狭山市
テンプレート:Infobox 狭山市(さやまし)は、埼玉県南西部、入間川流域にある人口約15万3千人の市。東京都特別区部への通勤率は15.5%(平成22年国勢調査)。
目次
概要
市域を西武鉄道の二路線が通る。1960年代以降東京郊外のベッドタウンとなり人口が急増した。近年では高度成長期に移り住んできた市民の高齢化(少子高齢化[1])が進む一方で、新規転入者は減少している。都心回帰現象の影響が大きい。2005年国勢調査では鳥取県を上回る社会人口減少率を記録した。2012年、西武新宿線狭山市駅西口地区再開発整備事業が完了した。航空自衛隊の入間基地は市役所の南に位置し、9割が狭山市域にある(1割は入間市域)。
市名の由来
狭山丘陵及び市内の特産物「狭山茶」に由来する。「狭山」という地名の由来自体は判然としないものの、「山」は「林」を意味し、武蔵野台地西部に散在していた雑木林のことを指していると言われ、「林に挟まれた土地」の意味という。江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』では狭山丘陵そのものを「狭山」と称しており、「狭山」という表現を地域呼称ではなく山の名称の如く用いている。歴史的に「狭山」という地名が指している場所は狭山丘陵を中心とした四方のかなり広い地域であり、狭山市のほか現在の所沢市・入間市・東村山市・東大和市・武蔵村山市・瑞穂町などの範囲にまで及び、狭山市はその北部にあたる。これは概ね「狭山茶」の生産地域と同じである。現在、狭山市以外でも所沢市・入間市・東村山市・東大和市・武蔵村山市・瑞穂町等では住居表示や字名、学校名や企業名などに「狭山」という呼称を付けている例も少なくない。
歴史
- 古代 - 武蔵国入間郡に属する。
- 716年(霊亀2年)- 新たに高麗郡が設置される。中世以降、入間川西岸の一部地区が高麗郡に属する。
- 中世 - 入間川宿が鎌倉街道上道の宿場町として栄える。鎌倉街道上道は入間川宿で上野国方面と下野国方面に分岐していた。
- 近世 - 川越藩領や天領となる。天領は旗本知行地として旗本小笠原氏の所領となっていた。
- 近世中期 - 武蔵野の新田開発により三富新田などとともに不老川流域が開墾され、入間・堀兼の住民が増える。
- 1894年(明治27年) - 川越鉄道が開通。入間川駅(現・狭山市駅)・入曽駅開業。
- 1933年(昭和8年) - 武蔵野鉄道稲荷山公園駅が開業。
- 1938年(昭和13年) - 陸軍航空士官学校(現入間基地)が開設。
- 1945年(昭和20年) - 戦後進駐軍に接収され「ジョンソン基地」になる。
- 1954年(昭和29年)7月1日 - 入間郡入間川町・入間村・堀兼村・奥富村・柏原村・水富村が合併し、狭山市となる。合併当時の人口は31,030人[2]。
- 1958年(昭和33年) - ジョンソン基地の米軍機が市内で墜落事故を起こし、死傷者14名を出す。
- 1963年(昭和38年) - ジョンソン基地が返還され、航空自衛隊入間基地となる。
- 1960年代から、市内の工場・宅地開発が進み、人口が急速に増加する。
- 1964年(昭和39年) - 新狭山駅が開業。
- 1966年(昭和41年) - 川越狭山工業団地が完成
- 1973年(昭和48年) - 狭山工業団地が完成
- 1979年(昭和54年) - 西武新宿線入間川駅が狭山市駅と改称。
- 1983年(昭和58年)4月1日 - 入間市との境界変更。現在の市域となる。
- 1984年(昭和59年) - 人口が15万人を突破。
- 1986年(昭和61年)4月1日 - 第2代市長町田佐一が死去、その後の市長選挙で第3代市長に大野松茂が選出される。
- 2000年(平成12年)6月9日 - 財団法人日本品質保証機構(JQA)より市役所本庁舎を対象にISO14001を認証取得。
- 2003年(平成15年)6月19日 - 第4代市長町田潤一が死去、その後の市長選挙で第5代市長に仲川幸成が選出される。
- 2005年(平成17年)1月30日 - 「入間市との合併に関して市民の意思を確認するための住民投票」が行われ、投票の結果、入間市との合併は中止になる。
- 2010年(平成22年)2月1日 - 全国瞬時警報システム(J-ALERT)整備完了。
- 2012年(平成24年)7月18日 - 狭山市駅西口に狭山市市民交流センターが開所。これをもって狭山市駅西口地区再開発整備事業が完了した。
地理
市の全域が武蔵野台地上に位置する。市域の南西(入間・飯能方面)から北東(川越方面)にかけて一級河川の入間川が流れる。市の中心となる地域にも入間川という住所(旧入間川町の名残り)がついており、この川は街のシンボルにもなっている。
市街地は、おもに国道16号と西武新宿線を軸として形成されている。市名の由来である「狭山茶」の茶畑は、入曽・堀兼地区に多い。(なお、市名の由来ではあるものの、隣の入間市の方が生産量は多い)また、奥富地区には田圃も多く見られる。
隣接している自治体は、川越市、所沢市、入間市、飯能市、日高市で、特に入間市、川越市とは連続した市街地を形成している。入間郡三芳町とは地図によっては接しているように見えるが、実際はわずかに間に所沢市を挟んでいる。同様に川越市を挟んで東はふじみ野市(元大井町)、北西は鶴ヶ島市が近い。
