木梨憲武
テンプレート:Infobox お笑い芸人 木梨 憲武(きなし のりたけ、1962年(昭和37年)3月9日 - ) は、日本のお笑いタレント、歌手である。
目次
概要
- 出身 : テンプレート:Flagicon 日本・東京都世田谷区千歳台
- 身長 : 178cm
- 体重 : 60kg
- 趣味 : サッカー、競馬、絵描き、ゴルフ、サーフィンなど
- 特技 : 手打ち食い、サッカーボールを頭にのせるなど
- 嫌いな食べ物 : らっきょう[1](元々は好きだったが相方の影響で食べられなくなった)
- お笑いコンビ『とんねるず』の小さい方、相方は石橋貴明。
- 芸能事務所アライバル代表取締役副社長兼タレント。
- その飄々とした体躯から繰り出される細やかで、ライン際スレスレに「画」の中に収まってくる当て勘のいい動きによる芸風が特徴。この芸風は岡村隆史らにも影響を与えている。
- 妻は女優の安田成美で、間に2男1女。自由民主党所属の杉並区議会議員:木梨盛祥は従兄弟にあたる。
- 愛称 : 「ノリ(憲)さん」。石橋貴明とヒロミの2人は「憲武」と呼ぶことが多いが、ときどき「ノリちゃん」と呼ぶこともある。また藤井フミヤは普段から「ノリちゃん」と呼んでいる。
略歴
- 世田谷区千歳台の自転車店(現在は祖師谷に移転)「木梨サイクル」を経営する父・作三の長男として生まれる。相方の石橋が極端な貧乏だったのに対し、中流家庭で育った。
- 世田谷区立千歳中学校卒業。同中学の先輩に坂本龍一、うじきつよしらがいる。辺見えみりは小中学校の後輩。
- 1977年に帝京高校へ入学し、サッカー部に入部。部室での喫煙がばれてレギュラーから外されるが、部内ではムードメーカーで、当時同校の野球部にいた同級生の石橋とよくコンビを組んでネタをやっていた。[2]
- 高校時代、日本テレビ系のバラエティ番組『TVジョッキー』の一般参加コーナー「ザ・チャレンジ」に出場。木梨は正司歌江(かしまし娘)・和田アキ子・ルパン三世等のものまねを披露し、5代目チャンピオンとなる。当時、石橋も同番組の常連参加者であり、木梨が同番組のグランドチャンピオン大会へ出場した際に石橋が友情出演したのがテレビでの初共演となる。
- 高校卒業後の1980年、東京都内の東京ダイハツ販売の杉並営業所に就職。
- 同時期、所ジョージ司会のバラエティ番組『ドバドバ大爆弾』(テレビ東京系)にも出場。あと一息のところで賞金100万円を獲り逃がす。ちなみに同番組を経てデビューしたタレントに野沢直子やブラザー・コーン(バブルガム・ブラザーズ)がいる。
- 1980年7月、『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)に石橋とのコンビ「貴明&憲武」として出場する。
- 1981年、『お笑いスター誕生!!』の勝ち抜き6週目から現在のコンビ名「とんねるず」に改名。
- 公式サイト では、とんねるずの結成時期は「1980年」と記載されている。
- 1982年4月、ついに『お笑いスター誕生!!』で10週勝ち抜きグランプリを獲得。
- プロデビュー後2~3年は下積みの日々を過ごしたが1984年にブレイク。『オールナイトフジ』、『夕やけニャンニャン』(共にフジテレビ)の出演などで若者のカリスマ的存在となり、一気にスターの階段をかけ上っていった。
- 1984年 - 1986年に深夜ドラマの草分け『トライアングル・ブルー』に可愛かずみ、川上麻衣子、柄沢次郎、前田耕陽等と共演する。
- 1994年、映画『そろばんずく』(1986年)で共演したことがきっかけとなり交際していた女優・安田成美と結婚。
- 1996年、大晦日の『第47回NHK紅白歌合戦』に「憲三郎&ジョージ山本」として出場。
- 2004年 - 2007年、2012年、単独ライブ『NORITAKE GUIDE LIVE』を開催。
