走向陽高等学校と網走高等学校の統合によって新設された北海道網走桂陽高等学校の開校式。
行政
歴代市長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 生没年月日 |
代理 | 大島 光雄 (おおしま みつお) |
1947年(昭和22年)2月11日 | 1947年(昭和22年)4月4日 | |
初代 | 吉田 栄吉 (よしだ えいきち) |
1947年(昭和22年)4月5日 | 1955年(昭和30年)4月29日 | |
2代 | 有末 三郎 (ありすえ さぶろう) |
1955年(昭和30年)4月30日 | 1959年(昭和34年)4月29日 | |
3代 | 遠藤 熊吉 (えんどう くまきち) |
1959年(昭和34年)4月30日 | 1963年(昭和38年)12月20日 | 1912年(大正元年)12月28日生 |
4代 | 佐藤 忠吉 (さとう ちゅうきち) |
1964年(昭和39年)2月2日 | 1974年(昭和49年)10月17日 | 1913年(大正2年)2月28日生 - 1974年(昭和49年)10月17日没 |
5代 | 安藤 哲郎 (あんどう てつお) |
1974年(昭和49年)12月1日 | 1998年(平成10年)11月30日 | 1926年(大正15年)3月1日生 - 2009年(平成21年)7月4日没 |
6代 | 大場 脩 (おおば おさむ) |
1998年(平成10年)12月1日 | 2010年(平成22年)11月30日 | 1937年(昭和12年)5月26日生 |
7代 | 水谷 洋一 (みずたに よういち) |
2010年(平成22年)12月1日 | 現職 | 1963年(昭和38年)4月8日生 |
行政機関
- 北海道立網走水産試験場
国の機関
- 釧路地方裁判所網走支部・釧路家庭裁判所網走支部・網走簡易裁判所
- 法務省札幌矯正管区網走刑務所
- 釧路地方検察庁網走支部・網走区検察庁
- 財務省函館税関釧路税関支署網走出張所
- 国税庁札幌国税局網走税務署
- 厚生労働省北海道労働局網走公共職業安定所
- 林野庁北海道森林管理局網走西部森林管理署
- 国土交通省北海道開発局網走開発建設部
- 海上保安庁第一管区海上保安本部紋別海上保安部網走海上保安署
経済
金融
かつての網走市は12もの金融機関をもっていたが、経営破綻や撤退の動きもあって現在では8つにまで減少した。
現在もある金融機関
- 網走信用金庫(本店と4支店)
- 釧路信用組合網走支店
- 北洋銀行網走支店
- 北海道銀行網走支店
- 北海道労働金庫網走支店
- マリンバンク網走漁協
- マリンバンク西網走漁協
- JAオホーツクあばしり
かつて置かれていた金融機関
- 北海道相互銀行(旧札幌銀行。現在は北洋)網走支店:1982年(昭和57年)8月7日をもって北見支店に統合。
- 北海道拓殖銀行網走支店:1998年(平成10年)11月10日をもって営業終了。北洋銀行に継承・統合。
- 網走信用組合:2002年(平成14年)7月5日をもって営業終了。釧路信用組合に引き継がれた。
- 北陸銀行網走支店:2005年(平成17年)4月15日をもって営業終了。北海道銀行網走支店に業務継承。
農協・漁協
- オホーツク網走農業協同組合(JAオホーツク網走)
- 網走漁業協同組合
- 西網走漁業協同組合
産業
農業
漁業
- 海面
- オホーツク海
- ウニ 1月 - 12月
- スケトウダラ(底引網) 1月 - 12月
- ニシン 3月下旬 - 4月
- ホタテ(桁網) 3月下旬 - 11月
- ケガニ(カゴ) 3月下旬 - 5月、6月下旬 - 8月
- カニ(刺網) 4月 - 12月
- カレイ(刺網) 4月 - 5月、10月 - 11月
- アサリ 4月下旬 - 9月
- タコ 4月下旬 - 12月
