帯広市
テンプレート:Infobox 帯広市(おびひろし)は、北海道十勝総合振興局管内にある市。十勝総合振興局所在地で、十勝地方の拠点都市。
目次
概要
帯広の街は、官主導の屯田兵や旧幕府家臣による開拓ではなく、静岡県出身の依田勉三率いる晩成社一行が1883年(明治16年)5月に入植したのが開拓の始まりである。その後の開墾は冷害や虫害など苦難の連続であったが、1895年(明治28年)に北海道釧路集治監十勝分監(通称十勝監獄。現在の緑ヶ丘公園一帯)が開設されると、受刑者によって大通が整備されていき、市街地が形成されていった。
十勝地方の農産物の集散地として栄えている。一時、自衛隊第五師団の旅団化[1]に伴う人員削減や周辺町村への人口流出[2]等により人口が漸減していたが、2010年(平成22年)以降は回復基調である[3]。
考古学的に特筆するものとしては、土器で煮炊きした世界最古(1万4000年前)の痕跡とされているものが帯広市内の遺跡群(大正遺跡群)で見つかっている[4]。
都市名の由来
アイヌ語「オペレペレケプ」(川尻が幾つにも裂けている所)または「オベリベリ」(オペレペレケプの和人なまり)からといわれている。
地理
東北海道西端の十勝平野のほぼ中央に位置する。市街は計画的に整備されており、帯広駅を中心に碁盤目状の区画が四方に広がるが、大通公園から北東、北西、南東、南西に対角線方向の道路(火防線)が設けられている。
- 1891年(明治24年)北海道庁によって帯広を基点として帯広・十勝の植民地区画の設計を開始。
- 1892年 帯広市街地の基礎となる壮大な碁盤目状の街区整備が行われたことにより開発は本格化する。900間四方を大画、参百間四方を中画、さらにこれらを六分割して小区画とした。これを入植者に1戸分として貸付する。
- 1893年(明治26年) 最初から都市としての機能を備えるため、市街地の区画整理・市街予定地区画(殖民地区画)が行なわれ、1900 戸分を測設、その後順次市街地が開放されていく。現在の石狩通(国道38号)と大通(国道236号)の交差点と基点にして60間の大区画と中央部6間の道路用地をとり東西に2分しさらにそれぞれを6間間隔で10等分したものを162坪で1戸分とした。大区画を北海道開拓時代に札幌市で始めた区画割りを帯広にも適用、1ブロックは通りを除いて1辺60間(109 m程度)の正方形で条と丁目で示し、さらに12間幅の火防線を配置するなどの近代的な都市整備を実施した。これは鉄道線予定地や停車場の予定地も見込んだ計画で、また当初から、斜めの道路と格子状の道路の交わる箇所に消防署を配置する計画となっていた。開拓当時計画され幻となった十勝川河口都市も帯広市と同様の殖民区画の都市計画形態であり道路配置はそっくりで、現代でも殖民区画の都市計画がかいまみられるのは珍しい。火防線が交わる交差点は6差路となり、交通事故もしばしば起きた。現在では交差点の手前で幹線と合流するように付け替えが行われている。
- 1896年(明治29年) 貸付停止となっていた十勝植民区画地を解除。
- 1897年(明治30年) 国有未開地の開墾入植を奨励するための「北海道国有未開地処分法」が公布され、終戦直後まで実施する殖民地選定事業によって大量移民が始まる。このとき入植地の区画は300間 (546 m) 四方の中区画と、その中をさらに150間×100間の小区画6個に分け、この5町歩 (ha) が1戸の割当てとなった。また圃場のまわりには防風林が設けられ、日高山脈から吹き降ろす強風対策のほか、入植当時は燃料対策としても保持されていく。これらが十勝の代表的な農地景観である300間区画の圃場と幾何学的に並んだ木々が溶け込み、新緑の春、秋の紅葉、冬の雪景色など四季折々の美しい景観を提供することになる。
- 1918年(大正7年)「区画測設心得」で、「防風林は50間以上100間以内の幅を存置すること」と規定。
- 1919年(大正8年)には「殖民地選定心得」で防霧林という考え方を取り入れ、「現に林相をなさざるも将来植樹造林によりて防風若しくは防霧林の設定を必要と認めたもの」として、森林状態をなしていない場合は防風林予定地としてあらかじめ土地利用区分上は防風林に算入させ、保安林制度の拡充とともに国有保安林に編入していく。
- 1905年(明治38年) - 1907年(明治40年) 札幌方面と釧路方面とを結ぶ鉄道が開通したことで、十勝の拠点都市として発展を遂げる。
気候
ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(Dfb)に属し、内陸部にあることから気候は寒暖の差が激しく、夏は30℃以上、冬は-20℃以下になる事も少なくない。また、冬季を中心に市街地では郊外との気温差が大きくヒートアイランド現象が顕著な都市気候も併せ持つ。なお、市内の気象観測地点は気象庁により市街地の帯広測候所と郊外の帯広空港にある帯広泉(アメダス)に設置されている他、帯広市農業技術センターでも川西、広野、幸福、桜木、清川など市内各地で気象観測を行っている[5]。
春