- 2010年、コンビ結成30周年を迎える。
- 2012年現在、木梨単独のレギュラー番組はなくなり、とんねるずとして『とんねるずのみなさんのおかげでした』が唯一のレギュラー番組である。その他コンビとしての略歴はとんねるずを参照。
芸風・仕事
芸風
コントなどでは、その高い表現力を生かしたキャラで独特の奇特人間を演じる。
かつては「運動神経のいい芸能人」ナンバーワンの地位を築いていたこともあり、運動センスの良さから生み出されるコミカルな動きは木梨独特の芸風の一つとなっていた。ドラマ『お坊っチャマにはわかるまい!』のオープニングでは交差点の真ん中で後方宙返りを披露した。1999年まで開催されていたとんねるずのコントライブ「こんと いん なえば」では、ときどき繰り出されるアドリブの動きで石橋や他の共演者の度肝を抜かすこともしばしば。また、ツッコミにおいても、軽く叩けばすむところを本気でグーパンチしたり延髄蹴り、ドロップキックを見舞うなど、奇想天外な発想の動きが目立つ。
音楽活動
1996年には山本譲二とデュオを組み「憲三郎&ジョージ山本」名義で原譲二楽曲による「浪漫-ROMAN-」でヒットを飛ばした。半年後の1996年大晦日の『第47回NHK紅白歌合戦』に出場を果たした。ちなみに木梨は『NHK紅白歌合戦』において別名義での初出場3回(1991年:とんねるず、1996年:憲三郎&ジョージ山本、1999年:野猿)という珍しい経験の持ち主となっている(現在も初出場最多タイ記録で、他の4人は歌手活動を本業としている)。また同じ日に行われた『第38回日本レコード大賞』で企画賞を受賞している。また『木梨サイクル』で共演して意気投合した忌野清志郎とサッカー日本代表への応援ソングも出している。リリースはされなかったが『とんねるずの生でダラダラいかせて』で宇治田みのると共に「サーフノリダーズ」を結成して1曲イメージソングを作っている。
俳優活動
1998年の『甘い結婚』で連続ドラマ初主演。すれ違いになった夫婦を描いたシリアスなドラマで木梨は夫役を演じた。また主題歌だった『Time goes by』はミリオンを記録しEvery Little Thing史上最大のヒット曲となっている。2004年スペシャルドラマ『にんげんだもの -相田みつを物語-』では相田みつをを演じている。また声優として『ファインディング・ニモ』の日本語吹き替え版で主役のマーリンを担当し、興行収入100億円を超える大ヒットを記録した。
人物
イメージ
とんねるずとしてのデビュー直後は、相方である石橋が横山やすしの様な破天荒ぶりで番組内で強烈なまでの暴走を繰り返すのに対し、木梨はその石橋をなだめたりする西川きよしのような「ストッパー」的な役割を果たしているとの印象が強かった。実際、とんねるず活動初期は女子的な言い回し(「やだーうそー」「しんじらんな~い」など)を多用する、暴れる石橋を実況風に説明する、コントでは奇特な女性のキャラクターを演じるのはほとんど木梨である、などの行動から相対的に「良い人」と見られるイメージがあった。しかし、石橋とともに暴れたりする際には、木梨のほうが大暴れしているというシーンもあるなど、ある意味石橋よりも過激な一面も持ち合わせている。しかし、木梨のイメージはソフトなものとして統一されている。本人曰く、とんねるずのいい人担当。
趣味・嗜好
嗜好としてはかなりの庶民派で、大のごはん党。『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「食わず嫌い王決定戦」ではゲストのお土産にごはんに合う食べ物が出てくるとごはんを用意してもらい、周囲を顧みないほど没頭して勢い良く食べるシーンが展開される。『SMAP×SMAP』の「BISTRO SMAP」にゲスト出演した際は、オーダーとして「ごはんに合うおかず」をリクエストした[3]。また『おかげでした』の企画「ヨンダーバード」で、ハイチュウの売れ筋を並べる問題が出題された際、他の出演者よりも熱く語った事もあった[4]。マシュマロなどの小さな食べ物を片手に乗せ、もう片方の手で叩いて飛ばし、口で受け止めて食べる「手打ち食い」の名人でもある。
