名鉄特急

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本項では、名古屋鉄道(名鉄)の鉄道・軌道線で運行されている列車種別「ミュースカイ」・「快速特急(2代)」・「特急」について詳述する。また、特急の変形というべき列車(かつての「快速特急(初代)」・「高速」・「快速急行(初代)」など)や、全車一般車特急に相当する「快速急行(常滑・空港線系統)」についても記述する。

目次

概要

名鉄の「ミュースカイ」・「快速特急」・「特急」列車は名古屋市と沿線各都市・空港・観光地を結ぶ路線に設定される。このうち、岐阜・新鵜沼・新可児方面と中部国際空港を結ぶ「ミュースカイ」は他社の「全車座席指定」列車に相当する「全車特別車」列車のみで運転され、「快速特急」・「特急」は基本的に“特別車”(指定席車両)に“一般車”(通勤型車両)を連結した「一部特別車」(異制度混結)列車で運転される。一部の列車は特別車(指定席)を連結しない「全車一般車」の「特急」となっている。特別車へ乗車するためには、乗車券(運賃)のほかに特別車両券ミューチケット、旧称「座席指定券」)が必要である。英文表記は特急ではLtd.Exp, 快速特急ではRapid.Ltd.Exp, ミュースカイではμSKY Ltd.Expと表示される。

“特別車”と“一般車”の区別や「ミューチケット」の詳細などについては、下記「料金制度」の項を参照のこと。

料金制度

テンプレート:出典の明記 名鉄の特急列車では、「特別車」・「一般車」という区分けを使用している。

特別車両券「ミューチケットは元来、特急の「座席指定券」[注釈 1]として料金を徴収していたが、「座席定員制列車(車両)」という名目上、満席の「指定席車」に「座席指定券」を所持しない旅客を乗せてはならず、座れない乗客に料金を請求・徴収するのも制度上問題があった。また、JRやその他の会社で行われている「特急券」として料金を徴収する方法では料金不要を前提とした「一般車」を連結している以上、乗客に混乱を来たすため適当ではない。

そこで、1999年(平成11年)5月のダイヤ改正より「指定席車」をすべて「特別車」に変更し、料金の名目も「座席指定(確保)の対価」から「特別車両の利用料金」に改めるなど、座席の有無に関わらず「特別車」の乗客全員から問題なく料金を徴収できるよう、座席など(使用車両)の設備統一と旅客制度の整備を行った。また、英語表記も「RESERVED」(指定席車)から「FIRST CLASS CAR」(特別車: 直訳すると一等車)に変更された[1]テンプレート:Refnest

特別車

特別車を利用するには、乗車前に特別車両券「ミューチケット」を購入する必要がある(規定はすべて2014年4月1日現在)。

ミューチケットの料金は年齢(大人・子供)・距離・区間に関わらず一律360円であるが、後述の乗継制度もある。前売券は年末年始など特別に告知(指定)する場合をのぞき、乗車日1か月前の同じ日の窓口営業開始時刻から発売を開始する[注釈 2]。なお、ミューチケット購入の専用ダイヤルやオンラインによるサービスは行っていない[注釈 3]

特別車は全列車とも座席指定制となっている。ただし、車内にて車掌に申し出て料金の精算を行う場合は座席の指定を受けられず、任意の空席へ着席となる。この場合、着席した席番のミューチケットを所持する乗客が現れた場合は、その座席を無条件で譲らなければならない(満席の場合は立席となる)。乗車前にミューチケットを購入できない無人駅から直接「特別車」へ乗車し、乗客が精算時に座席の指定を請求した場合は、車掌の手持ち(オンライン発券しない)座席に空席がある限り、事前購入の場合と同様に座席の指定を受けることができる。

特別車の座席はリクライニングシートで、車両端部にある乗降口と中間の客室とは仕切り壁と引き戸で区分されている。またトイレは全車特別車・一部特別車編成共各編成に1か所ずつ設置している。

ミューチケットは有人駅の出札窓口(一部の窓口をのぞく)ならびに券売機で購入できる。なお、名鉄名古屋・金山・知立・中部国際空港駅などには改札内にも専用券売機の設置がある。専用券売機の使用法は、始めに購入枚数を選択し(無選択の場合は自動的に1枚となる)、降車駅・乗車列車の順に選択する(乗車駅は自動で設定済み)。座席位置の選択・直接指定も可能である。manaca及び10種の相互利用ICカードでは対応券売機でミューチケットの購入ができる。

ミューチケットは券面に指定された列車・区間のみ有効である。したがって、指定列車に乗り遅れた場合は新たに買い直す必要がある。なお、列車や区間などの変更は券面の発車時刻前であれば1回に限りできる。乗車列車・区間や乗車券と間違えて購入した場合は、有人窓口で無手数料の発行替え・返金(誤購入の取扱い)を受けられる。

使用後(降車時)のミューチケットは、自動改札機前(出口側)に設置されている回収ボックスへ投入するか、自動改札機に乗車券と一緒に投入すれば回収される[注釈 4]

一般車

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2008年12月改正まで運転されていた中部国際空港発金山行き全車一般車特急(※写真は3500系。現在、この列車は名鉄岐阜行きとして運転されている)

「一般車」は、乗車券・定期券・回数券などの運賃のみで利用可能である。車両は片側両開き3扉または同2扉で、座席は転換式クロスシートまたはロングシートである。また、一部特別車編成(後述)の4号車は冷房温度の設定を多少高めにした「弱冷房車」となっている。

現在の快速特急・特急はすべて一般車を併結しており「一部特別車特急(快速特急)」もしくは「全車一般車特急」として設定・運行されている。「一部特別車特急」は、1990年にJR東海東海道本線と競合する名古屋本線に設定された列車が起源であり、中部国際空港へのアクセス路線である空港線開業後は、接続する常滑線とともに設定され[注釈 5]、後に各路線へと波及した。一般車は各編成の岐阜方6両編成の3 - 6号車、8両編成の3 - 8号車に併結されている。

「全車一般車」特急は毎日の深夜時間帯に名古屋本線の上下線と常滑・空港線の上りの最終列車として名鉄名古屋駅発東岡崎行きと中部国際空港駅発名鉄岐阜行きの2本存在するほか、平日昼間帯にのみ、河和線知多新線にも設定されている。定期列車以外では、事故などの理由でダイヤが大幅に乱れた時などに、普段は特急列車に使用しない車両を代用して「全車一般車」特急を運行することもある(本線用の全形式を状況に応じて運行)[注釈 6]

なお、早朝・深夜の豊橋発着の急行など車両運用や特急列車の折り返しの都合で、特別車両を連結した一部特別車編成が快速特急・特急以外の定期列車に使用されている。この場合、特別車は監督官庁の指導により回送(乗客を乗せず締切)扱いとしている[注釈 7]

特別車両券の割引制度

特別車両券(料金)には旅客の利用形態に合わせて、乗継回数割引定期割引の各割引制度がある。

乗継

特別車両券(料金)は1乗車乗切り制が基本であるが、指定駅で60分以内に2列車を乗り継ぐ場合は、同時購入する場合に限って「乗継ミューチケット」を発売する(詳細は乗り継ぎ料金制度(名鉄)を参照)。

回数特別車両券

回数特別車両券には、通常の「回数ミューチケット」と使用日時などを限定した「時差・土休回数ミューチケット」がある。乗車前に窓口などで座席を指定した「ミューチケット」と引き換えて使用する(引き換えずに乗車した場合、座席の指定は受けられない)。

  • 「回数ミューチケット」… 11枚つづり3,600円で発売(1乗車約327円・約9.1%割引)。有効期間3か月。全列車に使用可能。
磁気券(裏が黒色)で発券された回数券の場合は、上記の「専用券売機」でも「ミューチケット」に引き換えが可能。
  • 「時差・土休回数ミューチケット」… 14枚つづり3,600円で発売(1乗車約257円・約28.6%割引)。2010年4月1日からの発売期間は2011年3月31日までの1年となった。以前は6か月以内の「期間限定割引」との扱い(届出)のため、発売期間を4月1日 - 9月30日と10月1日 - 翌年3月31日の2期に分けていた。
有効期間は発売の日から3か月である。以前は4月 - 9月発売分が当年12月31日まで、10月 - 翌年3月発売分が翌年6月30日までとなっていた。
「平日10時 - 16時に乗車(発車)する列車と、土曜日・休日・指定日(年末年始・旧盆など予め告示された日)の全列車」に使用可能。
2010年4月1日以降の発売分からタッチパネル式自動券売機でも引換できるようになった。

ミュー定期券

「ミュー定期券」は、通勤・通学定期乗車券の利用者を対象に平日一往復の同一区間・同一座席を確保するもので、定期特別車両券と呼べるものである。平日の往復利用に限ると割引率(往復20日間・40回乗車で約7.1%割引)は「回数ミューチケット」(約9.1%割引)と比べて低い設定だが、同一列車の座席を通常発売日前の乗車分も含め、1か月間一括して確保できるメリットがある。

  • 料金は1区間13,400円で発売(往復20日間の乗車:1乗車335円、同25日間:268円、同30日間:約223円)。
  • 発売は通用開始日の1か月前から前日まで。通用期間は各月1日 - 末日までの限定(固定発売)で1か月定期のみ。
  • 発売(設定)区間は、定期乗車券の区間内にある快速特急・特急停車駅相互間で、1列車で利用可能な区間に限られる。
  • 座席の確保(指定)は各月の1日から末日までの平日に限定される(同一列車でも土休日・指定日は座席が確保されない)。
  • 同一列車以外でも「ミュー定期券」の区間内であれば、土休日も含めて特別車を何度でも利用できる(この場合も座席の指定はない)。

系統図

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運転系統

運転系統は2011年12月17日からのもの。停車駅は運行系統図を参照されたい。

常滑線・空港線(ミュースカイ)

常滑線・空港線の神宮前駅 - 中部国際空港駅間をノンストップ運行(一部をのぞく)し、名鉄名古屋駅と中部国際空港駅を最速28分で結ぶ名鉄の最優等列車。名鉄で唯一の全車特別車列車である。

2005年(平成17年)1月29日の空港線(常滑駅- 中部国際空港駅間)開業に伴って登場した系統で、当初は全車特別車の「快速特急」として運行されていた。その後、2008年12月のダイヤ改正からは2000系を使用した空港発着の定期列車は停車駅にかかわらず「ミュースカイ」という新種別となった。基本的には神宮前駅 - 中部国際空港駅間はノンストップであるが、中部国際空港発の上り列車のうち、平日の朝3本、土休日の朝4本が一部特別車「特急」と同じく常滑・新舞子・朝倉・尾張横須賀・太田川にも停車する。

日中は、名古屋本線の名鉄名古屋駅 - 中部国際空港駅間と犬山線の新鵜沼駅 - 中部国際空港駅間の列車がそれぞれ1時間に1本ずつ設定される。朝及び夕方ダイヤ以降は名鉄名古屋折り返し系統が名鉄岐阜駅まで延長運転を行う。

このほか、中部国際空港行きにおいては広見線の新可児始発(平日3本、休日1本)や各務原線の三柿野始発(平日2本、休日1本。犬山駅 - 中部国際空港駅間は新可児発の列車と併結)の列車、さらには上下線ともに区間運行の列車もあり、平日の夜には神宮前発新鵜沼行きが1本設定され、同列車は犬山方面への最終の特急列車としての役割を果たすほか、「ミュースカイ」としては唯一柏森駅に特別停車する。

また夕方の下りには「新鵜沼・新可児」行きの併結列車もある。平日は17時から21時台、休日は17時台から20時台にそれぞれ運行されている。その他、途中で増結・切離を行うものもある。

お盆や年末年始などには増発や車両増結がよく行われるほか、毎年夏に岐阜の長良川で開催される全国花火大会の日には臨時のミュースカイが名鉄岐阜駅から神宮前駅まで運転される。

2011年3月改正で昼間は利用者が少ないことから名鉄岐阜駅へ直通しなくなり、この時間帯は名鉄名古屋駅での折り返し運転(名鉄名古屋~栄生間を回送)となった。また、朝時間帯に岐阜・新鵜沼方面から名古屋・中部国際空港方面への通勤対策として数本増発された。

名古屋本線(快速特急・特急)

名古屋本線の全区間(名鉄岐阜駅 - 名鉄名古屋駅 - 豊橋駅間)を走破する系統であり、一般的に「本線特急」と呼ばれている。現在は基本的に岐阜発豊橋行きが「快速特急」、豊橋発岐阜行きが「特急」で運転されている。

この系統が初めに設定されたのは東西直通運転が始まった1948年5月のダイヤ改正である。以後、1965年の改正で毎時4本体制が確立し、1970年代からは座席確保特急の運転も始まった。1977年3月から1990年10月までの間は座席指定されない特急列車を「高速」と称し、昼間帯は「特急」と「高速」をそれぞれ毎時2本運転していた。

1990年10月の改正で「高速」が再び特急に統合され、一部指定席特急(1999年5月から指定席車を特別車に改称)が登場すると、昼間帯の運転はすべて一部指定席特急になった。旧特急は標準停車駅にのみ停まり(1992年から1999年までは一部が知立駅を特別通過)、旧高速は国府宮(1999年に標準停車駅に昇格)と新安城に特別停車するパターンが確立し、現行列車の原型が出来上がった。この時点では朝夕時間帯に全車指定席特急と全車一般席特急が残っていたが、1992年11月の改正でほとんどが一部指定席特急に変更され、この改正で1本だけとなった全車一般席特急は1995年4月の改正で「快速急行」に変更された。

2005年の改正で新たに「快速特急」が創設され、標準停車駅にのみ停まる特急を「快速特急」に格上げし、新安城と国府(2000年3月より)に特別停車していた特急を「特急」とした。この改正で新たに豊橋 - 中部国際空港間の特急を新設したため本線特急は毎時3本となった。

2008年12月の改正では豊橋 - 中部国際空港直通特急の昼間運用が廃止された一方、新たに本線東部 - 犬山線直通系統が創設され、本線全線を走破する特急は毎時2本になった。この改正以前は快速特急・特急とが別々に運転されていたが、以降は上り・下りで種別が異なる運用になった。

