JR
JR(ジェイアール)とは、日本国有鉄道の分割民営化により発足した北海道旅客鉄道・東日本旅客鉄道・東海旅客鉄道・西日本旅客鉄道・四国旅客鉄道・九州旅客鉄道・日本貨物鉄道を初めとする法人の総称である。また、上記企業などにおいては個別の略称・通称(例:「JR東日本」)にも用いられる語である。語彙は"Japan Railways"から採られている[1]。
1987年4月1日に日本国有鉄道(国鉄、JNR)から、地域または分野別に事業を継承した12(その後、合併等によって数は変化している)の法人である。国鉄の英文字略称が「JNR (Japanese National Railways) 」であったことから、「国有」を表すNを除いて「JR」とした、と説明されることも多いが、実際には「NR」(Nは日本の頭文字)などの案も検討されていた[2]。
JRグループ
JRグループと呼ぶことが多いが、これらのグループ各社は別個の法人格を有する独立の会社であり、鉄道総研(JR総研)およびJRシステムを除く会社同士の株式持ち合い関係や、グループを代表して各社を統括する持株会社は存在しない[3]。このような分散的なグループ体制に起因して、営業施策や経営戦略等において各社の独自性が強いのが特徴であるが、一方で列車の相互乗り入れや乗車券制度の事実上の共通化等を通じた広域的な協調・連携・協力体制も構築している。
JRグループには、6つの旅客事業会社と1つの貨物事業会社、鉄道の研究機関(公益財団法人)やコンピュータシステムを担当する会社があり、旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律(JR会社法)を設立根拠とする会社とそうでない会社が混在している。そのうち旅客事業を担当する会社は、それぞれJRバスやJRホテルグループに属する会社を傘下に収めている。
JR系の社員の健康組合は、おおむね「ジェイアールグループ健康保険組合」の加入となる。
事業領域 | 法人名 | 種別 | 通称 | コーポレートカラー | 本社 | 主な事業区域 |
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旅客鉄道 | 北海道旅客鉄道 | 株式会社 | JR北海道 | テンプレート:Nowrap | 北海道札幌市 | 北海道 |
東日本旅客鉄道 | JR東日本 | テンプレート:Nowrap | 東京都渋谷区 | 東北・関東・甲信越 | ||
東海旅客鉄道 | JR東海 | テンプレート:Nowrap | 愛知県名古屋市 | 東海 | ||
西日本旅客鉄道 | JR西日本 | テンプレート:Nowrap | 大阪府大阪市 | 北陸・近畿・中国 | ||
四国旅客鉄道 | JR四国 | テンプレート:Nowrap | 香川県高松市 | 四国 | ||
九州旅客鉄道 | JR九州 | テンプレート:Nowrap | 福岡県福岡市 | 九州 | ||
貨物鉄道 | 日本貨物鉄道 | JR貨物 | テンプレート:Nowrap[4] | 東京都渋谷区 | 日本全域 | |
研究機関 | 鉄道総合技術研究所 | 公益財団法人 | 鉄道総研 JR総研 |
テンプレート:Nowrap | 東京都国分寺市 | |
情報処理 | 鉄道情報システム | 株式会社 | JRシステム | テンプレート:Nowrap | 東京都渋谷区 | |
鉄道電話 | 鉄道通信 | 株式会社 | テンプレート:Nowrap |
民営化から現在までの状況
JRグループ各社は、日本国有鉄道改革法(昭和61年12月4日法律第88号)(第6条第2項(旅客会社)、第8条第2項(貨物会社))の規定により、1987年4月1日に発足した。運営等については、旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律(JR会社法)に定められた。「JR」という呼称は、同年2月20日に決められたものである。
JR発足当初は、国鉄から移行した日本国有鉄道清算事業団が全株式を保有する特殊会社であった。なお、同事業団解散に伴い1998年10月22日以降日本鉄道建設公団国鉄清算事業本部、2003年10月1日以降独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構が株式を継承した。
2001年6月27日にJR会社法が改正され、本州の旅客3社(JR東日本、JR東海、JR西日本)が本法の対象から外され、純粋民間会社(非特殊会社)化が実現した。それに伴い、一部経営に関する部分の認可制から解放され、いわゆる「普通の会社」になったが、国鉄改革趣旨に則った事業運営が行われるよう「本州3社が配慮すべき指針」の公表、事業経営への指導及び助言、勧告及び命令を国土交通大臣が行うことができる旨を改正附則に明記された。
