石勝線
|} 石勝線(せきしょうせん)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)の鉄道路線(幹線)。北海道千歳市の南千歳駅から夕張市を経て上川郡新得町の新得駅を結ぶ本線と、夕張市内にある新夕張駅 - 夕張駅間の支線からなる。
路線名は令制国名の石狩国と十勝国から採られているが、実際には石狩国を経由しつつ胆振国と十勝国を結んでいる。また、石狩国を一字で表す際には「狩」の字を用いるのが一般的だが、本路線は「石」の字を用いている。なお、石勝線に編入される以前の追分駅 - 夕張駅間は夕張線(ゆうばりせん)と称していた。その後も新夕張駅 - 夕張駅間の通称として用いられている。
目次
路線データ
- 管轄・区間(営業キロ):
- 軌間:1067 mm
- 駅数:30(起終点駅および根室本線との重複区間にある信号場を含む。駅15、信号場15)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:
- 南千歳駅 - 新得駅間 単線自動閉塞式
- 新夕張駅 - 夕張駅間 特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
- 交換可能駅:本線は途中の全駅で交換可能。支線は終点の夕張駅も含め区間内に交換可能駅なし
- 最高速度:
- 130 km/h(南千歳駅 - 新得駅間)
- 85 km/h(新夕張駅 - 夕張間)
- 最急勾配:12‰
南千歳駅 - 串内信号場間が本社鉄道事業本部、串内信号場(構内のぞく) - 新得駅間が北海道旅客鉄道釧路支社の管轄である。
輸送密度
新夕張~夕張間のみ公表されている。
新夕張~夕張間
- 2013年度110人
沿線概況
夕張炭田の運炭路線として19世紀末に敷設された「夕張線」を元とし、1981年にその東西で新線を開業して成立した路線である。そのため、北海道の道央と道東を結ぶ広域幹線の機能と、支線を含む旧夕張線区間を主とした夕張市などの地域輸送の機能を併せ持っている。
新夕張駅以東では「北海道の背骨」と呼ばれる日高山脈を貫くため、北海道内の山岳トンネルで最長の5,825 mの新登川トンネルをはじめ、5,790 mの新狩勝トンネル、5,700 mの登川トンネル、4,225 mの第二串内トンネル、3,765 mの鬼峠トンネルなどの長大トンネルが連続する。この区間では占冠駅・トマム駅周辺をのぞいて人が住んでいる地域がほとんどなく、本線においては駅の数より信号場の数の方が多い特徴を持つ。信号場の多くは、計画当初は駅にする予定だったが、沿線の入植者の離農が進みその必要が無くなった経緯がある。
新夕張駅 - 新得駅間では、新得駅付近(根室本線との重複区間内)に踏切が1つあるほかは、道路との交差がすべて立体交差となっている(ただし、過去にはトマム駅構内に踏切があった)。
豪雪地帯を走るため、冬期間は高速運転するとバラストと呼ばれる線路に敷かれた石やこびりついた氷を巻き上げることがある。過去には窓ガラスを割る事故も発生しており、冬期間に限って減速運転を行うことがある。そのため、冬期間は10 - 20分程度の遅れが生じることもある。
運行形態
広域輸送
札幌駅 - 帯広駅・釧路駅間を結ぶ幹線ルートの一部で、2014年3月15日現在、特急「スーパーおおぞら」(1日6往復)と特急「スーパーとかち」(1日5往復)が、南千歳駅 - 新得駅間で運転されている。また1997年に高速化改良が完成し、ともに車体傾斜式気動車である283系・261系により、最高速度130 km/hで運行されている。札幌駅 - 帯広駅間の年間旅客輸送量は約200万人と、札幌駅 - 旭川駅間・札幌駅 - 東室蘭駅 - 函館駅間に次いで道内3番目に多い路線である[2]。
貨物輸送
