加山雄三
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加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年4月11日 - )は、日本の俳優、シンガーソングライター、タレント、作曲家、ギタリスト、ピアニスト、画家。本名・池端 直亮(いけはた なおあき)。ニックネームは若大将。作曲家としてのペンネームは弾厚作。血液型A型。
目次
経歴
父は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子[1](池端具子)。妹は池端亮子。母方には明治の元勲・岩倉具視[1]がいる(具視の玄孫が加山)。
神奈川県横浜市神奈川区幸ヶ谷の家に生後8か月まで、次の東京都大田区田園調布には1歳9か月までいた[1]。覚えているのは神奈川県茅ヶ崎の家からである[1]。海と茅ヶ崎駅の中間辺りにあって平屋の日本家屋だった[1]。お手伝いさんは必ず2人はいた[1]。茅ヶ崎市の実家には31歳で結婚するまで過ごした。
慶應義塾高等学校から慶應義塾大学法学部政治学科へ進み卒業後の1960年春に東宝へ入社。同年『男対男』で映画デビュー。当時、同じく有楽町にあった渡辺プロにも一時期在籍。
1961年、「夜の太陽」で歌手デビュー。NHK『NHK紅白歌合戦』出場17回。代表曲多数。後のフォークソングやニューミュージック全盛時代に先立つ、日本におけるシンガーソングライターの草分け的存在であり、また日本ではじめて多重録音を手がけた歌手でもある。
ソングライターとしてのペンネームは、加山が尊敬している團伊玖磨と山田耕筰を足して2で割った弾厚作(だんこうさく=ドン・コサック)であり、同名義で作曲(稀に作詞もある)している、日本テレビ『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のテーマソングである「サライ」・「勇気のカタチ 〜私を変えてくれたあなたへ〜」は谷村新司が作詞し、加山が作曲したものである。ただし、加山が歌う歌を加山自身が作曲しているという事実は、ソングライターとしてのペンネームが「弾厚作」であることが災いして、世間にはそれほど広く知られていない。
1965年12月に映画『エレキの若大将』主題歌として発売された「君といつまでも」は350万枚の大ヒットになり、1966年の第8回日本レコード大賞の大本命とされていたが、結局大賞は同曲に比べ売り上げ面で劣る橋幸夫の「霧氷」が受賞することとなり、「君といつまでも」は特別賞に留まる。
俳優としてはそれまでの宝田明に代わって東宝の若手看板スターとして大活躍、娯楽映画の『若大将シリーズ』が大ヒットし代表作となるが、一方で黒澤明、成瀬巳喜男、岡本喜八といった名匠の作品にも多く出演している。ブロマイドは女学生を中心に爆発的な売れ行きを記録した。
1965年、神奈川県茅ヶ崎市にパシフィックホテル茅ヶ崎を開業[2]。1967年に運営会社「日本観興開発(後に株式会社パシフィック・ジャパンに改称)」取締役に就任。しかし、パシフィック・ジャパンは1970年3月に23億円の負債を抱え倒産、ホテルは18億円で売却され、監査役だった加山は、父の上原と共に巨額の債務を抱えた。加えて、女優松本めぐみとの駆け落ち同然の結婚が世間を騒がせ、1969年の『フレッシュマン若大将』以降低迷した同シリーズが1971年に終了、映画出演の減少もあいまって、かつてない不遇の時代を迎える。ナイトクラブ、キャバレー回りをするも、ギャラはほぼ全額借金の返済に充てられ質素な生活へと追い込まれるが、10年で完済した。
その後、活動の主軸をテレビに移し『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』(NET→テレビ朝日系)を始めとするバラエティ番組、『江戸の旋風』『大追跡』『ぼくの妹に』などのテレビドラマやドラマの挿入歌である「ぼくの妹に」のヒットで徐々に息を吹き返す。加えて「理想の父親」と呼ばれるほど世間からの好感が高く、ヤマザキナビスコのクラッカー「プレミアム」で家族全員でCM出演をする程、「理想の家族」としても認知度が高い。
1986年 - 1988年まで『NHK紅白歌合戦』で3年連続で白組司会を務めた。1986年、『第37回NHK紅白歌合戦』の司会では、白組トップである少年隊の「仮面舞踏会」を紹介する際、誤って「仮面ライダー」と叫ぶ「事件」を起こし、当時のバラエティ番組などにしきりにネタにされている。
1991年12月28日、新潟県南魚沼郡湯沢町に加山キャプテンコーストスキー場を開業。2010年-2011年シーズンまで営業したが、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響や若者のスキー離れなどによる経営資金調達困難などが影響し、2011年7月に閉鎖を決めた[3]。
1993年にギターのロールスロイスと呼ばれるアメリカのMosrite(モズライト)社よりマリンブルーと『若大将シリーズ』で皆の憧れの的だった白の2色にファズを搭載した加山雄三モデルギターが発売された。
1994年、ザ・ワイルドワンズの島英二にけしかけられて、仲間内で久しぶりにエレキを弾いてベンチャーズごっこをやっていたところ、事務所の社長の鶴の一声がきっかけで「加山雄三&ハイパーランチャーズ」を結成。
1997年4月23日、加山の60歳の誕生日を記念したトリビュートアルバム『60 CANDLES』が発売。レコード会社の垣根を越えた様々なアーティストが参加した。
1998年3月21日、静岡県賀茂郡西伊豆町堂ヶ島に「加山雄三ミュージアム」開館。
2000年、Mosrite社よりパールブルーの加山雄三・芸能生活40周年記念モデルギターがハイパーランチャーズの「ハイパー」に語呂を合わせた818,000円で限定40本で発売され、即完売した。このモデルは前回のモデルと同様にファズが搭載されており、ヘッドがイニシャルのKにカットされ、指板にはLEDが組み込まれ、スイッチで光るようになっている。なお、アウトプット・ジャックは本体裏にあるなど、オリジナリティ溢れるものになっている。
2005年4月10日には新高輪プリンスホテルにて、「芸能生活45周年を祝う会」という盛大なパーティが開かれた。関連してヤマハより芸能生活45周年記念モデルギター「SG3KY」が限定45本で発売され、ハワイのセニーザ社(CENIZA)より、加山雄三・芸能生活45周年記念モデルのウクレレが、限定45本で発売された。
2006年3月3日・4日、東京文化会館の45周年と加山雄三の芸能生活45周年を祝うガラ・コンサート(祝典)が大ホールで行われた。同ホールは、クラシック音楽の殿堂・オペラの聖地として名高く、ポピュラー音楽が鳴ることはかつて無かったが、ポップス・シンガーとして初めてステージに上ったのが加山である。「加山雄三With大友直人 シンフォニック・ガラ・コンサート」で、千住明をはじめとする5人の編曲家によって加山サウンドをクラシックに蘇らせた。 プロデューサーで構成・演出をしたのは 加山雄三の還暦の祝いに日本初のトリビュートアルバムをプロデュースした木﨑徹。彼は東京文化会館の音楽監督である大友直人の古くからの友人であったために革命的なコンサートが実現した。 この模様はDVDになりリリースされている。