3月は実質的には冬に等しく、冬型の気圧配置が崩れ、相次ぐ低気圧の通過により大雪となることが多く、十勝では大雪は冬の終焉と春到来の兆しとなる。過去には1970年3月17日に過去最深積雪の177 cmを記録している。本格的な春は4月になって迎え、雪解けは急速に進む。春は日照時間も多く、年間で最も乾燥する季節であり、時折強風が吹く。ゴールデンウィークを過ぎると日中の気温は20度を超え始める。
夏
6月下旬になると、気温は急速に上がり始める。帯広の盛夏時の日中は北海道では最も気温が上がり、フェーン現象が起こると真夏日になることも多い。平均真夏日日数10.5日と最高気温極値の37.8℃(1924年7月12日)は道内気象官署では1位となっているなど、猛暑日になることもあり、近年では2010年(平成22年)6月26日には36.0℃を記録している。しかしながら、気温が高くでもからっとした天候であり、特に朝晩は冷涼となり日中が30度を超えても、朝晩は15度前後まで下がることが多いなど非常に過ごしやすい。また、一概に夏が暑いわけではなく、太平洋の海霧の発生が内陸部にまで達すると、真夏でも日照不足や低温となることもあり、かなり涼しくなる時期がある。夏は時に局地的な大雨をもたらすなど天候は不安定である。
秋
秋は晴天が続き、日照時間も多いが、年によっては9月には台風が通過し、大雨をもたらす時期でもある。秋の訪れは早く、初霜は10月9日。早霜の記録は1913年9月14日となっている。9月の半ばも迎えると周囲の山々や峠では雪が降り始め、帯広市内でも10月下旬から11月初めには初雪を迎える。急速に気温が下がるために帯広の紅葉のシーズンは短く10月中旬の1週間ほどである。
冬
冬には風の弱い快晴の日も多く穏やかな気候であり、冬季の日照時間の平年値は545.0時間と道内気象官署では最も多い。降雪量も北海道としては少ない分類にあるが、2月中旬以降は低気圧の通過により大雪となることもある。日降雪量の極値は102 cm(1970年3月16日)と道内の気象官署で1位となっている。快晴の日は放射冷却現象により強く冷え込み、測候所がある市街地でも最低気温が-15℃以下の日が非常に多く、-20度以下になることも少なくない。1902年(明治35年)1月26日には最低気温-38.2℃を記録しており、気象官署の中では日本観測史上2位である。しかし、都市化の影響で、帯広測候所の最低気温は急上昇しており、-20度以下の観測日数は激減し、冬季の最低気温は120年間で約7.8℃も上昇し[6]、下記で示される1961~1990年平年値と比べても、1月の最低気温は1.0℃、2月は1.2℃も上昇している。そのため、郊外と市街地では最低気温が5度~10度近くの差となることもあるなどヒートアイランドが顕著で、2000年以降の帯広測候所の観測極値は-26.7℃(2000年1月27日)であるが、十勝川を挟んだ帯広のベッドタウンの音更町では同日に-32.1℃を観測しているなど、郊外では-30度前後まで下がることも少なくない。また、冬季の朝晩はヒートアイランド以外にも風向きや風の強弱により数キロ離れただけで気温差が10度以上なったり、また郊外では1時間以内に5~10度近くの乱高下を繰り返すことも珍しくないなどの変動差が大きいなど、放射冷却型の特徴を持つ。 一方、日中は晴れるために比較的気温が上がり、日較差が時に20度を超えることもある。
沿革
- 1883年(明治16年)5月26日 - 晩成社開拓団が下帯広村オベリベリに入植[7]。
- 1893年(明治26年) - 河西、河東、上川3郡各村戸長役場が置かれる。
- 1901年(明治34年) - 下帯広村8村戸長役場に改称。
- 1902年(明治35年)4月1日 - 下帯広村と荊苞(ばらとう)村が合併し二級町村制施行、帯広町となる。
- 1915年(大正4年)4月1日 - 伏古村の一部を併合。一級町村制施行。
- 1919年(大正8年) - 十勝毎日新聞の前身となる帯広新聞が設立、発行される。
- 1933年(昭和8年)
- 1936年(昭和11年)11月 - NHK帯広放送局が開局(ラジオ第1放送、コールサインJOOG。但し、送信所は河東郡音更町にある)。
- 1940年(昭和15年)4月1日 - 帯広高等獣医学校開校(現在の帯広畜産大学)[7]。
- 1942年(昭和17年)2月 - 2代市長に橋本東三が就任。
- 1946年(昭和21年)1月 - 3代市長に奥野小四郎が就任。
- 1947年(昭和22年)4月 - 4代市長に佐藤亀太郎が就任(帯広市では初の民選市長となる)。
- 1949年(昭和24年) - 帯広高校(現在の帯広柏葉高校)が夏の甲子園出場。
- 1950年(昭和25年)4月 - NHK帯広放送局にラジオ第2放送が開局(コールサインJOOC)。
- 1952年(昭和27年)
- 1955年(昭和30年)
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 河西郡川西村及び大正村を編入。
- 1957年(昭和33年) - 北海道初のスーパーマーケット「帯広フードセンター」が開店[10]。
- 1959年(昭和34年)
- 4月1日 - 北海道帯広南商業高等学校が開校。
- 帯広三条高校が夏の甲子園出場。
- 12月 - NHK帯広放送局に総合テレビジョンが開局(コールサインJOOG-TV)。
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)
