都心回帰
テンプレート:出典の明記 都心回帰(としんかいき)とは、地価の下落などによって都心部の居住人口などが回復する現象で、日本においては東京・大阪など主要都市圏で見られる。
目次
概要
1980年代ごろから、欧米などの先進諸国の一部の大都市圏においてその中心部の人口の回復・再成長が指摘されるようになったことに端を発する。これを特にモデル化したものとしては、都市化、郊外化の後に反都市化を経て再都市化へ向かうとしたクラッセンの都市循環仮説が挙げられる。日本では、1990年代中後半頃から盛んに使われ始めた。
背景としては、以下のようなものが挙げられている。
- グローバル化に伴う「グローバル都市」の成立や知識創造型産業・対事業所の高次サービス業の集積による、さらなる機能の集中・高次化。
- 上記の事項を背景とした、情報の接触に至便な都心部での居住の再評価。
- グローバル都市化を狙う都市間の競争の激化を背景とする、規制緩和や税の軽減などの優遇施策とそれに対応する民間主導での再開発。
- 都市のジェントリフィケーション
居住人口の都心回帰
- 都心も参照
高度成長期以降、地方から大都市圏への急激な人口流入によって地価が急騰したこと、都心周辺の交通事情や衛生環境が急速に悪化して都市公害と指摘されるほどになったことなどから、都心より離れた郊外に「庭付き・一戸建て」を手に入れることが人々の憧れとなった。このため、都心部の人口は一貫して減少し、一方で郊外の人口は爆発的に増えることになり、郊外化、ドーナツ化現象とも呼ばれてきた。しかしバブル崩壊以降の地価下落、企業・行政の遊休地放出、不良債権処理に伴う土地の処分、「高層住居誘導地区[1]」(1997年より)の導入、超高層マンションの定着などによって都心での不動産取得が容易になったこと、都心の利点が見直されてきたことによって都心部で人口が増加に転じてきた。
こうして、都市部の地価高騰にともなう都心の人口減少や夜間人口の減少、人口のドーナツ化、郊外化が進む間、その対策として人の呼び戻しや定住化を進める都心居住という観念が現在示されている。都心居住の目的として都心に古くから形成される伝統的コミュニティの維持と社会的安定性の確保、自治体の存在基盤としての住民確保、議員定数による政治的発言力の維持、保育所や小中学校などをはじめとする既存の都市施設の有効活用、職住近接による通勤ラッシュなどの交通網への負担の軽減、などがある。
2002年頃から単なるスポットの開発ではなく、面的な展開を見せ始め、かつての「ドーナツ化」に対し「アンパン化現象」と呼ぶ論者も居る。三大都市圏を中心に、全国の政令指定都市においても同様の現象が見られる。また、豪雪地帯にある都市では、マンションの管理人が除雪・融雪をするため雪かきの必要がない、降雪時の通勤渋滞に巻き込まれない、住宅性能が高いため少ない光熱費で暖かいなど、冬季の生活の質向上が都心回帰の動機の1つでもある。
都心居住のメリット
- 都心部に住めば、職住近接が実現し、美術館や博物館など文化施設にも近い。
- 百貨店やあらゆる専門店が密集しているため、買い物が便利。特に趣味に特化したニッチ市場(アニメ・同人ショップなど)の店舗も密集しており、通信販売に頼らなくてもよい。
- バス・鉄道などの公共交通機関が発達しており、自動車を持たない生活に向いている。モータリゼーションによる体力的・時間的・経済的な負担から免れることができる。
- バブル崩壊による地価下落により、都心部でも家を買いやすくなった。
- 人々を都心から遠ざけていた大気汚染などの公害が緩和されてきた。
都心居住のデメリット
- 地域にもよるが、商店街の空洞化により日用品の買い物にこと欠くことがあり、買い物難民の問題が発生する場合がある。あるいは富裕層向けの高級品しか扱っていない。
- 地価や家賃の高さに比して、居住スペースが狭い。高家賃でも決して高級とは限らない。
- 新住民の多い地域では一人暮らしの若者や単身者が多く、(プライバシーを重視するあまり)交流が希薄であることから、コミュニティ内の問題(環境維持など)について多数の住民の協力を得られない場合がある。
- 都市部の集合住宅では、部屋数と同数の駐車場がない場合が多い。さらに家賃と別料金で高額になるため、自家用車の保有、維持が困難な場合がある。
- ヒートアイランド現象により、冬でも暖かい一方、夏は夜でも蒸し暑い。また地域差があるとはいえ大気汚染がある。
ベッドタウンの変化