2011年3月の改正では平日の朝に名古屋方面へ向かう列車が増発され、豊橋駅7時58分発須ヶ口行きの一部特別車特急が新設された。また、全日とも名鉄名古屋駅23時57分発東岡崎行きの全車一般車特急が設定され、3000番台の車両による6両編成で運転されている。

車両編成数は平日朝夕が8両編成(運用全体の半数以上)、平日日中及び土休日は基本的に6両編成である。従来は1000・1200系や1800系で運行されていたが[注釈 8]、2007年6月30日のダイヤ改正以降は2200系が増加傾向であり、増結車として3100・3150系が使われるようになった。日中および休日は豊橋駅では同じ系統への折り返しとなるため、名鉄岐阜駅発着の列車と新鵜沼駅発着の列車で車両運用は分けられている。

国府宮神社でのはだか祭など、沿線でイベントや平日の夕方ラッシュが行われる際は昼間および平日の夕方以降にも車両増結が行われ、この日はほとんどの時間帯において8両での運転となる。

名古屋本線東部・犬山線(快速特急・特急)

2008年12月のダイヤ改正で新設された系統で、犬山線と名古屋本線東部(新鵜沼駅 - 名鉄名古屋駅 - 豊橋駅)とを結び、昼間帯のパターンダイヤでは豊橋発新鵜沼行きが「快速特急」、新鵜沼発豊橋行きが「特急」で運転されている。

この系統が設定された理由としては、空港需要が比較的多い本線西部区間に空港特急を毎時2本通した結果、本線東部の特急毎時2本を別系統に逃がす必要があったこと、ラッシュ時の輸送量が多い犬山線には8両編成の特急が必要とされたこと、犬山方面と豊橋方面という流路を創ることで新たな需要を喚起しようとしたこと、などが挙げられる[2]

犬山線方面は犬山線内折り返し列車のほかに、休日の朝に3本、広見線・新可児発豊橋行きが設定されている。この列車の走行距離は111・1キロで、現在の名鉄特急では最長である[3]。また、これらは現在の名鉄特急で唯一走行距離が100キロ以上に渡る列車でもある。これらは広見線内は6両で運転され、犬山駅で岐阜寄りに2両増結される運用が組まれている。なお、2008年12月改正時から2011年3月改正までは平日の朝にも同じ経路の列車が1本設定されていた。

この系統が頻繁運転されるようになったのは2008年12月改正以降だが、それ以前の列車としては1993年8月改正で設定された「空港ライナー」があった。この列車は朝間帯に西春駅名古屋空港へのバス連絡駅)に特別停車する特急として設定された列車の一つだったが、1996年4月の改正で一部指定席特急に変更され、当時犬山線では唯一の一部指定席(後に一部特別車)特急だった。

常滑線・空港線(特急)

ミュースカイ(旧・全車特別車「快速特急」)と同様、2005年1月の改正で登場した系統で、ミュースカイとあわせて『空港特急』とよく呼ばれている。名古屋本線西部と常滑線・空港線(名鉄岐阜駅 - 名鉄名古屋駅 - 中部国際空港駅)とを結ぶほか、1往復(休日は終着のみ)だけ犬山線の新鵜沼駅発着列車が設定されている。

空港連絡を目的に設定された本系統だが、空港線開業以前にも前身というべき「特急」が存在していた。同列車は、常滑線内では太田川駅のみ停車し、一部列車は尾張横須賀駅・朝倉駅・新舞子駅・大野町駅にも停車していた。また、1997年から2001年には北アルプス号の間合い運用キハ8500系の運用も存在した。

登場当初は約半数が豊橋方面直通となっており、昼間帯は岐阜方面、豊橋方面が各1本ずつ運転されていた。2006年4月のダイヤ改正から2008年12月のダイヤ改正までは、夕方以降の列車は名鉄名古屋発着(2006年4月までは金山発着)だったが、この場合も、名古屋本線の一部特別車の特急との接続は、同方向ならば金山駅または神宮前駅で2分待つのみであった。なお、金山駅発着のものはその後も2011年3月改正まで平日朝に1往復設定されていた。

2008年12月の改正で豊橋方面直通系統が削減され、名古屋本線・常滑線・空港線の名鉄岐阜駅 - 中部国際空港駅間の運行に統一された。これにより昼間帯の運行本数は毎時2本に増発された。また、この改正で全車一般車特急が快速急行に変更され、いったん消滅した。2011年3月改正までは平日にのみ、新川検車区への回送も兼ねた中部国際空港駅7時40分発の須ヶ口行きが設定されていた。なお、この須ヶ口行きは終点の須ヶ口駅で、同駅始発の佐屋行き普通に連絡していた。

2011年3月の改正では朝間帯のミュースカイが増発されたため、それに対応する形で本系統を減便し、上述の快速急行を増発することで対応した。一方で、夜間に存在した中部国際空港発金山行き快速急行を、名鉄岐阜行きに改めたうえで全車一般車特急とし、本系統における全車一般車特急を復活させた。

車両編成数は基本的に6両編成である。平日夕ラッシュ時には8両編成での運転も一部で見られるが、夕方の岐阜行きは太田川駅で岐阜方に2両増結という措置がとられていて、夕ラッシュ時の岐阜行きは岐阜駅到着後に増結した2両を切り離す。このため、空港発はすべて太田川駅以南は6両で運転され、空港行きで8両編成で運転されるのは前述の平日朝の新鵜沼駅発の1本のみである。この列車は常滑線・空港線内の停車駅でホームが8両まで対応している駅が神宮前・太田川・常滑・中部国際空港の4駅のみのため、その他の駅では後ろ2両(7・8号車)はドアカットを行う。

車両は、基本的に2200系または1700系で運転され、平日のラッシュ時の増結車には3100・3150系が使われる。2007年6月30日のダイヤ改正から2008年12月27日ダイヤ改正前における夕方以降の名鉄名古屋発着列車もすべて2200系での運行となっていた。また、2007年6月改正までは一部の列車が1200系で運転されていた。

名鉄一宮駅からの始発電車でもある5:20発の中部国際空港行き特急(2005年改正前は1200系による国府宮発豊橋行き一部特別車特急)は2200系による一部特別車での運用だったが、2007年6月30日のダイヤ改正からは5300・5700系4両編成に車両が変わり、全車一般車となった(改正後は5:19発)。さらに2008年12月27日のダイヤ改正から列車種別は快速急行に変更されている。

河和線方面(特急)

有料座席指定特急の端緒となった系統である。

名鉄名古屋駅 - 富貴駅間では30分間隔、富貴駅と河和駅および内海駅の間ではそれぞれ1時間間隔で運転され、平日昼間帯の列車が全車一般車で運転されるほかは一部特別車で運転されている。また、朝には名古屋本線や犬山線との直通列車が存在する(犬山線との直通は平日のみ)ほか、平日の夕方のみ(17時台 - 20時台)津島線・尾西線の佐屋駅まで延長運転され、津島線・尾西線唯一の特急運転を実施している(折り返しは名鉄名古屋まで回送)。

河和線の特急運転は戦前の知多鉄道時代から実施されていた。名鉄合併後は取り止められたが、1953年3月22日[4]には3900系を使用した臨時特急「南知多号」が運転され、1964年9月からは定期運転の特急列車が復活した。なお、1961年7月23日に運転された海水浴特急「内海号」(5500系使用)は名鉄における初の有料座席指定特急となった。

以降も海水浴シーズンには「南知多号」「内海号」「ヤングビーチ号」などといった臨時特急が運転され、知多新線開業後は内海方面にも設定された。また、1990年代までは河和行きと内海行きを併結した列車も運転され、このときには知多半田駅で分割していた。列車愛称は定期列車にも付与され、1999年5月改正以前にみられた、7000系や7700系の白帯車による新鵜沼行き列車には犬山、新可児行き列車には日本ラインなどと表示されていた。

2005年1月の改正以前は河和発着、内海発着ともに新鵜沼駅まで直通運転されており、2007年6月改正まではすべて全車指定席車(全車特別車)で運転されていた。これが2007年6月の改正で新鵜沼駅 - 河和駅間(一部特別車)、名鉄名古屋駅 - 内海駅間(全車特別車)とするパターンに変更され、2008年12月の改正では昼間帯の運転を河和発着に統一、列車はすべて一部特別車に整理された。この改正で阿久比駅と青山駅が特急停車駅に昇格し、旧来の特急を「快速特急」としたが、快速特急は平日の朝数本のみの設定に留まった。

2011年3月の改正で上述の「快速特急」は廃止され、運転系統も2008年改正以前のように河和・内海発着を交互に運転するパターンが基本となった。また、2008年12月改正から夕方に運転していた内海発新可児行きの特急がなくなり、中部国際空港発の「ミュースカイ」新鵜沼・新可児行きに変更されている。

一部特別車特急には主に1200系が使われるほか、一部2200系の運用もある。2011年の3月のダイヤ改正より知多新線にも、2200系が入線するようになった。全車一般車特急には主に5300・5700系や1800・1850系といったクロスシート車の4両編成で運転されているが、運用の都合でこれらと同等の性能で全席ロングシートの5000系が運用に入ることもある。全車特別車時代には1000系が使用されたほか、一部の列車には1600系も使用(1999年5月改正以降)されていた。

2009・2010年夏の尾張津島天王祭開催時は、本来名古屋発の内海行きを1本だけ津島発に変更して対応した。

西尾線方面(特急)

現在は朝に須ヶ口行き(休日は名鉄名古屋行き。285列車)、夜に西尾行きの「特急」各1本が設定されている。一部特別車で、西尾線で唯一の6両編成列車である。なお、2008年12月改正時から2011年3月改正までは平日の西尾行きのみ新鵜沼駅始発で運転されていた。

朝の285列車は現在の往復1本体制となる前から全車指定席車(全車特別車)として運転されており、当時標準停車駅だった西幡豆駅上横須賀駅米津駅の3駅や碧海桜井(現・桜井)駅を特別通過していた(1999年以前は知立駅も通過)。

西尾線・蒲郡線の特急運転は1958年3月10日に運転された観光特急「いでゆ号」(複電圧車3600形を使用)から始まった。これは同年4月に誕生した三河湾国定公園への観光輸送を目的に設定されたもので、1500V昇圧後は5500系を使用し、「三ヶ根号」に名を変えて運転された[5]。1964年9月改正からは名称を再度「三河湾号」に変更して毎日運転されるようになった[6]

当初は栄生駅 - 蒲郡駅間に1日2往復のみ設定されていた[7]が、1966年3月からは昼間帯に毎時2本設定されるようになり[8]、直通先も本線西部、津島線と変遷したのち、1969年7月改正からは犬山線・広見線(一部は各務原線)方面へ直通するようになった[7]。この改正で三河湾と日本ラインという2つの観光地を直結する特急ルートが確立され[9]、蒲郡線は観光路線としての絶頂期を迎えた。

以降は運転本数の削減が進み、1992年11月の改正で蒲郡線内の特急は1日1往復に減便された。また、この改正で西尾線特急(毎時1本)は基本的に津島線尾西線に乗り入れて佐屋駅まで直通するようになり、このパターンが2008年6月改正まで継続された。標準停車駅は形原駅西浦駅東幡豆駅、西幡豆駅、吉良吉田駅、上横須賀駅、西尾駅、米津駅、碧海桜井駅、南安城駅で、本線では鳴海駅に特別停車(2005年1月改正以前)し、直通先の津島線・尾西線では木田駅、勝幡駅、津島駅、日比野駅に停車していた(木田、勝幡の2駅は2001年に標準停車駅昇格)。その後、蒲郡線の特急は2005年1月の改正で廃止され、西尾線の特急も2008年6月改正で上述した1往復をのぞいて消滅し、現行体制に至った。

なお、特急がなくなった穴埋めとしてそれまで西尾駅 - 佐屋駅間に毎時1往復設定されていた急行[注釈 9]を毎時2往復に増発し、西尾から吉良吉田まで運転区間が延長された。

現存する一部特別車特急には通常1000-1200系6両編成が使用される。全車指定席車(全車特別車)時代には7000系白帯車(1999年まで)や7700系(7000系増結用)、8800系(1992年 - 2005年)、1000系(1989年 - 2000年、2005年 - 2008年)、1600系(1999年 - 2008年)が使用された。このうち1000系は吉良吉田駅のホームの都合上、西尾以南の運転に使用することができなかったため、8800系が引退した2005年以降、吉良吉田行き列車はすべて1600系を使用していた。また6両編成の285列車には8800系(引退後は1600系)が充当された。2005年以降は1600系が検査などで離脱した際に2000系が代走に入ったこともある[注釈 10]

2009年の尾張津島天王祭の開催時は本来は名古屋発の西尾行きを津島発に変更して対応した。

豊川線方面(快速特急・特急)

平日にのみ豊川稲荷駅発岐阜行き「快速特急」および「特急」が各1本設定されている。設定当初は2本とも快速特急だったが、2011年12月の改正より豊川稲荷駅7時56分発が特急に変更された。

路線図および停車駅案内図における豊川線各駅は急行停車駅となっており[10]、豊川線内の特急・快速特急はあくまで特別停車扱いになっている。さらに、名古屋本線内でも快速特急の基本停車駅に加え、国府駅本宿駅美合駅に特別停車する。また、国府駅では伊奈駅発の普通と接続する。

2005年1月のダイヤ改正以前には朝と夜の数本のみだが新岐阜駅(当時)・新鵜沼駅・新名古屋駅(当時) - 豊川稲荷駅間に定期特急が毎時1本、全車特別車で運転されていた。全車特別車特急の設定はその後削減され、2008年12月の改正以前の段階では1往復になっていた[注釈 11]この列車は上下とも美合駅に特別停車していた。全車特別車特急は基本的に1000系によって運用されており、1600系による運用はごくわずかだった。なお、豊川線ではホームが6両までしか対応していないため、豊川線内で1000系の重連運用はできなかった(平日朝に見られた豊川稲荷発の8両編成の特急は、国府で増結していた)。

このほか、2005年1月改正から2011年3月改正までは平日朝にのみ一部特別車特急が1往復設定されていた。新鵜沼→豊川稲荷→名鉄名古屋間[注釈 12]のルートで運転され、当時は下り名古屋行きのみ美合駅に特別停車していたが、上下列車とも豊川線内では諏訪町駅にのみ停車していた。この時の車両は2200系または1700‐2300系による6両編成で運用された。

