幸手市
テンプレート:Infobox 幸手市(さってし)は埼玉県東部にある人口約5万3千人の市である。東京都特別区部への通勤率は14.6%(平成22年国勢調査)。2012年(平成24年)10月に白岡市が発足するまで埼玉県内で市の中では人口が最も少なかった。
概要
江戸時代から日光御成街道と日光街道(奥州街道)の合流点に位置する宿場町として栄えていた。市内には徳川将軍が日光東照宮へ墓参する際に立ち寄った聖福寺や明治天皇が行幸した折に宿泊した行在所跡が残る。近年は人口の減少をみている。
地理
関東平野のほぼ中央にあり、埼玉県内では東部地域の北寄りに位置する。東京都心からの距離は約50kmである。利根川に近く、ほぼ全域が海抜10m前後の沖積低地である。しかし東部には、自然堤防の微高地や下総台地の末端部など、海抜20m前後の台地状地形も存在する。
市の西寄りを南北に東武日光線と国道4号が縦断しており、東武日光線幸手駅とその東側の旧道(旧・日光街道)、国道4号を中心に宅地を中心とする市街地が広がる。市街地の外側では水田地帯中に集落が散在している。
近年は市南西部の国道4号沿いに多くの郊外型店舗が出店しており、2006年(平成18年)には大規模なショッピングセンターも開店した。一方で市中心部にある商店街の買い物客が減少しているとされる。テンプレート:要出典
河川
湖沼
大字、町の個数
幸手町 | |||||||||
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幸手 | 桜田 | 行幸 | 上高野 | 権現堂川 | 吉田 | 豊岡 | 八代 | 幸手団地 | |
昭和30年代後半 | 2大字 | 2大字 | 5大字 | 1大字 | 4大字 | 5大字 | 4大字 | 8大字 | |
幸手市 | |||||||||
平成19年 | 2大字20町 | 2大字4町 | 5大字 | 1大字1町 | 4大字 | 5大字 | 4大字 | 8大字6町 | 6町 |
人口
旧幸手町
注意:ここに記した旧幸手町は1954年(昭和29年)~1955年(昭和30年)合併以前の町域を対象としており、他の行幸地区、上高野地区、吉田地区、権現堂川地区、桜田地区、八代地区、豊岡地区に関しては、行幸村、上高野村、吉田村、権現堂川村、桜田村、八代村、豊岡村の項を参照されたい。
人口
面積
地名
以下は旧幸手町の大字および小字である。なお、大字幸手の小字に関しては幸手宿の項を参照されたい。
- 内国府間(うちごうま)
- 明治合併以前「内国府間村(うちごうまむら)」
- テンプレート:Multicol
- 本村前(ほんむらまへ)
- 本村裏
- 岸内(きしうち)
- 新田裏(しんでんうら)
- 新田前(しんでんまへ)
- 順礼(じゆんれい)
- テンプレート:Multicol-break
- 海道東(かいだうひがし)
- 壹丁田(いつちやうだ)
- 長戸呂
- 中新田
- 内記新田
- 本村
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明治以前の産物
歴史
注意:幸手市およびその前身の幸手町と合併する以前の各町村の歴史についてはそれぞれの項目を参照。
近代以前
- 古代から中世までは下総国葛飾郡に属す。
- 幸手の地名はこの地に日本武尊が東征に際して「薩手が島」に上陸、田宮の雷電神社に農神を祭ったという言い伝えが残っており、「幸手」の市名はその薩手(さって)に由来すると伝えられている。
- 鎌倉時代から江戸時代の初めにかけては古河公方の家臣一色氏の領地であったが、その後大部分は天領に、関宿向川岸・槙野地は下総国関宿領となった。このころ五街道が整備され、日光街道の宿場町(幸手宿)として現在の市街地の基盤が形成される。
略歴年表
- 1319年(元応元年) - 一色氏が三河国幡頭郡一色より下総国田宮荘に入部する。
- 1399年(応永6年) - 一色直兼が田宮荘に入部する。
- 1498年(明応7年) - 田宮の浪寄に石堂四郎義房と大安養康が宝持寺を建立する。
- 1526年(大永6年) - 2月15日、宝持寺開山の季雲が寂す。
