名鉄6000系電車

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テンプレート:ブルーリボン賞 (鉄道) 名鉄6000系電車(めいてつ6000けいでんしゃ)は、1976年昭和51年)に登場した名古屋鉄道通勤形電車(用途の詳細については後述)。

狭義にはモ6200形(Mc)、サ6100形(T)、モ6300形(M)、ク6000形(Tc)の4形式を指すが、広義にはその後継車である6500系電車および6800系電車、並びに瀬戸線用の6600系電車も含む。各系列同士は相互の併結も可能であるが、6600系については、運用上併結されていない。

本項では、広義の6000系電車について記述する。

用途と車内設備について

当形式は元来はセミクロスシート車両として登場したが、名鉄での位置づけは通勤形に分類されている[1]。一般に通勤形は日本国有鉄道JRでは「客室に出入り口を有し、縦型座席(いわゆるロングシート)を備え、通勤輸送に適した性能を有する車両形式のもの」と規程しているが[2][3]、名鉄ではそこまで明確に規程していない(他の私鉄でも同様)。通勤形でありながらセミクロスシートにした背景にはロングシートでは閑散時の長距離利用者にとってはサービス低下が懸念されたため[4]、クロスシートが必要となったためである[5]

6000系

概要

ファイル:NagoyaRailwayCompanyType6000.jpg
ワンマン改造後の名鉄6000系3次車
(2006年2月11日 / 西尾駅)
ファイル:Meitetsu 6000 series 010.JPG
M式自動解結装置
モ6200形(左)とク6000形(右)
左が可動側

テンプレート:Vertical images list

1976年12月21日に営業運転を開始した。従来からあった2ドア・クロスシート車では対応しきれなくなったラッシュ時の混雑列車に用いることを主眼に製造された車両である。そのため、乗降口の扉は幅1300mmの両開きとなり、片側3か所に設けられた。本系列は通勤車であるが、製造当初は全席ロングシートとはならず、乗降口の間には小型固定クロスシートが「集団離反式」に配置されていた。

鉄道ファン』1977年198号の巻末における読者投稿によると、6000系の導入直前、名鉄の全列車の中でもっとも混雑が激しく毎日遅れを出していた、平日朝の犬山線名古屋方面ゆき準急が6000系に置き換えられると、以後は毎日定時運転を保ったという記述が見られる。

この座席配置が評価され、翌1977年に通勤車として初めて鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞した[6]

車体断面形状や基本寸法は7700系に準じている。また、名鉄は本系列以降の新形式について、すべての戸袋窓と中間車掌台や簡易運転台部分以外の妻窓を一切廃止している[7]

制御方式は直巻電動機を用いた抵抗制御で、主制御器は5200系以来久々の三菱電機製となった。制御段数は力行が直列17段・並列8段・弱め界磁4段、発電ブレーキが17段である[8]。動力車には7700系までの倍の出力となる150kWの主電動機[9]を一両に4基ずつ装備することにより、動力車と付随車1両ずつのペアを単位としたMT比1:1の編成となった[10]。同系列まではMM'ユニットとしていたが、モーターの定格端子電圧を750Vとして主回路は1M方式、補助電源装置と電動空気圧縮機をT車に搭載したMTユニットとなっている。モーターの定格回転数が2000rpm(90%界磁)と高いためと、当初は旧性能車置き換え用・普通列車用という位置付けであったため、歯車比を6.07(85:14、9次車以降91:15)と低速向けに大きく取り、定格速度は51km/h、最高速度は旧型車並みの100km/h[11]と低く抑えられたが、出力が大きく最弱め界磁率35%(最終段で定格速度91km/h)のため、起動から100km/hまでの到達時間はAL車よりも短い。加速度は2.0km/h/s、常用減速度は3.5km/h/sで、力行・ブレーキとも応荷重機構付きである[12]。従前のSR車(7000系など)との連結運転は技術的には可能だが、車両の用途・扉数・歯車比・最高速度・マスコン操作など、相違点が多いため、基本的に営業運転では行われないことになっている。ただし、同系列間の連結・解放の迅速化のためM式自動解結装置(名鉄独自の構造)を本格採用し、以降他の新性能車(瀬戸線と地下鉄直通車を除く)にも標準装備となる。なお、1996年に6046Fにてシングルアームパンタグラフの試験が行われていたが、現在は菱形パンタグラフに戻っている。電動空気圧縮機はC-1000型を初めて採用し制御車と付随車に搭載している。補助電源装置は、4次車までは5500系 - 7700系と同じ60kVAの電動発電機(MG)を引き続き搭載しているが、5次車以降は冷房能力低減に比例して40kVAに、さらに9次車以降はSIVへと変更された。

4両編成26本と2両編成26本の156両が製造され、2014年現在は4両編成17本(うち8本が三河線ワンマン対応)、2両編成26本(うち12本が三河線ワンマン対応・5本がIC乗車券未対応区間ワンマン対応)の合計120両が在籍している。

系列番号は高性能車で初のMT編成・3扉車ということで6000番台を起こした[13]。なお、大量増備を見込んで4車種に100刻みの形式番号を与えたのは本系列のみであり、結果的には現在も名鉄で最多両数を占めている。

のちに瀬戸線に転属したもの(後述)や、三河線および、manaca未対応区間の広見線の新可児 - 御嵩間と蒲郡線でのワンマン運転に用いられたりしているものもある。蒲郡線および広見線のワンマン対応車(2両組成5本)は3次車の連続固定窓車で、各側扉脇には締め切り表示灯が設置されている。三河線ワンマン対応車(2両組成12本)は連続固定窓を持つ3次車の6014編成を除いて一段上昇窓を持つ5 - 8次車で、保護棒が取り付けられている。いずれも、ワンマン運転を行っていない路線では、従来どおり車掌が乗務している。

初期車と中期車は7700系の運行を終了した2010年3月以降、本線系統で最後の系統板受け装備車となっており、また現役旅客車両の中で製造初年が最も古い車両である。

製造年による相違点

年ごとの製造状況は次のとおりである。

混雑緩和や旧形車両の取り替え用に10年間にわたって新造されたため、名鉄における最大勢力である。そのため、同じ系列内でも製造年によって外観や仕様に変化がある。

製造次 編成 落成時期 製造車両数 備考
初期車 1次車 6001F - 6006F 1976年12月 24両(4両組成×6) 6004F以降は1977年1月-2月に落成
2次車 6007F - 6008F 1977年10月 8両(4両組成×2)
3次車 6009F - 6014F 1978年11月 12両(2両組成×6)
4次車 6015F - 6017F 1979年7月 12両(4両組成×3)
中期車 5次車 6018F - 6027F 1980年3月 30両(4両組成×5、2両組成×5) 知多新線全通準備名義
6次車 6028F - 6032F 1981年2月 16両(4両組成×3、2両組成×2) 側窓外枠下隅の形状変更
7次車 6033F - 6037F 1982年2月 16両(4両組成×3、2両組成×2)
8次車 6038F - 6044F 1983年2月 22両(4両組成×4、2両組成×3)
後期車 9次車 6045F - 6048F 1984年2月 8両(2両組成×4)
10次車 6049F - 6052F 1985年1月 8両(2両組成×4) 6052Fのみ同年6月落成

1 - 4次車(初期車)

