はだしのゲン

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テンプレート:Infobox animanga/Header テンプレート:Infobox animanga/Manga テンプレート:Infobox animanga/Footer テンプレート:Sidebar with collapsible listsはだしのゲン』は、中沢啓治による、自身の原爆被爆体験を元にした自伝的漫画。同漫画を原作として実写映画アニメ映画テレビドラマも製作されている。戦中戦後の激動の時代を必死に生き抜こうとする主人公中岡ゲンの姿が描かれている。

目次

概要

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原爆ドーム(2012年11月撮影)

作品の内容、表現などについて様々な意見があるが、作者の実体験に基づく原爆の惨禍や当時の時代背景・世相風俗を表現していながら、エンターテインメントとしても読ませる作品として国内外での評価は高く、映画・ドラマ・アニメ・ミュージカル絵本講談化もされている。2010年6月調査のgooランキング「読んでおきたい日本史モノマンガランキング」の第1位に選ばれた[1]

自伝的な作品で、作中のエピソードの多くも中沢が実際に体験したことである。ただし、作中のエピソードの中には実際の体験と差異があるものもある。例えば原爆が投下されたときゲンは小学2年生だが、中沢自身は1年生の時である。他にも原爆投下直後の父や姉、弟の死を中沢自身は直接には見ていない(後に実際に立ち会った母から聞かされている)ことや、母の死に中沢は立ち会っていなかった(作中の戦後すぐの死去ではなく、終戦から20年後のことであり、中沢は当時東京にいた)ことなどが異なる。

母親を火葬した際に骨が残らなかった、という作中にもあるエピソードが、中沢に広島原爆の被爆を題材とした漫画を描かせるきっかけとなった。

発表分の末期は終戦から何年も過ぎた戦後の内容となっており、警察予備隊(後の陸上自衛隊)発足に対する批判も含んでいる。ただし、その時期の話にも原爆の傷痕は根強く描かれている。

単行本、文庫本などを含めた累計発行部数は650万部を超える[2]2007年5月30日からウィーンで開催された核拡散防止条約(NPT)運用検討会議の第1回準備委員会で、日本政府代表団は、本作の英訳版を加盟国に配布することになった。外務省英語版30冊を出版社から譲り受け、今後も「漫画外交」を活発に展開させる予定と報じられた[3]

作品史

『週刊少年ジャンプ』

1972年に『月刊少年ジャンプ』(集英社)の漫画家自伝企画の第1弾として掲載された、中沢の自伝的漫画『おれは見た[4]を元に、脚色を交えて『週刊少年ジャンプ』(集英社)1973年25号から連載が始まった。中沢は自分の思いを完全に伝えるため、妻を除いて専属のアシスタントを一切使わずに描き上げた。

『週刊少年ジャンプ』は当時既にアンケート至上主義、すなわち読者アンケートの結果による人気番付を重視しており、アンケートによる人気番付が低い状態が続けば即打ち切りのスタイルを取っていた。人気作品が連載されている中で『はだしのゲン』は一定の人気は保っていたものの、当時の子どもへの受けはあまりよいものとは言えなかった。しかし当時のジャンプ編集長であった長野規は自らアンケート至上主義を打ち立てながらも中沢が望めば紙面を割くなどして全面的にバックアップし、1年以上の連載を続けることができていた。しかし、折しもオイルショックの紙不足によって『ジャンプ』の全体のページ数が減らされ、連載後期はたびたび休載を余儀なくされる。その後、それまで『ゲン』のサポートを続けてきた長野の栄転により、1974年39号にて連載は終了。この連載終了について、担当編集者だった山路則隆は「中沢は連載当初に予定していた所期の目的を達成できたため、一度連載を終了させた」と証言しており、中沢は『ゲン』の後はまったく路線の違うエンターテインメント作品の連載を希望していたという[5]

なお、巻頭カラーは第1話のみで、アンケートで選ばれた上位10人が読み切り掲載権を獲得する1974年度のジャンプ愛読者賞では20人中13位と選に漏れた。

当初、集英社は単行本の発刊を見送った。この背景について前記の山路則隆はその当時は連載漫画はよほど人気がなければ単行本化する状況にはなく、本作は連載時の人気が非常に高いとはいえなかった(ので単行本化の対象とならなかった)と述べている[6]

作品として続く可能性が絶たれたかに見えた本作に、朝日新聞記者だった横田喬が「原爆について知りたい」と興味を示して中沢の自宅を訪れ、生原稿にすべて目を通した上で、記事として取り上げることになった[7]。だが、本がなければ新聞に載せても読まれないという理由から、横田が探し出して紹介した汐文社による単行本の刊行が決まる[7]1975年3月18日付の朝日新聞夕刊社会面に「原爆劇画、単行本に」と題した横田の記事が掲載され、2カ月後の5月に汐文社版全4巻の単行本が刊行された[7]。この記事と単行本により、本作は大きく注目を集めることとなる。当時「漫画は低俗なもの」とされていたにもかかわらず大江健三郎の激賞を浴び[8]テンプレート:要出典範囲。その後『ジャンプ』の主な読者層である少年のみならず大人の間においても浸透し、ベストセラーとなる。また、これも横田の紹介により『市民』誌にて続編が連載されることとなる[7]

『市民』

『市民』誌は支持基盤が磐石ではなく、1976年8月号をもって休刊。その後、日本共産党系の論壇誌である『文化評論』に連載の場を移す。

『文化評論』

日本共産党はそれまで核均衡理論に基づいて中国やソ連の核を認める立場を取っていたが、当時の日本共産党は中・ソと対立し、核の全面的な禁止を訴える論調をとっており、「はだしのゲン」の連載はその格好の宣伝材料となった。しかしその後「ゲン」は打ち切りとなる。

『教育評論』

その後、日教組の機関紙『教育評論』で連載を続行する。学校への漫画持ち込みを厳禁とする教師が多い中、「はだしのゲン」だけは校内で堂々と読める唯一の漫画となった結果、1980年代の子供達の間に「ゲン」が広く浸透することとなる。1985年に「第一部 完」をもって、連載は終了した。

なお、読売新聞系列の出版社・中央公論新社発行の中公文庫コミック版(全7巻)では、『週刊少年ジャンプ』掲載分を第一部、以降のシリーズを第二部に区分している。汐文社では愛蔵版を10巻まで発行している。汐文社愛蔵版では区別はされていないが、第1巻 - 第4巻が第一部、第5巻 - 第10巻までが第二部である。これらの違いは以下の通り。