当線内に貨物駅はないが、帯広貨物駅・釧路貨物駅 - 札幌貨物ターミナル駅間および、帯広貨物駅から本州方面への直通列車と室蘭駅 - 帯広貨物駅間の石油輸送列車が当線経由で運行されている(本州方面への直通列車と室蘭駅 - 帯広貨物駅間の石油輸送列車は追分駅より室蘭本線へ入る)。牽引機関車はかつてDD51だったが、2008年3月改正時よりDF200に置き換えられた。
国鉄準急「夕張」と夕張鉄道急行列車
夕張線時代には、1961年から1972年まで、札幌駅と夕張駅を結ぶ速達列車として、準急「夕張」(のちに急行に格上げ)が岩見沢駅と追分駅で2回進行方向を変えるZ形の経路(札幌駅 - 函館本線 - 岩見沢駅 - 室蘭本線 - 追分駅 - 夕張線 - 夕張駅)で運行されていた。
- 停車駅
一方、函館本線野幌駅 - 夕張本町駅間に路線を有していた夕張鉄道では国鉄のZ形の運行経路に対抗し、野幌 - 夕張本町間の急行列車を1961年に運行を開始した。野幌(北海鋼機前) - 札幌大通間を自社バスで連絡し札幌への利用も可能だった。直通バス路線(札幌急行線)の拡充などにより1967年に廃止した。
地域輸送
南千歳駅 - 新夕張駅 - 夕張駅間
キハ40系により普通列車がワンマン運転されている。なお、運行系統上は千歳線千歳駅を起点としている。
(千歳駅 - )南千歳駅 - 新夕張駅間は4時間ほど運行のない時間帯がある。約半数の列車が追分駅で折り返しとなり、追分駅での接続は特に考慮されていない。新夕張駅発着の列車は1往復だけで、あとはすべて夕張駅まで乗り入れている。また、下り1本のみ室蘭本線経由で糸井駅→追分駅→夕張駅間で運行される列車も設定されている。東追分駅と十三里駅は一部の列車が通過する。
新夕張駅 - 夕張駅間は南千歳方面からの列車に加えて区間運転の列車も設定されており、1 - 2時間に1本の運転で南千歳駅 - 新夕張駅間よりも本数が多い。夕張駅での夜間留置は行わないため、最終が22時に設定されている。
石勝線内で最も利用客が少ない区間であり、2013年度の輸送密度は110人となっている[3]。
新夕張駅 - 新得駅間
この区間は開業以来、新夕張駅 - 楓駅(新夕張駅と占冠駅の間にあった駅。2004年に楓信号場に格下げ)間に運行されていた普通列車をのぞき、特急列車のみが運行されている。また、楓駅は石勝線開業に伴い廃止された夕張線登川支線の代替として設置されたため、同駅が廃止されるまで特急列車はすべて通過していた。
このような運行体系のため開業当初から、新夕張駅 - 新得駅の各駅相互間で特急列車の自由席を利用する場合は、特急料金が不要となる特例が設けられている。また楓駅と占冠駅方面の行き来の際にはいったん新夕張駅まで折り返す必要があったため、楓駅 - 占冠駅以遠間の乗車券を持つ乗客は、新夕張駅で途中下車をしなければ新夕張駅 - 楓駅間は追加運賃なしで乗り越すことができた。
歴史
北海道炭礦鉄道により夕張炭田の各炭鉱開発や石炭輸送のため建設され、鉄道国有法により買収・国有化された旧夕張線区間(追分駅 - 新夕張駅 - 夕張駅間)と、同線を延伸し、札幌と十勝地方を短絡する幹線として日本鉄道建設公団(鉄建公団)により主要幹線(C線)[4]として建設された新線区間(南千歳駅 - 追分駅、新夕張駅 - 上落合信号場間)に分かれる。追分駅から新夕張駅手前までは旧夕張線を線形改良および路盤強化して石勝線の本線に転用した。
新線区間のうち、南千歳駅 - 追分駅間は、改正鉄道敷設法第137号に規定する「石狩國白石ヨリ膽振國廣島ヲ經テ追分ニ至ル鐵道(以下略)」の一部(追分線)、新夕張駅 - 占冠駅間は、同第134号「膽振國鵡川ヨリ石狩國金山ニ至ル鐵道及「ペンケオロロツプナイ」(註:「オロロップ沢上流」を意味する地名で、現在のむかわ町穂別福山にあたり、現在石勝線の通過地区に一致する)附近ヨリ分岐シテ石狩國登川ニ至ル鐵道」の一部(紅葉山線)、占冠駅 - 上落合信号場間は同第142号の2「十勝國御影付近ヨリ日高國右左府ヲ經テ膽振國邊富内ニ至ル鐵道」の一部(狩勝線)である[5]。なお、上落合信号場 - 新得駅間は、根室本線落合駅 - 新得駅間(狩勝峠)の勾配緩和新線(同第142号の4、落合線)の一部として1966年9月30日に開業しており、根室本線と線路を共用している。