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1976年から1979年にかけて製造された1 - 4次車と、翌1980年から1983年にかけて製造された5 - 8次車は、正面スタイルが7700系と似たものであるが、正面中央上部が前照灯から種別・行先表示幕となった。3次車まで表示幕窓の縦横寸法が小さく、また、1次車のみ表示器上縁の幅が広い。更に、2次車から前面貫通扉が車体幌枠座と面一になり、前面窓がパテ支持からHゴム支持に変わっている(現在は1次車もHゴム化)。なお、1次車の中でも、第2陣である6004編成以降は、座席下の蹴込板が無塗装になるなどの変化が見られる。1次車の車端(当初からロングシート)部分のみ吊り革の取り付け方が異なり、座席寄りにパイプを通して吊り下げている(他の6000系では吊り革は全て通路寄りの冷房ダクトから直接吊り下がっている)。

3次車までは、満員時のガラス破損や戸袋吸い込み事故を防止するため、客扉の窓が小さいタイプである(6600系も同様)。客扉及び貫通路扉の客室側は1次車のみ従来と同様の塗装処理、2次車以降が化粧板仕上げとなったが、これも特別整備の際に化粧板の上から塗装処理されている。1979年製造分の4次車までは側窓も7000系7500系パノラマカーのような固定式連続窓であり、日除け用として横引きのカーテンが装備されている。

4次車は前年に落成した100系に準じた変更がなされ、客扉窓と前面種別・行先表示幕寸法を拡大したほか、床面高さを40mm下げ、1110mmとした[14]。また、永久連結側は片開き扉の狭幅貫通路に変更された。これらの仕様は以降の基本となった。4次車は全編成とも三河線海線区間のワンマン運転開始とともにワンマン対応となり、1次車の5編成(6005編成以前)とともに三河線を中心に運用されている。3次車は2両組成のみが存在し、5編成が運賃箱等のワンマン対応がされており、manaca(相互利用IC)非対応区間の広見線と蒲郡線で運用されている。残りの6014編成は7100系廃車に伴い2009年12月に三河線対応ワンマン化され、中期車の2両組成11編成とともに運用されている。

冷房装置は、これ以降3500系まで継続採用となる1基当たり10500kcal/hの集約分散式(東芝 RPU-3004)で、4次車までは、各車に3基搭載し、室内の吹き出し口は扉付近に6箇所あり、扉間と車端には名鉄初の補助送風装置(ラインデリア)を併用する。

5 - 8次車(中期車)

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ファイル:Meitetsu Setoline 6235.jpg
水性塗料で塗装されたモ6235

1980年度製造の6018Fからは一部設計が変更され、すべての窓が開閉可能となり、また、ドア間は従来より小振りの独立窓が3個配置された(先頭車と中間車で幅が異なる)。これは、省エネルギーを目的として熱交換換気装置の採用と引き換えに、冷房装置を1両当たり2基搭載に削減し(型式 RPU-3004A)、冷気を客室全長に亘って設けた補助送風機から直接吹き出して体感温度を下げる方式としたためである。天井は平天井に近くなったが、なおもラインデリア部分が5cmほど低い(100系1・2次車と同様)。しかし、このタイプは猛暑に対応するには容量不足であることから、後述の6500系前期型も含めて、1993年以降能力を12500kcal/hに増強した冷房装置(2基搭載は変わらず。3100系・3700系の装置と同系(RPU-3061)だが、カバーの形状が異なり、1980年代の東武鉄道阪急電鉄の車両に多く見られたタイプ)に換装された車両も多い[15][16]。客窓には錠が無く、取っ手を持って20cmほど持ち上げ止まった所で手前に引いて引っ掛けるという構造である。また、6次車からユニット窓外枠の下両隅の丸みが小さく変更されている。

8次車までは、先頭車と中間車で乗務員室を除いた客室部分における扉・窓配置を同一としたため、6500系以降の3扉車に比べて、先頭車はすべての扉が60cm後方に、また、中間車は両端の扉がそれぞれ60cmずつ車端寄りに位置する[17]。7次車が竣工した1982年以降、本形式は両数で7000系を抜き名鉄最多車両の座を保持している。このグループは、計84両で6000系の中では最も両数の多いタイプである。ただし2010年現在特別整備は施されておらず、台枠周りの外板や室内化粧板に劣化が目立ってきており、客扉のみ内側下半分の化粧板を張り替えたり塗装に変更した車両が多い。これらのグループの4両組成は9本が瀬戸線に転属し、本線系統に残るのは6本である。また、2両組成も6019Fを除く11本がワンマン化改造の上、専ら三河線で使用されている。瀬戸線に所属している車両は当初は2両組成の編成単位で転属し、2両+2両の編成を組むことが存在したため、貫通扉の周りにホロ枠が設置されている。 なお、6035Fのク6035は、1987年7月に平田橋(現・上小田井)付近の踏切で、警報機を無視して進入したトレーラー[18]と激突して脱線大破し、翌1988年春に元の車両と同一仕様の車体新製によって復旧されている。

2両組成は6019Fのみが三河線ワンマン運転に非対応であり、後期車及び6800系と共通運用が組まれている。

9・10次車(後期車)

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1984年と翌1985年増備の9・10次車は、車体と車内設備が後述の6500系1・2次車と同様のものとなった。その先頭デザインから鉄仮面と呼ばれる。当時4両組成の製造は6500系に移行していたため、2両組成のみが存在する。いずれの編成も、ワンマン運転には対応しない。

なお、9次車と10次車では下部標識灯の構成が異なり、9次車は角型シールドビーム2灯(前照灯は計4灯)、10次車はLED1灯、となっており、6500系1次車のような交換は行われず現在も登場時のままである。また冷房装置の RPU-3061 への換装は16両全車が早期に完了している。補助電源装置は当初からSIVであるが、冷房装置換装の際に6800系と同等の70kVAへと増強された。

6000系の製造は1985年度で終了し、翌年度からは後述の6500系・6800系に製造が移行した。

なお、モ6246号は1996年9月に試験的にシングルアームパンタグラフに交換され、各種データの収集が行われた。同車は1か月ほどで元の菱形パンタグラフに戻されたが、シングルアームパンタグラフは翌年登場の31003700系で本採用となり、以降の新造車両での標準となった(1997年製造の1000系5次車と1000系の機器流用車である2008年登場の2代目5000系は除く)。

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製造後の動き

ロングシート化

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1 - 8次車に製造当時装備されていた小型固定クロスシートは、幅82.5cm、高さ77.5cm、取付ピッチ75cmのものであった。当初のモケット色は縦縞模様の茶色で、後に6500系(及び本形式9・10次車)の登場時と同じ無地の茶色になった。1人分の幅が41cm強と路線バス並みのため、やや窮屈で、「1.5人掛け」とも言われた。この小型クロスシートは、通路幅を確保し、ラッシュ時の乗客の流動を妨げないようするためのものであったが、乗客の評判は芳しくなく、混雑の激化などもあって、このグループの小型クロスシートは1985年から1990年までに全車の座席がロングシートとなった[19]。これにより、ロング化された部分(客用扉間)は座席定員が1名分ずつ減少した。モケット色はロング化当初100系と同様の赤色とされ、床敷物も中央部の立ち席スペースを明示する赤色のものに貼り替えられた。9・10次車の固定クロスシートはこの寸法より拡大されており、現在でも、8編成中5編成がロングシート化されずに残っている。ちなみに同グループでロングシート化されたのは6048F・6049F・6052Fで1995年から翌年にかけて施工された。仕様は後述の6500・6800系ロングシート化改造車と同様である。