人口
テンプレート:人口統計 狭山市は、1970年から1995年にかけて、人口が増えて行ったが、1995年から2010年にかけて、少しずつ人口が減って行った。
行政
現在まで長らく地方交付税交付金不交付団体であり[3]、市財政には余裕がある[4]。市内に進出した本田技研工業を始めとする企業の工場・事業所から納入される固定資産税収入と、敷地の9割が狭山市域にある航空自衛隊入間基地が置かれていることによる国有提供施設等所在市町村助成交付金(基地交付金)及び施設等所在市町村調整交付金(調整交付金)、更に特定防衛施設周辺整備調整交付金(防衛省補助金)が主要な財源である。
本田技研工業の企業城下町として知られ、1987年4月以来、市議会には同社労働組合の組織内議員1名がいる。ただ業種の異なるロッテ、コーセーなど別の大企業の工場も進出しており、航空自衛隊入間基地勤務の自衛官も多数在住していることから、本田技研工業一社が市の命運を握るほどの影響力を有しているわけではなく、茨城県日立市や愛知県豊田市のように市民の相当数が一企業グループに関わっているといった状況にはない。また市議会においても、本田技研工業労働組合に先立つ1975年4月からコーセー労働組合推薦の市議会議員1名が議席を維持していた[5]。また他の首都圏ベッドタウン同様、農業は衰退傾向にあるものの、農産物に特産物があるため農業関係者の存在も大きく、現在の市長は「狭山茶」の製造販売業を営む人物である。
市役所、市民会館や総合体育館などは立派な造りとなっており、また市内には所沢市や川越市等にあるドッグラン等のペット共生施設公園等は無いが、動物園や体育館併設の多目的公園の智光山公園や狭山稲荷山公園をはじめとするたくさんの公園が整備されている。入間川河川敷には川越市とともに川越狭山自転車道路(サイクリングロード)と広大な公園が整備されており、多くの市民にとって憩いの場となっている。
市役所の公式サイトとしては異例の公式モバイル版サイトを全国市町村に先駆け開設し、その取り組みが新聞などにも取り上げられた。2006年、狭山市は「携帯電話を活用した情報配信の取り組み」により、「平成18年度地域づくり総務大臣表彰」(情報化部門)を受賞した。狭山市では既に2001年から市消防本部が地元消防団員を対象に市内の災害情報を携帯電話のメールで伝達していたが、2007年2月からはこのシステムを全市民に拡大し、希望者に対し携帯メールで市内の災害情報を配信する新規事業を開始した。市の公式ツイッターも早期に開設しており、2014年8月から公式ツイッターに大雨・洪水・地震などの気象情報を自動更新して配信する機能を追加、24時間運用を開始した[6]。熊谷地方気象台から出された警報等の最新情報を自動的にツイッター用の短文に変換し、配信する。公式ツイッターにこうした機能を付加した自治体は西日本では数例見られるが、東日本の自治体では初めてとなる。
2008年2月、新たな人口増及び少子化対策・子育て支援の一環として、市はこれまで未就学児童を対象に行っていた所得制限・費用上限無しの医療費助成の対象年齢を中学校3年生まで引き上げる方針を明らかにした[7]。まず2008年10月に小学校3年生までに適用範囲を広げた後、2011年度までに中学校3年生へと段階的に拡大する。これにより今後狭山市では中学卒業時まで入院・通院とも保険診療の医療費は無料となった。また2008年10月から医療機関での窓口払いも廃止された。この施策は比較的余裕がある市の財源を市民に還元する目的もある。またこの施策は埼玉県内の他の市町村にも影響を及ぼし、現在県内32自治体が同様ないしは類似の政策を実施・計画するに至っている。
市長
歴代市長
- 初代 石川求助 (1954年(昭和29年)8月15日 - 1966年(昭和41年)8月14日) 3期12年
- 2代 町田佐一 (1966年(昭和41年)8月15日 - 1986年(昭和61年)4月1日) 5期20年 在任中死去
- 3代 大野松茂 (1986年(昭和61年)5月15日 - 1994年(平成6年)5月17日) 2期8年
- 4代 町田潤一 (1994年(平成6年)5月18日 - 2003年(平成15年)6月19日) 3期9年 在任中死去
市長選挙結果
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 | 立候補時の役職等 |
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当 | 21,608 | 仲川幸成 | 無所属 | 現 | 市長 |
16,567 | 中村正義 | 無所属 | 新(再) | 元埼玉県議会議員・元市議会議長 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 | 立候補時の役職等 |
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当 | 28,356 | 仲川幸成 | 無所属 | 現 | 市長 |
20,888 | 北田清 | 無所属 | 新 | 元市助役 | |