- 1547年(天文18年) - 4月25日、宝持寺第二世の大安養康が102歳で寂す。
- 1554年(天文23年) - 10月、北条氏康が古河公方足利晴氏を攻め、北条軍により田宮城および天神島砦が落城する。
- 1555年(天文24年) - 一色宮内少輔直勝が北条氏康より田宮荘の本領に安堵される。
- 1590年(天正18年) - 一色宮内大輔直朝と子の義直が田宮城を退去し、下総国大淵寺に隠居する。直朝の二子である政義は川崎(上川崎)に隠棲し渡辺大膳と改称し土着する。
- 1591年(天正19年) - 12月、徳川家康は一色宮内義直を御家人とし武州幸手5160石を賜る。
- 1592年(文禄元年) - 1月23日、徳川家康が葛飾郡幸手の不動院と浦和・中尾の玉林坊に年中行事職を安緒する。
- 1609年(慶長14年) - 11月、一色宮内義直が72歳で没す。
- 1615年(元和元年) - 一色照直が大阪に出陣し伏見加番中に没す。
- 1616年(元和2年) - 3月1日、一色政義が上川崎の渡辺家にて没す。
- 1641年(寛永18年) - 権現堂川が利根川に疏通する。
- 1642年(寛永19年) - 4月21日、徳川家光は日光社参の帰路に幸手宿の正福寺にて昼食休憩を行う。
- 1648年(慶安元年) - 幸手宿の宝持寺と聖福寺がそれぞれ寺領10石を付せられる。
- 1651年(慶安4年) - 4月10日、幸手宿の御憩息所をはじめとする宿場の3分の2を焼失し、伊奈忠治が注進する。
- 1660年(万治3年) - 伊奈忠克により葛西用水路が開削・整備され、琵琶溜井などが形成される。
- 1780年(安永9年) - 6月、大雨による増水で利根川・荒川などが決壊し水害が起こる。この年に幸手宿をはじめ栗橋宿・杉戸宿・粕壁宿・草加宿は水難による修理費として幕府に拝借金を請願する。
- 1784年(天明4年) - 葛飾郡幸手宿の名主などによる窮民賑救を称し、正福寺境内に「義賑窺餓の碑」が建立される。
- 1795年(寛政7年) - 幸手の知久文左衛門が幕府により権現堂川・江戸川の水防見廻役に命じられる。
- 1809年(文化6年) - 8月、国学者の橘守部が葛飾郡幸手宿に移住する。
- 1826年(文政9年) - 6月、権現堂川筋の大修築が幕府により行われる。
- 1833年(天保4年) - 8月28日、葛飾郡幸手宿に米穀屋の打ちこわしが起る。
- 1868年(明治元年) - 8月、幸手宿をはじめ、ほぼ今日の市域が下総知県事の所轄となる。
- 1869年(明治2年) - 1月、下総知県より葛飾県となる。
- 1871年(明治4年) - 11月、葛飾県・小菅県の両県が廃止となり、埼玉県となる。
- 1872年(明治5年)
- 1873年(明治6年)
- 1875年(明治8年) - 6月、知久文題宅より担景寺に幸手学校が移転する。
- 1876年(明治9年) - 権現堂川堤が改修され、行幸堤となる。
- 1877年(明治10年) - 幸手警察署が置かれる。
- 1881年(明治14年) - 7月30日および31日に明治天皇東北巡りで幸手に宿泊する。
- 1886年(明治19年) - 幸手学校が尋常小学幸手学校となる。
- 1888年(明治21年) - 久喜幸手道(久喜新道、現:県道幸手久喜線)が開通する。
- 1889年(明治22年)
- 1890年(明治23年) - 6月、幸手町に電信分局が開設される。
- 1891年(明治24年) - 幸手町に幸手商業会が設立される。
- 1894年(明治27年) - 電報が開始される。
- 1895年(明治28年) - 3月30日、千葉県東葛飾郡関宿町大字向河岸及び大字向下河岸が分離して中葛飾郡豊岡(とよおか)村に編入され、豊岡村大字西関宿となる。
- 1896年(明治29年) - 3月29日、中葛飾郡が北葛飾郡に統合される。
- 1899年(明治32年) - 大雨により権現堂川の堤防が決壊する。
- 1908年(明治41年) - 3月31日、幸手町外六ヶ村組合幸手農業学校の設置が認可され、幸手町大字幸手仲1391番地に開校する。