その後、本州3社の株式については順次民間への売却が行われ、2002年6月にはJR東日本、2004年3月にはJR西日本、2006年4月にはJR東海の全株式の売却が完了し、上場している本州3社は名実ともに「完全民営化」が実現した。
一方、いわゆる三島(さんとう)会社と呼ばれる本州以外の旅客3社(JR北海道、JR四国、JR九州)およびJR貨物は独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構が全株式を保有する特殊法人であり、また、もともと採算の厳しい路線が多く、経営努力だけでは限界があることが当初より想定されていたため、固定資産税の減免および三島会社に関しては経営安定基金により損失補填している等経営環境の厳しい状況にあり、現在のところこの4社は上場や民間への株式売却の目途は立っていない。
また、経営安定基金の主な運用先として鉄道建設・運輸施設整備支援機構への高金利による貸付であり、実質的に補助金にあたる。なお、JR北海道は、2000年頃のITバブルで株価が急回復したことを受けて、2002年頃の上場を計画していたが、その後の株価低迷により、見送りの状態が続いている。現時点では九州新幹線 (鹿児島ルート)開業により収益が黒字に転じたJR九州が上場を目標に掲げており、最も実現の見込みが高いといわれている。テンプレート:要出典
社名について
「鉄」の字についてはロゴ文字では「金矢」(金偏に弓矢の矢、鉃)という字を採用するとした[5]。四国旅客鉄道を除き、JRグループでは各社とも社名ロゴに「鉃」(金偏に矢、本来は「鏃(やじり)」の意)を使用している[6]。これは「金を失う」に繋がる「鉄」の字を避けるためのゲン担ぎであり、背景にはJRは国鉄の赤字が原因で発足したという経緯がある[7]。かつては、近畿日本鉄道等にも同様の例があった。
JRグループにおける各社の略称は、分割民営化前の国鉄時代に原案が作られており、それらを元に決定され、1987年2月20日に発表された。1987年4月1日の新体制の発足に際し、呼称としての「JRグループ」・「JR○○」を前面に押し出した結果、「JR」の定着はスムーズに進んだ[8]。
現在、「JR-GROUP」の文字を印刷しているものとしては、JRの駅などに掲示されるデスティネーションキャンペーンや青春18きっぷのポスターがあるほか、交通新聞社発行の「JR時刻表」にも使われている。ただし、この場合のJRグループは旅客鉄道の6社を意味する。
コーポレートカラー
JRグループにおける各社のコーポレートカラーは、分割民営化前の国鉄時代に原案が作られており、それらを元に決定され、1987年2月20日に発表された。
- 北海道旅客鉄道 - ライトグリーン。真白な雪の大地から一斉に芽生え、やがて野山を彩る柔らかな色。新会社のさわやかで伸びやかなイメージを表現[9]。
- 東日本旅客鉄道 - グリーン。東北・信越・関東の豊かな緑色で、力強く発展していく新会社の未来を象徴させる。また、東北・上越新幹線のカラーでもある[9]。
- 東海旅客鉄道 - オレンジ。かぎりなく広がる東海の海と空の彼方を染める夜明けの色。新鮮で潑剌としたオレンジのように、フレッシュな新会社を表す[9]。
- 西日本旅客鉄道 - ブルー。日本の文化と歴史に彩られた地域に相応しい色とされ、地域に密着した会社を表している。また、豊かな海と湖を象徴するカラーでもある[9]。
- 四国旅客鉄道 - ライトブルー。太平洋の青さより、さらに鮮やかなブルーであり、「青い国・四国」で知られる澄みきった空のブルーとして、新会社のフレッシュさを表現[9]。
- 九州旅客鉄道 - レッド。南の明るい太陽の国には、燃える熱意の色「赤」が相応しいとされた。全力で明るくスタートダッシュを切る新会社の意欲的な姿勢を表現している[9]。
- 日本貨物鉄道 - コンテナブルー。新会社のフレッシュさと信頼感を演出するカラー。 国鉄末期にはC35形コンテナから始まる、2万個もの新造コンテナがイメージの一新を目指して、塗装を従来のコンテナグリーン(黄緑6号)からコンテナブルー(青22号)に変更して登場していた[9]。
- JRグループ - 無彩色。 グループ各社としての汎用性を考え、黒、グレー、白、3つの無彩色とされ、金・銀も可としている[9]。
ロゴ (JRマーク)
JRマークなどのロゴデザインは、1964年東京オリンピックポスター、トヨタロゴ、アサヒビールロゴ等を考案した日本デザインセンターが製作した[9]。
JRマークは、鉄道車両は両方向に進行するため、どちらに動いても違和感のないように作られている。高速走行時の視認性も考慮され、太くて横に広がるシンプルな一筆書き(レールは繋がっている)の形状には、スピード感も込められている。また、新会社の安定感を作り出すために「R」の斜めの支えを加えることで、大地に根を張るイメージが付与されている[9]。
