名鉄5700系電車

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テンプレート:出典の明記 5700系電車(5700けいでんしゃ)は、名古屋鉄道が1986年から運行している2扉クロスシートの電車。登場時より一貫して特別料金不要の一般車として運用されている(用途については#用途を参照)。 なお、本項では同様の車体と設備を持ち、ほぼ同時期の製造で車両性能が近い機器流用車の5300系電車についても記述する。

ファイル:Nagoya Railway 5700.jpg
5700系電車
(2008年4月5日 / 東枇杷島駅)

概要

登場の背景

1955年から1957年にかけて製造された初期のSR車両(5000系(初代)・5200系)は老朽化が進んだ1980年代半ばになっても、非冷房でありながら高速急行列車に多く運用される車両であったが、軽量構造の車体は、強度の関係から冷房化改造が困難であった。

加えて日本国有鉄道(国鉄)が名古屋本線と競合する東海道本線快速列車に「東海ライナー」と銘打って117系電車を投入して攻勢に出ていたうえ、1987年国鉄分割民営化によるサービス向上が予想されていた。このため、初期のSR車両を置き換え、高速や急行列車の強化を図るべく投入されたのが本系列で、5700系は完全な新造車、5300系は5000系・5200系から走行機器の一部を再用し、車体を新造した車両である。両者は相互の併結が可能で、共通に運用されている。また、2扉転換クロスシートの車両としては1975年7000系最終増備車(モ7050形7100番台)以来11年振りの投入となる。

公式な愛称はついていないが、5700系の登場時に構内に掲示されていた新車デビューの広告には「スーパーロマンスカー」と表記されていた。7000番台形式の車両が全廃され本系列が唯一の2扉一般車となった2010年以降は、単に(狭義の)SR車と呼ばれることが多くなった。

用途

本形式は国鉄の117系や213系に類似する両開き2扉を持つ転換クロスシート車両であるが、元々は本線の高速・急行用車両として登場した[1]。名鉄側では5000番代と7000番代は2扉クロスシート車に分類しているものの、私鉄の料金不要車両は国鉄・JRの区分をそのまま当てはめることが難しく、そこまで明確に定義していない。

車体(5700系・5300系共通)

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両開き扉を片側2か所に持つ普通鋼製車体で、車内の座席は車端部にロングシート、先頭車の乗務員室背後と各車の扉間には転換クロスシートを計16脚配置する。先頭部分は「く」の字型で、通常の乗務員スペースを確保しながら、客室から前方への眺望を提供するために車掌台側の窓が拡大されたスタイルである。

名鉄でそれまで優等列車用として増備されていたのは、7000系パノラマカーなど、客室より前方への見通しのよい車両であった。そのため、5700系・5300系においてもこれが配慮され、支線乗り入れも考慮したためパノラマカーのような展望室構造とはならなかったものの、前面窓および車掌台側の乗務員室と客室の仕切りの窓が拡大され、客室からの前方視野を十分に確保した[2]。その直後の座席2列は広幅のものとし、大人1人と子供2人が座れるように配慮した。そのうち最前列の座席は背もたれを低くし、2列目の座席からも前面展望が利くようになっている。ほかにも客室窓が連続窓構造であることや、先頭車の客室最前部に7000系白帯車(特急仕様車)と同一のデジタル式速度計が取り付けられるなど、パノラマカーの後継車としてその伝統を受け継いでいる点が随所に見られる。さらに新製車では5000系(初代)2次車以来30年振りの前面曲面ガラスや、8800系に続いて採用となった客室窓のFRP製内枠が特徴である。横引きカーテンのタッセルは布帯から金具に変わり、追って従来車にも波及した。内壁の化粧板は3780系以来20年振りのクリーム色が採用された[3]。床は、100系1 - 3次車で採用された、薄茶と赤色である。

7000系後期車と同じように客用ドア横に号車札・種別札受けが取り付けられている。一部指定席特急運用時には「一般席車」のサボを掲示していた。なお5300系の一部車両(5301編成、5302編成を除く全編成)は側面の種別・行先表示器の駅名表示コマ数が20コマと少ない[4]ため、一部の駅名[5]が表示できず白地無表示になっていることがある。なお、本系列は名鉄で初めて種別と行先が分割式の側面方向幕が設置された系列である(6000系、7500系は後年の改造で設置。100系、8800系は一体表示式)。

