日本の政治
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日本の政治(にほんのせいじ)は、日本国憲法に定められた体制に基づいて行われる。そのため、日本は、立憲主義に基づく国家であると言える。また、日本の行政・司法は、憲法と国会が定める法律以下、明文化された法令等に基づいて行われる。そのため、日本は法治国家であると言える。
日本国憲法は、主権が国民に存する国民主権を定める。また、政治上の権力を行政権・立法権・司法権の三権に分け、それぞれを内閣・国会・裁判所に配する権力分立の体制を定める。国会を国権の最高機関とする議会制民主政治が行われ、国会と内閣の協働による議院内閣制が採られる。さらに、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」として、世襲君主である天皇を置く。天皇は国政に関する権能を有しないと憲法で定めており、内閣の助言と承認により「国事行為」を行う。
日本国憲法はまた、地方自治を定める。日本の地方自治は、全国を47の地域に隈なく分けた都道府県と、都道府県の中をいくつかの地域に隈なく分けた市町村の、2段階の地方公共団体によって担われる。すべての都道府県と市町村には、各々、議事機関である議会と執行機関である首長(都道府県知事、市町村長)が置かれる。地方公共団体は、法律の範囲内で条例を制定することができる。
日本国憲法の三大原理としてよく挙げられるのは、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3つである。日本の政治は、この3つの原理と、その根本にある個人の尊重(個人の尊厳)を基調として行われる。
国制・政体
日本の国制(国家の形態)もしくは政体について、講学上、日本は立憲君主制を採る立憲君主国であるとする意見が一般的である。政府見解では、「わが国は近代的な意味の憲法を持っており、その憲法に従って政治を行う国家である以上、立憲君主制と言って差しつかえない」とし、「もっとも、大日本帝国憲法(明治憲法)下におけるような統治権の総攬者としての天皇をいただくという意味での立憲君主制でないことも、また明らかである」とする[1][2]。しかし、憲法学上では一部反論があり[3]、また共和制(共和国)とする議論もある[4]。
立憲君主制であることの根拠は、次の3つに集約される。まず第一に、公選の大統領などを置かないことから共和制であるとは言えないこと。第二に、世襲君主たる天皇を持つこと。第三に、近代的意味の憲法を持つことから専制君主制ではないこと。以上から、日本は立憲君主制を採る立憲君主国であるとする。
一方、共和制であることの根拠は、君主に措定された天皇が、国政に関する直接的・実際的権能を有していないことを最大の根拠とする。現に、政治上の権力を行使するのは、司法部を除き、公選された者を中心として構成され、共和制に準じる体制を採る。さらに、法律によって首相公選制が施かれた場合には、大統領を置く共和制とほぼ変わりなくなる。以上から、日本は共和制を採る共和国であるとする(但し、公選首相を天皇が親任(任命)するという形になれば共和制とは言えなくなる)。
他方、君主制、民主制といった区分によるよりも、民主主義国家と呼ぶのが実態に沿っているとの立場もある[5]。
元首
日本の国家元首については議論がある。その候補には、天皇、内閣総理大臣、その他の機関などが挙げられる。もっとも、そもそも「元首」が日本において何を意味するかについて議論が錯綜しているため、水掛け論になりがちである。諸外国において国家元首とは、三権を統合した国家全体の長を指すが、三権分立の国家では、イギリス女王のように実権を持たない君主、ドイツ大統領のように実権を持たない公選の名誉職、フランス大統領のように行政権を首相と共有する公選の職、アメリカ大統領のように行政府の長を兼任する公選の職などがある。いずれも「行政府の長」を超えた「国家全体の長」ではあるが、その権限は三権分立との関係から(行政権を超えた部分では)形式的なものである。