11,716 | 高部忠雄 | 無所属 | 新 | 元市PTA連合会会長 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 | 立候補時の役職等 |
---|---|---|---|---|---|
当 | 26,940 | 仲川幸成 | 無所属 | 新 | 前市議会議長 |
19,512 | 飯島邦男 | 無所属 | 新 | 元埼玉県議会議員 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 | 立候補時の役職等 |
---|---|---|---|---|---|
当 | 21,299 | 町田潤一 | 無所属 | 現 | 市長 |
11,515 | 竹内良二 | 無所属 | 新 | 前市課長 | |
10,570 | 岩隈利輝 | 無所属 | 新 | 日本工業大学助教授 | |
5,985 | 大島政教 | 無所属 | 新 | 前市議会議員・元市議会議長 | |
5,890 | 中村正義 | 無所属 | 新 | 元埼玉県議会議員・元市議会副議長 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 | 立候補時の役職等 |
---|---|---|---|---|---|
当 | 無投票 | 町田潤一 | 無所属 | 現 | 市長 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 | 立候補時の役職等 |
---|---|---|---|---|---|
当 | 31,317 | 町田潤一 | 無所属 | 新 | 前埼玉県議会議員 |
30,065 | 大野松茂 | 無所属 | 現 | 市長 | |
2,912 | 小屋松敬介 | 共産党 | 新 | 党支部役員 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 | 立候補時の役職等 |
---|---|---|---|---|---|
当 | 30,160 | 大野松茂 | 無所属 | 現 | 市長 |
5,018 | 金子健一 | 共産党 | 新 | 党支部役員 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 | 立候補時の役職等 |
---|---|---|---|---|---|
当 | 31,238 | 大野松茂 | 無所属 | 新 | 前埼玉県議会議員 |
22,198 | 北田保男 | 無所属 | 新 | 前市助役 | |
2,931 | 竹村孝一 | 共産党 | 新 | 党支部役員 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 | 立候補時の役職等 |
---|---|---|---|---|---|
当 | 無投票 | 町田佐一 | 無所属 | 現 | 市長 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 | 立候補時の役職等 |
---|---|---|---|---|---|
当 | 無投票 | 町田佐一 | 無所属 | 現 | 市長 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 | 立候補時の役職等 |
---|---|---|---|---|---|
当 | 18,659 | 町田佐一 | 無所属 | 現 | 市長 |
6,663 | 内笹井務 | 共産党 | 新 | 党支部役員 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 | 立候補時の役職等 |
---|---|---|---|---|---|
当 | 無投票 | 町田佐一 | 無所属 | 現 | 市長 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 | 立候補時の役職等 |
---|---|---|---|---|---|
当 | 無投票 | 町田佐一 | 無所属 | 新 | 前市助役・元市長職務執行者代理・元入間村長 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 | 立候補時の役職等 |
---|---|---|---|---|---|
当 | 無投票 | 石川求助 | 自民党 | 現 | 市長 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 | 立候補時の役職等 |
---|---|---|---|---|---|
当 | 無投票 | 石川求助 | 自民党 | 現 | 市長 |
当落 | 得票数 | 候補者 | 党派 | 市長歴 | 立候補時の役職等 |
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当 | 6,752 | 石川求助 | 自由党 | 新 | 前埼玉県議会議員・元入間川町長 |
6,548 | 中島中次郎 | 自由党 | 新 | 元埼玉県議会議員・元入間川町長 | |
250 | 長野林太郎 | 社会党再建派 | 新 | 団体役員 |
