新しい歴史教科書をつくる会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:複数の問題 テンプレート:Infobox 組織

新しい歴史教科書をつくる会(あたらしいれきしきょうかしょをつくるかい)とは、1996年に結成された日本の社会運動団体。従来の歴史教科書が「自虐史観」の影響を強く受けているとして、従来の「大東亜戦争肯定史観」にも「東京裁判史観」ないし「コミンテルン史観」にも与しない立場から新たな歴史教科書をつくる運動を進めるとしている。

政界や地方議会の一部勢力から支持・賛同を受けて4度にわたり中学生対象の教科書を出版し、採択しようとする運動を進めている。一方、編集方針をめぐって袂を分かった教科書改善の会など一部の保守系団体は、つくる会は近代的・合理主義的な国家観を有しており左派的であると批判している。

つくる会の概要

従来の教科書に対する批判

湾岸戦争以前までは日本共産党員であった藤岡信勝は、冷戦終結後の新しい日本近代史観確立の必要性を感じ、保守論客に転進すると共に、旧来の左右双方のどちらにも組しない独自の自由主義史観の構築を提唱した。藤岡らの提唱は大きな反響を呼ぶことなり、1996年12月に西尾幹二ら有志と「新しい歴史教科書をつくる会」(略称:つくる会)を結成。同会の『教科書が教えない歴史』は全4巻で120万部を超えるベストセラーとなった。

つくる会は、既存の歴史教科書(特に中学校社会科の歴史的分野の教科用図書)は、必要以上に日本を貶める自虐史観に毒されていると批判し、それに代わる「“東京裁判史観”や“社会主義幻想史観”を克服するとし、その双方の呪縛から解放されたという自由主義史観に基づく、子供たちが日本人としての自信と責任を持つことのできるような教科書」の作成と普及を目的として結成され運営されている。

つくる会の教科書は中学歴史用の歴史分野と公民分野のものが2001年版と2005年版が出版(いずれも扶桑社刊)されたほか、2009年版、2011年版は自由社から出版された。本部のほか全国各地に地方支部が設置[1]されている。をつくる会の執筆した『新しい歴史教科書』は、2001年に初版が出された。文部科学省によって137か所の検定意見が付けられたが、同時に執筆した『新しい公民教科書』とともに、ほかの出版社の歴史教科書と同様に教科用図書検定に合格している。

つくる会の組織概要

つくる会は、日本全国から集まる会費と関連本の印税収入を財源として活動している。2007年5月には、7代目会長につくる会が発足するきっかけを作った藤岡信勝が就任した[2]。つくる会の地方支部のほか、地元財界や旧軍関係者による採択支援運動が行われている。平沼赳夫萩生田光一といった会の主張と同じくする保守政治家から強く支持されている[3]ほか、保守団体とされる日本会議も支援している。また、藤岡によれば、つくる会の事務所に電話をかけ「よくぞ立ち上がってくれた。これで安心してあの世に逝ける」と電話口で泣き崩れた老人もいたという[4]

保守の政治家のほか、ブログや掲示板等のネットにおいても支持している者の姿がよく見られ、ネットで論じられていたことから誕生したとも言われる山野車輪著の『マンガ 嫌韓流』は、その思想的背景にはつくる会の影響が強いと主張する者もいる[5]

賛同者の一部には在日特権を許さない市民の会河野談話の白紙撤回を求める市民の会などの政治活動にも参加している者もいる。またつくる会として、アメリカ合衆国下院が日本政府に対し従軍慰安婦問題への謝罪を迫ったアメリカ合衆国下院121号決議に対して、民主党慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会とともに強い反発を表明[6]しているほか、沖縄県で保革関係なく要求された沖縄地上戦に関する歴史教科書問題についても批判的な立場[7]を取っているが、そのなかで「沖縄戦の犠牲に対する感謝と共感の念をはぐくむよう記述すること」という教科書改善の会(つくる会の運動から離れた有志による同様の社会運動団体)の要望を、日本の歴史教科書を「自虐的」たらしめた「近隣諸国条項」と同様に「沖縄条項」を取り入れるものであるとして批判している。

つくる会の主な主張

テンプレート:出典の明記 新しい歴史教科書をつくる会は、中学校社会科歴史的分野における教科書そのものや、つくる会が執筆した『新しい歴史教科書』を取り巻く環境について主に次のような主張をしている(この主張に対する反対意見・賛成意見などについては、後述の不採択活動、世間の評価を参照)。

まず1997年に発表された趣意書で、次のように主張している[8]

  • 日本の戦後の歴史教育は、日本人が受けつぐべき文化と伝統を忘れ、日本人の誇りを失わせるものであった。特に近現代史では、日本人は子々孫々まで謝罪し続けることを運命づけられた罪人の如くにあつかわれている。
  • 冷戦終結後は自虐的傾向が強まり、現行の歴史教科書は従軍慰安婦のような旧敵国のプロパガンダを事実として記述している。
  • つくる会は、世界史的視野の中で、日本国と日本人の自画像を、品格とバランスをもって活写することで、祖先の活躍に心踊らせ、失敗の歴史にも目を向け、その苦楽を追体験できる、日本人の物語を語りあえる教科書をつくる。
  • 子供たちが、日本人としての自信と責任を持ち、世界の平和と繁栄に献身できるようになる。

2005年5月10日に、つくる会が外国特派員協会で開催された記者会見において『新しい歴史教科書』の近現代史の英訳版を配布するとともに、欧米のプレスとの質疑応答で次のように主張した[9]

  • 『従軍慰安婦や強制連行、南京事件を削除し、創氏改名を正当化することが正しい教科書なのか』の質問に対しては、『1996年以前の韓国の教科書にも従軍慰安婦は記述されていなかった。また2005年4月12日付の朝日新聞の記事によると、全社の教科書が従軍慰安婦を削除している。それは証拠によってサポートされていない』と回答した。ただし他の問については回答を避けた。
  • 扶桑社の教科書が学校で使われないのは、日本にある2大教職員組合がマルクス・レーニン主義を信奉しているため、国民との意識に大きなギャップがあるにもかかわらず、(教科書)採択に大きな影響力を持っているためである。
  • 『日本軍の虐殺や強制連行や南京事件を書いていない。日本は戦前に戻るのではないかと心配になる』との指摘に対しては『町村外務大臣(当時)も検定を合格した教科書の中で、戦争を美化している教科書はないと言っている』として、『歴史の事実が明らかになればそのような誤解もとける』と主張していた。

