名鉄河和線

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|} 河和線(こうわせん)は、愛知県東海市太田川駅から愛知県知多郡美浜町河和駅までを結ぶ、名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線である。

概要

知多半島の東側を縦貫している。沿線は宅地開発が進み、知多半田駅 - 知多武豊駅間をほぼ並行して走る東海旅客鉄道(JR東海)の武豊線とともに名古屋への通勤・通学路線となっている。終点の河和からは三河湾に浮かぶ日間賀島篠島および伊良湖岬への観光船が出ており、知多新線と共に観光・行楽路線としても賑わっていた。

運賃計算区分はB(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.15倍)。すべての駅でmanacaなどの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードが利用できる。

線形が良好な割に、優等列車の運転最高速度は100 km/hに留まり、河和口以南は最高速度が75 km/hに制限される。ただし、複線区間の大半は線内最高速度である100 km/hで走行可能であり、快速特急・特急に対しての曲線による速度制限は高横須賀駅 - 南加木屋駅間、青山駅付近、河和口駅付近程度である。トンネルは、高横須賀 - 南加木屋間に短いもの(横須賀トンネル)がある以外はほとんど存在しない。

なお、『鉄道要覧』による起点は太田川駅だが、列車運行および旅客案内、列車番号の設定においては、河和駅から太田川駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっている(名古屋本線の上下方向に合わせているため。以下、河和・内海方面行きを下り、太田川・名古屋方面行きを上りで統一する)。

路線データ

  • 路線距離(営業キロ):28.8 km
  • 軌間:1,067 mm
  • 駅数:19駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:太田川 - 河和口間
  • 単線区間:河和口 - 河和間
  • 電化区間:全線電化(直流1,500 V)
  • 閉塞方式:自動閉塞式
  • 最高速度:100 km/h(太田川 - 河和口間)・75 km/h(河和口 - 河和間)

歴史

知多鉄道

テンプレート:Main 大正時代中期に、愛知電気鉄道常滑線(現・名鉄常滑線)の太田川より分岐し、知多半島を横断して半島東岸の河和に至る鉄道路線が計画された。知多半島の東岸沿いには既に鉄道省武豊線が開通していたが、同路線は蒸気機関車が牽引する客車列車によって運行され、速度が遅い上に本数も少なかったことから、半田・河和地区の有力者が中心となって計画が推進されたものであった。その後1926年(大正15年)に知多電気鉄道名義で申請された太田川 - 河和間の敷設免許が下り、1927年(昭和2年)1月には愛知電気鉄道(愛電)の資本参加を得て知多鉄道が設立された。

大恐慌のさなか建設工事は進められ、1931年(昭和6年)4月に太田川 - 成岩間が開業した。太田川 - 知多半田間は当初より複線とし、良好な線形と道床強化により高速運転を指向したものとされている。開業と同時に愛電との相互直通運転が実施されて神宮前 - 知多半田間を最速35分で結び、熱田 - 半田間で1時間半を要した武豊線に大差を付け、地域交通の主力の座を武豊線から奪う形となった。

1932年(昭和7年)に成岩 - 河和口間が開通し、1935年(昭和10年)8月には河和までの全線が開通している。なお、知多鉄道は開業以来業務全般を愛電に委託しており、愛電と名岐鉄道の合併による現・名古屋鉄道(名鉄)成立後は名鉄が業務を担当した。

太平洋戦争激化に伴って制定された陸上交通事業調整法を背景とした戦時統合により、知多鉄道は1943年(昭和18年)2月に名鉄に吸収合併され、同社路線は名鉄の知多線となり、戦後の1948年(昭和23年)5月に河和線と改称された。

駅の改廃

名鉄では過去二度にわたって大規模な駅の改廃を行っている。1969年(昭和44年)に行われた一度目の改廃の際は、戦時中に営業休止となっていた駅が主な対象とされ、河和線においては加木屋浦島時志の3駅が廃止となっている。また、2006年(平成18年)年3月には一日当たりの乗降客数が300人以下の駅について廃止が検討され、河和線においては椋岡布土の2駅が対象となり、中部運輸局への申請を経て同年12月16日に廃止された。