2006年8月26日、加山と同じく湘南というイメージや、茅ヶ崎出身の有名人として名の挙がるサザンオールスターズの桑田佳祐の呼びかけにより、『THE 夢人島 Fes.2006』に参加。桑田がバックバンドを務めた。また、茅ヶ崎ライブでの友情出演VTRにて、「茅ヶ崎ブラザーズの兄として…」と桑田との関係をお茶目に語っている。
2007年4月29日、神奈川県茅ヶ崎市の茅ヶ崎駅北口のペデストリアンデッキに加山雄三の手形モニュメント(加山本人の手形および「海・その愛」という直筆の言葉が彫られたレリーフ)が設置され、服部信明茅ヶ崎市市長を始め、茅ヶ崎市関係者および市民が参列し、除幕式が盛大に執り行われた。
2010年5月19日、神奈川県茅ヶ崎市が加山雄三芸能生活50周年を祝い、加山に茅ヶ崎市民栄誉賞を贈呈することを発表した[4]。
2011年、第61回芸術選奨 文部科学大臣賞大衆芸能部門受賞[5]。
2013年に行われた仙台の野外ロックフェス「ARABAKI ROCK ROCK FEST.2013」に出演したことをきっかけに、2014年にロックバンド「THE King ALL STARS」を結成した。 メンバーは加山の他に、キヨサク(上江洌清作)(MONGOL800)、佐藤タイジ(シアターブルック)、名越由貴夫(Co/SS/gZ)、古市コータロー(THE COLLECTORS)、ウエノコウジ(the HIATUS)、武藤昭平(勝手にしやがれ)、高野勲、山本健太、タブゾンビ(SOIL&"PIMP"SESSIONS)、スチャダラパー。
2014年2月20日、『女性セブン』2014年3月6日号で、現在、加山が妻・松本と別居し「卒婚」状態である、と報じられた[6](詳細は下述)。
人物・逸話
船に憧れた学生時代
- 小学校時代の家庭教師は東京商船大学の学生で、船の設計図などを見せて貰ったりしているうちに船への情熱が沸き始めるようになった。
- 中学時代14歳でカヌーを造って以来、大小10隻以上の船も設計しており、光進丸という自ら設計した全長30メートルを超える船を所有している。さらに自ら『光進丸』という曲も作る程で、その愛着ぶりが伺える。現在の光進丸は3代目で、建造費用は推定5億円。普段は静岡県賀茂郡西伊豆町の安良里(あらり)漁港に係留されている(同町内に「加山雄三ミュージアム」が開設したのは、このことが縁である)。また、加山は、小型船舶免許や5級海技士免許を所持しており、「海の若大将」では、初代光進丸が劇中に登場する。
- 慶應義塾高校時代には船舶設計の専攻がある工学部への進学を志望していたが、成績不振のため断念し、法学部政治学科に進学した。
- 卒業後は商社勤務を希望していたが友人の勧めで、てっとり早く船の資金が調達出来得る仕事ということで東宝へ入社。
- 1960年4月に東宝へ入社してからの数年間は茅ヶ崎より砧撮影所の最寄り駅である成城学園前まで電車通勤し、母の考案で土方が持つような巨大な弁当箱を持参していたことから「ドカ弁(土方の弁当の略)」と呼ばれていた[7]。
役者エピソード
- 映画『椿三十郎』で若侍役の加山と田中邦衛が、三十郎役の三船敏郎の叱責を受けて殴られる場面があるが、実は撮影直前に二人はうどんを食べに無断で現場を抜け出しており、それを知って憤慨した三船が二人を本気で殴っている場面でもある。そのせいか、周囲の侍役の役者達が三船の剣幕に慄く様が見て取れる。
- 前述の通り、船が大好きな加山だったが、船舶免許の試験日と映画『赤ひげ』の撮影日が重なってしまったことがある。初代『光進丸』の完成もあり、どうしても諦め切れなかった加山は、自分だけでは許してもらえないと思い悩んだ末に事前に主役の三船敏郎に根回しをして監督の黒澤明に「三船と船舶免許を取りに行くため撮影を休みたい」と申し出た、その甲斐あって黒澤から許可をもらい、そして2人とも見事に一発合格した。
- 映画『エレキの若大将』劇中で、『君といつまでも』を歌うシーンについて、あまりに現実離れしたあり得ない展開(若大将が、澄子(星由里子)を思って作った曲を二人でデュエットする設定や試合中にヘリコプターで会場に乗り付ける展開)であることを加山が指摘した。しかし、「映画なんだからいいんだ」とスタッフに押し切られ、結局は加山が折れることで撮影が続行された。この経緯から、加山は歌詞の内容とミスマッチな仏頂面で歌っている。後にこの件について「いまだに納得していない」と語った[8]ほか、当該シーンが「納得いかない顔」というテロップ付きで紹介されたこともある[9]。
好きなもの・特技など
- 大のビデオゲーム好きであり、時間さえあればゲームに熱中している(後述)。
- 鉄道マニアでもあり、「加山雄三ミュージアム」には自身の鉄道模型コレクションが多数展示されている。専門誌「鉄道ファン」にインタビュー記事が掲載されたこともある。
- UFOに高い関心を示すことがあり、知識も豊富とされる。
- 英語は、日常会話には全く不自由しないほどのレベルである。初期の楽曲作品では英語詩のものも何曲か含まれている。ちなみに米国永住権(グリーンカード)保持者である。
- 絵画(油絵)の腕前は玄人はだしで、画集を出版しているほか、個展も開いている。「加山雄三ミュージアム」にも多数展示がある。
- 料理の腕も一流で周囲に手製料理でもてなすこともある。1980年代には、日本テレビ系料理番組『ごちそうさま』の常連ゲストとして、多数出演し腕を振るった。しかし、ある出演回では「海の料理を作る」とのテーマだったにも関わらず、「トマトライス」なる海と関連の薄い一品を作り、司会の高島忠夫に呆れられたことがある。次の出演機会でも「ニンニクライス」なる一品を披露し食材としては海に無関係であったが、「光進丸でよくこれを作るんです」と、海との繋がりを説明した。
- 運動神経抜群でスポーツ万能だが、野球を不得意とし、そのため『若大将シリーズ』でも野球をする場面はなかったという。
- 慶應義塾大学在学中に、スキーで国民体育大会に出場したことがある。またスキューバダイビングなどのマリンスポーツも楽しむ。
- 富士通のFM-7からパソコンを始め、以来活用してきた。[10]
- 綾小路きみまろの漫談や、桂文枝の創作落語も良く聴いている[11]。
人間関係
- 1966年6月、ビートルズが来日した際に東京ヒルトンに宿泊していた4人を訪ねて会食した、数少ない人物である。また、初対面の際にジョン・レノンから後ろから目隠しされた。
- 1960年の秋、雑誌の取材で一緒になったことがきっかけで赤木圭一郎と親しくなり、所属した映画会社こそ東宝と日活で異なっていたものの、同年代で同じ湘南育ちということもあって急速に親交を深めて行き、その友情は翌1961年2月、赤木が事故で急逝するまで続いた。加山は赤木とのエピソードを『湘南讃歌』『若大将の履歴書』などの自著の中で綴っているほか、赤木をイメージして「夕映えのスクリーン」という楽曲を作曲し、1997年、アルバム『LIFE』の1曲として発表している(山川啓介による歌詞も、加山と赤木の友情をモチーフとしている)。