- 1910年(明治43年) - 関東大水害により大水が発生する。
- 1911年(明治44年) - 電話線開通。
- 1914年(大正3年) - 電燈が設けられる。
- 1917年(大正6年) - 北葛飾郡桜井村大字細野が分離し北葛飾郡吉田村に編入される。
- 1913年(大正12年) - 9月1日、関東大震災により被災する。
- 1928年(昭和3年)
- 1929年(昭和4年) - 4月1日、東武日光線幸手駅が開業。
- 1930年(昭和5年) - 3月、北葛飾郡上高野村の葛西用水路琵琶溜井樋管が総工費1万9100円をかけ改修される。
- 1932年(昭和7年) - 4月、南埼玉郡太田村大字栗原に「葛西用水路五閘改修之碑」が建立される。
- 1933年(昭和8年) - 幸手町に図書館が設立される。
- 1941年(昭和16年) - 幸手実業学校(現:埼玉県立幸手桜高等学校)が開校する。
- 1947年(昭和22年) - カスリーン台風により水害が発生する。
- 1954年(昭和29年) - 11月3日、幸手町・行幸村・上高野村・吉田村・権現堂川村が合併し、新たに幸手町となる。
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年) - 幸手電報電話局が置かれる。
- 1958年(昭和33年) - 幸手旧市街地(幸手宿)を迂回する国道4号の現道が開通する。
- 1959年(昭和34年) - 江戸川の堤防工事が開始される。
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年) - 上水道が整備される。
- 1964年(昭和39年) - 有線放送が開始される。
- 1966年(昭和41年) - 屎尿処理場が整備される。
- 1967年(昭和42年) - 幸手町役場の新庁舎が竣工する。
- 1968年(昭和43年) - ごみ処理場が竣工する。
- 1969年(昭和44年) - 埼玉県道26号境杉戸線が改修される。
- 1972年(昭和47年)
- 栄第一小学校が開校する。
- 上高野小学校が移転する。
- 1973年(昭和48年) - 幸手町中央公民館および農村文化センターが開館する。
- 1974年(昭和49年) - 幸手町消防署が置かれる。
- 1975年(昭和50年) - 長倉小学校が開校する。
- 1976年(昭和51年) - 栄第二小学校・栄中学校が開校する。
- 1978年(昭和53年) - 幸手東小学校・東中学校・西中学校が開校する。
- 1979年(昭和54年) - 町立吉田幼稚園が開園する。
- 1980年(昭和55年)
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年) - 桜泉園可燃ごみ処理場が竣工する。
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)
- 幸手町西公民館および西農村文化センターが設けられる。
- 権現堂川小学校が移転する。
- 幸手町児童館が開館する。
- 1986年(昭和61年)
- 3月28日、上吉羽中央公園および上吉羽西公園が開園する。
- 10月1日
- 市制施行により、幸手市となる。
- 市民憲章が制定され、文化都市宣言が宣言される。
- 10月、勤労者体育センター多目的グラウンドが竣工する。
- 11月、市制施行により幸手商工会が「幸手市商工会」へと改名される。
- 1987年(昭和62年)
- 4月、幸手駅前貫通道路が開通する。
- 5月、幸手市北公民館が開館する。
- 10月、幸手市民体操が発表され、第1回ふるさと祭りが催される。
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)
- 1月、都市計画道路幸手鷲宮線が開通する。
- 6月、勤労福祉会館が開館する。
- 1990年(平成2年)
- 4月1日、平和都市宣言が宣言される。
- 4月、香日向小学校が開校する。
- 4月、在宅老人デイサービスが開始される。
- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年)