つくる会の教科書や他社発行の歴史教科書に対する主張から以下のような事柄を主張している。

  • 近代日本を悪逆非道に描き出す「自虐史観」を克服し、次世代の子供たちに誇りある日本の歴史の真の姿を伝えるべきである。この教科書は「階級闘争史観」や「自虐史観」の拘束から自由になり、世界史的視野のなかで日本国と日本人の自画像を品格とバランスをもって論述している。そのため面白く、通読に耐える唯一の歴史教科書である[2]
  • 南京大虐殺30万人」と誇大記述されている中学校社会科の歴史教科書があるが、いまだにはっきりとした人数はおろか、存否も分かっておらず、論争中の問題である。義務教育が行われる学校で使用する教科書には、旧敵国のプロパガンダと疑われる事件は記述すべき内容でない。
  • 従軍慰安婦」という用語は、第二次世界大戦前には使われていない。慰安婦とするために日本の国家政策として強制連行をしたと証明できる公文書は発見されていない。「強制連行」という言葉も自虐主義者による創作語にすぎない。また戦争中、慰安婦は、世界中の軍隊に存在したもので、ことさら日本を訴え続ける外国訴訟団ばかりを取り上げる教科書には偏りがある。
  • 中国大陸・朝鮮半島などの被支配者が善、日本のような支配者が悪、ほかにも一揆・反乱・打ちこわしなどの指導者が善で、朝廷・幕府・行政・国家などが悪のように描かれている傾向が強い。これらはまさに左翼が主張する「階級闘争史観」を引きずっている。そのため帝国主義時代の歴史がそのように単純な善悪二元論で説明できるのか疑問である。
  • 広島市原子爆弾を落とされたのは「軍都」であったから仕方ないとして、「そのような過ちをくり返さないことが大切」などとアメリカなど連合国の責任は追及せず原因のすべてが日本にあるように記述[10]されている教科書には問題がある。人類史上最悪の大虐殺の1つである。
  • 伊藤博文は、日本の近代化を進めた初代内閣総理大臣というよりも朝鮮半島侵略の張本人であると強調され、暗殺されても仕方がないというようにテロリスト安重根を英雄視する大韓民国に迎合し、朝鮮半島や中国大陸の観点から描かれている日本の功労者が多いのは懸念されるべきことである。
  • 扶桑社教科書を批判する自虐史観主義者の組織的妨害は非常に残念[11]。である。彼らの行っている批判は、歴史の真実とは無関係でもあり、韓国や中国の教科書にこそ該当するもので、お門違いの批判でもある。
  • 教科用図書検定基準文部科学省告示)にある近隣諸国条項を誤解することなく、日本のマスメディアや行政は、中華人民共和国や大韓民国にもっと強い態度で歴史の真実に臨むべきである。
  • 東京裁判を是とする自虐史観主義から脱却し、誇るべき伝統と文化を継承してきた日本の歴史を正負両面から事実を綴った歴史教科書を作るべきである。

つくる会の活動概要

役員

2013年6月30日現在[12]

役職 氏名 肩書 備考
会長 杉原誠四郎 城西大学教授
副会長 岡野俊昭 銚子市
元銚子市立第五中学校校長
高池勝彦 弁護士 元会長代行
豊島典雄 政治アナリスト
杏林大学教授
作新学院大学教授
福地惇 高知大学名誉教授
文部省初等中等教育局教科書調査官・主任
大正大学教授
理事 饗庭道弘 ユニワード株式会社、有限会社饗庭商会取締役
宮城支部長
石原隆夫 一級建築士
小山常実 大月短期大学教授
富岡幸一郎 関東学院大学教授
表現者編集長
濱野晃吉 株式会社経営センター社長
関西防衛を支える会
大阪支部長
藤岡信勝 拓殖大学客員教授
東京大学教授
自由主義史観研究会代表
前会長
教科書企画編集委員長
諸橋茂一 教育を考える石川県民の会会長
KBM社長
「真の近現代史観」懸賞論文受賞歴あり
山本茂 九州女子大学教授
吉永潤 神戸大学准教授
監事 駒田強 茨城支部長
元茨城県大宮町議会議員
常陸大宮市議会議長
保科直美 神奈川支部長
技術士
顧問 井尻千男 拓殖大学日本文化研究所顧問
加瀬英明 外交評論家
自由社社長
田久保忠衛 杏林大学名誉教授
中條高徳 アサヒビール名誉顧問
社団法人日本国際青年文化協会会長
日本戦略研究フォーラム会長
事務局 越後俊太郎

歴代会長

新しい歴史教科書をつくる会 会長
氏名 就任日 備考
1 西尾幹二 1997年1月
2 田中英道 2001年9月
3 八木秀次 2004年9月
4 種子島経 2006年2月
- 高池勝彦 2006年4月 会長代行
5 小林正 2006年9月
6 藤岡信勝 2007年5月
7 杉原誠四郎 2011年8月

つくる会運動の離合集散

つくる会は幾度と無く路線対立等が原因で内紛を繰り返して来た。

1998年2月、理事会は「事務局員との確執」を理由に初代事務局長の草野隆光を解任する。後釜として大月隆寛が2代目の事務局長になったが、その大月も自律神経失調症から病み上がったばかりの1999年9月15日に、当時の西尾幹二会長から手紙で解任を勧告される。

1999年7月29日、理事会は当時の藤岡信勝副会長と濤川栄太副会長を解任する。藤岡は理事に留まったが、濤川は理事も退任。背景には藤岡と濤川の権力争いや、濤川の女性問題があった。

2002年2月西部邁小林よしのりが退会。反米保守であった小林、西部と、親米保守であった他の理事達の対立が原因。

2006年1月16日、西尾幹二が名誉会長を辞任して退会し、更に遠藤浩一工藤美代子福田逸が副会長を辞任する。西尾等が以前から敵視していた宮崎正治事務局長を解任しようとしたが、八木等の日本会議系のグループから抵抗を受けて辞任に追い込まれたと言われる。ところが同年3月1日に藤岡は会長補佐に就任して復権し、同年2月27日に理事会は八木秀次会長、藤岡信勝副会長、宮崎正治事務局長を解任させ、宮崎は退職に追い込まれた。八木等を解任した表向きの理由は、2005年12月に理事会の許可を取らず中国へ赴き、現地の知識人と論争していた事とされる。しかし、当の解任された八木は藤岡に追放されたと主張している。この泥沼の内部抗争の原因は、肝心の公民、歴史教科書の採択率が軒並み1パーセントにも満たない事だと言われている。

後任の会長は種子島経になったが、地方支部と支援団体から反対意見が相次いだ為、2006年3月28日の理事会で八木秀次を副会長に選任して内紛の収拾が図られた。八木は同年7月に予定されている総会までに会長に復帰すると見られていたが、6月に別団体を設立し完全離脱。更にはやはり会員であったが離脱した屋山太郎も八木に同調して「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」(教科書改善の会)を設立。12月には、八木の命令で藤岡を誹謗中傷する怪文書を作ったと藤岡からブログ名指し批判された産経新聞記者が名誉毀損で藤岡を刑事告訴。これには地方支部から2007年4月に“分派行動であり相容れない”として、会長・小林の引責辞任を求める文書が提出され、これを受けて本部は小林を5月末で解任。関係解消を申し入れられた為、扶桑社とも手を切った。扶桑社は「教科書改善の会」と共に次回検定に向けて教科書編纂を行なうという。