- かつて付き人を務めていたのは『太陽戦隊サンバルカン』の初代バルイーグル/大鷲龍介役で知られる歌手の川崎龍介。
- 北島三郎とは親友である。
- テレビ朝日『徹子の部屋』の常連ゲストで、出演の際には黒柳徹子と東北弁トークをすることが定番の流れとなっている。かつては正月に家族とともに出演することが恒例となっていた。また「徹子の部屋コンサート」にもよく出演している。
- 一貫して船には女性を乗せない姿勢を貫いていたが(船酔いし厄介なため)、初めて乗せた女性が全く船酔いせず悠々と編み物をしているその姿を見て一目惚れしてしまう。それが後に結婚することとなる松本めぐみであった。
- フジテレビ『江戸の旋風』で共演した地井武男が出演していたテレビ朝日『ちい散歩』を引き継いで『若大将のゆうゆう散歩』に2012年5月7日より出演している。テンプレート:See also
- 地井が2012年6月29日に死去したことを受け「彼(地井)が体調を崩して散歩を続けられないと聞いた時、いずれ彼が戻ってくるまで、僕に出来ることなら頑張ってみようと、番組をお引き受けしました。ゆっくり静養してもらおうと思っていたのに、まさかこんなことになるとは…大変ショックです」とその死を悼み[12]「これからは彼の分まで、彼に喜んでもらえるよう、散歩を頑張りたいと思っています」とコメントした[13]。また、2012年8月6日に東京で行われた地井のお別れの会に出席し「見ててくれよ。君よりも僕は頑張れるか分からんけど、大切にしたいものは君が遺した素晴らしい心。その足跡を多くの人に伝えていくことができたら、それが君への餞だと思う」と誓った[14]。
- なお、番組を引き受けるにあたって、地井に電話を入れ「君の視聴率を守れるか、それが一番心配だ」と漏らし、地井から「そんなこと言わないでください。大丈夫ですよ」と励まされた[15]。番組は好調なスタートとなり、再度地井に電話を入れ報告をしたところ、地井は「夏のロケは暑いですよ」と言い、加山は「まさにその通りだった」と語った[14]。
音楽関係
- 東京文化会館のステージに初めて立ったポピュラー歌手(2006年)である。
- さだまさしが、2006年まで毎年8月に行っていた平和を祈念したコンサート「夏・長崎から」に共鳴し、1996年から10年間連続でゲスト出演した。2007年に行われた「夏・広島から」にもゲスト出演している。
- 上記のさだや桑田佳祐をはじめ、山下達郎なども加山の影響を受け、敬愛するミュージシャンも多い。
- 2004年、ニッポン放送のラジオ番組『坂崎幸之助のオールナイトニッポン』に生出演した際には、ご機嫌な様子で坂崎とのセッションで持ち歌の生演奏をした。ギターだけでなくピアノ弾き語りの腕も上々である。
- トリビュートアルバム「60 CANDLES」をリリースした後に、参加した全てのアーティストに対し、フェンダー・カスタム・ショップに特注したストラトキャスターを1本ずつ贈呈した。ヘッドの後ろに、それぞれのアーティストの名前を刻んだ真鍮のプレートを取り付けているのが特徴である。
- THE ALFEEとは、公私に渡って付き合いが深く、上記のストラトキャスターも3人全員に1本ずつ贈呈している。後に共作シングルとして「Love Again」(加山雄三with THE ALFEE名義)をリリースしたほか、THE ALFEEのステージにサプライズで登場したことがある。また、高見沢俊彦がESPにオーダーした、「エンジェルギター」にモズライトのパーツを組み込んだ「サーフ・エンジェル」をプレゼントする(お礼に高見沢の肖像画を贈ったという)などの交流が続いている。THE ALFEEがカバーした「夜空の星」を加山が、ステージで「逆カバー」している。それに関して「アルフィーのバージョンで歌ってたら、高いキーの声が出るようになったんだよ」と語っている。
- 過去に加瀬邦彦(ザ・ワイルドワンズ)が経営するライブハウス「ケネディハウス銀座」に、加瀬から出演のオファーが来たが、その際ギャラの問題になった。加山が「友人のライブハウスだからギャラは要らない」と固辞したのに対して、「どうしても」と懇願する加瀬。いつまでも埒があかないので、加山が条件として突き付けたのが「じゃあギャラはビールと焼き鳥!」というもので、それからノーギャラで毎月出演している。
- モズライト・ギターを違法にコピーしていたフィルモア楽器と契約しており、自身のモデルを出していたため、モズレーの遺族と「被害者の会」から詐欺および不正競争防止法第2条1項に当たるとして刑事告訴されている。自身も「私の持っているギターは本物のモズライトではない」と発言している。起訴は免れたものの、遺族はフィルモア楽器を相手に、商標の所有権を明確にさせるためアメリカ合衆国連邦裁判所に提訴、受理された。
娯楽番組など
- TBS『8時だョ!全員集合』に出演時、台本上では加山は笑いを取る役ではなかったが、本番では加藤茶の下ネタギャグ「ウンコチンチン」を披露したことがある。これは、そもそも当時所属していた東宝が「笑いを取らせるようなことをさせない」ことを条件に出演を了承していたことが関係している。しかし、これに対して加山は「馬鹿なことだろうと何だろうと『笑い』を売りにしている番組に出て笑いを取らないのは、歌番組に出て歌を歌わないのと同じこと」とスタッフの反対を押し切った形でのギャグ披露となった。
- 同様な理由で、クレージーキャッツ主演の映画『クレージー黄金作戦』にゲスト出演した際、当初は「二人だけの海」を歌うシーンのみの出演予定だったが、アドリブで植木等のギャグ「お呼びでない? これまた失礼しました!!」を披露した。
- テレビ朝日『クイズタイムショック』では、全問正解パーフェクトを達成したことがある。
- 1986年大晦日の『第37回NHK紅白歌合戦』で白組キャプテンを務めたが、トップバッターを務めた少年隊の『仮面舞踏会』を紹介する際、誤って「…少年隊、『仮面ライダー』!」と言ってしまった。後に「あれは控室で『何か『仮面ライダー』みたいな題名だな』と他の出演者が言ったのが頭に残っていたから」と説明している。
- 1990年代以降は、バラエティ番組やトーク番組への出演が増えた。
- 有名なエピソードであるが、全く親交が無く「たまたま近くにいた」だけで、ダウンタウンの浜田雅功に「おい雄三、コラァ」と弄られ、浜田は後に謝りに行ったが、「何故謝る必要があるのか」と返したことがある。バラエティ番組出演時において、「弄られる」ことに対しては寛容な方である。弄られパターンは、「人の話を聞かずに多く喋って突っ込まれる」という、「大御所タレントが弄られる」時の王道パターンである。前述の浜田との絡みの際に多用したことから、かなり定着したが、あまりに大御所なこともあって、加山を知る一部の芸能人を除き、弄る側もやや遠慮気味である。
- 1990年代初期のフジテレビ『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』では、南原清隆が"くわやまゆうぞう"として加山のものまねをしていたことがある。南原に内緒で同番組にゲスト出演し、加山のまねをする南原に対し「くわやま君とはデビュー以来親友だったんだよ」と茶目っ気たっぷりに対応していた。しかし、当の南原は突然の加山の登場に大汗をかいて動揺するばかりであった。