  • 第一部は掲載当時の各回ごとの扉絵を掲載せず、そのまま話を一つにつなげていたため、同じシーンの繰り返しが多い。またジャンプ・コミックスではお約束の、単行本各巻ごとのサブタイトルも、汐文社版の第一部の分にはある。
  • 第二部は第一部から年月が経っているため作風が変わり、セリフの活字が大きめになっており、また描き下ろしであるため、同じシーンの繰り返しがない。

第10巻の最終ページには「第一部 完」と書かれており[9]、東京を舞台とした「第二部」も予定されていた。しかし2000年代に入ってから患っていた糖尿病からくる白内障が悪化、2009年9月15日「視力が低下し、細かいコマが書けなくなった」として続編執筆の断念を正式に発表した[10]。中沢は闘病中も執筆への意欲は失わず、2話分の下描きまで完了させており、出版の具体的な予定も決まっていたという。なお、第二部のメインテーマは被爆者差別だった[11]

「はだしのゲン」の原画は1994年広島平和記念資料館の東館開館を機に市に寄託されていたが、2009年12月8日、中沢は所有するすべての漫画の原画なども資料館に寄贈し、合わせて所有権を市に移すと発表した。その中には幻となった第二部の原画も含まれている[12]

現存する第二部の原画全32ページ分は、2013年に刊行された『「はだしのゲン」創作の真実』(中央公論新社)に、すべて写真が掲載された。

連載誌

連載誌の情報は『デジタル大辞泉プラス』を参照[13]

あらすじ

物語は、広島県広島市舟入本町(現在の広島市中区舟入本町)に住む国民学校2年生の主人公・中岡元(なかおか げん “以下、ゲン”)が1945年8月6日に投下された原爆で父・大吉(だいきち)、姉・英子(えいこ)、弟・進次(しんじ)の3人を亡くしながらも、たくましく生きる姿を描く。

第一部

ジャンプ掲載期(第一部)

原爆投下前後

舞台は1945年、終戦間近の広島市。ゲンの父で下駄の絵付け職人大吉は、反戦思想の持ち主。こうしたことから、中岡家の家族は町内会長の鮫島や近所から「非国民」扱いされ、様々な嫌がらせを受けた。ゲンの長兄の浩二(こうじ)が「非国民」の冷たい視線をはね返すために海軍予科練に志願し、ゲンの次兄の昭(あきら)は、広島市郊外の山間部に疎開に行っていたため、浩二と昭は、原爆の難を逃れている。英子は昭より年上だったが、体が弱かったため疎開できなかった。

原爆投下時、大吉・英子・進次(ゲンの弟)は家の下敷きになり、そのまま家に火がついて3人は生きたまま焼け死ぬ。ゲンの母・君江(きみえ)はこの様子を見、ショックで女児を出産。名前は、友達がたくさんできることを願って「友子(ともこ)」と名づけられた。その後、ゲンは原爆症で毛髪が抜け落ち、自分も放射線障害で死ぬのではないかと恐怖する。髪の毛が全て抜け落ち坊主頭になったゲンは、その少し前に焼け野原になった広島市内の道端で拾った消防団の帽子で頭を隠し、友子のための米を調達すべく奔走した。

ゲン達はテンプレート:ルビ在住で君江の友人のキヨの家に身を寄せ新たな生活を始める。しかしそこでは、キヨの姑や子供達からの迫害に甘んじる。江波で、ゲンは原爆で死んだ弟・進次に瓜二つの原爆孤児・近藤隆太(こんどう りゅうた)と出会う。隆太は原爆孤児の仲間と共に、農家から食糧を盗み飢えをしのいでいた。隆太と初めて会ったゲンは、進次が生きていたのではないかと錯覚する。2回目に会った時に、食糧を盗もうとしていた隆太が百姓に追い回されていたところをゲンが助け、ゲンと君江が隆太を弟代わりに育てることになった。それ以降隆太はゲンや君江を自分の兄や母のように慕い続ける。

ゲンは江波で仕事を探していたところ、身なりのいい男に仕事をやるからついて来いと、連れて行かれた家で原爆の熱光で全身大やけどを負った画家志望生の吉田政二(よしだ せいじ)と出会う。身なりのいい男は政二の兄で、政二の両手は原爆による火傷で不自由になり、血を吐き血便を流し、大量のウジが全身を覆う惨状。仕事とは、政二の看病役だった。被曝する前は仲むつまじかった政二の兄家族は「ピカドンの毒がうつる」という噂を信じ隔離し、ろくに面倒も見ていなかったので、政二はやさぐれてしまっていたが、ゲンの叱咤に心を開き、口で筆をくわえて絵を描くようになる。ゲンは政二から絵画を教えてもらう約束をするが、ついに断末魔が訪れ間も無く政二は死に至る。すっかり死んだと思われていたが、通夜の後、蘇生し棺桶からはいずり出て「おかゆが食べたい」と兄家族に迫る。しかし、政二の兄家族は死人が甦ったと恐れおののき何も出来ず、箒で突き飛ばすなどし、逃げるばかりだった。夢で虫の知らせを察知したゲンは、政二の家に駆けつけたが、正にその時、政二は死んでいた。 被曝した政二を受け入れられず、都合良く世間体ばかり取り繕う家族にゲンの怒りは頂点に達する。火葬はゲンと隆太の二人で明るく行い、天国へ見送った。

戦後

終戦後、昭と浩二が広島に戻ってきて、中岡家は隆太を含めて6人で暮らすようになった。しかし、キヨの姑に家を追い出され、ゲンと隆太は自分達が姑の子供(キヨの夫)が戦死した腹癒せに追い出されたこと(表面は、キヨの子供による暴力に対する仕返しをしたこと・家賃を高く払ってくれる人が出てきたことなどの難癖を付けられた)を知り、キヨの子供と姑を懲らしめる。一時防空壕跡の洞穴で生活し、その後は、家族で建てたバラックに移り住んだ。ゲンと隆太は食料調達の奔走中、謎の復員兵と出会い、進駐軍駐屯地から死ぬ覚悟でミルクを盗んでくるが、実は復員兵はヤクザで、ミルクは闇市で叩き売りされてしまう。騙されたことに気がつき怒ったゲンと隆太はヤクザの男2人に鉄パイプで食ってかかるも返り討ちにあってしまう。隆太は以前にゲンと共に入手した陸軍の武装解除により廃棄されていた拳銃を持ち出してきて2人を殺害。警察に捕まりそうになった隆太は別のヤクザに助けられ、自分が中岡家に戻れば、中岡家まで白い目で見られることを知らされ、ヤクザの道に入る決意をした隆太は、迷惑をかけないようゲンたちの前から姿を消し、ヤクザの子分(鉄砲玉)として仕立て上げられることになる。