また、各所で牛丼チェーン「吉野家」の素晴らしさを何度も公言したため、吉野家から「名入りのどんぶりおよび湯呑み」が贈られた。その後『生ダラ』の企画「ノリさんの“日本の職人”第1弾!牛丼職人に挑戦」にて勝俣州和・山口もえなどの番組出演者数名と共に吉野家1日体験入店を行い、終了後吉野家(当時・吉野家D&C)本社から顔写真付きの「牛丼並盛り半永久無料カード」が贈呈された[5]。また『生ダラ』の企画でハンバーガーチェーン「日本マクドナルド」の研修に行った際、同じく研修に参加した勝俣州和・坂下千里子と共に「半永久バリューセット無料カード」なるものを贈呈され、感涙にむせぶほどの喜びを表した[6]。また、「餃子の王将」のファンでもある。
趣味もゴルフ、競馬、サッカー、アートと多彩。特にアートは、木梨のライフワークの一つともなっている(後述参照)。
伊藤蘭の大ファンで、キャンディーズの解散コンサートにも行ったほど。「新・食わず嫌い王決定戦」で伊藤蘭と共演したときはすっかり舞い上がり、伊藤がおみやげに持ってきたチーズケーキの手打ち食いを試みて失敗した[7]。また、伊藤の夫でもある水谷豊からは「目を見て、こいつはキケンだと思った」と言われた過去を持つ。
競馬予想家として新聞などに登場するときは「木梨ノリゾー」というペンネームを使っており、1990年代には競馬エイトにコラム「私だけの予想ですので」を掲載していた。ちなみに木梨がよく利用する競馬場は、中央開催以外は、公営大井競馬場である。タレントの見栄晴とは競馬仲間である。また清水圭からとあるレースで迷うだけ迷ったあげく気づいたら全通りの馬券を買っていたというエピソードを暴露された。
相方の石橋共々、絶叫マシンが苦手。テレビ番組のロケでラスベガスの絶叫マシンに乗って以来、それがトラウマになってしまった。その後、『とんねるずのみなさんのおかげでした』のモジモジくんのゲームに負け、14年ぶりに絶叫マシンに乗ることになったが、よだれを垂らしたり、「ちっとも楽しくない」と言っていた。
スポーツ
サッカーが得意で元祖サッカー芸能人とも言われる[8]。小学校の時からサッカースクールに通い、脚本家の三谷幸喜とはチームメイトだったが木梨は2軍、三谷は13軍だったという。帝京高校時代の同期には三菱重工業サッカー部(現:浦和レッドダイヤモンズ)でプレーしたサッカー解説者の川添孝一、浦和Jrユース監督の名取篤、競輪選手の小門洋一がいる。川添は「同級生の中で1年生の時に最初に試合に出たのは木梨だ」とテレビで発言している。
3年生の時に全国高等学校サッカー選手権大会東京都予選メンバーに選ばれ、決勝戦で途中出場した経験もある実力の持ち主だったが、部室での喫煙が見つかったこともあって、全国大会では直前にベンチ入りメンバーを外されている[8]。芸能人チームのザ・ミイラの選手として国立霞ヶ丘陸上競技場でプレーしたこともある。
現在も芸能界随一のサッカーフリークであり、ワールドカップフランス大会前は、番組の企画でヨーロッパでプレーする名選手達にPK対決を仕掛けるなど、日本代表の盛り上げに一役買った。『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「きたなトラン」などでは、「サッカーの王様」ペレのサインを真似て「ペレ入りました~」と店の壁にサインをするのが恒例となっている(気分が乗っている時など「じーこ」の文字が加わることもある)。
交友関係