その他エピソード
- 母方の高祖父は、明治の元勲岩倉具視である。
- 1970年のパシフィックパークホテル倒産時には、最大23億円もの借金を抱え[16]、1個の卵を夫婦2人で分けあって、卵かけご飯を食べたという苦労も味わったが、10年がかりで返済した。
- 1974年1月5日に、北海道の大和ルスツスキー場で雪上車にはねられて左肩を骨折し、1カ月の怪我を負った。
- JR茅ヶ崎駅南口から、かつて父:上原謙の私邸(つまり加山雄三の実家)があった場所を経て国道134号に通ずる神奈川県道310号茅ヶ崎停車場茅ヶ崎線は、「上原謙通り」と名付けられ、後に「(加山)雄三通り」と改称されている。なお「加山雄三通り」という曲も作られ、概略ながらこの道順が歌われていた。
- 第21回参議院議員通常選挙の投票日であった2007年7月29日、東京銀座の山野楽器で、自身が「過去衆議院・参議院ともに出馬要請が10回以上あった」という発言した。ただ、「自分には向いてないね」と控えめなコメントできり交わした。
芸名
加山雄三という芸名の由来は、「加賀(百万石)・(富士)山・英雄・小林一三」から一文字ずつ拝借したものと東宝のデビュー会見で報じられている。
しかし若大将シリーズの時期には大学時代の成績が可が山程あって優が3つしかなかったので「可山優三」をもじって命名したと揶揄された。慶應義塾大学では成績の評価は「優・良・可」法ではなく「A・B・C」法なのでその説に異を唱える向きもあった。
そして、これまで説明されて来た由来は作ったものであり、実際には加山の母方の祖母(江間光子、芸名青木しのぶ)が姓名判断で縁起のいい芸名をつけてもらったことを加山自身が著書で明らかにしている[17]。
ゲーム
かなりのゲーマーである。スペースインベーダーの頃から遊んでおり、幼い時の子供2人と遊んでいた[18]。少しでも時間があると、『バイオハザード』や『鬼武者』、『ファイナルファンタジー』などをプレイしている。本人によると「バイオハザードは1から5まで、5はネットでやった。FF(ファイナルファンタジー)は10までやったけど、11がネットになったからそれはやってない」と語っている[19]。特に、『バイオハザード』に熱心で、2011年に『さんまのまんま』に出演したときには、『バイオハザード』の面白さを熱弁していた。『バイオハザード1』ではナイフ使用限定クリア、『鬼武者2』において57分というクリアタイムを叩き出している。この記録は、世間的に見ても相当上手でないと達成出来ないことから、その熱中ぶりが伺える[20]。ゲームをやりだしたきっかけとしては、老化防止になると友人から薦められたから、と語っている。2006年4月5日放送の『ウチくる!?』スペシャルに出演した際は『ファイナルファンタジー』について熱く語った。ハドソンのスーパーファミコン用ソフト「鮫亀」ではゲーム音楽とイメージソングの作曲を手掛けている。また、ソフトは『バイオハザード』シリーズのみであるが、ニンテンドーゲームキューブやWii、プレイステーション3も所有している。鈴木史朗とは『バイオハザード』をプレイしていると言う共通点で交友がある[21]。『バイオハザード リベレーションズ』においては発売日に朝日新聞にて鈴木と共に広告で競演。ゲームスポットジャパンでは対談まで実現した。
家族・親族
池端家
- 加山は妻について「カミさんがいなかったら今の俺はないですよ。俺みたいなどうしようもない人間をよくぞ操縦してくれたと。理屈とか技じゃなく、彼女は本心で動いてるから、真実ほど強いものはない。それでうちのお袋と非常に重なる部分があるんです。彼女は早くにお父さんを亡くして、十五歳から芸能界に入って家族を支えてきたし、お袋も父親と生き別れて女優として家庭を養ってきた。僕が何より嬉しいことは、カミさんが四人も子供を産んでくれて、その子がみんな本当にいい子に育ったということなんです。本当は子供は八人いたんです。四人流産して。でも僕の愛情にそれだけ応えてくれようとした彼女の気持ちが、僕は嬉しいんだ。」と語っている[22]。
- 2014年2月、「夫婦は別居状態にあり『卒婚』状態」と報じられた。松本は1年のほぼ半分をニューヨークで生活しているが、アメリカには次女の池端えみが在住しており、ニューヨークの住まいも加山が一度借金を完済し余裕が出来た40代に密かに購入していたものであるため、別居というほど離れたものではない、としている。また、加山と松本は仕事や将来的な事も考えグリーンカード(米国永住権)を取得しており、「アーティスト」を生業にしている加山に対し、「妻」である松本は半年以上アメリカに滞在していないと権利を剥奪されるため、この対策も考え、現在の生活スタイルに落ち着いたという。夫婦は毎日電話で会話を交わし、時間の余裕が出来ると相互に行き来している[6]。
- 1975年8月生-
- 長女・梓真悠子(タレント・料理研究家)
- 1976年7月生-
- 次女・池端えみ(女優)
- 1978年3月生-
- 母方の従兄弟・喜多嶋修(音楽プロデューサー、女優・喜多嶋舞の父)
若山富三郎━若山騎一郎 ┃ 大林雅美 ┃ ┃ ┃ ┣━━仁美凌 ┃ 上原謙 ┃ 岩倉具視━岩倉具定━岩倉具顕 ┣━━加山雄三 ┏池端信宏 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━━小桜葉子 ┣━━━╋山下徹大 ┃ ┃ ┃ 江間俊一━青木しのぶ 松本めぐみ ┣梓真悠子 ┃ ┗池端えみ
出演
映画
- 男対男(1960年、監督:谷口千吉)
- 独立愚連隊西へ(1960年、監督:岡本喜八)
- 暗黒街の弾痕(1961年、監督:岡本喜八)
- 名もなく貧しく美しく(1961年、監督:松山善三)
- 銀座の恋人たち(1961年、監督:千葉泰樹)
- 東から来た男(1961年、監督:井上梅次)
- 顔役暁に死す(1961年、監督:岡本喜八)
- 紅の海(1961年、監督:谷口千吉)
- 二人の息子(1961年、監督:千葉泰樹)
- 椿三十郎(1962年、監督:黒澤明)
- 紅の空(1962年、監督:谷口千吉)
- どぶ鼠作戦(1962年、監督:岡本喜八)
- 箱根山(1962年、監督:川島雄三)
- 忠臣蔵 花の巻・雪の巻(1962年、監督:稲垣浩)
- 河のほとりで(1962年、監督:千葉泰樹)
- 太平洋の翼(1963年、監督:松林宗恵)
- 戦国野郎(1963年、監督:岡本喜八)
- 青島要塞爆撃命令(1963年、監督:古澤憲吾)
- ホノルル・東京・香港 HONOLULU-TOKYO-HONGKONG(1963年、監督:千葉泰樹)
- 太陽は呼んでいる(1963年、監督:須川栄三)
- 乱れる(1964年、監督:成瀬巳喜男)
- 恐怖の時間(1964年、監督:岩内克己)
- 赤ひげ(1965年、監督:黒澤明)
- 姿三四郎(1965年、監督:内川清一郎)
- 戦場にながれる歌(1965年、監督:松山善三)
- 大菩薩峠(1966年、監督:岡本喜八)
- 何処へ(1966年、監督:佐伯幸三)
