声優

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声優(せいゆう)とは、映像作品や音声作品に、の出演をする俳優のこと。物語の登場人物の声やナレーションを担当するのが主な仕事である。ボイスアクターと称されることもある。

声優名の前にCVと付いていることがあるが、これは「キャラクターボイス(Character Voice)」の略で、そのキャラクターの声を担当する声優であることを表す。キャラクターボイスとは、1980年代後半にアニメ雑誌アニメック』で副編集長だった井上伸一郎が提唱した俗称で、その後、井上が角川書店に移籍して創刊した『月刊ニュータイプ』によって普及した[1]

英語圏では、一般的に「voice actor(ボイスアクター)、voice actress(ボイスアクトレス)」と呼ばれる。

声優の仕事内容

アニメオリジナルビデオアニメ(OVA)ラジオドラマドラマCDテレビゲームテレビ映画洋画海外ドラマの日本語吹き替えなどがある。

アニメ

アニメの場合は、画面を見ながらタイミングをはかり自分の担当するキャラクターの台詞を言うアフレコと、事前に台詞を吹き込んでおくプレスコの2種類の方法があり、日本ではアフレコが主流である。近年のアフレコは未完成の絵のまま行うことが多い。声をあてることからアテレコとも言う。

出演料はランク制の適用を受ける。特に新作アニメにおいては予算が限られるため、ランクの高くない若手声優が主に起用される傾向にある。

日本語吹き替え

洋画・海外ドラマ・外国映画などの登場人物の声を演じる。

アニメ同様、ランク制の対象となる。

ゲーム

ゲームの場合は、進行に応じて個々の音声データを選択して再生するという性質上アニメや吹き替えとは大きく異なり、かけ合いではなく一人ずつ個別に収録するのが普通で、自分の台詞だけが延々と羅列された台本を見ながら録音のタイミングに合わせて声を吹き込む。そのため、共演者であっても顔を合わせたことがないというケースも多い。

かつては、ゲームソフト会社は音製連に属していなかったため、アニメよりもはるかに高額な報酬を声優に支払っていた時期があったが、1998年に日俳連と社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)の間で協議が持たれてからはランク制が適用され、アニメや外画と同等の出演料になった。ただし、CESAは家庭用ゲームソフトメーカーで組織されており、この協定は一般向けのゲームが対象になっている。

CD-ROMの普及し始めた1980年代末から増えた仕事である[2]。初期は据え置き型ゲームが中心だったが、近年では携帯型ゲームアーケードゲームでの仕事も増えている。

ラジオドラマ・ドラマCD

ラジオドラマドラマCD作品の登場人物・登場キャラクターの声を演じる。

ドラマCD化された後にアニメ化される場合は、担当声優が総入れ替えとなることが多い。

ナレーション

テレビ番組・テレビやラジオのCM・PRビデオなどの原稿を読む。

ランク制の対象外の仕事[注 1]で、またギャラは、アニメ・日本語吹き替え・ゲームよりもはるかに高額とされる[3]。ちなみにギャラが一番高いのは、企業がお金をかけるテレビCMだという[4]

キャリアを積んだ中堅・ベテランの声優が起用されることが多い。

舞台演劇活動

小劇場での公演がほとんどだが、俳優のように舞台演劇活動をする。声優が座長を務めている劇団もある。

歌手活動

1990年代前半頃からは、歌のCDを発売したり、コンサートを開催するなど、歌手活動もする声優が増えた。

アニメ・ゲームにおいては、主役またはメインキャラ級の担当声優になるとその作品の主題歌を歌うことがある。ファンを対象にしたキャラクター商品の1つとして、アニメ・ゲームのキャラクターが歌っているという設定で、声優本人の名義ではなく、キャラクター名義でCD(キャラクターソング)を出すことがある。同じ歌手活動をしている声優でも、自らの名義での曲と、声を演じているキャラクターで歌う曲とでは曲調や歌い方が大きく異なる例も少なくなく、後者ではキャラクターの声質で歌い切る技量も要求される。

通常の歌手に比べると、レコード会社との専属契約の制約項目が緩い場合が多く、所属するレコード会社以外からもキャラクター名義でCDを出すこともある。

数名の声優が音楽ユニットを結成し、歌手(音楽)活動をするケースもあり、そういう音楽ユニットのことを声優ユニットと称されることが多い。

中には声あてや吹き替えといった本来の声優業よりも、歌手活動に重点をおいている声優もいる。

1990年代中頃から、声優(特に女性声優)の歌のCDがオリコンランキング上位になることが増えた[5]

1997年椎名へきるが声優初となる日本武道館コンサートを開催したのを皮切りに、声優が武道館のような大きな会場でコンサートを開催するようになった。2011年12月には水樹奈々が声優初となる東京ドームコンサートを開催。

まれに一般の音楽テレビ番組に出演し歌を歌うこともある。2009年から水樹奈々がNHK音楽番組を中心によく出演するようになった。2009年に水樹奈々が声優初のNHK紅白歌合戦第60回NHK紅白歌合戦)出場を果たした[注 2]

2000年代後半頃から、水樹奈々が歌手活動で「声優では初となる」などといったような活躍をするようになった。

ラジオパーソナリティ

ラジオ番組を持ち、そのトークと進行を行う。声優のラジオ番組は1990年代に入ってから増えた。2000年代に入ってからはインターネットが普及したことにより、声優のインターネットラジオ番組が増えた。