隆太との別れから数か月後、ゲンと昭は原爆投下後久しぶりに学校へ行くようになった。

栄養失調に苦しんでいた友子は、ゲンの友人の雨森頑吉(あまもり がんきち、通称・クソ森)の住む集落で暮らす、原爆で孫を失った男性とその仲間達に連れ去られた。男性たちは友子を「お姫さま」と慕い、孤独な自分たちの心の支えとしていた。ゲンは友子を奪い返そうと男性たちと押し問答となる。その時、友子の原爆症が発症し、病院で診てもらうが、適切な治療を受けられなければ手遅れと宣告される。ゲンは治療費の10万円を稼ごうと、雨森と共に近所の原爆症で亡くなった人々の家を訪ねて、お経を唱えるアルバイトを始める。しかし目標の金額には達しなかった。そんな中、原爆投下前に中岡家の近所に住んでいた朝鮮人の朴(ぼく)と偶然に再会する。戦後、闇市で財を成して資産家になっていた朴は、かつて中岡家から受けた恩義(大吉が朴を差別しなかった)から10万円と缶のミルクをゲンに気前よく渡した。大喜びで帰宅するゲンだったが時すでに遅く、ゲンは昭から友子の死を告げられる。ゲンは死を受け入れることができず、友子にミルクを飲ませようとする。しかしミルクは友子の口元からあふれ出し、友子の死を認めざるを得なくなる。友子の火葬は、ゲン、君江、浩二、昭と朴、雨森に友子を「お姫さま」と慕った男性たちが見守る中で営まれた。火葬の際、ゲンは死んだ友子のために、お経(白骨の御文章)を唱えて友子を天国へ送り出した。友子に生を与えた一人者は産婆ではなく、ゲンだった。そして、ゲンは三人兄弟の中で最も友子をかわいがっていた。それだけに友子の死は、母・君江とともにゲンにも大きな精神的ショックをもたらした。友子の死後、丸ハゲだったゲンの頭にも毛が生えはじめ(友子の看病に躍起で頭髪が生え始めていたことに気が付いていなかった)、家の焼け跡に植えた麦も芽を出しはじめ、改めて父の言葉を思い出し、妹の死という失望と絶望の淵から生きる希望へ繋がって行く。

市民以後掲載期(第二部)

その後、ゲンは別れた隆太と学校で再会する。ヤクザの岡内組の鉄砲玉として働いていた隆太には、かつての仲間だったムスビ、ドングリと、勝子(かつこ)が一緒にいた。ヤクザの幹部を夢見ていた隆太だったが、ドングリの死をきっかけにヤクザの世界から足抜けし、絶縁をした。その頃知り合った老人、平山松吉と共に新しい生活を始め、松吉は両親のいない隆太達の父親代わりになる。同年に昭和天皇が広島に行幸しており、それ以降ゲンは天皇の戦争責任を言及するようになる。

そんな折、君江の体も原爆症に蝕まれる。浩二は君江を助けるため、福岡県の炭鉱に出稼ぎに行ったが、浩二は働いて得た金で酒びたりとなり、仕送りが全く出来ていなかった。入院させようにも金がなく、どこの病院も断られてしまう。状況打開のため隆太はヤクザの賭場荒らしをして大金を手に入れ、君江は入院することができた。しかし胴元である打山組の組長は激昴、隆太を殺すべく広島市内に包囲網を敷く。逃げ道がないと知ったゲンは病気の身体を圧して現れた君江と共に警察へ行くよう説得して隆太は自首した。

1948年、原爆投下直後に米をもらいに行った際に出会った、英子そっくりの女性・大原夏江(おおはら なつえ)に再会する。夏江は何度も死を考えていたが、ゲンの発奮により、勝子と洋裁店を開くという夢を持つようになる。そんな折、松吉が原爆症で死の床に倒れる。隆太は共に脱獄したノロの自分を感化院に入れさせた叔父へ対する復讐に協力し、叔父に奪われた50万円相当の財産を取り返すことに成功する。ノロから分けてもらった財産の一部で朴に頼み(朴はお金は要らないと断った)、松吉の小説『夏のおわり』を自費出版するが、ゲンや隆太達に看取られながらこの世を去る。

ゲン・隆太・ムスビの3人は、松吉の遺作『夏のおわり』を頒布している所を米兵に連行され、米軍基地で日系アメリカ人のマイク・ヒロタ少尉に取り調べられ、ここでゲンは初めてアメリカ人に原爆投下の怒りをぶつけたが、少尉は真珠湾攻撃のことを持ち出し正当化するだけだった。

ゲン達は米軍基地の牢屋に監禁されたが、3人が拷問を受けるダメージを少しでも少なくするための訓練をしている所を見たヒロタ少尉に、精神に異常を来たしていると勘違いしたために不必要と判断されたゲン達は、監禁されていた米軍基地から外に連れ出され、置き去りにされる。そのまま広島に戻った3人は、朴の協力で先ほどのアメリカのやり方による反発と自分達の腹癒せにアメリカのジープやトラックを片っ端から破壊する。

米軍基地から連れ出され、アメリカのジープやトラックを破壊して、数日振りに家に帰ったゲンは、母・君江が退院したことに喜びを隠せなかった。しかし、胃癌で、家族には4か月の命と宣告されていた。ゲンは、生前最後の楽しい思い出を作ろうと母・君江の思い出の場所、京都へ旅行させるため、肥え汲みをして金を稼ぐ。京都旅行ができる金額に達した頃、浩二が九州から帰ってくるが、無為に日々を過ごしていた浩二は家に入りづらく、ゲンは自分が稼いだ金を浩二が稼いだものということにして、京都旅行に出発する。しかし旅行中、容態が急変し、吐血。君江は元たちに看取られながら息を引き取った。火葬の際、君江の遺骨はほとんど残らなかった。母親の死に落ち込んでいたゲンだったが、大吉と君江の幻影に励まされ立ち直る。