一方、産経新聞が八木秀次の副会長選任に関する報道で「理事会では西尾幹二の影響力を排除する事を確認した」「宮崎正治の事務局復帰も検討されている」と言う記事を掲載した事に対し、つくる会と西尾幹二が抗議する。また、名誉会長を辞した西尾は自身のブログに於いて「脅迫を目的とした匿名メールが出回っている」と述べた上で、公安のイヌに成り下がった八木の犯行だと主張している。2007年7月、藤岡は八木を名誉毀損で提訴。さらに9月には八木及び産経新聞の記者らを業務妨害で刑事告訴した。

また、2005年4月、教科書検定受検前のサンプル版(白表紙本)が出版元の扶桑社から規則に違反して、一般に頒布・閲覧の用に供されていた事が発覚し、同社は文部科学省の指導を受けた。このサンプル版序文において「歴史は科学ではない」と言明し歴史は物語であるとしている点が、歴史学のディシプリンを根底から否定するものとして問題視され、多くの歴史家から反発を招いた。これには執筆者に歴史学者を擁していないことの影響も指摘されている。採択反対派は、この事実に加えて、つくる会の教科書と比較して他社の教科書を貶めるような宣伝(他社教科書の内容を中傷する小冊子を制作配布)をしているとし、採用を後押ししている産経新聞も含めた三者を公正取引委員会独占禁止法違反で申告した。

これまで、つくる会の教科書は扶桑社から出されていたが、2007年2月26日に扶桑社はつくる会に対し「現行の『新しい歴史教科書』に対する各地の教育委員会の評価は低く、内容が右寄り過ぎて採択がとれない」である[13]として、採択率を上げるためのテコ入れ案として、路線対立から「つくる会」から脱退した「教科書改善の会」との協力ないし、一部執筆者の変更や扶桑社から教科書出版部門の別会社への転籍を提案したが、しかしつくる会が容認しなかったため、2007年5月に扶桑社から関係解消を通告された[14]

つくる会は、扶桑社に代わる新たに教科書出版を引き受ける出版社を公募したうえで[15]、今後は東京都の自由社から出版される事が決定した。ただし自由社の石原萠記社長は著名な社会民主主義者でもあり、その思想傾向がつくる会の主張と合わないのではないかとの指摘もある(詳細についてはリンク先参照のこと)。しかしながら、西尾幹二は自身のホームページ[16]のなかで石原の『戦後日本知識人の発言軌跡』を引用した上で、「自由社の『自由』は『諸君!』『正論』の母胎なのです」と、あくまで保守系であると主張している。

またつくる会によれば扶桑社から版権の移動について相談するとしていたが[17]、扶桑社は採択した中学校のために2010年度まで使用されている『新しい歴史教科書』については、継続して扶桑社版が供給することになった。また扶桑社の教科書事業子会社としてフジテレビが3億円を出資して「育鵬社」を設立(社長は扶桑社の片桐松樹社長が兼任)し、そこから教科書改善の会が編纂する教科書を発行することになった[13]

この扶桑社の態度に対し作る会は、弁護士を通じて2007年6月13日付けで、著作権は執筆者にあり扶桑社にはない、現行版の配給修了をもって著作権使用許諾を打ち切ることを通告する文書を発信した[13]。また、かつての同志であった屋山太郎が代表世話人をつとめ、多くの会員と支持者を引き抜いていった「教科書改善の会」を「特定出版社の応援団として知識人たちの運動団体」であり「つくる会がその教科書を失って消滅することを大前提にしてつくられるもの」として強く非難した[13]。そのため、従来つくる会の運動を支援してきたフジサンケイグループに対し事実上の絶縁状をたたきつけることとなった。