高度経済成長期以降は、劣悪な住環境の都心から、環境もよく住宅の延べ床面積もより広い郊外マイホームへの住み替え需要があり、バブル景気期は都心の家賃上昇による住み替え需要があって、東京都心近郊のベッドタウン(東京多摩地域・神奈川東部・埼玉南部・千葉西部・茨城南部)の人口は高い増加率を見せた。
2003年3月に東京都が実施した通勤時間に関する意識調査によると、回答者の80%以上が「受忍限度は一時間以内」と回答している。言い換えると、都心のオフィスワーカーにとっては、ドアツードアで1時間以内にたどり着けない立地の住宅には住みたくないということである。これは今ある通勤圏が面的に縮小すること意味しており、通勤60分圏の外側部に大幅な社会人口減をもたらす可能性を示唆している。一方で、ロードサイド店舗の増加による物販の郊外化によって、そのような店舗を職場とする労働者も増加している。そのため、通勤60分圏内の郊外にある川崎市や横浜市などの東京都心近郊のベッドタウンでは、高い人口増加率を見せている。
少子高齢化の進展に伴う核家族世帯の構成人数の減少、核家族から子が別世帯として自立して老年夫婦世帯へと転換するなど、世帯人数の減少と世帯数の増加によって1世帯が必要とする延べ床面積が減少する中、郊外一戸建てからダウンサイジングしてマンションに住み替える需要もある。しかし、郊外住宅地では高さ制限があるため、高層化による廉価マンションを供給しづらい。そのため、ベッドタウン世帯のダウンサイジングによる住み替え需要は、都心回帰現象の一部に吸収される他、高層化が可能なベッドタウンの駅前や大通り沿いにも吸収されており、ベッドタウンの人口分布は、地域全体にほぼ均一だったものから、一部に集中する傾向を見せている。
ヒートアイランド現象
都心回帰や都心の急激な再開発が進む一方、東京の夏の日中最高気温が上昇し、夜間になっても気温も下がらないなど、ヒートアイランド現象が顕在化している。都心や東京湾岸に高層マンションを建てたことなどが原因で、海風が遮られたことが原因の一つとして考えられている。東京ウォール現象という識者もいる。
大学の都心回帰
ここ数年、首都圏および京阪神都市圏にある大学の都心回帰も進んでおり、1970年代後半から1990年代にかけて、郊外に広大なキャンパスを取得し移転した大学が、都心に回帰する動きがある。また、都心にサテライトキャンパスを置く大学も増えている。
郊外移転の経緯
もともと第二次世界大戦前から大手民間鉄道各社が沿線開発の一環として大学などの高等教育機関を招致する動きを見せていた。一番積極的であった東京急行電鉄は、旧制東京高等工業学校(現在の東京工業大学。1924年に大岡山へ移転)や旧制慶應義塾大学予科(1934年に日吉に移転。)、旧制東京第一師範学校(現在の東京学芸大学。1936年に碑文谷へ移転、現在は小金井へ再移転。)、旧制府立高等学校(高等科の後身が東京都立大学、現在の首都大学東京。1932年に八雲へ移転、現在は八王子市へ再移転)などを沿線へ誘致している。
この施策によって地価の上昇などの成果が得られたため、第二次世界大戦後間もない頃から他の大手民鉄も追従することとなる。特に東京ではその動きが顕著であり、明治大学(1951年に生田キャンパス開設)や立教大学(1958年に新座キャンパス開設)、東洋大学(1961年に川越キャンパス開設)のように鉄道会社が自社沿線の郊外地域に土地を提供してそこへ大学が新キャンパスを設置する動きは存在していた。
これが顕著になるきっかけは文部省が1960年代後半から、都市部への大学の極度の集中を防ぎ、地域間格差を是正するため、東京23区内および大阪市周辺に本部を置く大学が昼間学部の学部・学科増設や定員の増加を申請してもこれを認可せずに抑制していく方針をとったことである。この方針は1975年に成立した私立学校振興助成法が設立するとさらに強くなり、首都圏既成市街地工場等規制法および近畿圏既成市街地工場等規制法の制定もあって、校地を拡張させて定員を増加させるなどといった方策は事実上不可能になった。この頃郊外ではニュータウン開発などが進み、都心部の人口増加には歯止めが掛けられたが、昼間人口は依然として増え続けていたため、大学の郊外移転を進めたいとする考え方があった。