2005年までは正月シーズン(1月1日から2月11日まで。2005年はダイヤ改正前日の1月28日までだった)に臨時特急(全車特別車)が各地(名鉄名古屋駅・名鉄岐阜駅・新鵜沼駅・新可児駅・佐屋駅)と豊川稲荷駅との間に多数設定されていた(1977年改正前の座席特急時代も含む)。かつては知立駅・東岡崎駅を通過するものもあった。また、1999年の正月までは7000系4連+7700系2連の白帯車6両編成の特急も頻繁に見かけることができたが、2006年以降は設定されていない。

臨時系統

1990年代半ばまでは海水浴シーズン(7月中旬から8月中旬まで)に臨時特急(全車特別車)が各地(新名古屋駅・新岐阜駅・新鵜沼駅・新可児駅・佐屋駅・森上駅)と河和・内海駅との間に多数設定されていた。太田川駅・知多半田駅・知多武豊駅を通過するものもあった。河和から名古屋方面行きでは富貴駅を通過するものもあった。

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毎年夏に開催される全国選抜長良川中日花火大会長良川全国花火大会の日の夜、各務原線経由で名鉄岐阜発新可児行きのミュースカイが片道1本のみ臨時運行される。この列車は従来は特急であったが、2009年度からはミュースカイに変更となった。2011年現在は他の系統と同じく2000系で運転されるが、特急だったころは1000系や7000系白帯車で運転されており、すべて全車特別車(1999年以前は全車指定席)であった。2012年度以降は設定されていない。

各務原線内の停車駅は急行停車駅から切通駅をのぞいたもので岐阜駅 - 犬山駅間の所要時分は急行とあまり変わらない。広見線内の停車駅は、定期運行されている「ミュースカイ」・「快速特急」・「特急」と同じである。かつては花フェスタ95ぎふが開催されたときなどに新可児発岐阜行きの臨時特急も運転され、六軒駅と名電各務原駅と可児川駅を通過していたこともある。名鉄名古屋駅や金山駅を通らない珍しい特急である。

なお、2008年8月30日には臨時列車として当時7000系の元白帯車で唯一現存していた7011編成により、岐阜発新可児行きの全車一般車特急「日本ライン号」が運転された(このときは各務原線内は三柿野駅のみ停車)。

  • 停車駅
名鉄岐阜駅 - 新那加駅 - 各務原市役所前駅 - 六軒駅 - 三柿野駅 - 名電各務原駅 - 新鵜沼駅 - 犬山遊園駅 - 犬山駅 - 西可児駅 - 可児川駅 - 日本ライン今渡駅 - 新可児駅

かつて運行された特急

高山本線との直通運転については高山本線直通列車を参照のこと。

超特急「あさひ」

名古屋本線東部(豊橋線)を建設した愛知電気鉄道が戦前に運行していた列車で、1日1往復のみ設定されていた。

停車駅(当時の特急と同じ)

神宮前駅 - 堀田駅 - 新知立駅 - 東岡崎駅 - 伊奈駅 - 吉田駅

愛電は1927年(昭和2年)から神宮前駅 - 吉田(現・豊橋)駅間を特急63分、急行72分で結ぶ高速運転[注釈 13]を実施していたが、1930年(昭和5年)9月20日のダイヤ改正で特急を所要60分、急行を所要70分に短縮した上に、特急と同じ停車駅ながら3分速い所要57分で全線走破する「超特急」を上位種別として新たに設定した。この列車には「あさひ」の名称が付与され、運転に使用されたデハ3300形の先頭部分には朝日(旭日)のヘッドマークが使用された。

超特急の表定速度は65.7 km/hに達し、当時は日本一の速度を誇っていた[注釈 14]

三河線特急

かつては三河線にも特急が設定されていた。

三河線と名古屋本線との直通運転が開始されたのは1950年9月17日からで、この時に大浜港駅 - 新岐阜駅間の直通特急(三河線内は普通)が1日2往復設定された[11]。これは1950年10月から運行開始された東海道本線の快速列車に対抗するため、国鉄に先んじて設定されたものだった[12]が、この時点ではまだ知立駅が現在の配線になっておらず、直通運転は知立連絡線を介して実施しており、列車の折り返しに8分を要していた[7]。また、車両は三河線で使用されていたHL車を使用した。この直通運転は好評で、1955年9月からは三河平坂駅猿投駅始発も登場し、山線からの直通運転も実現した[13]

1951年4月1日に現在の知立駅が開業し、配線が変更された。この変更で三河線と名古屋本線との直通運転が容易になったため、同時に実施したダイヤ改正で碧南駅(一部は三河吉田駅) - 栄生駅間[13]の直通特急(三河線内は急行)が昼間帯に毎時1本設定された[14]

1964年9月からは運転区間を碧南駅 - 新一宮駅間(三河線内は各駅停車)に、列車を5000系・5200系に変更し、「快速特急」の標示板を掲げて運転された[15]。種別ではなく愛称としてだが、この列車が「快速特急」という名称を名鉄で初めて使用した事例となった[16]

1966年3月改正からは三河線内でも特急運転を開始し、引き続き「快速特急」を掲げて運転された[14][注釈 15]。特急運転区間は碧南駅 - 知立駅、知立駅 - 豊田市駅間で、吉良吉田駅 - 碧南駅、豊田市駅 - 西中金駅間は各駅に停車した[17]。1968年8月からは刈谷市駅(1969年7月からは三河高浜駅[13])始発着列車が毎時2本新設され、津島線、尾西線(弥富・森上方面)へと直通運転するようになった(森上方面は1969年7月から津島駅以北を準急に種別変更)[18]

三河線の特急運転は1960年代が最盛期で、以降は本数削減に転じていく。1974年9月改正で朝夕の津島行き特急(三河線内普通、津島線内急行)[13]などを残して直通特急が大減便され、1977年3月には定期特急が全廃された[14]

三河線の臨時特急としては、臨時急行「かえで号」(三河線内の停車駅は豊田市駅、平戸橋駅のみ)[19]を特急化した「かえで号」が1967年から三河線西中金方面に運転されていた[20]ほか、1970年以降は「みかわ号」「ラインパーク号」などといった三河線・犬山線直通の座席指定特急が季節運転されていた。

季節臨時特急の停車駅(1984年3月20日改正[21]

豊田市駅 → 上挙母駅土橋駅若林駅 → 知立駅(碧南始発列車と併結)
碧南駅 → 碧南中央駅新川町駅北新川駅高浜港駅 → 三河高浜駅 → 小垣江駅 → 刈谷市駅 → 刈谷駅 → 知立駅(豊田市始発列車と併結)
知立駅 - 鳴海駅 - 神宮前駅 - 金山橋駅 - 新名古屋駅 - 江南駅 - 犬山駅 - 犬山遊園駅 - 新鵜沼駅
  • 三河線内の特急運転は往路(碧南・豊田市駅始発)のみで、復路(碧南・猿投駅終着)は知立駅から普通に種別変更された。

三河線・犬山線直通の季節臨時特急は列車名を変えながら1990年12月まで運転されており[13]、初期の『名鉄電車・バス時刻表』には季節運転ダイヤが掲載されていた。

「たかやま」・「北アルプス」の間合い運用特急

1965年(昭和40年)末、新名古屋駅( → 名鉄名古屋駅) - 豊橋駅間に「たかやま」の間合い運用キハ8000系を使用した座席指定特急が設定された。以後、各線において「たかやま」・「北アルプス」に使われる車両の間合い運用の特急列車が設定されていた。

なお、「北アルプス」でいう自由席車は連結されている(キハ8500系による3両編成では高山方の2両)ものの、名鉄線内での扱いはあくまでも全車特別車(1990年までは座席指定特急、1999年までは全車指定席)である。

また、キハ8000系のころはヘッドマークを無表示としていたが、キハ8500系では前面の「北アルプス」の表示が通常の操作では変更できないため、間合い運用中も「北アルプス」の表示がなされていた。また、北アルプスでは喫煙車となっていた車両(キハ8500系の場合は2号車)も間合い運用では全車禁煙であった。

  • 1965年(昭和40年)12月30日 新名古屋駅 - 豊橋駅間に朝1往復の座席確保の特急列車(ディーゼル特急)を設定。
  • 1966年(昭和41年)3月5日 同区間の夕方にも1往復設定。6両編成での運行も見られた。
  • 1966年(昭和41年)7月1日 社線内運行のディーゼル特急に一等運賃・料金を設定。
  • 1969年(昭和44年)8月31日 「たかやま」の一等車の連結取りやめにより、一等運賃を廃止。
  • 1969年(昭和44年)9月 車両増備に伴い、朝の豊橋往復運行を7 - 8両編成に増結。
  • 1973年(昭和48年)11月12日 夕方の運行を神宮前駅 - 津島駅間片道1本に変更。
  • 1974年(昭和49年)9月17日 夕方の豊橋往復が一旦復活。電車列車との所要時間差は変則ダイヤで対処。
  • 1975年(昭和50年)9月16日 上記の変則ダイヤ解消のため、夕方の運行を神宮前駅 - 新鵜沼駅間1往復に変更。
  • 1976年(昭和51年)6月 上記列車を夏季は「犬山うかい」として運行。
  • 1988年(昭和63年)7月8日 自社線内間合い運用が1000系に置き換えられ一旦消滅。これ以降残った車両はキハ8200形5両のみであった。
  • 1991年(平成3年)5月20日 朝の東岡崎駅 - 金山駅間上り1本、夕方の神宮前駅 - 犬山駅間下り1本に変更。後に前者は東岡崎駅 - 新名古屋駅間の運行となり、朝に新名古屋駅 - 東岡崎駅間1本を追加設定。このときよりキハ8500系によって運行されており、気動車特急としては久々に神宮前駅以東への乗り入れとなった。
  • 1992年(平成4年)11月24日 新名古屋駅 - 東岡崎駅間2往復(朝・夕各1往復)となる。なお夕方の新名古屋発東岡崎行き列車は「北アルプス」を延長運転する形態となった(料金制度上は別列車)。
  • 1993年(平成5年)8月12日 間合い運用を廃止。
  • 1997年(平成9年)4月5日 間合い運用の特急が復活。朝に新岐阜駅 - 常滑駅間1本と常滑駅 - 金山駅間1本を設定[注釈 16]
  • 2001年(平成13年)10月1日 「北アルプス」の廃止に伴い、間合い運用の特急も消滅[注釈 17]

瀬戸線特急

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尾張瀬戸駅に停車中の土居下行き特急と大曽根行き普通(1977年)

名鉄路線網の中では孤立路線となっている瀬戸線にも1966年(昭和41年)3月16日から1977年(昭和52年)3月20日のダイヤ改正までの間に、料金不要の「特急」列車が存在していた(同ダイヤ改正で、本線系統各線では旧「座席指定特急」を「特急」としたため、瀬戸線でも停車駅などはそのまま「急行」へ種別変更)。運転区間は当時の名古屋側のターミナル駅であった大津町[注釈 18] - 尾張瀬戸駅間で、クロスシートを装備した900形-2300形(3編成、後に900形-2320形の4編成も加わる)に、パノラマカーと同様の「逆さ富士」型行先・種別表示器とミュージックホーンを取り付け、スカーレットに白帯の特急用塗装を施して運行していた。1973年(昭和48年)には、本線で運行していたHL制御車の3700系(5編成)を600V仕様に改造し、900形と同様の塗装に変更して使用した(「逆さ富士」などは取り付けていない)。編成は普通列車と同じく2両編成であった。

停車駅
大津町駅(廃止後は土居下駅) - 大曽根駅 - 三郷駅 - 尾張瀬戸駅
  • 堀川駅 - 大津町駅間は設定なし。なお、種別を「急行」に変更時は
大津町駅(廃止後は土居下駅) - 大曽根駅 - 小幡駅 - 喜多山駅 - 三郷駅 - 新瀬戸駅 - 尾張瀬戸駅であった。

なお、上記の特急用塗装は本線用の各車両と同時期にスカーレット一色へ塗り替えが進められ、1978年(昭和53年)3月の瀬戸線1,500V昇圧時に900形などの廃車によって白帯塗装の車両は一旦消滅したが、1982年(昭和57年)の7000系「特急専用車」改造に際し、再び特急用塗装の通称「白帯車」として復活した。

各線に特急があった時代

ファイル:Meitetsu Limited Express Network 1970.svg
特急系統図(1970年10月1日)

1967年(昭和42年)8月22日から1970年(昭和45年)12月25日の間は「急行」を廃止して「特急」・「準急」・「普通」の3本立てによる輸送を行っており、名古屋本線と直通輸送を行っている各線(西尾線蒲郡線三河線常滑線河和線各務原線広見線八百津線犬山線津島線尾西線)や廃止された挙母線に、それまでの「急行」に代わって「特急」が日中毎時1 - 4本設定されていた。停車パターンは複雑で、運転系統によって特別停車や特別通過が頻発し[注釈 19]、ペアを組む支線の組み合わせもダイヤ改正で大胆に変更された。

これら支線直通特急には7000系・7700系や5500系などの特急用車両に限らず、もともとは支線への直通特急用として造られた吊り掛け駆動の7300系や3780系をはじめとして旧型車(AL車・HL車)のほとんども日常的に使用されていた。ただし、座席指定制の特急には旧型車は使用されず、高性能車・冷房車・クロスシート車など一定の条件を満たした車両のみを使用していた[注釈 20]

この特急政策はモータリゼーションが急速に進行していた名古屋圏に対し、速達性を最重要視することで鉄道利用の巻き返しを図るべく実施されたものだった。しかし、普通停車駅の停車本数が2時間に1本になるなど、小駅の利便性が犠牲になっており、目的の駅に向かうのに反対方面の優等停車駅からUターンした方が早いなどといったダイヤに批判が相次いだ。主要駅間の速達性、利便性確保の点では一定の成果があったものの、全体的には小駅利用客の鉄道離れがより目立つ結果となり、1970年12月改正以降は普通列車の増発、「急行」の復活、支線区の特急廃止といった方針転換に迫られることになる[22]

停車駅

1967年8月22日改正[23](尾西線(森上方面)のみ1968年5月12日改正[24]