- 1993年(平成5年)
- 4月、テレホンガイドが導入される。
- 5月、幸手市消防署西分署が置かれる。
- 1994年(平成6年)
- 3月、幸手市営釣り場が開設される。
- 4月、よろず相談所が開設される。
- 10月、さくら10万本運動が開始される。
- 11月、第1回幸手市民祭りが開催される。
- 1995年(平成7年)
- 1996年(平成8年)
- 1月、幸手市内循環バスの運行が開始される。
- 4月、首都圏中央連絡自動車道の都市計画が決定される。
- 4月、埼玉県道152号加須幸手線のバイパスが一部開通する。
- 5月、心身障害者地域デイケア施設「さくらの里」が開設される。
- 6月、第2次行政改革大網を策定する。
- 10月、市制施行10周年記念式典が催される。
- 10月、第1回クリーン幸手市民運動が催される。
- 10月、東さくら通りに寒桜が植栽される。
- 1997年(平成9年)
- 3月、市民より公募をした「幸せの手形」アスカル幸手に設置する。
- 4月、第4次幸手市総合振興計画が策定される。
- 4月、権現堂桜堤に県下最高の33万人の花見客が訪れる。
- 10月、ごみの分別収集が開始される。
- 1998年(平成10年)
- 3月、さくらふれあい広場が竣工する。
- 4月、24時間巡回型ホームヘルプサービスが開始される。
- 田園都市づくり協議会による公共施設の相互利用が開始される。
- 県内初の投票管理システムを導入する。戸籍情報システムを導入する。幸手市内循環バスの利用者が10万人を超える。
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)
- 栄第一小学校と栄第二小学校の統合が決定する。
- 神扇グラウンドが竣工する。
- 心身障害者デイケア施設「なのはなの里」が開設される。
- 乳幼児医療費支給年齢(入院分)を小学校入学前にまで拡大される。
- 第10回さくらマラソン大会が開催される。
- 2台目の高規格救急車が導入される。
- 2002年(平成14年)
- 幸手東小学校と緑台小学校の統合が決定する。
- 行幸湖で第1回ドラゴンボート大会が開催される。
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)
- 幸手東小学校と緑台小学校が統合され、さくら小学校が開校する。
- 幸手市保健福祉総合センター(ウェルス幸手)が開設される。
- 中心市街地活性化に向け「TMO幸手」を認定する。
- 幸手市行財政改革ATCプランが策定される。
- 幸手駅東口駅前広場を2007年度(平成19年度)の工事完了を目指し「完了期間宣言路線」として公表される。
- 本因坊八世伯元・九世察元に続き十世裂元の墓石が発見される。
- 2006年(平成18年) - 5月14日、香日向コミュニティセンターと東鷲宮駅を結ぶ路線バスが中田観光バスにより運行開始。
- 2008年(平成20年) - 3月14日、幸手駅東口駅前広場竣工。竣工式典挙行。
- 2009年(平成21年) - 3月31日、幸手市立栄中学校が閉校となり、幸手市立幸手中学校に統合される。
- 2010年(平成22年) - 4月1日、日本保健医療大学開学。
- 2012年(平成24年)
- 3月31日、幸手市立香日向小学校閉校。
- 5月7日、東埼玉総合病院が市内に移転、開院する。
- 7月、埼玉利根保健医療圏医療連携推進協議会による「とねっと」の本格運用が開始される。
- 2013年(平成25年)
平成の大合併における幸手市の動向
平成の大合併に際して幸手市では当初、県は異なるけれども経済圏や生活圏が同一であるため隣接する茨城県猿島郡五霞町との合併を目指して法定協議会を設置し、準備を進めていた。しかし、合併後の帰属県など越境合併特有の難点もあり越県合併反対運動が発生、最終的に増田実市長のリコール運動へと発展した。発議事態は無効となったものの増田市長は責任を取って辞職し、2003年(平成15年)11月22日に出直し市長選が行われ隣接する久喜市の水道部長であった町田英夫が新市長に当選。この結果を受けて同じ埼玉県内での合併に方針転換し、12月に久喜市と鷲宮町が設置していた合併協議会へ加わった。