アダルト(18禁)作品への声あて

アダルトゲーム(エロゲー)・アダルトアニメなどのアダルト(18禁)作品に声をあてる声優もいる。アダルト作品に声をあてる場合、声優名を非公表とするか、またはアダルト用の別の芸名を使うことがほとんどである[注 3]

特撮番組への声あて

スーパー戦隊シリーズ』『仮面ライダーシリーズ』『ウルトラシリーズ』などといった特撮番組に登場するキャラクターの声を演じることがある。

人形劇・着ぐるみショー

人形劇はキャラクターの演技とタイミングを合わせながら台詞を言う。

着ぐるみショーでは生で声を合わせることもあるが、基本的には事前に声を収録してそれに合わせて着ぐるみの中の演者(スーツアクター)が演技を行う。

その他の仕事

番号案内の録音されたメッセージ、デパートでの録音案内、駅や路線バスなどの公共交通機関のアナウンス(自動放送)、声をあてた作品のイベント出演、アニメ・ゲーム情報番組への顔出し出演、などもすることがある。

まれに一般のテレビ番組に顔出し出演することもある。

声優の歴史

日本で声優の専業化が進んだ理由は、

  • ラジオドラマ全盛期に、NHK民放が自前の放送劇団(NHK東京放送劇団など)を組織して専門職を育成したこと
  • テレビの普及期はソフト不足のため、日本国外製の映画、海外ドラマが大量に放送されて[注 4][6]、声優による日本語吹き替えの需要が増大したこと
  • 1970年代のアニメブームにより、最初から声優専門の演技者を志望する者が増えたこと

などが考えられる。

ラジオドラマ時代

1925年3月、NHKの前身である社団法人東京放送局がラジオ放送を開始。そのわずか1ヶ月後に「映画劇せりふ」の番組内でサイレント映画『大地は微笑む』の台詞劇が放送された。この時の声の出演は新派劇俳優の井上正夫、女優の栗島すみ子などであった。専門職としてではないが、実質的に彼らが「日本で最初の声優」である[7][注 5]。同年7月には舞台中継をスタジオで再現した『桐一葉』(出演:中村歌右衛門 (5代目)など)、さらに日本初の本格的なラジオドラマとして『大尉の娘』(出演:井上正夫、水谷八重子)が放送される。同年9月、東京放送局は声だけで演技を行う専門の俳優としてラジオドラマ研究生を公募。百余名の応募者のうち12名の女性が選ばれ、11月にラジオドラマ『太っちょう』に声をあてる。声優の歴史に関する多くの資料では彼女たちが「日本の声優第1号」とみなされている。この当時は新聞では「ラヂオ役者」と呼称していた。また、この頃(主に1930年代)活躍していた者として舞台女優の飯島綾子が挙げられる[注 6]。彼女はラジオドラマの他に日本舞踊家歌手(流行歌・歌謡曲・童謡オペレッタ)としても多彩な活動をしていた。

1941年、NHKはラジオドラマ専門に俳優を養成する東京中央放送局専属劇団俳優養成所の研究生を公募。翌、1942年に東京放送劇団の1期生がデビューを果たし、これが声優第2号とみなされ[8][注 7]、そして「声優」という言葉が使われたのはこの頃からである[9]。声優という呼称は、読売新聞の芸能記者だった小林徳三郎によるものという説と、NHKの演芸番組担当プロデューサー大岡龍男が命名したという説がある[10]。声優は当初、ラジオドラマを専門に行う東京放送劇団員やその他の放送局の劇団員を指し、テレビ時代になって吹き替えとアニメを行う役者を指す用語として定着していった。

1951年に民間ラジオ局のラジオ東京(現:TBSラジオ&コミュニケーションズ)が開局、専属の放送劇団(ラジオ東京放送劇団、後のTBS放送劇団)を設立して1957年に放送した連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』は当時の子供たちから絶大な支持を得た。テレビ放送がなく、ラジオがマスメディアで主要な地位を占めていたラジオドラマ時代の声優は決して日陰の存在ではなく、二枚目の主役の声を多く演じた名古屋章には月に何十通ものファンレターが届いたという[11]。ラジオドラマは全盛期を迎え、声優の紹介記事が新聞のラジオ欄に掲載されるようになると、声優へのファンレターと同時に声優に憧れ、声優志願者も急増した。1953年のNHK東京放送劇団の第5期生募集には合格者が10名程度のところへ6000名の応募が殺到したという。この時代を声優の勝田久は第1期声優黄金時代としている[12]

アニメでは、1933年には日本初のトーキーの短編アニメーション映画『力と女の世の中』が公開。アニメキャラクターに声をあてたのは、喜劇役者の古川ロッパをはじめとする映画俳優達だった。1942年には中国の長編アニメーション映画『西遊記・鉄扇姫の巻(鉄扇公主)』が日本で公開され、活動弁士出身の徳川夢声山野一郎などが声をあてた。第二次世界大戦後に発足した東映動画により日本でもコンスタントにアニメ映画が製作されるようになると、映画俳優、コメディアン、放送劇団員が使われた。また、洋画の吹き替えはテレビ時代になってから行われるようになった。

