綾小路きみまろ
テンプレート:雑多な内容の箇条書き テンプレート:Infobox お笑い芸人 綾小路 きみまろ(あやのこうじ きみまろ、1950年12月9日 - )は、日本の漫談家、お笑いタレント。本名、假屋 美尋(かりや よしひろ)。
以下本項では本人を「きみまろ」「本人」「自身」等と表記する。
目次
人物
鹿児島県曽於郡松山町(現・志布志市)出身。5代目鈴々舎馬風門下。あん摩マッサージ指圧師の国家資格を保有[1]。現在の家族構成は本人、母、5歳違いの弟、妻、子供3人。家族は一般人の為氏名は公表していないが、東京大学理Ⅲ医学部に進学し医師の道に進んだ息子がいる。
鹿児島県立末吉高等学校、拓殖大学商学部卒業。身長165cm、体重70Kg。血液型はO型。
「落語協会」会員[1]である。また、日本の司会者統括団体である『日本司会芸能協会』の理事も務めている[2]。
芸風は立川談志、上岡龍太郎、ビートたけし、毒蝮三太夫等によって確立された毒舌漫談というジャンルであるが、中高年世代が持つ人生の悲哀をユーモラスに語るのが特徴で、とりわけ中高年(メインは40代後半以降の所謂団塊世代。尚、きみまろ自身も1950年生まれの為、団塊世代にあたる)に人気が高いため「中高年のアイドル」とも言われる。しかし本人は「毒蝮三太夫さんの様に『クソババア』とは言えない」と述べている(漫談の基本スタイルやきみまろ自身がいつも口にしているセリフについては#きみまろの漫談スタイル・傾向、#きみまろの口癖を参照の事)。きみまろ自身、50歳を超えてようやくブレイクした事から、「遅咲き」と自負している。
山梨県南都留郡富士河口湖町に別荘「きみまろ亭」を持つ。別荘ではあるが、自身の自宅である。2003年にサラリーマン川柳からの盗用を認め謝罪した。一時のブーム沈静化後にはテレビ出演する機会が減ったが、地方では1日に2回公演・3回公演と精力的に営業を行ない、2004年山梨県の長者番付で2位となる。2004年に清水國明とともに、富士河口湖町の特別町民の第1号として表彰された。
カツラを使用している事をマスメディアで自らカミングアウトし、本人もカツラ(ヘアピース)を認めている。因みに、揉みあげは地毛で、あとは「ズッポリ」だという。また、髪を後ろで束ねている部分については、下半分が地毛で上半分がカツラの髪であると『SmaSTATION!!』で香取慎吾に明かしており、万が一のときにカツラが完全に取れてしまわないようにするためである。
痛風・高血圧・睡眠時無呼吸症候群の持病がある事も自身の著書で度々公開している。
来歴
- 1969年司会者を目指す為上京。新聞販売店で働きながら1年浪人した後、1970年に拓殖大学に入学。たまたま配達先の病院に足立区でキャバレーを営む患者が入院しており、雇われる。その後新宿のキャバレーに移り、また四谷のマッサージ師養成学校で資格をとる。歌舞伎町のキャバレーで、春日八郎、殿様キングス、ツービート、ディックミネ、淡谷のり子、ケーシー高峰と出会う。
- 1979年 日劇より漫談家としてデビューする。同郷の森進一や小林幸子などのコンサートの司会を務める。この頃からサービスエリアで休息中の観光バスに自作の漫談テープを配布しており、主に山梨県内や静岡県の御殿場周辺で配布していた。
- 長い下積み時代に1年間だけ「山本一貴」と芸名を変えた事があるが、彼自身はこの1年間を抹消したいそうだ。また、本名をもじった「狩屋きみまろ」と名乗った時期もあり(この時期に『タモリ倶楽部』に取り上げられたが、その時点ではブレイクならず)。
- 1993年「きみまろ」という芸名でワーナーミュージックジャパンより「ねぇ、聞いてんの!〜中高年悲哀物語〜」(B面『なげきのブルース』)でCDデビュー。漫談でありながら曲調はトランスという斬新的な企画ではあったがこの時点ではまだ脚光を浴びる事は無かった(12年後の2005年に「きみまろトランス」で同じコンセプトのCDをリリースしている)。
- 1994年(狩屋きみまろ時代)『はぐれ刑事純情派』part7「みちのく温泉郷白い手袋の女」(小林幸子がメインゲストの回)に会社社長役で出演。
- 2002年
- 漫談CD・カセットテープ『爆笑スーパーライブ第1弾! 中高年に愛をこめて...』のリリースにより注目を浴びる。
- 独演会の様子を書籍化。
- 2003年
- サラリーマン川柳からの盗用が発覚し謝罪会見を行う。