天皇が元首であることの根拠には、日本国憲法の規定から、次の3点が挙げられる。まず第一に、天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」たる地位であると定めていること(1条)。第二に、行政権の属する内閣の長である内閣総理大臣の任命(6条1項。国会の指名に基づく。)や、司法権を行使する最高裁判所長官の任命(同条2項。内閣の指名に基づく)、および「国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関」(41条)である国会の召集(7条2号)・解散(7条3号)など、内政上の重要な行為の多くを「国事に関する行為」(国事行為)として天皇が行う(主催する)と定めていること(7条。内閣の助言と承認による)。第三に、これも国事行為として、「全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証」すること(公証行為、7条5号)、「批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証」すること(公証行為、7条8号)、「外国の大使及び公使を接受」すること(7条9号)など、通常元首が行うとされている外交上の重要な行為を天皇が行うと定めている(対外代表性)ことなど。これらの規定から、対内的にも対外的にも、天皇が元首であるとする。
また、内閣総理大臣が元首であることの根拠は、主要国首脳会議(サミット)などの国際会議で日本国を代表する立場にあることなどが挙げられる(なお、サミット参加国のうち国家元首が出席するのはアメリカ、フランス、ロシアの3か国のみで、イギリス、カナダは国家元首が女王なのに対しサミット出席は首相、イタリア、ドイツは国家元首が大統領なのに対しサミット出席は首相であり、明らかに誤り)。また天皇の国事行為にはすべて内閣の助言と承認(第3条)を必要とし、天皇は国事行為には無答責であることから、行政権の属する内閣あるいはその筆頭である内閣総理大臣を元首であるとするなど、特定の組織や職権を元首とする意見もある。
政府の公式見解では、天皇は元首であるとする(1990年(平成元年)5月14日の参議院予算委員会における内閣法制局長官答弁)。もっとも、「天皇は国の象徴であり、さらにはごく一部では…外交関係において国を代表する面」もあるという限定された意味における「元首」であるとする。
国の政治
憲法上は国会を「国権の最高機関」と定め、「国の唯一の立法機関」とすることから、付与される政治上の権力は国会が最も大きい(日本国憲法第41条)。もっとも、憲法は、内閣総理大臣に内閣を代表して議案(内閣提出法案)を提出する権限を付与しており(日本国憲法第72条)、国会で成立する法案の大半は内閣提出法案となっている。そのため、実質的には内閣の権限が国会に優越するほど大きく、内閣の下に置かれる行政機関の影響力も非常に大きい(いわゆる行政国家現象の顕在化)。さらに、行政機関の内部では、資格任用制により採用される幹部職員、いわゆる官僚(キャリア公務員)が、政治任用される幹部職(大臣・副大臣・大臣政務官の政務三役)をしのぐ影響力を持っているため、官僚国家であるとも言われる。
また、憲法は、裁判所に違憲立法審査権を付与している(日本国憲法第81条)。裁判所は、法律をはじめとする国の法令や行政行為について、それが憲法に適合しているか否か宣言することができる。この権限は、国家の行為の適否について、終局的に判断する権限であることから、最も強い権限のはずである。このような体制を指して、司法国家と言われる。しかし、裁判所はいわゆる司法消極主義に立つとされ、国会や内閣(いわゆる政治部門)の判断に対し、異議を差し挟むことには謙抑的である。特に、高度の政治性を有する国家行為に対する合憲性の審査は裁判所の権限外とする「統治行為論」を採用した場合、裁判所はただ時の政権に追従するのみになってしまうとの批判がある。なお、司法に主権者たる国民の意見を反映させる機会としては、最高裁判所裁判官に対する「国民審査」制度や刑事裁判における「裁判員」制度などがある。