一方5500系や7000系列では、片開き2扉でラッシュ時には乗降時間が延びて列車遅延につながるなどの問題があった。5700系・5300系の乗降口は前記車両との併結などの関係から2か所とされたが、ラッシュ時対策として先の車両のような幅の狭い片開き扉ではなく両開き扉を採用し、さらにその幅は6500系などの1.3mより広い1.4mとなった。戸袋の部分は、補助座席で、混雑時には乗務員室からの操作で折り畳んだ形でロックされ、車端側のロングシートも少なめに配置されたため、立ち客スペースは6500系並の広さが確保されている[6]。また、混雑時に乗客が滞留するこのスペース向けに専用の冷房の吹き出し口が設けられた。車端部はそれまでの2ドア車には一部クロスシートが配置されていたが、5700系・5300系は乗務員室の背後を除く車端部に5人掛けのロングシートが設置された。ドア間は従来よりも厚みを増した背もたれの高い転換クロスシートとなっている。天井高さは、クロスシート主体の車両ということもあって6500系よりも低い2,120 mm に留めている[7]照明は天井埋込みでカバー付きであるが、7700系までの車両に比べて蛍光灯が各車2本ずつ減っている。冷房装置は8800系から採用の集約分散式(RPU-4002A)を各車2基搭載し、先頭車は客室の中央付近となるよう設置したため取り付け間隔が中間車よりも狭い。1基の能力は15,000 kcal/h であり、その後1000系列にもインバータ制御化された改良版が使用されている。本系列では、当初は冷房が効き過ぎる、横引きカーテンが風に煽られるといった問題が生じたが、後年ラインデリアの風速を下げることにより改善されている。座席指定特急(当時)への使用は考慮していないため、7000系などそれまでの2扉転換クロスシート車にあった座席番号は当初から表示されていない。

扉(d - 乗務員扉、D - 客用扉)・窓配置(数字で表記)は先頭車d2D3D2、中間車2D4D2で、戸袋窓はなく扉間が連続式固定窓、車端が一段下降式2連窓である。2扉転換クロスシート車という設計、先頭車と中間車で扉位置や窓数を違える手法は、名鉄の一般車・通勤車としては目下のところ本系列が最後である。また2010年以降は7000番台形式車両の全廃により、5700系・5300系は「2扉一般車」として唯一残存する系列となった。

5700系

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ファイル:Meitetsu5600.JPG
5600形
(2013年 / 本笠寺駅)

1986年6月に4両組成3本(12両)、1987年3月に4両組成2本(8両)、1989年6月に増結用のモ5650形とサ5600形[8]各2両(4両)の計24両が製造された。増結車は、5701編成と5702編成の豊橋方から2・3両目に組みこまれ、6両組成となった。これは当時、名古屋本線で高速、急行を終日6両編成以上で運行する方針が打ち出され、乗客車掌の行き来を容易にするためである[9]

6両組成については、共通運用されていた7000系が廃車になったことで、一般車の6両運用が減少したため、2009年9月に増結車2両が外された。それ以降は、4両組成5本が運用されており、編成から外された4両は舞木検査場内に留置されていたが、うち2両(サ5601・モ5652)に同時期廃車となった5300系の運転台を取付けの上4両編成を組成し、2010年3月27日から運用に復帰した[10]。同編成の先頭車は運転台寄りの客用扉位置が中間車当時から変わっておらず[11]、窓配置(dD4D2)の関係上、当初からの先頭車とは異なり、運転席後ろの窓と座席が無いため、外観から容易に判別できる。なお、名鉄のホームページでは正式呼称として5700系(の中の)5600形と紹介されている[12]。ちなみに、この5601編成の岐阜寄り2両は名鉄の付番慣例とは逆[13]に中間車が0番台(5602)、先頭車が50番台(5652)、となっている。

制御方式は、モ5750形とモ5850形の電動車ユニットには6500系に続いて界磁チョッパ制御が採用されたが、モ5650形では界磁添加励磁制御が採用され、ともに回生ブレーキ装備となった。界磁チョッパ制御車は6500系と同様に、電流0 A(ゼロアンペア)制御(惰行制御)を採用し、再力行時の応答性が良い。ただし6500系にあった発電ブレーキバックアップを省略したので、回生ブレーキ失効時(回生ブレーキの効用下限速度は35 - 40 km/h )[14]空気ブレーキのみとなる。