第1次声優ブーム

民放テレビの草創期には、1961年五社協定でテレビ局への日本映画の供給停止が決まったことなどによるソフト不足から、海外ドラマや洋画などのいわゆる外画の日本語吹き替え版が数多く放送された[13][14][15]。当初、NHKは基本的に字幕スーパーで日本国外の作品を放送していたため、日本語吹き替え版は民放が中心となっていた。以後、日本国外の作品は1960年代前半をピークとして放送された。これらを背景として声優人気が高まっていったという。ブームの中心人物はアラン・ドロンを持ち役とした野沢那智[16]追っかけまでいたというテンプレート:Sfn

テレビや映画の俳優は五社協定とギャラの問題で吹き替えをしなかったため、テレビでの吹き替えは、ラジオ時代からの放送劇団出身者や新劇の舞台役者が多く行った[17]。ちなみに、当時新劇の舞台役者が吹き替えの仕事をアルバイトでやるようになったことを、放送劇団出身の若山弦蔵は「吹替時代になってから参入した新劇の舞台役者の多くが片手間で声の仕事をやっており、それが腹立たしかった」と批判した発言をしている[18]。海外アニメにおいては、落語家や浅草出身のコメディアンなどもキャラクターの声をあてたという例がある。

この時代にはまだ声優という言葉は一般には認知されておらず[19]、別称として、吹き替えを主にしたことから吹き替えタレント、声をあてることからアテ師テンプレート:Sfn[20]というものがあった。吹き替え全盛期に東京俳優生活協同組合(俳協)が誕生。後に俳協から分かれて多くの声優プロダクションが結成された。

テレビの日本語吹き替え作品第1号はTBSの前身であるKRTテレビが1955年10月9日より放送開始したアメリカのアニメ『スーパーマン』であると言われる。実写では1956年TBSの前身であるKRTテレビで放送された『カウボーイGメン』と記録されている。これらKRTテレビでの放送はいずれも生放送による吹き替えで、あらかじめ録音したアフレコによる作品第1号は、アニメでは1956年4月8日日本テレビが、番町スタジオの安井治兵衛に依頼して放送した海外アニメ『テレビ坊やの冒険』。

1966年に『土曜洋画劇場』(現・『日曜洋画劇場』)の放送が始まり、この番組によってスターの声を特定の声優に固定する持ち役制(フィックス制度)が始まった[21]

第2次声優ブーム

1970年代後半の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』のヒットによるアニメブームと並行して起こったブーム。そのブームに押される形で声優業と並行した音楽活動も盛んになり、神谷明古谷徹古川登志夫などのアニメの美男子キャラクターを持ち役とする人気声優によるバンド『スラップスティック』を結成してライブ活動を行ったほか[22]、多くの声優がレコードを出すなどした。当時万単位のレコードを売り上げる声優として、潘恵子戸田恵子、神谷明、水島裕、スラップスティックの名が挙げられている[23]1979年に放送開始した『アニメトピア』などアニメ声優がパーソナリティを務めるラジオ番組なども誕生。ラジオドラマでは声優人気を背景にした『夜のドラマハウス』があり、アマチュア声優コンテストも開催されていた[24]

この時代はアニメ雑誌が創刊され始めた時代であり、『アニメージュ』の創刊編集長である尾形英夫は、声優のアイドル化を編集方針の一つとして打ち出した[25]。『アニメージュ』以外の他のアニメ誌も同様に誌面に声優コーナーを設けて、定期的に声優の情報を発信した。人材の供給・育成面では、声優専門プロダクションが分裂することによって次第に数が増え始め、各プロダクションにより声優養成所が設けられた。これらにより、放送劇団出身者や舞台役者などの俳優活動の一環や余技としての声優業ではなく、最初からアニメ声優を目指した声優が登場し始めた。このブームはおおむね1980年代前半頃までとされている。

この頃になって声優という言葉が広く一般に知られるようになる。それまで声優という言葉は定着しておらず、「声優をやっている」というと、同じ発音であるスーパーマーケット西友に勤めていると思われたというエピソードを幾人もの声優が語っている[26]

1990年前後

1980年代末のテレビアニメ『鎧伝サムライトルーパー』でメインキャラクターの声を担当した5人の男性声優で1989年に結成した声優音楽ユニット『NG5』が人気を集めた。NG5のCDは当時の声優のCDとしてはかなり売れ、またコンサートには女性ファンが殺到した。この人気はアニメ業界だけでなく、ドキュメンタリー番組やニュースで取り上げられるほどであった。声優がマルチ活動をするようになった先駆け的グループであるとも言われている[27]。しかし、その人気はNG5に限定されて、声優界全体のブームと言えるほどの人気とまではいかなかった[28][29]

この頃から、声優プロダクションの付属養成所以外に、アニメ系専門学校にも声優養成コースが設けられるようになったという。

一方、1990年代になって、日本語吹替での持ち役制度はほぼなくなるテンプレート:Sfn

第3次声優ブーム

おおむね1990年代中頃に起こったとされる声優ブームで、

  • 声優の顔出しが増える。
  • 声優のマルチ活動化やアイドル化が進む。
  • 声優の音声入りのテレビゲームやパソコンゲーム、声優がパーソナリティを務めるラジオ番組、声優がメインゲストのアニメやゲームなどのイベントが増える。
  • 声優(特に女性声優)が歌手活動で活躍するようになり、コンサートを開催したり、発売したCDがオリコンランキング上位になること[5]が増える。
  • 1994年に初の声優専門誌『声優グランプリ』『ボイスアニメージュ』が創刊される。
  • 1995年に初の声優専門のテレビ番組『声・遊倶楽部』が誕生。
  • 声優を志望する者が増える。
  • 声の演技力のほかにも、特にアニメ・ゲームで活躍するには容姿の良さや歌唱力などといったようなことも声優に求められるようになってきたこと。