政治制度(国)
行政
行政権は内閣に属する。
国会議員の中から、国会の議決によって内閣総理大臣が指名される。内閣総理大臣は天皇に任命される。内閣総理大臣は国務大臣を任命し、内閣総理大臣と国務大臣の合議体である内閣を構成する。内閣総理大臣は国務大臣を任意に罷免することができる。内閣総理大臣は国会議員の中から指名されるが、国務大臣は過半数が国会議員であればよい。
以下の場合には内閣は総辞職する。
- 衆議院による内閣不信任→衆議院が解散されないとき
- 内閣総理大臣が欠けたとき
- 衆議院議員の総選挙の後に初めて国会が召集されたとき
立法
日本国憲法は、国会を「国権の最高機関」であり「国の唯一の立法機関」と定める。国会は、衆議院と参議院からなる(二院制)。いずれも国民から直接選挙され、全国民を代表する国会議員で構成される。衆議院議員と参議院議員を兼ねることはできない。
国会議員
衆議院議員の任期は4年だが、衆議院が解散された場合には任期前に資格を失う。衆議院解散は内閣が決定し、天皇が行う。衆議院解散の実質的決定権については論争があるが[6]、今日、内閣は天皇の国事行為に助言と承認を行う立場(日本国憲法第7条)にあることから、実務上、天皇の国事行為に責任を負う内閣が実質的決定権を有するとされる[7]。内閣不信任決議が可決されて10日間に内閣総辞職をしない場合は衆議院解散をしなければならないが(日本国憲法第69条)、それ以外でも内閣は憲法7条に基づいてその裁量により衆議院を解散できると解されている。なお、衆議院解散の実質的決定権という点については学説に争いがあるものの、少なくとも衆議院解散の形式的宣示権は憲法上天皇にあり(日本国憲法第7条3号)[8]、今日、解散詔書の文言については日本国憲法第69条により内閣不信任決議が可決あるいは内閣信任決議が否決された場合か否かを問わず「日本国憲法第七条により、衆議院を解散する。」との表現が確立している。これは衆議院解散は詔書をもって行われるが、詔書の直接の根拠は日本国憲法第7条にあり、また、この文言は解散の理由を問わないため、一般的には、いかなる場合の衆議院解散についても適用しうるものと解されているためである[9][10]。詳細については衆議院解散を参照。
衆議院議員の選挙を総選挙という。参議院議員の任期は6年で、3年ごとに半数が改選される。参議院議員の選挙を通常選挙という。
衆議院の総選挙は小選挙区制と比例代表制(拘束名簿式)が併用される小選挙区比例代表並立制が採用され、参議院の通常選挙は選挙区制(大選挙区制、中選挙区制)と比例代表制(非拘束名簿式)が併用される。定数は、衆議院が480(小選挙区選出議員300、比例代表選出議員180)、参議院が242(選挙区選出議員146、比例代表選出議員96)。
国会の種類・会期
国会は毎年1回の召集が義務づけられており、これを常会(通常国会)という。また、内閣が自ら、あるいは一定数の国会議員の要求により、内閣が臨時に国会の召集を決定することもでき、これを臨時会(臨時国会)という。1992年(平成4年)以降は例年1月に常会が召集され、9月頃に臨時会が召集される。衆議院議員総選挙後には特別会(特別国会)が召集され、内閣総理大臣を指名する。
国会は会期制が採られており、会期不継続の原則と一事不再議の原則が定められている。会期不継続の原則とは、会期独立の原則ともいわれ、継続審議の議決がなされない限り、会期中に議決に至らなかった議案は廃案(消滅)となる原則である。一事不再議の原則とは、一度議決された議案は、同一会期中に再度提出できないという原則である。