歯車比は、6500系の5.60 (84:15) に対して7000系などに近い4.82 (82:17) とした。全界磁定格速度は55 km/h(5600番台車は90 % 界磁で64 km/h)で7000系や5300系よりも低いが、広域で弱め界磁制御を行い高速性能を確保しており、界磁チョッパ車の弱め界磁最終段(8 % )における定格速度は102 km/h で、動輪径820 mm・架線電圧1350 V の条件下では7000系(40 % 界磁で105 km/h )などと同等[15]。なお5300系(最弱界磁率50 % )は同条件で台車未交換車が98 km/h、空気バネ車が106 km/h となる。

主幹制御器も7000系などとの混結運用を前提に直列並列指定式としたが、主制御器東芝PE-39系)は6500系のものを基本としていて5500系・7000系などのMC11型と異なり、起動時マスコンを並列ノッチに投入しても直列段から進段し、直並列自動切替えを行う。同時に直列段の弱め界磁制御も従来通り備えている。これは5300系、1000系列1600系を除く)も同様である。

性能は起動加速度2.0 km/h/s、常用減速度 3.5 km/h/s、非常減速度4.0 km/h/sで、営業最高速度は110 km/h(5703F - 5705Fは120 km/h 対応、設計最高速度130 km/h )である。6500系とほぼ同じ機器を使用しながらも、車体構造が簡素化したため編成質量は4両組成で126.0 t と軽い。

5300系

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廃車とした5000系(初代)・5200系の走行機器などを再利用し、5700系に準じた車体を新造したもので、最初の編成は1986年6月に落成した。私鉄車両として初めて界磁添加励磁制御を採用し、一部に旧車両の走行機器を生かしながら回生ブレーキを使用可能とした[16]

種車の関係からすべての車両が電動車で、出力75 kW の直巻モーター(TDK823-0A)を4台ずつ装備し、歯車比も種車そのままの4.875である。全電動車のため起動加速度2.3 km/h/s、常用減速度3.7 km/h/s は種車の5000系(初代)や7000系などと同等で、5700系よりも若干高い。なお、本系列を始めとして名鉄の界磁添加励磁制御車の主制御器は三菱電機製(CB-16系[17])で、界磁チョッパ制御車と異なり惰行制御機能は備えていない。岐阜方先頭車のモ5400形にパンタグラフを搭載し、また車内見付では、台車周りの床面に主電動機点検蓋が多く心皿(空気バネ車では埋込み)もあるので5700系との識別は容易である。

種車のものを再用した台車[18]荷重の増加(4両組成の自重142.6 t )などにより高速走行時に揺れや振動が目立ったため[19]、当初はコイルバネの交換のみで対処していたが、1993年以降、5000系(初代)由来のFS-307系台車を装着していた全20両と、5200系由来のFS-315形台車を装着していた車両のうち6両が、新造の空気バネを使用したFS-550形台車に変更された。同時にブレーキの増圧改造と歯車比の変更 (81:18 = 4.50:1) を受けて120 km/h 走行対応とされた[20]が、この台車交換は2002年施工の5305Fを最後に26両をもって中断されたため、営業最高速度は全車が従来通りの110 km/h である。FS-315形台車のまま残った編成は5301F、5302F、5307F(4両組成×3本)、5312F、5313F(2両組成×2本)である。ちなみにFS-550形台車は、台枠構造の関係から車体直結式空気バネではない(インダイレクトマウント)大径心皿式のS型ミンデン台車という珍しいタイプとなった。

主制御器や補助電源装置は当初から新製され、電動空気圧縮機も後に交換されたため[21]、空気バネ車においては流用品は主電動機のみで[22]、限りなく完全新製車に近い。1986年内に34両、翌1987年11月に8両が製造され、最終的に4両組成8本32両 (5301F - 5308F) 、2両組成5本10両 (5309F - 5313F) の計42両が製造されたが、2009年10月に5312F・5313Fの2両組成2本(両車FS-315形台車を履く未更新車)が運用から外れ、11月に廃車となった[23]。5313Fの運転台部分は2010年に運用を開始した5700系5601編成に再利用されている。転落防止幌取付け車は5700系・5300系全体の中で永らく5305編成の1組成のみであったが、2010年に5601編成が改造と同時に加わり、同年12月には5704編成、2011年3月には5701編成、2012年9月には5308編成、2012年10月には5705編成にも取り付けられたため、外観上の識別点ではなくなりつつある。なお、転落防止幌が取り付けられていない車両は、2012年10月現在、5304編成、5306編成、5309編成、5702編成のみになった。