- 1963年(昭和38年)7月 - HBC帯広放送局にテレビ放送局が開局(HBCテレビ、コールサインJOHW-TV)。
- 1963年(昭和38年)7月 - 札幌テレビ放送(STV)帯広放送局が開局(STVテレビ、コールサインJOWL-TV。但し、送信所は河東郡音更町にある)
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年) - 帯広三条高校が夏の甲子園出場(3度目)。
- 1966年(昭和41年) - 帯広ステーションビル竣工[11]。
- 1968年(昭和43年) - 国体スケート大会が帯広で開催(2回目)。
- 1969年(昭和44年) - 北海道テレビ放送(HTB)帯広送信所が開局(但し、送信所は河東郡音更町にある)。
- 1972年(昭和47年)
- 1974年(昭和49年)
- 4月21日 - 6代市長に田本憲吾が就任。
- 帯広バスターミナル開業[11]
- 1980年(昭和55年)4月1日 - 北海道帯広緑陽高等学校が開校。
- 1981年(昭和56年)
- 新 帯広空港が開港(現 とかち帯広空港)
- 帯広工業高校が夏の甲子園出場。
- 1982年(昭和57年) - 百年記念館 開館(帯広市開基100年を記念し、建設)。
- 1982年(昭和57年) - 帯広農業高校が夏の甲子園出場。
- 1985年(昭和60年) - 十勝毎日新聞系列のケーブルテレビ放送局・帯広シティーケーブル(OCTV)が開局。
- 1986年(昭和61年) - 帯広三条高校が夏の甲子園出場(4度目)。
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年) - 帯広市民会館が閉館。
- 1989年(平成元年)
- 1990年(平成2年)4月21日 - 7代市長に高橋幹夫が就任。
- 1991年(平成3年) - 北海道立帯広美術館が開館。
- 1992年(平成4年)7月13日 - 帯広市役所本庁舎が新築(地上12階、地下1階)。
- 1992年(平成4年)7月25日-8月23日 - 緑の地球博「みどりいむ'92」が開催。
- 1993年(平成5年) - エフエム・ノースウェーブ(NORTHWAVE)帯広送信所が開局(但し、送信所は河東郡音更町にある)。
- 1997年(平成9年) - 中小小売商業高度化事業(TMO)構想が始動。
- 1998年(平成10年)
- 2001年(平成13年)
- - 帯広北高校が冬の国立出場。
- - 帯広三条高校が夏の甲子園出場(5度目)。
- 2003年(平成15年) - 帯広市民文化ホールを帯広市が買収。
- 2004年(平成16年)9月下旬 - 10月上旬 - WRCラリージャパンが初の十勝開催。
- 2005年(平成17年) - 帯広市立病院が閉院。
- 2006年(平成18年)3月3日 - 新帯広市図書館が開館。
- 2007年(平成19年)10月1日 - NHK帯広放送局と民放4局(HBC・STV・HTB・UHB)が地上デジタル放送開始(送信所は河東郡音更町十勝川温泉の近くにある十勝ヶ丘に置かれた。またアナログ放送では未開局だったテレビ北海道(TVh) は2011年11月7日に開局した。[16][17])。
- 2008年(平成20年)2月7日-市の人口が16万9895人となり、14年ぶりに17万人割れになったと市が公表。
- 2010年(平成22年)4月21日 - 9代市長に米沢則寿が就任。
- 2013年(平成25年) - 帯広大谷高校が夏の甲子園出場。
- 2014年 (平成26年) 3月 - 米沢則寿が市長に再選。普通選挙法施行後、初の無投票選挙となった。
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帯広市旗
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帯広市章
経済
十勝地方の産業・経済の中心地。卸売業・小売業の年間商品販売額は8,927億円(2007年)で札幌、旭川に次ぐ規模である[18]。
また、札幌を除く道内主要都市と同じく帯広も小売業販売額や事業所数が減少しているが、その減少数は道内他都市と比べ緩やかである[19]。
その一方で、モータリゼーションの進行に伴い市街地が拡散傾向にあり、1979年(昭和54年)5月30日に開店したニチイ帯広店を皮切りに[20]、1997年(平成9年)3月14日には長崎屋西帯広店が開店したほか[21](2009年(平成21年)4月10日にMEGAドン・キホーテ西帯広店に業態転換[22])、1998年(平成10年)11月27日にはイトーヨーカドー帯広店が稲田町南8線西10丁目へ移転する([23]など郊外への大型店の進出が相次いだほか、白樺通沿いなどにはロードサイド型と呼ばれる郊外型店舗の出店が進んだ[24]。
中心市街地の「歩行者通行量調査」の歩行者通行量が、1996年(平成7年)7月にに休日が185,024人で平日が157,160人の合計342,184人となるなど[25]1990年(平成2年)から1996年(平成8年)までは毎年7月の平日と休日の合計の通行量が30万人を超えていたが[26]、1997年(平成9年)7月に休日が前年比27.9%減と大きく落ち込んで30万人を割り込み[26]、2005年(平成17年)7月の調査では休日が22,709人で平日が26,086人の合計48,795人と大きく落ち込んむことになった[27]。