2004年(平成16年)、3市町の合併後の新市名を「桜宮市」とすることが決定するがこの名称に対し久喜市で反発が強まり、桜宮市を新設して合併を行う是非を問う住民投票が実施され、その結果幸手市や鷲宮町では賛成票が上回ったのに対し久喜市で反対票が上回り合併構想は白紙撤回されることになった。
2007年(平成19年)12月、町田市長は久喜市と鷲宮町・栗橋町・南埼玉郡菖蒲町の4市町が新たに設置した協議会で進められている合併協議に加わる意向を表明したが、協議会側は幸手市議会の承認を参加条件としたことから幸手市側は合併特例法の期限である2010年(平成22年)3月までに手続きが間に合わないとしてこれを拒否し、単独で存続することとなった。
行政
市長
- 渡辺邦夫(2011年11月9日 -)
歴代市長
- 町田英夫(2003年11月9日 - 2011年11月8日)
- 増田実
財政
一時、歳入に占める借金の割合である実質公債比率が18%を超えたため、借金に当たる地方債発行に県の許可が必要な地方債許可団体に移行。 埼玉県内ワースト3位の財政状況となったことがある。
財政健全化計画の策定及び実施により、平成19年度に実質公債比率が18%を下回り地方債許可団体を外れ、現在の財政状況は好転している。
広域行政
- 広域利根斎場組合 - 加須市、久喜市、宮代町と共に斎場運営を行っている。
- 田園都市づくり協議会
- 利根川栗橋流域水防事務組合 - 春日部市、久喜市、杉戸町、茨城県五霞町と共に水防事務を行っている。
- 埼玉利根保健医療圏医療連携推進協議会(とねっと)
公共施設等
- 幸手市民文化体育館(アスカル幸手)
- 幸手市保健福祉総合センター(ウェルス幸手)
- コミュニティーセンター
- 幸手市立図書館
- ひばりヶ丘球場
- 勤労福祉会館
- 老人福祉センター
- 児童館
- 武道館
- 市営釣場神扇池
- 神扇グラウンド
- 大島新田多目的グラウンド
公園
消防
- 埼玉東部消防組合
- 幸手消防署
- 西分署
- 幸手消防署
警察
県の出先機関
- 幸手保健所
経済
農業
農産物
農業系組合
商業
商工系組合
商業施設
- エムズタウン幸手
- 幸手北モール
工業団地
- 幸手工業団地
- ひばりが丘工業団地
金融機関
- 埼玉りそな銀行幸手支店
- 武蔵野銀行幸手支店
- 栃木銀行幸手支店
- 埼玉縣信用金庫幸手支店
- 埼玉みずほ農業協同組合(JA埼玉みずほ)
- 本店
- 幸手支店
- 行幸支店
- 幸手東支店
地域
教育
- 小学校
- 中学校
- 高等学校
- 専修学校
- 大学
かつて存在した学校
- 幸手町立八代中学校(1978年(昭和53年)3月31日閉校)
- 幸手町立吉田中学校(1978年(昭和53年)4月1日から吉田中学校の所在地に東中学校を新設)
- 幸手市立栄中学校(2009年(平成21年)3月31日閉校)
- 幸手町立吉田第一小学校(1984年(昭和59年)3月31日閉校)
- 幸手町立吉田第二小学校(1984年(昭和59年)3月31日閉校)
- 幸手市立栄第一小学校(2003年(平成15年)3月31日閉校)
- 幸手市立栄第二小学校(2003年(平成15年)4月1日から栄第二小学校の所在地にさかえ小学校を新設)
- 幸手市立幸手東小学校(2005年(平成17年)3月31日閉校)
- 幸手市立緑台小学校(2005年(平成17年)4月1日から緑台小学校の所在地にさくら小学校を新設)
- 幸手市立香日向小学校(2012年(平成24年)3月31日閉校)
- 埼玉県立幸手高等学校(2013年(平成25年)3月31日閉校)
- 埼玉県立幸手商業高等学校(2013年(平成25年)4月1日から幸手商業高等学校の所在地に幸手桜高等学校を新設)
電話番号
市外局番は市内全域が「0480」。同一市外局番の地域との通話は市内通話料金で利用可能(久喜MA)。収容局は幸手局および幸手八代局。
郵政
郵便番号は市内全域が「340-01xx」である。
- 幸手郵便局 - 幸手市全域の集配を担当