- 『笑っていいとも』のテレフォンショッキングに単独で初出演した際、付き添いとして研ナオコが「この子一人で喋れるか心配だから」と言って登場した。ちなみに、木梨を紹介したのは現夫人の安田成美で、木梨は相方の石橋貴明を紹介した。
- 俳優の中井貴一、佐藤浩市とはゴルフ仲間であり、これにヒロミを加えた4人のゴルフ番組がテレビ朝日系列で不定期に放送されている。ヒロミや藤井フミヤとは20代の頃から公私問わず交流があり、家族ぐるみの付き合いがある。
- 音楽プロデューサーの矢吹俊郎とは中学時代の同級生であり、木梨の友人とは矢吹もなぜか仲良くなるという。それが縁で矢吹がプロデュースする水樹奈々のライブを見に行っていることを2010年6月17日放送の『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「新・食わず嫌い王決定戦」にて水樹がゲスト出演した回において明かす。そのときは、矢吹もスタジオに来ていた。また、2014年7月12日に大阪で行われた水樹のライブにサプライズゲストとして登場した[9]。
- 俳優の水谷豊とは後述の「カリフォルニア・コネクション」込みでレコード会社の先輩後輩込みでお互いの家族を交えて、長い交友関係であることが『SONGS』で発覚した[10]。また、水谷豊コンサート最終日にサプライズゲストとして西瓜を持って登場した。
その他
ファッションセンスの良さはお笑い界のみならず、芸能界でも随一との評判。ココリコ・遠藤は木梨のファッションを真似することが多い、と公言(しかし遠藤は、元夫人である千秋から「憲武さんは線が細いから似合う服装なんだからあなたが着ても似合わない」と止められていたという)。
かつては著名人長者番付(高額納税者ランキング)の上位ランカーであった。
私生活では独身時代は業界有数のプレイボーイで知られ、旧知の間柄であったブラザー・コーンに「若い時は朝まで飲んで何件もの店に入り浸り店を潰した事もあった」と言われるほどであったが、近年は仕事絡みの付き合い以外は歓楽街に繰り出すことはなく、若手や同世代のコメディアン仲間とも仕事を超えた範囲での交際も減り、夜は他の芸人の深夜番組なども見ず夜9時前後で就寝し朝は4時頃に起きるという全盛期とは様変わりした生活を送っていると番組などでは話している。
1991年に盲腸(虫垂炎)で入院。同年10月31日の『とんねるずのみなさんのおかげです』で、「緊急放送!盲腸で倒れる 木梨憲武さんを偲んで…」と木梨が死亡したという設定で、生放送の「追悼特番」を放送。木梨の大きな遺影とそれを取り囲むたくさんの菊の花をバックに、石橋と野崎昌一(当時フジテレビアナウンサー)が悲しみをこらえて語っている背後から、緑のジャージ姿の木梨が現れるというもの。これは同番組のプロデューサー・石田弘が考えた視聴者へのドッキリ企画で、放送終了後フジテレビには約800件もの抗議の電話が殺到した。また木梨自身も、親戚のおばあちゃんにこっぴどく叱られたという。なお、このドッキリでは通常では追悼特番で用いられる「亡くなられました」という言葉は一切使われておらず、「信じられない事になってしまいました」とあくまでも彷彿させる程度の言葉を用いている。余談ながら、この放送の最中に「『塗装業者の誘拐殺人』などの容疑で手配されていた元警察官が逮捕されました」とのニュース速報テロップが出るという一幕もあった。
2002年12月26日放送の『うたばん』(TBS)の「とんねるずVSSMAP」にてとんねるずチームが勝利した際、カメラに賞品である照明をぶつけてしまい『オールナイトフジ』以来のカメラ倒しをしてしまった(この時SMAPの中居正広は「オールナイトフジ以来!」と客を煽っていた)。このときは結局カメラは無事だった。