常会の会期は150日間で、延長は1回のみ可能。臨時会と特別会の会期はその都度両院一致の議決で定め、延長は2回まで可能。会期の決定及び延長については衆議院の優越が認められ、衆参の議決が不一致の場合及び参議院が議決をしない場合は衆議院の議決による。
立法過程
法律案(法案)は、各々の国会議員、および内閣により提出される。国会議員から提出された法案を議員立法あるいは衆法(衆議院議員が提出した法案)・参法(参議院議員が提出した法案)といい、内閣から提出された法案を内閣提出法案(政府提出法案)あるいは閣法という。現在、1会期における提出法案のうち、おおむね30%が議員立法で、70%が内閣提出法案となっている。成立率(提出された法案のうち成立したものの割合)は、議員立法が20%程度で、内閣提出法案は80%以上。したがって、成立する法律のほとんどは内閣が提出したものである。これは、国会から内閣総理大臣を選出し、その内閣総理大臣が内閣を組む議院内閣制を採っていることの帰結である。内閣総理大臣を輩出する与党と内閣は、協働して内閣提出法案の成立に努める。
内閣提出法案の成立過程
- 内閣提出法案の原案は、それを所管する各省庁が第一次案を作成し、関係省庁や与党との意見調整、審議会への諮問、公聴会での意見聴取などが行われる。
- 法律案提出の見通しがつくと、主管官庁は法文化作業を行い、法律案の原案を作成する。
- 主管官庁で法律案の原案ができると、原案は内閣法制局の予備審査を受ける。内閣法制局では、憲法や他の法令との整合性、法文の配列や用語などについて審査する。
- 予備審査が終わると、主任の国務大臣から内閣総理大臣に対し、国会提出について閣議請議の手続を行う。閣議請議の窓口である内閣官房は、受け付けた請議案を内閣法制局に送付する。内閣法制局は最終的な審査を行い、必要に応じて修正し、内閣官房に回付する。
- 閣議請議された請議案は、閣議において、内閣法制局長官からその概要の説明が行われる。異議なく閣議決定されると、正式な法律案となる。この法律案は、内閣総理大臣から国会(衆議院または参議院)に提出される。
議員立法の成立過程
- 議員は、法律案の策定にあたって、公設秘書・私設秘書、政策担当秘書、議院法制局や国立国会図書館の職員、関係省庁や地方公共団体の公務員、その他のブレーン、民間企業や団体、一般国民など、多くのスタッフと協議する。特に、議院法制局は、立法技術の専門的な見地から、憲法や他の法令との整合性調査、法律案要綱の作成、法律案の条文化などを行い、法律案の局内審査と法制局長決裁を行う。
- 議院法制局の審査を経た法律案は、依頼者である議員に手交され、所属政党内の法案審査手続きにかけられる。
- 議員が議案を発議するには、衆議院においては議員20人以上、参議院においては議員10人以上の賛成を要する。ただし、予算を伴う法律案を発議するには、衆議院においては議員50人以上、参議院においては議員20人以上の賛成を要する。
- 議院法制局の審査を経て、所定の賛成者をそろえた法律案は、議長に提出される。
国会に提出された法律案の過程
- 提出された法律案は、提出された議院(先議の議院)の議長により、適当な委員会に付託される。
- 法律案を付託された委員会では、まず、主任の国務大臣が法律案の提案理由説明を行い、審査に入る。審査は、議員から国務大臣・副大臣・大臣政務官その他の公務員などに対し、法律案に関する質疑応答の形式で行われる。委員会での質疑、討論が終局したときには、委員長が終局を宣言し、表決に付す。
- 委員会における法律案の審査が終了した後、法律案の審議は本会議に移される。本会議では、法律案を付託された委員長から委員会での審査について報告が行われる。必要に応じて討論として、法律案に反対の立場からの演説、賛成の立場からの演説が行われる。討論の後、議長から委員会表決の結果報告が告知され、採決に入る。
- 本会議で法律案が可決されると、議長から他の議院に法律案が送付される。送付を受けた議院においても、委員会の審査、本会議の審議を経て、採決が行われる。