瀬戸線対応化

3500系などの増備や1995年当時瀬戸線に残っていた2ドアのHL車、3780系置き換えや列車増発のため、ロングシート化された5 - 8次車の一部が瀬戸線に転属した。まず、1995年に2両組成8本が転属し、2両+2両の4両組成を組んで運用を開始した。続いて、翌1996年と2000年には、他編成の中間車のみの16両と4両組成1本(6035F)が転属した。中間車のみで転属した16両については、1995年に転属した編成に改番の上で組み込まれた。最終的には、4両組成9本の陣容となり、同線の主力形式となったが、瀬戸線車両を4000系に統一する計画により同系への置き換えが進み、2014年4月6日のさよなら運転をもって瀬戸線での運用は終了した[20][21]

同線への転属に際しては、同線独自の自動放送装置および方向幕の取り付けや、地下線への対応のため、A-A基準化(座席モケットの不燃性素材のものへの交換など)、限流値の変更(定員乗車時265A→235A)などの改造が施された。自動放送装置の機器はモ6200形に搭載されている。1995年に転属した2両組成は、4両組成化する際、前面貫通幌が撤去されたが、幌枠は残された。2000年に4両組成で転属した6035Fは本来なら幌枠は不要であるはずだが設置された。また、当初から正面貫通扉のステップの色は本線系の車両の赤に対し、瀬戸線所属の車両はグレーとなっている。

瀬戸線の尾張旭検車区には揮発性塗料による塗装設備が設置されていない[22]。重要部検査・全般検査の際には台車などの主要機器は舞木検査場にトレーラーで搬送され整備を受け、台車や車輪等も再塗装されるが、車体は搬送されず尾張旭検車区内で整備を受けている。舞木検査場でなら車体の揮発性塗料による再塗装が可能だが、尾張旭検車区では不可能なため、水性塗料による再塗装となっていた。

2010年度に検査を受けたサ6127の補助電源装置がMGからSIVに換装されており、運転台にその旨の表記がされている。但しその後に検査を受けた車両には波及していない。

更新工事

1次車製造から20年が経過した1997年度から2002年度にかけて、1 - 4次車計56両(内訳は2両組成6本と4両組成11本)が特別整備を受けた。変更点は以下のとおりである。

  1. 化粧板を白色系で微粒柄のものに交換。原型は1次車のみ7000系と同じ淡灰色クリスタル柄、2次車以降が白色系縦縞であった。側扉内側と天井板・冷房ダクトは同系単色に塗装。
  2. 床敷物を3500系と同柄で色をベージュ系のものに交換。
  3. シートモケット(以下モケット)をワインレッド系のチェック柄入りのものに交換(優先席は背面のみブルー系)。床敷物とモケットは、6500系などのロングシート改造車でも同じものが使われている。
  4. 先頭車の運転席後ろの座席を撤去し、車椅子スペースを新設。併せて非常通話装置も取り付け。
  5. ドアチャイムを新設。音色は3500系などのものとは異なり各編成ごとに微妙に異なる。なお、2000年度以降に更新されたものは、海側と山側とで音色がやや異なる。同じものは5 - 8次車の2両組成のうち6019Fを除く全編成や7100系・7700系にも使われている。
  6. 車体側面に種別・行先表示器を新設。さらに、2000年度以降はローマ字併記の幕への交換も行われた(現在は全編成が交換済み)。6500系以降の車両に比べて幕板部が狭いため、表示窓周りがくぼんでいるのが特徴。今はなき7500系の特別整備車も同様であった。
  7. 運転室の色をクリームに、運転台機器パネルの色を黒に変更。マスコンとブレーキのハンドルを5次車以降と同様、手前に傾斜させた。
  8. 1999年度からは、外側の連結面にステップ付きの転落防止外幌を設置。2002年度更新車は折り畳み式のものに変更。

さらに、2両組成の6009F - 6013F(連続固定窓の2両組成、6014Fを除く)は、1998年6月1日より蒲郡線がワンマン化されたのに伴い、これらの工事に加え、運転席後ろへの料金箱、運賃表の取り付け、客用扉外側への締め切り表示灯の設置が行われた。

更新工事を受けた年度
(注:(2)は2両組成)

なお、6014Fはしばらくの間、モケットのみ未交換(ロング化当初の赤色)で運行されていた。

6500系

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概要

1984年2月から1992年4月にかけて製造された。名鉄では初となる界磁チョッパ制御回生ブレーキ[23]を装備して省エネルギー化を進め、消費電力を6000系よりも約1割低減させた。また、評判の悪かった小型クロスシートを改良して昼間時の実質的な着席定員を増加させ、設計最高速度も110km/hに向上させて速達性も重視した。車体断面は、6000系(5 - 8次車)よりも、屋根高さを40 mm 上げて3500 mm に戻り、客室天井(冷房吹き出し口)の高さも、45 mm 上がった2145 mm となり、完全な平天井となった。また、窓・扉配置は、車体長の類似した阪急電鉄などで広く採用されているd(1)D3D3D2(先頭車の場合)である。5次車までの客扉位置や窓幅の他に寸法の統一として、屋上の冷房装置・熱交換換気装置の配置も全車同一とされ、6000系と比べて車両中心寄り前後対称にまとめられている。また、本系列以降車体裾部の外板と台枠の接合部が防錆構造となった。初期車は、新製から25年前後を経た今も特別整備は未着手だが、特に腐食しやすいとされる戸袋部について、6000系の戸袋部と見比べると、防錆構造の効果の程がはっきりわかる。なお、この車体構造の変更と岐阜方先頭車に主要機器を搭載しないことにより、編成質量も同系列に比べて軽量化されている[24]。 通常の運転台を持つ車両として、初代5000系以来の復活となった前面非貫通(または非常扉なし)の方式は、地下鉄直通車・一部の機器流用車・気動車を除いて、6000番台系列内はもちろんのこと、デザインを洗練させ5700系、1200系を経て3100系にまで続いている。この意味でも、1つの転機となった形式であると言える。非貫通とした理由は、瀬戸線を除き編成間の連結時に幌を打たないので貫通型とする意味がないことのほか、冬季の隙間風の防止対策もあったという。なお、この傾斜がついた高運転台非貫通の前頭形状や、内装の木目プリントに国鉄117系電車の影響を指摘する向きもある。

登場時は、3扉車であることをアピールするために客扉の上半部を白の塗色とし、これがほどなく本線系の6000系全車にも波及した。この塗色は、3500系登場以後灰色に変更された(「鉄仮面」型前面の窓上部も同様)。しかし、1990年代末頃には3扉車が圧倒的主流となり意味が薄れたため、塗装工程簡略化の目的もあって「白ドア」ないし「グレードア」の塗り分けは廃止され、現在客扉は全面赤一色となっている。

なお、名鉄の車両形式で「○○系」という場合は豊橋方向先頭車両の形式を取るものが多い(6000系は豊橋方先頭がク6000形、1000系はク1000形など)が、本系列は豊橋方がク6400形、岐阜方がク6500形という珍しいケースとなっている[25][26]。全編成4両固定編成で、24編成96両が在籍している。