こうした郊外への流出に伴う集客力の低下に加えて中心市街地の賃料などの不動産価格は高止まりや駐車場不足などもあることから、中心市街地ではなく、郊外への出店を選ぶ事例が多くなっている[28]。
とりわけ物販店の出店は減少傾向にあり、その影響を受けて1994年(平成6年)に物販店のテナントが2店にまで減ったサニーデパートが居酒屋ビルに業態転換したほか[29]、ポポロ帯広館(売り場面積4,973m²)から2002年(平成14年)9月29日に鈴丹が撤退して1階の大半が空き店舗となるなど空洞化が進んでいる[30]。
そのため、中心市街地の小売業の年間売上高は1994年(平成6年)には全市の29%を占める約877億円から2002年(平成14年)には全市の18%を占める約503億円と占有率でも絶対額でも大きく落ち込むことになった[24]。
また、1916(大正5年)から1919年(大正8年)の間に永楽座劇場や神田館、キネマ館が相次いで開館したのを始まりとして全盛期の1951年(昭和26年)から1967年(昭和42年)にかけては11館の映画館が立ち並ぶ映画街としても栄えていたが[31]、2000年(平成12年)4月9日で「帯広グランドシネマ」「帯広テアトロポニー」「帯広シネマアポロン」の3映画館を閉館したほか[32]、2003年(平成15年)11月末にビルを所有するいせきグループが同ビル内で経営していたキネマ館も閉館になるなど[33]老舗映画館も相次いで閉館となり、帯広駅北側の西三条南11丁目の太陽ビル内に同年11月5日に十勝初の複合映画館(シネマコンプレックス)の「シネマ太陽帯広」が開館する[34]など映画館の分布も大きく変化している[35]
こうした中心市街地の集客力の低下の影響により、ポポロ帯広の建物が解体され[36]、サルのいる映画館として知られたキネマ館を記念したサルのモニュメントのある駐車場になったり[37]中心市街地にあるイトーヨーカドー帯広店の初代店舗の後のビルが15年以上にわたって空き店舗のままとなる[38]など、空き店舗や駐車場も多くなっている[39]。
この中心市街地の衰退に歯止めをかけるため、帯広市は商業・住宅・文化機能の充実を図る事業を盛り込んだ中心市街地活性化基本計画を策定してマンションの建設も支援する構想を進めている[40]。
しかし、一方では大型ホテルは相次いで開設されてホテル間の競争は激化している[15]。
産業
帯広を含む十勝の農業は大型農業機械による大規模畑作経営が中心である。市内の農家1戸あたりの平均耕地面積は約24 haで、北海道の平均17.41 ha、全国の平均1.57 haを大きく上回っており、カロリーベースの食料自給率は約280%(約48万人分)と人口の割に非常に高い。主な作物は小麦・ジャガイモ・ビート・豆で、近年テンプレート:いつは長イモやごぼうといった、この地域特産の野菜の生産も進んでいる。 全国的にも知名度の高い菓子製造会社六花亭や柳月、クランベリーは、帯広市に本社を置いている。
立地企業
- ますやパン 株式会社満寿屋商店
- 株式会社共成レンテム
- 六花亭製菓株式会社(本店:平原通(西2条通)[41])
- 株式会社柳月(本店:大通南8丁目[42])
- 株式会社札幌パリ帯広工場(旧・イズヤパン株式会社)(ヤマザキグループ)
- 株式会社明治(旧・明治乳業株式会社)十勝帯広工場
- 株式会社TBK 十勝試験場
- 日本甜菜製糖株式会社帯広配合飼料工場・総合研究所[43]
- 株式会社マルハニチロ北日本
- 川田工業株式会社
- 十勝鉄道株式会社
- 富士レビオ株式会社帯広事業所
- 株式会社福原(アークスグループ)
- 株式会社ダイイチ
- 菱中産業株式会社
- 株式会社北のハウス
- 北海道森紙業株式会社帯広工場
- パナソニックデバイス帯広株式会社
- コマツ道東株式会社
- 株式会社オビコ
- 十勝バス株式会社
- 第一飼料株式会社
- 大和雑穀株式会社
- 株式会社カネトモ(ホテルパコ)
- ホクレン農業協同組合連合会帯広支所
- 株式会社スカイアークシステム
- 株式会社丸勝
- 株式会社大一バス
- 帯運観光株式会社
商業施設
大規模百貨店・スーパー
- 2007年(平成19年)10月にきたみ東急百貨店が営業を終了して以降は道東地区では唯一残った百貨店となった[44]。
- イオン帯広店(西5条南20丁目[15]、ニチイ帯広店:1979年(昭和54年)5月30日開店[20])
- 長崎屋帯広店(2代目:西4条南12丁目[45]、初代:西2条南9丁目[20]、1990年(平成2年)11月開店[7]、1970年(昭和45年)9月23日開店[7])
- イトーヨーカドー帯広店(2代目:稲田町南8線西10丁目[23]1998年(平成10年)11月27日開店[23]、初代:西3条南9丁目[46]、1975年(昭和50年)4月26日開店[20]・1998年(平成10年)11月9日閉店[47][46][38])
- MEGAドン・キホーテ西帯広店(2009年(平成21年)4月10日業態転換[22]、長崎屋西帯広店:1997年(平成9年)3月14日開店[21])