再開発事業
明治時代に開業した狭山市駅・入曽駅周辺の再開発について、1980年代より構想は存在していたが、1990年代に至っても事業は具体化せず、入間市・所沢市・飯能市など周辺各都市に遅れをとっていた。狭山市駅西口地区については2000年代に事業者・専門家・市民らの議論を経て事業化され、一時政治的困難が発生したものの、変更は一切なく当初の事業計画が貫徹され、総合的な調整により計画から設計施工まで一貫したデザインコンセプトを保ったまま2012年に完成に至った。狭山市駅東口地区については老朽化した駅ビルが改築されたほか、道路整備が継続して行われている。一方入曽駅周辺については開業後101年を経た1996年に西口を開設したものの、2013年、東口地区の大規模再開発を断念した。
- 狭山市駅西口地区再開発整備事業
- 狭山市駅西口周辺は、ロータリーが未整備で歩道も確保されていないため危険であったことから、再開発整備事業が計画された。1998年、狭山市駅西口地区再開発整備事業協議会において「他の沿線駅前とは明確に差別化し、自然と景観を取り込んだ狭山市らしい駅前整備を行う」方針が決定した。 しかし行政や施行予定者となった都市再生機構に対し、地権者や市議会議員を含んだ市民から見直しを求める運動が起き、このまま計画を進めることができるか、予断を許さない状況となった。計画見直し派の市民団体は狭山まちづくりネットワーク(推進派の市民団体には狭山市駅西口再開発事業を推進する会がある)が中心となり、そこに複数の団体が所属した。見直しの主な要求は、予算規模の縮小。その中で2006年1月23日、地権者71名によるとする見直しを求める意見書が提出されたが、後に明らかになった名簿では実際には地権者は21名であり、物議を醸すこととなった。2007年4月17日、西武鉄道は「2007年度鉄道事業設備投資計画」を発表。この中で狭山市駅西口再開発事業に伴う狭山市駅駅舎改良工事は2007年度に調査・設計、2008年度着工、2009年度完成予定との計画が公表された。2007年4月の統一地方選挙狭山市議会議員選挙では再開発整備事業を掲げる市議会議員が多数を占める市議会の構成に変化はなく、計画推進の民意が示された。同年6月22日、狭山市駅西口再開発事業の権利変換計画が国土交通大臣から認可され、2007年9月着工・2009年まち開き・2011年完成予定で本格的に工事が開始されることになった(『広報さやま』平成19年7月号)。同年7月22日投開票の狭山市長選挙において、西口再開発事業の推進を掲げた現職の仲川幸成市長が再選され、西口再開発事業は引き続き推進されることになった。同年9月から駅舎の取り壊し工事が始まり、駅舎工事用地確保のため駅周辺の店舗閉鎖と住民の転居、整地も行われた。2008年11月から駅舎改築工事を開始。同月、道路の整備に伴い臨時バス乗降場を設置。同年11月から12月、「まちの愛称」が公募され、2009年3月、「スカイテラス」に決定。2010年3月25日、狭山市駅西口地区まち開きを行い、新駅舎と一部施設が供用開始。バス停留所整備等も2012年7月までに完了し、西口地区再開発事業が完成。同月14日から16日まで完成記念イベントを行った[8]。同18日、複合型公益施設「狭山市市民交流センター」が開所、西口地区再開発事業によって整備された全施設が供用開始となり、事業は終了した。2014年5月12日、狭山市駅西口地区スカイテラスは平成26年度都市景観大賞都市空間部門において優秀賞を受賞した[9][10]。従来ほとんど同賞への応募の無かった私鉄沿線の駅前広場に関する事例であり、都市近郊において相次いでいる今後の市街地再開発はどうあるべきかという課題について新たなモデルを示すものとして注目された。商業的価値の高い駅前広場にあえて大規模商業施設を誘致せず、既存市街地との接続を意識した「市民広場」を置き、新たな市民交流・回遊の場を確保、地形の高低差によって得られる秩父連山を望む遠景を生かし、環境・景観に配慮した街並みを創出したことが評価された。今後バス停等の更なる改善により歩行者視点での質的向上への期待が示された。
- 狭山市駅東口周辺の区画整理事業
- 狭山市駅前東口周辺は区画が非常に入り組んでおり駅までのアクセスが悪いとされ、市の顔にふさわしい駅前を創出するべきとして、区画整理事業が長年に渡って議論されている。立ち退きに難色を示す住民と行政の対立があったが、現在事業は進められており、道路の建設が行われている。2010年に道路の一部が開通し、2013年には工事箇所が東口駅前広場まで到達。2014年5月、東口駅前広場に通じる道路が開通した。また西口地区再開発事業及び駅舎改築等に合わせ、東口駅前広場の再整備も行われ、2012年10月に完成した。
- 入曽駅周辺地区整備事業
