見栄晴

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テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:ActorActress 見栄晴(みえはる、1966年11月13日 - )は、日本のタレント俳優。本名及び旧芸名は藤本 正則(ふじもと まさのり)。東京都出身。浅井企画所属。東京都立調布北高等学校卒業。東海大学工学部中退。

本名名義で、一口馬主の会社である株式会社ゴールドレーシングの代表を務めていた[1]

来歴・人物

父親を亡くしてから、飲食店を開業した母の手一つで育つ。劇団いろは所属の子役として数々の作品に出演した。

1982年、『欽ちゃんのどこまでやるの!?』の番組リニューアルで学生に成長した見栄晴役のオーディションに参加。最終オーディションで2名残り、悩んだ萩本欽一はこの2人にジャンケンをさせ、「パー」を出して勝った藤本が優勝し、同番組のレギュラーとなって一躍有名になる。この時まではまだ本名の藤本正則で活動していたが、この番組の見栄晴という名前の印象が非常に強かったため、番組が終了してかなり経ってからそのまま芸名を見栄晴として使うようになった。ちなみに「見栄晴」の名前は「欽どこ」で萩本家に長男が誕生した際に視聴者から赤ちゃん(人形)の名前を募集し、同番組内で行った命名式で父親役の萩本が発表した。

その間、通っていた東海大学を8ヶ月で中退。その理由は「やっぱり芸能界の方が楽しいから」。

1990年代前半までは本名を芸名にしていたが、共演者からは見栄晴の印象が強かったため、見栄晴を芸名とした(一時期だけ「萩本見栄晴」と名乗っていた事もある)。

東京競馬場が実家至近にあり、母の店にも競馬場利用者が多く、彼らにも幼少時代からかわいがられていたことから競馬の熱烈な愛好者になる。競馬情報番組の司会も務め、クラブ法人であるゴールドホースクラブの代表取締役も務めた。

1年B組新八先生』に本名の藤本正則で生徒役として出演していて、桜中学シリーズ終了後の特別番組『桜中学大音楽祭』にも出演した。この時、他の生徒達は役名もしくは芸名で呼ばれていたが、見栄晴だけは新八先生役の岸田敏志から生徒役の名前でも本名でもなく「見栄晴」と呼ばれていた。

以前、木梨憲武とは共通の趣味である競馬を通じて親交があった。一時期『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の準レギュラーとして出演していたが、これは木梨の馬券購入のお使いをしてきたお礼に出演させてもらっていたという逸話がある。だが、そのまんま東とのボクシング対決で敗れ、番組降板となった。とんねるずから嫌われたが、後に1994年の『ラスタとんねるず'94フジテレビ)』ではジャイアント将棋(GIANT SHOWGI)の企画で再びとんねるずの番組にでることになり、「ミスターサイボーグ8号」として出場した。石橋チームのメンバーとして2戦連続でボクシングで対決してフラフラになってしまい、敵チームの木梨も彼の無様な姿に大激怒した。見栄晴がメンバーの一員として参加することを聞いた石橋は、「捨て駒」として早めに出して、大怪我をさせてまでも粗悪に扱って、今後、一切テレビに出られないような身体にして切り捨てる気だったことをカミングアウトした。それを聞いた見栄晴は相当ショックを受け、それ以降はとんねるずの番組に出演することは一切なくなった。

好みの競馬騎手は柴田政人[2]。幼少期に柴田が自宅までやって来て見栄晴を訪問した所、緊張で何もしゃべられなかったと言うエピソードが書かれていた。また小学校時代は府中市立府中第八小学校に通っていたが、同級生に横山賀一元騎手が、一学年下に横山典弘騎手が同校に在籍していた。見栄晴は賀一とはよく遊んでいたという[3]

2007年4月3日に10歳年下の元OLと4〜5年の交際を経て入籍、9月25日には長女が誕生した。

出演作品

テレビ番組(出演中)

テレビ番組(過去)

映画

ビデオ

CM

脚注

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外部リンク

  • ゴールドホースクラブHP内会社概要より。
  • 1987年頃発行の週刊競馬ブックに当時あったコーナー「園麻々家の人々」より。
  • 日刊ゲンダイ2012年1月9日号より。