つくる会の沿革

テンプレート:出典の明記

  • 1996年8月 西尾幹二藤岡信勝が出会い各界有志に呼びかけ、つくる会創立の下準備をする。
  • 1996年10月 現行の歴史教科書を辛辣に批判した西尾、藤岡共著『国民の油断』が刊行。
  • 1996年12月2日 創立記者会見。
  • 1997年1月30日 創立総会を開き、初代会長・西尾幹二、副会長・藤岡信勝とする。
  • 1997年1月30日 西尾他6人が小杉隆文部大臣に教科書から従軍慰安婦記述の項目の削除を申し入れる。
  • 1997年1月31日 賛同者として王貞治・ダイエーホークス監督の名前を発表する。西尾もテレビでその旨発言した(当人は否定)。
  • 1997年2月 会長・西尾他、テレビ朝日「朝まで生テレビ!―従軍慰安婦問題と歴史教育」に出演し、問題提起する。
  • 1997年3月 第1回シンポ「『自虐史観』を超えて」開催。
  • 1997年5月 会報『史』創刊。
  • 1997年12月 会員数が6000人を突破する。
  • 1999年1月 神奈川支部設立。
  • 1999年5月 教科書採択戦略会議を設立し、議長に理事・高橋史朗を置く。
  • 1999年7月 つくる会副会長に高橋を選出。
  • 1999年10月 47都道府県に48支部を設立する。(2004年8月現在は51支部にまで拡張)
  • 1999年10月 西尾幹二著、つくる会編の『国民の歴史』出版。(2002年12月現在の発行部数72万部)
  • 2000年4月 扶桑社、『新しい歴史教科書』、『新しい公民教科書』を文部省に検定申請し、それぞれ137箇所、99箇所に検定意見が付く。
  • 2000年6月 宮城県議会で教科書制度の改善を求める請願を初採択。以降33道県議会で採択
  • 2000年10月 検定審議官による『新しい歴史教科書』への検定不合格への働きかけが明らかになる。
  • 2001年4月 扶桑社版『新しい歴史教科書』、『新しい公民教科書』が検定意見箇所を修正し、検定に合格。
  • 2001年5月 『新しい歴史教科書』の検定合格に対し韓国中国は激しく抗議し、再修正を日本側に要求。
  • 2001年5月8日 韓国政府は、検定済みの中学校歴史教科書8種類すべてに対し、日本政府に修正を強く要求。
  • 2001年6月 市販本『新しい歴史教科書』、『新しい公民教科書』発刊。(あわせて76万部のベストセラー)
  • 2001年7月 一旦採択が決定していた栃木県下都賀地区の教育委員会の委員に脅迫が行われるなどの事件が起きる。
  • 2001年8月7日 新左翼革労協木元派革命軍が、つくる会事務所に放火し、犯行声明を出した。
  • 2001年8月15日 中学校教科書の採択結果発表。歴史の採択率は0.039%、公民は0.055%。
  • 2001年9月 つくる会新会長に理事・田中英道、新副会長に高橋、種子島経、藤岡の各理事。
  • 2001年9月 西尾は名誉会長に就任し、理事に八木秀次が就任する。
  • 2002年7月 第5回定期総会を開催。遠藤浩一、九里幾久雄、中西輝政、新田均の4人が理事に就任。
  • 2002年7月 愛媛県教育委員会の“適正かつ公正な教科書採択を求める”署名運動。愛媛県で16万人、県外から25万人、計41万人の署名を愛媛県教育委員会へ提出。
  • 2002年8月15日 2003年春開校の愛媛県立中高一貫教育校3校で『新しい歴史教科書』を採択。
  • 2002年9月 第21回シンポ『日韓歴史認識の共有は可能か』開催。
  • 2002年12月 公安調査庁は2001年版「内外情勢の回顧と展望」において、「つくる会」教科書の採択反対運動への過激派の関与を指摘。「内外の労組、市民団体や、在日韓国人団体などと共闘し、全国各地で教育委員会や地方議会に対して、不採択とするよう要求する陳情・要請活動を展開した」と記述。また、不採択運動に対する抗議に右翼団体の関与も指摘した。
  • 2004年8月26日 2005年4月開校の都立中高一貫教育校で『新しい歴史教科書』を採択。
  • 2004年11月10日 高橋、埼玉県教育委員への指名を受け退会。(“埼玉県での採択率を上げるための偽装退会だ”として就任反対運動が起き、また、高橋は教科書の監修に関与していながら教育委員に就任した事も発覚する。地方教育行政法違反の疑いとの指摘もある)
  • 2005年4月 扶桑社、検定規則(省令)に違反し、検定通過前の白表紙本を教職員に配布していた事が発覚。管理の徹底と回収を三度に渡って文科省から指導されていた事も明らかになる[18]
  • 2005年4月21日 ホームページの「賛同者」リストを、ページを残して削除。(財界中心に撤回者が相次いだ為と見られる)
  • 2005年8月1日 2005年版の市販本『新しい歴史教科書』、『新しい公民教科書』発刊。
  • 2005年8月4日 東京都杉並区にて『新しい歴史教科書』採択の可能性が出てきたことに対し、この日の教育委員会審議に合わせて反対派団体による抗議行動が行われた。更にはこの団体に対して抗議する集団も1500人ほど集結した。この際、抗議行動をビデオ撮影していた男性に暴行を加えたとの容疑で、抗議行動に参加しようとしていた男性1名が逮捕された。警察はこの人物を中核派活動家であると発表した。この出来事については、その2日後に裁判所が勾留を認めず釈放され、後に不起訴処分になっているテンプレート:要出典
  • 2005年8月8日 つくる会、杉並区教育委員の一人を批判する内容の「公開質問状」を他の各委員・教委事務局・報道各社宛て送付、また送達前に内容を公表。
  • 2005年8月12日 杉並区教育委員会、『新しい歴史教科書』を採択。区立中学校23校で2006年度から4年間使用されることとなった。著者である藤岡が採択審査を傍聴した事が反対派から問題視される。
  • 2005年12月 警察庁は2005年の「治安の回顧と展望」において中核派について「『つくる会の教科書採択に反対する杉並親の会』と共闘して、市民運動を装いながら、杉並区役所の包囲行動、同区教育委員会への抗議・申し入れ、傍聴等に取り組んだ」と記述。また、公安調査庁の「内外情勢の回顧と展望」では「教労(教育労働者)決戦の一環として、教職員組合や市民団体に対し、同派系大衆団体を前面に立てて共同行動を呼びかけた」としており、つくる会への反対運動における中核派の関与を指摘した。ただし、2001年度版にあった右翼系団体に関する記述は削除されている。
  • 2005年12月5日 「地域の伝統行事」の一例としてアイヌの写真を無断で掲載しアイヌ民族関連団体から抗議され、扶桑社は、市販本『新しい公民教科書』の市場出回り分残部(約一万冊)の回収を決定。
  • 2006年1月17日、西尾幹二名誉会長辞任。院政も噂されたが(産経新聞)、本人がきっぱり否定。自身のインターネットサイト上で会とは無関係と宣言する。代りに八木秀次が会長に就任。
  • 2006年2月27日、無断での中国旅行などを咎められ、八木秀次が会長職を辞任。種子島経が、会長職就任。
  • 2006年3月28日 八木理事が副会長に就任。7月での評議会で会長就任説流れる。(産経新聞テンプレート:要出典
  • 2006年4月30日 種子島経会長、八木秀次副会長、揃って辞任。「つくる会」も離れることを発表。同時に、新田均事、内田智理事、勝岡寛次理事、松浦光修理事辞任。会を離れる。
  • 同日、高池勝彦が会長職に就任。藤岡信勝、福地惇が副会長に就任。小川義男小川正石井昌弘上杉千年濱野晃吉が理事に就任。
  • 2006年5月22日 中西輝政理事が辞任。評議会で承認される。
  • 2006年5月26日 梅沢昇平が理事に就任。
  • 2006年6月12日 工藤美代子田久保忠衛両理事が辞任。代りに杉原誠四郎理事が就任。
  • 2006年6月30日 八木、つくる会と袂を分かつ形で「日本教育再生機構」を設立。
  • 2007年4月27日 つくる会東京都支部が茨城・東京三多摩の支部と連名で、“本部の混乱”(八木の「再生機構」設立を含むと思われる)について意見・提案書を公表、本部宛て提出。
  • 2007年5月31日 つくる会、扶桑社から関係解消を通告される。「機構」に参加した小林正を解任。後任は副会長だった藤岡。扶桑社は今後はつくる会と袂を分けた元同志が結集した「再生機構」と提携することになった。そのためつくる会は事実上分裂。なお扶桑社は教科書出版子会社として「育鵬社」を設立。
  • 2007年6月13日 つくる会の理事会は、版元となる出版社の選定を行う事を決定し、「歴史」は藤岡信勝、「公民」は小山常実が担当することが承認された[19]。また理事会では、渡辺眞が理事に選出され、小田村四郎顧問の辞任が承認された。
  • 2007年9月9日 つくる会の第10回定期総会において、新たな教科書の版元として『伝統ある保守系の出版社』の「自由社」(石原萠記社長)と提携することが承認された[20]
  • 2013年9月11日 『はだしのゲン』が「日本軍のありもしない蛮行」を描き、また天皇君が代を批判するなど学習指導要領に違反しており“有害図書”であるとして学校図書館から排除するよう求める要望書を文部科学省に提出[21]テンプレート:Seealso

つくる会教科書採択と反対運動

現場の教員、PTA、教育委員、歴史学者市民団体左翼団体などの一部が「歴史修正主義の教科書だ」、「戦前の軍国日本の肯定」などとして反対運動をしており、採択の可能性のある学校の周囲にて反対のビラを撒いたり、採択会場に乱入したり、「採択すると市民を殺す」等の脅迫電話を役所にかけたり[22]、時には暴力的行為[23]等を行っている。つくる会ではこうした脅迫めいた反対運動が採択が進まない一つの原因であるとしている。

公安調査庁によると日本共産党や同党系団体は採択反対の取り組みをしており、代表的反対運動団体である「子どもと教科書全国ネット21」を側面から支援し、これらは採択関係者に抗議電話やファックスを集中的に送ったり、文科省周辺で「人間の鎖」を行うなど激しい反対運動を展開しているとしている[24]

また過激派共産主義者同盟戦旗派共産主義者同盟 (全国委員会)が主導する「アジア共同行動日本連絡会議」が、採択に反対する内外の労組、在日韓国人団体などと共闘して全国各地の教育委員会や地方議会に対し、不採択とするよう積極的活動をしていたことが明かされている[24]