中学生になったゲンは、戦争を肯定する同級生・相原と最初は衝突するが、実は相原は自分が原爆症で自身の生命がそう長くないことを悟って生きること対する虚無感を抱いたためで、本心では戦争を憎んでいた。その後、ゲン達と共に戦争反対の行進の列に加わる。

また洋裁店を開こうと話が順調に進む中、急に夏江が腹痛を訴える。夏江は盲腸で入院となったが、入院した後体調が芳しくなく、手術しても原爆症による白血球の減少で傷口が塞がらなかった。死期を悟った夏江は生きる希望を失っていくが、ゲン達に叱咤激励され、励まされる。

ゲンの担任の教師・太田は、レッドパージで教師を辞めさせられ、覚醒剤に手を出すまでに絶望していたが、ゲンや隆太や雨森達クラスメート達のお陰で立ち直り、自分の学校を作ることを決意する。

瓦礫の中から材料を集めて建てた家も、広島市の復興計画による道路拡張工事のために、ゲンと隆太の必死の抵抗も空しく取り壊されることになった。そのため、浩二は婚約者の広子と広島市内のアパートで暮らすことになり、昭は繊維問屋の商人になるために大阪へ旅立った。

1950年12月31日、夏江は直腸癌と急性心臓麻痺が原因でこの世を去る。夏江の遺骨をゲンの家の墓に納める過程で、父・大吉の遺志を継ごうと絵付け職人になることを決意、夏江の遺骨の件で知り合った画家の天野の教えを受けながらも看板屋の仕事を手伝うようになった。とは言え看板屋で働き始めたきっかけは、ゲンが納品間近の看板を壊してしまった弁償のためである。その弁償をするため看板屋で働くことになったが、外で仕事をしている姿を天野が見つけ、天野は代わりにゲンが壊してしまった看板へ絵を描く作業をやったのである。天野は、看板屋の社長に絵の腕を認められ、ゲンが負傷を負わせた社員・大月の代理として雇われる[14]。一方、隆太は設立されたばかりの広島カープの応援に熱中する。

1953年、中学を卒業したゲンは、女学生(中学生)の中尾光子(なかお みつこ)に一目惚れをする。しかし、光子は弁償のために働いた看板屋の社長、中尾重蔵の娘だった。ゲンは重蔵と犬猿の仲であり、光子も当初は父親に叱られるのを恐れてゲンと交際するのをためらっていたが、隆太の一喝とゲンの想いを受けて交際を承諾、ゲンは光子との交際を始める。しかし、まもなく光子は原爆による急性白血病で死亡。これにより軍国主義者の重蔵は自分の愚かさを知り、平和主義者へと転向、漸くゲンと和解する。

ゲンの仲間の1人、ムスビは、洋裁店を開くために働いていたが、ふとした夜遊びがきっかけで麻薬中毒となってしまう[15]。麻薬中毒となったムスビは麻薬を買うために、申し訳ないと思いつつも皆で貯めたお金に手を出し、挙げ句使い果たしてしまう。お金が無くなっても麻薬を欲しがるムスビは、麻薬の売人であるバー「マドンナ」のマスターの自宅に侵入して麻薬を探しているところを見つかり、リンチに遭い死亡する。原爆で孤児となり苦難を共にしてきた大切な親友であるムスビが麻薬中毒にされて殺されたことに隆太は怒り心頭となる。隆太は、バー「マドンナ」に乗り込み、首謀者であるマスターを射殺し、愛人である女給に重傷を負わせ、さらに麻薬売買の胴元であるヤクザを2人射殺した。そして、敵討ちを終えた隆太は自首することを決意するが、刑務所に入るのは間違いで戦争を起こした者たちこそ裁かれるべきだと叫んだゲンと勝子により反対され、東京へと向かう貨物トラックで勝子と共に逃亡する。

ムスビの遺骨を自分の家の墓に納めたゲンは、その後、社長や天野と彼の孫の達郎に見送られ、未来に挑戦するために東京へ旅立つ。

第二部『東京編』

東京移住後を描く予定だった。2013年8月時点で、32ページ分の下書きなどが確認されている[16]

主なテーマは、被爆者差別や、東京の戦災孤児と戦争の廃絶を目指すなどを予定していた[17]

『「はだしのゲン」創作の真実』掲載の草稿は、冒頭2ページには絵があるが、以下はコマとネームのみである。内容は東京に着いたゲンが、被爆者と知られて「放射能がうつる」と言われたあと、上野で東京大空襲の被災談を語るコソ泥に全財産を盗み取られるところで終わっている。

ラストでは、絵の修行のため貨物船でフランスに旅立つとされていた[17]

登場人物

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ゲンの家族の「中岡」の姓は、ゲンの父親大吉(中沢の父親がモデル)と同様に「生まれ変わった日本」を見ないまま坂本龍馬とともに暗殺された中岡慎太郎に因んでいる[18]

実写映画

『はだしのゲン』が初めて実写映像化された作品である。製作脚本監督は3作品とも現代ぷろだくしょんの代表だった山田典吾。原作に添った形で脚本が書かれているが、主要な登場人物を演じる俳優やスタッフが各作品ごとに大幅に入れ替わっており、シリーズ物としては共通性を欠いている。シリアスで真面目なシーンに突然意味不明なギャグやコメディが挿入されたり(ゲンと隆太が、政二の絵のモデルになった際、『おそ松くん』のギャグである『シェー!』のポーズを取る。3作目では、オープニングをミュージカル風にするなど)、監督の遊び心が感じられる作品になっている。またタモリ赤塚不二夫・公開当時人気があったクシャおじさんなど多くの著名人・話題を集めた人物がカメオ出演していることなどでも評判になった。

はだしのゲン(1976年)

スタッフ
  • 製作:山田典吾
  • 監督:山田典吾
  • 脚本:山田典吾
  • 撮影:安承王文
  • 美術:育野重一
  • 音楽:渋谷毅
出演

はだしのゲン 涙の爆発(1977年)

スタッフ
出演

はだしのゲン PART3 ヒロシマのたたかい(1980年)