- 幸手中郵便局
- 幸手団地内郵便局
- 八代郵便局
住宅団地
- 幸手上高野住宅 (幸手市上高野)
- 幸手南さくら住宅 (幸手市南)
- 幸手北住宅 (幸手市北)
- 幸手西住宅団地 (幸手市香日向)
- 埼玉県営幸手さくら団地
- 埼玉県営幸手北団地
- 東武幸手団地
- 幸手団地
交通
鉄道
- 東武日光線 - 幸手駅
- 市東部は朝日自動車境車庫から東武動物公園駅行きのバス路線が通じており、市内の幸手駅を使用せず東武伊勢崎線の連絡している東武動物公園駅を利用する地域住民も多い。また市の北西部(香日向地区等)の最寄り駅は久喜市の東鷲宮駅、市の南西部(栄地区等)の最寄り駅は杉戸町の杉戸高野台駅である。
- 市の西をほんのわずかだけ東北新幹線がかすめて通過している。市内に新幹線駅は無い。
路線バス
タクシー
タクシーの営業区域は春日部市・草加市・越谷市・久喜市・八潮市などとともに県南東部交通圏となっている。
- 幸手タクシー
- 共和タクシー
道路
- 高速道路
- 首都圏中央連絡自動車道(圏央道) - 幸手インターチェンジ
- 一般国道
- 主要地方道
- 一般県道
- その他主要道路
愛称のある道路
- 日光街道(国道4号・市道(大字上高野地内)・埼玉県道65号さいたま幸手線)
- 日光御成街道(埼玉県道65号さいたま幸手線)
- 大正新道(埼玉県道152号加須幸手線)
- 浅間横町(埼玉県道152号加須幸手線)
- 妙観横町(日光御廻り道、市道)
- 問屋場横町(埼玉県道414号幸手停車場線)
- 久喜新道(幸手久喜新道、埼玉県道153号幸手久喜線)
- 擔景寺横町
- 東さくら通り
- 八重桜通り
- ふるさとの並木道
- ふれあい散策路
- 中央通り(香日向地区)
- あきにれ通り
- 東木もれ陽通り
- ゆりの木通り
- 西木もれ陽通り
- かえで通り
名所・旧跡・祭典・観光スポット
- 権現堂堤(桜土手) - 埼玉県内有数の桜並木があり、本数は約1000本。
- 行幸湖(権現堂川・権現堂調整池) - 2004年彩の国まごころ国体カヌー競技開催
- 棒出し
- マリア地蔵
- 義賑窮餓之碑
- 平将門の首塚(幸手市指定文化財史跡) - 浄誓寺境内にある。
- 岸本家住宅主屋(国の登録有形文化財)
神社・寺など
- 浅間神社 (幸手市北)
- 雷電神社 (幸手市)
- 幸宮神社 (幸手市)
- 天神神社 (幸手市中)
- 一色稲荷神社 (幸手市)
- 神明神社 (幸手市中)
- 香取神社 (幸手市中)
- 上高野神社
- 香取神社 (幸手市大字中川崎)
- 香取神社 (幸手市大字下川崎)
出身著名人
- 伯元(囲碁本因坊家八世)
- 察元(囲碁本因坊家九世)
- 烈元(囲碁本因坊家十世)
- 岡田寄良(江戸時代の剣術家)
- 遠藤柳作(元貴族院議員)
- 三ッ林幸三(元衆議院議員、幸手町長)
- 三ッ林弥太郎(元衆議院議員、科学技術庁長官)
- 三ッ林隆志(元衆議院議員、三ッ林弥太郎の次男)
- 小森谷昭(埼玉県議会議員、元幸手市議会議員)
- 秋谷昭治(前埼玉県議会議員、元議長)
- 渡辺邦夫(幸手市長)
- 橘守部(国学者、青年期幸手宿に在住)
- 美水かがみ(漫画家、「らき☆すた」の作者)
- 中川京美(演歌歌手)
その他
- 神扇スプレー倉庫爆発火災 - 跡地は2007年現在更地
- らき☆すた
脚注
外部リンク
テンプレート:Navbox- ↑ 『幸手市史調査報告書第10集 村と町 -往時の幸手-(182ページ)』 幸手市史編さん室 編集 幸手市教育委員会 発行 平成十三年三月二十六日 発行
- ↑ 『幸手市史調査報告書第10集 村と町 -往時の幸手-(182ページ)』 幸手市史編さん室 編集 幸手市教育委員会 発行 平成十三年三月二十六日 発行
- ↑ 『幸手市史調査報告書第10集 村と町 -往時の幸手-(223ページ)』 幸手市史編さん室 編集 幸手市教育委員会 発行 平成十三年三月二十六日 発行
- ↑ 『幸手市史調査報告書第10集 村と町 -往時の幸手-(182ページ)』 幸手市史編さん室 編集 幸手市教育委員会 発行 平成十三年三月二十六日 発行