- バンコックの夜(1966年、監督:千葉泰樹)
- ゼロ・ファイター 大空戦(1966年、監督:森谷司郎)
- お嫁においで(1966年、監督:本多猪四郎)
- 続・何処へ(1967年、監督:森谷司郎)
- クレージー黄金作戦(1967年、監督:坪島孝)
- 日本のいちばん長い日(1967年、監督:岡本喜八)
- 乱れ雲(1967年、監督:成瀬巳喜男)
- さらばモスクワ愚連隊(1968年、監督:堀川弘通)
- 連合艦隊司令長官 山本五十六(1968年、監督:丸山誠治)
- 兄貴の恋人(1968年、監督:森谷司郎)
- 若者よ挑戦せよ(1968年、監督:千葉泰樹)
- 狙撃(1968年、監督:堀川弘通)
- 二人の恋人(1969年、監督:森谷司郎)
- 日本海大海戦(1969年、監督:丸山誠治)
- 弾痕(1969年、監督:森谷司郎)
- 蝦夷館の決闘(1970年、監督:古澤憲吾)
- 豹は走った(1970年、監督:西村潔)
- 激動の昭和史 軍閥(1970年、監督:堀川弘通)
- 刑事物語 兄弟の掟(1971年、監督:稲垣俊)
- 誰のために愛するか(1971年、監督:出目昌伸)
- 激動の昭和史 沖縄決戦(1971年、監督:岡本喜八)
- 薔薇の標的(1972年、監督:西村潔)
- エスパイ(1974年、監督:福田純)
- 八甲田山(1977年、監督:森谷司郎)
- 零戦燃ゆ(1984年、監督:舛田利雄)
- プロゴルファー織部金次郎3 -飛べバーディ-(1995年、監督:武田鉄矢)
- デッドヒート(1995年、香港映画)
- メッセンジャー(1999年、監督:馬場康夫)
- グランオデッセイ(2005年、監督:加藤友之)
若大将シリーズ
- 大学の若大将(1961年、監督:杉江敏男)
- 銀座の若大将(1962年、監督:杉江敏男)
- 日本一の若大将(1962年、監督:福田純)
- ハワイの若大将(1963年、監督:福田純)
- 海の若大将(1965年、監督:古澤憲吾)
- エレキの若大将(1965年、監督:岩内克己)
- アルプスの若大将(1966年、監督:古澤憲吾)
- 日劇「加山雄三ショー」より歌う若大将(1966年、監督:長野卓)
- レッツゴー!若大将(1967年、監督:岩内克己)
- 南太平洋の若大将(1967年、監督:古澤憲吾)
- ゴー!ゴー!若大将(1967年、監督:岩内克己)
- リオの若大将(1968年、監督:岩内克己)
- フレッシュマン若大将(1969年、監督:福田純)
- ニュージーランドの若大将(1969年、監督:福田純)
- ブラボー!若大将(1970年、監督:岩内克己)
- 俺の空だぜ!若大将(1970年、監督:小谷承靖)
- 若大将対青大将 (1971年、監督:岩内克己)
- 帰ってきた若大将 (1981年、監督:小谷承靖)
テレビドラマ
- 包丁(1972年、NHK)
- 花よりだんご(1972年、日本テレビ)
- 見知らぬ橋(1973年、NET)
- 高校教師(1974年、東宝・東京12チャンネル)北山浩一郎役
- 青い山脈(1974年、フジテレビ)
- 華麗なる一族(1974年 - 1975年、東宝・毎日放送)万俵鉄平役
- 江戸の旋風(1975年、フジテレビ)
- なつかしき海の歌(1975年、TBS)
- 花吹雪はしご一家(1975年 - 1976年、TBS)
- 東芝日曜劇場(TBS)
- ぼくの妹にシリーズ(1976年 - 1984年)
- ありがとうパパ(1977年、日本テレビ)宇野信吾役
- 大追跡(1978年、日本テレビ)新田英一役
- パパの結婚(1978年、日本テレビ)風間房彦役
- 時よ燃えて!(1979年、フジテレビ)菊地俊治役
- かたぐるま(1979年、日本テレビ)
- 時よ炎のごとく!(1980年、フジテレビ)高木役
- 探偵同盟(1981年、フジテレビ)葉山雄一郎役
- 加山雄三のブラック・ジャック(1981年、テレビ朝日)
- 愛のホットライン(1981年、フジテレビ)梶雄大役
- 火曜サスペンス劇場『大病院が震える日』(1981年、日本テレビ)
- ある晴れた日に(1982年、テレビ朝日)
- せーの!(1982年、日本テレビ)椿鉄人役
- 女7人あつまれば(1982年 - 1983年、TBS)
- 花王名人劇場 15年目の指輪(1984年、関西テレビ)
- サラリーマン忠臣蔵(1989年、テレビ朝日)
- NHK大河ドラマ『翔ぶが如く』(1990年)薩摩藩主・島津斉彬役
- 総合商社(1990年、TBS)
- 兄貴に乾杯(1991年、TBS)
- 大岡越前 第12部 第12話「将軍救った鉄拳仁術」(1992年1月6日、TBS / C.A.L) 津山宗純役
- ふたたび、兄貴に乾杯(1992年、TBS)
- 社長になった若大将(1992年、TBS)
- ドラマ新銀河『赤ちゃんが来た』(1994年、NHK)
- 水戸黄門(TBS / C.A.L)
- こちら葛飾区亀有公園前派出所(2009年、TBS)本人役
情報・バラエティ系番組
- 加山雄三アワー(1965年、フジテレビ)
- スター芸能大会(1966年、フジテレビ)
- みごろ!たべごろ!笑いごろ!(1976年 - 1978年、テレビ朝日)
- 加山雄三ショー(1986年 - 1989年、NHK) 司会
- 知ってるつもり?!(1989年 - 2002年、日本テレビ) 司会兼コメンテーター
- クイズ!純粋男女交遊(1992年、テレビ朝日) 解答者
- MJ -MUSIC JOURNAL-(1992年 - 1994年、フジテレビ) メインMC
- おしえて!ガリレオ(1992年 - 1994年、読売テレビ) 解答者
- アトリエde加山(2012年4月 - 、BSフジ)[25][26]
- 若大将のゆうゆう散歩(2012年5月 - 、テレビ朝日) 散歩人
CM
- コカ・コーラ(1967年)
- 井関農機 トラクター「耕太」&「耕二」シリーズ(1975年 - 1979年)
- サントリー
- 日産自動車
- 「ブルーバード」(810型)(1977年 - 1979年)
- 「レパード」(F30型)(F31前期型)(1980年 - 1987年)
- 『帰ってきた若大将』にも「レパード」(F30型)が劇中車として使用された。
- 「リベルタビラ」(N12前期型)
- 「レパード」と「ブルーバード」を取扱うブルーバード販売会社 (日産店)の新規取扱車種として発売された「リベルタビラ」のCMに、「レパード」(F30型)のCMキャラクターの加山と「ブルーバード」(910型)のCMキャラクターの沢田研二が共にCM出演し、2人揃って「僕たちの新しい仲間をよろしく」とアピールしていた。
- 「企業CMイチロー&若大将」篇(1996年)
- 『日本一の若大将』の田沼雄一(加山)のマラソンシーンと『ハワイの若大将』のサーフィンシーンにイチロー(当時オリックス・ブルーウェーブ所属)をCG合成して、若大将とイチローの夢の共演が実現した。
- 資生堂
- 松下電器産業 エアコン「楽園」(1978年? - 1986年)
- アサヒビール(→アサヒ飲料)「三ツ矢サイダー」「バヤリース」(1982年)
- ライオン デンターTライオン(1980年代)
