純文学
純文学(じゅんぶんがく)は、大衆小説に対して「娯楽性」よりも「芸術性」に重きを置いている小説を総称する、日本文学における用語。
目次
日本の純文学
日本の近代文学の始まりを告げた作品は,二葉亭四迷の『浮雲』(1887年 - 1889年)といわれる。言文一致による文体、近代人の苦悩を描いたテーマは,近代文学の体裁を整えたものであったが、二葉亭自身はその出来に満足せず、その後20年近く小説執筆から離れている。
日本の文学用語としての純文学は、明治時代(1868年 - 1912年)の作家北村透谷の評論『人生に相渉るとは何の謂ぞ』(「文学界」二号・1893年2月28日)において、「学問のための文章でなく美的形成に重点を置いた文学作品」として定義された。この時代の「純文学」という用語は、現在の「文学」という用語とほぼ同義であった。
日本における純文学が確立した明治時代後期には、現実の負の面を捉えた島崎藤村、田山花袋、島村抱月らの自然主義文学が文壇を席巻する。田山の『蒲団』(1907年)以降、日本の純文学の主流は、自分の周辺のことを書き連ねる私小説となったといわれる。一方、自然主義文学の先陣を切ったといわれる島崎の『破戒』(1906年)は部落問題を扱っており、長塚節の『土』(1912年)は農民の貧困を克明に描いたもので、日本の社会派小説の先駆けとも評価される。こういった社会問題への意識は後の白樺派の人道主義と一面では通底するものでもあり、プロレタリア文学へとつながっていくことにもなる。
明治末から大正(1912年 - 1926年)にかけては、自然主義の暗さに反発して人道主義的理想主義を掲げた、武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎ら白樺派が登場する。志賀直哉が『城の崎にて』(1917年)を初めとする短編小説で示した、作為を排した写生文は、後の私小説の規範とされた。なお、明治後期から大正期には、反自然主義と目された高踏派の森鴎外や、余裕派の夏目漱石が、物語性に富んだ傑作を残し、鴎外・漱石の両名の作品は、後に日本文学の規範と見なされるようになった。
反自然主義のもう一つの流れとして、耽美派の永井荷風や谷崎潤一郎らがおり(ただし永井は初期には自然主義作家と目されていた)、彼らは江戸文芸や大正モダニズムに取材した豊かな物語性を持つ作品を多く手がけた。谷崎の陰影に富んだ文体は、森鴎外に代表される簡勁な表現と対極的ではあるが、鴎外と並んで魅力的な日本語の文章のひとつの極致であるともいわれる。
大正末期から昭和(1926年 - 1989年)の初めにかけては、新現実主義と称された芥川龍之介が、『文芸的な、余りに文芸的な』(「改造」1927年4~8月)において、「“筋の面白さ”は、小説の芸術的価値とは関係しない」と主張し、「筋の面白さこそが、小説という形式の特権である」とする谷崎潤一郎と対立する。この頃から、大衆小説が広く読まれるようになった。芸術性重視の作家たちは、大衆小説との差別化を図るために、自らを純文学と定義するようになった。こうして、現在の意味と同じ「純文学」という用語が定着した。
昭和初期には、川端康成、横光利一ら新感覚派が一世を風靡し、その後の日本語の文体に大きな影響を与えた。横光はアンドレ・ジッドを初めとする海外文学への感銘から、『純粋小説論』(「改造」1935年4月)を著し、純文学のリアリズムへの偏向を批判し、純文学のリアリズムと大衆小説の創造性の止揚である純粋小説の概念を説いた。
第二次世界大戦直後は、世相の混乱を背景に、太宰治、石川淳、坂口安吾らが無頼派の作家として脚光を浴び、野間宏、武田泰淳らが戦争体験を背景にした第一次戦後派作家として登場した。また、大岡昇平らの第二次戦後派作家は、本格的なヨーロッパ風長編小説を指向し、従来の私小説伝統とは一線を画した文学を提唱した。