制御装置は、冒頭にもあるようにGTO界磁チョッパ制御となった。モーターは直流複巻電動機(150kW/340V・490A、内扇型)[27]となり、回生ブレーキが使用できるが、架線電圧が高い場合やブレーキ初速度が低い(60 km/h 以下)場合などでは回路が切り替わり、発電ブレーキも使用できる。回生ブレーキの効用下限が約30 km/h までであるのに対し、発電ブレーキは約10 km/h まで効く。60 km/h 以上でのノッチオフは断流器を切らずにサイリスタによる電流0A(ゼロアンペア)制御(名鉄での呼称は惰行制御)を行う方式を採用し、再力行や回生ブレーキへの応答性に優れる。なお、本系列を始めとして名鉄の界磁チョッパ車の主制御器は東芝製で、力行が直列15段・並列8段、弱め界磁と回生ブレーキは無段階制御である。

編成は6000系などの1M方式(MTユニット)とは異なり、MM'ユニット方式の中間電動車に先頭車が制御車という構成になった[28]台車はSUミンデン型で、電動台車は初代5000系(1次車)以来29年振りとなる片押し制輪子である。

補助電源装置にもGTO素子の静止型インバータ(SIV)を初採用しており、冷房装置の型式が RPU-3004AJ へと変わった。パンタグラフは初代5000系と同様に各中間電動車の先頭車寄りに1基ずつ搭載。運転台のマスコンハンドルは7000系などと同じ東芝製のため、形状こそ似ているが、力行段数は6000系と同様の4ノッチである。運転台計器類にはELを初採用した。主電動機の定格回転数が2000 rpm から1700 rpm に下がったが、歯車比を5.60(84:15)と6000系よりも小さく取ったことで、最高速度は110 km/h に向上した(1996年より実施)。定格速度は47 km/h(全界磁・架線電圧1350V時)へと若干低くなった[29]。同系列に合わせて起動加速度は2.0 km/h/s、弱め界磁率は8%可能のところを10%(最終段定格速度84 km/h)に抑えた設定である。

6000系4両組成の後継車種であるだけでなく、回生ブレーキ常用、非貫通の前面(パノラマカーを除く)、側面の客扉配置など、その後の名鉄車両の基本となった形式である。また車体寸法では先頭車と中間車の扉位置が統一され、こちらも以後の標準となっている。5次車までと6次車以降とでは車体のデザインが大きく異なるが、性能は同一である(これは後述の6800系も同様)。

1次車-5次車

6000系9・10次車と同様に鉄仮面タイプの前面で、100系と同様のステンレスにエッチング処理を施した飾り帯が特徴である。種別・行先表示器の使用を基本としたため、前面下部の系統板差しが廃止され、表示器にない行先を表示するためなどに系統板を使用する際は、前面窓の向かって左側に車内からフックで吊り下げる方式となった[30]。客室窓は6000系5次車以降と同様の1段上昇式であるが、内枠下両隅のRが無くなった。

6000系(8次車まで)で不評だった小型クロスシートがやや大型のもの(幅91 cm、取り付けピッチ80 cm)に変更されたほか、車端部の壁や座席の裏、仕切り板に木目プリントの化粧板を用いた内装とした[31]。6000系8次車までは扉間がすべてクロスシートだったが、本系列(7次車まで)と6000系9・10次車および6800系(4次車まで)では中央扉の両側が3人掛けロングシートに変更された。 標識灯は1・2次車と同時期に製造された6000系9・10次車同様、1次車(6501F - 6504F)は当初2灯式(のちにLED1灯式に交換)であったが、2 - 5次車ではLED1灯式に変更された。このタイプの標識灯は後述の6800系1・2次車でも採用されている他、1986年製造の6750系1次車や翌年製造の旧3300系(ともに全車廃車)でも採用された。 このほか、2次車から扉間の仕切間寸法を140 mm 拡大(つまり扉横スペースが70 mm ずつ縮小)され、3次車では乗務員室仕切壁の客室化粧板が側壁と同じ縦縞の白色系に変更された。1987年4月竣工の4次車(6514F・6515F)では幕板部に側面種別・行先表示機が設置され、以降の標準となった。また、客室妻面の配電盤が鴨居へ移って客室スペースが若干ながら拡大した。同年11月竣工の5次車(6516F・6517F)では後述の6800系1・2次車と同様、冷房装置が1両当たり3基搭載に戻り、乗務員室次位の客室に採光のための小窓が付いた。

6-8次車

1989年増備の6次車(6518F - 6520F)からは、先頭形状が右上の写真のように5700系からのフィードバックで前面展望を考慮したデザインに変更された。この先頭デザインは、後に3500系などに受け継がれた。同じく、6次車では側窓も下降式(一部固定式)の連続窓に変更されたほか、固定クロスシートもさらに大型化し、ヘッドレストが追加され、取り付けピッチは84 cm まで拡大された。1989年製ではヘッドレストのビニール張り部分がモケットと共に座席背面まで回り込んでいたが、いたずらによる破損が発生したことから、1990年製(6521F・6522F。7次車)ではビニール部分を座席頂部までに留めた。この変化は後述の6800系も全く同様である。また1989年製の中には後に張り直したものも存在する。1992年に製造された8次車(6523F・6524F)は後述の6800系5・6次車同様、全席ロングシートで製造された。

客室内のカラーリングも一新され、車端部の壁は白系のものに、座席表皮はそれまでのこげ茶色からライトパープルでストライプ入りのものに、客室内の床はグレー(側扉部分は赤)からライトパープル系で柄入りのものにそれぞれ変更され、客室内の色遣いが1990年製造の6750系2次車や翌年製造の100系4次車などと同様なものとなった。

この8次車と後述の6800系6次車の製造をもって6000系グループの製造は打ち止めとなり、翌年からは本線系統の通勤型車両は3500系に製造が移行した。また、この増備により、6000番台の車両は342両(旧型車の機器流用車で性能が大きく異なる6750系は除く)と名鉄車両における最大勢力となった。

製造後の動き

特別整備が行われていないこともあって、後述の6800系とともに登場時からの変化は比較的少ないが、現在までに以下の様な改造が行われている。これらのほか、一部の車両では冷房装置換装、転落防止幌の設置、座席表皮の交換(無地の茶色 → 縦織模様の茶色 → ワインレッド系)が行われている。

ロングシート化

1995年1996年にはラッシュ対策として1 - 5次車のうち5編成(6504F・6510F・6513F・6516F・6517F)が全席ロングシートに改造されている。仕様は以下の通り。

  • クロスシート部分のみをロングシートに変更した関係で元からロングシートであった部分と元のクロスシート部分との間には肘掛け兼仕切りパイプが残されているのが特徴である。なお、本系列の1次車と6000系9次車に限り間仕切り寸法の関係で元クロス部分が6名分から5人掛けに減っており、その分1人あたりの幅は広い。
  • 先頭車の運転席直後の2人掛け座席を撤去し、車椅子スペースとした。
  • 座席表皮はワインレッド系のチェック柄入りのもの(優先席は背ずり部分のみ同柄で濃いめのブルー系)に、床はベージュ系で3500系と同柄のものに交換。これらはのちに行われた6000系の特別整備(前述)でも使用されている。
標識灯交換