スタッフ
  • 製作:山田典吾・山田火砂子・内田有作
  • 監督:山田典吾
  • 脚本:山田典吾
  • 撮影:佐藤昌道
  • 美術:木村威夫
  • 音楽:平尾昌晃
出演

アニメ映画

本作を原作としたアニメ作品は1983年7月に「はだしのゲン」が、1986年6月に「はだしのゲン2」が公開され、1995年8月5日・6日には原爆投下50年にRCCテレビの昼間のローカル枠で広島県向けの原爆特別番組として「はだしのゲン」・「はだしのゲン2」が放送された。2000年頃からはCS放送ファミリー劇場キッズステーションで毎年のように「はだしのゲン」・「はだしのゲン2」が放送されている。製作はゲンプロダクション、アニメーション制作はマッドハウス。原作者中沢啓治が、漫画や実写映画では描ききれない原爆の実情を表現したいとの意図で一部私財を投じて製作され、一般公開された際には大きな反響を呼んだ。

主人公の中岡元役はオーディションによって選ばれ、当時、中岡元と同じ年齢の小学生だった広島市出身の宮崎一成が演じた。本作品が宮崎の声優初出演作である。宮崎は「はだしのゲン」では変声期前の幼い声を生かして少年期の、「はだしのゲン2」では変声期中の声で思春期の中岡元役を演じた。また、1作目のみ城達也がナレーションを担当した。

「はだしのゲン」は汐文社単行本版第1 - 4巻(少年ジャンプ連載分)、「はだしのゲン2」は第5 - 7巻(母の死まで)を映像化しているが、ともに約90分という尺に収めるためにエピソード・キャラクターの省略、設定の変更が多くなされている。特に「はだしのゲン2」はアニメオリジナルキャラクターが登場するなど原作からかなりストーリーが改変されている。また、原作に登場する悪役的な人物が全く登場しない。なお、元たちの顔付が原作版とは異なっている。

アニメ作品で描かれた原爆投下による表現描写は、1989年に公開された東映映画「黒い雨」(監督今村昌平)での参考とされた。当初はVHSベータで映像ソフト化され発売していたものの長らく廃盤となっていたが「はだしのゲン」、「はだしのゲン2」ともに、広島への原爆投下60年忌にあたる2005年8月6日にジェネオンエンタテインメントよりDVD化して発売された。アメリカでもDVDが発売されている。

スタッフ

はだしのゲン
はだしのゲン2
  • 原作:中沢啓治
  • 監督:平田敏夫
  • 脚本:高屋敷英夫
  • 設定:丸山正雄
  • 作画監督・キャラクター設計:さかいあきお
  • 美術監督:番野雅好
  • 色彩設計:西表美智代
  • 撮影監督:石川欽一
  • 編集:尾形治敏
  • 音響監督:明田川進
  • 効果:倉橋静男(東洋音響)
  • 音楽:羽田健太郎
  • 主題歌:高橋伸明
  • プロデューサー:吉元尊則・岩瀬安輝・田辺昭太郎

キャスト

はだしのゲン、はだしのゲン2共通キャスト
はだしのゲンキャスト
はだしのゲン2キャスト
アニメオリジナルキャラクター。アニメ版の隆太は不良化していないため空いた原作の隆太に相当するポジションのキャラとクターして設定された。
  • 勝子:青山貴美
  • 松吾:北村弘一
  • ドングリ:山本真人
  • カッチン:高木宏司
  • ムスビ:佐藤真澄
  • 医者:西村淳二
  • 先生:青野武
  • 警官:大竹宏

テレビドラマ

2007年フジテレビが『千の風になって ドラマスペシャル』の第3弾として企画・制作し、同年8月10日の「金曜プレステージ」と8月11日の「土曜プレミアム」で2夜連続で放映された。『はだしのゲン』のテレビドラマ化は本作品が初めてである。なお、テレビ大分では前編は同時ネットで放送されたが、後編は編成の都合上、11日深夜(12日未明)0:55(3時間55分遅れ)から放送された。またテレビ宮崎でも前編は編成の都合上、11日午後13:00 - 14:52に放送し、後編は同時ネットで放送された。

原爆投下前の広島市街地を広島県福山市佐賀県武雄市にオープンセットを作って撮影が行われた。また、茨城県高萩市の工場跡地にオープンセットを建て、原爆投下後に廃墟となった広島市街地を再現した。また、浩二が海軍に出征する時の蒸気機関車のシーンは静岡県大井川鐵道で行われた。駅舎全景はJR九州鹿児島本線門司港駅を使用。原爆爆発直後の爆風による破壊シーンはCGで表現されている。

物語は浩二の帰還までのストーリーをベースに、エピソードの大幅な整理をしつつ原作の流れにほぼ忠実に展開されたが、時間の都合により次兄の昭や隆太軍団などの一部登場人物の省略や、中岡英子の描写など中沢の自叙伝からの一部引用が行われた。原爆投下時の惨状は原作者からアニメ映画版のように凄惨な表現にして欲しい旨の希望があったが、全国放送でのゴールデンタイムでの放送のため、全年齢の視聴者が鑑賞出来るように配慮され、目を背けない程度の描写に留める形で製作された。

また本作品では、冒頭とラストには現代の広島平和記念公園を舞台に老年期になった中岡元が登場し、年老いた元が平和公園を訪れ、自らの過去を回想する形で物語が進行していくように表現がなされている。老年期の中岡元が登場するのは原作・映画・アニメを含めて本作品が最初である。

視聴率は関東地域で前半18.2%、後半20.5%を記録した。2008年1月25日にDVDが発売された。

キャスト

  • 中岡元(現代)/ナレーション:山本學

主題歌

スタッフ

視聴率

放送日 放送時間 視聴率
前編 2007年8月10日 21:00 - 22:52(JST 18.2%
後編 2007年8月11日 21:00 - 23:10(JST) 20.5%
平均視聴率19.3% 視聴率は関東地区ビデオリサーチ社調べ

記録映画

テンプレート:Infobox Film 2011年、原作者・中沢の生涯を取り上げた記録映画として「はだしのゲンがみたヒロシマ」(石田優子監督)が公開された。この作品は中沢自身の被爆体験のインタビューや、広島市内を実際に訪れたドキュメンタリーと、マンガの原画などを通して核戦争・核兵器の恐ろしさと平和を訴える内容である[19]