その他、1972年(昭和47年)の布土駅移転に伴い、四海波駅を同駅に統合する形で廃止している。

年表

  • 1926年(大正15年)11月20日 知多電気鉄道に対し鉄道免許状下付(知多郡横須賀町 - 同郡河和町間)[1]
  • 1931年昭和6年)4月1日 知多鉄道(知多電気鉄道より改称[2])により太田川 - 成岩間が開業(旅客運輸)[3]
  • 1932年(昭和7年)
    • 7月1日 成岩 - 河和口間が開業(旅客運輸)[4]
    • 9月21日 鉄道免許状下付(知多郡武豊町地内)[5]
  • 1933年(昭和8年)
    • 7月10日 半田口 - 知多半田間に農学校前駅、成岩 - 上ゲ間に南成岩駅、知多武豊 - 富貴間に浦島駅開業。
    • 10月1日 貨物運輸開始(成岩 - 河和口間)[6]
  • 1935年(昭和10年)8月1日 河和口 - 河和間が開業し全通[7]
  • 1943年(昭和18年)2月1日 知多鉄道が名古屋鉄道に吸収合併。名鉄の知多線となる。
  • 1944年(昭和19年) 加木屋駅・半田口駅・成岩駅・浦島駅・時志駅休止。
  • 1946年(昭和21年)9月15日 成岩駅営業再開。
  • 1947年(昭和22年)11月3日 半田口駅営業再開。
  • 1948年(昭和23年)5月16日 河和線と改称。
  • 1949年(昭和24年)12月1日 知多白沢駅を白沢駅に、農学校前駅を住吉町駅に改称。
  • 1955年(昭和30年)7月10日 八幡新田 - 白沢間に巽ヶ丘駅開業。
  • 1960年(昭和35年)7月19日 知多半田 - 成岩間の複線化が完成。
  • 1961年(昭和36年)
    • 5月21日 成岩 - 南成岩間の複線化が完成。
    • 7月21日 南成岩 - 蛇淵信号所間の複線化が完成。南成岩 - 上ゲ間に蛇淵信号所設置。
  • 1962年(昭和37年)3月11日 蛇淵信号所 - 知多武豊間の複線化が完成。蛇淵信号所廃止。
  • 1966年(昭和41年)6月21日 知多武豊 - 富貴間の複線化が完成。
  • 1969年(昭和44年)4月5日 高横須賀 - 南加木屋間の加木屋駅、知多武豊 - 富貴間の浦島駅、河和口 - 河和間の時志駅廃止。
  • 1972年(昭和47年)4月1日 布土駅を太田川寄りに900 m移転。富貴 - 布土間の四海波駅を布土駅に統合し廃止。
  • 1974年(昭和49年)5月16日 富貴 - 河和口間の複線化が完成。
  • 1983年(昭和58年)7月21日 坂部 - 椋岡間に阿久比駅開業。
  • 2000年平成12年)5月20日 高横須賀駅付近高架化。
  • 2005年(平成17年)1月29日 南成岩駅を青山駅に改称。新たに快速急行を設定。
  • 2006年(平成18年)
    • 7月14日 高横須賀駅・巽ヶ丘駅・阿久比駅・住吉町駅・知多半田駅・青山駅・知多武豊駅・河和駅にトランパス導入(太田川駅は常滑線への導入と同時に対応済)。
    • 12月16日 阿久比 - 植大間の椋岡駅、富貴 - 河和口間の布土駅廃止。
  • 2007年(平成19年)
    • 2月14日 白沢駅と坂部駅にトランパス導入。
    • 3月14日 南加木屋駅・八幡新田駅・植大駅・半田口駅・成岩駅・上ゲ駅・富貴駅・河和口駅にトランパス導入、河和線全線でトランパス対応完了。
    • 6月30日 ダイヤ改正により一部特別車特急の運行開始。
  • 2008年(平成20年)12月27日 快速特急と準急を新たに設定し、運行種別が6つになる。
  • 2011年(平成23年)
  • 2012年(平成24年)2月29日 トランパス供用終了。