新線区間の開通以前は、札幌駅から道東(十勝・釧路・根室方面)へ向かうには旭川駅や滝川駅を経由していたが、石勝線の開通によってこれら方面への所要時間が短縮された。同時に、根室本線の滝川駅 - 新得駅間は定期優等列車がほとんど運行されないローカル線になった。
また、旧夕張線区間は、後年の復活運転をのぞくと、日本で最後まで蒸気機関車が牽引する貨物列車が運転されていたことや、蒸気機関車が追分で入換作業に最後まで従事していたことでも知られる。蒸気機関車は1975年12月24日に本線最終運転された(入換は1976年3月2日、追分駅構内まで運行)。ただし、1976年4月13日に起きた追分機関区の火災で本線最終運転の5両中4両、入換機の3両中2両および、新製間もないディーゼル機関車DD51、DE10が全焼している。
夕張線時代に国鉄再建法による幹線、地方交通線の選定が行われた際、石炭輸送が好調だった[6]ことにより、幹線となっている。また大正から昭和初期にかけ、一時期複線化されていた区間もあり、現在でも一部にその痕跡が残っている。
年表
- 1892年(明治25年)11月1日:北海道炭礦鉄道の追分駅 - 夕張駅間が開業し、同区間に紅葉山駅・夕張駅が開業。
- 1893年(明治26年)8月1日:川端駅が開業。
- 1897年(明治30年)2月16日:滝ノ上・清水沢駅が開業。
- 1901年(明治34年)12月1日:鹿ノ谷駅が開業。
- 1905年(明治38年)11月15日:沼ノ沢駅が貨物駅として開業。
- 1906年(明治39年)10月1日:北海道炭砿鉄道を買収し追分駅 - 夕張駅間が官設線となる。
- 1907年(明治40年)5月16日:紅葉山駅 - 貨物取扱所(初代)間が開業(貨物営業のみ)、同区間に楓貨物取扱所が開業。
- 1909年(明治42年)
- 1910年(明治43年)8月16日:沼ノ沢を貨物駅から一般駅に変更。
- 1912年(大正元年)11月19日:清水沢駅 - 夕張駅間 複線化[7]。
- 1915年(大正4年)8月1日:滝ノ上駅 - 清水沢駅間 複線化[7]。
- 1916年(大正5年)7月11日:楓駅 - 登川駅間が延伸開業し、同区間に登川駅が開業。
- 1917年(大正6年)6月1日:追分駅 - 川端駅間 複線化[7]。
- 1919年(大正8年)9月30日:川端駅 - 滝ノ上駅間 複線化[7]。
- 1932年(昭和7年)
- 1961年(昭和36年)1月15日:準急「夕張」2往復が札幌駅 - 岩見沢 - 夕張間に函館本線・室蘭本線・夕張線経由で運行開始。
- 1962年(昭和37年)12月25日:十三里・南清水沢駅が開業。
- 1965年(昭和40年)3月1日:東追分駅が開業。
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)1月:楓駅(初代)が廃止。スイッチバックを解消し登川支線上に移転、楓駅(2代目)となる。
- 1968年(昭和43年)10月1日:「夕張」が急行列車に昇格。
- 1970年(昭和45年)10月1日:急行「夕張」の1往復が廃止。
- 1972年(昭和47年)3月15日:急行「夕張」が廃止。
- 1978年(昭和53年)5月1日:鹿ノ谷駅 - 夕張駅間の貨物営業が廃止 (-3.4 km)。
- 1981年(昭和56年)
- 5月25日:清水沢駅 - 鹿ノ谷駅間 (-6.6 km) および紅葉山駅 - 登川駅間 (-7.6 km) の貨物営業が廃止。
- 7月1日:紅葉山駅 - 登川駅間の路線が廃止 (-7.6 km)、同区間の楓駅(2代目)・登川駅が廃止。
- 10月1日:
- 千歳空港駅 - 追分駅 (17.6km) および新夕張駅 - 新得駅 (89.4 km) が開業[10]。上落合信号場 - 新得駅 (23.9 km) は根室本線として既設。