- キンキ(延縄、刺網) 5月 - 1月
- ホッキ貝 5月、8月 - 10月中旬
- ホッケ(底引網) 5月 - 11月
- サクラマス(定置網) 5月中旬 - 6月中旬
- ナメタ 7月 - 8月
- カラフトマス(定置網) 7月中旬 - 9月中旬
- コンブ 7月下旬 - 8月中旬
- ホッカイシマエビ 7月下旬 - 8月中旬
- サケ(定置網) 8月下旬 - 11月
- イカ 9月下旬 - 11月
- サンマ 10月 - 11月
- タラ 11月 - 12月
- カキ 12月 - 1月上旬
- オホーツク海
- 内水面
観光
特産品
- ニポポ
- 釣りキンキ
立地企業
- デンソー網走テストセンター
- インターファーム知床事業所 - 日本ハムグループ
- 日本フードパッカー道東工場 - 日本ハムグループ
- 日本ホワイトファーム知床事業所 - 日本ハムグループ
- 金印わさびオホーツク工場 - 金印の関連会社
- 網走交通 - 東急グループ
- タカハシ - カラオケ店などを道内に展開
- 網走バス - 旧・名鉄グループ、2012年4月2日よりタカハシグループ
- 道東観光開発 - 同上
- 網走ハイヤー - 同上
商業施設
かつてはラルズプラザがあった南4条通りが網走の商業の中心であったが、ここ数年は駒場地区に大型店が集中し、駒場周辺が商業の中心となっている。ラルズプラザは2009年(平成21年)4月23日をもって閉店した。
駒場ショッピングタウン「アルサキット」とその周辺にあるもの
「アルサキット」以外で駒場周辺にあるもの
中心市街地にあるもの
- ツルハドラッグ網走北店
公共機関
警察
消防
- 網走地区消防組合網走消防署
郵便
- 網走郵便局(集配局)
- 浦士別郵便局(集配局)
宅配便
医療
主なもの
- 網走厚生病院
- 網走中央病院
- こが病院
- 北海道立向陽ケ丘病院
姉妹都市・提携都市
海外
- 姉妹都市
- テンプレート:Flagicon ポートアルバーニ市(カナダ) 1986年(昭和61年)5月24日締結
国内
地域
教育
- 大学・短期大学
- 東京農業大学オホーツクキャンパス
- 専修学校
- 高等学校
- 中学校(すべて市立)
- 第一、第二、第三、第四、第五、呼人
- 小学校(すべて市立)
- 網走、潮見、中央、西、西が丘、白鳥台、東、南、呼人
- 特別支援学校
- 網走養護学校
住宅団地
- 道営住宅大曲団地
- 道営住宅中央公園団地
- 道営住宅つくしヶ丘団地
- 道営住宅潮見団地
- 道営住宅駒場団地
- 道営住宅グリーンタウンリバーサ
- 道営住宅サンリッチヴィラ
- 道営住宅サンガーデン鉄南
交通
空港
港湾
鉄道
かつては湧網線(網走市内の駅:能取駅 - 中能取仮乗降場 - 北見平和駅 - 卯原内駅 - 二見中央仮乗降場 - 二見ヶ岡駅 - 大曲仮乗降場 - 網走駅)、東藻琴村営軌道が通っていたが、現在は廃止されている。
バス
- 網走バス - 市内・近郊路線・女満別空港連絡バスを運行
- 網走観光交通 - 大空町東藻琴へ運行
- 網走バス・斜里バス - ウトロ温泉、女満別空港へ運行
- 網走バス・北海道北見バス・北海道中央バス - ドリーミントオホーツク号 札幌へ運行
タクシー
- 網走市エリアの管轄
主なタクシー会社
- 網走ハイヤー
- 網走北交ハイヤー
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
文化財
国の史跡
- Katsuragaoka chashi-ato01s3.jpg
桂ヶ岡砦跡
- Moyoro Shell Midden.jpg
最寄貝塚
国の名勝
- 天都山[1938年(昭和13年)12月14日指定]
網走市指定文化財
- 永専寺山門[1979年(昭和54年)2月10日指定]