運行形態

テンプレート:Main2 昼間時間帯では、太田川 - 富貴間は知多新線直通の列車を含めて、毎時特急・急行・普通が各2本ずつ(平日昼間の太田川 - 知多半田間の普通は4本)、富貴 - 河和間は毎時特急・急行・普通が各1本ずつ設定されている。常滑線名古屋本線のほか、犬山線広見線各務原線津島線尾西線とも直通している。詳細は以下を参照。なお、特急・快速急行・急行・準急は8両まで、普通は6両まで入線可能だが、途中駅のうち、普通停車駅と成岩駅河和口駅は無人駅で、ホームは6両分のみである。このため、8両で運転する一部の列車は後ろ2両をドアカットする。なお、待避可能な駅は、太田川駅と阿久比駅の上下線、知多半田駅の下りのみであり、ダイヤのネックになっている。知多新線に接続する富貴駅(知多新線と河和線上りの同時進入は可能)、特急停車駅の知多武豊駅と青山駅でも待避ができないので、特急や急行のスピードアップの妨げにもなっている。特急停車駅の増加も速達性を妨げている。

特急

テンプレート:See also 河和・内海 - 名古屋間に毎時各1本、富貴駅以北では30分間隔で一部特別車(平日の昼間の時間帯のみ全車一般車)特急が運転されている。運転時間帯によっては南加木屋駅、巽ヶ丘駅住吉町駅(平日の朝の下り1本のみ)に特別停車をする列車もある。知多武豊駅以南(知多新線を含む)は各駅停車である。

2005年1月29日改正以降は基本のダイヤパターンにおける運行形態が度々変更されており、同改正以前は河和駅・内海駅 - 犬山線・新鵜沼駅間に1000系または1600系(1999年5月10日改正以降)による全車特別車のものが毎時1往復ずつ運転されるパターンであったが、同改正後は半数が名鉄名古屋駅発着に運行区間を短縮、翌2006年4月29日改正では折り返しのパターンを河和駅 - 新鵜沼駅間と内海駅 - 名鉄名古屋駅間の往復運用に単純化の上、平日の夕方の内海駅発着の列車が再度犬山方面に区間延長(下り内海行きは新鵜沼駅発、上り内海発は新可児行きとして運転)された。翌2007年6月30日改正では、河和駅 - 新鵜沼駅間系統のものが1200系や1800系に置き換えられた上で一部特別車化され、翌2008年12月27日改正では特急の運転区間が河和駅 - 名鉄名古屋駅間に毎時2往復ずつに変更された上で、全列車一部特別車となり、2200系1700-2300系も常時使用される様になった。また、同改正より阿久比駅と青山駅が特急停車駅に格上げされた。なお、同改正時点では平日の朝に快速特急が設定されたが、これは同改正で新たに特急停車駅に追加された2駅または阿久比駅を通過する列車が名乗っていたものである。また、平日の夕方から夜間の列車のうち、下り4本が尾西線・佐屋駅まで区間延長された(折り返しは名古屋まで回送)。2011年3月26日改正では基本のダイヤパターンが2008年12月改正以前のような振り子式ダイヤに戻され、昼間時間帯の内海駅発着の特急が復活した。また平日の昼間の列車は全車一般車に変更された。また、平日朝に運転されていた快速特急は廃止され、阿久比駅と青山駅にはすべての特急列車が停車するようになった。河和線の特急はダイヤ改正の度に停車駅が増加している。知多半田・知多武豊のみの時代から、1968年頃に太田川(但し、朝の1本を除き全停車になったのは1982年)、1974年に富貴(知多新線開業時)、2008年に前述のように阿久比・青山、2011年に河和口が追加になった。南加木屋・巽ヶ丘も停車になれば急行との差はほぼ皆無である。