- 千歳空港駅 - 新得駅間および新夕張駅 - 夕張駅間を石勝線に改称。室蘭線の部から函館線の部に移す。
- 楓駅(3代目)・占冠駅・石勝高原駅および駒里信号場・西早来信号場・滝ノ下信号場・オサワ信号場・東オサワ信号場・清風山信号場・鬼峠信号場・東占冠信号場・滝ノ沢信号場・トマム信号場・串内信号場が開業(上落合・新狩勝・広内・西新得は既設。根室本線所属)、紅葉山駅が新夕張駅に改称。
- 1985年(昭和60年)10月13日:夕張駅が移設、改キロ (-1.3 km)。
- 1986年(昭和61年)3月3日:鬼峠信号場が廃止。
- 1987年(昭和62年)
- 1990年(平成2年)
- 4月1日:日本貨物鉄道の新夕張駅 - 清水沢駅間の第二種鉄道事業が廃止 (-8.2 km)。
- 12月26日:夕張駅が移設、改キロ (-0.8 km)。
- 1992年(平成4年)7月1日:千歳空港駅が南千歳駅に改称。
- 2004年(平成16年)
- 2007年(平成19年)10月1日:全区間で駅ナンバリングを実施。
- 2011年(平成23年)5月27日:特急「スーパーおおぞら」14号が清風山信号場内で脱線、同信号場構内の第1ニニウトンネル内で停止後に炎上する事故が発生(石勝線特急列車脱線火災事故)。乗客と乗務員計約240人のうち39人が煙を吸うなどして病院に搬送された[11][12]。30日事故区間の復旧工事が終了し運転再開。
- 2012年(平成24年)2月16日:東追分駅構内で、JR貨物の上り貨物列車が赤信号で止まらず引き込み線に進入し、そのままスノーシェルターに衝突する事故が発生(石勝線貨物列車脱線事故)。
駅一覧
全駅が北海道内に所在
本線
- 停車駅
- すべての駅・信号場で列車交換が可能
駅番号 | 駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 接続路線・備考 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|
H14 | 南千歳駅 | - | 0.0 | 北海道旅客鉄道:千歳線(本線・新千歳空港支線) | 千歳市 |
駒里信号場 | - | 5.4 | |||
西早来信号場 | - | 11.7 | 勇払郡安平町 | ||
K15 | 追分駅 | 17.6 | 17.6 | 北海道旅客鉄道:室蘭本線 | |
K16 | 東追分駅▽ | 4.0 | 21.6 | ||
K17 | 川端駅 | 5.4 | 27.0 | 夕張郡由仁町 | |
滝ノ下信号場 | - | 30.3 | 夕張郡栗山町 | ||
K18 | 滝ノ上駅 | 8.8 | 35.8 | 夕張市 | |
K19 | 十三里駅▽ | 4.4 | 40.2 | ||
K20 | 新夕張駅 | 2.8 | 43.0 | 北海道旅客鉄道:石勝線(夕張支線) | |
楓信号場 | - | 48.7 | |||
オサワ信号場 | - | 55.7 | 勇払郡 むかわ町 | ||
東オサワ信号場 | - | 59.6 | |||
清風山信号場 | - | 67.3 | 勇払郡占冠村 | ||
K21 | 占冠駅 | 34.3 | 77.3 | ||
東占冠信号場 | - | 81.3 | |||
滝ノ沢信号場 | - | 85.7 | |||
ホロカ信号場 | - | 92.6 | |||
K22 | トマム駅 | 21.3 | 98.6 | ||
串内信号場 | - | 104.2 | 空知郡 南富良野町 | ||
上落合信号場 | - | 108.3 | (根室本線と石勝線との実際の接続点) | ||
新狩勝信号場 | - | 113.9 | 上川郡新得町 | ||
広内信号場 | - | 120.1 | |||
西新得信号場 | - | 125.6 | |||
K23 | 新得駅 | 33.8 | 132.4 | 北海道旅客鉄道:根室本線(営業上の接続点) |
- 上落合信号場 - 新得駅間は根室本線と重複
