栗橋町
テンプレート:Infobox 栗橋町(くりはしまち)とは、かつて埼玉県の北東部に存在した人口約2万7千人の町である。2010年(平成22年)3月23日、久喜市、南埼玉郡菖蒲町及び北葛飾郡鷲宮町との合併により消滅した。
目次
概要
江戸時代には日光街道が利根川を越える要地として栗橋関所がおかれた宿場町(栗橋宿)であった。国道4号・国道125号・埼玉県道3号さいたま栗橋線等の主要道路が交差する交通の節点である。また、歴史的な地名としての「栗橋」には現在の茨城県猿島郡五霞町の一部(元栗橋地区)を含む場合があり、古河公方家の支城・栗橋城は両町の境界線上にある(現在「栗橋城址」とされる史跡は行政区的には五霞町側に所属するが、城の一部は権現堂川右岸である栗橋町側にも及んでいた)。
地理
概要
関東平野のほぼ中央部に位置し、加須低地と呼ばれる低地が中心の地形である。北葛飾郡の北端に位置する。東武日光線が南東部から北西部へと縦断し、JR東北本線(宇都宮線)が南西部から北東部へと縦断する。両線は栗橋駅で交わり、相互に乗り換えることができる。町域南部を東北新幹線が通過するが、町内に駅はない。
町の東端、旧利根川の流路である権現堂川の自然堤防上を国道4号が南北に縦断している。中心市街の東側の栗橋交差点からは国道125号が西の加須市、熊谷市方面に伸びる。また町西部では、国道125号から埼玉県道3号さいたま栗橋線が分岐し南下する。その他、国道125号の北側を平行する形で羽生市に通じる県道が2本ある。
中心市街は町の北、栗橋駅周辺からかつての栗橋宿の周辺に広がる。かつての栗橋関所と栗橋宿は、町の北端、利根川に接する位置にあり、栗橋駅はそこから南西に約1キロメートル離れている。一戸建ての住宅が多く、商店街はもとの栗橋宿、駅前、及び両者をつなぐ道路に展開している。栗橋町役場(現:久喜市栗橋総合支所)はこの市街地の南の角にある。南栗橋駅の西側を中心とした地域にも、まとまった住宅地(東武鉄道主導によるニュータウンで計画人口は14000人。豊田土地区画整理事業により整備された南栗橋1丁目~南栗橋12丁目。)がある。他は水田と住宅が入り混じる。栗橋駅西側は西口が近年の設置ということもあり、栗橋駅西土地区画整理事業は行われているが東口ほどの発展は現状では無く有料駐車場が広がっている。
利根川には水位観測点が設置されている。この地点は渡良瀬川と利根川の合流点と利根川と江戸川の分岐点の間に位置するため、台風や大雨の際に警戒水位を超える事があり、テレビのニュースなどで取り上げられる事がある。
地名
- 新井
- 伊坂
- 河原代
- 北広島
- 狐塚
- 栗橋
- 北(現:栗橋北)
- 中央(現:栗橋中央)
- 東(現:栗橋東)
- 小右衛門
- 佐間
- 島川
- 高柳
- 中里
- 間鎌
- 松永
- 緑
- 南栗橋
河川
湖沼
道路
旧栗橋町
注意:ここに記した旧栗橋町は1944年(昭和19年)4月1日合併以前の町域を対象としており、豊田地区および静地区に関しては豊田村 ・静村の項を参照されたい。
地名(小字)
栗橋宿(くりはしじゅく、町制後「大字栗橋」) テンプレート:Multicol
- 小右衛門(こえもん)
- 道下(みちした)
- 道上
- 町裏
- 道下(みちした)
- 広島(ひろしま)
- 河原台(かはらだい)
歴史
- 古代から中世までは下総国葛飾郡に属す。
- 1624年(寛永元年) - 新栗橋に関所が成立。番士4人をおく。
- - 同年、利根川洪水により、下川通りの堤が決壊。
- 1635年(寛永12年) - この頃より、各宿駅に本陣・脇本陣を整える。
- 1641年(寛永18年) - 権現堂川開削。栗橋、下総国から武蔵国に編入。
- 1654年(承応3年) - 新栗橋を栗橋宿へと改称。
- 1704年(宝永元年) - 利根川洪水。中里大池・新井宝永池・狐塚弁財池などができる。関所流失。
- 1721年(享保6年) - 利根川大洪水。新井・享保池がこの頃できる。
- 1725年(享保10年) - 栗橋上町から出火。宿内の家屋残らず消失。
- 1742年(寛保2年) - 利根川大洪水により、牛頭天王社・関所・経蔵院など流失。
- 1743年(寛保3年) - 関所が再建される。
- 1757年(宝暦7年) - 利根川洪水。
- 1780年(安永9年) - 利根川大洪水。
- 1783年(天明3年) - 浅間山の大噴火により利根川の流路が変わる。
- 1786年(天明6年) - 関東・陸奥大洪水。関所の柵が流失。
- 1791年(寛政3年) - 洪水により、高柳地内で破堤。
- 1802年(享和2年) - 江戸大洪水。栗橋権現堂大堤が破堤。
