斜陽
『斜陽』(しゃよう)は、1947年に太宰治によって書かれた小説。『新潮』に1947年7月から10月にかけて連載。同年に新潮社から刊行され、文壇から高い評価を得て、ヒット作となった。
概要
没落していく人々を描いた太宰治の代表作で、没落していく上流階級の人々を指す「斜陽族」という意味の言葉を生みだした。斜陽という言葉にも、国語辞典に「没落」という意味が加えられるほどの影響力があった。太宰治の生家である記念館は、この小説の名をとって「斜陽館」と名付けられた。この小説は、太宰が当時交際していた太田静子の日記がほとんどそのまま書き写されたものであることが、娘・太田治子によって明かされた。
あらすじ
戦争が終わった昭和20年。没落貴族となったうえ、当主であった父を失ったかず子とその母は、生活が苦しくなったため、東京・西片町の家を売って伊豆で暮らすことにする。 一方、南国の戦地に赴いたまま行方不明になっていた弟の直治(戦地では麻薬中毒になっていた)が帰ってくるが、家の金を持ち出し、東京の上原二郎(小説家で既婚者)の元で荒れはてた生活を送る。しかし、「夕顔日記」と書き記され、麻薬中毒やその理由のみならず、世間の偽善を告発する内容や、母の「札のついていない不良が、怖いんです。」という言葉に触発され、再度上原に宛てた手紙には、「世間でよいと言われ、尊敬されている人たちは、みな嘘つきで、偽物なのを」、「札つきの不良だけが、私の味方」であり、それを非難せんとする世間に「お前たちは、札のついていないもっと危険な不良じゃないか」反論する意思を記す。
直治を介したかず子と上原との運命的出会いや交際、生活が苦しくかつ自身の健康がすぐれなくなってもかず子らを暖かく見守ってくれた「最後の貴族」たる母のもと日々は穏やかに流れていたが、やがて母が結核に斃れ、無頼な生活や画家の本妻への許されぬ愛に苦悩していた直治も母の後を追うように自殺。残した遺書に、直治は自らの弱さと貴族階級出身に由縁する苦悩を告白するが、「人間は、みな、同じものだ。」と言う言葉に「なんという卑屈な言葉であろう。人をいやしめると同時に、みずからをもいやしめ、何のプライドもなく、あらゆる努力を放棄せしめるような言葉。マルキシズムは、働く者の優位を主張する。同じものだ、などとは言わぬ。民主主義は、個人の尊厳を主張する。同じものだ、などとは言わぬ。」と抗議する。直治の死と前後して、かず子は上原の子を妊娠したこと、それを知ってか知らずか、上原が自分から離れていこうとしていることに気付く。
かず子は「(不倫の子を生んだ)シングルマザー」として、マルクス主義に傾倒するローザ・ルクセンブルクや、新約聖書中の「平和にあらず、反って剣を投ぜん為に来れり」[1]と説くイエスのさながらの革命精神をもって、動乱やまぬ戦後社会に腹の中の(やがて生まれてくるであろう)子と強く生きていく決意を上原宛の書簡にしたためる。立場は違えど庶民とは違う階級にあった四人の、四者四様の滅びの様が描かれ、滅びの中の美しさが描かれている。
作品背景
アントン・チェーホフの戯曲『桜の園』を意識して書かれていて、日本版『桜の園』といわれている。また、『女生徒』『パンドラの匣』と同じく、かず子のモデルとなった太田静子の日記を参考にしている。
太宰はこの作品を書くにあたり、「傑作を書きます。大傑作を書きます。日本の『桜の園』を書くつもりです」と言っており、自信の深さが伺える。ただ、執筆中に静子が太宰の子を妊娠(生まれた女児が作家・太田治子である)したこともあり、終盤の展開がいささか『桜の園』から外れ、太宰・静子が実際辿った経緯が反映された感もある。また、主要登場人物四人の設定はいずれも年代別の太宰自身の投影(初期=直治、中期=かず子と母、末期=上原)が色濃い。
この作品では貴族の娘が出てきているが、この娘の言葉使いが「実際の貴族の女性の言葉使いからかけ離れている」と、志賀直哉や三島由紀夫などが指摘している。
注釈
映像作品
テレビドラマ
- 『斜陽』(1962年、TBS、出演:丹阿弥谷津子)
- 銀河テレビ小説 ドラマでつづる昭和シリーズ『斜陽』(1975年、NHK、出演:八千草薫、水谷八重子、神山繁、山本圭)
- 日本名作ドラマ『斜陽』(1993年、テレビ東京、出演:紺野美沙子、司葉子、鶴見辰吾、根津甚八、平幹二朗)
- 文學ト云フ事『斜陽』(1994年、フジテレビ、出演:緒川たまき、小木茂光、大川栄子、浅見真公人)
映画
- 『斜陽』(2009年5月9日より順次公開)
出演
- かず子:佐藤江梨子
- 上原二郎:温水洋一
- かず子の母:高橋ひとみ
- 直治:伊藤陽佑
- 三宅医師:真砂皓太
- 和田:小倉一郎
- 上原の妻:凛華せら
- 米屋の娘:有末麻祐子
- 近隣の住民:今村祈履
- 旧家の女中:駒井亜由美
- ちどりのママ:初嶺麿代