名古屋本線
新岐阜駅 - 新一宮駅 - 新名古屋駅 - 金山橋駅 - 神宮前駅 - 知立駅 - 東岡崎駅 - 豊橋駅
名古屋本線・常滑線/河和線
新岐阜駅 → 新一宮駅 → 新名古屋駅 → 金山橋駅 → 神宮前駅 → 太田川駅 → 知多半田駅 → 知多武豊駅 → 河和駅
新岐阜駅 ← 新一宮駅 ← 新名古屋駅 ← 金山橋駅 ← 神宮前駅 ← 太田川駅 ← 尾張横須賀駅 ← 大野町駅 ← 常滑駅
尾西線(弥富方面)・津島線・名古屋本線・西尾線・蒲郡線
弥富駅 - 佐屋駅 - 津島駅 - 須ヶ口駅 - 新名古屋駅 - 金山橋駅 - 神宮前駅 - 知立駅 - 今村駅 - 西尾駅 - 吉良吉田駅 - 東幡豆駅 - 西浦駅 - 形原駅 - 蒲郡駅
挙母線・三河線
大樹寺駅 - トヨタ自動車前駅 - 上挙母駅 - 豊田市駅
八百津線・広見線・犬山線・名古屋本線・三河線
八百津駅 - 兼山駅 - /御嵩駅 - 伏見口駅 - 新広見駅 - 今渡駅 - 犬山駅 - 新名古屋駅 - 金山橋駅 - 神宮前駅 - 知立駅 - 刈谷駅 - 刈谷市駅 - 三河高浜駅 - 北新川駅 - 碧南駅/土橋駅 - 上挙母駅 - 豊田市駅
各務原線・犬山線・名古屋本線・常滑線/河和線
新岐阜駅 → 新那加駅 → 各務原飛行場駅 → 三柿野駅 → 新鵜沼駅 → 犬山遊園駅 → 古知野駅 → 岩倉駅 → 新名古屋駅 → 金山橋駅 → 神宮前駅 → 太田川駅 → 尾張横須賀駅 → 大野町駅 → 常滑駅
新岐阜駅 ← 新那加駅 ← 各務原飛行場駅 ← 三柿野駅 ← 新鵜沼駅 ← 犬山遊園駅 ← 古知野駅 ← 岩倉駅 ← 新名古屋駅 ← 金山橋駅 ← 神宮前駅 ← 太田川駅 ← 知多半田駅 ← 知多武豊駅 ← 河和駅
尾西線(森上方面)・津島線・名古屋本線
玉ノ井駅 - 奥町駅 - 新一宮駅 - 苅安賀駅 - 萩原駅 - 森上駅 - 丸渕駅 - 六輪駅 - 津島駅 - 須ヶ口駅 - 新名古屋駅

快速特急(初代)

1969年(昭和44年)7月6日のダイヤ改正から1970年(昭和45年)12月25日の改正までの間に知立駅を通過する特急が設定され、この列車について新たに「快速特急」という種別が使用されていた。表定速度は全区間で78.8km/h、新名古屋 - 豊橋間では81.6km/hに達し、全区間を所要時間76分、新名古屋 - 豊橋間を50分で結んだ[25]

停車駅
新岐阜駅 - 新一宮駅 - 新名古屋駅 - 金山橋駅 - 神宮前駅 - 東岡崎駅 - 豊橋駅

正式な種別として快速特急が名鉄に登場したのはこれが初めてだったが、当時の車両設備には「快速特急」および「快特」の表示が用意されていなかったため、案内上は快速特急としつつも特急と同じ「特」で対応していた[26]

なお、知立駅を通過する特急は1992年(平成4年)から1999年(平成11年)の間にも再び設定されたが、この時には快速特急とは名乗らず、特急の特別通過扱いとなっていた。

デラックス特急

1984年(昭和59年)から1992年(平成4年)まで、新鵜沼駅 - 河和駅・内海駅間で運行されていた特急である。車両はすべて8800系(パノラマDX)を使用し、座席指定料金も他よりは高く500円(デラックス座席指定料金、1989年(平成元年)より520円)であった。車内ではおしぼりのサービスが行われていた。

停車駅
新鵜沼駅 - 犬山遊園駅 - 犬山駅 - 江南駅 - 岩倉駅 - 新名古屋駅 - 金山橋駅(金山駅) - 神宮前駅 - 太田川駅 - 知多半田駅 - 富貴駅 - 河和駅/富貴駅 - 上野間駅 - 内海駅

知多武豊駅と知多奥田駅をのぞく2008年12月27日改正以前の特急基本停車駅と同じである。

なお8800系と7000系(パノラマカー)などによって「デラックス座席指定料金」・「普通の座席指定料金」の両方の編成を併結した列車も、正月の初詣輸送(豊川特急)などで見られた。

しかしながら、バブル経済の崩壊によって不況となったことや、後になって登場した1000系「パノラマsuper」と8800系の設備の差が少なかったことからデラックス料金は1992年(平成4年)に廃止され、8800系も普通の座席指定料金が適用される様になった。

それでも8800系の中間車をのぞく先頭車の2両は一般特急仕様に改造されずにそのまま西尾線・津島線などで使用されていたが、それゆえ主流となった通勤輸送には向かないものであったため、同車は2005年(平成17年)1月改正で引退した。

豊橋方面へ直通した空港特急

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名古屋本線東部を走る中部国際空港行き特急(富士松付近、2008年)

2005年(平成17年)の空港線開業に伴うダイヤ改正から2011年(平成23年)3月の改正まで存在した系統で、名古屋本線東部から中部国際空港への利用を意図して設定されていた。

停車駅
豊橋駅 - (伊奈駅) - 国府駅 - 東岡崎駅 - 新安城駅 - 知立駅 - 神宮前駅 - 金山駅 - 神宮前駅 - 太田川駅 - 尾張横須賀駅 - 朝倉駅 - 新舞子駅 - 常滑駅 - 中部国際空港駅
  • ( )の駅は特別停車駅。

常滑線・空港線と名古屋本線との分岐駅は神宮前駅だが、折り返しは西隣りの金山駅で行っていた。これは配線の問題もさることながら、神宮前駅で名鉄岐阜行特急と、方向転換を行う金山駅で豊橋行/空港行特急とそれぞれ接続させ、3方面への輸送を相互に補完する目的があった[27]。ただし、これでは豊橋方面と常滑方面とを乗り通す乗客に金山駅 - 神宮前駅間の往復乗車を強いることになるため、この系統の列車に限り同区間の運賃を要さず空港方面と豊橋方面を通し乗車できる特例が新たに設けられた。

しかし、設定以降も依然として本線東部からの輸送人員は空港方面よりも名古屋への利用が多くを占めていたため、空港旅客の多かった豊橋5時53分発の列車をのぞき、日中毎時1本あったこの系統は2008年(平成20年)12月の改正で廃止された[2]。残っていた1本も通しの利用客が少なかったため2011年3月改正をもって廃止された。

車両は2007年6月改正までは基本的に1200系を使用していたが、同改正から2008年12月改正までは2往復(豊橋駅12時15分発と13時15分発)をのぞいて2200系が使用されていた。廃止時点で設定されていた1本は2200系または1700系での運転で、全区間6両での運転であった。

なお、2008年12月改正まで設定のあった昼間帯の列車の中には平日に限り名古屋本線内を8両で運転される列車が存在し、豊橋駅9時15分発と10時15分発は金山駅まで8両で運転され、同駅で名鉄岐阜方2両を切り離し、中部国際空港駅16時発は金山駅で名鉄岐阜方に2両増結、という運用が組まれていた。

高山本線直通列車

ファイル:Meitetsu 8000 kitaalps toyama tateyama.jpg
キハ8000系特急「北アルプス」(富山駅、1982年)
ファイル:Meitetsu kiha8500 kitaalps takayama.jpg
キハ8500系特急「北アルプス」(高山駅、1992年)

2001年(平成13年)10月1日の改正で廃止されるまで名鉄犬山線 - 国鉄JR東海高山本線間の直通優等列車として、同社唯一の気動車特急列車「北アルプス」が存在した。運転区間は何度か変化したが、末期は新名古屋駅(→名鉄名古屋駅) - 高山駅間を運行して、JRの特急列車「ひだ」の補完的な役割を果たしていた。また、1972年9月27日から廃止されるまで、列車は犬山橋北側から分岐する連絡線(事実上の新鵜沼駅/鵜沼駅各構内)を通過し高山本線に入線していたことから、鵜沼 - 美濃太田間も名鉄が乗務を担当し、美濃太田駅で旧国鉄・JR東海の乗務員と交代していた。

名鉄線内でも社線内特急券を購入すれば「北アルプス」に乗車できたが、利用できる乗車券は普通乗車券に限られ、3・3・SUNフリーきっぷなどのフリー乗車券(券面にも「北アルプス」は乗車できないことが書かれていた)や定期・回数乗車券などでは社線内特急券を購入しても一切乗車できなかった[注釈 21]

直通する場合の運賃・料金は、名鉄各駅 - 新鵜沼駅間・鵜沼駅 - JR各駅間を合算していた。

停車駅

準急・急行「たかやま」
神宮前駅 - 金山橋駅 - 新名古屋駅 - 岩倉駅 - 新鵜沼駅(転線)鵜沼駅 - 美濃太田駅 - 白川口駅 - 下呂駅 - 飛騨小坂駅 - 高山駅 (- 飛騨古川駅
  • 1966年12月1日以降は運転区間を飛騨古川駅まで延長。
急行「北アルプス」
神宮前駅 - 金山橋駅 - 新名古屋駅 - 岩倉駅 - 新鵜沼駅(転線)鵜沼駅 - 美濃太田駅 - 白川口駅 - 下呂駅 - 飛騨小坂駅 - 高山駅 - 飛騨古川駅 - 猪谷駅 - 越中八尾駅 - 富山駅 - 寺田駅 - 五百石駅 - 岩峅寺駅 - 有峰口駅 - 立山駅
  • 1972年9月27日以降は新鵜沼駅・鵜沼駅の転線を解消(貨物線のスイッチバックから連絡線の使用に変更)したため両駅を通過とし、代わりに犬山駅を追加。
  • 飛騨古川駅 - 立山駅間は冬季期間(11月中旬ごろ - 4月下旬ごろ)運休。高山駅 - 立山駅間は3両編成で運行(冬季期間は全編成が飛騨古川行き)。
特急「北アルプス」(昇格時)
神宮前駅 - 新名古屋駅 - 犬山駅 - 美濃太田駅 - 下呂駅 - 高山駅 - 飛騨古川駅 - 富山駅 - 寺田駅 - 五百石駅 - 岩峅寺駅 - 有峰口駅 - 立山駅
  • 飛騨古川駅 - 立山駅間は夏ダイヤ期間(7月中旬 - 11月上旬[注釈 22])のみ運行。高山駅 - 立山駅間は3両編成で運行(夏期期間以外は全編成が飛騨古川行き)。
  • 後に金山橋駅・岩倉駅など、急行時代の停車駅を順次追加(復活)した。なお、運転区間は1983年夏ダイヤまでが立山駅、1985年3月改正までが飛騨古川駅、1990年3月改正までが富山駅、以降は高山駅までと時代によって変化した。
廃止直前
新名古屋駅 - 岩倉駅 - 江南駅 - 犬山駅 - 犬山遊園駅 - 美濃太田駅 - 白川口駅(上りのみ)- 飛騨金山駅 - 下呂駅 - 飛騨萩原駅(上りのみ)- 飛騨小坂駅 - 久々野駅 - 高山駅

直通列車の変遷

(名鉄キハ8000系気動車の直通運転の背景の項目も参照)

戦前・高山本線直通列車

  • 1932年(昭和7年)10月8日 犬山線から省線高山本線へ直通する初の列車が、柳橋駅(当時の犬山線のターミナル) - 下呂駅間に土曜・休日に運転を開始。直通列車にはモ750形(755・756号)を半室畳敷きに改造した車両を充当した。当時の所要時間は約2時間であった。
  • 1933年(昭和8年)7月 乗り入れ専用車をトイレなどの特別整備を施したモ250形へ変更した。電車には高山線内での蒸気機関車牽引に備えて暖房用蒸気管が追加された。
  • 1940年(昭和15年)10月10日 毎日1往復押切町駅(柳橋駅と同様名古屋の当時の名鉄ターミナル駅) - 富山駅間に定期列車が新設された。名鉄線内(押切町駅 - 新鵜沼駅間)では国鉄の客車が押切町駅まで同社の電車(モ700形など)に牽引され、国鉄の鵜沼駅 - 富山駅間では岐阜駅 - 富山駅間運転の列車に併結した。国鉄客車は旧式な17m級の木造客車を使用していたため、名鉄の狭小な車両限界でも運行が可能であった。
  • 1941年(昭和16年)8月12日 新名古屋駅( → 名鉄名古屋駅)が開業し、直通列車の発着駅も同駅に変更され、利便性も向上した。
  • 1945年(昭和20年)ごろ 戦況の悪化により直通列車は自然消滅(正確な時期・直接の中止理由は不詳)。

準急・急行「たかやま」

  • 1965年(昭和40年)8月5日 専用車両キハ8000系を使用し、国鉄(現在のJR)高山本線へ直通する準急「たかやま」神宮前駅 - 高山駅間に運転を開始し、20年ぶりに直通列車が復活した。
  • 1966年(昭和41年)3月5日 国鉄の制度改正により、「たかやま」を準急から急行に格上げ。
  • 1966年(昭和41年)12月1日 運転区間を飛騨古川駅まで延長。
  • 1967年(昭和42年)7月 - 8月 国鉄からの要請で土曜日にキハ8000系を貸し出し、名古屋駅 - 岐阜駅 - 高山駅間で夜行の臨時急行「りんどう」を下り限定で運行した。
    • なお、翌日の「たかやま」運行に間に合わすため、上りは回送とした。
  • 1969年(昭和44年)5月10日 国鉄の制度改正により、「たかやま」の一等車が「グリーン車」となる。
  • 1969年(昭和44年)8月31日 翌年の立山乗り入れを控え、利用率の低いグリーン車を廃止した。グリーン車だった車両(キロ8101・キロ8151)は普通車に改造・転用(キハ8101・8102)された。