市内に本社を置くスーパー
- 1958年(昭和33年)に「帯広フードセンター」として北海道で初めてスーパーマーケットを開店[10]。
- 1960年(昭和35年)に鹿追町新町の店舗を改造して「屈足フードセンター」としてスーパーマーケットを開店[10]。
- 1969年(昭和44年)にに西5条南25丁目の店舗を改造して「一丸センター」としてスーパーマーケットを開店[10]。
家電量販店
ホームセンター
- ホーマック
- 西帯広店
- 帯広南町店
- スーパーデポ稲田店
- ジョイフルエーケー帯広店
- グッドー白樺店
衣料品店
- ユニクロ
- 帯広店
- フレスポ帯広稲田店
- ファッションセンターしまむら
- 西帯広店
- 柏林台店
- 弥生店
- 洋服の青山
- 帯広店
- 帯広北店
- はるやまチェーン
- 帯広店
- 帯広西5条店
- アオキ帯広いっきゅう店
- 西松屋帯広白樺通店
書店
- くまざわ書店
- 帯広店
- 帯広藤丸店
- 宮脇書店帯広店
- ツタヤ帯広大通店
- ヴィレッジヴァンガード帯広店
- 札幌弘栄堂書店帯広店
- ザ・本屋さんキャンパ店
- 帯広喜久屋書店
- 合格堂書店帯広店
- ブックオフ帯広西5条店
金融機関
帯広市内に本支店等を置く金融機関は以下のとおり。
- 商工組合中央金庫(商工中金)
- 野村證券釧路支店とかち帯広営業所
- SMBCフレンド証券
- 上光証券
農業協同組合
- 北海道信用農業協同組合連合会(JA北海道信連またはJAバンク北海道)帯広支所
- 帯広市川西農業協同組合(JA帯広かわにし)
- 帯広大正農業協同組合(JA帯広大正)
生活協同組合
- 全労済帯広支所
- 生活協同組合コープさっぽろベルデ店
- 生活協同組合コープさっぽろかしわ店
郵便
- 上帯広郵便局
- 帯広大通郵便局
- 帯広鉄南郵便局
- 帯広電信通郵便局
- 帯広東六条郵便局
- 帯広東十一条郵便局
- 帯広西二条郵便局
- 帯広西二条南郵便局
- 帯広長崎屋内郵便局
- 帯広西六条郵便局
- 帯広西八条郵便局
- 帯広西十三条郵便局
- 帯広緑ヶ丘郵便局
- 帯広緑南郵便局
- 帯広白樺郵便局
- 帯広西十七条郵便局
- 帯広柏林台郵便局
- 帯広南町郵便局
- 帯広自由が丘郵便局
- 帯広西二十条郵便局
- 帯広開西郵便局
- 帯広つつじが丘郵便局
- 帯広大空郵便局
- 愛国簡易郵便局
- 幸福簡易郵便局
- 帯広西七条簡易郵便局
- 帯広西十八条簡易郵便局
- 帯広西二十一条簡易郵便局
宅配便
- ヤマト運輸道東主管支店(芽室町)
- 西帯広センター
- 帯広南センター
- 帯広ニュータウンセンター
- 帯広東センター
- 帯広中央センター・帯広新緑センター
行政機関
市長
- 市長:米沢則寿(2010年4月21日就任。2期目)
歴代市長(公選)
代 | 市長名 | 任期 | 任期数 |
---|---|---|---|
4 | 佐藤亀太郎 | 1947年(昭和22年)4月 - 1955年(昭和30年)6月25日 | 3 |
5 | 吉村博 | 1955年(昭和30年)8月6日 - 1974年(昭和49年)3月4日 | 5 |
6 | 田本憲吾 | 1974年(昭和49年)4月21日 - 1990年(平成2年)4月20日 | 4 |
7 | 高橋幹夫 | 1990年(平成2年)4月21日 - 1998年(平成10年)4月20日 | 2 |
8 | 砂川敏文 | 1998年(平成10年)4月21日 - 2010年(平成22年)4月20日 | 3 |
9 | 米沢則寿 | 2010年(平成22年)4月21日 - 現在 | 2 |
警察
消防
- 帯広市消防本部
- 帯広市消防署
姉妹都市・友好都市・提携都市
日本国外
- テンプレート:Flagicon スワード市(アメリカ合衆国、アラスカ州)
- テンプレート:Flagicon マディソン市(アメリカ合衆国、ウィスコンシン州)
- テンプレート:Flagicon 朝陽市 (中華人民共和国、遼寧省)
日本国内
国の施設
独立行政法人等
- 国立大学法人帯広畜産大学
- 独立行政法人国際協力機構(JICA)帯広国際センター
- 日本銀行釧路支店帯広事務所(財務省所管の特殊法人)
- 株式会社日本政策金融公庫帯広支店(財務省所管の特殊法人)
- 独立行政法人国立病院機構帯広病院
- 日本年金機構帯広年金事務所
- 独立行政法人さけます資源管理センター十勝支所
- 独立行政法人種苗管理センター十勝農場
- 軽自動車検査協会(道路運送車両法に基づく特別民間法人)
- 自動車検査独立行政法人北海道検査部帯広事務所
- 独立行政法人航空大学校帯広分校
地域
人口
教育
大学
専修学校
高等学校
- 道立高等学校
- 市立高等学校
- 私立高等学校
中学校
小学校
特別支援学校
学校教育以外の施設
住宅団地
- 大空団地(集合住宅ではなく、民家から成る住宅街)
- 道営住宅緑西団地
- 道営住宅柏林台団地(1959年(昭和34年)着工[11])
- 道営住宅柏林台2団地
- 道営住宅大空2団地
- 道営住宅大空公園団地
- 道営住宅東町団地
- 道営住宅西帯広団地
- 道営住宅緑ヶ丘団地
- 道営住宅新緑団地