栃木県下都賀地区の場合、一度採択が決定したが、中核派主導の「百万人署名運動」が教科書採択協議会に抗議電話を殺到させており、結果的に栃木県下都賀地区は採択を撤回するに至っており、またJRCL(旧第四インター)や統一共産同盟の活動家が加わった団体が採択を検討していた和歌山県教育委員会に集中的に抗議ハガキや質問状を送り付けていたことも伝えられている[24]

2002年には、革命的労働者協会(解放派)がつくる会事務所に時限発火装置で放火するテロ事件まで発生している[23]

中核派は2005年の杉並区で採択が検討された際にも教職員組合などと共闘して抗議運動をしていたことが伝えられており、インターネットで集まった賛成する市民に北島邦彦都政を革新する会)が暴力をふるって逮捕される事件も起こった[25]

つくる会の教科書に賛同する教育委員(茨城県大洗町[26]や教育長(東京都、当時)や元文部省官僚の加戸守行愛媛県知事[27]が直接関わって採択しようとした動きもあった。実際に愛媛県の県立中学校である養護学校では知事の意向が反映され採択(2001年)された。また県立の中高一貫校でも2004年に採択された。

韓国の報道機関のなかには「つくる会」を『日本の教科書わい曲団体「つくる会」』といった表現[28]をしており、また在日韓国人組織である「在日本大韓民国民団」が、つくる会の運動を、超党派議員で構成された「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」がバックアップしており、そこでの活動が「韓日関係の熱気を凍らせるもの」などとして採択反対運動を行う主張をしており[29]、杉並区での採択の際にも全国の民団員が次々と殺到して傍聴席に陣取り、杉並区議会で教科書採択の質問が出ると、禁止されている野次を続け、注意をされても止めず、さらに区長室の前にも多数で押し掛け、シュプレヒコールを繰り返している[30]

愛媛県今治市で「新しい歴史教科書」を採択したことに対し、市民団体、在日韓国人、韓国人が原告となり使用停止を求める行政訴訟を起こした。2010年2月、この裁判の口頭弁論で来日していた韓国人歴史研究家が今治市教育委員会事務局を訪れて、「新しい歴史教科書」の採択を再検討するよう市教育長に求めた[31]。教育長は「事実を事実として教えている。平和を願わない人はおらず、戦争の悲惨さなどを伝える努力もしている」と述べた[31]。翌2011年4月には、韓国の市民グループ「アジアの平和と歴史教育連帯」の委員長も今治市教委を訪れ「新しい歴史教科書」の採択中止を要望した[32]。同グループは「韓国を強制で併合したことも正当化し、アジアとの真の友人関係をはぐくむことに反する」と主張している[32]

つくる会作成の教科書の概要

教科書著作関係者

2001年4月検定合格版(扶桑社)

2005年4月検定合格版(扶桑社)

  • 『中学社会 改訂版 新しい歴史教科書』

2009年4月検定合格版(自由社)

2011年3月検定合格版(自由社)

  • 『新しい歴史教科書』
    • 代表執筆者/藤岡信勝
    • 監修/井尻千男、加瀬英明、田久保忠衛
    • 執筆/上原卓岡野俊昭、九里幾久雄、齋藤武夫、坂本多加雄、高森明勅、西尾幹二、福地惇、松浦明博山本茂

市販本

2001年4月検定合格版

  • 『市販本 新しい歴史教科書』 ISBN 4594031552
  • 『市販本 新しい公民教科書』 ISBN 4594031560
    • 発行:2001年6月10日、扶桑社

2005年4月検定合格版

  • 『市販本 新しい歴史教科書 改訂版』 ISBN 4594050093
  • 『市販本 新しい公民教科書 新訂版』 ISBN 4594050107
    • 発行:2005年8月10日、扶桑社

2009年4月検定合格版

  • 『日本人の歴史教科書』 ISBN 4915237508
    • 発行:2009年5月30日、自由社

2011年3月検定合格版

  • 『市販本 新しい歴史教科書』 ISBN 9784915237614
  • 『市販本 新しい公民教科書』 ISBN 9784915237621
    • 発行:2011年5月1日、自由社

つくる会教科書の教師用指導書と生徒用ドリル

教科書には、現場の教師のために教師用指導書が必ず製作されているが、2005年版のそれも作成されているが、一般向けには市販されていないため、内容については不明である。なお価格は歴史教科書は税込12600円、公民教科書は税込11500円(CD-ROM付)である。また生徒用のドリルも出されているが、こちらも一般向けには市販されていない。いずれも学校を通じて購入[33]できるという。

つくる会教科書使用校

2009年現在で上記の学校などが採用している(他にもあり)。シェアは全国で2パーセント弱である。

つくる会の教科書に対する反応

一般には、前述の経緯から彼ら「つくる会」が反日分子であると主張する不採択運動を推し進める左派勢力が反対しているとされている[9]。しかし保守論客かつ文芸評論家で書誌学者かつ天皇崇拝者である谷沢永一が、産経新聞においてその歴史認識を批判するなど、右派論客からの反発もあった。谷沢は2001年に反論書『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』(ビジネス社刊)を出版し、同書のなかで最初は期待していたが、メンバーの歴史的知識の欠如が著しく、結局のところ「つくる会」も従来の自虐史観と一緒であるとして、このような教科書は世に出すべきではなかったと主張し、最後は「国は歴史教育から手を引け」と言う山崎正和の理論で締めくくっている。

歴史学に政治的対立を持ち込んだとする批判も存在している。これは日本史関係の書籍を数多く出版している新人物往来社は、山田洋次広瀬隆のほか、歴史専攻の大学教員が参加し、「新しい歴史教科書」の誤りを歴史研究の方法論も含めて具体的に指摘し反論をまとめた『別冊歴史読本』の特集号(安田常雄、吉村武彦編集、特集『歴史教科書大論争: テーマ別検証』、『別冊歴史読本』87巻、2001年)のなかで複数の在来の日本史学者から指摘されており、執筆者のなかには「つくる会」を従来の理想を追求する教条右翼ではなく、自著の販売促進のための「商業右翼」と批判している。

2011年6月21日橋下徹大阪府知事が代表を務める「大阪維新の会」の市議団は、愛国心や公共心育成を盛り込んだ改正教育基本法と新学習指導要領に沿った中学校教科書を採択するよう求める要望書を市教委に提出する方針を示した[34][35]際に、検定に合格した教科書には自虐的な記述が見られるとして、「新しい歴史教科書」と「日本教育再生機構」のメンバーが執筆した育鵬社の教科書が「最も改正教育基本法の趣旨に沿った内容」と評価した[34]