急行・特急「北アルプス」

  • 1970年(昭和45年)7月15日 「たかやま」を「北アルプス」と改称。同時に夏季(4 - 11月)は飛騨古川駅 - 富山地方鉄道立山線立山駅間の延長運転を行い、他に例がない「私鉄 - 国鉄 - 私鉄」の3路線直通運転を開始。
  • 1972年(昭和47年)9月27日 新鵜沼駅構内の名鉄犬山線と高山本線を結ぶ短絡線を整備(配線変更)し、鵜沼駅での折り返し運転を廃止。「北アルプス」は同駅を通過とする代わりに犬山駅停車へ変更。
  • 1976年(昭和51年)10月1日 国鉄ダイヤ改正で「北アルプス」は特急に格上げとなる。これに合わせて前面などを国鉄のキハ82系に準じた塗り分けを行う。ただし、塗色は国鉄急行形と同色とした[注釈 23]
  • 1980年(昭和55年)7月15日 立山駅直通10周年を記念して、ヘッドマークを立山連峰をモチーフとした絵入りのものに交換される。
  • 1984年(昭和59年)7月1日 「北アルプス」飛騨古川駅 - 立山駅間の季節延長運転を廃止。事実上、1983年夏季ダイヤ限りで富山地鉄への乗り入れも廃止し、神宮前駅 - 飛騨古川駅間の通年運行となる。
  • 1985年(昭和60年)3月14日 運転区間を神宮前駅(国鉄ダイヤ上は新名古屋駅) - 富山駅間となる。
    • 国鉄が当時使用していたキハ80系の老朽化が進んだため、金沢行き「ひだ」の代替措置として富山まで運行する[注釈 24]
    • 同ダイヤ改正より、国鉄の営業政策上から国鉄部内では「新名古屋」発着として扱う[注釈 25]旨の通告があった。このため、国鉄側が公表するダイヤなどではすべて「新名古屋」発着として表記される。ただし、名鉄側では従来どおり「神宮前」発着と公表。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄がJRとなり、名鉄 - JR東海 - JR西日本の3社直通となる。
  • 1990年(平成2年)3月10日 運転区間を神宮前駅(JRダイヤ上は新名古屋駅) - 高山駅間に短縮する。これにより名鉄車両の西日本旅客鉄道エリアでの運転はわずか3年で終了した。
    • 特急「ひだ」がキハ85系へ置き換えられたことにより代替措置が終了したため[注釈 26]
  • 1991年(平成3年)3月16日 キハ8000系に代わってキハ8500系を導入し、従来より所要時間を約30分短縮。JRのキハ85系と同等の性能を持ち、多客期にはJR名古屋発着の特急「ひだ」との併結運転[注釈 27]も開始される。このため、ダイヤ上もエル特急となった「ひだ」の一翼として設定された。
  • 1997年(平成9年)4月5日 間合い運用の変更により、「北アルプス」運転区間を新名古屋駅 - 高山駅間に改める。
  • 1999年(平成11年)12月4日 上下とも定期特急の「ひだ7・18号」と併結運転を開始(JR高山線内の単独運行が事実上消滅)。このときより従来は通過していた江南駅と犬山遊園駅にも停車するようになる。
  • 2001年(平成13年)10月1日 JRダイヤ改正に合わせて「北アルプス」(JR直通列車)を廃止[注釈 28]

「北アルプス」を廃止した理由

  • 廃止された理由としては以下が挙げられる。
    1. 特に下り(高山行き)の出発時間が昼前後と、名鉄沿線の観光客ニーズから外れたダイヤのため、極端に利用が低迷した[注釈 29]
    2. 名古屋市内・近郊のJR各駅から高山方面には、特急「ひだ」向けの割引乗車券類が多数設定されたが、「北アルプス」に関しては名鉄・JRともに一切設定がなく、さらに両社の運賃・料金を単純に合算するため、犬山線沿線以外では相対的に割高感があった。
    3. 高松駅および大阪駅などの扱いと違い、JRが新幹線との乗り継ぎ割引を「北アルプス」の鵜沼(新名古屋)駅接続には適用せず、東京・大阪方面など東海道・山陽新幹線の利用客には、乗り継ぎが不便で割高な「北アルプス」を選択する動機がなかった。
    4. 新幹線・JR各線からの乗り継ぎ客は一度JRを出場し名鉄線を経由したのち、ふたたび入場することになり、名鉄の運賃のほかに再入場時に新たに初乗り運賃を徴収されるので、料金が通算される特急「ひだ」を利用する方が多くなってしまった。また(名鉄)名古屋を境に乗車券が異なってしまうので、利用者だけでなく、発券する係員も手間がかかった。
    5. 「電鉄会社」としては異端である気動車用設備(給油・保守施設)や乗務員を特別に用意するための維持管理コスト[注釈 30]や、JRとの乗り入れ協議(ダイヤの調整)に要する労力と、それにより得られる収入・利権・ステータスなどのバランスが著しく崩れた。
    6. 東海北陸自動車道の延長により高速・貸切バスやマイカーへ旅客が転移したこと。名鉄も延長と同時に名鉄BC - 高山駅間の高速バスJR濃飛バスとの共同運行)を開業し、「北アルプス」廃止の代替措置として高速バス1往復を増便した。
    • なお、「北アルプス」廃止に伴い以下の措置がとられている。
      1. 余剰となった専用車両の8500系は、全車を会津鉄道へ譲渡(AIZUマウントエクスプレスに使用された後、2010年に廃車された)。
      2. 新鵜沼駅構内の犬山線 - 高山本線を繋ぐ短絡線は、同駅のホーム増設工事に伴ってポイントの一部を撤去。
      3. JR各社との連絡運輸(連絡乗車券などの発売)範囲は、JR東海の近郊各駅相互間に縮小。他のJR各社とは連絡運輸を解除。

特急に使用される車両

テンプレート:See also

現用車両

全車特別車特急
一部特別車特急
全車一般車特急
  • *5000系と1380系は主に代走で使用される[28]

過去に使用されていた車両

現役車両
退役車両

料金の変遷

種類の変遷

  • 座席指定券 … 1964年(昭和39年)から1999年(平成11年)まで設定。列車・時代によって「ディーゼル特急券」「座席確保券」とも称した。現在の「特別車両券」の前身。
  • 特別車両券 … 1999年(平成11年)に、上記「座席指定券」の制度を変更して設定。JRの「グリーン券」と同意の料金券。
  • デラックス座席指定券 … 1984年(昭和59年)から1992年(平成4年)まで設定。8800系「パノラマDX」に限定した座席指定券。
  • ライナー券 … 1991年(平成3年)から1993年(平成5年)まで設定。正式には「座席確保券」で、特急の指定席車仕様ではない車両を使用し、定員制列車「新春ライナー」を運行した場合の料金。
  • 準急・急行・特急券 … 1965年(昭和40年)から2001年(平成13年)まで設定。国鉄 (JR) 乗り入れ準急「たかやま」 - 特急「北アルプス」に限定し、国鉄 (JR) の料金制度に準じた社線内料金。名鉄の料金としては唯一、小児料金(半額)があった。

料金額の変遷

  • 1964年(昭和39年)7月18日 座席指定料金100円(季節運行の座席指定特急のみ)
  • 1965年(昭和40年)8月5日 同50円(高山本線直通準急「たかやま」運行開始につき料金設定)
  • 1965年(昭和40年)12月30日 ディーゼル特急料金一等110円・二等50円(8000系の座席確保特急を運行開始、認可上は座席指定料金)
  • 1967年(昭和42年)1月1日 座席確保(指定)料金100円
  • 1971年(昭和46年)6月13日 座席指定料金150円
  • 1977年(昭和52年)1月4日 同200円
  • 1981年(昭和56年)5月1日 同250円
  • 1984年(昭和59年)12月15日 同250円・デラックス座席指定料金500円(パノラマDXの運行開始につき特別料金設定)
  • 1985年(昭和60年)10月9日 同300円・同500円
  • 1989年(平成元年)4月1日 同310円・同520円(消費税導入3%)
  • 1992年(平成4年)11月24日 同310円(デラックス座席指定料金料金廃止)
  • 1995年(平成7年)9月1日 同350円
  • 1997年(平成9年)4月1日 同350円(消費税改定3%→5%、料金は据え置き)
  • 1999年(平成11年)5月10日 特別車両料金350円(料金名目を座席指定料金から特別車両料金に変更)
  • 2014年(平成26年)4月1日 同360円(消費税改定5%→8%)

※なお、「北アルプス」の社線内急行・特急料金は、当時の座席指定・特別車両料金と同額。

関連種別

快速急行(常滑・空港線系統)

2008年12月改正では、すべての「快速特急」・「特急」を一部特別車編成に統一するため、それまで全車一般車特急として運転されていた朝の名鉄一宮駅発中部国際空港行きと常滑・空港線の上り最終列車でもある夜の中部国際空港駅発金山行きの2本[注釈 31]が、名鉄名古屋駅 - 中部国際空港駅間での停車駅をそのままに「快速急行」と改称[注釈 32]された。そのため、この常滑・空港線系統の快速急行は実質的には全車一般車特急といえる。

その後、2011年3月改正では平日朝ラッシュ時の中部国際空港駅発着の一部特別車特急の運転が取り止めとなったため、代替列車として中部国際空港行きの快速急行が増発された(一部は 大里駅大江駅にも特別停車)。一方で、名鉄岐阜駅方面への最終列車繰り下げのため、夜間の中部国際空港駅発金山行き快速急行は名鉄岐阜駅まで区間延長され、全車一般車特急としての運行に戻された。

これらの変更により、常滑・空港線系統の快速急行は朝間帯の下り中部国際空港行きのみの設定となった。 2011年3月改正時点では平日5本、休日2本が設定され、内訳は、平日が名鉄岐阜駅発と新鵜沼駅発が各1本(以上2本は名鉄名古屋駅までは急行)と名鉄一宮駅発が3本、休日が名鉄一宮駅発と金山駅発が各1本となっている。

車両は毎日運転の名鉄一宮駅5時18分発の列車に5300・5700系、平日のみ運転の新鵜沼駅5時38分発の列車(名鉄名古屋駅までは急行)に6000系列が使用される以外は3000系列が使用される。また、前述の名鉄一宮駅5時18分発と休日のみ運転の金山駅発の列車が4両で運転される以外は6両での運転となっている。

停車駅
名鉄一宮駅 - 国府宮駅 - (大里駅) - 新清洲駅 - 須ヶ口駅 - 名鉄名古屋駅 - 金山駅 - 神宮前駅 - (大江駅) - 太田川駅 - 尾張横須賀駅 - 朝倉駅 - 新舞子駅 - 常滑駅 - 中部国際空港駅
  • 2011年3月26日改正時点。( )の駅は特別停車駅。


なお、車両の種別表示は「白い背景に青いテンプレート:Colorの文字」となっている。英訳は 初代快速急行と同じく「Rapid Express」。

過去の関連種別

高速

ファイル:M5509御嵩高速.jpg
1990年10月改正まで運転されていた「高速」(※写真は5509Fの御嵩行き高速)

1977年(昭和52年)3月20日ダイヤ改正で列車種別の整理が行われ、それまで「座席指定特急」と料金不要の「一般特急」が混在していた「特急」を種別分割して前者のみを「特急」とし、後者は新しく「高速」とされた。当初「一般特急」を運行していた全線(瀬戸線をのぞく、名古屋本線・犬山線・各務原線・広見線・八百津線・常滑線・河和線)に設定された。1990年(平成2年)10月29日に再び営業施策が変更され、それまでの「特急」と「高速」を一体化させた「一部指定席」(→一部特別車)の「特急」が運転を開始したため、「高速」の種別はこの時を以て消滅した[注釈 33]

ちなみに種別板は「特急」(白地に赤文字・当時)に準ずる種別をイメージして、白地に青文字で「高速」(縦書き)、種別幕は急行と同じく、当初は白地に青の1文字「高」、その後、青地に白抜き「テンプレート:Color」で表記し、従来車(6000系など)への追加も同様[注釈 34]であった。また、パノラマカーの行先表示器(逆さ富士板・ブック式)の種別欄には「高」「速」を別々に印刷した縦に細長いシール(青地に黄文字)を「回」の位置に貼付(横書き)していた。

沿革

名古屋鉄道(名鉄)では元来、速達サービスを行う「特急」(特別急行)に対して特別な料金を徴収していなかったが、1970年ごろより徐々に座席を確保(指定)した『座席指定特急』(後に『座席特急』とも呼称された)の運行本数が増加し、車両も7000系などが共通で使用されたため、従来の運賃のみで乗車できる「特急」(「一般特急」と通称された)との区別が付きにくく、誤乗による『座席指定料金』の徴収が地元紙や一部革新系の国会議員に攻撃されるなど、当時の社会問題ともなっていた。

このため、1977年のダイヤ改正から『特急』はすべて『座席指定料金』を徴収する列車種別と定義を変更した。テンプレート:要出典範囲から、 それまでの運賃のみで乗車できる「特急」を「高速」に変更した。[29][注釈 35]

当初の停車駅は、有料化した『特急』とほぼ同じ速達サービスを提供していた(違いは本線国府宮駅・犬山線岩倉駅・広見線西可児駅・可児川駅・伏見口駅)が、その後、支線(常滑線犬山線など)や区間運転(新岐阜駅 - 美合駅間など)の列車が1982年から順次急行へ格下げされ、『高速』は名古屋本線(基本は新岐阜駅 - 豊橋駅間)の列車に限定した種別として残った。

なお、常滑線・河和線では通勤・通学時間帯に急行停車駅を特別に通過する「急行」列車を、1988年に再び『高速』列車として運行した。しかし、1990年(平成2年)10月29日のダイヤ改正を機に営業政策が大幅に変更され、名古屋本線『特急』のほとんどが指定席と一般席を併結して運行するようになり、一般席に相当する『高速』は再び『特急』へ統合されて発展的に解消することとなった。以降、今日まで名鉄では『高速』の列車種別を用いておらず(3100系や3700系の一部などは登場時より方向幕に『高速』のコマは装備されていない)、2005年の空港線開業に合わせた種別幕の更新時に『高速』の表示そのものも消滅した。