- 道営住宅新緑第2団地
- 道営住宅中央団地
- 道営住宅柏林台中央団地
交通
空港
- とかち帯広空港[OBO]
就航路線
国内線
鉄道
かつては士幌線、広尾線が通っていたが、現在はともに廃止されている。
(西帯広駅-柏林台駅間に所在する貨物ターミナル)
バス
- 都市間バス
かっては釧路行(十勝バス・くしろバス)が運行されていた。 また、年末年始等の季節運行で北見行が運行されていた。
JR北海道バスも路線バスを運行していたが、十勝バス・北海道拓殖バスに路線を引き継ぎ撤退している。
道路
医療
救急医療
- JA北海道厚生連 帯広厚生病院(十勝圏救命救急センター併設)
- 社会福祉法人北海道社会事業協会帯広病院(帯広協会病院)
- 財団法人北海道医療団 帯広第一病院
- 社会医療法人北斗 北斗病院
- 医療法人社団博愛会 開西病院
- 医療法人社団刀圭会 協立病院
- 医療法人社団啓和会 黒澤病院
- 帯広市医師会夜間急病センター
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
帯広市周辺のものも含む。
文化財
登録有形文化財(建造物)
- 双葉幼稚園園舎
重要無形民俗文化財
- アイヌ古式舞踊 - 帯広カムイトゥウポポ保存会
名勝
- ピㇼカノカ
- 十勝幌尻岳(ポロシリ)
道指定
- 札内川流域化粧柳自生地 - 道指定天然記念物
- 大正のカシワ林 - 道指定天然記念物
- 帯広畜産大学農場の構造土十勝坊主 - 道指定天然記念物
帯広市指定文化財
- 十勝監獄石油庫 - 旧北海道集治監十勝分監油庫、緑ヶ丘公園内
- 依田勉三直筆の書「留別の詩」 - 帯広百年記念館蔵
- ランダーの油絵 - 帯広百年記念館蔵
- 暁遺跡出土遺物 - 帯広百年記念館蔵
- 八千代A遺跡出土遺物 - 帯広百年記念館蔵
- 十勝鉄道蒸気機関車4号客車コハ23号
- ロープ伝導式手押豆播機 - 帯広百年記念館蔵
- 帯広カムイトウポポ保存会 - 帯広市生活館
文化・教育施設
レジャー
- 帯広競馬場(ばんえい競馬)
- 帯広の森運動公園(帯広の森野球場・帯広の森アイスアリーナ)
- 芽室町にまたいで立地。
- 十勝フェアスカイ・ジェネシス
- とかちチームAA
- 北の屋台
- 八千代公共育成牧場
スポーツ施設
- 総合体育館
- 帯広の森体育館
- 帯広の森スポーツセンター
- 明治北海道十勝オーバル
- 帯広の森アイスアリーナ
- 帯広の森第二アイスアリーナ
- 緑ヶ丘公園市民リンク
- 帯広の森野球場
- 伏古別公園野球場
- 帯広の森平和野球場
- 南町球場
- 十勝川河川敷運動施設
- 札内川河川敷運動施設(清流大橋下流)
- 帯広の森陸上競技場
- 帯広の森テニスコート
- 南町テニスコート場
- 自由が丘公園庭球場
- 明治北海道十勝オーバル(中地広場)
- すぱーく帯広
- 帯広の森市民プール(スインピア)
- 帯広の森弓道場・アーチェリー場
- 南町ゲートボール場
- 帯広の森クロスカントリーコース
- 明治北海道十勝オーバル(健康増進多目的室)
- 帯広の森研修センター(トレーニング室)
- とかちプラザ(トレーニングルーム)
- 帯広の森研修センター
祭り・イベント
- 氷まつり(1月下旬 3日間開催)
- ゆめ気球とかち(2月中旬)
- 帯広桜祭り(5月 第2日曜)
- 十勝健康マラソン(6月下旬)
- 七夕祭り(8月上旬 開催)
- 勝毎花火大会(8月中旬)
- 道新十勝川花火大会(8月)
- 平原まつり(8月14・15・16日を中心に3日間開催)
- 国際農業機械展 in 帯広(8月下旬。4年に1度開催、次回開催予定は2014年)
- ツール・ド・北海道(9月 - 10月)
- ラリー北海道(9月)
- ラリージャパン(2004年〜2007年まで帯広を中心に開催された)
- フードバレーとかちマラソン(11月上旬)
- 帯広菊まつり(10月末 - 11月頭)
- 帯広市イルミネーション(11月中旬 - 翌年2月中旬)
その他
出身、ゆかりのある有名人
学術
- 秋場大輔 - ニューヨーク市立大学大学院センター教授・心理学博士
- 有賀秀子 - 帯広畜産大学名誉教授、農芸化学
- 石澤良昭 - 上智大学総長・東南アジア史
- 進藤榮一 - 筑波大学教授・国際政治学
- 高倉新一郎 - 農業経済学者、歴史学者
文化・芸術
- 安東ウメ子 - 音楽家
- 飯坂友佳子 - 漫画家
- 池澤夏樹 - 小説家
- 岡田博美 - ピアニスト
- 帯ひろ志 - 漫画家
- 枯木虎夫 - 詩人
- 熊切和嘉 - 映画監督
- 彩木雅夫 - 作曲家
- 辻仁成 - 小説家・映画監督・ミュージシャン(出生地は日野市)
- 時田則雄 - 歌人
- 中城ふみ子 - 歌人
- 鳴海章 - 小説家
- 藤田崇文 - 作曲家
- 本谷美加子 - オカリナ奏者
- Michitomo - 作曲家・編曲家・トラックメイカー
- 宮沢吾朗 - 囲碁棋士。さかなクンの父
- 吉川静夫 - 作詞家
芸能
- あべなぎさ - 女優
- 吉野寿(eastern youth) - ミュージシャン
- 近江谷太朗 - 俳優(出生地は室蘭市)
- 小野寺昭 - 俳優
- キャデラックスリム - 1981年ヤマハポピュラーソングコンテスト出身のロックバンド(現在解散)