- 入曽駅周辺は商店や住宅が密集し、人や車の通行も多い一方で、駅前に通じる道路はいずれも狭隘であり、歩道も整備されていない。駅前は開業時以来の極めて狭い空間を有するのみであり、ロータリーや駅前広場がないことから、路線バスの進入も危険な状態となっている。また、駅西口には武蔵野の面影を残す農地や雑木林が広がっていたが、駐車場や資材置き場に転用されるようになり、駅前にふさわしくない無秩序な土地利用が懸念されている。このため入曽駅東口地区整備事業および入曽駅周辺地区区画整理事業が計画された。狭山市は1995年に狭山市立入間小学校(当時)の校地の一部を割いて「入曽駅周辺開発事務所」を設置し、地権者・住民との合意形成に努めたものの、一部地権者の反対が強く、具体的な進展は見られなかった。2008年10月には入曽駅東口地区約6万9千平方メートルを土地区画整理事業の手法で開発する基本構想を決定したが、その後も地権者との合意形成が進まなかったため、土地買収方式で事業を進める方針に転換。2011年3月には事業地内の狭山市立入間小学校を廃校とし、学校敷地(1万3千平方メートル)を再開発に伴う移転・代替用地に当て、再開発事業開始への準備を進めた。同年8月から11月にかけて全地権者に意向確認調査を実施。東口地区北側が南側に比して事業開始に賛同する意見が多かったことから、北側約4ヘクタールについて先行整備する方針を立てた。しかし事業地内の駅前大手地権者(1法人2個人)と土地買収金額などの面でなおも折り合わず、駅前大手地権者が事業反対の意向を示したため、ついに2013年5月、狭山市は地権者の協力が得られず今後の見通しが立たないことなどを理由に両計画の実施を断念する方針を明らかにした[11]。同年10月、「入曽駅周辺開発事務所」も閉鎖され、狭山市役所内に移された。
市町村合併構想
以前から入間市との合併構想がある。この構想はかつての入間川町と豊岡町の合併構想にまで遡るものである。戦後の昭和の大合併が進展していた時期には現在の狭山市・入間市域に所在した町村全部を一つの市にまとめるという合併構想があり、埼玉県も推進していた。またこれとは別に、江戸時代の武蔵野の新田開発によって開墾されたという共通の歴史を持ち、いずれも不老川流域にあたる入間村、堀兼村、宮寺村(現在は入間市)、藤沢村(現在は入間市)の4村が「農業都市」として合併し、将来的には共に境を接する所沢市(隣接地域は同じく共通の歴史を持つ三富新田にあたる)への編入をも計画するという動きも見られた。しかし西武鉄道路線やバス路線・道路など交通事情との関わりもあり、結局関係が最も深かった町村がまとまって現在の形に落ち着き、狭山市市政施行後は合併構想が提起されることは少なくなっていた。しかし平成の大合併の流れを受け、2000年頃から入間市との合併が協議され、2006年1月1日に合併の予定となった(新市名は「狭山市」)。しかし2005年1月30日に行われた住民投票で合併反対が多数となり、一方の入間市でも住民へのアンケートで合併反対が多数となったため、合併協議会は解散した。
立法
市議会
2014年4月24日現在
- 議員定数:22
- 議長:田村秀二(志政会)
- 副議長:加賀谷勉(公明党)
- 任期:2011年5月1日 - 2015年4月30日
- 会派:◎は会派代表者。( )内数字は当選回数。
- 志政会(自由民主党系・保守系、7議席):◎小谷野剛(3)・田村秀二(5)・東山徹(4)・新良守克(2)・町田昌弘(2)・大田博希(1)・萩原義典(1)
- 公明党狭山市議会議員団(4議席):◎齋藤誠(2)・磯野和夫(3)・加賀谷勉(2)・綿貫伸子(1)
- 日本共産党狭山市議会議員団(3議席): ◎猪股嘉直(4)・広森すみ子(8)・日野恵美子(大沢えみ子)(4)
- 新政みらい(自由民主党系・保守系・連合埼玉、3議席):◎栗原武(4)・内藤光雄(1、連合埼玉)・八木隆幸(土方隆司)(1)
- 新しき(3議席): ◎金子広和(1)・笹本英輔(1、民主党)・矢馳一郎(1)
- 無所属(2議席):大島政教(6)・高橋久美子(高橋ブラクソン久美子)(4)
- 市政与党:志政会・公明党・新政みらい
国政
県政
西4区。定数は2人。近年選出の議員は以下のとおり。
- 統一地方選挙埼玉県議会議員選挙(2011年4月)
- 本木茂(3・自民党公認)
- 中川浩(1・民主党公認)
- 統一地方選挙埼玉県議会議員選挙(2007年4月)
- 本木茂(2・自民党公認)
- 北村浩(1・無所属・民主党推薦・政治団体新風21推薦)
- 統一地方選挙埼玉県議会議員選挙(2003年4月)
- 本木茂(1・無所属・自民党推薦)
- 諸口高男(1・無所属・自民党推薦)
経済
工業
川越狭山工業団地と狭山工業団地の2つの工業団地があり、ホンダの埼玉工場を筆頭に製造品出荷額県下1位と埼玉県一の工業都市となっている。
市制施行時は特産物「狭山茶」により農業都市というイメージが強かったが、市政施行後の1955年(昭和30年)12月「狭山市工場誘致条例」を制定し、積極的に企業誘致を行った。翌年9月には工場誘致第1号として日本クロス工業(現在のダイニック)が進出[12]。以後工場誘致は順調に進み、市内各地に大企業の大型工場が進出した。1966年(昭和41年)に川越狭山工業団地、1973年(昭和48年)には狭山工業団地が相次いで完成。2つの大型工業団地を有する工業都市へと変貌した。1982年(昭和57年)以降現在まで製造品出荷額埼玉県内第1位となっており、県内最大の工業都市となっている。企業誘致は現在も行っている。
- 川越狭山工業団地 - 本田技研工業埼玉製作所、ロッテ狭山工場、住友電装狭山工場、全酪(ジャパンミルクネット)狭山工場、紀文フードケミファ埼玉工場・新埼玉工場など