- 味の素 ギフト(1984年, 1986年)
- 大塚製薬 オロナミンC(1985年))
- ヤマザキナビスコ クラッカー「プレミアム」
- 朝日生命 ニューワイド・ニューエース(1986年)
- NTT タウンページ(1986年 - )
- アサヒビール 生ビール(1989年)
- サッポロビール「生ビール黒ラベル」(1994年)※田原俊彦と共演
- 第一生命 ※一家で出演
- JRグループ「フルムーン夫婦グリーンパス」※妻・松本めぐみと共演
- アリコジャパン(2006年)
- 三洋物産「海物語シリーズ」(2008年)
- 大洋薬品「ジェネリック医薬品」
ラジオ
- キャプテン加山のパノラマステーション(1980年、ラジオ関東)
- 加山雄三の未来にセールオン(2000年、文化放送)
- 加山雄三 プレミアムステージ(JFN系列ネット)
- ラジオ深夜便「ミッドナイトトーク」(NHKラジオ第1・FM 2011年から奇数月第1火曜日=原則のコメンテーター)
パチンコ
- CR加山雄三〜海とエレキと若大将〜(2008年、三洋物産) - 往年の映画「若大将シリーズ」とのタイアップ。
その他
- 朝日新聞社広告局企画制作、2012年1月26日朝日新聞40面「バイオハザード リベレーションズ」鈴木史朗と共に広告宣伝。
- GAMESPOT JAPAN バイオハザード15周年&3DS「バイオハザード リベレーションズ」発売記念 加山雄三さんと鈴木史朗さんスペシャル対談
- 上記の広告で宣伝。
- GAMESPOT JAPAN バイオハザード15周年&3DS「バイオハザード リベレーションズ」発売記念 加山雄三さんと鈴木史朗さんスペシャル対談
NHK紅白歌合戦出場歴
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1966年(昭和41年)/第17回 | 初 | 君といつまでも | 15/25 | 吉永小百合 | |
1967年(昭和42年)/第18回 | 2 | 別れたあの人 | 20/23 | 佐良直美 | |
1976年(昭和51年)/第27回 | 3 | ぼくの妹に | 20/24 | 二葉百合子 | |
1977年(昭和52年)/第28回 | 4 | もえる草原 | 13/24 | 山口百恵 | |
1978年(昭和53年)/第29回 | 5 | 海 その愛 | 10/24 | 佐良直美(2) | |
1979年(昭和54年)/第30回 | 6 | 旅人よ | 11/23 | サーカス | |
1980年(昭和55年)/第31回 | 7 | 湯沢旅情 | 13/23 | 研ナオコ | |
1981年(昭和56年)/第32回 | 8 | 若大将ヒット・メドレー[注 1] | 13/22 | 桜田淳子 | |
1982年(昭和57年)/第33回 | 9 | 君といつまでも(3回目) | 09/22 | ロス・インディオス&シルヴィア | |
1986年(昭和61年)/第37回 | 10 | 今は別れの時 | 13/20 | 松田聖子 | |
1987年(昭和62年)/第38回 | 11 | 海 その愛(2回目) | 09/20 | 松田聖子(2) | |
1988年(昭和63年)/第39回 | 12 | マイ・ウェイ | 13/21 | 佐藤しのぶ | |
1997年(平成9年)/第48回 | 13 | 若大将 '97スペシャル[注 2] | 20/25 | 森山良子 | |
1999年(平成11年)/第50回 | 14 | 君といつまでも(4回目) | 12/27 | Every Little Thing | |
2000年(平成12年)/第51回 | 15 | 海 その愛(3回目) | 14/28 | 香西かおり | |
2001年(平成13年)/第52回 | 16 | 旅人よ(2回目) | 13/27 | 小柳ゆき | |
2010年(平成22年)/第61回 | 17 | 若大将50年! スペシャルメドレー[注 3] | 16/22 | 和田アキ子 |
- ↑ 夜空を仰いで~お嫁においで~君といつまでも(2回目)のメドレー
- ↑ 「夜空の星」」「ブラック・サンド・ビーチ」「蒼い星くず」のメドレー
- ↑ 「夜空の星」(2回目)「座・ロンリーハーツ親父バンド」のメドレー
- 対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
- 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。
作品
シングル
- 夜の太陽 (1961.07.05)
- C/W 大学の若大将
- みんな聞いてる青春 (1962.06)
- C/W 色々あるよ(中島潤)
- 日本一の若大将 (1962.07)
- C/W 一人ぼっちの恋
- 恋は紅いバラ (1965.06.15)
- C/W 君が好きだから 演奏・寺内タケシとブルージーンズ
- 君といつまでも (1965.12.05)
- C/W 夜空の星 演奏・寺内タケシとブルージーンズ
- ブラック・サンド・ビーチ (1965.12.05) 加山雄三とザ・ランチャーズ(インスト)
- C/W ヴァイオレット・スカイ 加山雄三とザ・ランチャーズ(インスト)
- 蒼い星くず (1966.04.05) 演奏・寺内タケシとブルージーンズ
- C/W 夕陽は赤く 演奏・加山雄三とザ・ランチャーズ
- お嫁においで (1966.06.15) 演奏・大橋節夫とハニーアイランダース
- C/W アロハ・レイ(さよなら恋人)
- 霧雨の舗道 (1966.09.15)
- C/W 小さな旅
- 夜空を仰いで (1966.10.15)
- C/W 旅人よ 演奏・加山雄三とザ・ランチャーズ
- ジングル・ベル (1966.11.15)
- C/W ぼくのクリスマス
- まだ見ぬ恋人 (1966.12.15)
- C/W 俺は海の子
- 二人だけの海 (1967.02.15) 演奏・ザ・ワイルド・ワンズ
- C/W 愛のすずらん
- 君のために (1967.05.15)
- C/W 信じてくれよ
- 別れたあの人 (1967.09.15)
- C/W 灯の下で
- 幻のアマリリア (1967.12.25) 演奏・ザ・ハプニングス・フォー
- C/W 夢の瞳 演奏・ザ・ランチャーズ+1
- 美しき春 (1968.04.01)
- C/W さよなら又明日
- ある日渚に (1968.05.10)
- C/W 暗い波
- しのび逢い (1968.09.10)
- C/W 何故
- いい娘だから (1968.12.20)
- C/W たったひとつの恋
- 大空の彼方 (1969.05.01)
- C/W びっこの仔犬
- 俺たち (1969.10.01)
- C/W さよならとさよなら
- ぼくのお嫁さん (1969.12.20)
- C/W 淋しい二人
- 美しいヴィーナス (1970.06.05)
- 追いつめられて (1970.10.05)
- 荒野をもとめて (1971.02.05)
- 神様の忘れ物 (1971.08.05)