出演

作品に対する評価

テンプレート:Amboxテンプレート:DMC 概要に記した経緯の通り、1980年代から多くの図書館や、小中学校の図書室に置かれた漫画であり、少年少女に広く読まれている。「原子爆弾投下」という現実を学ぶことが出来る、参考書としての側面を持つ漫画作品だという声がある。また、戦争漫画としてだけでなく、戦中戦後の風俗・社会情勢を捉えており、土俗的な描写の巧さについて、呉智英は「作者の中沢啓治が自ら体験したか、間近で見聞きしたのだろう」と推測している[20]。また、呉は中沢の左翼的な作品のスタンスについて「稚拙な政治的言葉しか持ちえなくとも、それでも運命に抗う人々の軌跡」だとしている[20]

時代考証

時代考証については誤って表現されている箇所がしばしば見られる。例えば、以下のことが該当する。なお、時代考証や表現の間違いについては作者も一部認めているテンプレート:要出典

  • 原爆製造・実験時にアインシュタインが立ち会っている。実際にはアインシュタイン自身は科学者のレオ・シラードの勧めによって原子力エネルギーの軍事利用の可能性に触れたアメリカ大統領宛ての手紙(アインシュタイン=シラードの手紙)に科学者として署名したことは事実であるが、原爆の開発製造には関与していない。作者自身はこの描写についての意図は公表していない。アメリカ合衆国での翻訳出版では別人に修正されている。
  • 原子爆弾リトルボーイが落下傘を取り付けられて投下されているが、現在では、落下傘を取り付けずに直接投下されたことが資料などで判明している。ただし原爆投下直前、原爆の威力を計測するために落下傘に取り付けたラジオゾンデを投下しており、それを目撃した被爆者が「原爆は落下傘に付けられて投下された」と誤認する証言が多かった。原爆の被害を伝えた第一報でも「落下傘つき」という見出しで記事になっている[21]。アニメ版でもこの誤認シーンが使用されている。2007年8月に放送されたTVドラマ版の投下シーンでは史実に従い直接投下する描写になっている。

単行本の出版

単行本の出版にも紆余曲折があり、当初の連載元である集英社からは、長い間単行本化されなかった。作者の中沢は「週刊誌は1週間で店頭から消えるが、単行本化すれば後まで残る」として、後々の抗議を恐れたため[22]と生前に述べている。ただし、担当編集者だった山路則隆は前記の通り、(連載終了当時は)単行本化するだけの人気がなかったためとしている[6]。『ジャンプ』連載にもかかわらず、ジャンプ・コミックス版がないのはそのためである。ただし『ジャンプ』掲載分は、まず1977年集英社漫画文庫に収録され(集英社漫画文庫版)、さらに2005年にはコンビニ向けの集英社ジャンプリミックスシリーズでも発売されており(SHUEISHA JUMP REMIX版[23]。2005年以降も、複数回にわたり再刊されている)、2014年にはJUMP REMIX版の再刊に合わせ、この続きが中央公論新社よりChukoコミックLite Special版として刊行された[24]。全編を収録対象とした単行本は、1975年汐文社より刊行が開始された(汐文社版)。他に市民社版翠楊社版ほるぷ出版版中公文庫コミック版もある。2013年現在、汐文社版汐文社愛蔵版ほるぷ出版版中公愛蔵版中公文庫コミック版が発売中である。さらに中公文庫コミック版を元にした電子書籍版もある。上記の通り、集英社漫画文庫版、およびSHUEISHA JUMP REMIX版は『ジャンプ』連載時の内容のみ、ChukoコミックLite Special版はそれ以降の内容のみで構成されており、汐文社版以外は一部の差別用語とされる単語を削除している。

平和学習

全国各地の小学校・中学校では、夏休みの登校日などに「平和学習教育時間」が設けられているところもあるが、アニメ版「ゲン」はその時に鑑賞する原爆アニメの定番となっていた。特に、平和教育の盛んな広島市では、他機関からのフィルムのレンタルによる上映を含めると実に多くの小中学校でゲンが上映されていた。しかし、原爆投下時の熱線や爆風で老人や乳児を含む市民が犠牲となる描写が余りにも残虐なため、トラウマになったという者も多い[25]。そもそも児童にグロテスクな表現を見せることが教育上よいものかとも懸念されており、児童が「平和教育」自体に拒否感を持つに至った事例も報告されている。そのためこのアニメを学校で強制的に鑑賞させることに否定的な意見を持つも多い[26]。現在では描写がよりソフトな「トビウオのぼうやはびょうきです」などの方が好まれる傾向にある(教育現場における「ゲン」の受容に関しては『「はだしのゲン」がいた風景』第五章に詳しい[27])。

中沢啓治本人は「はだしのゲンのアニメ映画を見たことでトラウマを植え付け、それによって原爆に対して嫌悪感を持ってくれればいい」という旨を語っている[28]ほか、自伝でも「泣き叫んだ子供達、ありがとう 君たちは原爆の本当の真実を知ってくれたのだ!」と語っており[29]、原爆によるショックを受けることが原爆の悲惨さ、真実を知ることになるというスタンスである[30]。また、この意見に対しては映画監督のジェームズ・キャメロンも、本作に影響を受け2009年から企画が進行中の広島・長崎の原爆をテーマとした映画『JIGOKU』での被爆による殺戮表現を、たとえ目を覆いたくなる映像になろうと、真実から目を背けずに描きたい旨を語っている[31]

批判的意見

批判的意見として以下がある。

  • 自由主義史観研究会はこの作品の前半を「原爆を語った物語文化の秀作である」としながら、後半については、「原爆投下が日本の降伏を早めた」などのゲンの台詞があることから、久間章生に優るとも劣らない原爆容認論であると批判[32]。会員・南木隆治[33]は『はだしのゲン』の後半を「とんでもない反日自虐のプロパガンダ本である」とした上で、「日本の学校でこの作品がもてはやされるようになったのは、後期作品の反日プロパガンダの部分が日教組や、左翼教員に全面的に受け入れられたからで、子供たちの心から愛国心の芽を根こそぎ奪おうとするもの」と主張し、日本政府が英語版はだしのゲンを配布したことを批判した[34]
  • 岩田温は「『はだしのゲン』を斬る!」の中で、『はだしのゲン』が「反核」のみを主張する漫画ではなく、「『反天皇制』、『反戦』、『侵略戦争史観』、『在日擁護』、『日本人の残虐性』など、戦後左翼勢力が吹聴したプロパガンダが全て内包された恐るべき漫画である」と指摘した。さらに、『はだしのゲン』が「日教組によって組織的に買い支えを受けていた」事実をあげて、[35]「日教組の解体撲滅と同時に全学校の図書館からこの有害極まる『はだしのゲン』を撤去しなければならない」[36]と批判した。