- 1810年(文化7年) - 栗橋宿大火。(弥七火事)。
- 1816年(文化13年) - 船戸から出火。22軒余り焼失。
- 1822年(文政5年) - 栗橋宿大火により、宿内の130軒余りが焼失。
- 1824年(文政7年) - 利根川大洪水。中里新池ができる。
- 1844年(弘化元年) - 利根川洪水。
- 1846年(弘化3年) - 利根川洪水。新井・狐塚切所より領内に水入。
- 1854年(安政元年) - 安政地震。「栗橋激震あり、地盤亀裂・泥水噴出、全半壊家屋多し」という記述あり。
- 1856年(安政3年) - 大風により、栗橋宿内家屋・樹木が倒壊。
- 1862年(文久2年) - 船戸から出火し、鍛治町から本通りに燃え移る。58軒余り焼失。
- 1868年(慶応4年) - 羽生で発生した打ちこわしが、栗橋へと波及。
- 1869年(明治2年) - 栗橋関所の廃止。房川渡の渡船場は、栗橋宿の経営となり、預り人と監督人をおいた。
- 1871年(明治4年) - 埼玉県に属す。
- 1872年(明治5年) - 栗橋郵便局が設立される。
- 1885年(明治18年)7月16日 - 日本鉄道第二支線(現:東北本線)栗橋駅が開業する。(別説では明治20年に栗橋駅開業)
- 1888年(明治21年) - 紡績工場が設立される。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、栗橋宿が北葛飾郡栗橋町となる。
- 1898年(明治31年) - 栗橋銀行が設立される。
- 1910年(明治43年) - 関東大水害による利根川の決壊により大水が発生する。
- 1920年(大正9年) - 東北本線が複線化される。
- - 同年、電燈が設置される。
- 1924年(大正13年) - 利根川橋が竣工する。房川渡が役割を終える。
- 1929年(昭和4年)4月1日 - 東武日光線の開通により東武鉄道の栗橋駅が開業、東北本線と東武日光線の乗換駅となる。
- - 同年、大越・栗橋間にバス路線が開通する。
- 1933年(昭和8年) - 大通りが舗装される。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 栗橋町・静村・豊田村が合併し、栗橋町となる。
- 1947年(昭和22年) - カスリーン台風により洪水が発生する。
- 1949年(昭和24年)10月1日 - 栗橋町から静村・豊田村が分割される。
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 栗橋町・静村・豊田村が合併し、栗橋町となる。
- - 同年、東北本線が電化される。
- 1959年(昭和34年) - 上水道が敷設される。
- 1964年(昭和39年) - 六か市町村水防事務組合が設立される。
- 1966年(昭和41年) - 栗橋駅前商店街が作られる。
- - 同年、利根川橋が複線化される。
- 1967年(昭和42年) - 県道大宮栗橋線(現:さいたま栗橋線)開通。
- - 同年11月27日、町章が制定される。
- 1968年(昭和43年) - 電話がダイヤル式となる。
- 1972年(昭和47年) - 水道所が新しくなる。
- - 同年、栗橋町役場の新庁舎(現:久喜市栗橋総合支所)ができる。
- 1974年(昭和49年) - スーパーマーケットが初出店する。
- 1975年(昭和50年) - 埼玉県立栗橋高等学校が開校する。
- 1976年(昭和51年) - 農村文化センターが設置される。
- - 同年4月、久喜地区消防組合に加入し、栗橋分署(消防署)が設置される。
- 1979年(昭和54年) - 町民センターが設けられる。
- - 同年5月1日、町の花(サルビア)・町の木(キンモクセイ)が制定される。
- 1982年(昭和57年)8月1日 - 栗橋町民憲章が制定される。
- 1988年(昭和63年) - 東武日光線南栗橋駅が開業する。
- - 同年、保健センターおよびB&G財団栗橋海洋センターが設置される。
- 1994年(平成6年)10月31日 - 総合文化会館(イリス)が設置される。
- 1998年(平成10年) - 栗橋町の人口が2万5000人を超す。
- - 同年、田園都市づくり協議会による公共施設の相互利用が開始される。
- 2000年(平成12年) - 栗橋駅が改修され、東西自由通路が設置される。
- 2001年(平成13年) - 町立東第一小学校・町立東第二小学校・町立北小学校が統合され、町立栗橋小学校となる。