芸能界屈指のハワイ通で、今まで100回以上公私含めてハワイを訪れている。2013年は年間で9回行った[11]。BSフジで『木梨目線! 憲sunのHAWAII』を放送したときには、王貞治から称賛を受けた。
2014年とんねるずが『笑っていいとも!』のレギュラーに決定。木梨は、レギュラー決定後すぐの1月23日放送にて、笑福亭鶴瓶が話そうとした瞬間にスタジオの天井からワイヤで降下し、彼の首を絞め上げる、という登場シーンをした。司会のタモリ氏によると、(この登場方法は)いいとも史上初めて、とのことである。[12]この後、とんねるずのパフォーマンスが続いている。
作品
創作活動
2013年までに7回の個展を開いており、画風は赤を基調とした抽象画・スケッチに文字を書き加えた風景画・シンプルな色表現の静物画がある。インターネット上でインタラクティブな手法を用いた前記の作品展示を行なう一方で、ゲームのキャラクターデザインも手掛ける。
- 1994年: 初めての個展『太陽ニコニカ展』を名古屋 PARCO で開く(「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」の企画も兼ねていたため、2000年開催の個展まで、アーティスト名は同番組内でのキャラクター「木梨憲太郎」としている)
- 1996年: 仙台七十七銀行の貯蓄預金通帳の表紙デザイン
- 1996年: アーケードゲーム『マーヴル・スーパーヒーローズ VS. ストリートファイター』の「憲磨呂」キャラクターデザイン、および声の出演
- 1997年: 絵本『のりたろうのー、えほんのー、はがきのー』『のりたろうのー、ぬりえのー、はがきのー』をミキハウスより出版
- 1997年: 大相撲・土佐ノ海の化粧回しをデザイン
- 1998年: 営団地下鉄(現:東京メトロ)のポスターをデザイン
- 2000年: 第2回の個展『きなしのりたけのてんらんかい』をフジテレビで開く(以降、アーティスト名は「木梨憲武」としている)
- 2002年: 第3回の個展『SCORE展』を東京都渋谷区の代官山ヒルサイドフォーラムで開く
- 2003年: 第4回の個展『GO WITH THE FLOW展』を東京都渋谷区の代官山ヒルサイドフォーラムで開く
- 2003年: 『第114回アンダパンダン展』(フランス)に作品を出展。図録の巻頭に作品が掲載される
- オムニバスCD『AdagioLounge classics〜』のジャケット
- 後藤次利のアルバム『do not disturb』のカバーデザイン
- 俳優・中井貴一の著書『日記』の表紙デザイン
- 2006年: ミズノから長嶋茂雄直筆メッセージをプリントした「3番Tシャツ」をデザイン
- 2008年: 第5回の個展『木梨憲武 色の世界展 in KYOTO』をJR京都駅内美術館「えき」で開く(6万人を動員)
- 2008年: 上記の個展のエキシビジョン『NORITAKE KINASHI EXHIBITION』を3116 GALLARYで開く
- 2008年: 8月27日~8月31日開催の『AFWP2008JAPAN 第三回世界平和美術祭典』に作品出展
- 2009年: 9月27日開催の『TOKYO!TOKYO!!TOKYO!!!展』に作品出展
- 2010年: 第6回の個展『NORITAKE KINASHI SPOT AOYAMA TOKYO 2010』を東京都港区南青山のフォーラムギャラリーで開く
- 2013年: 第7回の個展『木梨憲武美術館2・愛と希望と光とカピオラニ公園と私と京都』をJR京都駅内美術館「えき」で開く
- 2014年: 第8回の個展『木梨憲武展×20years INSPIRATION-瞬間の好奇心』を東京都上野の上野の森美術館で開く。その後、石川県の金沢21世紀美術館、岩手県の盛岡市民文化ホール、兵庫県の兵庫県立美術館で巡回予定されている。
