毒まんじゅう
毒まんじゅう(毒饅頭、どくまんじゅう)とは、毒の入ったまんじゅうのことで、加藤清正の故事をモチーフにした歌舞伎「伽羅先代萩」の小道具。また現代日本の政界の隠語では、反対陣営からの賄賂のことをさす。
史話
慶長16年(1611年)3月の徳川家康と豊臣秀頼の二条城での会見の直後、会見場で秀頼を護衛した加藤清正が急死する。それを受けて、まことしやかな「毒饅頭暗殺説」が巷間ささやかれ、後に歌舞伎の題材にもなった。それによると、家康は会見場において秀頼の毒殺を図り、意を受けた腹心の平岩親吉は遅効性の毒のついた針を刺した饅頭を、自ら毒見した上で秀頼に勧めたが、それを察した清正は自ら毒饅頭を食べてしまい秀頼を守ったという。史実において平岩も会見後に死去している。
なお、清正が死去したのは同年6月24日であり、平岩の死去は12月30日である。同じ毒の影響にしてはあまりにも差があること、またこのような遅効性の毒は知られていないため俗説と見られている。また、この会見から2年ほどの間に浅野幸長、池田輝政など、会見に参加した豊臣氏恩顧の大名が死亡しているが、これらについても毒殺であるという憶測がたてられることがある。
政界
旨そうに見えるが、それを食べると相手の術中に落ちてしまうようなことを例えて、「毒まんじゅうを食う」と言い、悪い意味で使われる。転じて、俗に悪徳グループの仲間入りをすることを指す。また、東京佐川急便事件以来、賄賂(特に人事を約束するもの)の隠語でもある。
2003年の橋本派
2003年の自民党総裁選において、橋本派の会長代理である村岡兼造が自派の藤井孝男ではなく森派の小泉純一郎を支持したことに、野中広務が「(村岡氏は)毒まんじゅうを食らったのではないか」と発言した。村岡は「私は毒まんじゅうなんか食べてない。食べたら死にます」と強く否定した。2003年第20回「流行語大賞」年間大賞を受賞した。また、当時テレビ朝日の記者が、村岡兼造の自宅前にまんじゅうを置いて激怒させたという。
名指しされた村岡は、2003年衆院選で落選し引退。その後、橋本派の日歯連闇献金事件で刑事訴追された(一審で無罪、二審では有罪となり、2008年最高裁で上告棄却され禁錮10ヶ月・執行猶予3年が確定)。
野中は、流行語大賞授賞式で「上手に食った人もいるが、食い損ねて大変な傷を負った人もいる」と皮肉った。
2008年の菅直人
2008年、菅直人民主党代表代行が東京都町田市の街頭演説会で麻生内閣が景気対策として提案している定額給付金を毒まんじゅうとして「(通常国会召集の日までに)毒まんじゅうを分離する予算修正案を用意し、国会に出したい。毒まんじゅう分離法案を与野党で通して雇用対策などを実行し、解散して国民の信を問うべきだ」と語った[1]。
トヨタ自動車
不良品零を目指す、作り込みの品質の思想の説明に使われる表現。「万に一つ、百万に一つの不良なら許してよいか?」という問いに対して、「皿に山と盛られたまんじゅうの中に、一つだけ毒まんじゅうが混じっているとしたら、その山にあなたは手を付けられるか? 不良は零を目指さないといけない」という説明がなされる。
ナインティナインのオールナイトニッポン
お笑いコンビのナインティナイン(岡村隆史・矢部浩之)がパーソナリティを務めるニッポン放送系の深夜放送、『ナインティナインのオールナイトニッポン』(オールナイトニッポン)(木曜25:00-27:00)において、下ネタなどの酷い葉書を送ったリスナーに対して送られる。毒まんじゅうを送るかどうかはナイナイの2人が判断し、自分達でも判断し難い場合には、ディレクターの判断によって決められる。送るときは岡村が「毒まんじゅうを差し上げときましょう」と言う。
元は、岡村隆史が流行に乗り遅れていることから発想し、当時に前述の「毒まんじゅう」が流行語となっていたことから。
その他
- 仙台市の菓子「どくまんじゅう(株式会社松栄堂)」は、独眼竜(伊達政宗)の饅頭という意味で正しくは「独饅頭」であり、もちろん毒とは関係ないが、「伽羅先代萩」は伊達家のお家騒動(伊達騒動)を描いた歌舞伎であった。
- 北海道室蘭にあるチキウ岬(地球岬)のお土産に「炎の毒まんじゅう」がある(ロシアンルーレット形式で一つだけ激辛のまんじゅうが混ざっているというもの)。
- 沖縄県の土産物に「ハブの毒まんじゅう」というものがある。これも一つだけ島唐辛子が入った激辛まんじゅうが入っている。
脚注
- ↑ 『朝日新聞』2008年12月24日