賛同意見

テンプレート:出典の明記

  • 扶桑社の属する企業グループである産経新聞社は、好意的な記事を度々掲載しており、他社の教科書と比べ優れているとする記事を掲載していた。批判する言論に対して反日的ないし不公正であるとして反発していた。なお前述の経緯を経て2008年現在、サンケイグループと距離を取っている。
  • 民団新聞』によると、2004年6月14日憲政記念館で開催された「つくる会」支持者のシンポジウムでは、次のような政治家(肩書は当時)がつくる会の活動を支持する発言をおこなった。
    • 「新しい定型によって新しい教科書が出て参ったことを、私は前進だと思います」(河村建夫文部科学大臣[36]
    • 「従軍慰安婦という歴史的事実はなかった」「文部科学省にも教科書改善への働きかけを積極的におこなっていく」(安倍晋三自民党幹事長)[36]
    • 「国を挙げて動いてくる、在日韓国人の団体の圧力がある」(西川京子自民党女性局長)[36]
    • 「各地方の教育委員会に(つくる会採択を)呼びかけるよう、地方議員に呼びかける。自民党は今回初めて、『若手議員の会』(つくる会支援議員団体)を全面バックアップしている」(古屋圭司自民党代議士)[36]
      • 日本教育再生機構の広報誌「教育再生」によれば、自民党所属の国会議員の中川昭一と中山成彬と八木秀次理事長の鼎談の中で、八木に対し中川、中山が明確に育鵬社・教科書改善の会への支持を表明しているという[37]。そのため、つくる会に対する上記の政治家の支持の現状は不明である。
  • テンプレート:誰範囲2
  • テンプレート:誰範囲2
  • テンプレート:誰範囲2

テンプレート:節stub

反対意見

テンプレート:出典の明記 2001年版に対する反対意見が特に有名である。谷沢永一は『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』(ビジネス社刊)において古代から近代に至るまで、ほぼ全編を徹底的に批判した。他にも『歴史教科書大論争: テーマ別検証』『別冊歴史読本』87巻(2001年人物往来社)などでも、イデオロギー以外の内容の間違いを以下のように指摘している。また、2005年版の改訂版も内容がかなりソフトになり他社の教科書に比べても違和感がないものに仕上がっていたが、逆にその結果、親米教科書だとして改訂版に対して小林よしのり・西尾幹二らが反対の声をあげた[38]

著者達が日本近現代史と日本建国神話に熱意を持って記述している一方で、それ以外の項目が疎かになっていた。たとえば他の歴史教科書では必ず登場する卑弥呼邪馬台国山上憶良の貧窮問答歌といった項目が欠如しているほか、日本史上はじめての勅撰和歌集を「万葉集」(正しくは古今和歌集)としたことや、大坂夏の陣を「大阪夏の陣」[39]としたこと、明治時代の国是である「富国強兵」が出ていなかったり、「富岡製糸場など紡績業」(ただしくは製糸業だという[40])戦後最大の労働争議であった「2・1ゼネスト」を1946年(実際は1947年)とするなど、初歩的な歴史的事実の錯誤が文部科学省検定を受けてもなお残されていた為、執筆者の歴史的知識に対する疑問も数多く指摘されている。

歴史教科書への反対意見

  • 日本神話の記述について問題になったものに天岩戸の物語がある。アメノウズメの命が天照大神を引き出すために踊ったくだりが「胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った」という性的描写があった。原典に忠実な現代語訳ではあるが、教科書でここまで表現する必要性はなく、思春期の生徒に対して不適切であるとの指摘があった[41]。2005年版では「おもしろおかしく踊った」というふうな遠回しな表現に修正された。
  • 徳川綱吉による生類憐れみの令を「綱吉の時代にはまだ残っていた戦国時代の荒々しい風潮を一掃することであった」と好意的に記載している。これは山室恭子が提唱した見直し論が根拠であるが、古来より「天下の悪法」とみなされている事情は記述されていない。
  • アメリカ合衆国セオドア・ルーズベルト大統領が軍事力誇示のために行った、海軍艦隊による白船艦隊事件のように一般的でない事件が取り上げられている(2001年版)。
  • 第一次世界大戦では、日本海軍地中海に船団護衛のために巡洋艦および駆逐艦を派遣した(詳細は第一次世界大戦下の日本を参照のこと)が、2001年版244頁と245頁に「地中海での作戦中、ドイツ潜水艦から魚雷が発射された。その魚雷の発見が一瞬、遅れたときに、日本駆逐艦は連合国船舶の前に全速で突進して盾となり、撃沈されて責務を果たした。犠牲になった日本海軍将校の霊は、今もマルタ島墓地に眠っている」とのエピソードが紹介されているが、事実誤認ばかりである。このエピソードは樺型駆逐艦「榊」の事であると思われるが、「榊」は1917年6月11日オーストリア=ハンガリー帝国海軍の潜水艦U27から雷撃され艦首切断、戦死者59名負傷者16名を出す被害を受けている。日本海軍で大破したのは「榊」だけであり、修理に8か月を要したが撃沈されたわけではなく、現役復帰し1932年に除籍されるまで活躍していた。そのうえ榊が雷撃されたのは護衛任務からの帰途であり、盾になった事実はない。つくる会が日本海軍の活躍を取り混ぜて「盾になった、沈没した」と創作した話と批判[42]された。なお、この記述で真実なのはマルタ島の墓地に日本海軍将校が埋葬されたことだけという。
  • 南京大虐殺を史実として扱っていない[43]。2001年版教科書270頁では「このとき、日本軍によって民衆にも多数の死傷者が出た」として、南京市内の犠牲が出たことを認めてはいるが、戦争被害を出来るだけ軽視する記述との批判[44]もある。また271頁では中国共産党が「政権をうばう戦略として、日本との戦争の長期化を方針としていた」記述しているが、根拠薄弱な事実を強調しているとの批判[44]のほか、当時の中国の指導者蒋介石中華民国大総統中国国民党主席)に関する記載が乏しくなっている。
  • 昭和天皇について「国民とともに歩まれた生涯」として人物コラムで2頁にわたり記述されているほか、終戦の聖断などマッカーサーの回想録を基に記述している。それらの記述は「昭和天皇神話」を作り出すものと批評[45]されるほど、記述が充実している。その反面明治天皇五箇条の誓文大日本帝国憲法授与の主語のみ、大正天皇は登場しないなど、近代日本の天皇の記述が少なくなっている。
  • 2001年版では銀輪部隊の活躍(同276頁)を写真付きで取り上げているが、この銀輪部隊は米英の機械化部隊に少しでもおいつこうとして、南部仏印(ベトナム)で現地徴発した自転車で急遽「制式採用」したものであり、戦時中の日本の宣伝そのままで、紹介したものであり、決して自慢できるものではないと指摘[46]された。
  • 与謝野晶子日露戦争の際に発表した『君死にたまふことなかれ』(旅順攻囲戦に加わっていた弟を嘆いて作られた詩とされる)を、つくる会の教科書では、家の存続を願って跡取りである弟の無事を願ったにすぎないとして、与謝野の思想は「家や家族を重んじる着実なものであった」として、非戦の真意はないとした。しかしながら、与謝野は同時代の大町桂月の批判を「国粋主義者」と批判していることや、与謝野の反良妻賢母主義の生涯は従来の家制度的道徳に反するもので[47]あり、大家族の母親の役割を果たしたという側面のみ強調していると批評された。
  • 歴史教科書は、国際的な視点で書かれるべきであり、日本的な視点のみで記述するのは望ましくない[48]
  • 新しい歴史教科書の記述には、誤って事実と異なっている部分があり、教科書としての正確性の検証が足りない[49]
  • 日本を擁護している割には、日本の正当性に関して綿密な記述が少なく、極東国際軍事裁判を基調とするいわゆる自虐史観を語り口によって情緒的に否定しようとする傾向がある。このような記述では、歴史を総合的に考察させることを妨げ、誤解を生じさせてしまう恐れがある[50]。また治安維持法についての説明なしに廃止のみ記載するなど不親切な面もある。
  • 教育については、「教育勅語」の全文を掲載して注釈まで付けているのに対して、「教育基本法」については「教育基本法が制定されて民主主義教育の原則がうたわれ」としか記述がなく、戦前から戦後にかけての教育の変化(特に戦後の教育)を理解することが難しい[50]
  • 日本の歴史上の人物を安易に称賛するだけでは、外国の人物を考察することが不可能になる[50]
  • 広島・長崎の原子爆弾投下については、その必要性があったことが説明されることもあるが、原子爆弾の被害などについても触れられ、そのほかの教科書が一概に日本だけを悪とする記述にはなっているわけではない[51]
  • 中央権力以外の歴史・文化に殆ど無関心で、とても「日本の歴史」教科書と言えるものになっていない[52]
  • 古代の倭人と日本人を同一視するあまり、古代日本人の全体像を押さえていない[53]
  • 全体的に日本の多様な歴史や文化を一部の政治史に閉じ込めて、矮小化している[50]
  • つくる会の2001年版では、日米関係史に「反米」と現状肯定が奇妙に共存していると指摘[54]されている。それによると、ペリー来航時の白旗書簡(現在は偽書とされる)を根拠に「砲艦外交」と批判して尊皇攘夷を正当化したのを初め、日英同盟の廃止をアメリカの強い意思でもたらされたものであり、日米開戦に至ったのもアメリカに問題があると主張しているうえに、アメリカによる占領政策が「自国の戦争に対する罪悪感をつかす」と反米的主張が繰り広げられている反面、1960年日米安全保障条約改定を「これにより日米両国は、より対等の関係になった」と現状を肯定的に評価することで、相反する歴史観が叙述されているという。改訂版ではポツダム宣言は日本を破滅から救ったという親米的な記述が登場しているが、この記述についてあまりにもアメリカへ媚びていると元同志の小林よしのりに批判された[55]
  • テンプレート:誰範囲2

