鈴木史朗
テンプレート:基礎情報 アナウンサー 鈴木 史朗(すずき しろう、1938年2月10日 - )は、日本のアナウンサー、タレントである。京都府京都市北区出身。血液型はAB型。東京放送(TBS)在職ののち、フリーアナウンサーとなる。
本名は同じ[1][2]だが、TBS在職当時より冒頭表記[3][4]と「鈴木 史郎」表記[5][6][7][8][9][10]の両方が見られる。愛称は「史朗さん」。
目次
来歴・人物
京都市立紫野高等学校在学時は陸上競技部に所属し、三段跳で活躍。早稲田大学法学部[11]へ進学し、放送研究会に所属。会友には露木茂や大沢悠里らがいた。卒業後の1962年4月にTBSへ入社し、アナウンス室に配属される(アナウンサー第8期生[12][13])。1963年に初の衛星中継を担当したが、それが日本時間11月23日のジョン・F・ケネディ暗殺(ケネディ大統領暗殺事件)の一報であった。
1966年1月よりラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部[13]、1967年11月よりラジオ局第一制作部兼アナウンサー研修室付[13]、1969年3月よりラジオ局放送部兼第一制作部兼第二制作部兼アナウンサー研修室付[13]にそれぞれ配属された。
1970年7月よりテレビ本部制作局制作部[13]に配属され、アナウンス職から離れる[14]。同制作部時代には。番組制作ディレクターを務めた[11]。以後、1974年2月より編成局契約部[13][14]、1975年8月より報道局ニュース部[13][14]、1977年11月ラジオ本部ラジオ局ラジオニュース部[13]、1980年4月テレビ本部報道局編集部兼ラジオニュース部[13]、1989年1月より報道総局アナウンス部兼報道局編集部兼ラジオ総局情報制作局ニュース・情報センター部[13]、1991年5月よりアナウンスセンター兼報道局にそれぞれ配属された[13]。
その間、報道局時代には社会部記者[2][15][14]を務めた。報道局時代の1983年には、アナウンス活動へ復帰している[16](同年にアナウンス部へ復帰したとする文献[2]もあるが、誤り[13])。のちにアナウンス副部長も務めた[16]。アナウンサーとしては、報道番組の他にバラエティにも出演[16]。『さんまのからくりTV』内コーナー『ご長寿早押しクイズ』の司会者として人気を得た[16]。
1998年2月にTBSを定年退職[12][13]後、フリーアナウンサーとなる。その一方、歌手・俳優・モデル、テレビゲームとあらゆる分野に挑戦、講演活動を中心に活躍している。1999年には『想春譜』で歌手デビューを果たし[2]、2002年には舞台俳優として『新演歌の花道』へ初出演した[2]。
2000年、主にTBSアナウンサーOBのマネジメントを行う事務所であるクリエイティブ・メディア・エージェンシー(CMA。2010年7月より、キャスト・プラス)と契約[17]。
趣味
- 『バイオハザード』シリーズの大ファンで全作所有している。夜中にプレイする際は、妻に迷惑をかけないようにヘッドフォンをつけているという。『バイオハザード4』の最高難易度は容易にクリアーでき、比較的難易度の高いおまけステージ(Wii版のTHE MERCENARIES)では20万5370点という高得点を記録している[18]。好きなバイオハザードの登場人物はジル・バレンタインで、「彼女に惚れて、ずっとジルでプレーしている」と語っている[19]。同ゲームシリーズをクリアした加山雄三とは同好の士として情報交換している[11]。『からくりTV』ではスコアアタックモードをプレイしながら話した。Gyao特集『バイオハザード:ディジェネレーション 鈴木史朗レポート』では、本人のメモリーカード持参でニンテンドーゲームキューブ版『バイオ4』の腕前を披露している。2008年の東京ゲームショウで行われた「クリエイターズトークショウ」にて、一緒に司会を務めた有野晋哉に対して、「これからバイオハザード4を始めるなら、ナイフ攻撃が他の機種より0.5秒程速く出るWii版がオススメです」と発言し、有野を驚かせた[20]。
- カラオケ
- 「ひとりカラオケ」は局アナ時代からの趣味のひとつである[21]。レパートリーは比較的古い時代の曲を中心とするが、『千の風になって』も好んで歌っている[21]。受付で一人での来店を告げるときは、「ちょっと爽やかな気持ちになる」[21]としており、「ひとりカラオケ」に対して気恥ずかしさは感じていない。「ひとりカラオケ」の効能として、鈴木は孤高の境地を得たことを挙げており、「ひとりで技を極める武士道にも通じます」[21]と語っている。