学部増設・定員増加を希望していた大学側もこの動きに乗り、1970年代前半から徐々に一部の学部や教養課程を郊外へ移転する大学が増えた。その中で1978年には中央大学が都心に本部を置いていた大学としては初めて大学本部も含めた郊外移転(理工学部は都心部に残留)を実施した。この動きに他の大学も追従、相次いで郊外へ全面移転する大学が現れた。国立大学でも国家プロジェクト的な郊外移転といえる筑波大学をはじめとして、蛸足大学状態解消を名目に、全国的に郊外の広い用地を確保した上での移転が目立った。
この動きは第二次ベビーブーム世代の急増期まで続き、この時期には、従前に郊外型キャンパスを設けなかった早稲田大学が所沢市に新キャンパスを設け、慶應義塾大学が藤沢市に新キャンパスを設けた。なお、最も新しい郊外移転として青山学院大学が2003年に世田谷キャンパスを売却し、理工学部を神奈川県相模原市に移転させたケース(ただしこれは交通の不便な厚木キャンパスからより便利な相模原への移転と同時に行われた統合である)が挙げられる。
この結果、特に大阪市では1990年代の一時期市内に存在する4年制大学が一桁になるという状況まで発生した。
都心回帰の動き
当初、郊外型キャンパスは欧米の大学町のイメージもあいまって「空気が綺麗」「キャンパスが広い」「自然が多い」と受験生に評判がよく、文化講座などによってその地域へ大学の知を還元することができるとマスメディアでも大変に評判が高かった。また、鉄道会社にとっても都心への通勤ラッシュとは逆の郊外への朝の大量通学輸送が期待できるメリットがあった。
しかしバブル経済が崩壊し都心の地価が下がったことに加え、少子化で受験競争が緩和された受験生の選別意識が高まり郊外キャンパスが敬遠されるようになった。また、キャンパスが吹田市や豊中市などの郊外へ分散した大阪大学や、東広島市などに大学が分散した広島大学といった政令指定都市の都心部に若者が減り、都市活力の低下が指摘されるようになるなど、郊外移転が推奨されていた時期とは全く逆の動きが現れたのである。
さらに文部省も1990年代になると校舎の高層化など一定の校舎増設を伴う場合に限り、都心部での学部増設や定員増加を認めるようになる。この方針を反映して建設されたのが明治大学のリバティタワー(1998年竣工)や法政大学のボアソナード・タワー(2000年竣工)などである。
2002年に首都圏既成市街地工場等規制法および近畿圏既成市街地工場等規制法が廃止されると用地取得に制限がなくなり、高層校舎の建設だけではなく、周辺の土地を取得することでキャンパスそのものを拡大させて定員増加・学部増設を図るようになる。東洋大学は隣接する住宅展示場跡地を取得し、2005年度から従来は朝霞キャンパスと白山キャンパスに分断されていた文系5学部を都心の白山キャンパスへ統一した。これは日本国内で都心から郊外へキャンパスを移転した大学としては初めての全面都心回帰であった。これらを起因として東洋大学が入学志願者数を急増させると、郊外移転した大学が都心回帰をさらに検討するようになった。その他、國學院大學・共立女子大学・昭和音楽大学・立正大学・青山学院大学なども本部のあるキャンパスへ全面的に回帰することが決定している。さらに東洋大学は自校の文系5学部の志願者増を受けて2009年から群馬県板倉町にある国際地域学部を白山キャンパスへ移転、加えて旧北区立赤羽台中学校跡地を入手して川越キャンパスから総合情報学部を2017年に赤羽台キャンパス(仮称)へ移転するなどさらに都心回帰を推し進めることになった。 帝京平成大学は池袋にある豊島区の小学校跡地を入札で落札し、本館を建設。また池袋にあったファミリーマート本社跡地に帝京平成大学1号館を開設した。都心回帰と言うよりは都心進出の動きを見せている。
近畿圏においても、神戸学院大学が神戸市中央区のポートアイランドの再開発事業の一環として都心部に大規模な新キャンパスを開設したり、同志社大学が京都市上京区の系列の中学を移転させ大学用地を拡張するなどの動きが起こっている。 また、大阪市立大学や関西学院大学、龍谷大学など、大阪市中心部の梅田や中之島にサテライトキャンパスを設置するケースが増えている。
人口の増加(比率)が顕著な自治体
- 東京都中央区
- 増加率5.43%/年(2006)。2000年からの5年間で約35%の人口増加を記録。高層マンション建設が進む勝どきや晴海、月島など湾岸エリアで増加が目立ち、若いファミリー層の移住が進んでいる。
- 大阪市中央区
- 増加率3.44%/年(2006)。2000年からの5年間で約21%の人口増加を記録。居住用タワーマンションの建設・計画が各地で進行中。