- 法律案は、憲法に特別の定めのある場合(地方自治特別法など)を除き、衆議院および参議院の両議院で可決したとき法律となる。
- 法律が成立したときは、後議の議院の議長から、内閣を経由して天皇に奏上される。奏上された案文は天皇が決裁(自筆の署名をし、御璽を押印)し、内閣に戻される。
- 法律は、奏上された日から30日以内に公布されなければならない。法律の公布に当たっては、主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署する。法律は官報に掲載することで公布される。
- 公布された法律は、附則に定められた日に施行される。施行日は、「公布の日から起算して○年を超えない範囲内において政令で定める日」と附則に定めることもできる。
政党
日本国憲法には政党に関する規定はない。政治資金規正法は、「政治団体」のうち、国会議員を5人以上有するもの、または直近の総選挙または直近の通常選挙もしくは直近の通常選挙の前の通常選挙における得票総数が有効投票総数の100分の2以上あるものを「政党」と定義している。
この「政党」には、届出・収支報告義務を定め、政治資金の透明化を行うとともに、政党のうち、国会議員を有するものに政党交付金による助成を行っている。
55年体制
戦後10年間は小党が分立する状態が続いたが、1955年(昭和30年)に日本社会党の右派と左派が統一し、日本民主党と自由党が合同(保守合同)して自由民主党が成立したことにより、55年体制が確立した。55年体制では自由民主党が常に与党となり、国会では自由民主党の総裁が内閣総理大臣に指名された。自由民主党の一部議員が離党して作った新自由クラブとの連立政権が組まれた時期(1983年(昭和58年)から1986年(昭和61年)まで)を除き、長らく自由民主党の単独内閣が続いた。
細川非自民連立政権から自公連立政権までの経緯
1993年(平成5年)に自由民主党が分裂し、宮沢内閣の不信任決議案が衆議院で可決され、衆議院は解散された。自由民主党の一部議員は離党して新党さきがけ、新生党を結成し、このあと行われた総選挙で、自由民主党は公示前の勢力をほぼ維持したものの過半数を割り込んだ。この選挙後に召集された特別国会で、日本新党の細川護煕が内閣総理大臣に指名され、日本社会党、新生党、公明党、日本新党、民社党、新党さきがけ、社会民主連合、民主改革連合の連立により、細川内閣が組まれ、55年体制は崩壊した。この連立は次の羽田内閣でも維持されたものの、首相指名直後に日本社会党が連立離脱を表明したため、少数与党内閣となった。
1994年(平成6年)6月に羽田内閣は内閣総辞職を行い、国会は日本社会党の村山富市を内閣総理大臣に指名し、自由民主党、日本社会党、新党さきがけの連立内閣(自・社・さ連立政権)が組まれた。この連立は次の第1次橋本内閣でも維持された(閣外協力は第2次橋本内閣の1998年(平成10年)6月まで)。
1999年(平成11年)1月、小渕内閣は自由民主党と自由党の連立内閣(小渕内閣第1次改造内閣)となり、同年10月には公明党も加わった(小渕内閣第2次改造内閣、自自公連立内閣)。翌2000年(平成12年)に自由党は分裂して、離党した一部議員が保守党(後に保守新党)を結成し、連立に残留した(第1次森内閣、自公保政権)。この連立は、次の小泉内閣でも維持されたが、2003年(平成15年)11月の第43回衆議院議員総選挙後に保守新党が自民党に吸収され、自民党・公明党の連立(自公連立政権)となり、2009年(平成21年)8月の第45回衆議院議員総選挙において、自民党、公明党が大敗し、野党になるまで続いた。
現在の政治状況
2012年(平成24年)12月16日に執行された第46回衆議院議員総選挙において、与党の民主党、国民新党が大敗し、同年12月26日に自由民主党、公明党による連立政権が発足した。現在、内閣総理大臣は自由民主党総裁の安倍晋三が務めている。
国会に議席を持つ主要政党(日本の政党一覧も参照のこと。)