エピソード
学生時代に急性虫垂炎を患い手術することになったが、執刀医が軍出身の医師で、執刀直前に「鈴木、君は日本男児か!?」と聞かれ「はい!」と答えると「なら大丈夫だな」と言われ、麻酔なしで手術を受けることになったという。この時の痛みを「口に手を突っ込んで、顔を裏返しにするくらい」と表現している。
ゲームを趣味としていることから反射神経が鍛えられ、自動車免許更新時の実習で高得点を出し教官から「あまりに反応が早すぎて逆に危険」と注意を受けるほどだった[22]。
月刊誌『WiLL』2011年4月号に南京大虐殺否定論を寄稿。
名探偵コナンに、同名で、自身をモチーフとしたキャラクターが登場している。
活動リスト
出演番組
TBSアナウンサー時代
- テレビ番組(報道・情報・ドキュメント)
報道・情報番組のメインキャスターの経験はなく、もっぱら単独で土曜日夜のニュースを延べ11年間(日曜日夜は8年間)担当していた。年末年始のニュースや他のアナウンサーの代役を務めることもほとんどなかった。
- JNNニュースデスク[23] - 土曜日担当。1987.10 - 1988.9
- JNNニュース[12] - 主に土曜日の最終ニュース担当。1988.10 - 1990.9
- JNNスポーツ&ニュース[24] - ニュースコーナー。1990.10 - 1998.2(定年退職まで担当)
- JNNフラッシュニュース[3] - 主に土曜日担当。
- TBSニュース - 主に土曜日18:50の放送を担当。
- JNNニュースの森 - オープニングのヘッドラインナレーター。1990.4 - 1993.3
- 情報特集[4]
- あなたにオンタイム(史朗が行く)[25]
- CBSドキュメント[4]
- ドキュメントUSA
- ドキュメントD・D - ナレーター[16]
- テレビ番組(音楽・クイズ・バラエティ)
- TBS歌のグランプリ(1970年)[13] - 若手時代にリポーターやデータマンを担当
- ベルトクイズQ&Q[12][13]
- 世界No.1クイズ[26]
- クイズ!当たって25%[27]
- さんまのからくりTV[28]
- さんまのSUPERからくりTV - ご長寿早押しクイズ司会(定年退職後も引き続き担当)
- アッコにおまかせ![29]
- テレビ番組(ドラマ)
- テレビ番組(アニメ)
- セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん - ナレーター(作中にも登場)
- テレビ番組(ノンジャンル)
- ラジオ番組
- 今週のベストテン[12](1966年)[13] - 湯川れい子と担当[5]。
- マツダ・ミュージック・ラリー(1968年)[31] - 八代英太と担当[6]。
- 土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界(1997年)[32]
フリー転身後
※下記は、いずれもテレビ番組。
- スーパーJOCKEY(日本テレビ)
- 天国に一番近い男 第7話(1999年、TBS)
- 水戸黄門第28部 - 第41部(2000年 - 2010年、TBS・C.A.L) - 4代目ナレーター(第28部第1話には、茶坊主役として出演)
- 大江戸を駈ける!(2000年 - 2001年、TBS・C.A.L)- ナレーター
- ブラック・ジャック カルテII(2000年、TBS)- 結婚式の司会者 役
- 大岡越前 ナショナル劇場50周年記念2時間スペシャル(2006年3月20日、TBS・C.A.L)- ナレーター
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ)
- サタモニ!(毎日放送)
- ボキャブラ天国(フジテレビ)
- デジタル所さん(日本テレビ) - ナレーター
- 徳光&史朗の暴走おやじアナ(テレビ朝日)
- 土曜ワイド劇場『京都殺人案内25・根室・納沙布 慟哭の海!』(2002年4月、ABC・松竹) - 第25作・稲葉捜査一課長
- オジサンズ11(日本テレビ) - レギュラー
- カワズ君の検索生活2008年の初めに全力検索!一番見たい動画がここにあるSP - 芸能界ネットの噂において「バイオシリーズが上手いのか?」という検証の為に出演。
- 評判!なかむら屋(ABC) - 常連客(リポーター)
- 大!天才てれびくん(NHK教育) - 『人の話を聞け』に出演
- ポヨポヨ観察日記(テレビ東京ほか) - 第50話ナレーター
CM