- 大阪市西区
- 増加率2.98%/年(2006)。都心に近接した便利な地域として注目され、単身者や若年層の移住が目立つ。
- 大阪市天王寺区
- 増加率2.92%/年(2006)。大阪市内有数の文教地区・優良住宅街として近年転入者が増加。人口増加率は市内でも屈指の水準。
- 東京都千代田区
- 増加率2.84%/年(2006)。神田周辺で単身者や中高年層向けのマンションが多数建設。
- 東京都港区
- 増加率2.49%/年(2006)。都心の赤坂や汐留、台場、芝浦などの湾岸エリアにおける再開発により、高層マンション建設が進捗。
- 東京都江東区
- 増加率2.38%/年(2006)。豊洲、有明などの湾岸エリアに高層マンションが次々に建てられ、若いファミリー層の移住が目立つ。
因みに、人口増加数の多い東京都の区市(2007年10月1日推計人口、対前年同月比)は、
である[1]。広義の意味では23区を都心という場合もある(都心参照)。
人口が増加から減少に転じた自治体
これらの地域は東京23区、大阪市など大都市の中心部(都心)から距離があるものの、比較的鉄道の便が良く大都市中心部まで列車で通える地域にあり、郊外のベッドタウンとしてバブル期や1990年代まではほぼ順調に人口増加を続けていたが、その後人口動態が社会減に転じたところが多く一部の地域においては既に自然減や総数減少にまで移行している。
東京圏
- 東京都多摩市 - 京王線・京王相模原線・小田急多摩線 - 多摩ニュータウンを擁する自治体として有名であり、1994年に人口が減少したため、多くのメディアで多摩ニュータウンの衰退として報じられた。その後人口は微増中。一方、多摩ニュータウンそのものの人口は増え続け、1990年に148,607人[2]だった人口は、1995年に173,767人[2]、2000年に189,206人[2]と、10年間で4万人以上の増加があったが、都心回帰の流れのなか事業の意義が問われるようになり、人口が202,574人[2]となった2005年に多摩ニュータウン開発は終了した。
- 神奈川県横須賀市 - 京急本線・JR横須賀線
- 神奈川県小田原市 - JR東海道線・小田急小田原線
- 千葉県野田市 - 東武野田線 - 首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス開通に伴い再び人口増加に転じている。
- 千葉県茂原市 - JR外房線・(JR京葉線・JR総武線)
- 千葉県我孫子市 - JR常磐線・JR成田線
- 埼玉県春日部市 - 東武伊勢崎線・東武野田線
- 埼玉県狭山市 - 西武新宿線
- 埼玉県飯能市 - 西武池袋線
- 埼玉県東松山市 - 東武東上本線
- 埼玉県日高市 - JR八高線・JR川越線 - 近年になって再び人口増加に転じている。
- 埼玉県久喜市 - JR宇都宮線・東武伊勢崎線・(東武日光線)
- 埼玉県幸手市 - 東武日光線
- 茨城県古河市 - JR宇都宮線
- 茨城県取手市 - JR常磐線・関東鉄道常総線 - 隣接する守谷市ではつくばエクスプレス線開通の影響で、人口が急増している。
- 山梨県大月市 - JR中央線
- 山梨県上野原市 - JR中央線
京阪神
- 大阪府豊中市 - 阪急宝塚線・北大阪急行南北線 - 最大時には41万人を超える人口を擁したが、都心回帰や少子高齢化などで人口は長く漸減傾向。
- 大阪府寝屋川市 - 京阪本線・JR学研都市線
- 大阪府河内長野市 - 南海高野線・近鉄長野線 - とくに人口減の顕著な20~30歳代の世代への対策として、2011年度から2013年度にかけて、「新婚世帯持家取得補助制度」「新婚世帯家賃補助制度」を実施している。
- 大阪府阪南市 - 南海本線
- 兵庫県明石市 - JR山陽本線・山陽電気鉄道本線
- 兵庫県三田市 - JR宝塚線
- 京都府城陽市 - 近鉄京都線・JR奈良線
- 京都府亀岡市 - JR嵯峨野線
- 京都府八幡市 - 京阪本線
- 奈良県大和郡山市 - 近鉄橿原線・JR大和路線
- 奈良県大和高田市 - 近鉄大阪線・近鉄南大阪線
- 奈良県桜井市 - 近鉄大阪線・JR桜井線
- 三重県名張市 - 近鉄大阪線
中京圏
参考文献・脚注
- 共同通信2003年7月24日全国配信記事
- 読売新聞2005年8月20日朝刊
- 共同通信2005年2月28日全国配信記事
- 毎日新聞社『エコノミスト』2007年1月16日号