- 狭山工業団地 - 小岩井乳業東京工場、大日本印刷狭山工場など
- コーセー狭山工場・入曽工場、入間川ゴム本社工場、シチズンマイクロ本社工場、山本製作所入間川事業所
農業
- 農業は衰退している。しかし、地物の野菜が市内のスーパーの店頭に並んでいることも多い。
- JAいるま野農業協同組合管内である。
- 入曽駅近くに埼玉県内の狭山茶生産地域全域を管内とする狭山茶業農業協同組合があり、生産者約280名が加盟している。
- 狭山茶
- 茶は隣接する入間市などと共通の名産である。主産地は入間市。狭山市内では入曽・堀兼地区が主要産地であるが、茶畑は減少傾向にある。長らく入間市に次ぐ生産高を維持していたものの、1990年代以降は所沢市とほぼ同程度の数値となり、2000年代以降は所沢市の生産高をも下回るようになっている。
- さといも
- 隣接する入間市や所沢市などと共通の名産。さといもをつくっている農家はかなり減少しているが、高級品として扱われており、東京や京都の高級料亭で使われる。ただ地元ではあまり知られていない。
- 入間ごぼう
- 主産地は狭山市。かつては東京から京都・大阪まで広く出荷された特産物であったが現在作付面積は大幅に減少している。
- 入間にんじん
- かつては非常に多く出荷されたが現在作付面積は大幅に減少している。
- 観光ぶどう園
- 入曽地区を中心に市内に点在。手軽なレジャーやイベント・学校の遠足などで利用されている。
商業
商業圏では、周辺中核都市の所沢市と川越市と挟まれ、近年は個人商店の減少が目立つ。イオン狭山店(旧カルフール狭山)やヤマダ電機、イオン武蔵狭山店(旧サティ)、PC DEPOT等の100台以上の大型パーキングを有した大型店の展開が盛んであるが、これは単に近隣消費者相手だけではなく、主に国道16号線の首都圏環状の特殊商圏性を生かした他近隣エリア消費者を睨んだ出店でもある。
狭山市は西武百貨店が出店している所沢商圏と丸広百貨店本店が所在する川越商圏の双方に属しているため、大型百貨店の出店はない。
1973年9月、西友の小型店実験店舗が市内入間地区水野に開店。この店舗は後のコンビニエンスストアチェーン「ファミリーマート」の第一号店である。1981年9月、株式会社ファミリーマート発足と共に「ファミリーマート狭山店」としてオープンした。現在の店舗名称は「入曽店」となっている。
- イオン武蔵狭山店(旧狭山サティ)
- イオン狭山店(旧カルフール狭山)
- 西友狭山市駅前店
- Emio狭山市(blooming bloomy狭山市駅店など)
- ヤオコー狭山店
- ヤオコー入曽店
- 入曽マーケットシティ(ヤオコー北入曽店、マクドナルド、スギ薬局、ザ・ダイソー、しまむら、セキチュー狭山店)
- ベスタ狭山( ベルクベスタ狭山店、ケーヨーD2、マツモトキヨシ、ザ・ダイソー、UNIQLO、ABCマート、モスバーガー)
- PC DEPOT狭山本店(ゲオ新狭山店、ハードオフ/オフハウス狭山店と併設)
- ヤマダ電機テックランド狭山店
- ヤマダ電機テックランド狭山富士見店(ゲオ狭山店と併設。旧ベスト電器狭山店)
- 西武狭山ステーションビル(狭山市駅駅舎改築に伴い2008年3月20日閉店)
- 末広ショッピングセンター
金融
- みずほ銀行新所沢支店狭山出張所
- 三菱東京UFJ銀行狭山支店
- 埼玉りそな銀行
- 狭山支店
- 新狭山支店
- 武蔵野銀行
- 狭山支店
- 入曽支店
- 狭山西支店
- 埼玉縣信用金庫狭山支店
- 飯能信用金庫
- 入曽支店
- 狭山西支店
- 新狭山支店
- 狭山支店
- 青梅信用金庫狭山支店
- 中央労働金庫狭山支店
- JAいるま野農業協同組合
- 狭山支店
- 柏原支店
- 水富支店
- 入曽支店
- 堀兼支店
- 奥富支店
その他の企業
姉妹都市・提携都市
- テンプレート:Flagicon津南町(新潟県中魚沼郡)
- テンプレート:Flagicon 統営市(大韓民国)
- テンプレート:Flagicon ワージントン市(アメリカ合衆国オハイオ州)
- テンプレート:Flagicon 杭州市(中華人民共和国)
地域
町名・大字
市域は合併前の1町5ヶ村の区域に新興の2地域を加えた8地域に分けられ、それぞれに地区センター(市役所の支所。新狭山以外は公民館に併設)を置いている。
- 入間川地区
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- 沢
- 狭山
- 入間川
- 鵜ノ木
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- 稲荷山
- 祇園
- 中央
- 富士見
- </table>
- 入曽地区[15]
- 大字北入曽
- 大字南入曽
- 大字水野
- 堀兼地区
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- 大字堀兼
- 大字上赤坂
- 大字中新田
- <td valign="top">
- 大字青柳
- 大字加佐志
- 大字東三ツ木
- </table>
- 奥富地区
- 大字上奥富
- 大字下奥富
- 大字柏原新田
- 柏原地区
- 柏原
- 水富地区