停車駅

1977年3月改正当時の高速停車駅

名古屋本線
新岐阜駅 - 新一宮駅 - 国府宮駅 - 新名古屋駅 - 金山橋駅 - 神宮前駅 - 知立駅 - 東岡崎駅 - 豊橋駅
  • 所要時間 … 新岐阜駅 - 新名古屋駅間:27分 新名古屋駅 - 豊橋駅間:55 - 56分
  • 昼間時の新岐阜駅 - 美合駅(東岡崎駅)間の高速は鳴海駅や新安城駅に停車する列車も存在した(無料特急時代も同様)。
  • 正月ダイヤ(1月1日から2月11日ごろ)昼間のみ豊橋発着の高速列車でも国府駅は臨時停車(特急も同様)としていた(新安城全停車以前は新安城も臨時停車していた)[注釈 36]
  • 正月ダイヤでは豊川稲荷行きの高速が別に設定されていた。[注釈 37]
犬山線・各務原線
新名古屋駅 - 岩倉駅 - 古知野駅 - 犬山駅 - 犬山遊園駅 - 新鵜沼駅 - 名電各務原駅 - 三柿野駅 - 各務原飛行場駅 - 新那加駅 - 新岐阜駅
広見線
犬山駅 - 西可児駅 - 可児川駅 - 日本ライン今渡駅 - 新広見駅 - 伏見口駅 - 御嵩駅
八百津線
伏見口駅 - 兼山駅 - 八百津駅
常滑線
神宮前駅 - 太田川駅 - 尾張横須賀駅 - 大野町駅 - 常滑駅
  • 犬山線など他の支線区は『特急』とほぼ同じ停車駅[注釈 38](所要時間は旧型車も使用した関係で『特急』より2 - 3分ほど遅い設定が基本だが、中にはほとんど変わらない時刻パターンもみられた)。

1982年3月改正以降

名古屋本線
新岐阜駅 - 新一宮駅 - 国府宮駅 - 新名古屋駅 - 金山橋駅 - 神宮前駅 - ※鳴海駅 - 知立駅 - *新安城駅 - 東岡崎駅 - (国府駅) - 豊橋駅
  • 所要時間 … 新岐阜駅 - 新名古屋駅間:27 - 29分 新名古屋駅 - 豊橋駅間:56 - 57分
  • 鳴海駅は一部列車[注釈 39]のみ停車。国府駅は平日ラッシュ時間帯(夕方上り)のみ一部列車が停車)。
  • 新安城駅は早朝下りのみ通過があった(時期により2~3本)。


1988年に復活した系統

河和線・知多新線
新名古屋駅 - 金山橋駅 - 神宮前駅 - 太田川駅 - 知多半田駅 - 知多武豊駅 - 富貴駅 - 上野間駅 - 美浜緑苑駅 - 知多奥田駅 - 野間駅 - 内海駅
  • 当列車は多数の駅を特別通過していた急行(通称“快速急行”)を正式に別種別としたものである。平日(当時は月曜日から土曜日)のみの運行され、朝は内海行き(全区間高速)の列車が1本、夕方は常滑・内海行き(太田川駅で分割、常滑行きは太田川から急行、内海行きは知多半田から急行)の列車が1本設定されていた。

臨時列車

高速『常滑競艇号』
太田川駅 - 尾張横須賀駅 - 大野町駅 - 常滑駅
  • 常滑競艇開催時に運行された。この臨時列車は、種別を「急行」として上記停車駅に大江駅を加えたダイヤで運転された時期もある。

使用車両

1977年(登場時)から1980年代前半までは、当時1500V線に在籍した車両であればほとんどの車両が充当されたが、以降は『高速』の運行線区が限定されるに従って、5000番台・7000番台の高性能車や6000番台の通勤形車での運用へと徐々に収斂されていった。

  • 名古屋本線系統 … 基本的にパノラマカーも含む5000系以降の高性能車「SR車」で運用された。1980年代後半には、主として『高速』列車での使用を目的に設計・登場した5700系・5300系や、同様の通勤型仕様車6500系などが運用の中心となる。
  • 犬山線など支線系統 … AL車(旧型車)からパノラマカー・通勤形車までほとんどの車両を一般的に使用した[注釈 40]。ただし、HL車(旧型車体更新車)は最高速度・加速性能がAL車以上に劣るため、季節臨時列車や一部の間合運用(代用)などで限定的に使用された程度であった。

快速急行(初代)

1995年(平成7年)4月5日のダイヤ改正で、名古屋本線の平日朝ラッシュ時に上り1本のみ残っていた新岐阜駅 - 東岡崎駅間運行の「全車一般席特急」の種別を「快速急行」と改めた。これによって「特急」は「全車指定席」か「一部指定席」のもののみとなった。また同時にJR東海道本線との競争にさらされていた午前中の名古屋本線・常滑線の新一宮駅 - 常滑駅(一部は知多半田行き)間(金山駅から先は普通、初期は新名古屋駅から普通になりナゴヤ球場前駅にも停車していた)にも同種別の列車が上り3本設定され、「途中駅からも始発でゆったり」をキャッチコピーにアピールした。1996年(平成8年)4月8日1997年(平成9年)4月5日のダイヤ改正時には、さらに新一宮始発の列車がそれぞれ3本ずつ増発されている。使用車両は設定当初は平日朝の東岡崎行きのものが3500系の8両編成、昼間に運転される新一宮駅始発のものが1800・1850系の2両編成で、1996年4月改正後は新一宮駅始発のものは4両に増結され、1800・1850系に加え、3500系も使用される様になっていた。

しかしながら新一宮始発の列車は利用率が悪かったことから1999年(平成11年)5月10日の改正で廃止され、新岐阜発東岡崎行きの列車も2003年(平成15年)3月27日の改正で一部特別車の特急に格上げされたため、「快速急行」の種別はここに一旦消滅した。

また、1990年代には正月ダイヤ期間中に豊川線において、線内折り返しの臨時列車として途中、諏訪町駅のみに停車し、国府駅で当時、特別停車扱いであった本線特急に接続する形態で運行されていた(1999年(平成11年)まで運行された)[注釈 41]。このときの豊川線の快速急行には3500・3700系のほか、6500系なども使われていたが、当時6500系などの方向幕には「快急」のコマがなかったため、系統版を掲出して種別を表示していた。

なお、方向幕の色は「オレンジの背景に白抜きのテンプレート:Colorの文字」(この種別のみ当初から2文字表記)であった。

停車駅
新岐阜駅 - 新一宮駅 - 国府宮駅 - 新名古屋駅 - 金山駅 - 神宮前駅 - 鳴海駅 - 知立駅 - 新安城駅 - 東岡崎駅
  • 1995年4月5日改正時

その後、2005年(平成17年)1月29日の改正で列車種別の細分化をした際に改正前の「急行」のうち、基本停車駅のみに停車する(特別停車をしない)ものを改称する形で「快速急行」の種別が復活した。 2005年1月改正時点での急行との違いは名古屋本線の栄生駅と大里駅、常滑線の大江駅を通過する点のみで、2003年まで設定されていたものとは異なり、「特急」よりは「急行」に近い位置付けとなった(2008年12月改正以降の常滑・空港線系統をのぞく)。

ライナー

1990年(平成2年)10月29日に名鉄が「一部指定席」特急を運行開始した際、運輸省(→国土交通省)中部運輸局から「指定席」車両と「一般席」車両の区分を明確にする様に指示がなされ、「指定席車」には1000系8800系7000系・7700系の特急仕様車(白帯車)のみ使用することとなった。

しかしながら、1991年(平成3年)当時は「全車指定席」特急用の編成が十分に揃わず、正月豊川稲荷参拝客輸送には編成数が不足したため、波動需要の特例として7500系など6両固定編成の「一般席」用車両を使用することとなり、その列車を「新春ライナー」と名付けて種別も今までにない「ライナー」とした。「特急」より車両設備が見劣りするため、当時の「座席指定券」310円の料金に対して200円と割安な「座席確保券」の料金を新たに設定した[注釈 42]

「新春ライナー」は1993年(平成5年)の正月まで設定されたが、1000系などの特急車両の増備が進んだため、1994年(平成6年)以降は姿を消している。設定がなくなった後も一部(前後駅など)の駅では2005年ダイヤ改正前まで反転フラップ式発車標に「ライナー」のコマが残っていた。

年表

既記の「北アルプス」・「新春ライナー」などはのぞく。

名鉄の成立まで

名岐鉄道・愛知電気鉄道共、自社路線が主要都市に達した時点から順次特急運転を開始していった。路線の開業など詳細は名古屋鉄道の項を参照のこと。

名岐鉄道

  • 1894年(明治27年)6月25日 名鉄の母体となる「愛知馬車鉄道」が設立される。発足当初から「電気鉄道」を意図していたが、会社設立時の許認可の関係で馬車鉄道会社として発足した。2年後に動力を馬から電気に改め、社名も「名古屋電気鉄道」(名電・名鉄)と改称された。
  • 1898年(明治31年)5月6日 笹島駅 - 県庁前駅間を開業。京都電気鉄道(後の京都市電)に次ぐ日本で2番目の電車営業を開始した。
  • 1912年(明治45年)3月29日 それまで市内線(路面電車)のみを運営していた同社は、この時初の郊外線にあたる押切(当時の名古屋側ターミナル、後の押切町駅) - 枇杷島駅(→枇杷島分岐点)間を開業した。
  • 1921年(大正10年)7月1日 名古屋電気鉄道の郊外線を市内線と分離し、(旧)「名古屋鉄道」(初代名鉄)へ譲渡。
  • 1930年(昭和5年)8月20日 美濃町線岐阜市内線などを経営していた「美濃電気軌道」を合併し、社名を「名岐鉄道」(名岐)に改める。
  • 1935年(昭和10年)4月29日 昭和天皇の天長節(→天皇誕生日)に合わせ、押切町駅 - 新岐阜駅(→名鉄岐阜駅)間が全線開業した。これに合わせてデボ800形(後の名鉄モ800形[注釈 43]を導入し、同時に運転を開始した特急電車は34分で走破。当時の国鉄名古屋駅 - 岐阜駅間は普通列車で35 - 50分を要した。

愛知電気鉄道

  • 1910年(明治42年)9月 知多電車軌道が設立される。当初は軌道法による特許を申請していたが、1911年には後の常滑線など)となる路線を軽便鉄道法に切り替えて申請し、社名も「愛知電気鉄道」(愛電)と改称された。
  • 1912年(明治45年)2月 伝馬町駅(現在は廃止、名古屋市熱田区) - 大野駅(→常滑線大野町駅)間を開通した。
  • 1923年(大正12年)8月 現在の名古屋本線の一部となる豊橋線が(神宮前駅 - )東岡崎駅まで開通した。
  • 1924年(大正13年)10月 神宮前駅 - 東岡崎駅間を48分で走破する特急が運転を開始した。当時の国鉄熱田駅 - 岡崎駅間は普通列車で56分を要した。
  • 1927年(昭和2年)6月1日 神宮前駅 - 吉田駅(→豊橋駅)間が全通し、神宮前方面に1日10往復、豊橋方面に1日8往復の「急行」を設定したほか、1日1往復で途中東岡崎駅、伊奈駅のみ停車する「特急」が運行された[30]。車両は主にデハ3080形を使用し、「特急」は全線を63分、「急行」は72分で走破した。当時の国鉄線熱田駅 - 豊橋駅間は普通列車で1時間30 - 50分を要した[注釈 13]
  • 1930年(昭和5年)9月20日 愛電は全線の所要時間を「特急」60分、「急行」70分に短縮し、「特急」は1日3往復となる。さらに全線を57分で走破する超特急「あさひ」が「大ドス」の愛称を持ったデハ3300形を用いて1往復で運転を開始した。

名古屋鉄道の成立

  • 1935年(昭和10年)8月1日 名岐と愛電が合併、(新)「名古屋鉄道」(名鉄)が発足した(合併の経緯は「名鉄」誕生の経緯を参照のこと)。これにより、旧名岐の路線は「西部線」、旧愛電の路線は「東部線」と呼ばれるようになった[注釈 44]
  • 1937年(昭和12年) 当時国鉄のC55形蒸気機関車など流線型の車両のブームが起こり、新生名鉄でも流線型電車を製造することになった。その結果、西部線向けに850系(通称「なまず」)が、東部線向けに3400系(通称「いもむし」)がそれぞれ登場した。なお、このころ犬山線・知多線(→河和線)にも1日に1 - 2本ずつ特急が運行されていた。

戦争と両路線の結合

1930年代後半から「西部線」と「東部線」を統合して1つの運行形態に改める計画が起こった。西部線のターミナルは、長らく郊外の押切町駅と名古屋市電に乗り入れた柳橋駅との二重ターミナルであったが、これを改めて国鉄名古屋駅付近の地下に新ターミナル駅を設けることとなった。

  • 1941年(昭和16年)8月12日 名古屋駅地下ターミナルの新名古屋駅(→名鉄名古屋駅)が開業した。これによって名古屋市電への乗り入れと押切町駅 - 東枇杷島駅間の路線が廃止となった。
  • 1944年(昭和19年)9月1日 太平洋戦争の戦況が厳しくなる中、東部線の神宮前駅 - 金山駅[注釈 45] - 新名古屋駅間も開通し、東部線と西部線の線路は一応繋がった。しかし、架線電圧が西部線が直流600V、東部線が直流1,500Vと異なったため直通運転はできず、金山駅を境に運行系統は分かれていた。このころ、戦況の悪化によって「特急」は一時消滅している。
  • 1948年(昭和23年)5月16日 西部線の1,500V昇圧工事が完成(5月12日)し、3800系[注釈 46]が投入された。この日から東西路線の直通運転が開始され、新岐阜駅 - 豊橋駅間に新設された「特急」は同区間を2時間5分で結んだ(国鉄の岐阜駅 - 豊橋駅間は普通列車が2時間半 - 3時間)[注釈 47]