続いて2011年3月のダイヤ改正に際し、5301F - 5303F・5307F・5310F・5311Fの計20両が余剰となり運用を離脱。これにより本系列は18両に減少[24]し、5700系と両数の多寡が逆転した。また、同時期の瀬戸線6750系運行終了と合わせて、名鉄の旅客車は全て空気バネ台車装備となる。2011年3月26日のダイヤ改正で、5302F・5310Fが運用を離脱し、舞木検査場回送され、5月に名電築港解体された。さらに、6月には5301Fも4月中旬から運用を離脱し、一時猿投疎開留置をして舞木検査場に回送されていたが、6月に名電築港にて解体された。また5301Fが舞木検査場から出場した次の日に5307Fが運用を離脱し、舞木検査場へ回送された。これをもって、コイルバネ台車装着車の運用は無くなった。5307Fは翌7月に廃車、8月には5303F・5311Fが廃車され、当回の廃車は2011年8月までに完了した。 テンプレート:-

運用の変遷

両形式あわせて名鉄内での運用上の略号は「SR」と称し、2両編成は「SR2」、4両編成は「SR4」と称される。また、2009年まで存在した6両編成の略号は「NSR」であった。なお、以前は2両編成は5500・7100・7700系(7100系と7700系は2001年10月以降は別運用となった)、4両編成は5500系、6両編成は7000系6両編成(2005年1月改正までは電連付きの4編成のみ、同改正から7000系6両編成の定期運行が終了した2008年6月改正までは6両編成すべて)とそれぞれ共通運用されていた。

新造当初は、所期のとおり名古屋本線の高速、急行などに用いられた。その後1990年10月のダイヤ改正において高速が特急に吸収され、新規に一部座席指定特急が設定されると、併結される一般席車(当時。現在の一般車)の主力として、指定席車の1000系や、白帯を巻いた7700系とともに運用された。しかし名鉄では名古屋本線の特急に一部指定席車(現在の一般車)の1200系1991年から新造し、5700系の特急運用を置き換え、さらに急行についても120km/h営業運転の可能な3扉ロングシート車・3500系・3700系・3100系の導入に方針転換したことにより、急行運用の主力の座も譲った。

本系列は120km/h対応車が過半数を占めるが、110km/hまでしか対応していない残りの車両と共通に運用されているため、実際の営業運転ではどの車両も120km/h運転を実施したことがない[25]

登場時は初代5000系・5200系の運用を順次置換え、交代期にはそれらとの併結もみられた。その後も同じ2扉SR車である5500系や7000系列と共通あるいは同等に運用され、併結運用も多かった。現在は4両組成単独運用ばかりになったが、回送列車では1380系5000系との併結もみられる。

6両組成は2009年に4両組成化されるまで一部の[26]急行列車に充当されていた。4両組成は名古屋本線、犬山線、常滑線津島線などで頻繁に使用されているほか、2005年以降、平日朝の1往復(新安城発普通蒲郡行きと折り返しの蒲郡発普通佐屋行き)を除いて一時運用が消滅していた西尾線にも2008年以降再び入線するようになった。2両組成は、広見線犬山駅 - 新可児駅間をはじめとして、普通列車での運用が中心であったが、運用される機会が少なくなっていた。三河線には2006年以降、通常ダイヤでは入線しなくなった。

6両組成と2両組成の併結運用は2005年1月改正で一旦消滅し、2008年12月改正前までは6両編成は単独で運用されていた。同改正後はごく僅かではあるが一部の急行で併結運転が復活したが、翌年9月に4両組成化➞10月3日より4両+4両に運用変更された。また、6両組成は2本のみで、予備車もなかったため、検査や故障時には原則としてSR車の4両+2両または2両+4両が代走していた。

また、2008年6月29日のダイヤ改正からは5700系の豊橋豊川稲荷乗り入れは消滅した。6月28日までは5300系の2両組成が広見線新可児 - 御嵩間にも入線していたが、6000系によるワンマン運転開始によって消滅した。2010年時点では、名古屋本線の急行運用は早朝に国府発岐阜行きが1本、平日朝に岐阜発神宮前行きが1本(快速急行)、深夜に岐阜発伊奈行きが平日2本・土休日1本、平日の深夜に岐阜発東岡崎行き1本を残すのみとなっていた。