JRマークは例外を除き、殆どの各社の鉄道車輌に提出されている。電車や気動車については制御車の側面・まれに前面部分、機関車の側面、客車では緩急車の側面などにこのマークがある。民営化当初、各社は車体の色合いに合わせて、白色または黒色のJRマークを貼っていた。だが、JR九州だけは一貫してコーポレートカラーである赤色のJRマークを貼り付けており、ED76・EF81など、車体が赤色である交流および交流直流両用電気機関車については、赤地に白い縁取りを加えたJRマークを使用した。その後、現在に至るまでに様々な色のJRマークが車輌に使用されている。
なお、JRマークは「ジェイアアル」という呼称で1999年12月3日に商標登録が完了している 。各社毎にロゴが商標登録されており、各JR旅客各社のロゴは、全旅客各社が共同で権利を申請し、所有している模様である。
また、JR貨物では、JRマークの下に「FREIGHT」の文字を加えたロゴや、近年では独自の「JRF」マークを制定している。所有するコンテナや機関車に使用しており、こちらも商標登録されている。
製作の経緯
1986年11月28日に参議院本会議で国鉄改革関連8法が可決成立に伴い、新会社のマークと社名ロゴにコーポレートカラーなど、新会社が必要とするデザイン課題が国鉄プロジェクトチームと電通との間で話し合われていた。その製作に相応しいクリエイターということで、日本デザインセンターにデザイン製作依頼が舞い込み、チーフディレクター梶祐輔を中心としたプロジェクトチームが立ち上げられた[9]。
マークのデザイン案は「JRグループ(Japan Railway Company)」または「NRグループ(Nippon Railway Company)」で、それ以外にも幅の広いデザイン案が求められた。各デザイナーによって起こされたデザインは100案以上を超え、「JR」「NR」を模ったもの、レールの頭文字「R」をデザインしたもの、6つの旅客会社のレールをデザインしたもの、レールを鳥がはばたくイメージで表現したものなど多様なアプローチが提案され、1987年1月14日には3案に絞られた。杉浦喬也国鉄総裁はその3案を自宅に持ち帰って3日間考え抜き、新会社グループのJRを最もシンプルにデザインしたものに決定され、最終的には永井一正の監修を受けて完成した。デザインが決定してから民営化までは2か月半しかなく、7社の社名ロゴおよび各社カラー・アプリケーションの開発・マニュアル制作・記者発表用キット・各社の切符など膨大な制作物をこの期間で仕上げることが求められた[9]。
国鉄では、民営化初日の4月1日に特急の一部と山手線だけにでもJRマークを付けた車輌を走らせたいと考えていた。日本デザインセンターは、民営化の初日から全国の列車の機関車と運転台付きの車両にマーク展開することを提案。3月31日の最終列車から始発までの数時間に、全国1万車両に及ぶ多彩な型式の車両ごとにデザインを起こし、国鉄職員の手でJRマークを貼るという計画だった。そのために誰にでも短時間で作業できるよう工夫した「JRマーク車両貼付け指示書」が制作された。この指示書は110ページに及ぶものだったが、時間が切迫していたため、図面の指示は山本洋司による手書きだった[9]。4月1日、最終電車から始発までのわずか4時間で、JRマークの貼り付け作業が全国一斉に行われている。
脚注
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 「時刻表」はこうしてつくられるP.125 交通新聞社新書 ISBN 978-4-330-37713-1 2013年
- ↑ 但しグループ各社による共同出資会社は存在する。
- ↑ 国鉄時代の名称から青22号ともいう。
- ↑ 朝日新聞(1987年1月21日夕刊、1987年2月21日)
- ↑ 発足当初はJR四国も他のJR各社同様に金偏に矢の「鉃」を使用していた。
- ↑ 参考リンク
- ↑ 発足当初は、「○○線」、「○○鉄道」、「○○会社線」の呼称も存在した。
- ↑ 9.00 9.01 9.02 9.03 9.04 9.05 9.06 9.07 9.08 9.09 9.10 9.11 9.12 テンプレート:Cite web
関連項目
- 国鉄分割民営化
- JR線
- JRダイヤ改正
- 国鉄・JR線路名称一覧
- JRバス
- 国鉄・JRの車両形式の一覧
- JRカード
- ソフトバンクテレコム - JRが資本関係を持っていた鉄道通信および日本テレコムを主たる系譜とする企業で、2011年現在もJRグループ内の専用電話網「JRほっとライン」のサービスを提供している。なお、両社が合併後、ボーダフォン(イギリス)に買収されたことによりJRとは資本関係を持たなくなったが、もとは鉄道通信が権利者であった灰色のJRロゴタイプは、2011年現在もソフトバンクテレコムを権利者として登録されている。
- 遠くへ行きたい (テレビ番組) - 読売テレビが制作し、日本テレビ系列で放送されている紀行番組。国鉄時代からスポンサーとなっており、2011年現在もJRグループが筆頭スポンサーである。
- 産経児童出版文化賞 - JR貨物を含むJR7社が協賛している。