1次車は前述のように2灯式の標識灯を装備していたが、2003年旧3300系の廃車発生品を流用の上、1灯式のものに交換された。

特別整備

2011年には6504Fに特別整備が行われた。仕様は以下の通り。

  • 基本的な仕様は1995年・1996年施工分のロングシート化改造車と同一。なお、今回改造された6504Fは前述のように1995年にロングシート化されていた編成であり、リニューアルに際しての座席配置の改造は行われていない。
  • 客室内の側扉付近の床を4000系などと同様、黄色に着色。
  • 吊手の握りを三角形のものに交換。さらに優先席部分のものはオレンジ色に変更。
  • 側壁および乗務員室仕切客室側の化粧板を3500系などと同様なクリーム色で網目模様のものに交換。ただし、連結面のものは未交換で新製時からの木目模様のタイプである。また、側扉内側はクリーム色単色に塗装、天井は同色の化粧板に張り替え。連結面の貫通扉と乗務員室仕切りの扉は新製時の白色系化粧板のまま存置。
  • ドアチャイムを新設。

6600系

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概要

本系列は、瀬戸線で使用された通勤形車両である。

全車両、瀬戸線の架線電圧の昇圧(600V→1500V)と栄町駅への乗り入れ開始に伴う全車両の入れ替えの一環として、1978年3月に投入された。

瀬戸線はすべて4両編成での運用となっており、6000系・4000系と共に、本系列も4両編成での運用となっていた。本系列は、6000系とは、走行性能は同じだが[32]、冷房装置の差などから混成されず、2両組成2編成を常時併結した状態で使用されていた。2013年3月3日のさよなら運転を最後に営業運転を終了した[33]

6000系からの仕様変更

本系列は、投入前後に製造された6000系をベースに、一部仕様を変更して製造された。車内仕様は小型固定クロスシートの設置など、6000系2次車と同じであった。 栄町駅から清水駅手前までの区間は地下鉄の標準規格で建設されたため、本系列は地下鉄等旅客車A-A基準を満たした防火設計となっている、いわゆる地下鉄対応車両である。

外観の特徴としては、前面にジャンパやホース類を収納するスカートが取り付けられている点が挙げられる。 6000系とは異なり、貫通扉に系統板受けは装備されていない。また、瀬戸線は行き先・種別の組み合わせが少ないため、6600系では方向幕は種別と行き先が一体となったものが使われている。

本系列は当初普通(各駅停車)主体での運用が予定されており、かつ瀬戸線は全長20.6kmで駅間距離も短いことなどから冷房(空調)設備の搭載は当初見送られ[34]、補助送風装置(ラインデリア)の搭載と冷房取り付け準備工事のみとなった。 冷房装置が省略されたことと関連して、側窓は開閉可能なユニットサッシが採用された。当初の外枠は無塗装であったが、6750系の登場後は同様に赤色塗装となった。窓幅は狭くなったが、当初の固定クロスシートとはピッチが合っていた。窓は下段が当初から固定、上段は両脇のボタンを押して下降する(閉める時はボタンの先の引っ掛かりで自動的にロックする)構造で、5200系の更新時にも応用された(5200系は下段上昇)。

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導入後の仕様変更

導入後、2両組成を2本連結して、4両での運行が行われるようになったため、2本の編成間の往来が可能なように、先頭車にも幌が付けられた。さらに後になると、全列車が4両編成固定での運行となったため、常に先頭に出る車両については再び幌が取り外された。列車無線装置、アンテナは常に先頭に出る車両にのみ設置されているため、編成替えには制限がある。

車内仕様では、小型クロスシートについて、その評判が悪かったことや、瀬戸線の朝のラッシュが名鉄でも最高レベルの混雑になったこともあり、1988年にすべてロングシート化された。

冷房設備については、7000系中間車の廃車発生品が、1985年1989年に取り付けられた[35]。冷房化の際に補助電源がMGから6500系前期車と同じ50kVAのSIVに換装された。

また、地下鉄のような、同線独自の自動放送装置も取り付けられた。

種別・行先表示幕は、ローマ字併記のものに取替えられた[36]。また、導入時にはまだ栄町駅に乗り入れていなかったため、当時の仮の終着駅である土居下のコマも入っていたが、現在はそのコマはなくなっている。また、経年により車内の化粧板の退色が目立ってきたため、2004年には不燃性シート貼り付け等を実施している。このほか、2010年からは水性塗料による車外の塗装も始まっている(従来の揮発性塗料より環境に影響を与えにくいことと、尾張旭検車区では揮発性塗料による塗装ができないため)。同時期製造の6000系2・3次車と異なり特別整備は施工されていなかった。

6800系

概要

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1987年12月から1992年4月にかけて製造された、片側3扉・2両組成の車両である。6500系の2両組成版であるが、2次車が製造された1988年の広報冊子に「6000形を新造」と紹介されていたように6000系11次車以降(もしくは6000系6800番台)としても扱われる[37]。車体は同じ時期に製造された6500系と同様である。

6801F-6808Fの初期グループ16両は、6500系の6517編成までと同じくファンには「鉄仮面」と呼ばれるタイプである(上記写真の6047号に近いが、乗務員室の後ろに小窓を備えているほか、側面種別・方向幕も有し、冷房装置は3基搭載する)。側窓は6000系5次車以降と同様の一段上昇式で、乗務員室直後の小窓と種別・方向幕直下の窓については固定窓とされている。1989年の6809Fからは正面ガラスが大きく、側面には連続窓を採用、6518F以降と共通する車体で、一部では「金魚鉢」や「ゴーグル」とも呼ばれる。客席のうち、クロスシートは上下に拡大されてヘッドレストが付加され、取り付けピッチも広がった、6000系列の集大成とも言える仕様である。この中期グループは登場がちょうど旧型車の一斉置き換え時期に当たり、同型車体の6500系20両よりも多い46両が投入された。しかし、1991年の6832Fからは一転して上の写真で紹介した6500系6523F以降の車両と同様に最初から全席ロングシート、またドア付近のスペースを広く取った仕様となっている[38]。扉間の座席を例に取ると、長さ2800mmで公称7人掛け、実質6人掛けである[39]。この最終グループ16両には、紫のストライプが入った座席、模様の入った床敷物、妻面も併せてクリーム色の化粧板など、前年に製造された6750系で採用されたインテリアが取り入れられたほか、いくつかの変更が行われた。例えば、6809F以降の車両は上記写真の6518F以降と類似の車体であるが、6831Fまでは側面扉窓の天地方向の大きさがやや小さく、扉の客室側は化粧板仕上げであり、1991年製以降扉窓を上方へ拡大し、内側は塗装処理となっている。なお、本系列のロングシート化改造車は6804Fの1本のみである。全39編成のうち、12編成がワンマン対応車である(詳細は後述)。残りの編成はワンマン運転に対応せず、本線から支線まで幅広く普通列車として2両単独で用いられるほか、6000系や6500系などを用いる快速急行・急行・準急で6両(一部8両)運転を行う場合にも利用される。39編成78両が在籍している。最近では予備車をmanaca未対応区間でのワンマン対応車が運用を離れた時の代走に使用している。