発展と名車の登場

  • 1951年(昭和26年)7月 戦後初の本格的な特急用車両3850系が、1952年(昭和27年)年12月にはその改良形の3900系が登場した。1953年には3900系は3400系とともに4両編成となり、同年名古屋本線特急の最高速度を100km/hに引き上げた[注釈 48]
  • 1954年(昭和29年)7月 次期新型車(5000系)開発の一環として新型制御器などをテストするため、2904F(ク2904-モ3955-モ3954-ク2905、5000系設計用テスト車)を製造し、各種試験の後に営業運転へ投入する。
  • 1955年(昭和30年)9月25日 ダイヤ改正を行い、特急・急行、特に支線直通列車を増発した。
  • 1955年(昭和30年)12月 日本初の中空軸並行型カルダン駆動方式を採用した電車となる5000系が登場した。設計最高速度125km/hの当時における日本最先端といえる高性能電車であり、これ以後のパノラマカーなどの基本となった。
  • 1957年(昭和32年) 5000系電車の改良形として増・解結が可能な貫通型の前頭形状とした5200系が登場した。
  • 1957年(昭和32年)9月 新岐阜駅構内の一部区間(国鉄線跨線橋部分)をのぞき、名古屋本線の全線複線化を達成した。
  • 1958年(昭和33年)3月 庄内川橋梁の改良工事が完成し、スピードアップに貢献した。
  • 1959年(昭和34年)3月 日本初の大衆向け冷房車である5500系が登場した。特急から普通列車まで広範に用いられ、日本でいち早く一般車(特別料金不要)の冷房サービスを始めた[注釈 49]。この年本線の最高速度を105km/hにアップ。
  • 1960年(昭和35年)10月2日 新設された休日ダイヤに、名鉄初の座席確保制列車である特急「ながら号」が設定され、5500系6両による豊橋駅 - 新岐阜駅間の運行を開始。豊橋側2両を「ファミリーカー」と称する家族専用車両として座席を確保したが、座席確保に別途料金は発生しなかった[31]
  • 1961年(昭和36年)6月1日 「パノラマカー」と称された国内初前面展望電車7000系が登場した。同時に最高速度110km/hの営業運転も認可され、新岐阜駅 - 豊橋駅間のスピードアップも行われた。この時の名古屋本線全区間の所要時分は83分。
  • 1961年(昭和36年)7月23日 5500系を使用し、新岐阜駅 - 河和口駅間に名鉄初の有料座席指定特急となる「内海号」を季節運行で開始した。
  • 1963年(昭和38年)11月 7000系の改良型7500系が登場した。本線特急(新岐阜駅 - 豊橋駅間特急)は、昼間30分間隔となった。
  • その後、7000系と7500系の増備を続け、本線特急・支線直通特急の増発(7000系列への置き換え)を行う。

自動車との競争の中で

  • 1964年(昭和39年)2月 特急列車の一部を7両編成とする。新岐阜駅 - 豊橋駅間の特急・急行はほとんどが7000・7500系を使用するようになる。
  • 1964年(昭和39年)9月14日 本線特急は昼間20分間隔となる。河和線に定期特急新設。
  • 1965年(昭和40年)3月21日 犬山線に定期特急新設。
  • 1965年(昭和40年)9月15日 本線特急は昼間時に1本増発されて毎時4本(10分か20分間隔)となり、犬山線特急も毎時2本となる。
  • 1965年(昭和40年)12月30日 新名古屋駅 - 豊橋駅間に「たかやま」の間合い運用特急(前述)が設定されたが、同列車は本格的に座席確保制度を採用した名鉄初の列車となった。この列車はその特殊性から他の列車と区別するために、“ディーゼル特急”と呼ばれた。
  • 1966年(昭和41年)12月25日 犬山線特急は毎時4本となる。
  • 1967年(昭和42年)8月22日 本線系の路線で急行が廃止され、すべて特急か準急に統合される。これにより、名古屋本線の新岐阜駅 - 新安城駅間では西尾線の直通特急が新設され、特急が毎時6本になった。結果的に本線系のほとんどの路線では、特急が新設されるか増発されることとなった。
  • 1968年(昭和43年)8月26日 本線特急は7500系の110km/h定速度運転(S速度。7000系はA速度)を基準としたダイヤを組みスピードアップされる。この時7500系による8両固定編成の特急も登場した。
  • 1969年(昭和44年)7月6日 毎時4本走る特急のうち1往復を知立駅通過とする。知立通過の列車は普通の特急が新名古屋駅 - 豊橋駅間を52分で走るところを50分で走破し、列車種別を快速特急とした。
  • 1970年(昭和45年)12月25日 廃止されていた急行が復活[32]。快速特急を廃止し、すべての本線特急が再び知立駅停車になる。所要時分も7000系基準に戻り、名古屋本線全区間の所要を81分として1990年までほぼそのまま推移する。7500系は6両編成に短縮された代わりに編成数が増えた。犬山線特急では岩倉駅が停車駅に追加された。またこの時にディーゼル特急以外にも通勤時間帯に何本かの座席確保特急が新設された。現在のJRの「ホームライナー」にも通じる列車となった。
  • 1973年(昭和48年)4月 7000系の前頭形状を貫通型とした7700系が登場した。途中駅で解結して2方面へ向かう特急を運転開始。
  • 1974年(昭和49年)9月17日 オイルショックの影響で鉄道利用客が増加したのを受け、この時に「地域密着型」のダイヤ改正を行う。急行が大幅に増加し、本線特急4往復のうち2往復が急行に格下げられたが、代わりに美合駅・東岡崎駅 - 新岐阜駅間に特急が2往復、座席指定特急が全区間に毎時1・2往復設定された。座席指定特急をのぞき、国府宮駅古知野駅(→江南駅) が特急停車駅となる。
  • 1975年(昭和50年)9月16日 犬山線特急の半分に当たる2本、尾西線森上駅へ直通する特急、河和線の特急をそれぞれ急行へ格下げ。

1度目の特急政策見直し

ファイル:Meitetsu Limited Express Network 1985.svg
特急系統図(クリックで拡大、1985年3月14日改正)。時刻表にはまだ明治村口ゆき特急が掲載されていたが、バス路線が犬山発着に変更されたことに伴い年内のうちに廃止されている。
  • 1977年(昭和52年)3月20日 列車種別の整理により特急をすべて座席指定とし、座席指定特急以外の特急については高速と改称した。名古屋本線では特急2往復(新岐阜駅 - 豊橋駅間に1往復、新岐阜駅 - 蒲郡駅間に1往復)、高速は新岐阜駅 - 豊橋駅間に2往復、新岐阜駅 - 美合駅間に2往復の計4往復、急行は2往復となる(いずれも昼間毎時)。高速は6000系の使用や特別停車を考慮して、新岐阜駅 - 豊橋駅間の基本所要時分を86分とした(特急はこの時期80分運転となっている)。
  • 1982年(昭和57年)3月21日 特急を毎時2本に増発し、新岐阜駅 - 美合駅間運転の高速2往復は急行に格下げされる(後1985年に豊川稲荷発着となる)。同時に座席指定特急用に設備をグレードアップさせた7000系が登場、その改造を施された電車は白帯をまとっていたため「白帯車」と呼ばれた。同年5月17日のダイヤ改正で国鉄東海道本線に117系快速列車東海ライナー」として登場するため、それに対する事前策といえる。
  • 1983年(昭和58年)6月10日 女性乗客掛「パノラマメイツ」が、名鉄特急の接客サービスを行うようになる。
  • 1983年(昭和58年)11月24日 特急の座席指定券を12月1日乗車分からコンピュータによるオンライン販売とする。
  • 1984年(昭和59年)12月15日 8800系「パノラマDX」が「デラックス特急」として運行開始(上記デラックス特急を参照のこと)。

JR東海発足前後

  • 1986年(昭和61年) 高速・急行用の車両として、5300系・5700系が登場。
  • 1986年(昭和61年)11月1日 国鉄としては最後の大規模ダイヤ改正が行われ、快速・普通列車が大幅に増発される。それまで名鉄特急が独占していた中京地区の鉄道輸送シェアを奪い始める第一歩となった。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 東海旅客鉄道(JR東海)発足。
  • 1988年(昭和63年)7月8日 名鉄は名古屋本線の新岐阜駅 - 豊橋駅間直通運転開始40周年に合わせ、このころ登場していた東海道本線の新快速に対抗すべく、座席指定特急用の1000系を登場させ、この時のダイヤ改正から運転を開始した。なお、このダイヤ改正でディーゼル特急の社線内運用は一旦消滅。

2度目の特急政策見直しから21世紀初頭まで

  • 1990年(平成2年)10月29日 「高速」を再び「特急」に統合し、名古屋本線で一般席(自由席)車と指定席車を併結した一部指定席特急を運行開始した。また、1000系のみで編成した列車(全車指定席)では最高速度も120km/hに引き上げられた。
    • 特急には全車指定席・一部指定席・全車一般席の3種類ができた[注釈 50]
    • 日中の本線特急はすべて一部指定席特急となった結果、それまでの特急と高速を合わせた毎時4本となった。
  • 1991年(平成3年)10月21日 1000系にデザインを合わせ、指定席車の通り抜けと一般席車のグレードアップを図る目的で、従来の1000系と固定編成を組む1200系と、その増結用で2両編成の1800系を登場させた[注釈 51]
  • 1992年(平成4年)11月24日 一部指定席特急の編成を1000系+1200系(+1800系)に統一し、すべて最高速度120km/hとなった。またJRとの対抗上、本線特急毎時4本のうち1本を知立駅通過にしてさらなるスピードアップを図る。かつての“快速特急”の復活といえるものでもあった。また、昼間時間帯の新名古屋駅 - 西尾駅間の座席指定特急を尾西線の佐屋駅まで延長し、8800系を投入した。
  • 1993年(平成5年)8月12日 西尾線の特急を吉良吉田駅まで延長した。
  • 1995年(平成7年)4月5日 全車一般席の特急の種別を「快速急行」に改める(上記参照)。
  • 1997年(平成9年)4月5日 JR発足以降、積極的に進められた名古屋本線特急のスピードアップが頂点をきわめる。最速で新岐阜駅 - 新名古屋駅間23分30秒(表定速度82.5km/h)、新名古屋駅 - 豊橋駅間47分30秒(同85.9km/h)、全区間所要71分30秒運転(同83.7km/h)となり、これが名鉄としての最速記録となっている[注釈 52]
  • 1999年(平成11年)5月10日 1600系が登場し、専用車両(1000系・8800系・1600系)のみが使用されるようになったため、すでに急行・普通列車でも使用されるようになっていた7000系と7700系の白帯車が特急運用から離脱した。
    • これによって座席指定特急にはそれ「指定席券」を「特別車両券」(μチケット)に、「指定席車」を「特別車」に、「一般席車」を「一般車」にそれぞれ名称を変更した。
    • また、JRとのスピード競争から地域中心輸送に方針を改め、知立駅通過の特急を廃止し、国府宮駅にすべての特急が停車するよう改めた。
  • 2000年(平成12年)3月21日 毎時4本の本線特急のうちかつての高速の流れを汲む新安城駅停車の2本が国府駅にも停車するようになる。
    • これは豊川線との接続を考慮に入れたものであり、同時に輸送形態をそれまでの都市間高速輸送重視である「点輸送」から地域相互間輸送重視である「線輸送」へ変容させる第一歩となった。
  • 2003年(平成15年)3月27日 「快速急行」を全廃(2005年に別形態で種別は復活)。また、広見線・可児川駅が特急停車駅となり、広見線内では西可児 - 新可児間の各駅に特急が停車するようになった。

空港線開業

  • 2005年(平成17年)1月29日 空港線の開業に伴うダイヤ改正で停車駅ごとに種別の再整理が行われ、新種別として「快速特急」が登場した。
  • 2005年(平成17年)3月22日 空港線の利用客数が予想を上回り混雑がひどくなったことから、急遽ダイヤの一部改正を行い列車を増発した。新設された最終である中部国際空港発金山行きの特急に関しては、久しぶりに「全車一般車」の特急が復活した。
  • 2006年(平成18年)4月29日 ダイヤ改正により、夕方から夜間の金山駅 - 中部国際空港駅間の一部特別車の特急が区間延長され、名鉄名古屋発着となった[注釈 55]

3度目の特急政策の見直しから現在

  • 2006年(平成18年)9月29日 『特急政策の見直し』に関するニュースリリースが発表され、2007年夏以降『空港発着の快速特急をのぞく快速特急・特急を「一部特別車」に順次変更する』と発表した。この見直しにより、犬山線 - 河和線・知多新線を結ぶ特急の大半が「一部特別車」に変更された。
  • 2007年(平成19年)6月30日 ダイヤ改正により、本線特急では一部列車が2200系化され、3100・3150系の定期特急運用が復活した。また、河和駅 - 新鵜沼駅間の系統の大部分が一部特別車化された[注釈 56]
  • 2008年(平成20年)6月29日 ダイヤ改正で西尾、津島線の全車特別車の特急を快速急行に格下げ(その後の改正で急行にも格下げ)。津島線特急を一旦廃止。西尾線の特急を一部特別車化。それに伴い1600系が運用を一旦離脱。
  • 2008年(平成20年)12月27日 ダイヤ改正で空港発着の2000系を使用した全車特別車「快速特急」・「特急」が新種別「ミュースカイ」に統一され、これをのぞくすべての特急列車が、一部特別車となった。また、運行系統の見直しで、犬山線と河和線の運行系統が、豊橋駅 - 新鵜沼駅・河和駅 - 名鉄名古屋駅間に変更されたほか、新木曽川・笠松・阿久比・青山の4駅を特急停車駅に、柏森・太田川を快速特急停車駅にした。また、津島線に特急が復活し、早朝と深夜に走っていた「全車一般車」の特急が快速急行に改称された。元1600系の1700 - 2300系がデビューした。このダイヤ改正により1000系4連(全車特別車)と元特急車の7000系が運用を離脱。
  • 2009年(平成21年)特急政策見直しに伴い、1000系は、「全車特別車」である15編成60両が2009年度までに廃車となった。なお、1000系+1200系の「一部特別車」編成は運用継続される。また1000系の機器を流用した通勤形車両、「新5000系」が2009年度までに14編成56両新製された。
  • 2011年(平成23年)3月26日 ダイヤ改正[33]。特急列車関係では、平日朝の中部国際空港行き特急の一部をミュースカイと快速急行に変更するとともに、同時間帯に名古屋本線・犬山線・河和線から名古屋方面へ向かう特急系統の列車を増発。また、平休日とも名鉄岐阜駅発着のミュースカイは名鉄名古屋駅折り返しに変更されるほか、河和線・知多新線(以上の2路線は平日昼間帯のみ)・名古屋本線(東岡崎駅以西)・常滑線・空港線(以上の3路線は深夜のみ)において全車一般車特急が設定される。