司法
司法権は最高裁判所および法律により設置される下級裁判所に属する。
終審裁判所である最高裁判所は、長たる裁判官(最高裁判所長官)とその他の最高裁判所裁判官から構成される。最高裁判所長官は内閣が指名し、天皇が任命する。その他の最高裁判所裁判官は、内閣が任命する。最高裁判所長官とその他の最高裁判所裁判官は、任命後、国民審査を受ける。その後10年を経過するごとに、さらに国民審査を受ける。最高裁判所の裁判官は、法律で定めた年齢(70歳)に達すると退官する。
下級裁判所(高等裁判所・地方裁判所・家庭裁判所・簡易裁判所)の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿により、内閣が任命する。下級裁判所の裁判官は、任期を10年とし、再任されることができる。下級裁判所の裁判官の定年は65歳(簡易裁判所裁判官は70歳)である。
地方の政治
都道府県および市町村の議会の議員、都道府県知事および市町村長は、すべて住民に選挙され、任期はいずれも4年間である。
政治制度(地方)
日本の政治の基本的性格
地政学的条件
日本は極東の島国として、食糧及び原材料の自給率の低い少資源国である。したがって、交易による資源確保のために諸外国と友好関係を築く必要がある。しかし古くから日本との領土問題を抱えるロシアとの緊張関係があり、最近は海洋権益を求め日本と排他的経済水域をめぐって緊張関係が高まる中華人民共和国(中国)との関係も微妙となっており、核兵器を開発して地域不安をもたらしている朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とは事実上の敵対関係にある。大韓民国(韓国)については日本側も韓国側も「同じ民主主義国家」という建前で友好関係を築こうとはしているが、お互いの国民感情は悪く、両国政府側も友好関係構築に消極的ともとれる状態である。こうしたことから、必ずしも安定したとはいえない情勢にある。
アメリカ合衆国は自国と中東とをつなぐ重要な地域である極東の安定化を望んでおり、日本と日米安全保障条約を締結し、ともに日本および極東の安定化に努めている。こうした国内事情や地域情勢から、日本は国土の防衛のみならずシーレーン防衛を重視し、海洋国家として成長していくべきという主張も多い。とりわけエネルギーや食料を自給できない国内事情を打開するためには通商によるエネルギーの安定した供給を図り、また日本人の食糧を支える漁業や外国産輸入食品の供給を支える海域の安定は不可欠であり、日米同盟を基調とした国連や地域秩序レベルでの安全保障を確立すべきであるというのが主な理由である。1994年以降、アメリカとは毎年、年次改革要望書を交換しており、アメリカの要望が日本の政治に大きな影響を与えている。
近年ではアメリカ合衆国との外交関係をより強化する親米派、中国など東アジアとの共生を重視する親中派をはじめとする論陣とに別れるが、対中関係の重要性が増していることは親米派も認識しており、この2国以外に対する外交関係に関する態度も絡んで、さまざまな立場が入り組んでいる。日本は憲法上、平和主義をめぐる論争があり、国家戦略の方向性としてはその決定的な方向付けは定まっていないのが現状である。
平和主義をめぐる論争
今日、日本の国是といわれる平和主義であるが、戦後以来その解釈をめぐっては大きな議論を巻き起こしてきた(日本国憲法および憲法改正、立憲主義、平和主義の項参照)。とりわけ、地政学的条件において極東の情勢不安が指摘される中で、日本は戦後以来一貫して日米同盟を堅持し、事実上アメリカの覇権主義と核の傘の下で平和を維持してきた。
自衛権をめぐる憲法上の正当性としては、自衛権の正当性を許容する世論が強いが、日本が外交と防衛の中軸としてきた日米同盟の意義については否定論も根強い。日本国内の平和主義の世論に配慮して曖昧なままとなっている常備軍(自衛隊および在日米軍)の存在や、集団的自衛権、核抑止論についてはそれぞれ賛成論、否定論、現状肯定論がある。こうした中、今日高まっている極東の危機意識や日米同盟の変化から日本の自主防衛のあり方をめぐる賛否は大きな議論となっており、近年憲法改正の是非をめぐる国民投票の実施を進める動きもある。