公民教科書への反対意見

  • つくる会の公民教科書(2001年版)の最終章では「核兵器で日本を武装しよう」という「過激な主張」を展開していたとして反対意見を唱える者も存在している[56]。日本の国是である非核三原則に反する為、検定意見が付いたが、修正したことで今度は逆の論調になったという[56]

教科書の中立的検証

大月隆寛副島隆彦高田明典高橋順一西岡昌紀橋爪大三郎日垣隆宮崎学らは、「新しい歴史教科書」に関する右翼側と左翼側の論争にはウンザリであるとした上で、2001年度版の他の歴史や公民教科書と何が違うのかを細かく分野ごと(例;白村江の戦い、南京事件など)に検証し、独断でどちらがより正確な説明をしているかの判定をしている。「東京書籍帝国書院日本書籍など大手教科書出版社vsつくる会教科書」という若干不公平な形ではあるが、彼らは14分野をつくる会教科書、30分野を他の大手教科書の「勝ち」とし、18分野を引き分けとしている[57]

つくる会の組織に対する批判

  • 会のメンバー内に歴史学者が稀少であり、教科書執筆者にも歴史学者がほとんどいない。しいていえば、公立中学校の現役教諭2名はいるが、日本近代史以前の日本史専攻の大学教員はいない[58]。この点について、つくる会元会長の田中英道は著書『新しい日本史観の確立』(文芸館)の中で、日本近代史にのみ熱意を燃やす「つくる会」の運動に疑問を呈し、もっと幅広い歴史観の見直しの必要性があると指摘している。
  • 前述のように、既存の歴史学をつくる会は「自虐史観」と非難しているが、つくる会関係者に幅広い歴史学的視野を持つ学者がいたわけではなかった。そのためつくる会は「歴史は科学ではない」と言明している[59]ため、従来の歴史学を全面否定する立場をとっていた。この立場は西尾幹二初代会長の著書『国民の歴史』の第二章「時代区分について」の冒頭で表明されていた。この立場は、社会科学であるはずの歴史学のディシプリンを否定するものとして批判された。
  • 『新しい歴史教科書』が2001年検定の白表紙本の内容が漏洩・報道されたが、その白表紙本の序文「歴史を学ぶとは」の冒頭において、再び「歴史は科学ではない」と宣していたこと判明した[60]。そのため、強い批判にさらされ、従来つくる会に対し好意的であった多くの歴史学者からすら支持を失う決定打となった[61]。なお一連の記述は、文部科学省の意見がつけられ検定合格本から全面削除されている。
  • 『新しい歴史教科書』を2002年度に採択したのは、私立中学校20校と公立学校6校であったが、公立学校でこの時採択されたのがいずれも養護学校であったため、障害者団体から政治的理由によるものとして批判の声が上がった[62]という。
  • 上杉聰日本の戦争責任資料センター事務局長)が、2005年発刊の共著『使ったら危険「つくる会」歴史・公民教科書』(明石書店)の中で、扶桑社の営業赤字の原因を一連のつくる会の教科書問題のためとして、近い将来扶桑社が教科書発行から手を引く可能性を指摘した。現実に、前述のようにつくる会との関係を解消したうえに別会社に移管することになった(育鵬社は扶桑社の100パーセント子会社)。
  • 佐藤学東京大学大学院教授は、つくる会を「一般に言われているような右翼団体ではない。ナショナリズムを掲げた愛国主義者ではない」として「政治組織にして企業組織」と主張[63]しており、それによれば、「大東亜戦争は日本の自衛戦争であり、アジア解放の戦争であった」と主張する言論は特定の層にとって商品価値があり、「南京事件や従軍慰安婦は幻だった」と主張する出版し、それらを販売するであるとしている。そのためつくる会との論争は会の自説をもっともらしく宣伝する恰好の手段である。そのため、たとえ虚妄の歴史観であっても「正史」とする欲望に捉われているため、つくる会との相互の認識を深めることはできないとしている。

テンプレート:節stub

そのほか

韓国の保守派民間団体「教科書フォーラム」が、現行の韓国の歴史教科書の左傾化を是正するとして、独自に記述を見直した『代案教科書 韓国近・現代史』を出版したが、従軍慰安婦を「従軍慰安婦が強制ではなく、大金を稼げるという言葉にだまされたものだ」とした記述に対し、韓国MBCテレビは2008年3月29日放送の報道番組「ニュース・フー」(News Who)に「ニューライト教科書、韓国版扶桑社」と表現し批判的報道をした。