- 後藤麻衣 - 声優
- さくらまや - 演歌歌手
- 澤田友美 - タレント
- 平淑恵 - 女優
- 高倉陵 - お笑い芸人・三拍子
- 高野哲 - ミュージシャン・nil(元MALICE MIZER→MEGA8BALL→ZIGZO)
- 中島みゆき - シンガーソングライター(出生地は札幌市)
- 何ン田研二 - 歌手
- 南部昌江 - キーボーディスト・作曲家
- 野月貴弘 - ミュージシャン・SUPER BELL''Z
- 早川厚史 - ミュージシャン・ほたる日和
- 原千晶 - 女優・タレント
- 舟橋元 - 俳優
- 古川とも - ミュージシャン・GuniwTools→shilfee & tulipcorobockles Tafuca OCQ)
マスコミ
スポーツ
- 大場美智恵 - プロゴルファー
- 柏木真介 - バスケットボール選手
- 加山利治 - プロボクサー
- 葛西純 - プロレスラー
- 北勝鬨準人 - 元大相撲力士
- 武藤裕代 - 女子プロレスラー
- 坂田遼 - プロ野球選手、埼玉西武ライオンズ所属。(出身地は神奈川県横須賀市)
- 大山三喜雄 - スピードスケート選手、インスブルックオリンピック代表
- 清水宏保 - スピードスケート選手、長野オリンピック500m金・1000m銅、ソルトレイクオリンピック銀メダル
- 石野枝里子 - スピードスケート選手、トリノオリンピック女子チームパシュート4位)
- 羽賀亮平 - スピードスケート選手、バンクーバーオリンピック代表
- 桧野真奈美 - ボブスレー選手
- 坂田淳二 - アイスホッケー選手、コクド→HCプルゼン(チェコ・エクストラリーグ)所属、世界選手権代表
- 飯村喜則 - アイスホッケー選手
その他
- 開山憲一 - 公証人、元検察官
- 川瀬カヨ - 天運教天地正教初代教祖
- 本名武 - 政治家、元国務大臣
- 山口毅 - 司法書士
- 山崎泉 - 政治家、北海道議会議員
- 吉崎栄泰 - 医師、ソフトウェア作者(フリーソフトLHA)(出身地は旭川市)
- 米沢則寿 - 帯広市長
関連項目
脚注
外部リンク
- 行政
- 観光
- ↑ http://homepage3.nifty.com/dsi/library.archive/topix/tpxj.040129.5b.htm
- ↑ http://www.city.obihiro.hokkaido.jp/mpsdata/web/1793/jinkou_houkokusho.pdf
- ↑ http://www.city.obihiro.hokkaido.jp/shiminkankyoubu/kosekijuuminka/b020101zinkousetasu.jsp
- ↑ 土器の煮炊き跡、世界最古=1万4000年前、北海道の縄文式―日欧チーム 時事通信(2013年4月11日)
- ↑ 帯広市農業技術センター(帯広市気象情報)
- ↑ http://www.jma-net.go.jp/obihiro/Obihiro_120_ANV.pdf 帯広測候所]
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 7.6 『帯広の歴史年表 |publisher= 帯広市商店街振興組合連合会、2009年4月7日。
- ↑ 「内務省告示第8号」『官報』1933年1月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 図典 日本の市町村章 p11
- ↑ 10.0 10.1 10.2 10.3 “スーパー 互いに切磋琢磨し発展”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (2000年5月23日)
- ↑ 11.0 11.1 11.2 11.3 『帯広商工会議所創立90周年記念誌 90年のあゆみ』 帯広商工会議所、2011年12月19日。
- ↑ 帯広市旗
- ↑ 小野寺裕 (1997年3月28日). “バスターミナル訴訟決着 都心部活性化へ“とげ”取れる 問われる空洞化対策”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ 能勢雄太郎(2004年1月11日). “来年度から大規模修繕 市民文化ホール 4年間で費用9億円 開館15年で老朽化”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ 15.0 15.1 15.2 帯広市市史編纂委員会 『帯広市史 平成15年編』 帯広市、2003年12月25日。
- ↑ TVH、道東でも放送開始 来夏にも 道内カバー率94%に(北海道新聞[経済]、2010年11月19日朝刊にも掲載あり。)
- ↑ テレビ北海道が道東へ拡大計画-釧路新聞~釧路と根室地域のニュースをお届けするウェブサイト!~(2010年11月20日本紙にも掲載あり)
- ↑ おびひろのプロフィール - 帯広市役所
- ↑ 北海道及び九州圏の圏域構造等 - 国土交通省
- ↑ 20.0 20.1 20.2 20.3 20.4 20.5 藤丸創業百周年記念誌編集委員会 『藤丸創業百年史』 藤丸、2000年。