例外的な処置

  • 人身事故などの不測の事態で列車が遅れた場合は、後述の理由により、特急が伊奈駅または国府駅あるいはその手前で折り返すことになっている。
  • また同様の場合、運転再開に当たって「一部特別車」車両の遣り繰りがつかない時は、3000番台VVVF車両などを運用し「全車一般車」特急として運転することが多い。
  • さらに上記の場合、運転再開直後に限り、通常は全車特別車車両で運行する「ミュースカイ」においても全車一般車扱いで営業運転することがある。

脚注

注釈

  1. 私鉄で「座席指定券」の名が用いられる例は少なく、南海電気鉄道が特急「サザン」に現在でも使用しているほか、かつては東武鉄道が用いたことがあった(詳細は座席指定券#私鉄を参照)。
  2. 赤池駅弥富駅を除く。
  3. 別途料金で特急列車を運行している小田急京成西武・東武・近鉄・南海などではオンラインまたは専用ダイヤルによる発券を実施している。
  4. 豊橋駅では改・集札業務をJRに委託しているため、豊橋駅到着前に乗務員が回収する
  5. 2005年以前にも犬山線に入出庫の関係などで一部の列車に設定されていた。
  6. 名古屋本線・常滑線・空港線では120km/hで運転している区間があるため、臨時に全車一般車特急として運転する場合は3500系・3700系・3100系・3300系・3150系・5000系 (2代) など120km/hでの運転が可能な車両が優先的に使用される。また、この様な時には「全車特別車」と「一部特別車」の編成中の「特別車」も、臨時に開放して「全車一般車」として運行することもある(全車特別車の2000系も「全車一般車」扱いとして運行したことがある)。
  7. 行先表示器は1000系は無表示、2200系は種別部分に「締切」「Closed」と表示し、行先部分に本来の行先を表示。1700系は前面方向幕搭載時は種別のみ表示し、側面に本来の種別と行先を表示していたが、前面行先表示がフルカラーLEDに交換された現在では種別・行先双方の表示を行う。
  8. これらが使用されるようになったのは1991年秋からで、それまでの一部指定席特急には1000系4両編成や7000・7700系白帯車に7000系一般車や5300・5700系などを併結した編成が使用されていた
  9. 2005年1月29日から2008年12月26日までは快速急行として運転。現行ダイヤでは、上りの佐屋→名古屋間と下りの神宮前駅→須ヶ口駅間および朝夕の西尾線内は準急として運転。
  10. 2006年以降、2000系は4両編成になったため、3両編成の1600系の代走として使用した場合は最後尾車両の座席は指定とせず、車内精算券での利用者のために開放していた。
  11. この列車は平日にのみ夜に名鉄名古屋発豊川稲荷行きとして運転され、豊川稲荷駅到着後は国府駅に回送→停泊→平日にのみ朝に豊川稲荷駅へ回送されて折り返し新鵜沼行きとして運転(休日は国府駅で終日留置)された。
  12. 名古屋到着後は新鵜沼駅へ回送され、折り返し特急豊橋行きとなっていた。2008年12月改正までは一旦栄生駅まで引き上げた後、名古屋始発の特急中部国際空港行きとして運転されていた。
  13. 13.0 13.1 高速路線といわれていた阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄神戸線の各駅停車の表定速度51km/hを上回る運転で、愛電の「特急」は59km/h、「急行」も52km/hで、愛電の名は高速電車の運転を行ったことで一躍有名となった。
  14. この記録は同年10月1日から運行された京阪電気鉄道P-6形の超特急列車(表定速度67.4 km/h)により破られたため、「超特急」として日本一だった期間は短かった。
  15. この「快速特急」の標示板は西尾線、蒲郡線特急にも使用された
  16. 常滑行き、金山行きとも3両編成。なお、金山行きは大野町・新舞子・朝倉・尾張横須賀に特別停車していた。
  17. 電車化(1000系に置き換え)後も同列車のダイヤは2005年までほぼ継承された(金山行きは名古屋まで延長、特別停車に関しても同様に行った)。
  18. 名古屋市役所近くの大津橋下。栄町駅乗り入れ工事に伴い1976年(昭和51年)2月14日廃止。以降1978年(昭和53年)8月20日の栄町駅乗り入れまでは現在の東大手駅 - 清水駅間に設けられた土居下(仮)駅を名古屋側の折り返し駅としていた。
  19. 国府宮駅・鳴海駅・新安城駅・岩倉駅・古知野駅・南安城駅・碧海桜井駅・上横須賀駅・西幡豆駅・河和口駅には一部の特急のみ停車したほか、標準停車駅の知立駅・太田川駅を通過する列車も登場した。
  20. 非冷房の5000系・5200系も1973年ごろまでは使用された。5500系は1979年ごろまで使用された。旧型車の中でも、7300系のみは少ないながらも例外的に『座席指定特急』へ使用されたことがある。
  21. 徳田耕一著 まるごと名鉄ぶらり沿線の旅(95年版)七賢出版より。ただし、社線内に関しては1993年ごろまで特に制限もなく、「2Dayフリーきっぷ」などでも「北アルプス」に乗車可能であった。
  22. 時代が下るに従って徐々に運行期間を短縮し、最終年は8月下旬までであった。
  23. ヘッドマークは急行時代と同じく白地に文字のみで、上段の「急行」を「特急」へ変更した程度であった。
  24. 当時の国鉄では代替車両の手配(予算確保)もままならないため、キハ80系の走行距離を縮減して延命を図ろうとした。国鉄からは「ひだ」同様に金沢までの運行を打診され、名鉄側も「金沢直通」は魅力であったと言うが、「日帰りダイヤ」が組めない(従ってその分の所要車両が増加する)などの問題で実現しなかったとの説もある。
  25. 始発駅「神宮前」が一般的には分かりにくい(駅の知名度が地元住民など限定的であった)ため、地元以外でも名古屋発着を想起しやすい「新名古屋」発着として公表・案内したいのが理由と言われている。
  26. 富山駅では前日に「さよなら北アルプス高山-富山間」のセレモニーが行われ、富山 - 猪谷間を特製ヘッドマーク付きにて運転された。
  27. 最高速度は従来の95km/hから名鉄線内では110km/h、JR線内では120km/hにアップ。併結する「ひだ」は季節列車のため多客期に実施。併結区間は美濃太田駅 - 高山駅間。
  28. 運行最終日(9月30日)には往復とも特製ヘッドマークをつけて運転された。
  29. 特にJR化後は、高山本線内でのダイヤ設定が名鉄側の意向に沿ったものにはできず、利用者のニーズとは合わない中途半端な時間帯にダイヤを設定せざるを得なかった。
  30. 電車を運転するための「甲種・乙種電気車運転免許」を持つ者とは別に「甲種内燃車運転免許」を持つ者を用意しなければならなかった。
  31. 朝の中部国際空港行きは2007年6月30日改正から、夜の金山行きは2005年3月22日の一部ダイヤ修正時からで、前者はそれまでほぼ同ダイヤで設定されていた一部特別車特急からの変更、後者は常滑・空港線の上り最終列車繰り下げのための増発、という経緯により設定された。
  32. この変更により、2005年1月改正以降、快速急行停車駅として扱われていた、常滑線の寺本駅古見駅大野町駅と空港線のりんくう常滑駅は急行停車駅に降格した。
  33. ただし、方向幕は2005年に全車が新型の物に交換されるまで、準急を示す「準」とともに廃止後も一部車両に残っていた
  34. 方向幕を装備していた7301Fは空欄へ青地に白抜きで四角く転写していた。
  35. 『名鉄電車・バス時刻表』各号のうち1984年版(創刊号・Vol.1)から1986年版 (Vol.3) までは「高速急行」と記載されたが、1987年版 (Vol.4) 以降は『高速』へ表記が改められた。
  36. なお、「高速」設置前の無料特急時代でも同様の処置をおこなったころもあった(1977年改正前の正月日祝日ダイヤでは新岐阜 - 国府の無料特急も存在し、停車駅も美合特急に準じていた)。
  37. なお、1982年改正以降は新岐阜 - 美合急行を下りは神宮前(上りは新名古屋)以東で新岐阜 - 豊橋高速と置き換える形を取ったため、上りのみの設定で下りは急行(神宮前以東)の設定のこともあった(1983年時点で上り臨時高速の停車駅は、新岐阜駅 - 新一宮駅 - 国府宮駅 - 新名古屋駅 - 金山橋駅 - 神宮前駅 - 鳴海駅 - 知立駅 - 新安城駅 - 東岡崎駅 - 美合駅 - 国府駅 - 諏訪町駅 - 豊川稲荷駅)。その関係上、正月ダイヤの豊橋高速は下りは神宮前(上りは新名古屋)以西は急行で運転していた。また、正月ダイヤ以外でも飯田線の保守間合の関係によるもので国府行きもしくは豊川稲荷行きの列車が設定されていたことがあった。なお、1985年のダイヤ改正時に美合急行が豊川稲荷まで延長したことにより本線系統の豊川稲荷・国府発着高速は臨時便を含め運転を終了した。
  38. 犬山線・広見線では当時『特急』通過駅の岩倉駅西可児駅可児川駅が加わる。
  39. 平日は9時から17時が停車した。休日も9時から17時が停車し、晩年(1990年改正前)には9時から21時まで停車時間を拡大していた(平日は変更なし)。
  40. 1977年から1982年までの時刻パターンをみると、AL車を多用しながらも犬山駅から太田川駅まで特急の2分後を続行する平行ダイヤであった。また3880系も同時期にはラッシュ時に限って高速に使用されていた。八百津行きの重連は有名。
  41. 1990年以前は高速、1991年から全車一般席特急として運行されていたものの改称。2000年から普通に格下げされ、2005年の普通列車通年増発へと繋がる。
  42. この「座席確保券」は、JRホームライナー乗車整理券などとは異なり、号車・席番が完全に指定され、発売方法・券面も「座席指定券」とほとんど同じオンライン発券であった。
  43. 従来は15m級以下の小型車両ばかりであった名岐鉄道であったが、この800形は18m級の大型電車で当時の私鉄電車としては優秀な性能を備え、そのスペックはこの後20年間に渡り、名鉄電車の基本的なフォーマットとなった。
  44. 合併前の4月25日から愛電では神宮前駅 - 中部天竜駅豊川鉄道鳳来寺鉄道三信鉄道、現在の飯田線に乗り入れ)間に行楽列車の「天龍号」を設定した。
  45. 後に「金山橋駅」と改称。開業当初の駅名は「金山駅」で高蔵橋(道路橋)の豊橋寄りに位置し、現金山駅とは場所が異なっている。
  46. 旧西部線区間では昇圧によって1,500V対応の電車が不足することから、この東西直通運転開始に合わせて運輸省乙種規格型電車が2両編成10本(20両)割り当てられ、その後1954年までに71両も製造され、名鉄の輸送力増強に貢献した。
  47. 同時に、「東部線」のうち豊橋線(神宮前駅 - 豊橋駅間)と「西部線」のうち名岐線(新岐阜駅 - 新名古屋駅間)と連絡線(新名古屋駅 - 神宮前駅間)が統合され、新岐阜駅 - 新名古屋駅 - 豊橋駅間が名古屋本線と改称した。
  48. 当時国鉄東海道本線の電化が進展し、特に名古屋本線では競合することになるため、それへの対策である。なお、東海道本線浜松駅 - 稲沢駅間の電化完成は1953年(昭和28年)、稲沢駅 - 米原駅間の電化完成は1955年(昭和30年)である。
  49. 戦前に南海鉄道2001形が試験的に冷房装置を搭載(戦時中に撤去)し、料金不要の急行などに運行された例がある。
  50. この時に運輸省(→国土交通省)の指導もあって、指定席車と一般席車の区分を明確にするため、指定席特急には1000系・8800系と7000系・7700系白帯車のみを使用するよう改めた。一部指定席特急の一般席車には5300系・5500系・5700系・7000系・7100系を使用したが、全車一般席車の特急には6000系などのロングシート通勤型車両も使用された。なお、私鉄における一部指定席という編成形態は、これ以前より南海電気鉄道で行われていた。(特急「サザン」)
  51. 一部指定席特急の運行開始当時は「指定席車」と「一般席車」の間が通り抜けできず、利用者の誤乗が絶えなかったため、運輸省から改善要求が出されての措置。
  52. 2008年12月改正以降は新木曽川・笠松停車が標準パターンとなり、岐阜駅 - 豊橋駅間通し運転の系統は上り快速特急が所要時分81分(ダイヤ編成の関係で余裕時分2分を含む)、下り特急が同82分と1980年代以前の水準に留まっている。
  53. 「特急」停車駅は、これまで特別停車だった新舞子・朝倉・尾張横須賀が正式に停車駅へ加えられたが、大野町はすべて通過となった。なお、その他の路線に運行系統が跨るものについては、その種別のまま直通している。たとえば、神宮前駅以北の「快速特急」停車駅は「特急」と同じであるが、「快速特急」のまま運行している。
  54. 本線特急でも毎時4本のうちの1本が一部特別車の空港特急となり、神宮前駅および金山駅で双方の接続を取るようになった。西尾・津島特急では1日1往復のみ残っていた蒲郡駅直通の列車と、日中の佐屋駅 - 名鉄名古屋・西尾駅 - 吉良吉田駅間の運行を廃止した。
  55. 。このほかの改正による動きでは平日の夕方のみだが犬山線の特急が2本/時となり、快速特急と併せて3本/時となった(昼間は快速特急と特急を交互に運行)。なお朝に名鉄岐阜発中部国際空港行きの特急で2200系の増結用として存在した3100系や3150系の特急運用は一旦消滅し、2200系単体での運用となった。
  56. この改正で、平日の朝の時間帯には犬山方面や岐阜方面からの空港アクセス特急の増発、常滑線での特急の増発および区間延長、豊橋発の急行1本の一部特別車特急への格上げが実施された。これにより2005年1月のダイヤ改正以来消滅していた豊橋駅 - 新鵜沼駅間の系統が約2年半振りに復活した。このほか、早朝の一宮発中部国際空港行き特急は2200系による一部特別車特急から5300・5700系による全車一般車特急に変更され、15年ぶりの定期特急運用復活となった。

出典

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  4. 『保存版 知多半島の名鉄90年 ―常滑線・河和線・知多新線それぞれの歩みをたどる90年のドラマ』 郷土出版社、1999年 ISBN 978-4876701193 p.232
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  28. 交友社「鉄道ファン」2011年7月号「POST」
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関連項目

外部リンク

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