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- 大字上広瀬
- 広瀬台
- 大字下広瀬
- 広瀬
- 広瀬東
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- つつじ野
- 大字根岸
- 根岸
- 大字笹井
- 笹井
- </table>
- 狭山台地区
- 旧・堀兼村域
- 狭山台
- 新狭山地区
- 旧・奥富村域
- 新狭山
教育
小学校
- 狭山市立入間小学校 - 2011年3月閉校。学区は狭山市立入間野小学校・狭山市立南小学校の両校学区に分割編入。
- 狭山市立入間川小学校
- 狭山市立入間川東小学校
- 狭山市立入間野小学校
- 狭山市立御狩場小学校
- 狭山市立奥富小学校
- 狭山市立柏原小学校
- 狭山市立笹井小学校
- 狭山市立狭山台小学校
- 狭山市立山王小学校
- 狭山市立新狭山小学校
- 狭山市立広瀬小学校
- 狭山市立富士見小学校
- 狭山市立堀兼小学校
- 狭山市立水富小学校
- 狭山市立南小学校
- 西武学園文理小学校
中学校
- 狭山市立入間中学校(2015年3月廃校予定)
- 狭山市立入間川中学校
- 狭山市立入間野中学校
- 狭山市立柏原中学校
- 狭山市立狭山台中学校
- 狭山市立山王中学校
- 狭山市立中央中学校
- 狭山市立西中学校
- 狭山市立東中学校
- 狭山市立堀兼中学校
- 西武学園文理中学校
高等学校
- 埼玉県立狭山緑陽高等学校 - 定時制。2008年4月、狭山高等学校の地に新設。
- 埼玉県立狭山清陵高等学校
- 埼玉県立狭山工業高等学校
- 埼玉県立狭山経済高等学校
- 秋草学園高等学校
- 西武学園文理高等学校
大学
専修学校
- 駒野家政専修学校 - 2006年3月廃校
各種学校
- 社団法人狭山市医師会立狭山准看護学校(旧・狭山市立衛生学院)
消防
- 埼玉西部消防組合:所沢、入間、飯能、日高の5市で構成される。
- 狭山消防署(上奥富)
- 富士見分署(中央4丁目)
- 広瀬分署(広瀬2丁目)
- 水野分署(水野)
- 狭山消防署(上奥富)
警察
国の機関
県の機関
郵政
郵便番号は市内全域が「350-13xx」で、狭山郵便局が集配している。
- 狭山郵便局 - 集配担当地域:狭山市全域、入間市全域
- 狭山入間川三郵便局
- 狭山柏原郵便局
- 新狭山駅前郵便局
- 狭山水野郵便局
- 狭山鵜ノ木郵便局
- 狭山北入曽郵便局
- 狭山台団地内郵便局
- 新狭山二郵便局
- 狭山入曾郵便局
- 狭山旭郵便局
- 狭山上広瀬郵便局
- 水富郵便局
住宅団地
- 市営住宅18ヶ所
- 県営住宅3ヶ所
- 狭山鵜ノ木住宅 (鵜ノ木)
- UR狭山台団地 (狭山台1・2・3丁目)
- URつつじ野団地 (つつじ野)
- 西武狭山台ハイツ(中央3丁目)
- 新狭山ハイツ(青柳)
- 狭山グリーンハイツ(笹井1丁目)
- パイロットハウス狭山台(中央4丁目)
交通
鉄道路線
かつて通っていた鉄道
路線バス
コミュニティバス
- 狭山市内循環バス「茶の花号」
観光
名所
- 狭山市立智光山公園 : こども動物園・菖蒲園・総合体育館・狭山市立「智光山荘」(宿泊施設)など
- 埼玉県立狭山稲荷山公園 : 桜の名所・さやま大茶会会場(11月)
- 狭山市立博物館 : 埼玉県立狭山稲荷山公園内
- ふれあい健康センターサピオ稲荷山 : 埼玉県立狭山稲荷山公園に隣接
- 武蔵野狭山林間コース入曽フィールドアスレチック : 2001年廃園
史跡
- 今宿遺跡:縄文時代住居跡
- 広瀬神社:延喜式内社
- 清水八幡宮:木曽義高墓所
- 福聚山徳林寺:新田義貞着陣、第十三代横綱鬼面山谷五郎(武隈家)墓所
- 狭山八幡神社:新田義貞「駒繋ぎの松」、足利基氏入間川御陣跡[16]
- 堀兼之井:埼玉県指定遺跡、武蔵野台地に多く造られた「まいまいず井戸」の一つ
- 七曲井:埼玉県指定史跡、武蔵野台地に多く造られた「まいまいず井戸」の一つ
- 城山砦跡:中世城郭遺跡(上杉憲政着陣)
催し
- 狭山入間川七夕まつり(8月第1土曜日・日曜日) 関東三大七夕祭りとして知られる。
- 入間基地航空祭(11月3日)
狭山市出身・在住の有名人
- 政治(上記以外)
- 文学
- 芸術
- 芸能
- 風間志織(映画監督)
- 貴水博之(歌手)
- 酒井法子(タレント・小学生時代を過ごす)
- 関口大輔(映画プロデューサー、ドラマプロデューサー)
- 小田崎諒平(俳優)
- 塚本信夫(俳優・市内に在住した)
- 中島義実(俳優(子役))
- 平山亨(テレビプロデューサー・市内に在住)
- 細野晴臣(ミュージシャン・市内にあった米軍ハウス(通称:アメリカ村)に在住した[17]。)
- 宮田愛理(女優)
- 吉沢秋絵(女優)
- りりィ(歌手・市内に在住し、長男JUON(ミュージシャン)を育てた)
- ローラ(ファッションモデル・狭山市生まれ)
- 麻田浩(シンガーソングライター、プロデューサー・市内にあった米軍ハウス(通称:アメリカ村)に在住した)
- 小坂忠(歌手・市内にあった米軍ハウス(通称:アメリカ村)に在住した)
- キンヤ(歌手・市内に在住した)
- だいたひかる(お笑い芸人、小学生時代を過ごす)
- アナウンサー