車両は、1000-1200系が中心で、2200系や1700系も一部の列車に使用されている。一部特別車特急はほとんどが6両編成であるが、ごくわずかに8両編成での運転も行われている。8両の列車は従来すべて1200系+1800系で運転されていたが、2011年3月のダイヤ改正より平日に、1往復2200系または1700‐2300系+3100系3150系による8両の運用が当線で初めて設定された。全車一般車特急は10往復が5700系・5300系(ただし、これら2形式が検査などの都合で不足した場合は5000系による代走が特定の列車で行われる場合もある)1往復が1800・1850系のいずれも4両編成で運用されている。なお、2008年12月の改正前はラッシュ時は8両が主体であった。河和 - 名古屋間の標準所要時間は45分、表定速度は63 km/hとなる。なお内海 - 名古屋間は、かつては50分で走破していたこともあったが、現在はダイヤ編成の都合上56分で58 km/hである。

快速急行・急行・準急

昼間は急行が新鵜沼 - 河和・内海間に毎時各1本設定され、富貴以北では30分間隔での運行となる。平日と土休日午前中は阿久比駅で普通列車に接続している(下りは阿久比駅では知多半田行き(土休日昼間以降を除く)に、上りは金山行きに)。特急より停車駅が多く、さまざまな車両が運用に入っているため、表定速度はそれほど高くない。また住吉町駅以南は上ゲ駅を除いて各駅に停車するため、同駅以南では普通列車の補完列車という色合いが強い。また夕方の下りにおいては成岩駅と住吉町駅以外は特急の停車駅と同じであるため、事実上特急の補完的な役割もある。河和線内では原則として特別停車は行わない(2011年3月のダイヤ改正までは一部の急行が高横須賀駅坂部駅に特別停車していた)。また、太田川駅や知多半田駅で普通に種別変更をすることもある。知多半田駅で種別変更をする急行は2005年ダイヤ改正までは上ゲ・布土停車の急行だった。平日は昼間の大半の列車が4両で運転されるのに対して、夕ラッシュ時はすべて6両での運転となるため、昼過ぎには河和駅・内海駅・新鵜沼駅での折り返し時に2両増結、または急行で到着した4両編成を普通や回送で到着した6両編成と車両交換、といった措置が取られる。なお、現行のダイヤでは8両の快速急行・急行・準急は存在しない(まれに太田川駅で8両の列車から切り離しあり)。常滑線神宮前 - 太田川間および河和線内では特急を待避しない。

このほか、平日の朝に上り1本下り3本(河和発岐阜行き・須ヶ口行き・内海発佐屋行き・名鉄岐阜発河和行き)の快速急行、平日朝に上り1本(名鉄岐阜発河和行き、名鉄名古屋まで快速急行)、毎日夜に下り1本(河和発津島行き)の準急も運転されている。

普通

日中は金山 - 内海・河和間に毎時各1本、30分間隔で運行されている。このほか、平日と土休日の朝のみ金山 - 知多半田間の列車が毎時2本加わり太田川 - 知多半田間では毎時4本となっている。上下線とも、多くの列車が阿久比駅で特急または急行と接続を行う。朝・深夜には富貴 - 河和間で区間運転の列車があり、富貴駅で知多新線直通の列車に接続している。この区間列車は2008年12月 - 2011年3月まで日中にもあった。現在は日中に富貴駅での接続は無い。朝には間合い運用上、平日には1200系、土休日には2200系による一部特別車特急車の運用も存在する。ただし、特別車の2両は締め切り扱いで運用される。上り列車は太田川駅では常滑線空港方面からの列車と同一ホームでの乗り換えができないためあまり待避しない。

また以前は昼間以降は毎時2本のみ運転で、上りはほとんど太田川止まりとなっていたが、2005年1月29日のダイヤ改正よりほとんどの列車が金山駅以遠へ直通するようになっており、太田川での折り返し運転は少なくなっている。2006年12月16日まで存在した椋岡駅は、ほとんどの普通列車が通過していた。