- 鱒浦稲荷神社絵馬[1979年(昭和54年)2月10日指定]
- 網走神社絵馬[1979年(昭和54年)9月10日指定]
- ポンモイ節理[7][1983年(昭和58年)3月5日指定]
- Eisenji Abashiri01s3.jpg
永専寺山門
- Ponmoi01.JPG
ポンモイ柱状節理
国の登録有形文化財
- 博物館網走監獄
- 教誨堂 [2005年(平成17年)7月12日登録]
- 五翼放射状平屋舎房 [2005年(平成17年)7月12日登録]
- 二見ヶ岡農場 [2005年(平成17年)7月12日登録]
- 庁舎 [2012年(平成24年)8月13日登録]
- 煉瓦造独居房 [2012年(平成24年)8月13日登録]
- 鏡橋入口哨舎 [2012年(平成24年)8月13日登録]
- 鏡橋出口哨舎 [2012年(平成24年)8月13日登録]
- 西門哨舎 [2012年(平成24年)8月13日登録]
- 裏門 [2012年(平成24年)8月13日登録]
- 裏門哨舎 [2012年(平成24年)8月13日登録]
- Abashiri Abashiri Prison Museum Kyokaido 1.JPG
博物館網走監獄 教誨堂
- 130713 Abashiri Prison Museum Abashiri Hokkaido Japan34n.jpg
博物館網走監獄 五翼放射状平屋舎房
- 130713 Abashiri Prison Museum Abashiri Hokkaido Japan37n.jpg
博物館網走監獄 二見ヶ岡農場
- 130713 Abashiri Prison Museum Abashiri Hokkaido Japan13s3.jpg
博物館網走監獄 庁舎
文化施設
- Abashiri City Folk Museum01s5.jpg
網走市立郷土博物館
- 130713 Hokkaido Museum of Northern Peoples Abashiri Hokkaido Japan02s3.jpg
北海道立北方民族博物館
- Tentozan01.JPG
オホーツク流氷館
- Okhotsk Cultural Exchange Center03s3.jpg
オホーツク・文化交流施設
自然景勝地
- Ryuhyo abashiri oki.JPG
網走市沖でみられる流氷
- 130713 Lake Abashiri view from Mount Tento in Abashiri Hokkaido Japan01n.jpg
網走湖
- Futatsuiwa Abashiri Hokkaido Japan.jpg
二ツ岩
- Notoromisaki cape Abashiri Hokkaido Japan.jpg
能取岬
公園
- 北海道立オホーツク公園 オートキャンプ場てんとらんど
- 桂ヶ岡公園
その他観光スポット
社寺
- 網走神社
- 永専寺(山門が旧網走監獄正門)
- 弘道寺(北海道三十三観音霊場24番札所)
イベント
1月
- 網走湖ワカサギ釣り
- 流氷観光砕氷船おーろら運航(3月まで)
- 北の新大陸発見!あったか網走(3月初旬まで。網走湖畔)
2月
- あばしりオホーツク流氷まつり(上旬 - 中旬)
- オホーツク屋台村(上記流氷祭りと同時期)
- オホーツク歩くスキーの集い
5月
- 名勝・天都山さくらまつり(上旬)
6月
- でっかいどうオホーツクマーチ(北見市・網走市)
7月
- インターナショナルオホーツクサイクリング(雄武町・興部町・紋別市・湧別町・佐呂間町・北見市・網走市・小清水町・斜里町)
- 網走感動朝市(中旬 - 10月上旬)
- あばしりオホーツク夏まつり(下旬)
- オロチョンの火祭り(下旬)
- ホクレンディスタンスチャレンジ網走大会
- 道の駅「流氷街道網走」夕市まつり(下旬 - 8月上旬)