などといったことがこのブームの主な特徴として挙げられる。

第3次声優ブームの後

1999年頃からは、上記の第3次声優ブームほどのブームは影を潜めたものの、声優人気はまだまだ健在だった。

インターネットが普及したことにより、声優がパーソナリティを務めるインターネットラジオ番組が増えた。また、声優の事務所に所属せず、自前でインターネットラジオやラジオドラマ、さらにはアニメを自主制作し、それらに声をあてるネット声優も出現した。

アニメや外画への声あて・吹き替えなど本格デビュー前の新人声優がインターネットラジオ番組やイベントなどで活躍するケースも増えた。

2006年度に、年1回優秀な声優に賞を与える『声優アワード』が創設された。

第4次声優ブーム

おおむね2000年代後半頃から2010年代前半頃までとされる声優ブーム[30]で、

  • 声優のマルチ活動化やアイドル化がさらに進む。
  • 声優の歌手活動での活躍がさらに進む。特に水樹奈々の歌手活動での活躍が目立っていた(詳しくは上記の『#歌手活動』も参照のこと)。

などといったことがこのブームの主な特徴として挙げられる。

アイドル声優

第3次声優ブームと称されていた1990年代中頃から出てきた俗称で、容姿が良く人気があり、そして声あて・吹き替えといった声優業だけでなく、歌のCDを発売したりライブを開催するなど歌手活動をする、声優専門誌のグラビアに登場する、写真集やイメージビデオを発売する、などといった幅広い活動を行う声優がアイドル声優(または声優アイドル)と称されることが多いのだが、俗称であるため明確な定義はない。アイドル的な活動の度合いも、歌手活動を多く行っている者、本人名義での歌手活動はほとんど行わないが、アニメ・ゲームの声あてを多く行っている者、主に声優専門誌のグラビアによく登場している者、など様々。「自分はアイドル声優だ」と自称する者がいるわけでもない。これらのことから、アイドル声優とそうでない声優を明確に区別することは難しい。

ちなみに、女性声優(特にアニメ・ゲームで活躍する)がアイドルと称される例はよくあるが、男性声優がアイドルと称される例は非常に少ない。

歌手(音楽)活動をするアイドル声優の場合、コンサートを開催したり、発売したCDがオリコンランキング上位になることがある。

アイドル声優と称される者同士で結成している声優ユニットもある。

人材が次々に登場してくる新陳代謝の激しい業界であるため、アイドル声優として一時期こそ絶大的な人気を得たものの、わずかな期間活躍できただけで次の若い世代にポジションを取って代わられ、仕事量が激減したというケースも珍しくない。

ベテランの声優や声優ファンの中には、アイドル的な活動をする声優のことを良く思わない者もいる。また、声優の中にもアイドルと称されるのを嫌がる者もいる。

声優アーティスト

2000年代後半頃から出てきた俗称で、歌手活動を多く行う声優が声優アーティスト(またはアーティスト声優)と称されることが多いのだが、上述のアイドル声優同様、俗称であるため明確な定義はない。

声優プロダクション

声優プロダクション(声優事務所)の所在地は他の芸能事務所同様、ほとんどが東京である。

声優プロダクションは、声優から手数料を徴収し、音響制作会社や放送局などに対して、アニメ・日本語吹替・ナレーションなど得意分野ごとに配置されたマネージャーが営業活動や声優の売り込みなどを行う。

アニメに強いプロダクション・洋画の日本語吹き替えに強いプロダクション・ナレーションに強いプロダクションなど、声優の仕事は所属するプロダクションの得意分野に左右されることが多く、例えば有名な声優で、アニメを得意分野とするプロダクションに所属していればアニメの仕事はよくくるが、洋画や海外ドラマの日本語吹き替え、ナレーションなどの得意分野以外の仕事はあまりこないというケースがよくある。

特定の製作会社とのコネクションを持っているプロダクションもある。

諸外国の声優

諸外国では日本のように専業の声優が確立している国は少なく、俳優が声を担当することがほとんどである。専業の声優が確立している数少ない国の一つである韓国では、放送局が放送劇団(声優劇会)を持っている。

声優の経歴

声優の経歴を見ると、以下のようなケースがある。

放送劇団出身

NHKと民放が組織した劇団で、局のアナウンサーとは別個に、芸能を担当するために放送局で養成され、主にラジオドラマを担当した放送タレントである。彼らを指す言葉として「声優」が生まれた。芸能事務所などの台頭で現在では全て解散している[31]

NHKの東京放送劇団からは、巖金四郎加藤道子中村紀子子黒沢良山内雅人勝田久名古屋章高橋和枝里見京子川久保潔、NHK札幌放送劇団出身の若山弦蔵、NHK九州放送劇団出身の内海賢二など多数。民放では後のTBSにあたるラジオ東京放送劇団からは大平透中村正滝口順平田中信夫朝戸鉄也向井真理子など。地方局では、CBC中部日本放送劇団出身の中江真司、RKB毎日放送劇団出身の八奈見乗児など。地方局で活動していたのはラジオドラマ時代までで、テレビ時代になると海外作品の日本語吹き替えなどの声優の仕事は東京に集中していった。