- 2010年(平成22年)3月23日 - 北葛飾郡栗橋町・北葛飾郡鷲宮町・南埼玉郡菖蒲町・久喜市が合併し、新たに久喜市が発足した。
平成の大合併における動向
- 北川辺町・大利根町との合併で「東埼玉市」の新設を予定していたが、2004年9月26日に行われた大利根町の合併の是非を問う投票で反対票が賛成票を上回り、合併協議会は解散した。
- 2007年 - 鷲宮町・菖蒲町・白岡町・久喜市の1市3町による合併協議会が設立され、参加表明。協議の結果2007年12月12日に(蓮田市と合併する意向を示し、2007年12月6日付で合併協議から離脱した白岡町を除く)、久喜市・鷲宮町・菖蒲町・栗橋町の1市3町で、合併新法の期限内に合併を行うことで合意した。各市町で実施された合併に関する住民意向調査では全市町において賛成の過半数が確認され、事実上合併は決定した。合併方式は編入合併ではなく新設合併で、新市名は「久喜市」、市庁舎の位置も現久喜市役所を使用する。また、この合併協議には幸手市も参加の意向を示していたが、合併新法の期限に間に合わないことを理由に拒否した。なお、町名、字名については、栗橋町・鷲宮町・久喜市は原則現行通りとし、菖蒲町は「菖蒲町○○」、栗橋町・鷲宮町・久喜市にそれぞれ存在する「東・西・南・北・中央」は「旧市町名 + ○○」(例:栗橋町中央→久喜市栗橋中央、久喜市北→久喜市久喜北)となる。
- 2009年5月28日に1市3町の首長が合併協定書に調印。2010年3月23日、新たに「久喜市」の発足により栗橋町は消滅した。
行政
公共施設
- 栗橋文化会館(イリス)(図書室)
- 栗橋B&G海洋センター
- 栗橋公民館
- 栗橋いきいき活動センターしずか館
- 心身障害者デイケア施設くりの木
- 栗橋地域子育て支援センター・栗橋コミュニティーセンター(くぷる)
- 健康福祉センター(くりむ)
- 栗橋保健センター
- 南栗橋テニス場
- 南栗橋スポーツ広場
- 上下水道課
公園
- 南栗橋近隣公園 (豊田コミュニティプラザ)
- 内沼公園
- 大沼公園
- 魚越公園
- 狐塚公園
- 蓮沼公園
- 大堀公園
- 丁張公園
国の出先機関
広域行政
- 広域利根斎場組合(加須市、久喜市、幸手市、北埼玉郡騎西町、北埼玉郡北川辺町、北埼玉郡大利根町、南埼玉郡宮代町、南埼玉郡菖蒲町、北葛飾郡鷲宮町と共に、斎場運営を行っている。)
- 栗橋町外五箇市町水防事務組合(春日部市、北葛飾郡杉戸町、北葛飾郡鷲宮町、茨城県猿島郡五霞町と共に水防事務を行っている。)
- 栗橋・大利根土地区画整理一部事務組合(北埼玉郡大利根町と共に、栗橋駅付近の土地区画整理事業関連事務を行っている。)
- 栗橋・鷲宮衛生組合(北葛飾郡鷲宮町と共に、ごみ処理とし尿処理を行っている。)
- 田園都市づくり協議会(公共施設の相互利用や災害時の相互支援を目的としている。)
警察
- 幸手警察署
- 栗橋交番
- 南栗橋交番
消防
- 久喜地区消防組合
- 栗橋分署
経済
産業
商業
主な商業施設
- ベイシア栗橋店
- マミーマート栗橋店
- ドラッグストア セキ栗橋店
- スーパーフレッシュ(結城ショッピングセンター)栗橋店
- ラウンドワンさいたま・栗橋店
- ファッションセンターしまむら栗橋店
- マルヤ南栗橋店
等
工業
- 町内に工場・倉庫・事業所を置く主な企業
- 白元
- 東武鉄道
- ライフコーポレーション
- レンゴー
- 浦和ポリマー
- 大宮生コン
- 大塚金属
- 日発運輸
- 杉孝
- ユニオン建材ビルダー
農業
(全て2006年度のもの)
金融機関
- 埼玉りそな銀行栗橋支店
- 川口信用金庫栗橋支店
- 埼玉みずほ農業協同組合(JA埼玉みずほ)
- 栗橋支店
地域
健康
- 平均年齢:42.4歳(男=41.7歳、女=43.0歳)2006年(平成18年)1月1日現在
病院
教育
旧栗橋高校と旧北川辺高校が合併し新設された。 建物は旧栗橋高校を使用している。
栗橋町立
電話番号
市外局番は町内全域が「0480」。同一市外局番の地域との通話は市内通話料金で利用可能(久喜MA)。収容局は埼玉栗橋局のみ。
郵政
郵便番号は町内全域が「349-11xx」である。
交通
鉄道路線
タクシー
タクシーの営業区域は県南東部交通圏で、春日部市・草加市・越谷市・久喜市・八潮市などと同じエリアとなっている。
道路
名所・旧跡
- 八坂神社
- 当町の八坂神社は毎年7月の第3土日に「天王様」(てんのうさま)と呼ばれる祭が行われる。八坂神社は町の北端寄りに位置するが、屋台はその南にある旧東第一小学校(現在ハクレン館)の正門が面する通りに出店する。
- 静御前の墓