矢沢透
テンプレート:Infobox Musician 矢沢 透(やざわ とおる、1949年2月6日 - )は、神奈川県横須賀市生まれのミュージシャン。フォークグループアリスのドラマー。柳家金語楼に似ていた事から「キンちゃん」の愛称で親しまれた。
来歴
中学2年でドラムを始め、1965年、ジャズトランペット奏者中野彰のバンド・ボーイに応募して採用され、高校を退学し上京。 1966年、17歳のジャズ・ドラマーとしてデビュー。 1968年、渡辺プロに所属し、ザ・ピーナッツや布施明らのバックバンドをつとめた。 1970年、東京を拠点に活動するプロのソウルバンド「ブラウン・ライス」のゲストドラマーだった矢沢は、1970年の米国ツアーにて関西のフォークシンガーでロック・キャンディーズの谷村新司と出会って意気投合し、帰国後プロのフォークグループとしてともに活動することを約束する。1971年12月25日に谷村と堀内で西心斎橋二丁目にあるビジネスホテル・大阪帝国ホテル[1]の一室にて、矢沢が合流することを前提に「アリス」を結成。翌1972年3月5日、シングル「走っておいで恋人よ」でデビュー。同年5月5日、矢沢が正式に合流し、晴れて現在のアリスになった。
デビュー当初のアリスは、商業的には鳴かず飛ばずの低迷状態が続いていた。そのため、ドラムスの代わりに手軽に運べるコンガを持ち運びながら、メンバーとマネージャーだけで全国各地を回って地道なステージをこなしていた。
アリスの代表曲の多くでは、作詞を谷村、作曲を堀内と谷村、編曲を矢沢が担当している。しかしアルバムには矢沢の作曲した曲も少なくなく、スタジオでは自作曲のヴォーカルも務めた。ライヴではドラムスのみならずピアノの演奏を担当することもある。
アリス活動後期、各メンバーがソロ活動を活発化させる中、矢沢も全曲オリジナルのソロ・アルバム『バラエティ・ツアー』をリリースした。
1981年にアリスが解散した後、John.J.Stanley(ジョン・スタンレー)(ヴォーカル)(のちに八神純子の夫となる)、鷺巣詩郎(キーボード)とともに、ユニット「BLEND」として活動していた。
「BLEND」解散後、六本木にて串焼き屋、神保町にてギターショップを経営しつつ、アリスの単発的な活動再開が三度あり、2000年、2005年、2009年にはNHK紅白歌合戦にも出場している。また、2008年にリリースされた谷村のソロアルバムではアリスの曲「明日への讃歌」がセルフカバーされており、その録音に堀内孝雄とともに参加している。翌2009年の再活動につながった。
2011年より、ギタリストの住出勝則(元シグナル)、滝ともはると3人でHUKUROHというグループを結成。 アリスの初期を彷彿させるコンガのリズムでサウンドの芯を支えている。
関連項目
外部リンク
- RimShot(経営するギターショップ)