声優養成所・声優学校出身

声優プロダクション付属の声優養成所(養成所)、声優になるためのレッスン指導を主とする養成所、声優関連の学校(声優養成学科がある専門学校)などの出身。

中には、作品や声優事務所などの企画による一般声優オーディションに合格したことにより声優になれたという者もいるが、そのオーディション合格後は養成所などで声優の教育を受ける。

養成所・専門学校

声優になることを目指すには、声優の養成所や専門学校に通うのがもっとも一般的だが、それらに通う多くの受講生の中から後に声優になれる者はほんのわずかで、ほとんどの者はなれないという狭き門である。

養成所や専門学校での養成期間はおおむね1年から3年。現役の声優が講師をしている所もある。

養成期間修了後に行われる声優プロダクションへの所属オーディションに合格するとプロダクション所属となる。この時点では「新人・ジュニア・仮所属」などと称される見習い期間となる。見習い期間が終了し、内部審査を経て、認められた者だけが正所属(正規に所属する)となる。

声優プロダクションの付属ではない養成所・専門学校に入所した場合、卒業後すぐにどこかの声優プロダクションの正所属(または仮所属)になれたというケースは非常に少なく[注 8]、声優プロダクションの付属養成所にも通うことになる[32]。それらの卒業生で声優になれたという者のほとんどがそのルートを歩んでいる[33]

2000年代後半頃からは、声優の養成所や専門学校に通ったことはないが芸歴はあるという者が、アニメなどのオーディションを受けて声優デビューし、その後声優を本業にしていくというケースも増えてきている[34]

舞台役者出身

主に舞台演劇やミュージカルなどをやる舞台役者が、後に声優として活動するケース。また、矢島晶子小林沙苗名塚佳織朴璐美などのように、舞台役者として活動中に声優関係者やアニメ関係者などからスカウトされ、声優として活動するようになったケース。

太田淑子葛城七穂水城レナといった宝塚歌劇団出身者もいる。

子役出身

小中学生の頃から児童劇団に所属し、演技力を養い、後に声優として活動するケース。2000年代前半頃からは、小中学生のうちから声優として活動するケースが増え始めている。

その他の出身

アイドルグラビアアイドルモデル特撮番組系俳優・お笑いタレントレポーターなどといった経歴の者もいる。

上記の『#養成所・専門学校』の項にもあるが、2000年代後半頃からは芸歴のある者がアニメなどのオーディションを受けて声優デビューし、そしてその後、声優として第一線で活躍するようになったというケースも増えてきている。

他の芸能人・著名人などの声優活動

俳優歌手・音楽家・アイドル・グラビアアイドル・モデル・お笑いタレント・スポーツ選手・アナウンサーなどといった他の芸能人・著名人が、声優活動をすることがある。

1990年代以降の宮崎駿スタジオジブリ作品がよく他の芸能人・著名人などを声優に起用している。

俳優を声優に起用すること

アニメ監督の原恵一は、声優のオーバーな演技やいわゆる「アニメ声」が苦手であるとして、自身の監督作品では他の芸能人や劇団の子役・俳優を声優に起用している[35]。同じくアニメ監督の富野由悠季は、声優の演技は型にはまっているとして、演劇系の役者のナチュラルな演技を買っている[36]。同じくアニメ監督の押井守は、存在感と新鮮さが声優に勝ることがあるとして[37]、『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』ではメインキャラクター全員に有名俳優を起用している。

上述の俳優が声優に起用されることに関して、アニメを多く手がける脚本家の首藤剛志は「マイクの前で声を出しているだけの声優よりも、声優としての技量が劣っても、実際に観客の前で芝居をする俳優が買われているのではないか」と述べている[38]

特撮番組系の俳優の声優活動

東映特撮変身ヒーロー作品、特に「スーパー戦隊シリーズ」は2008年の『炎神戦隊ゴーオンジャー』に至るまで30年以上の長きにわたりオールアフレコで制作されてきた。その次回作『侍戦隊シンケンジャー』から、俳優が顔出しで演じるシーンは基本的に一般的なドラマと同様の撮影同時録音方式に切り替えられたものの[39]、現在でも変身後のシーンなど番組制作の各所でアフレコが多用されているため、特撮番組に出演経験のある俳優は、声優としての演技経験を事実上しているとも言える。そういうこともあってか、特撮番組で活躍する俳優がアニメなどの声あてをやることもあり、中には声優業をメインに転向した者もいる。

批判

しかし中には、作品の質よりも話題性を狙って他の芸能人・著名人などを声優に起用するということがあるため[40]、他の芸能人・著名人などの声優起用に批判が出ることもある。

2007年公開のアニメ映画『ザ・シンプソンズ MOVIE』や2012年公開の映画『アベンジャーズ』などで、これまでのシリーズで日本語吹き替えを担当していた声優が、新作映画で俳優・タレントに交代する事態が発生しており、企業への批判が殺到した。『ザ・シンプソンズ MOVIE』や『TAXi4』、『エクリプス/トワイライト・サーガ』では、ソフト化に伴い劇場公開版に加え、元々担当していた声優陣による新たな吹き替え版が同時収録された。しかし、『アベンジャーズ』を境に『スター・トレック イントゥ・ダークネス』・『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々/魔の海』のように、ソフト化の際に劇場公開版のみが収録され、元々の声優による新録版が制作されない作品が増えている。特に『アベンジャーズ』ではキャスティングの変更などに対する批判のコメントがAmazon.co.jpの本作品のレビュー欄に殺到する事態となった[41]