- 雨のシャッフル (1971.12.01)
- さよなら愛の日 (1972.10.05)
- ぼくの妹に (1976.07.20)
- 夕映えの恋人 (1977.02.20)
- もえる草原 (1977.08.05)
- 母よ (1977.12.01)
- 冒険者たち (1978.03.20)
- フィジーにおいで (1978.06.20)
- 光進丸 (1978.08.05)
- その日海からラプソディ (1980.07.05)
- 湯沢旅情 (1980.11.21)
- この愛いつまでも (1981.02.05)
- 海よ永遠に (1981.07.05)
- Tell Me Why (1982.05.01)
- 明日の海 (1983.10.21)
- ある日渚に (1985.04.20)
- 新録音バージョン
- 夏のめぐり逢い (1985.06.01)
- 絆 (1986.09.19)
- さらばオーシャン (1988.05.01)
- 加山雄三&ザ・ワイルドワンズ名義。
- ちょっとだけストレンジャー (1988.07.01)
- 熱風 (1990.06.01)
- 旅立つ君に (1990.11.11)
- オヤジの背中 (1992.06.01)
- サライ (1992.11.16)
- d/w:谷村新司(日本テレビ系『24時間テレビ』テーマソング)
- 新しい君 (1993.10.25)
- ブラックサンドビーチ'94 (1994.06.16)
- 今ならきっと (1997.10.22)
- 第一生命CMソング。作詞は、長男の山下徹大が担当。
- LOVE AGAIN (2000.08.04)
- 加山雄三 featuring THE ALFEE名義。
- YES (2000.10.25)
- 愛と未来のために (2003.03.05)
- 時を超えて (2004.05.19)
- 星の旅人 (2007.07.04)
- テレビ朝日『若大将のゆうゆう散歩』テーマ曲(2012年5月7日〜9月14日)
- 勇気のカタチ 〜私を変えてくれたあなたへ〜 (2007.09.19)
- d/w:谷村新司(日本テレビ系24時間テレビ新テーマソング)
- 座・ロンリーハーツ親父バンド(2010年4月7日)
- 逍遙歌〜そぞろ歩けば〜(2012年9月26日)
- テレビ朝日『若大将のゆうゆう散歩』テーマ曲(2012年9月17日〜)
※2008年5月14日に発売予定のシングルは発売延期された。オリコン、CDショップ等の情報にタイトル表記が《発売延期》未定となっているが、曲名ではなくCDシングルが発売延期されて内容が未定であることを表している。
アルバム
- オリジナルアルバム
- 加山雄三のすべて〜ザ・ランチャーズとともに (1966.01.05)
- 恋は紅いバラ-加山雄三アルバム- (1966.02)
- ハワイの休日 (1966.06.15)
- 加山雄三のすべて 第二集 (1967.01.05)
- 太陽の恋 (1967.06.05)
- 加山雄三のすべて 第三集 (1967.12.25)
- 君のために (1968.09.10)
- 大空の彼方 (1969.08.05)
- 世界のどこかで (1969.12.20)
- 愛はいつまでも (1970.10.05)
- 荒野をもとめて (1971.04.05)
- 海 その愛 (1976.05.20)
- 地平線の彼方 (1977.11.05)
- 加山雄三通り (1978.06.20)
- 愛する時は今 (1980.11.21)
- FOR THE GOOD TIMES (1983.06.01)
- 永遠の夏 (1985.06.01)
- はるかな未来(あした)へ (1986.11.21)
- 湘南に愛をこめて (1990.04.11)
- 父に捧げるピアノコンチェルト (1991.04.11)
- 弾厚作名義。
- サライ (1992.12.26)
- 鯛取る (1996.07.05)
- LIFE (1997.06.04)
- 鯛取る2(ふたたび) (2001.07.20)
- 星の旅人 (2007.07.25)
- ライブアルバム
- オン・ステージ-ランチャーズと共に- (1968.12.05)
- 加山雄三イン・ベラミ〜ナイト・クラブの加山雄三 (1971.12.20)
- 加山雄三1976-武道館ライブ- (1976.12.26)
- My Favorite Songs (1987.12.05)
- ベストアルバム
- ゴールデン・アルバム あなたと共に (1967.12.01)
- 加山雄三 恋、夢、海、人生、ビート、太陽 (1969.12.01)
- 加山雄三デラックス (1972.02.05)
- 加山雄三全曲集 (1974.11)
- 加山雄三ベスト40 (1975.05)
- '90年代にCD版が発売されたが、なぜか『びっこの仔犬』が『ロンリー・ナイト・カミング』へと収録曲が差し替えられている。2001年にさらに再発されたものでも同様である。
- 栄光の加山雄三 ホット・アクション&クール・フィーリング (1976.02)
- 栄光の加山雄三 ムード・イン・サウス・パシフィック (1976.02)
- KAYAMA YUZO BEST40 (1981.10.21)
- 1975年に発売されたものとは別物。
- IN YOUR HEART Vol.1 (1985.04.20)
- 加山雄三CDベスト (1985.05.01)
- IN YOUR HEART Vol.2 (1985.09.21)
- ツインベスト30 (1986.09.20)
- ニュー・ベストナウ70 (1988.05.25)
- オリジナルベスト20 (1988.07.25)
- オリジナル・ベスト (1992.08.01)
- ブラック・サンド・ビーチ (1994.07.01)セルフカバーを含むインスト作品のベスト。
- 加山雄三・谷村新司〜SPECIAL EDITION (1995.01.25)
- グレイテスト・ヒッツ (1995.08.21)
- SINGLES COLLECTION~Abbey Road Studios Masterings (2000.8.4)
- 2002年に移籍先のレコード会社からも再発されたが、その際に収録曲が追加された。
- 加山雄三 グレイテスト・ヒッツ〜アビーロード・スタジオ・マスタリング (2001.11.21)
- カバーアルバム
- TRIP OF DAVID (1971.07.25)
- 演歌流し唄 (1972.06.05)
- WHITE CHRISTMAS (1983.12.01)
- YESTERDAY (1986.03.31)
- All by myself (1986.03.31)
- natural (2005.07.20)
- サウンドトラック
- RETURN OF THE CHAMP〜『帰ってきた若大将』オリジナル・サウンドトラック (1981.02.21)
- 若大将トラックス (1995.08.21)
- 若大将トラックス Vol.2 (2002.05.22)
- ボックスセット
- 東宝映画 若大将グラフィティ (1981.07.05)