後半の記述への批判

後半部分には、天皇を「最高の殺人者」呼ばわりしている、中国人が通州事件などで行った特有の残虐行為を日本軍が行ったことに摩り替える描写があるという指摘がある[37]。また『産経新聞』はコラム「産経抄」(2013年8月24日付)で、「ジャンプで連載が打ち切られると、ゲンは、日本共産党系雑誌に、そこも打ち切られると日教組系雑誌に掲載された。根拠のない日本軍の“蛮行”や昭和天皇への呪詛(じゅそ)がてんこ盛りになったのもこのころである」と指摘している[38]

閲覧制限問題

松江市教育委員会による閉架措置問題

2012年8月、高知県在住の在日特権を許さない市民の会のメンバーより、本作品の後半に、旧日本軍が「中国人の首を面白がって切り落とした」「妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊を引っ張り出した」「女性器の中に一升ビンがどれだけ入るかたたきこんで骨盤をくだいて殺した」といった記述が証拠資料もなしに羅列してあり、「子供たちに間違った歴史認識を植え付ける」として、学校図書室から本作品を撤去する陳情が出された。この陳情は市議会において不採択とされたが[39]、議員の中には陳情内容に同調する意見もあったことから、松江市教育委員会は教育的見地に基づく再検討を行い、2012年12月、『はだしのゲン愛蔵版』(汐文社発行)全10巻を「描写が過激」として、本棚に置かず倉庫に収める閉架措置にするように求め、市内で本作品を保有する39の小中学校全校がこれに応じた[40]

汐文社の政門一芳社長や京都精華大学マンガ学部の教授の吉村和真は、今回の閉架措置による戦争体験の継承の喪失・風化を危惧している[39]文部科学大臣下村博文は松山市の閉架措置について、子供の発達段階に応じた教育的配慮は必要として、「学校図書の取り扱いについて学校に指示するのは、教育委員会の通常の権限の範囲内」として問題が無いことを述べている[41]

2013年8月22日、日本図書館協会は『中沢啓治著「はだしのゲン」の利用制限について(要望)』を発表した。同協会は松江市教育委員会による閉架措置が、「図書館の自由に関する宣言」(1979年、総会決議)に違反していると指摘。同宣言では国民の知る自由を保障することを、図書館の最も基本的な任務と位置づけ、図書館利用の公平な権利を年齢等の条件によって差別してはならないこと。また、ある種の資料を特別扱いしたり、書架から撤去するなどの処置の禁止されていることが、同宣言に明記されていると指摘した。さらにアメリカ合衆国の図書館協会が、今回のような閉架措置を「目立たない形の検閲」としてして定義していることを挙げ、松江市教育委員会による閉架措置を批判すると同時に、開架図書として戻すよう求めた[42]

2013年8月26日に開かれた松江市教育委員による臨時会議の結果、「教育委員会が学校に閲覧制限を一律に求めたことに問題があり、子供に見せるか見せないかは現場の判断に任せるべきだ」との意見から、全会一致で閲覧制限の撤回が決定された[43]

2013年10月に行われた調査では、松江市内の分校を除く49校のうち、はだしのゲンを所蔵する43校中、41校で生徒が自由に閲覧できるようになり、1校が検討中、1校が原則閉架で、所蔵しない学校のうち2学校が生徒の希望であらたに購入を検討していることが明らかになっている[44]

鳥取市立中央図書館における閉架措置

2011年夏、鳥取市立中央図書館において本作を読んだ小学校低学年児童の保護者から、「強姦などの性的描写がある本作を小さな子でも手に取れる場所に置くのはどうなのか」とクレームがあったため、事務室内に別置きする措置を行い、閲覧・貸出は要望があった時のみに制限していた[45]。2013年8月、松江市の閉架問題に関連してこの件が広く報道され、市民から問い合わせが相次いだため、8月21日に緊急に職員会議を開き、「市民の自由な論議の基になる材料を提供するのが図書館の役目である」との理由から閉架措置を撤回し、本作を一般書のコミックコーナーに移した[43]

泉佐野市における回収措置

2013年11月、大阪府泉佐野市千代松大耕市長および泉佐野市教育委員会は作品において「きちがい」「乞食」「ルンペン」などの差別的表現が多く何らかの対応が必要として市立小中学校全18校の所蔵を調査し、図書室から校長室に移すよう口頭で要請[46][47]。2014年1月、市立小中学校18校のうち蔵書として所有する13校から128冊を回収・保管した[46][47]。2014年1月23日、市立校長会は「特定の価値観や思想に基づき、読むことさえできなくするのは子どもたちへの著しい人権侵害」として、回収指示の撤回と返却を求める要望書を教育長に提出[46][47]。これを受け、3月20日、泉佐野市教委は児童生徒に同じ言葉を使わないよう指導する方針を決定し各校に図書を返却した[46][47]

翻訳

本作品が表現するテーマ性から世界各国でも高い評価を受けており、初期からボランティアの手によって多くの言語に翻訳されている。一説によれば、1977年から大学生のグループによって翻訳された英語版(英題:Barefoot Gen)は、全編が英訳された初の日本漫画である[48][49]。2005年現在、少なくとも英語版、フランス語版、ドイツ語版、イタリア語版、韓国語版、ロシア語版、スペイン語版、インドネシア語版、タイ語版、エスペラント版、ノルウェー語版が既に刊行されている。

一方、金沢市の浅妻南海江は外国人女性が日本語版を読み涙したのを見て、外国人にも理解できるならと翻訳を思い立ち、後に加わったら8人と共にボランティアで1995年からロシア語[49]、2000年から英語への翻訳を行い2004年に全巻の翻訳を完了し、2004年9月に第1巻が発行され2007年4月までに第4巻まで、2008年4月-2009年4月までに第8巻までが発行されている。英語版はページの開きが逆であり齣(コマ)の左右並び替え、台詞を横書き化、吹き出しの大きさ変更などを経て、第9巻、第10巻は2009年10月に発行される。これら全10巻を中沢はバラク・オバマ大統領に贈呈すること考えており「大統領の核兵器をなくそうとの意思が伝わってくる。これを読んで、争いのない地球にしてほしい」と期待感を表明した[50][51][52]