また、『ターミネーター3』や『サイレントヒル: リベレーション3D』のように、劇場公開版で芸能人が担当した吹き替えを、ソフト版ではプロの声優に完全に差し替えて収録する事も稀にある。

2004年公開のアニメ映画『イノセンス』では、プロデューサーの鈴木敏夫が大物俳優の起用を立案し、草薙素子役を田中敦子から山口智子に変更しようとしていたが、スケジュールの都合に加えて「出来上がっているイメージを変えるべきではない」と出演を固辞した山口と、監督や声優陣の反対により田中が続投したということがあった。

声優業の実態

声優の仕事の取り方

アニメ
端役を除き、オーディションを受けずに所属事務所やアニメ制作会社などからの指名で配役が決まることはあまりなく(まれに指名で決まることがある)、オーディションを受けて自分の手で仕事を獲ってくるというシステムが主流[42]。作品世界・登場人物のイメージに適合した声(声質)や演技力を持つ人物が採用され、新人や大物の区別なく選考オーディションを受ける。
通常は制作会社などから声優の事務所庶務にオーディションのお知らせが通達され、声優はこれらに事務所を通じて応募し、合格目指してオーディションを受験する。ただし、所属声優すべてがオーディションを受けられるわけではない。事務所は役柄に合うと判断した所属声優を数人選び、その選ばれた者だけがオーディションを受けられるというのが通例である。そのため大人数の声優を抱える大手事務所では、まず事務所内での競争を勝ち抜かないとオーディションを受ける機会すらない[43]。そして、たとえオーディションを受けられたとしても、60本に1本受かればいいというほどの競争率と言われる[44]
ゲーム
オーディションで配役を決めることが多いが、ゲーム制作会社などからの指名で決まることもある。
日本語吹き替え
アニメとは異なりオーディションはほとんど行われず、プロデューサーやディレクターなどが声優を指名して決めることがほとんど[42][45]。ただし、ディズニー作品、スティーブン・スピルバーグ作品、ジョージ・ルーカス作品などでは指名ではなく、アニメ同様オーディションが行われるという[46]
ナレーション
日本語吹き替え同様、オーディションはほとんど行われず、指名で決まることがほとんどテンプレート:Sfn[47]

異性の声を演じることについて

男性と女性とでは声質が違うということもあり、アニメのアフレコや洋画の吹き替えなどで、女性声優が男性(特に少年・幼い男の子)の声を演じるというケースはよくあるが、その逆の男性声優が女性(特に少女・幼い女の子)の声を演じるというケースはほとんどない(幼い男の子の声も)。

経済環境

声優は、業界の待遇改善のために「声優は儲からず、それ以前に衣食住に窮することが多い」とよく言われてきた。声優事務所に所属できたからといって、それで生活の保証があるわけではない。所属事務所からの基本給というものは存在せず、各人の仕事実績によるギャランティ(報酬金)が収入となる個人事業者である。所属事務所とは通常1年更新のマネジメント契約を締結し、売込みやマネジメントの対価として業界平均で出演料の約20%から30%を事務手数料として事務所へ支払い、源泉徴収も10%[注 9]引かれ[注 10]、この残りが声優の手取りの報酬となる[48]。歌手や俳優など他の芸能の世界と何ら変わりない厳しい競争社会であり、経済的に自立できずに脱落していく者も多い。長期間、芸能関係以外のアルバイトで生計を立てることを余儀なくされたり、ある程度の知名度や声の出演があったにもかかわらず、声優業で生計を立てていくことが難しいという理由で廃業した声優も少なくない。

日本語吹き替えが始まった1960年代には、声の仕事は顔出し出演の7割の出演料「顔出しの七掛け」とされ[49]、低い位置にある仕事とみなされ、舞台俳優がアルバイトのような形でやっていた。ただし実写の仕事と比較して、吹き替えの仕事は拘束時間が少なく何本も掛け持ち出演が可能だったため、一概に低収入とは言えなかった。

声優の待遇改善については、声優の多くが日本俳優連合(日俳連)に所属しており、日俳連は音響制作会社の集合体である日本音声製作者連盟(音製連)、声優のマネージメントを行う事業者で組織する日本芸能マネージメント事業者協会(マネ協)と「三団体実務小委員会」を設けて、出演ルールの改定や待遇の改善を申し入れて来た。ときにはストライキ1973年8月8日)や街頭デモ活動を行うなどして、1973年には報酬の314%アップ、1980年には再放送での利用料の認定、1991年には170%アップするなどの成果を勝ち取って来た。業界に対してのみならず、1973年と2001年にはデモ行進、1988年には永井一郎が『オール讀物』(文藝春秋)において『磯野波平ただいま年収164万円』と題してアニメ出演料の安さを訴える記事を寄せて、世間一般への理解を求める行動を起こしている[50]。また、2009年11月に神谷明関西テレビのローカル番組『お笑いワイドショー マルコポロリ!』で声優の安すぎるギャラを告白したことがあったテンプレート:出典無効