2008年12月26日までは河和発着の列車と内海発着の列車が交互に走る振り子式ダイヤが基本(下りは一部を除いて知多半田で系統分割していた。行先変更列車は知多半田でもう一方へ行く特急から接続、富貴発着の列車はもう一方を発着とする急行から接続。河和・内海発の上りはほとんど佐屋行き)で、富貴 - 河和間の普通列車は30分間隔にはなっていなかったが、12月27日のダイヤ改正で改善され、ほぼ全区間等間隔のダイヤになっている。下り列車は2005年1月27日までは名鉄岐阜からロングラン運転を行っていた。2011年3月26日以降も振り子式ダイヤになっており、富貴以南の普通列車は毎時1本しかないが、富貴(知多武豊) - 河和間は特急・急行を含めた全列車が各駅停車となっており、3種別合わせてほぼ20分間隔で運転されているためかつてより利用しやすくなっている。特急は一般車付きであり、従来のどのダイヤよりも利便性が向上した。

駅一覧

  • 全駅愛知県に所在。
  • 途中駅で種別が変わる列車あり。
  • 普通は全駅停車(表中省略)。
凡例
●:全列車停車、▲:一部の列車が停車、▼:平日の下り一本のみ停車、|:全列車通過
#:上下列車待避可能駅、#↓:下りのみ待避可能
線路 … ∥:複線区間 ∨:これより下は単線 △:単線区間の終点
駅名 駅間キロ 営業キロ 準急 急行 快速急行 特急 接続路線 線路 所在地
太田川駅# - 0.0 名古屋鉄道:常滑線 東海市
高横須賀駅 1.3 1.3  
南加木屋駅 2.8 4.1  
八幡新田駅 1.8 5.9  
巽ヶ丘駅 1.2 7.1   知多市
白沢駅 0.8 7.9   知多郡阿久比町
坂部駅 1.6 9.5  
阿久比駅# 1.1 10.6  
植大駅 1.6 12.2  
半田口駅 1.0 13.2   半田市
住吉町駅 0.8 14.0  
知多半田駅#↓ 0.8 14.8 東海旅客鉄道武豊線半田駅
成岩駅 1.0 15.8  
青山駅 1.0 16.8  
上ゲ駅 2.2 19.0   知多郡武豊町
知多武豊駅 0.8 19.8 東海旅客鉄道:武豊線(武豊駅
富貴駅 2.5 22.3 名古屋鉄道:知多新線
河和口駅 3.5 25.8   知多郡美浜町
河和駅# 3.0 28.8  

廃駅

  • 加木屋駅(高横須賀駅 - 南加木屋駅)- 1944年休止、1969年4月5日廃止
  • 椋岡駅(阿久比駅 - 植大駅) - 2006年12月16日廃止
  • 浦島駅(知多武豊駅 - 富貴駅) - 1944年休止、1969年4月5日廃止
  • 四海波駅(富貴駅 - 布土駅) - 1972年4月1日廃止
  • 布土駅(四海波駅 - 河和口駅) - 2006年12月16日廃止
  • 時志駅(河和口駅 - 河和駅) - 1944年休止、1969年4月5日廃止

東海地震への対応

河和線では太田川駅 - 河和駅間の全線(および常滑線・知多新線各々の全線)が東海地震の防災対策強化地域に含まれており、東海地震に関する警戒宣言が発令された場合、列車の運行が休止されることになっている[8]

脚注

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関連項目

外部リンク

テンプレート:名古屋鉄道路線
  1. 「鉄道免許状下付」『官報』1926年11月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. 『鉄道統計資料. 昭和2年』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  3. 「地方鉄道運輸開始」『官報』1931年5月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. 「地方鉄道運輸開始」『官報』1932年7月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. 「鉄道免許状下付」『官報』1932年9月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  7. 「地方鉄道運輸開始」『官報』1935年8月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. 列車運行に支障がある場合の取扱い 名古屋鉄道