政治的環境
被選挙権
今日の日本の政治は三権分立の下により、憲法上、日本の政治指導者とされる内閣総理大臣は国会議員の中から指名により選出され、各省庁の長である国務大臣はその過半数を国会議員から選ぶ必要がある(内閣、内閣総理大臣、国務大臣の項参照)。国会は二院制をとっており、議席の過半数を占める会派が与党となり首班指名を受けることにより、組閣を行う。国民の参政権としては選挙権が20歳以上の男女とされ(選挙権付与はサミット参加国では日本以外すべて18歳である)、政治家に立候補する資格である被選挙権は地方議員や衆議院議員が25歳以上なのに対して、参議院議員や自治体首長などは30歳とされている。
政治家としての条件
旧来の政治家輩出のシステムは「地盤(後援組織)、看板(知名度)、鞄(資金)」のいわゆる「三バン」を有することが政治家としての条件とされ、圧力団体の支持や、有力政党の公認を得ることが政治家として成功する上での第一の条件のようにすら考えられてきた。必ずしも個人としての能力本位ではなかった。そうしたことから「政治は金がかかる」というイメージがつきまとい、戦後政治においては政財界の癒着による汚職から金権政治としてしばしば批判を受けることもあった。近年は地方分権も進み、情報公開制や政策評価など政治の透明度を求める声もあり、利権政治的側面はかつてほどはなくなったといわれている。
ただし、長く続いた金権政治により有権者の政党離れが進み、近年は無党派層の増大傾向が著しい。そうしたことから今日、無所属議員の方がかえって当選する場合においてしばしば有利となる傾向があるなど、政党の公認が重荷になるケースもある。近年の国政選挙では無党派層をいかに自分の陣営に取り込めるかが焦点となるケースが多い。そのため都市部では従来の組織型選挙に代わり、政治家個人の人気やパフォーマンスにより大衆票を集めるケースが多いと言われている。
世襲議員
日本は二世議員が多いことも確かであり、父母の政治的地盤を継承により、事実上の世襲による風潮には批判的な声も多い。一方で個人のレベルでは父ないし近親の政治家の姿を幼い頃から見て育っているため、政治的感覚や政策への知識に優れ、一概に悪いとは言えない。むしろ、二世輩出を主として許容する政治家の登用体制に問題があり、二世であるかないかを問わず、個人としての資質を評価すべきという意見もある。近年はそうした世情を反映してか、与野党ともに一般に公募を行っている政党も多い。
政治の清廉度
ドイツのNGOトランスペアレンシー・インターナショナルによれば、2009年の腐敗認識指数は17位であり、主要国首脳会議加盟国の中ではカナダ、ドイツに次いで、イギリスと同順位の3番目となっている。
外交関係
日本は国際連合の加盟国で、安全保障理事会の常任理事国入りを目指しているG4諸国の一つである他に、東アジアにおいて重要な役割を果たしている。
日本国憲法は、日本が武力を以て、他国との間で戦闘を交えることを禁じている。一方で、日本には、陸海空から成る自衛隊が組織されており、2003年から2009年にかけて、自衛隊がイラクへ派遣された。これは、第二次世界大戦以降では、日本が初めて海外に武装組織を派遣した瞬間だった。
経済大国としては、日本は主要国首脳会議 (G8) およびアジア太平洋経済協力 (APEC) の参加国である他、ASEANとの間では、ASEAN+3として関係を発展させている上に、東アジアサミットにも参加している。国際援助および開発支援の場でも日本は大きな貢献者であり、2004年には、同年の国民総所得の0.19%を援助金に充てた[11]。