- 武田薬品『ベンザブロックせき止め液』『ベンザブロックのどスプレー』
- 松下電器『洗濯乾燥機・遠心力』
- アリコジャパン『はいれますシリーズ』
- 任天堂『伝説のクイズ王決定戦』
- NTTドコモ『アンサーハウス:iコンシェル編』(執事役)
- 花王『ブローネ』
- シマノ『オートD』
- キリンビール『キリン濃い味<糖質0>』
著書
- 鈴木史朗の健康道場 ご長寿TVで超寿のコツ(小学館文庫)
ディスコグラフィ
- 想春譜(1999年8月25日、ガウスエンターテイメント)
- 月と盃/生命ほとばしる(2001年6月27日、ポリドール)
- 大江戸線音頭(2003年6月25日、日本クラウン)
- 農家の唄(1999年6月21日、バップ。「所ジョージ&ダーツダックス」として発表)
その他
- 週刊ファミ通
- 2007年10月5日号 - インタビュー。
- 2010年4月8日号 - 『バイオハザード5 オルタナティブ・エディション』PS3版「鈴木史朗的Co-opプレイのすすめ」にて「ファミ通BSAA特別顧問」として参加。
- 2011年6月16日号、2011年6月23号 - 『バイオハザード ザ・マーセナリーズ 3D』にて「ファミ通BSAA特別顧問」として参加。
- ファミ通WaveDVD 2010年3月号 - 「突撃!お邪魔しま:SOCOM」に出演。
- Xbox LIVE パーク「バイオハザード5 デイ」[33]
- みんなのニンテンドーチャンネル - バイオハザード ダークサイド・クロニクルズに出演。この映像が動画サイトに(無断転載であるが)アップされ、30万アクセス超えになるほどの反響となった[34]。
- 朝日新聞社広告局企画制作、2012年1月26日朝日新聞40面「バイオハザード リベレーションズ」加山雄三と共に広告宣伝。
- GAMESPOT JAPAN バイオハザード15周年&3DS「バイオハザード リベレーションズ」発売記念 加山雄三さんと鈴木史朗さんスペシャル対談
所属事務所
- シーエムエー(1999年当時[1])
- クリエイティブ・メディア・エージェンシー→キャスト・プラス(2000年 - )
脚注
出典
参考資料
- TBS50年史(2002年1月、東京放送編・発行)…国立国会図書館の所蔵情報
- 資料編
- DVD-ROM『ハイブリッド検索編』
- 『TBSアナウンサーの動き』(ラジオ東京→TBSの歴代アナウンサーの記録を、同社の歴史とともにまとめた文書)
- 『TBS社報』再録
- 『TBS紳士録』最終回(1976年12月14日発行『TBS社報』NO.437より、P8 - 15に掲載)の再録
- 『all TBS 紳士・淑女録』第10回(1992年6月25日発行『TBS社報』に掲載)の再録
- 『テレビ・タレント人名事典』第6版(2004年、日外アソシエーツ発行・紀伊國屋書店発売) ISBN 4816918523
- 2013年度版芸能界ベストセレクション(『oricon CREATEシリーズ』No.13。2012年、オリコン・エンタテインメント)ISBN 4871311120
- 各種外部リンク
外部リンク
- 講演会講師派遣会社のプロフィール
- CMA時代の事務所ホームページに掲載されたプロフィールの保存キャッシュ一覧(インターネットアーカイブより)
- インタビュー
テンプレート:JNNニュースデスク メインキャスター テンプレート:JNNニュース週末最終のキャスター
テンプレート:パナソニックドラマシアター 水戸黄門 主要キャスト- ↑ 1.0 1.1 参考:『1999年版 日本タレント名鑑』(1999年4月21日、VIPタイムズ社発行)ISSN 1343-8263
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2005年当時、スポニチアネックス内芸能タレント名鑑に掲載されたプロフィール - インターネットアーカイブ2005年4月5日付保存キャッシュ
- ↑ 3.0 3.1 3.2 『週刊読売』1985年10月13日P139に掲載の、キャスター・アナウンサー名鑑。
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 『TVスター名鑑』(『TVガイド』臨時増刊1992年10月15日号)P149
- ↑ 5.0 5.1 TBSラジオ番組表(昭和41年=1966年4月21日現在)…PDFファイル(TBSラジオ開局60周年記念特設サイト『ラジオ東京スピリッツ』より)。日曜12:10 - 13:00の『今週のベストテン』を参照。「湯川れい子」「鈴木史郎アナウンサー」の記述あり。