日俳連・マネ協・音声連による協議の結果、外画動画出演規定、新人登録制度、CS番組に関する特別規定、ゲーム出演規定などを締結した。アニメでは、放送局と、アニメ制作会社で組織される日本動画製作者連盟も加わって、団体協約が締結されている。これにより、仕事1作品あたりの報酬は作品のジャンル・放送時間帯・放送回数・ソフト化などによる二次利用、そして経験実績などの条件によって受け取る額が算出される方法を取られており、音響制作会社の一方的な言い値で手取りを決定されるということはない[注 11]

以上の事情はアニメと外画の日本語吹替における日俳連と音製連とマネ協による協定に基づくものであり、声優・マネジメント事業者・音声製作事業者がそれぞれの団体に所属しなければ、この規定に縛られることはない。例えば、石原裕次郎は映画『わが青春のアルカディア』の出演料が1,000万円だったと言われている[51]。そのため組織率を高めるために、音製連が製作する作品に出演する人数について「日俳連に属さない出演者の数は全体の20%以内」とし、日俳連に属さない出演者については加盟を推奨することが音製連には課せられている。逆にマネ協・日俳連側は、音製連に入っていない製作会社へ音声連への加盟を奨めることとなっている。

これらの協定を嫌う日本アドシステムズなどの製作者側もあり、日俳連に所属しない声優を起用するケースが1990年代半ばより増えて来ており、日俳連の組織率はかつてに比べると低下している。音製連に属していない事業者としては神南スタジオや脱退した音響映像システム(現・サンオンキョー)などがあり、マネ協に属していない事業者としてはネルケプランニング東映アカデミー(現在は閉鎖)、ラムズ(現在は閉鎖)などがある[注 12]

ランク制

日俳連に所属する声優が、アニメと日本語吹き替え作品に声をあてる際の出演料についての規定で、この制度では主役・端役にかかわらず、また台詞が多い・少ないにかかわらず、外画動画出演規定に定められたランクと呼ばれる出演料に従って報酬が支払われることになっている。アニメと日本語吹き替え作品のほかに社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)に加盟するゲーム会社との間にも同様のランク制が設けられている。ランクの設定は毎年4月に更新され、人気が上がったりキャリアを重ねると、マネ協や音製連との協議の上、ランクが上がっていく。ランクが1つ上がるごとに出演料が千円ずつアップする。例外として、60歳以上の者はランクを上げることは出来ても下げることは出来ない。1991年に出演料が170%アップする改定をしたこともあり、予算の限られたアニメや吹き替えにはランクの高い(出演料が高い)ベテラン声優が起用されなくなる弊害が生じるようになった。それにより、2001年から2年の期間限定でランク下げを認める特例期間が設けられた。

30分枠作品の最低ランクの出演料が1万5千円で、最高ランクが4万5千円、その上に上限なしのノーランクが設定されており、これが基本出演料になる。放送時間枠が60分や120分の場合は「時間割増」となり、その分の出演料が別に支払われる。予告編の台詞をやった場合も基本出演料のランクを基にした出演料が別に支払われる。これらの合計が声優の総出演料となるのだが、そこから事務手数料や税金などで約30%から40%引かれる。

アニメ・日本語吹き替え・ゲーム以外のナレーションの仕事は、このランク制の適用を受けない。

新人声優の待遇

声優学校や声優養成所を卒業して、マネ協加盟の声優事務所のオーディションに合格した新人声優は、まず預かりという身分から声優業をスタートする。この時点ではまだ声優個人としての日俳連への加盟はできない。預かりは声優業の最初のステップとして、ランク制の事実上の番外とでもいうべき存在である。次いでジュニアランクとなり、ジュニアランクでいられる期間は3年間ないし所定の起用率に到達するまでで、その後は日俳連へ加盟し通常のランクに移行する[52]

出演料が安すぎるという理由で1990年に一度新人(ジュニア)ランクを撤廃したことがあったが、1994年から新たな形で再び導入された。

ベテラン声優の収入源

声優としてベテラン格になり日俳連のランクが高くなると、予算の関係からアニメ・日本語吹き替え・ゲームの仕事は自然とやれなくなってくる。そういったことを補うのが、CMやテレビ番組などでのナレーションの仕事である。アニメ・日本語吹き替え・ゲーム以外のナレーションは日俳連の協定によるランクの縛りがなく、またギャラは、アニメ・日本語吹き替え・ゲームよりもはるかに高額とされる。そのためか、新人・若手声優だった頃はアニメを多くやっていたが、後に中堅・ベテラン格になるにつれてアニメの仕事が徐々に減っていき、ナレーションが中心になるという傾向にある。

ベテラン声優の中には収入の少なさを補うため本業の傍ら、声優事務所の経営、声優の養成所や専門学校の講師、カルチャースクールの喋り方教室の講師、音響監督などといった副業をしている者もいる。また、ベテラン格になると、経済的にはむしろそういう副業のほうが本業という声優も珍しくない。

厳しい声優業

数多くいる声優の訓練生だが、ほとんどの者はデビューすらできずに脱落する。

デビューできてプロダクションの正所属になれたとしても、最初の頃ほとんどの新人声優は、声優業のギャラだけでは生計を立てていくことができない。そのため、アルバイトなどの副業をしながら声優業をやる、または実家で生活するか実家からの仕送りに頼る、といった新人・若手声優がほとんどである。しかもその中から後に声優として第一線で活躍できる者はわずかだという狭き門である。オーディションで他の声優との競争に勝てずに仕事がもらえず無名のまま脱落し、経済的に自立できずにわずかな期間で辞める、またはプロダクションから「今後、第一線級の声優として売れる見込みがない」と判断されて契約を解除される、という新人・若手声優も多い[53]