領土に関しては、北方領土を巡ってロシアと対立している他に、韓国から日本固有の領土である竹島を、独島と称して自国の領土であると主張されたり、日本海の呼称を東海に変更するよう求める活動を実施されたりしている。また、中国および台湾との間には尖閣諸島に関する問題、さらに中国との間では沖ノ鳥島の位置付けを巡る議論がある。これらの領土問題は、ある面では、それらの島の周囲の海域に埋蔵されていると推定される、石油や天然ガスといった天然資源および海洋生物資源を自国の支配下に置くための紛争であると見ることもできる。
北朝鮮との間では、同国による日本人の拉致と核兵器開発疑惑に関連する問題が現在進行中である。
名言・出来事
- 五箇条の御誓文(五蒡の掲示)
- 自由民権運動
- 大日本帝国憲法
- 日本国憲法
- 護憲運動(第一次・第二次)
- 普通選挙法
- 利権談合共産主義
- シーメンス事件
- 教科書疑獄
- 帝人事件
- 昭電汚職
- 55年体制
- バカヤロー解散
- 造船疑獄
- 黒い霧事件 (政界)
- ロッキード事件
- ハプニング解散
- 死んだふり解散
- リクルート事件
- 毒まんじゅう
- ゼネコン汚職
- 中央省庁再編
- 郵政解散
- 2009年衆議院解散
脚注
- ↑ 1973年6月28日参議院内閣委員会、政府委員吉國一郎内閣法制局長官答弁
- ↑ 1988年10月11日参議院内閣委員会、大出峻郎内閣法制局第一部長答弁
- ↑ 例えば、佐々木弘道や憲法学者の芦部信喜など。
- ↑ 例えば、憲法学者の松井茂記。
- ↑ これは、政体とは、古代にアリストテレスによって説かれた「統治権の所在」によって、君主制、貴族制、民主制といった政治形態を区分する考えであり、近代以降、ファシズム国家、政教一致国家、軍部独裁国家の出現などにより、そういった区分方法自体が現実に適合しなくなったとする見解に基づく。大日本帝国憲法の下では、日本の政体は国体思想と一体になって語られ、「天皇親政の神権国家」(「国体明徴声明」)、君主制国家であった。ここでは、統治の主体としての天皇には、統治される客体としての臣民が呼応した。帝国憲法に対して、日本国憲法の下では、日本は君主制国家でも民主制国家でもないとする。その理由として、第一に天皇は「国政上、一切の実質的権能を持たない」象徴であると規定され、第二に君主規定がないので「立憲」君主は存在しないとし(但し、他国の例を見てもすべての君主国が君主規定を明文化しているわけではない)、第三に統治権も国民のみにあり(但し、「国事行為」は事実上の統治権である。内閣の決定に基づかねばならないということであって、天皇による権力の「行使」自体を否定しているわけではない)、また戦前のように「臣民」ではなく「国民」であり、第四に「民主」という日本語は大正時代に「君主」の対概念として作られたものであり(但し、それだとdemocracyを誤訳・誤解していることになり、正当な政治学とは言えない)、日本では天皇機関説の排撃のように、君主と民主は同時に並存しない、と捉えられてきたことなどを挙げる(だがその考え方でいけば、イギリスやオランダ、ベルギー、スペイン、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーなどの国々は民主主義国家ではないということになり、大きな矛盾であって、論理的には無理がある)。
- ↑ 佐藤幸治編 『要説コンメンタール 日本国憲法』 三省堂、1991年、58-59頁
- ↑ 松澤浩一著 『議会法』 ぎょうせい、1987年、341頁
- ↑ 佐藤幸治編 『要説コンメンタール 日本国憲法』 三省堂、1991年、58頁
- ↑ 浅野一郎・河野久著 『新・国会事典―用語による国会法解説』 有斐閣、2003年、35頁
- ↑ 芦部信喜編 『演習憲法』 青林書院、1984年、513-514頁
- ↑ テンプレート:PDFlink, Organisation for Economic Co-operation and Development, 11 April 2005. Retrieved 14 May 2006.