音楽作品
コンビを離れて単独で活動しているもののみ。コンビでの音楽活動に関しては「とんねるず」を参照。
- 憲三郎&ジョージ山本-「浪漫-ROMAN- 」(1996年5月17日発売 - OYAJI RECORDS)
- 作詞:原譲二 、 作曲:原譲二 、 編曲:川村栄二
- 山本譲二との演歌デュオ。同年の『第47回NHK紅白歌合戦』にも出場した。
- 木梨憲武 + 忌野清志郎-「ガンバレ日本」(2002年6月12日発売 - ワーナーミュージックジャパン)
- 作詞:忌野清志郎 、木梨憲武 、 作曲:忌野清志郎
- サッカー日本チーム応援歌「ガンバレ日本」で唄と作詞を担当。
- あじさい-「二人だけの世界」(2006年10月18日発売 - ポニーキャニオン)
DVD
- 竜馬の妻とその夫と愛人(2003年5月21日発売)
- NORITAKE GUIDE FREE LIVE(2004年10月20日発売)
- NORITAKE GUIDE2 PEACE LIVE(2005年9月21日発売)
- NORITAKE GUIDE3 ~9975 PARTY LIVE~(2006年10月18日発売)
- NORITAKE GUIDE4 ONE HALF LIVE(2007年10月3日発売)
出演作品
木梨憲武としての出演作品を記載。コンビでの出演作品はとんねるずの項目を参照。 (ゲスト出演番組は除く)
現在の出演作品
- 木梨目線! 憲sunのHAWAII(2012年1月1日・7月14日、2013年1月1日・7月13日、2014年1月1日・5月3日 BSフジ)[13]
過去の出演作品
テレビ番組
- レギュラー番組
- 木梨サイクル(2001年11月2日 - 2002年9月27日、フジテレビ)
- 木梨ガイド・週末の達人(2002年10月4日 - 2005年3月25日、フジテレビ)
- ゲンセキ(2005年4月6日 - 2005年9月28日、TBS)
- 10カラット(2005年10月5日 - 2006年3月29日、TBS) - 月1回の出演
- 未来創造堂(2006年4月7日 - 2009年9月25日、日本テレビ)
- お茶の水ハカセ(2009年11月17日 - 2011年3月1日、TBS)
スペシャル番組
判明分のみ(ゲスト出演番組は除く)
- 木梨憲武のサッカーだ!(1993年、テレビ朝日)
- 年末ジャンボ生特番!憲武・ヒロミとゆかいな仲間がテレビでやりたかったこと50(1999年、テレビ朝日)
- 木梨憲武のてんらんかい(2000年、フジテレビ)
- 所・憲武・ヒロミのこんな番組ダメですか?(2000年、テレビ朝日)
- 木梨憲武の世界のサッカーがやってきます。私たちの心構え(2002年、フジテレビ)
- ジダン 〜W杯 英雄伝説・『10』の系譜〜(2002年、フジテレビ)
- 俺たちの全英オープン(2004年、テレビ朝日)
- 木梨憲武のVS(2005年、テレビ朝日)
- BS朝日開局10周年スペシャル・木梨憲武のデザインってなんだ!? 〜ガウディの愛した街・バルセロナ篇〜(2011年3月27日、BS朝日)
- 祝!木梨憲武生誕50周年・はじめてのキナシ(2011年7月1日、テレビ朝日)
- 木梨憲武 ニューヨークMOMAの謎〜アートになるモノ ならないモノ〜(2013年4月28日、BS朝日)
ドラマ出演
コントを中心とした芸風から、その高い演技力を買われて数多くのドラマ・映画にも出演している。ただし40歳を迎える前あたりからはコミカルな役周りだけでなくシリアスな中年役を演じるケースも増えている。
- 3番テーブルの客(1996年、フジテレビ) - 演出も担当している。
- 甘い結婚(1998年1月 - 3月、フジテレビ)
- リストラ刑事(1999年、TBS)
- 小市民ケーン(1999年7月 - 9月、フジテレビ)