制御方式は6000系の抵抗制御から5300系と同様の界磁添加励磁制御に変更された。回生ブレーキも備えている。主電動機は6000系と同性能の150kW(750V・224A)で、6809編成以降は内扇型として高回転時の騒音を低減した。6000系と同じ1M方式(MTユニット)だが、歯車比を6500系と同じ5.60に変更したため、最高速度は110km/hとなっている(1996年より実施)。定格速度が6000番台車両の中では最も高い55km/h(90%界磁)のため、最高速度以外の走行特性は、限流値や弱め界磁率を調節して6000系に合わせている。台車は6500系と同様、FS 521・098系に軸受が異なる2種類と、1000系から流用したFS 539・039系[40]の3種が製造年次に応じて使用されている。回生ブレーキ装備により主抵抗器が減少したため、編成質量は6000系2両組成の70.0t - 70.5tに対して67.0t - 68.0tへと軽量化された。 テンプレート:-

運用

6000系・6500系・6800系は合計で113編成322両が在籍し、4両組成49本196両(うち瀬戸線に7編成28両)と2両組成65本130両が、豊田線・小牧線を除く名鉄のほぼ全路線・区間で普通から快速急行までの種別で必要に応じて組み合わされて運行される。ただし、現在、本線系統の6000番台形式は、ダイヤ乱れ等の場合に臨時で乗り入れるときを除き、伊奈駅 - 豊橋駅間を走行する運用はない[41]。また、3500系就役まではラッシュ時に全車一般席特急[42]にも使用されていた。なお、2011年3月改正時より平日朝に実質的な全車一般車特急といえる常滑空港線系統の快速急行での定期運用[43]が設定されている。 このほか、最高速度を引き上げた6500系と6800系も6000系と混用されており、2006年以降はこれらの形式の運用によるダイヤが名古屋本線などでも最高速度100km/hとして組み直されたため、110km/hをマークする機会はそれ以前よりも減っている[44]。 また6813Fは検測のため試運転を行うことがある。

ワンマン運転

6000系・6800系のうち、6019編成および9・10次車を除く2両組成と6006編成を除く1次車と4次車の全編成は、三河線manaca(相互利用IC)非対応区間の蒲郡線および広見線新可児駅 - 御嵩駅間で、6800系の6828編成 - 6839編成は、尾西線名鉄一宮駅 - 津島駅、名鉄一宮 - 玉ノ井駅および豊川線の、普通列車でワンマン運転を行っている。

三河線におけるワンマン運転は山線が2001年10月1日から、海線が2006年4月29日からで、同線で使用されているワンマン車は上記の4両編成すべてと6014編成と5 - 8次車の2両編成が該当する。これらはホームセンサー対応となっており、運転台にはホーム上の監視モニターを装備する他、特別整備が未施工の5 - 8次車もドアチャイムを搭載する。また、ホームセンサーと車両側面が非常に近接しているため、6014編成を除く2両編成については客室窓の開閉部外側に保護棒が追設されている。

manaca未対応区間で運用されているワンマン車は料金箱、ワンマン用ドアスイッチ、乗降ドア開閉アラーム、車内ミラー、自動放送装置、ドア締め切り表示灯などを装備している。蒲郡線でのワンマン運転実施は1998年6月1日からで、当初は西尾線西尾駅 - 吉良吉田駅間と一体でワンマン運転が実施されていた。

その後の2008年6月29日ダイヤ改正より、1998年4月6日のダイヤ改正以降、西尾駅で折り返していた西尾線から名古屋方面に直通する急行[45]が吉良吉田駅までの直通に改められてワンマン運転の実施区間が蒲郡線内のみに改められた一方、広見線の新可児駅 - 御嵩駅間でもワンマン運転が開始されたため、それまで蒲郡線で使用されていた5編成のうち1編成を広見線に回して運用に充てている。なお、両線ともワンマン運転時には前面にワンマン運転の系統板を掲出する。広見線でワンマン運転を行う際は方向幕を使用せず、白幕のまま運用している(車掌乗務時も方向幕を使用せず、ワンマンの表示がない系統板を掲出することがある)。 予備車は存在しないため、検査などで1編成でも運用を離れたときは6800系などが代走する。この場合はワンマン運転に対応していないので車掌も乗務し、ホーム側の全ての扉を開け、集札も行っている。

6800系後期車(6828編成 - 6839編成)は、尾西線と豊川線で、ワンマン運転を行っている。2000系と同じくドア注意事項のアナウンス、運転切り替えスイッチなどが備えつけられている。これらは後方確認用バックミラーに対応し、ホーム転倒防止の安全柵が取り付けられている、運転台にホームテレビが設置されている。 非常時の連絡無線などを備える。

該当編成は以下の通りである。

三河線ワンマン運転用
4両組成 - 6001F-6005F、6015F-6017F
2両組成 - 6014F・6020F・6021F・6034F・6037F-6044F

6015F-6017Fは碧南方面ワンマン運転に合わせ2006年に改造、6004Fと6005F・6014Fは7700系・7100系の運用離脱に伴う代替車として2009年 - 2010年に改造された。

IC乗車券未対応区間ワンマン運転用
2両組成 - 6009F-6013F
6800系ワンマン運転用
2両組成 - 6828F-6839F

編成

テンプレート:注意

6000系・6500系・6800系

テンプレート:TrainDirection
6000系
モ6200
(Mc)
サ6100
(T)
モ6300
(M)
ク6000
(Tc)
モ6200
(Mc)
ク6000
(Tc)
 
6500系
ク6500
(Tc2)
モ6550
(M2)
モ6450
(M1)
ク6400
(Tc1)
6800系
モ6900
(Mc)
ク6800
(Tc)
 

6000系(瀬戸線)

編成
(転属前旧番号)
テンプレート:TrainDirection 転属時期 廃車時期
ク6000
(Tc)
モ6300
(M)
サ6100
(T)
モ6200
(Mc)
先頭車 中間車
6023F 6023 6323
(6319)
6123
(6119)
6223 1995年4月 1996年5月 2012年3月
6024F 6024 6324
(6320)
6124
(6120)
6224 1995年4月 1996年5月 2012年 月
6025F 6025 6325
(6321)
6125
(6121)
6225 1995年4月 1996年5月 2013年 月
6026F 6026 6326
(6339)
6126
(6139)
6226 1995年4月 1996年5月 2013年 月
6027F 6027 6327
(6340)
6127
(6140)
6227 1995年4月 1996年5月 2014年1月
6031F 6031 6331
(6337)
6131
(6137)
6231 1995年4月 2000年5月 2014年2月
6032F 6032 6332
(6338)
6132
(6138)
6232 1995年4月 2000年5月 2011年4月
6033F 6033 6333
(6341)
6133
(6141)
6233 1995年4月 1996年5月 2012年 月
6035F 6035 6335 6135 6235 2000年5月 2000年5月 2014年4月
(予定)

今後

瀬戸線で使用されていた6000系と6600系は2011年度より4000系による置き換えが開始され、 6600系については2013年3月3日のさよなら運転をもって全車廃車となった[46]。 6000系についても、2011年4月の6032Fが運用を離脱した[47]のを皮切りに2014年4月6日のさよなら運転をもって瀬戸線に転属した全車が運用を離脱した[20]<ref name="railf140407">。