- かつて旅客駅であった信号場
- 楓駅(3代目):2004年3月13日旅客扱い廃止、現・楓信号場
夕張支線
- 全列車普通列車(全駅に停車)
- 新夕張駅以外では列車交換不可
- 全駅が夕張市内に所在
駅番号 | 駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 接続路線 |
---|---|---|---|---|
K20 | 新夕張駅 | - | 0.0 | 北海道旅客鉄道:石勝線(本線) |
Y21 | 沼ノ沢駅 | 2.7 | 2.7 | |
Y22 | 南清水沢駅 | 4.0 | 6.7 | |
Y23 | 清水沢駅 | 1.5 | 8.2 | |
Y24 | 鹿ノ谷駅 | 6.6 | 14.8 | |
Y25 | 夕張駅 | 1.3 | 16.1 |
廃止区間
- 接続路線の事業者名・路線名は当区間廃止時。全駅夕張市に所在。
駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 接続路線 |
---|---|---|---|
紅葉山駅 | - | 0.0 | 日本国有鉄道:夕張線(本線) |
楓駅 | 4.5 | 4.5 | |
登川駅 | 3.1 | 7.6 |
廃止後は紅葉山から楓 - 登川地区境界までのほとんどが国道274号(三川国道)に利用されている。代替交通機関として夕鉄バスがある。
廃駅・廃止信号場
廃止区間内のものをのぞく。
- 鬼峠信号場:1986年廃止、清風山信号場 - 占冠駅間(南千歳駅起点72.5 km)
過去の接続路線
夕張地域の炭鉱から産出される石炭の輸送を目的とした私鉄・専用鉄道が分岐していたが、現在ではそのすべてが廃止されている。
- 沼ノ沢駅:北海道炭礦汽船真谷地炭鉱専用鉄道 - 1987年10月13日廃止
- 清水沢駅:三菱石炭鉱業大夕張鉄道線 - 1987年7月22日廃止
- 鹿ノ谷駅:北海道炭礦汽船夕張鉄道線 - 1975年4月1日廃止
脚注
関連項目
テンプレート:北海道旅客鉄道釧路支社- ↑ 1.0 1.1 1.2 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
- ↑ 各種データ - 北海道旅客鉄道
- ↑ 87%が採算割れ路線のJR北海道 新たな赤字ローカル存廃論議浮上も - 北海道新聞、2014年5月10日(インターネット・アーカイブの2014年5月12日のアーカイブ)。
- ↑ 根岸線、長崎本線長崎トンネル経由の新線(浦上線)、岡多線、瀬戸線、伊勢線などと同ランク
- ↑ 鵡川 - 邊富内 - 右左府の区間は、一部が北海道鉄道金山線として開業し、のちに国鉄富内線となって開通したが、1986年に廃止された。
- ↑ 昭和52年度から54年度までの3カ年の貨物輸送密度が幹線とされる4,000t以上あった。
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 輸送量増加に対応、橋梁部分以外の腹付け施行:北海道鉄道百年史下巻p67 国鉄北海道総局1981
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 8.6 1930年の夕張鉄道全通による輸送量減少のため:北海道鉄道百年史下巻p67、68 国鉄北海道総局1981
- ↑ “狩勝新線開通”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1966年10月1日)
- ↑ “石勝線きょう開業”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1981年10月1日)
- ↑ テンプレート:PDFlink - 北海道旅客鉄道プレスリリース 2011年5月28日
- ↑ 特急脱線:800メートル手前 車両下部の部品2個が落下テンプレート:リンク切れ - 毎日新聞 2011年5月28日