- 第17回日本ゴールドディスク大賞で企画・アルバム・オブ・ザ・イヤー受賞。
- 各種DVD・書籍の発売。
- 『森田一義アワー 笑っていいとも!』に半年間レギュラー出演(隔週火曜日)。
- 第54回NHK紅白歌合戦に白組の応援ゲストとして出演。漫談を披露[3]。
- 2004年 漫談『交通安全漫談』をリリース。第41回ゴールデン・アロー賞を受賞。
- 2005年
- 『きみまろトランス』をリリース。第47回日本レコード大賞「企画賞」を受賞。
- 「第56回NHK紅白歌合戦」にゲスト出演。
- 2007年
- 2008年
- 『スタジオパークからこんにちは』にゲスト出演。
- 9月19日発売『週刊ポスト』10/03日号(小学館)より、『綾小路きみまろ「夫婦のゲキジョー」』連載開始(現在も連載中)
- 2009年 NHK BS2(2011年度からはNHK総合)の『ごきげん歌謡笑劇団』にレギュラー出演。2012年3月まで番組進行を勤めた。
- 2010年 『第61回NHK紅白歌合戦』にゲスト出演(森進一、天童よしみの曲紹介)。
- 2012年 テレビ朝日『笑わせます聴かせますまろまろ一笑懸命』を9月17日、翌年2013年5月26日、綾小路しんまろ(香取慎吾)との共同司会で番組進行をする。
きみまろの漫談スタイル・傾向
- きみまろのステージ上のファッションはカツラと扇子、それに背広に燕尾服。
- 入場の挨拶では「ようこそいらっしゃいました、御元気でしょうか」。又、「気力の無い拍手を頂き、誠に有難うございます」と挨拶する事もある。
- 『たけしの誰でもピカソ』の出演した際、ビートたけしもきみまろも全く売れない苦しい時期に同じ舞台で出演していた縁もあり、お互い楽屋で懐かしくも感激の対面を果たすことになる。「きみまろさんってあの時のきみまろさん…」とたけしが語りかけ、お互い先の見えない苦しい時期を思い出したのか感極まって涙を流し合い肩を抱き合うほどだった。その後のネタを収録する時にも感情が高まり途中声が出なくなる場面があった。
- ライブの始まりでは、特に女性客に対して「綺麗ですね」と褒めちぎった後、きみまろが「私は女性を見る目が無いのです」とオチをつける。
- きみまろを語る上で欠かせないのが「あれから40年」のフレーズである。
- 老化現象、高齢化社会、物忘れ、アルツハイマー、痴呆症、カツラを引き合いにしたフレーズが多い。又、中高年以降の夫婦の確執をネタにする事もある。
- 内容が少し度を超えてしまった時は「私も人の事をどうこう言える顔ではありません」とフォローしている。本人によると、「毒舌と言っても言いっ放しでは客に迷惑を掛けてしまいかねない」との事。
- 「上になったり下になったりする」などの性的表現もある。
- 又、きみまろのネタには前述の通り、「クソジジイ」「クソババア」と言うセリフは一切使用されていない。
- きみまろ自身、ライブの客は50代以上の中高年が殆どである事から「ジジイ、ババアの養殖場」と形容している。又、客の事を「昭和枯れすすきの皆さん」と表現する事もある。きみまろのライブにはきみまろよりも遥かに年長の70歳以上の高齢者が来ている事も珍しくなく、彼らに対しても情け容赦の無いフレーズを掛ける事も少なくない。会場によっては「敬老の日よりも高齢者が多い」との事。又、きみまろのライブの客には90歳以上の所謂「超高齢者」が来る事もあり、ライブの音源の中できみまろが相当年老いた客に年齢を尋ねた所、「93歳」と回答された事もある。最近のパターンとしては40代後半や50代を「中高年予備軍」と形容する事がある。
- きみまろの身長は165cmだが、ネタの中では「179cm」としている。
- きみまろはライブで自分の事を「ウィリアム」と称している。又、「潜伏期間30年」のフレーズも多用している。自身が自称している潜伏期間とは1969年頃から1999年頃迄の期間とする説や、1972年頃から2002年頃迄としている説がある。
- きみまろのライブでの一人称は主に「私」であるが、時折「きみまろ」と言う事もある。
- きみまろにとって、「避けて通れない事」は2つあり、それは「呼ばれないと来られない事」「客を選べない事」。
- きみまろのライブは地方で行われる事が多い為、例えば、東北地方から最終の新幹線で東京に戻った後、東京駅前のホテルに泊まり、翌朝西日本方面に向かうというスケジュールも多い。しかしその一方、千葉・神奈川・静岡・茨城・埼玉等の関東近県のライブや東京キー局でテレビの収録があった時は日帰り出来る為、自宅で妻と食事をする事が出来ると言う。