2011年3月26日のダイヤ改正以降、2連車については1編成が残るのみとなったため定期運用がなくなり、予備車扱いとなった。また、2連車・4連車を合わせても車両数的に名鉄電車の僅か4%に過ぎなくなり、上記の本線急行運用は平日深夜の名鉄岐阜発着列車を除きほぼ完全に消滅(早朝の名鉄一宮発中部国際空港行き快速急行は存続)し、普通列車や支線区でも使用列車はかなり限られてきているものの、4連車については同ダイヤ改正時より、平日昼間帯に河和線で全車一般車特急上下20本の定期運用がみられるようになった。前出の運用離脱予定車も実際はすぐに運行終了とはならず、4月以降も5307Fなどが残存しこの全車一般車特急としても運行されていた。

編成

テンプレート:TrainDirection
5700系
ク5700
(Tc1)
モ5750
(M2)
モ5850
(M1)
ク5800
(Tc2)
ク5601
(Tc)
モ5651
(M)
サ5602
(T)
モ5652
(Mc)
5300系
モ5300
(Mc1)
モ5350
(M2)
モ5450
(M1)
モ5400
(Mc2)
モ5300
(Mc1)
モ5400
(Mc2)
 

補足

2006年7月15日より放送が開始された名鉄の企業CM「いってらっしゃい。おかえりなさい。名古屋鉄道」では冒頭から登場し、「名鉄の顔」として抜擢される。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:Sister テンプレート:Sister