- 夏休みのサンタさん(2001年、日本テレビ)
- テレビ朝日開局45周年記念ドラマスペシャル「弟」(2004年11月17日 - 11月21日)※第3夜(11月19日)
- テレビ朝日開局45周年記念ドラマスペシャル 「にんげんだもの -相田みつを物語-」(2004年12月11日放送)
- わが家の歴史(2010年4月9日、フジテレビ)
映画
- ウルトラマンゼアス(1996年、松竹/円谷プロダクション)
- ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影(1997年、松竹/円谷プロダクション)
- 竜馬の妻とその夫と愛人(2002年、東宝)
- ファインディング・ニモ(日本語吹替の声優として)(2003年、ディズニー/ピクサー)
- 笑の大学(2004年、東宝)(隠れキャスト)
- 明日の記憶(2006年、東映)(友情出演)
- ポストマン(2008年、ザナドゥー)(特別出演)
- ウォーキングwithダイナソー(日本語吹替の声優として)(2013年、20世紀フォックス)
舞台
2004年から単独のライブを開催している。内容は、歌・コント・ゲストとのフリートークなど。
- NORITAKE GUIDE FREE LIVE(2004年)原宿クエストホール
- NORITAKE GUIDE II PEACE LIVE(2005年)原宿クエストホール
- NORITAKE GUIDE 5.0(2012年3月8日 - 10日)日本橋三井ホール
CM
- 明治生命(2000年)
- toto
- タカタ (チャイルドシート「MiLiB」)
- 日本マクドナルド(Fish McDippers)(2004年)
- 「フィンガー篇」
- 「Dipを楽しもう篇」
- 日立製作所(「WOOO」DVDレコーダー) (2004年6月19日 - )
- 味の素(Cook Do)※降板後は妻の安田成美が出演。(共演はしていない。)
- サッポロビール(サッポロドラフトワン)
- HONDA(ZEST)中島知子、小清水一揮らと共演。
- 「東京タワー篇」(2006年2月24日 - )
- 「シマウマ篇」(2006年3月 - )
- 「ゾウ篇」(2006年12月 - )
- 「カルガモ家族篇」(2007年6月 - )
- KDDIひかりone(現・auひかり) (木村カエラと共演、2006年 - 2007年)
- 「得意なことが違う篇」
- 「どっちがいい?篇」
- 「アニメにしない?篇」
- 「みてね!(1)篇」
- 「みてね!(2)篇」
- 「ぜんぶひかりで篇」 (2007年2月 - 12月)
- カルピス(アミールS・健茶王)
- サンヨー食品(サッポロ一番) (2008年9月5日 - )
- アサヒビール(麦搾り)(2009年9月15日 - )
- ディー・エヌ・エー
- Yahoo!モバゲー(2010年10月7日 - )ヒデキ西城に扮して西城秀樹と共演。
- モバゲータウン(怪盗ロワイヤル) (2010年10月 - )
その他
- 水谷豊「カリフォルニア・コネクション」(アルバム『TIME CAPSULE』収録曲)のPV(2008年)
- 「食事友達代表」として、警察官の役として友情出演している。このアルバムでは「SNOW BIRD」でコーラスにも参加している。
- 2009年6月17日放送の『SONGS(第94回)水谷豊』では山中湖でサプライズゲストとして登場した。
- バブルガム・ブラザーズ「Daddy's Party Night(懲りないオヤジの応援歌)」のPVに矢島美容室の矢島マーガレットに扮して参加(2008年)
書籍
- のりたろうのー、えほんのー、はがきのー。(1997年)ISBN 4895883183
- のりたろうのー、ぬりえのー、はがきのー。(1997年)ISBN 4895883191