- きみまろ自身、新ネタの考案は夜寝る布団の中でする事が多く、自身のベッドの隅にはメモ帳(きみまろ曰く「ネタ帳」)と筆記用具が据え置かれている[4]。又、自宅で趣味の農作業の合間にもネタの発声練習をする事もある。
- 最後は必ず「一言多かった事を心からお詫び申し上げます」と締めくくる。
- きみまろの初代のCDでは、1トラックのみで約44分も収録されていたが[5]、それ以降は幾つかのトラックに分割している。
- きみまろの漫談はCD・カセットの2セットで販売されている。又、CD・カセット共に「ライブでの公演を基に録音されていますので、聞き苦しい部分がある事をお許し下さい」の断りがある。収録時間は何れの作品も約40分。2010年元旦に発売されたCDではテープ音源のきみまろの漫談が約20分の2セットで収録されている。
- 「きみまろトランス」では、トランスの楽曲では珍しく、カセットも販売されている。
- ステージやホールのみならず、老人ホームや刑務所、果ては暴力団の事務所でライブをした事もある。
- きみまろの第1集のCDの演目「中高年に愛を込めて・・・」は2000年年末に東京・新宿にある新宿末広亭のホールで初披露され、翌年2001年初頭にある演芸場近くの鰻料理専門店にて師匠と面接して許可を得た事で落語家デビューしている[6]。
- CD販売に関しては当初、きみまろはあまり乗り気では無かったが、カセットテープに録音しただけでは本人の名前が歴史に残せない事、そしてきみまろの漫談は中高年が殆どである事からCDで聴いている世代にも是非きみまろの漫談を聞いて欲しいといった事から、CD販売に踏み切った経緯がある。
- 「きみまろの漫談を聴いて年老いた家族の病気が良くなった」との評判を受けた事もある様に、きみまろの漫談は老化防止や病気の進行の歯止めには殊の外適しているとされている。
- 2007年頃にきみまろ自身、海外進出を果たし、第3集のCDのかなり後の部分でニューヨークで自身のライブを開いていた事のフレーズが収録されている。
- 2008年初頭に発売された第3集のCDでは、きみまろの第1集のCDが160万枚と、予想以上の売れ行きを示した事を公表したフレーズが収録されている。本人曰く「見た事も無い税金を払った」との事。
- 2010年元日に発売されたCDでは、きみまろが1990年代にサービスエリアで自作のテープを配布していた物の2セットをそのまま収録している。又、始まりと終わりに流れている音楽は「手のひらを太陽に」をアレンジした物だと思われる。又、この作品は1990年代の音源をそのまま収録している事から、「痴呆症」等のフレーズは一切差し替えられていない。ジャケットの表紙裏にはきみまろのこれ迄の半生と経歴、そしてきみまろのスナップ写真の数々が掲載されている。
- 2009年からバスツアーで漫談する機会が増え、観光する体力が無いという理由でバスツアー後はホテルへ直行し、ホテルの一室に籠もりつつ当日録音した自身の漫談を聴いては反省し改良・新ネタ作成を積み重ねている。
- 本人によると、「痛風の持病がある中でもスケジュールは数年先迄ぎっしり埋まっている」との事。前述の通り、痛風持ちの中でも痛み止め等の投薬治療をする事で痛風持ちの体にムチ打って乗り切っている。
- NHK『クローズアップ現代』で彼の漫談スタイルについて取り上げられた事もある。この時頻繁に取り上げるネタとして語られた事として「冷え切った夫婦関係(35%)」、「容貌の衰え(32%)」、「死や病気(28%)」があるが、その事を司会の国谷裕子が真面目な顔で語っている姿が話題を呼んだ。なお、この日の放送の後半では毒蝮三太夫とアナウンサーが対談している。
テレビCM
何れも本人出演。
- ユニデン「ハイビジョン対応液晶ワイドテレビ」
- はごろもフーズ「ぱぱっとライス」(きみまろ自身の似顔絵が付いた杓文字のアニメと声の出演)
- キッコーマン「Pearl Soy Milk」(同社がアメリカで販売している豆乳のCM。アメリカ国内の日本語チャンネルで放送)
- パナソニック「ルミックスTZ3・TZ5」(2007年3月16日 - 、長山藍子と共演)
- UHA味覚糖「マルチビタミンのど飴」
- フジ日本精糖「キープ・フラワー」(2009年4月 - ???)