2014年度には三河線で運行されているワンマン仕様車のうちの3編成に対して大規模修繕工事が実施される予定。

その他

テンプレート:雑多な内容の箇条書き

  • 6000番台車両のロングシートは、座面(主に背摺り)の形状によって3種類に大別される。
  1. 1986年製(6500系3次車)以前:背摺りが垂直、座布団が水平。
  2. 1987年製(6500系4・5次車、6800系1次車)のみ:背摺りが若干傾斜したセミバケット形状。
  3. 1988年製(6800系2次車)以降:背摺りの傾斜が大きく、断面がくの字形、座布団にも若干の傾斜が付く。再びセミバケットでなくなった。
  • 全座席がロングシート化された6000系は1 - 3次車が1.、4 - 8次車は改造時期によって2.と3.が混在するほか、3.タイプでもセミバケット形となっている(瀬戸線所属車のみは転属時に3.タイプフラット化)。車端の座席もロング化部分と同じに変更した。6600系は全車が3.のタイプである。一方、6000系の9・10次車や6500系と6800系のロング化改造部分は逆に原型のロングシートに合わせた形状に統一されている。従って1990年代のロング化にも関わらず1.と2.が存在する(1988年製以降は現在のところ改造車がない)。
  • 名鉄では1990年までロングシートの1人あたり標準占有幅を430mm前後としていたが、6000番台車両のロング化改造部分については仕切りパイプと仕切り板の位置を変えなかった関係上、1人分の寸法はおよそ420mmから480mmの範囲で4通りと、ばらつきがある。
  • 上記時期に製造された5700系・5300系100系6750系3300系(2代)のロングシートにも同様の変化とバリエーションが見られる。例えば、5700系2次車は2.タイプだが、セミバケットではない。なお、3500系以降についてはさらに座面形状が変更され、背摺りの傾斜角に着目すると同系列と200系などは2.に、3100系・3700系は3.に近い。座布団はどちらも傾斜が付いている。
  • 6000系が登場して間もない一時期、その最高速度が低いことから、曲線や下り勾配の速度制限もB速度(吊り掛け駆動・自動ブレーキ車)であると勘違いし、低い方の制限速度で走る運転士が多かった。実際本系列はカルダン駆動・直通ブレーキなのでA速度の車両である。
  • 6000系3次車登場時あたりから名古屋本線の急行・高速に定期的に運用されるようになった。当時は最高速度110km/hのダイヤも余裕時分を含んでいたため、停車時分を短縮し100km/hを保って走れば定時運行ができた。現在はそうもいかず、本系列専用のランカーブでダイヤが組まれている。
  • 2008年7月12日から2009年1月16日まで、「夏の名鉄ポケモンキャンペーン」の一環として、瀬戸線用の6000系6035Fが「ランニングピカチュウ号」として運転されている。車体にはポケットモンスターのキャラクターがラッピングされている。
  • 2008年8月24日瀬戸線栄町乗り入れ30周年記念イベントでは、6600系の6601F+6604Fに特製のヘッドマークが先頭車の前面に装着された。この日、尾張旭検車区では新型車両の4000系の撮影会と車内見学会が行われた。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