ものまねレパートリー
相方・石橋貴明のものまねをする人が多いが、木梨のものまねをする人は少なく、原口あきまさが唯一するのみ。ちなみに原口は石橋のまねもする。
木梨自身もものまねをするが、番組スタッフやその他一般人など伝わりづらいものが多い。
- 青江三奈(ミナ青江)
- 秋元康
- 新井規矩雄
- 石井竜也(カールスモーキー石井)
- 五木ひろし(ひろし5木・ヒロシ五木)
- 井上陽水
- 欧陽菲菲
- 大川慶次郎
- 河村隆一
- 川本真琴
- 北島三郎(サブ北島・憲三郎)
- 木梨作三(木梨の実父)
- 木部さいち(木梨の親戚のおじさん・木梨サイクルの上の階にある「なごみ堂」の御主人のお兄さん)
- 木部勉(上記の木部さいちさんのものまねをしたあと『その弟のつーちゃん』として披露。「なごみ堂」の御主人)
- 黒柳徹子(憲柳憲子)
- 高校時代によく通ったパン屋のおじさん(このネタは高校の同級生であった相方の石橋にしか通用しない)
- 帝京高校時代の学食のおじさん(野球部とサッカー部の学生に対しては「あーい、あーい」と言って代金を受け取ろうとしない)
- 郷ひろみ(ヒロミGO)
- 小堺一機
- 西城秀樹(ヒデキ西城)
- 佐伯伽耶
- 堺正章
- さだまさし(まさしさだ)
- 柴田恭兵
- 子門真人
- 正司歌江
- 鈴木正人(フジテレビディレクター。通称「スーさん」)
- 鈴木雅之
- 武田真治
- 武田鉄矢(金八先生)
- 谷村新司
- 玉置浩二
- CHARA
- 露木茂
- 露口茂(山さん)
- 所ジョージ
- 長渕剛
- 野際陽子
- 柱谷哲二
- 畑正憲(畑ノリゴロウ)
- 針すなお
- 古舘伊知郎(古舘イチロー)
- 堀内孝雄
- BORO
- マーク・パンサー
- マイケル・ジャクソン(マイコ―・ジャクソン)
- 前川清
- 槇原敬之
- 松任谷由実
- 松山千春
- Mr.マリック(Mr.ノリック)
- 美空ひばり
- 港浩一(フジテレビ執行役員編成制作局バラエティ制作センター担当局長兼局内監査。通称「小港さん」「小港部長」)
- みのもんた(みのりもんた・みのりかわノリ男・みごもった)
- 森進一(森進一郎)
- 森本レオ(憲本レオ)
- 矢沢透
- 八代亜紀(アッキー八代)
- 安田祥子
- 山本譲二(ジョージ山本)
- 由紀さおり
- ラモス瑠偉
- 和田アキ子(アッコ和田)
など。 以前はルパン三世もときおり披露していたが、栗田貫一のブレイク後は封印していた。2006年のソロライブにて久々に披露した。
コントオリジナルキャラクター
- ノリ男
- ノリ子
- ノリユキ
- のりえ
- 憲太郎
- 憲磨呂(対戦型格闘ゲーム「マーヴル・スーパーヒーローズ VS. ストリートファイター」にも登場してる)
脚注
- ↑ 『とんねるずのみなさんのおかげでしたとんねるず結成30周年スペシャル』2010年3月25日放送内の「食わず嫌い王決定戦とんねるず対決スペシャル」より
- ↑ INLIFE 男の履歴書 木梨憲武
- ↑ 2002年9月23日放送
- ↑ 2005年11月10日放送
- ↑ 2000年1月19日、1月26日放送
- ↑ 2000年5月3日放送
- ↑ 2000年4月20日放送
- ↑ 8.0 8.1 テンプレート:Cite news
- ↑ LIVE FLIGHT☆AIR12大阪2日目っ! - 水樹奈々 公式サイト NANAPARTY。2014年7月13日閲覧。
- ↑ 2009年6月17日放送
- ↑ 2014年2月9日放送『笑っていいとも!増刊号』より
- ↑ 『木梨憲武、『いいとも!』に“降臨” タモリ「いいとも史上初めて」』オリコン 1月23日(木)12時28分配信
- ↑ 木梨憲武、ハワイでのナンパ明かす「運命の出会いあった」