関連項目

テンプレート:名古屋鉄道の車両
  1. 5700系・5300系|名古屋鉄道
  2. 高運転台ながら助士側の窓を拡大して眺望を確保する手法は近鉄10100系の貫通式前面で既に採用されており、本形式が最初ではない。また本形式登場後名鉄自身の新造車はもとより、国鉄213系やJR東海211系5000番台などに波及した。但し本系列では2008年以降に高さ20 cm 弱の機器(運転状況記録装置)が搭載されたため眺望に影響が出ている。
  3. 後に7500系の更新時や、模様は異なるが7000系の白帯車(はくたいしゃ=特急仕様車)にも採用された。
  4. 名鉄の通常の種別・行先表示器の駅名表示は60コマである。
  5. 佐屋須ヶ口西尾吉良吉田金山新羽島名古屋など。
  6. 類似の補助座席を備える1200系などと同様、ロックされる時間帯は基本的に平日の始発から9時まで(当初は夕ラッシュ時にもロックしていた)。また、本系列のものは使用状態で固定されず、席を立つと自動的に収納される。
  7. 屋根高さも同じく25 mm 低い3,475 mm である。代わりに屋根肩の曲率半径がやや小さく、幕板(平面)部分が広く取られている。室内側も、荷棚受け金具が初めて屈曲した形状となった。
  8. 扉付近のパイプが天井取り付け部付近の形状を変更され、ロングシートの座面形状も改良された。また当初からラインデリアの風速を下げた。細かいところでは雨樋が大型化されている(そのため先頭車化に当って運転台接合部分が整形された)。他は従来と同じ仕様。なおこの2両が組み込まれた編成のク5701・ク5702は運転台の電流計が750Aスケールに変更されていたが、4両組成に戻った際に再び1000Aスケールとなっている。
  9. 5701Fが6両組成化後暫くして宇頭駅付近で踏切事故に遭った際に、使用不能となったク5701の代わりに4両組成の5704Fからク5704を抜いて連結した6両組成で運用に復帰した事実からも、本系列の6両組成は大層重用されていたことが伺える。
  10. 名鉄5700系5601編成が営業運転を開始 railf.jp(2010-03-30)。当初は1380系の代走や犬山拠点運用、常滑線金山折り返し運用などへ限定的に充当されていたが、現在は他の同系4両組成と共通になった。
  11. 7100系の前例と同様である。乗務員室後方スペースは6500系と1200系の中間に当たる1155mmで2人掛け座席を設置可能であるが、座席定員を従来の先頭車と同じ50名とするため座席は設置されずフリースペースとなっている。乗務員室と客室の仕切りは従来通りの形態のまま掴みパイプが新設され、側壁のみ3500系と同じ化粧版に張り替えられている。また、前位寄りの冷房装置の位置もオリジナル先頭車と異なることになった。
  12. 先頭車の窓配置や編成中の車種構成や制御方式が異なるため、一部では同編成を5600系と呼ぶ向きもある。
  13. 名鉄においては基本的に中間車の形式は先頭車の形式+50とするのが慣例である。よって、同編成の豊橋寄り2両はこの慣例通りとなっている。名鉄の付番方式についてはこちらも参照されたい。車種構成や連結順序としては6000系の4両組成と同じ形である(電動車と付随車で1ユニット)。
  14. 本系列まで速度超過防止リレー(OSR。いわゆるスピードリミッターであり営業最高速度にて作動する)が単純に断流器をオフにする方式のため、5700系(界磁チョッパ車)ではOSR作動後は電流0 A 制御が無効となり(パンタグラフが離線した時も同様)、回生ブレーキも効かない。そのため本線急行の主力であった時代には、停車駅の手前でOSRの作動寸前まで再力行し回生ブレーキを有効にする運転がよく行われていた。
  15. 界磁チョッパ車の装備する東洋TDK8225-Aは複巻電動機だが、直巻電動機に近い回転・トルク特性があり、いわゆる伸びが良いため。
  16. 名鉄の新性能車(高性能車)では8800系に次ぐ2例目の機器流用車となった。登場当時、名鉄は本系列をあまり表に出したくなかったようで、公式な利用客向けPRにおいては5300系の名は一切出されなかったほか、鉄道趣味の新車紹介記事でも「機器の一部は異なる」という程度しか触れられておらず(当然写真も無し)、実車のコイルバネ台車を見て(或いは乗車して)驚いた人も少なくなかった。しかし、最終的に5300系は5700系の2倍近い両数を擁することになる。
  17. 制御方式はABFM。1C8Mという点では3年後に100系で採用された装置も同型である。同じ界磁添加励磁でもモ5650形、6800系、1800系の装置は1C4M。
  18. 落成当初は5301F - 5307Fが先頭車FS-307系・中間車FS-315系、5308F・5309Fは全車5000系1次車からのFS-307、5310F以降が全車モ5200形からのFS-315Aを装着していた。なおFS-307は両抱きブレーキ化、FS-315系は枕バネ内蔵であったオイルダンパの外付け化(枕バネを二重コイルに交換のため)といった改造がなされている。FS-315系台車は外観上ブレーキシリンダーが見えず一見車体ブレーキのように思われるが、実はこれも台車枠に内蔵されている(3900系第4編成→6750系1次車のFS-16台車で初採用された方式)。
  19. 特にアルストム式(段違いリンク式)軸箱支持で軸距が短いFS-307・FS-307Aは調整が難しく、本系列に流用後は最後まで良好な乗り心地が得られないまま淘汰された。
  20. 最初に改造された5304編成のみ運転台速度計の120 km/h が赤目盛(営業最高速度を表す)であったが、程なく110 km/h に変更された。なおOSRは110 km/h の設定であった。しかし歯車比変更によって、それまで5700系に比べ加速・減速は良いが、自重が5000系時代より重くなった分だけ高速域が少し弱いと言われていた点が解決した(計算上、設計最高速度は10 km/h アップの135 km/h となる。反面、回生ブレーキの失効速度も4 km/h ほど上がった)。一方台車未交換車についても、当初回生ブレーキ・レジン制輪子への変更に伴う調節が不十分だったためか、ブレーキ力の立ち上がりが余りに急激で滑走が頻発したが、問題点は改善されている。
  21. 5302Fのみ最後まで種車から流用したDH-25型のまま残り、昔ながらの作動音が聞かれた。コイルバネ車では5301F・5307FもDH-25型であったが、各々2010年9月と2009年10月にC-1000型に変更されていた。
  22. 最も古いもので1955年製であるが、これとてもコイルの巻き直し・絶縁強化・消耗部品の交換を経て全く新製時のままではない。なお1994年以降は、5306Fの中間車(5307・5407と振替)・5308F・5309Fが元5000系1次車から流用の主電動機を搭載しており、回転音の唸りが大きい。
  23. 名鉄5300系に初の廃車|鉄道ニュース|2009年11月19日掲載|鉄道ファン・railf.jp:
  24. 2連車については5309Fを残すのみとなったため定期運用がなくなり、予備車扱いとなった。
  25. 1990年当時一部の文献に「120km/h運転は1000系と5700・5300系の編成で行われる」等の記述が見られるが、実際には試運転を除き本系列が営業最高速度を120km/hに引き上げた事実は無い。
  26. 主に犬山線河和線などが多い。