1996年発売のキネマ旬報刊『声優名鑑』には約2400人の声優が掲載されていたが、このうち声優としての地位が確立されている者は約300人だけで、しかもそのうち声優業だけで食べていける者は約半数だという[54]

ある程度の知名度や声の出演があったにもかかわらず、声優業で生計を立てていくことが難しいという理由で引退した者も少なくない。

もし一時期声優としてメジャーになれたとしても、その後ずっと声優業をやっていける、確実に生計を立てていける、という保証はない。声優として一時期こそメジャーになり大活躍していたものの、その後仕事量が激減し声優業をほとんどやれなくなったというケースもよくある。

脚注

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注釈

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出典

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参考文献

関連項目

外部リンク

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  1. テンプレート:Cite
  2. NECホームエレクトロニクスの発売した家庭用ゲーム機PCエンジンのCD-ROMドライブの発売は1988年12月。
  3. 大栄出版編集部・編『なりたい!!声優』大栄出版、1998年、p.152
  4. アニメージュ編集部・編『声優になりたいあなたへ』徳間書店、1994年、p.85
  5. 5.0 5.1 椎名へきる、林原めぐみ、國府田マリ子 ヒットチャートは声優だらけ!!、『日経エンタテインメント!』1997年6月号より(インターネット・アーカイブのキャッシュ)。
  6. テンプレート:Cite book
  7. “声優”の歴史をひもとく頁「いにしへの声優列伝」内。
  8. 西澤實『ラジオドラマの黄金時代』河出書房新社、2002年、18-19頁。
  9. 浦崎浩實「映画人、逝く 七尾伶子」『キネマ旬報』2006年10月上旬号、キネマ旬報社
  10. 勝田久「声優の歴史」『声優名鑑 アニメーションから洋画まで…』ジ・アニメ特別編集、近代映画社、1985年、174頁。
  11. 能村庸一『実録テレビ時代劇史 ちゃんばらクロニクル1953-1998』東京新聞出版局、1999年、20-21頁。
  12. 勝田久「声優の歴史」『声優名鑑 アニメーションから洋画まで…』ジ・アニメ特別編集、近代映画社、1985年、175頁。
  13. 乾直明『外国テレビフィルム盛衰史』晶文社、1990年、60頁、118頁、557頁。
  14. 串間努『少年ブーム 昭和レトロの流行もの』晶文社、2003年、41頁。
  15. 引田惣彌『全記録テレビ視聴率50年戦争 そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、38頁。
  16. ハイパーボイス監修『すごい!アニメの音づくりの現場』雷鳥社、2007年、79頁。音響スタッフだった田中英行の証言。
  17. 野村道子『しずかちゃんになる方法 めざすは声優一番星』リブレ出版、2009年、p.24
  18. とりみき 『映画秘宝Vol.3 とり・みきの映画吹替王』 洋泉社、2004年、274頁。
  19. 高田城、千葉節子『声優になるには』ぺりかん社、1983年初版、1994年改定版、47頁。
  20. 『テレビ黄金時代の立役者12人の告白 あの日、夢の箱を開けた!』小学館、2003年、190頁。
  21. 酒井広「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・六本木」『映画はブラウン管の指定席で』淀川長治監修、テレビ朝日編著、全国朝日放送株式会社、1986年、p.38
  22. ドン上野『ミスター・ラジオが通る』実業之日本社、1986年、152頁。
  23. 『ジ・アニメ』1982年3月号、108頁。
  24. 藤井青銅『ラジオな日々 80's RADIO DAYS』小学館、2007年、24頁。
  25. 尾形英夫『あの旗を撃て! 「アニメージュ」血風録』オークラ出版、2004年、60頁、120頁。
  26. 高田城、千葉節子『声優になるには』ぺりかん社、1983年初版、1994年改定版、p.12
  27. アニメージュ編集部・編『声優になりたいあなたへ』徳間書店、1994年、p.46
  28. 「声優業界の明日はどこにあるのか?」『流行批評SPECIAL EDITION オタクになれないアニメ好きの本』キルタイムコミュニケーション、1997年、107頁。
  29. 堀田純司『萌え萌えジャパン』講談社、2005年、264頁。
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  31. 「ラジオ名作数々残し 来春NHK放送劇団が"終幕"」『中日新聞』1989年11月5日付け夕刊
  32. アニメージュ編集部・編『声優になりたいあなたへ』徳間書店、1994年、p.54
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  41. 批判殺到でコメント欄の炎上も!タレントの日本語吹き替え版起用に映画ファンの怒り爆発!(シネマトゥデイ)
  42. 42.0 42.1 市原光敏『声優になれる本』世界文化社、1996年、p.120。当時江崎プロダクションの社長だった江崎加子男の証言
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  44. 橋本崇宏、柳谷杞一郎・著『声優になる!』雷鳥社、2008年、p.157。こおろぎさとみインタビュー
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  47. 大栄出版編集部・編『なりたい!!声優』大栄出版、1998年
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  54. テンプレート:Cite


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