高度経済成長期には、戦後耽美派の三島由紀夫、カフカの不条理文学の影響を受けた安部公房、サルトルの実存主義の影響を受けた大江健三郎らの作家が活躍した。1956年に芥川賞を受賞した石原慎太郎の『太陽の季節』(1955年)は、賛否両論の話題を呼び、芥川賞が華々しい存在となるきっかけを作った。石原や三島はマスメディアに多く登場し、作家のタレント文化人化の先駆けとなった。また、安岡章太郎、吉行淳之介ら第三の新人は、私小説の伝統に連なる短編小説作品を多く手がけ、私小説の再評価につながった。
概ね20世紀前半には、大衆小説と純文学を書く作家は棲み分けがなされていた。純文学出身ながら大衆文芸も積極的に執筆した谷崎潤一郎や永井荷風といった例は存在したものの、逆に大衆小説出身で純文学に進出した作家はほぼ皆無であった。しかし20世紀後半に入ってからは、多くの純文学作家がSF・推理小説・伝奇小説などのジャンル小説の手法を取り入れ、物語性を追求した作品を上梓する一方で、井上ひさし、筒井康隆らの大衆作家が積極的に純文学の手法を用いるなど、両者の区分は極めて曖昧になりつつある。
団塊の世代の主要な純文学作家としては、中上健次、津島佑子、村上春樹、村上龍、高橋源一郎らの名前が挙げられる。ポスト団塊の世代の純文学作家では、島田雅彦、山田詠美、小川洋子、川上弘美らが高い評価を得ている。
純文学を代表する作家と作品
日本文学を代表する純文学作家と、その作家が文学史に残した純文学の名作・秀作。小説を中心とし、一部に戯曲・評論などを含んでいる。詩歌俳句は除外。年代分けは作家として認知された時期であり、代表作の発表年はそれ以後となることに注意。また、1880年代〜1890年代は日本における純文学の確立以前の時期であり、(後の純文学に影響を及ぼしたものの)純文学作家とは言い難い作家も含んでいる。
1880年代
- 坪内逍遥 - 『小説神髄』、『当世書生気質』
- 二葉亭四迷 - 『浮雲』、『其面影』、『平凡』
- 山田美妙 - 『武蔵野』
- 尾崎紅葉 - 『二人比丘尼色懺悔』、『多情多恨』、『金色夜叉』
- 幸田露伴 - 『露団々』、『風流仏』、『五重塔』
- 斎藤緑雨 - 『かくれんぼ』
1890年代
- 森鴎外 - 『舞姫』、『青年』、『雁』、『阿部一族』、『山椒大夫』、『高瀬舟』
- 北村透谷 - 『内部生命論』
- 樋口一葉 - 『大つごもり』、『たけくらべ』、『にごりえ』
- 高山樗牛 - 『滝口入道』
- 広津柳浪 - 『黒蜥蜴』
- 泉鏡花 - 『外科室』、『高野聖』、『婦系図』、『歌行燈』
- 国木田独歩 - 『武蔵野』、『忘れえぬ人々』、『牛肉と馬鈴薯』
- 徳冨蘆花 - 『不如帰』、『自然と人生』
- 内田魯庵 - 『くれの廿八日』
- 小杉天外 - 『はつ姿』
1900年代
- 夏目漱石 - 『吾輩は猫である』、『三四郎』、『それから』、『門』、『行人』、『こゝろ』、『明暗』
- 島崎藤村 - 『破戒』、『春』、『家』、『新生』、『夜明け前』
- 永井荷風 - 『あめりか物語』、『ふらんす物語』、『濹東綺譚』、『断腸亭日乗』
- 田山花袋 - 『蒲団』、『生』、『田舎教師』
- 徳田秋声 - 『黴』、『あらくれ』、『縮図』
- 正宗白鳥 - 『何処へ』、『入江のほとり』
- 岩野泡鳴 - 『耽溺』
- 伊藤左千夫 - 『野菊の墓』
- 真山青果 - 『南小泉村』
- 中里介山 - 『大菩薩峠』
1910年代
- 谷崎潤一郎 - 『刺青』、『痴人の愛』、『春琴抄』、『細雪』、『鍵』、『瘋癲老人日記』
- 志賀直哉 - 『清兵衛と瓢箪』、『城の崎にて』、『赤西蠣太』、『和解』、『小僧の神様』、『暗夜行路』
- 武者小路実篤 - 『友情』、『愛と死』、『真理先生』
- 有島武郎 - 『カインの末裔』、『生まれ出づる悩み』、『或る女』
- 芥川龍之介 - 『羅生門』、『鼻』、『地獄変』、『藪の中』、『河童』、『歯車』
- 菊池寛 - 『父帰る』、『恩讐の彼方に』
- 山本有三 - 『真実一路』、『路傍の石』
- 広津和郎 - 『神経症時代』
- 葛西善蔵 - 『子をつれて』
- 佐藤春夫 - 『田園の憂鬱』、『晶子曼陀羅』
1920年代
- 野上弥生子 - 『真知子』、『迷路』