関連項目

テンプレート:Sister テンプレート:Sister テンプレート:Sister テンプレート:Sister

  • 京阪9000系電車 - 当形式と同じく、集団離反式セミクロスシートを備えていた(後にロングシートに改造)。

テンプレート:-

外部リンク

テンプレート:名古屋鉄道の車両 テンプレート:ブルーリボン賞選定車両一覧

テンプレート:リダイレクトの所属カテゴリ
  1. 6000系 - 名古屋鉄道
  2. ネコ・パブリッシング『JR全車輌ハンドブック2009』 p.15
  3. 鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』No.399 p.49
  4. PHP研究所『名古屋鉄道のひみつ』p.120
  5. 交通新聞社鉄道ダイヤ情報』No.354 p.38
  6. 一般鉄道においてその後通勤車が同賞を受賞したのは2013年東京メトロ1000系までなかった。
  7. 特に妻窓はこれ以後、従前形式についても5500系以降の特別整備や7000系・7700系の特急仕様(白帯)化の際に埋込み改造がなされている。
  8. ABFMの名称をもつ1C4M電動カム軸式。MT同数編成のため空転対策として直列段の段数を増やしたタイプである。なお同型の1C8Mバージョンが100系に採用されている。
  9. 東洋電機TDK8050-A。1067mm軌間の電車で150kW級のカルダンモーターは既に南海6000系(架線電圧1500V時145kW)をはじめ近鉄6000系小田急5000形(この2形式は1360V時135kW)や西武101系(1500V時150kW)などで採用されていたが、端子電圧を750Vとして動輪径860mm・軸距2100mmの台車に装架されたのは本系列が最初である。そのため、大トルク(磁気回路容量)よりも高回転数によって出力を上げたタイプとなっている。6800系にも引き続き採用された後、1989年製から冷却ファンが内扇式となり型番がTDK8051-Aに変わったが、スペックは同一で、同年の5700系モ5650形では歯車比を4.82に変えて1996年の1800系2次車まで搭載された。
  10. 特に1500V線の中間付随車(T、サxx形)は当時AL車に9両しかなかった(他に築港線でT代用のTcが1両)が、本系列の登場以降徐々に増えてゆくこととなる。
  11. 主電動機の許容回転数からみるとAL車は110km/h以上が可能であったのに対し、6000系は制約が厳しく105km/hすらも困難。また発電ブレーキが従来の全車電動車形式より甘いことも付帯要因としてある。
  12. 力行応荷重については2次車(及び6600系)から名鉄で初めて採用され、追って1次車にも追加された。6000系の段階では起動加速度が一定となるのは空車時から定員乗車時までであり、100系や6500系から200%乗車時まで対応できるようになった。
  13. 計画段階では0系とする案もあったが、空き番であった6000番台となった。しかし車両形番をできるだけ小さくしようという意向は、地下鉄直通車や閑散線用気動車(現在全廃)に反映されている。
  14. 同時に屋根高さも3460mmとなった。これは特急形である国鉄485系の3475mmよりも低い。なお100系1・2次車の床面高さは従前通りの1150mmである。
  15. この換装は1両単位、時には1基単位で行われ、一度換装してから元に戻されたりする場合もあり、組成内で統一されていなかったり、1両の前後で異なる能力・形状の冷房装置が搭載されることがあったが、アンバランスな状況は2011年度内に解消している。なお補助電源装置も出力を40kVA(MG) - 50kVA(SIV)に下げたため、そのままでは3基に増設したり15000kcal/h級の装置を搭載することはできない。そのため冷房装置換装をもってしても最初から3基搭載した車両と同等には冷凍できないのが実状である。
  16. ただし、外形が類似する東武のRPU-3002型と阪急のRPU-3003型の1基当たり冷凍能力は10,500kcal/h。
  17. 5 - 8次車の場合、扉・窓配置は先頭車がd1D3D3D1で京阪2000系の1次車と同じ。中間車は1D3D3D1で東急7000系など(車体長は異なる)と同じである。ただし車端の1の窓は先頭車・中間車とも同寸法。また先頭車の扉間隔は5660mm(つまり客扉間部分の長さは4360mm)で、これが6500系以降現在まで標準寸法となる(1200・1800系列のみ例外で200mm長い)。
  18. 折悪しく20tほどの鋼材(鉄板)を積載しており、ク6035の前頭部がトレーラーの台枠部分に深く食い込み、原型を留めないほどに破壊されたため復旧不可能であった。また、この事故の復旧作業中にクレーン車が横転する事故を起こしている。なお、同編成は現在瀬戸線に所属している。修復されたモ6335も、ク6035連結側車端側面の外板にダメージの跡が僅かに確認できる。2008年(平成20年)7月12日から2009年1月16日まで、瀬戸線においてポケットモンスターの映画公開キャンペーンで「ランニングピカチュウ号」としてラッピングが施された。
  19. 取外されたクロスシートはリサイクルされることなく廃棄された。以後のロング化改造や、1000系、7000系などの廃車に当たっても旧型式の座席ということで他に転用はされていない。
  20. 20.0 20.1 [1]「せとでん さよなら赤い電車」イベント
  21. [http://railf.jp/news/2014/04/07/160000.html 名鉄瀬戸線6000系がさよなら運転 railf.jp」 2014年7月31日閲覧
  22. 周囲の環境に影響を与えないようにするため。なお2014年4月に瀬戸線での6000系の運用を終了したことにより、同線の車両は塗装不要のステンレス車体である4000系に統一された。
  23. 抵抗制御方式の回生制御(ブレーキ)は3400系・7500系などで使用実績がある。
  24. 6000系の4両組成が136.0tに対して、5t軽い131.0tとなった。非冷房であった5200系の134.4tよりも軽い。さらに最終増備の6523F・6524Fは129.0tまで軽量化された。
  25. 6400番台・6500番台が空き番となっていたのは、当時6000系を一部6両組成化する計画で確保してあったため。しかし同形式の6連化は実現せず、空き番を流用した本形式を6500系と命名したため付番が変則的になった。
  26. 4両各車の付番基準は、イレギュラーであった6000系方式から、中間車に50番台を付番する7000系(モ7050形7100番台を除く)以前の伝統的な方式に戻った。
  27. 東洋電機TDK8225-A。名鉄では唯一の150kW級大出力複巻電動機であるほか、狭軌用複巻モーターとしては最強クラス(国内でこれに比肩するものは南海8200系・9000系(375V・160kW)と近鉄6600系(150kW)程度)。工夫が施され直巻電動機に近い特性を持つ。以後標準型として歯車比を4.82に変え5700系、1000系、1200系、さらに1000系の機器流用車5000系まで搭載される。1200系登場時のみ文献で375V・165kWと紹介されているが、基本的に同型であり現在は340V・150kW定格で表示されている。
  28. 但し、補助電源装置と電動空気圧縮機に関しては従来通り2両分ずつ負担する構成である。そのため岐阜方先頭車は主要機器を搭載せず自重が軽い(5700系、3500系なども同様)。
  29. 但し6000系も全界磁では49 km/h であり、更に端子電圧の設定条件を考慮すれば大差はないと言える。
  30. フックは後年追設されたもので、当初はブックエンドで挟んで立てていた。
  31. 本形式の1・2次車と6000系9・10次車は当初、乗務員室仕切壁の客室側も同じ木目調の化粧版であったが、3次車(6509F - 6513F)から側壁と同じ白にベージュの縦縞へと変更され、以前の車両もこれに張り替えられた。なお1990年製造車までは、天井も固有の薄茶色(ビスケットクリーム)となっている。
  32. 瀬戸線でHL車が両数的に主流であった1990年頃までは、変電所容量の関係もあって駅間の短い箇所では2ノッチ(直列段)止め、その他でも3ノッチ(並列全界磁)までしか使わずに走行するなど、大出力を持て余し気味の傾向があった。
  33. テンプレート:Cite press release
  34. 栄町乗り入れ事業に巨費を費やした関係で手持ち資金が乏しくなり、冷房車の予定から発注段階で変更されたとされる。
  35. この改造にあたっては、直前に8800系「パノラマDX」への部品提供のために7000系初期車の一部の中間車が廃車され、その廃車車両で使用していた分散式冷房装置(TAC-15T2:4500kcal/h)が再利用された。7000系では1両当たり8基だったが本系列では6基搭載となり、元から装備のラインデリアを一部残して冷房効果を上げている。なお、元々高さ2144mmの平天井であったため、装置の室内機は天井を一段凹ませて取り付けている。
  36. ただし種別と行先が一体表示で、寸法も小さい(6000系1 - 3次車と同じ)など本線用とは異なる。
  37. 設計時の仮称は「(界磁)添加励磁(制御の)6000(系)」であった。
  38. このグループは6800系が16両、同仕様の6500系8両を合わせて計24両在籍し、もと1000系(1011 - 1016F)の台車を履いておりジョイント音や乗り心地が若干異なる。
  39. 公称定員では1人当たり占有幅が400mm(実際は仕切り板1箇所につき幅50mmを含むため、扉間の座席は座布団の有効長さが2700mmとなっている)となる設計で、3500系にも受け継がれた。車端は公称5または6人掛け、実質1950mmで4人掛けまたは2350mmで5人掛けである。また6832F - 6835Fの4本に限り乗務員室次位の座席は1200mm(実質1150mm)で公称3人掛け、実質2人掛けとなっている。いずれの場合もかつての『普通鉄道構造規則』に照らすと、公称座席数では1人当たり占有幅400mm、実質座席数は全体定員の3分の1に満たない。しかし、これらの規定が1989年に撤廃された後の設計のため、違法ではない。
  40. 実際には6500系8次車と共にFS548・FS048を装着して落成し、1992年から1993年にかけて一部特別車(当時は一部指定席車)編成の1000系と相互に交換している。
  41. 1996年4月改正時までは当該区間への定期乗り入れ運用が存在したほか、その後の1998年4月改正時から翌年5月改正時までの土曜・休日にのみ、午後に新岐阜駅(現・名鉄岐阜駅)→豊橋駅→御嵩駅、というルートでの定期運用が1運用設定されていた。
  42. 「特急」としての運転は1977年3月改正以前と1990年10月改正以降。この間の時期は全車一般席特急に相当する種別の「高速」として運行されていた。また、当時は編成によっては「特急」の種別表示幕を装備していないものも存在したが、その場合は種別表示を無表示(白幕)とし、前面に「特急」の系統板を掲出していた。(掲出される場所は正面貫通型である8次車までの6000系は前面扉外側にある系統板受け、6000系9・10次車、6500系・6800系は運転室内の車掌台側であった。)
  43. 該当する列車は新鵜沼駅5時38分発中部国際空港行きで、名鉄名古屋駅までは急行として運転され、2+4の6両で運転される。
  44. 但し、現在・過去ともに、6000系を併結しているにもかかわらず弾みで100km/hを超えることが多々ある。6000系の登場時は速度超過防止リレー(OSR)を装備していたが、後に撤去されている。
  45. 2005年1月29日 - 2008年12月26日までは快速急行として運転。また、この系統は2008年6月改正以降、朝夕は西尾線内は準急として運転されている。
  46. 名鉄6600系が、さよなら運転交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース 2013年3月4日
  47. 名鉄6000系6032編成が搬出される - 交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース 2011年4月16日