- 塚田文(現在日本テレビ、元山口放送)(元西武ライオンズマスコットガール)(埼玉県立狭山清陵高等学校 卒業 堀兼地区東三ツ木在住)
- スポーツ
- その他
特産
- いわしふりかけ「さやま」
- 通称「さやまふりかけ」。1979年、子供のカルシウム不足問題を解消するため、当時の市長町田佐一が自ら考案(町田は旧制東京農業大学出身で、農芸化学を専門としていた)し、丸美屋食品工業と共同開発・商品化したふりかけ。いわしを利用したもの。市内小中学校の給食時の献立に使用。当時余剰政府米が盛んに学校給食に利用され、パンに代わって米飯が給食の主流となる中、一時は周辺市町村の学校給食の献立にも採用されていた。狭山市役所のほか市内のスーパーマーケット・茶店・農協等で販売し、一般にも流通した。現在も給食で出されており、また販売もされている。ただしローカル商品のため、市外での流通・販売はほとんどない。
- 狭山抹茶「明松」(みょうしょう)
- 1990年、「さやま大茶会」開催に合わせ、狭山市において新たに商品化された抹茶。
狭山市に本拠を置くスポーツ
- セコムラガッツ(ジャパンラグビートップリーグ)
- ASエルフェン埼玉(なでしこリーグ1部)
- Honda硬式野球部
- ホンダルミノッソ狭山FC(2011年解散)
狭山市を舞台にした作品
- ドラマ
- 漫画
関連項目
- 大阪狭山市
- 大阪府南河内地域の市である。1987年10月1日の市制施行日には狭山市と名乗っていたものの、当市と同一市名となるため、原則として同一市名を認めない自治省の方針に基づき即日現在の市名へ改名した。(参考 市#市の名称について)
- 狭山事件
脚注
外部リンク
テンプレート:Navbox- ↑ 2006年度の狭山市の合計特殊出生率は1.10で、国(1.32)や埼玉県(1.24)全体に比べ低い。
- ↑ 新市の名称の候補として「狭山市」のほか「入間川市」「入間市」「武蔵市」「武蔵野市」が挙げられ対立したが、1町5村の町村長による投票で最多得票であった「狭山市」に決定された。→参考文献:「狭山市史 現代資料編」
- ↑ 2009年現在の埼玉県内の地方交付税交付金不交付団体は狭山市(1.14)の他戸田市(1.49)・和光市(1.31)・入間郡三芳町(1.24)・朝霞市(1.14)・所沢市(1.09)・八潮市(1.09)・川越市(1.07)・川口市(1.06)・さいたま市(1.03、旧岩槻市相当分を除く)・入間市(1.02)の計11市町である(括弧内数値は2008年の財政力指数)。地方交付税交付金不交付の基準については財政力指数を参照。
- ↑ 『週刊ダイヤモンド』2007年3月10日号特集「全国市町村「倒産危険度」ランキング」において、狭山市は全国1821市町村のなかで1720位であった。また入間市1654位・川越市1660位・所沢市1719位であり、周辺の都市とともに「倒産危険度」は極めて低く、財政力のある市であると紹介された。なお1位は北海道歌志内市、2位は夕張市・3位は空知郡上砂川町であった。
- ↑ コーセー労働組合は1995年以降組織的な選挙運動・政治活動を止めている。
- ↑ 【埼玉】大雨情報など配信 狭山市 自動でツイート東京新聞 2014年8月5日
- ↑ 2008年3月、福岡県京都郡苅田町が同様の方針を決めた。苅田町も財政力のある自治体として知られる。「医療費無料、中3まで・・・苅田町で、県内初」『読売新聞』西部本社版九州発福岡県2008年3月4日付
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 狭山市、入曽駅東口の再開発断念 地権者の合意得られず2013年5月31日 埼玉新聞
- ↑ 1996年、深谷市の同社埼玉工場に統合移転。跡地にはカルフール狭山が出店。
- ↑ 毎日新聞2005年3月18日
- ↑ 狭山市国際交流協会ニュースレターNo.162
- ↑ 2009年4月1日、合併前の旧村名「入間村」に由来する名称「入間地区」より改める。入間市との混同を避けるとともに、駅名とあわせ分かりやすくするため。以前から仲川市長が改称を提起しており、2008年には狭山市入間地区自治会連合会から要望書の提出もあった。市側の改称を受け、民間でも改称の動きが広がり、JAいるま野農業協同組合入間支店が2009年12月、村政時代以来の「入間農協」に由来する支店名を改め、「入曽支店」に名称変更している。2011年3月には狭山市立入間小学校が閉校となり、以後入曽地区内で村政以来の「入間」の呼称を残す公共施設・機関名は狭山市立入間中学校のみとなっていたが、同中学校も2015年3月に閉校する。また民間では入曽駅近くの旧入間村役場跡地に店舗を構えるAコープが現在も「入間店」を称している。同店舗駐車場脇には入間村政を記念する「入間村の碑」が狭山市史編纂委員会と住民有志によって建立されており、その歴史を伝えている。
- ↑ 入間川御陣の正確な位置は不明だが、徳林寺旧境内(入間川2丁目19番地北方)付近から八幡神社一帯にあったと見られている。
- ↑ アルバム「HOSONO HOUSE」のクレジットにローマ字で当時の自宅が狭山市鵜ノ木にあった事が書かれていた。「Record at Hosono House 所在番地Unoki Sayama Saitama」と記載されていた。