- ↑ 6.0 6.1 TBSラジオ番組表(昭和43年=1968年4月現在)…PDFファイル(TBSラジオ開局60周年記念特設サイト『ラジオ東京スピリッツ』より)。月 - 土曜15:20 - 15:50の『マツダ・ミュージック・ラリー』(「八代英太」「鈴木史郎アナウンサー」の記述あり)および日曜15:00 - 15:30の『マツダミュージック・ラリー』(「鈴木史郎」の記述あり)をそれぞれ参照。
- ↑ 『TBS50年史』各種資料(資料編内掲載アナウンサーの活動記録・付録DVD「ハイブリッド検索編」に収録のPDF文書『TBSアナウンサーの動き』、同DVDに収録のラジオ番組・テレビ番組出演者別リスト)より参照。なお、先述DVDにPDFファイルとして再録された、1976年12月14日(報道局ニュース部社会班在職当時)発行の社内報『TBS社報』NO.437掲載記事『TBS紳士録』最終回(6回目)11ページ、1991年6月(アナウンスセンター兼報道総局在職当時)発行の社内報掲載記事『all TBS紳士・淑女録』第10回33ページ(アナウンスセンターの巻)でもそれぞれこの表記で紹介された。
- ↑ TBS在籍当時のホームページ内プロフィール(外部リンク参照)
- ↑ 『バイオ』15周年に、紗綾さん&鈴木史郎さん登場【TGS 2011】 - デジタル - 日経トレンディネット(2011年9月18日)
- ↑ 外部リンク(タブ・ハウスのホームページ内インタビューのプロフィール)。
- ↑ 11.0 11.1 11.2 外部リンク(タブハウス)を参照。
- ↑ 12.0 12.1 12.2 12.3 12.4 『TBS50年史』資料編P237を参照。
- ↑ 13.00 13.01 13.02 13.03 13.04 13.05 13.06 13.07 13.08 13.09 13.10 13.11 13.12 13.13 13.14 13.15 『TBSアナウンサーの動き』P15
- ↑ 14.0 14.1 14.2 14.3 1976年12月14日発行の社内報『TBS社報』NO.437掲載記事『TBS紳士録』最終回(6回目)11ページに掲載された鈴木の紹介文(報道局ニュース部の一員として掲載)より、「鈴木史郎。アナウンサー生活八年。テレビ制作から契約部を経て社会班に。」との記述あり。
- ↑ 『元気の源泉』NO.37(外部リンク。TBSホームページ内同名番組公式サイト)より、社会部記者を務めたことが記されている。
- ↑ 16.0 16.1 16.2 16.3 16.4 『テレビ・タレント人名事典』より、「鈴木史朗」の項目を参照。
- ↑ 『2013年度版芸能界ベストセレクション』P92掲載「(株)キャスト・プラス」の情報。
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 21.0 21.1 21.2 21.3 鈴木史朗「ひとりカラオケで孤高の境地を知る」『週刊朝日』114巻18号、朝日新聞出版、2009年4月24日、40頁。
- ↑ テンプレート:Cite news ※リンク先は、インターネットアーカイブ2011年7月2日付保存キャッシュ。
- ↑ 『TBSアナウンサーの動き』P15では「JNNニュースデスク(86)」と明記。
- ↑ 『TBSアナウンサーの動き』P15では「スポーツ&ニュース(93)」と明記。
- ↑ 『TBSアナウンサーの動き』P15では「あなたにオンタイム〜史朗が行く〜」と明記。
- ↑ 『TBSアナウンサーの動き』P15では「世界NO1クイズ」と明記。
- ↑ 『TBSアナウンサーの動き』P15では「当たって25%」と明記。
- ↑ TBS在職当時のウェブサイト内プロフィールでは「サンマのカラクリテレビ」、『TBS50年史』資料編P237では「さんまのカラクリTV」、『TBSアナウンサーの動き』P15では「サンマのカラクリTV」とそれぞれ表記。
- ↑ 『TBSアナウンサーの動き』P15では「アッコにおまかせ」と明記。
- ↑ 『TVスター名鑑』(『TVガイド』臨時増刊1992年10月15日号)P149のプロフィールでは、「金曜TVの星」と表記。
- ↑ 『TBS50年史』資料編P237では「ミュージック・ラリー(1968)」、『TBSアナウンサーの動き』P15では「ミュージック・ラリー(68)」と明記。
- ↑ 『TBSアナウンサーの動き』P15では「永六輔その新世界(97)」と明記。
- ↑ テンプレート:Cite web
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