- 葉山嘉樹 - 『淫売婦』、『海に生くる人々』
- 小林多喜二 - 『蟹工船』、『不在地主』
- 徳永直 - 『太陽のない街』
- 中野重治 - 『歌のわかれ』、『梨の花』、『甲乙丙丁』
- 佐多稲子 - 『キャラメル工場から』、『樹影』
- 横光利一 - 『日輪』、『機械』、『上海』
- 川端康成 - 『伊豆の踊子』、『雪国』、『千羽鶴』、『山の音』、『眠れる美女』、『古都』
- 梶井基次郎 - 『檸檬』、『冬の日』、『櫻の樹の下には』
- 井伏鱒二 - 『山椒魚』、『屋根の上のサワン』、『本日休診』、『黒い雨』
1930年代
- 宮沢賢治 - 『銀河鉄道の夜』、『注文の多い料理店』--生前には作家として認知されず、作品が一般に知られ評価されるのは1933年の宮沢の死後のことである。
- 芹沢光治良 - 『巴里に死す』
- 堀辰雄 - 『風立ちぬ』、『かげろふの日記』、『菜穂子』
- 伊藤整 - 『得能五郎の生活と意見』、『氾濫』、『変容』
- 高見順 - 『故旧忘れ得べき』、『如何なる星の下に』
- 石川達三 - 『蒼氓』、『青春の蹉跌』
- 石川淳 - 『普賢』、『紫苑物語』、『至福千年』
- 太宰治 - 『富嶽百景』、『走れメロス』、『津軽』、『斜陽』、『人間失格』
- 坂口安吾 - 『堕落論』、『白痴』、『桜の森の満開の下』
- 織田作之助 - 『夫婦善哉』
1940年代
- 中島敦 - 『山月記』、『李陵』
- 三島由紀夫 - 『仮面の告白』、『潮騒』、『金閣寺』、『近代能楽集』、『サド侯爵夫人』、『豊饒の海』
- 武田泰淳 - 『蝮のすゑ』、『風媒花』、『ひかりごけ』
- 野間宏 - 『崩壊感覚』、『真空地帯』、『青年の環』
- 梅崎春生 - 『桜島』
- 埴谷雄高 - 『闇のなかの黒い馬』、『死靈』
- 安部公房 - 『壁』、『砂の女』、『他人の顔』、『燃えつきた地図』、『友達』、『箱男』
- 大岡昇平 - 『俘虜記』、『武蔵野夫人』、『野火』、『レイテ戦記』
- 井上靖 - 『氷壁』、『敦煌』、『おろしや国酔夢譚』、『孔子』
- 島尾敏雄 - 『死の棘』、『日の移ろい』
1950年代
- 堀田善衛 - 『広場の孤独』
- 大西巨人 - 『神聖喜劇』
- 安岡章太郎 - 『海辺の光景』、『幕が下りてから』、『流離譚』
- 吉行淳之介 - 『砂の上の植物群』、『暗室』、『夕暮まで』
- 遠藤周作 - 『海と毒薬』、『沈黙』、『深い河』
- 小島信夫 - 『抱擁家族』、『別れる理由』
- 石原慎太郎 - 『太陽の季節』
- 開高健 - 『裸の王様』、『輝ける闇』
- 大江健三郎 - 『個人的な体験』、『万延元年のフットボール』、『洪水はわが魂に及び』、『同時代ゲーム』、『新しい人よ眼ざめよ』、『燃えあがる緑の木』、『取り替え子』
- 北杜夫 - 『夜と霧の隅で』、『楡家の人々』
1960年代
- 丸谷才一 - 『年の残り』、『たった一人の反乱』、『女ざかり』
- 河野多惠子 - 『不意の声』、『みいら採り猟奇譚』
- 高橋和巳 - 『悲の器』、『邪宗門』
- 辻邦生 - 『背教者ユリアヌス』、『西行花伝』
- 加賀乙彦 - 『フランドルの冬』、『宣告』
- 古井由吉 - 『杳子』、『槿』、『仮往生伝試文』
- 後藤明生 - 『挟み撃ち』、『首塚の上のアドバルーン』
- 日野啓三 - 『夢の島』、『砂丘が動くように』
- 黒井千次 - 『群棲』
- 大庭みな子 - 『三匹の蟹』
1970年代
- 石牟礼道子 - 『苦海浄土 わが水俣病』
- 李恢成 - 『百年の旅人たち』
- 林京子 - 『祭りの場』、『長い時間をかけた人間の経験』
- 中上健次 - 『岬』、『枯木灘』、『千年の愉楽』、『地の果て 至上の時』
- 津島佑子 - 『寵児』、『夜の光に追われて』、『火の山―山猿記』、『ナラ・レポート』
- 村上龍 - 『限りなく透明に近いブルー』、『コインロッカー・ベイビーズ』、『愛と幻想のファシズム』、『五分後の世界』、『半島を出よ』
- 宮本輝 - 『蛍川』、『流転の海』