8月
- 網走ラグビーフェスティバル(上旬)
9月
- 七福神まつり(上旬)
- さんご草まつり(中旬)
- フラワーガーデン「はな・てんと」まつり(下旬)
- 網走一番!秋祭り
- てんとらんど感謝祭
10月
- モヨロの夜祭り〜カムバックサーモンin網走湖
- 感動の径(みち)ウォーク
網走を舞台とした作品
- 映画『網走番外地』
- 映画『ゴジラvsキングギドラ』
- 映画『刑務所の中』
- 映画『子ぎつねヘレン』
- 音楽『網走子守唄』(井上宗孝とシャープ・ファイブ)
- 音楽『流氷の駅』(走裕介)
マスコミ
出身の有名人
芸術
- 居串佳一(画家)
- 長谷川誠 (日本画家)
- 永山則夫(連続殺人犯、小説家)
- 山本盛雄(写真家)
- 八重樫あゆみ(写真家)
- 相庭よた郎(デザイナー、漫画家)
- meeat(イラストレーター)
- 小尾元政(声優)
- 川村湊(文芸評論家)
- 木田敦子(箏奏者)
- 菊池彩(ピアノ)
- 岩原敏美(フルート)
- 金澤このみ(ソングライター)
- 走裕介(演歌歌手)
- 伝動詩人えいた(瀬川映太)(書き下ろしパフォーマンス)
- 瀬川ももえ(女優)
- BEAK(NICOTINE) ロックドラマー
スポーツ
- 木村庄之助 (32代)(大相撲立行司)
- 緒方昇(関脇北の洋)
- ケンドー・ナガサキ(プロレスラー)
- 夏見円(ソルトレイクシティオリンピック、トリノオリンピック スキー競技代表)
- 横山忠夫(元読売ジャイアンツ投手)
- 吉野トヨ子(陸上競技選手)
- 太田明生(バンクーバーオリンピックスピードスケート競技代表)
- 狩野亮(バンクーバーパラリンピックアルペンスキー代表)
その他
民族
歴史的経緯により民族構成は特徴的であるが、公的統計が存在しないため正確な民族別人口は不明。移住順。ちなみに北海道立北方民族博物館はアイヌ・ウィルタ・ニヴフの伝統文化も取り扱う。
- アイヌ - 先住民族
- 大和民族(和人) - 19世紀初頭、近江商人藤野喜兵衛[8]が漁場を設置したことに始まり、本州などから入植が増加[9]。最も多数と見られる。
- 朝鮮民族 - 日韓併合後、朝鮮の斡旋業者に出稼ぎ労働者が騙され日本各地の他雇部屋業者へ売られた。現在外国籍を含めると少なくとも数十人以上と見られる[10]。
- ウィルタ - 第二次大戦後、樺太などから強制移住。極少数。
- ニヴフ - 第二次大戦後、樺太などから強制移住。極少数。
脚注
参考文献
歴史書
- 佐藤久発行・佐藤紘一編集『網走大鑑 昭和48年版』(網走新聞社、1972年11月05日発行)
- 網走小史編集委員会編集・ぎょうせい監修『新網走小史』(網走市総務部、1987年12月30日発行)
- 網走小史編集委員会編集『新網走史年表』(網走市総務部、1987年12月30日発行)
郷土資料
- 編集兼発行・小島喜代治『観光北海道 1956年版』(北海道新聞社、1956年08月30日発行)
その他
- 企画調整広報公聴係編集『広報 あばしり』(網走市発行)
関連項目
外部リンク
- 行政
- 観光
- ↑ 正式名称「渡良岩」(カムイ・ワタラからの転)。沖に漁に出る時に、イナウを捧げ祈った場所
- ↑ 露場近傍の環境変化に伴なう気温変化 (1)網走の気温上昇 近藤純正 東北大学名誉教授
- ↑ 3.0 3.1 アイヌ語で「kurmat(=神女)oma(=がいる)nay(=沢)」の意
- ↑ アイヌ語で「ni(=木)kur(=影)pake(=頭)」の意
- ↑ アイヌ語で「ni(=木)kur(=影)」の意
- ↑ アイヌ語で「tanne(=長い)sirar(=岩)」の意
- ↑ 「ポンモイ」とはアイヌ語で「pon(=小さい)moy(=入江)」の意
- ↑ 網走市歴史
- ↑ 郷土博物館
- ↑ 外国人登録者数「韓国・朝鮮籍」からの推定