- KDDI/沖縄セルラー電話「au by KDDI 簡単ケータイシリーズ」(2009年8月 - )
- スカパー!「時代劇特集」
- 森永製菓「甘酒 芸能人甘酒クラブ巡業中 ライブ編」(小野真弓、ダンディ坂野と共演)
- 東京ガス バリューリース(2013年9月 - 、綾野剛と共演[7])
ナレーション
- 映画『武士の家計簿』予告編
ディスコグラフィー
シングル
- きみまろ ねぇ、聞いてんの!〜中高年悲哀物語〜…(1993年・「狩屋きみまろ」名義)
- きみまろの「やってられなぁーい!?」(2004年・「綾小路きみまろ Featuring マリア」名義)
- きみまろトランス(2005年)
アルバム
- 綾小路きみまろ 爆笑スーパーライブ第1集! 中高年に愛を込めて…(2003年)160万枚[8]
- ゴールドディスクミリオン認定。
- 交通安全漫談(2004年)
- 綾小路きみまろ 爆笑スーパーライブ第2集! ガンバッテいただきたいの…(2006年)60万枚[8]
- 綾小路きみまろ 爆笑スーパーライブ第3集! 知らない人に笑われ続けて35年(2008年)
- 綾小路きみまろ 爆笑スーパーライブ第0集!すべてはここから始まった(2010年元日)※ゴールドディスク認定
- 綾小路きみまろ 爆笑スーパーライブ第4集!〜拝啓 中高年&予備軍の皆様へ〜(2010年10/24)
ビデオソフト
その他
書籍
- 有効期限の切れた亭主・賞味期限の切れた女房(2002年)2003年に文庫本化
- きみまろ流(2003年)2005年に『こんな女房に誰がした? きみまろ人生劇場』と改題され文庫本化
- きみまろ!―爆笑毒舌「ネタ帳」150連発!(2004年)
- こんな夫婦に誰がした? 謹んでお慶び申し上げます(2005年)2007年に文庫本化
- 妻の口 一度貼りたい ガムテープ(2007年)
- 一つ覚えて三つ忘れる中高年(2008年)
- 私は名もない毛もない きみまろと申します(2008年)
- あの顔その顔この顔で謹んでお慶び申し上げます(2008年)
- きみまろ「夫婦川柳」傑作選(2014年)
2007年11月現在、単行本47万部・文庫本94万部、総計141万部を販売[8]
その他、2008年9月19日より『週刊ポスト』(小学館)誌上において、『綾小路きみまろ「夫婦のゲキジョー」』を連載中。人気を博している。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 きみまろどっとこむ(綾小路きみまろ公式ウェブサイト)
- ↑ 日本司会芸能協会 理事役員 日本司会芸能協会
- ↑ 当時のきみまろのファッションは赤毛のカツラに白の背広、そして日の丸マークの扇子。又、きみまろは当時、最後に赤毛のカツラを外すというオチで締めくくっていた(但し、本人の性格に配慮して素の状態は頭に白い布を巻いていた)。
- ↑ 書く時の文章は縦書きが殆どで、横書きするのは外国語以外一切無い。
- ↑ ランダムプレイ防止の為、最後迄聴いて欲しいと言う意図があった為と思われる。
- ↑ 第1集のCDの発売は2002年ではあるが、実質的な発表時期は2001年。
- ↑ 東京ガス バリューリーススペシャルサイト
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 きみまろ新ネタに自信「賞味期限なし」 ― スポニチ Sponichi Annex スポニチ演芸館 2007年11月02日
関連項目
- 毒舌
- お笑いタレント
- 日本お笑い史
- ピストン西沢 - DJ。きみまろトランスのリミックスを手がけた。
- 綾小路家
- 鹿児島県出身の人物一覧
- 森進一 - きみまろ自身が専属司会者を務めた
- 小林幸子-同上
- 伍代夏子-同上
外部リンク
- きみまろどっとこむ(綾小路きみまろ公式ウェブサイト)
- (社)落語協会 プロフィール
- テイチクエンタテインメント