- 加山雄三ストーリー1965〜1987 (1987.06.05)
- 45th Anniversary 加山雄三 GOLD 100 (2005.04.13)
- その他
- 加山雄三ショー (1988.09.25)NHKの同名番組から生まれた曲を集めた企画盤。
作曲
加山はモーツァルトのケッヘル番号にあやかって、作曲した曲にケッヘル番号と同じくKから始まる「Kナンバー」という作品番号を付けている。「Kナンバー」のKは加山もしくは厚作のイニシャルである。
なお、本家のケッヘル番号のように一度番号が付けられた後に楽曲が「発掘」されることなどがあり、また「加山雄三 with 大友直人 シンフォニック・ガラ・コンサート」においてクラシックの殿堂である東京文化会館のステージに立つことに合わせて2006年に番号の整理が行われた。以下に記述した「Kナンバー」は2006年に再整理された番号である。
- [K. 1] 夜空の星
- [K. 7] 恋は紅いバラ
- [K. 18] 君といつまでも
- [K. 35] 夕陽は赤く
- [K. 65] 夜空を仰いで
- [K. 68] 旅人よ
- [K. 70] 二人だけの海
- [K. 105] ある日渚に
- [K. 170] September 4th
- [K. 210] ぼくの妹に
- [K. 213] ピアノ協奏曲第1番 ニ短調
- [K. 231] ひとり渚で
- [K. 243] 海 その愛
- [K. 245] 弦楽合奏のためのロンド「真悠子」
- [K. 427] 時を超えて
- [K. 433] サライ
- [K. 505] 風を見たいか (2008年発表)
以下、校歌の作曲も行っている。
- 茅ヶ崎市立東海岸小学校校歌
- 下田高等学校校歌(平成20年度に下田南高校と下田北高校の合併により開校した下田高校の校歌を作詞作曲した)
- 横浜市立小机小学校校歌
画集
近代映画社から、画集がシリーズで刊行されている。海を描いた風景画が最も多いが、船のデザイン画、陶磁器、漆器など多彩な作品が収められている。
- 加山雄三画集 すべて愛なんだ(1996年)
- 加山雄三画集 すべて愛なんだ<Ⅱ>(1997年)
- 加山雄三画集<Ⅲ> 海その愛(1998年)
- 加山雄三画集<Ⅳ> 愛する時は今(1999年)
- 加山雄三画集<Ⅴ> この愛いつまでも(2001年)
- 加山雄三画集<Ⅵ> 愛はいつまでも(2002年)
- 加山雄三画集<Ⅶ> 愛と未来のために(2003年)
- 加山雄三画集<Ⅷ> 愛につつまれて(2005年)
- 加山雄三画集<Ⅸ> 愛をありがとう(2006年)
- 加山雄三画集<Ⅹ> 愛があるから(2007年)
- 加山雄三画集<Ⅺ> 愛と夢と絆(2008年)
- 加山雄三画集<Ⅻ> 愛は永遠に(2010年)
関連項目
- 池端家
- 岩谷時子 作詞家
- 森岡賢一郎 作曲・編曲家
- ザ・ランチャーズ
- ザ・ワイルドワンズ
- 田中邦衛 - 「若大将」シリーズの悪友役
- パシフィックパーク茅ヶ崎 - 加山雄三が上原謙と共同オーナーであった神奈川県茅ヶ崎市のリゾート施設
- 加山キャプテンコーストスキー場
- ロイヤルクラウン・コーラ
- 24時間テレビ 「愛は地球を救う」
- モズライト・ギター - 愛用のギター
- 寺内タケシ - 「エレキの若大将」以来の盟友
- ザ・ベンチャーズ - 1966年の来日時に共演して以来、特にノーキー・エドワーズとの親交が深い。加山雄三の楽曲も数多くカバーしている。
- ゆうぞう - 加山雄三のものまねをするタレント。
- 加山雄三&ハイパーランチャーズ
- さだまさし
- サザンオールスターズ
- 桑田佳祐
- 湘南サウンド
- 山下達郎 - 家族ぐるみで親交のあるミュージシャンの一人。アルバム『COZY』では加山の楽曲「BOOMERANG BABY」をカバーしている。次男・山下徹大の芸名は山下の名が由来になっている。
脚注
外部リンク
- テンプレート:Official
- テンプレート:URL
- テンプレート:Jmdb name
- テンプレート:Allcinema name
- テンプレート:Kinejun name
- テンプレート:URL
- テンプレート:Imdb name
- テンプレート:URL
- テンプレート:URL
テンプレート:NHK紅白歌合戦 白組司会 テンプレート:ザ・ランチャーズ テンプレート:ザ・ワイルドワンズ テンプレート:毎日芸術賞
テンプレート:散歩シリーズ- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』190頁
- ↑ 実質的な経営者は加山の叔父(母・小桜葉子の弟)・岩倉具憲で、加山と父・上原謙が共同オーナーとなった(2010年7月17日付けスポーツニッポン掲載「我が道・加山雄三」より)
- ↑ テンプレート:Cite news
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- ↑ 6.0 6.1 テンプレート:Cite news
- ↑ 近代映画1967年1月号153頁より
- ↑ フジテレビ『新堂本兄弟』(2007年9月2日放送回より本人談)
- ↑ 日本テレビ『行列のできる法律相談所』(2010年)より。
- ↑ NHK-FM『トーキング ウィズ 松尾堂』(2012年4月8日放送回より本人談
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- ↑ 14.0 14.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ ホテル自体は会社更生法が適用されおよそ17億円で売却された。その後ホテルは別の経営陣により1988年まで営業が続けられた(2010年7月17日付スポーツニッポン掲載「我が道・加山雄三」より)。
- ↑ 加山雄三『終わりなき航路 加山雄三の人生』世界文化社、2000年、p184。
- ↑ 2011年11月30日朝日新聞朝刊15面「リレーおぴにおん ゲームのお作法4 俳優 加山雄三」より。
- ↑ フジテレビ系「MUSIC FAIR」2011年6月18日放送より
- ↑ 以下の外部リンク先を参照。GAME Watch『PlayStation Awards 2001』
- ↑ 2009年2月15日『からくりTV』「鈴木史朗ゲームが得意」それってホント?、タブハウス『活力のあるシニアが新時代を作る』より。さらに2009年3月16日放送の『人生が変わる1分間の深イイ話』では、両者がこのゲームをはまっていることと、『バイオハザード5』を遊んでいることが紹介されている。
- ↑ 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』197-198頁
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 2012年5月結婚、10月離婚。2013年10月復縁、2014年3月再離婚。
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