中沢は常に「真珠湾を忘れるな」と原爆投下を正当化するアメリカに対して戦争と核兵器の恐ろしさを知って欲しいと訴えており、「まずはアメリカでしっかり読まれてほしい。オバマ大統領にも娘さんたちと一緒にぜひ読んでもらいたい」と述べている。

しかし、アングラ文化、もしくは啓蒙書としての受容が主で、一般のManga読者にはあまり読まれていない。たとえば、韓国では日本の加害責任や天皇の戦争責任を問う漫画として、「ゲン」のイデオロギー的な面が強調されてKBSなどのマスメディアで取り上げられたが、一般の読者は少なく、韓国での出版部数は各巻4000冊程度だった[53]。一方、2013年8月21日付けの『東京新聞』社説「はだしのゲン 彼に平和を教わった」によると、『はだしのゲン』は「韓国では全十巻三万セットを売り上げるベストセラーになっている」と紹介された[54]

書誌情報

汐文社版

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汐文社ホーム・コミックス版

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汐文社愛蔵版

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市民社版

集英社漫画文庫版

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SHUEISHA JUMP REMIX版

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文民社版

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翠楊社版

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ほるぷ版 中沢啓治平和マンガ作品集(旧版)

1995年に出版された「ほるぷ版 中沢啓治平和マンガ作品集(改訂版)」と区別するため、(旧版)と記す。「ほるぷ版 中沢啓治平和マンガ作品集(旧版)」では、第1巻から第7巻までと第20巻から第22巻までが『はだしのゲン』全10巻になる[55]。また、第18巻と第19巻が『はだしのゲン』の英語版全2巻になる[55]

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ほるぷ版 中沢啓治平和マンガ作品集(改訂版)

ほるぷ版 中沢啓治平和マンガ作品集(旧版)」および「汐文社版 中沢啓治平和マンガシリーズ」とは収録作品が異なるので区別する必要がある。「ほるぷ版 中沢啓治平和マンガ作品集(改訂版)」では、第1巻から第10巻までの第1期全10巻が『はだしのゲン』になる[55]

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中公愛蔵版

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中公文庫コミック版

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ChukoコミックLite Special版

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絵本版

小説版

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シナリオ版

インドネシア語版

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英語版

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韓国語版

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脚注

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参考文献

関連文献

汐文社版 中沢啓治平和マンガシリーズ

このシリーズは『はだしのゲン』を収録していないため、「ほるぷ版 中沢啓治平和マンガ作品集(旧版)」および「ほるぷ版 中沢啓治平和マンガ作品集(改訂版)」とは区別する必要がある。

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関連項目

外部リンク

  • テンプレート:Cite web
  • コトバンク:朝日新聞掲載「キーワード」
  • テンプレート:Cite news
  • 『おれは見た』は「平和の鐘シリーズ」に収録。(テンプレート:Harvnbテンプレート:Harvnbテンプレート:Harvnbテンプレート:Harvnbも参照。
  • テンプレート:Harv。中沢はその後エンターテインメント系の読み切り作品を何編か『週刊少年ジャンプ』に掲載したが、『ゲン』ほどの人気は得られなかったという。
  • 6.0 6.1 テンプレート:Harv
  • 7.0 7.1 7.2 7.3 テンプレート:Harv。この内容は中沢の妻による証言である。
  • 岩波書店図書』1975年9月号
  • 中央公論新社からの刊行分には「第二部 完」と記されている(『ジャンプ』掲載分の最終ページには「第一部 完」とある)。
  • テンプレート:Cite news
  • ふるさと発スペシャル「はだしのゲンは終わらない 幻の続編からのメッセージ」日本放送協会広島放送局制作、2010年7月30日放送より。本番組内で、『幻の第二部』の原稿も紹介されている。
  • テンプレート:Cite news
  • デジタル大辞泉プラス
  • 人件費削減も兼ねている。天野は社長から大月の半分の給料で雇われた。
  • 1951年までには麻薬や覚醒剤を取り締まる法律が制定されていたが、長年覚せい剤ヒロポンなどが薬局でも堂々と販売されていたため、中毒者が社会問題となっていた。
  • テンプレート:Cite news
  • 17.0 17.1 テンプレート:Cite web
  • 朝日新聞 2010年9月5日朝刊 教育面
  • テンプレート:Cite news
  • 20.0 20.1 テンプレート:Harv
  • 参照朝日新聞1945年8月8日付
  • テンプレート:Harv
  • SHUEISHA JUMP REMIX版は、中公文庫コミック版を底本としている。
  • 2014年刊行のSHUEISHA JUMP REMIX版とChukoコミックLite Special版の巻末には、連動する形で相互に広告が掲載されている。
  • 梓出版社刊『「はだしのゲン」がいた風景』p190~200記述より
  • テンプレート:Harv
  • テンプレート:Harv
  • クイックジャパン』Vol.12に掲載されたインタビューにて語っている。テンプレート:Harv
  • テンプレート:Harv
  • 中沢啓治『はだしのゲン自伝』教育史料出版会(1994年)P211~213
  • フジテレビ『とくダネ』2009年
  • テンプレート:Cite web
  • 「大阪府教育連盟」「南木倶楽部勉強会」などいくつかの任意団体を主宰
  • テンプレート:Cite web
  • テンプレート:Harv
  • テンプレート:Harv
  • テンプレート:Cite web
  • テンプレート:Cite news
  • 39.0 39.1 テンプレート:Cite news
  • テンプレート:Cite news
  • テンプレート:Cite news
  • テンプレート:Cite web
  • 43.0 43.1 テンプレート:Cite news
  • 朝日新聞2013年10月17日社会面
  • テンプレート:Cite news
  • 46.0 46.1 46.2 46.3 テンプレート:Cite news
  • 47.0 47.1 47.2 47.3 テンプレート:Cite news
  • テンプレート:Harv
  • 49.0 49.1 テンプレート:Cite web
  • 『読売新聞』、2009年7月26日、13S版38面
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  • 55.0 55.1 55.2 テンプレート:Harv