- ↑ 21.0 21.1 末次一郎(1997年3月14日). “長崎屋西帯広店オープン”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ 22.0 22.1 安田義教 (2009年4月10日). “800人が列 初日から盛況 長崎屋西帯広店が業態転換 MEGAドン・キがオープン”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ 23.0 23.1 23.2 末次一郎(1998年11月27日). “ヨーカドー稲田新店舗オープン 開店前から2千人並ぶ 売り場面積1.5倍に”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ 24.0 24.1 安福晋一郎、藤原剣(2007年9月18日). “光は見えるか~十勝経済の今 3.沈む中心街-減少する店舗”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ 植木康則(1997年2月8日). “進む空洞化~中心商店街の現状と課題[4]街路整備~「統一性欠く」の声も”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ 26.0 26.1 “市内中心部、休日通行量大幅ダウン”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (1997年12月20日)
- ↑ 植木康則(2005年9月26日). “歩行者通行量15%減 西2条の落ち込み顕著 市と帯商調査”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ 佐藤いづみ(1997年2月6日). “進む空洞化~中心商店街の現状と課題[1]脱出~集客求め郊外移転、高い家賃など理由に”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ 末次一郎(1997年2月7日). “進む空洞化~中心商店街の現状と課題[2]空き地・空き店舗~悪循環に苦しむ”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ 酒井花(2002年9月30日). “テナント撤退相次ぐ 中心部の集客力低下 ビル活性化策に苦慮”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
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- ↑ 犬飼裕一(2013年1月22日). “まちマイNEWS 帯小・北栄編 今日の話題「教育」 いちマイ キネマ館と言えば サルのモニュメント”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ 38.0 38.1 “動くか旧ヨーカドービル 閉店15年”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (2013年11月8日)
- ↑ 小林祐己(2006年6月6日). “公約の行方 砂川市政3期目の政策予算 2 中心市街地活性化”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ 栗田直樹(2007年2月28日). “検証07市予算案 第3期砂川市政本格始動 5 力入れる中心市街地活性化”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ “7頭のシカ銅像、物語作って”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (2012年7月7日)
- ↑ 藤原剣(2006年12月24日). “楽しいメリークリスマス”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ 高田敦史(2009年6月11日). “【パイオニアの軌跡】日本甜菜製糖90周年 中”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ 44.0 44.1 田中義信 (2010年6月16日). “【百年企業@北海道】藤丸”. 朝日新聞 (朝日新聞社)
- ↑ 末次一郎(1997年12月2日). “長崎屋帯広店が全面改装 来年5月末、増床オープンへ”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ 46.0 46.1 “都市空洞化「即効薬なし」苦悩の商業者”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (1998年10月5日)
- ↑ “イトーヨーカ堂「新帯広店」27日開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1998年11月23日)
- ↑ 帯広調理師専門学校
- ↑ JALグループ、2014年度 路線便数計画を決定 日本航空株式会社 2014年1月22日付