- 村上春樹 - 『羊をめぐる冒険』、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『ノルウェイの森』、『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』、『1Q84』
- 池澤夏樹 - 『スティル・ライフ』、『マシアス・ギリの失脚』
- 松浦理英子 - 『親指Pの修行時代』
1980年代
- 高樹のぶ子 - 『光抱く友よ』、『透光の樹』
- 高橋源一郎 - 『さようなら、ギャングたち』、『優雅で感傷的な日本野球』、『日本文学盛衰史』
- 島田雅彦 - 『彼岸先生』、『無限カノン3部作』、『カオスの娘』
- 山田詠美 - 『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』、『トラッシュ』、『アニマル・ロジック』
- 佐伯一麦 - 『ノルゲ Norge』
- よしもとばなな - 『キッチン』、『TUGUMI』
- 辻原登 - 『村の名前』、『飛べ麒麟』
- 笙野頼子 - 『タイムスリップ・コンビナート』、『金毘羅』
- 奥泉光 - 『「吾輩は猫である」殺人事件』
- 小川洋子 - 『妊娠カレンダー』、『博士の愛した数式』、『ミーナの行進』
1990年代
- 保坂和志 - 『季節の記憶』
- 多和田葉子 - 『容疑者の夜行列車』、『雲をつかむ話』
- リービ英雄 - 『千々にくだけて』
- 川上弘美 - 『蛇を踏む』、『センセイの鞄』、『真鶴』
- 阿部和重 - 『シンセミア』、『ピストルズ』
- 松浦寿輝 - 『半島』
- 堀江敏幸 - 『雪沼とその周辺』、『河岸忘日抄』
- 町田康 - 『くっすん大黒』、『告白』
- 吉田修一 - 『悪人』
- 平野啓一郎 - 『日蝕』、『決壊』
2000年代
- 星野智幸 - 『俺俺』
- 長嶋有 - 『夕子ちゃんの近道』
- 綿矢りさ - 『蹴りたい背中』
- 金原ひとみ - 『蛇にピアス』
- 鹿島田真希 - 『冥土めぐり』
- 絲山秋子 - 『沖で待つ』
- 中村文則 - 『掏摸』
- 青山七恵 - 『ひとり日和』
- 田中慎弥 - 『共喰い』
- 川上未映子 - 『ヘヴン』
2010年代
日本の主な純文学誌
- 新潮 (新潮社発行、1904年創刊)
- 文學界 (文藝春秋発行、1933年創刊)
- 群像 (講談社発行、1946年創刊)
- すばる (集英社発行、1970年創刊)
- 文藝 (河出書房新社発行、1933年創刊、季刊誌)
日本の主な公募の純文学新人賞
- 文學界新人賞(文藝春秋、1955年 - )
- 群像新人文学賞(講談社、1958年 - )
- 文藝賞(河出書房新社、1962年 - )
- 新潮新人賞(新潮社、1969年 - )
- すばる文学賞(集英社、1977年 - )
日本の主な純文学賞
終了した文学賞と公募の新人賞は含まない。
- 芥川龍之介賞 (新人の短編・中編小説に)
- 野間文芸新人賞 (新人の小説に)
- 芸術選奨文部科学大臣新人賞 (新人の小説・詩歌俳句・評論などに)
- 三島由紀夫賞 (新人・中堅の小説・評論・詩歌・戯曲などに)
- Bunkamuraドゥマゴ文学賞 (新人・中堅の小説・評論・戯曲・詩に)
- 織田作之助賞 (新鋭・気鋭の作家による小説に)
- 泉鏡花文学賞 (キャリアを問わずロマンの薫り高い小説・戯曲などに)
- 川端康成文学賞 (キャリアを問わず年間で最も優れた短篇小説に)
- 毎日出版文化賞 (キャリアを問わず優秀な出版物に)
- 大佛次郎賞 (キャリアを問わず質の高い散文に)
- 芸術選奨文部科学大臣賞 (中堅・ベテランの小説・詩歌俳句・評論などに)
- 谷崎潤一郎賞 (中堅・ベテランの代表作となる小説・戯曲に)
- 読売文学賞 (中堅・ベテランの小説・戯曲・随筆・評論・詩歌俳句・翻訳などに)
- 野間文芸賞 (ベテラン・中堅の小説・評論に)
- 日本芸術院賞 (ベテランの小説家・劇作家・詩人・歌人・俳人・文芸評論家・翻訳家などの業績に)