引用および注釈

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連書籍

  • 小林よしのり責任編集、つくる会編 『新しい歴史教科書を「つくる会」という運動がある』 扶桑社、1998年 ISBN 4594026052
  • 高橋史朗責任編集、つくる会編 『新しい教科書誕生!!』 PHP研究所、2000年 ISBN 4569612555
  • 西尾幹二編 『新しい歴史教科書「つくる会」の主張』 徳間書店、2001年 ISBN 419861380X
  • 『国民の―』シリーズ(産経新聞ニュースサービス、現在は産経新聞出版・発行、扶桑社・発売)
    • 西尾幹二著、つくる会編 『国民の歴史』 1999年 ISBN 4594027814
    • 西部邁著、つくる会編 『国民の道徳』 2000年 ISBN 459402937X
    • 渡部昇一著 『国民の教育』 2001年 ISBN 4594033016 ISBN 459404834X
    • 田中英道著、つくる会編 『国民の芸術』 2002年 ISBN 4594037577
    • 中西輝政著、つくる会編 『国民の文明史』 2003年 ISBN 4594042759
    • 八木秀次著、つくる会編 『国民の思想』 2005年 ISBN 4594049214

参考文献

関連項目

外部リンク

テンプレート:産業経済新聞社
  1. つくる会日本がつながるリンクテンプレート:リンク切れ
  2. 2.0 2.1 つくる会WEBニュース 2007年5月31日テンプレート:リンク切れ
  3. つくる会WEBニュース平成19(2007)11月30日を参照のことテンプレート:リンク切れ
  4. つくる会WEBニュース平成19(2007)年5月31日の藤岡の論述から引用、実際には旧軍関係者が結成した戦友会でも志願兵と徴兵兵では温度差があるテンプレート:リンク切れ
  5. 太田修(著)、朴一(著、原著)『「マンガ嫌韓流」のここがデタラメ』(コモンズ、ISBN 4861870232)の指摘
  6. 米国下院が「慰安婦対日非難決議」を採択「つくる会」は「河野談話」破棄を求める声明を発表つくる会WEBニュース 2007年8月1日テンプレート:リンク切れ
  7. http://www.tsukurukai.com/01_top_news/file_news/news_222.htmテンプレート:リンク切れ
  8. 趣意書|新しい歴史教科書をつくる会
  9. 9.0 9.1 つくる会WEBニュース2005年5月12日から抜粋テンプレート:リンク切れ
  10. 産経新聞社2005年8月7日付け主張(社説)も「占領史観」として批判している。この「過ちをくりかえさない」との主張は広島の原爆慰霊碑が原点である。「原爆慰霊碑碑文論争を参照のこと。
  11. 教科書の採択率が低迷したため、実際に作る会のメンバーが会見で朝日新聞社NHK(教科書問題の報道を「扶桑社の歴史教科書」と企業名を挙げて報道した)を名指して非難した
  12. つくる会とは 役員構成
  13. 13.0 13.1 13.2 13.3 つくる会WEBニュース平成19(2007)年6月22日テンプレート:リンク切れ
  14. 産経新聞2007年6月1日朝刊
  15. 朝日新聞2007年6月1日朝刊
  16. 西尾幹二のインターネット日録「自由社の『自由』について」2007年9月9日
  17. つくる会WEBニュース平成19(2007)年5月25日テンプレート:リンク切れ
  18. 「つくる会」教科書 扶桑社側が漏らす 読売オンライン2005年4月7日より、当初ネット上では採択反対派が白表紙本を盗難したという主張(内容に対する反論をしていたため)をしていたが、主張自体が虚偽にすぎない陰謀説であった
  19. つくる会WEBニュース2007年6月15日
  20. つくる会WEBニュース2007年9月10日
  21. つくる会、「ゲン」撤去を要望 有害図書として 共同通信
  22. テンプレート:Cite news
  23. 23.0 23.1 「中核派の関係者が暴行」2005年8月4日読売新聞/「つくる会本部へ反対派が放火ゲリラ」2002年8月9日産経新聞
  24. 24.0 24.1 24.2 公安調査庁 平成14年度版 『内外情勢の回顧と展望』
  25. 2005年8月4日読売新聞および2005年12月27日産経新聞
  26. 産経新聞2005年7月19日の報道では、大洗町の教育委員長と教育長が、「つくる会」教科書採用を却下した地区教科書採択協議会の決定に反発して、再協議を要求したうえ容れられない場合は決定とは別に町独自の判断で購入・使用する予定であるとした。ただし教育長は「そのような議論はしていないし、独自購入は教科書の無償配布を定めた特別措置法に違反する」と否定しており、実際に町独自で使われることもなかったので、産経の報道自体が捏造の疑いがあると批判する記事が読売新聞2005年7月25日の紙面に掲載された
  27. 知事は「扶桑社版がベスト」と発言したため。県教育委員会が扶桑社版を採用(県立中学校)した。当時の県教育長も知事の意向を汲んだとの発言をした、そのため知事の教育への介入ではないかと議論を呼んだ。しかしながら、愛媛県内の他の市町村教育委員会は追随しなかった。
  28. 中央日報2006年6月27日
  29. http://mindan.org/sidemenu/sm_kyoiku_view.php?newsid=3177&subpage=186&page=1
  30. テンプレート:Cite web
  31. 31.0 31.1 テンプレート:Cite news
  32. 32.0 32.1 テンプレート:Cite news
  33. http://www.fusosha.co.jp/kyokasho/index.html
  34. 34.0 34.1 テンプレート:Cite news
  35. テンプレート:Cite news
  36. 36.0 36.1 36.2 36.3 テンプレート:Cite news
  37. 「教育再生」平成20年如月号 テンプレート:要ページ番号
  38. 『ゴー宣・暫』第2巻や西尾幹二ブログ等。
  39. ウィキペディアの「大阪城」の項目名も「大坂城」になっているが、「大阪」の名称が一般的になったのは明治時代以降であり、江戸時代には「大坂」が正しい表記であった。
  40. 安田・吉村 2001 110頁
  41. 『トンデモ本 男の世界』 ISBN 459404770X (扶桑社刊)のなかで原田実が、そのような指摘がなされたことを言及している
  42. 安田・吉村 2001 88頁
  43. 大日本帝国陸軍将校たちの親睦機関の偕行社の月刊誌「偕行」(1985年3月号)において、雑誌編集部は南京虐殺が事実であるとして、「中国人民に深くわびるしかない。まことに相すまぬ」と謝罪している。ここまでひどい!「つくる会」歴史・公民教科書―女性蔑視・歴史歪曲・国家主義批判(明石出版)引用
  44. 44.0 44.1 安田・吉村 2001 34頁
  45. 安田・吉村 2001 48頁
  46. 安田・吉村 2001 89頁
  47. 安田・吉村 2001 118頁
  48. 「つくる会」の歴史教科書を斬る―在日中国人学者の視点から(日本僑報)
  49. 谷沢 2001 テンプレート:要ページ番号
  50. 50.0 50.1 50.2 50.3 歴史学研究会 2001 第9章「つくる会」の描きたい日本史像―メッセージばかりの一面的な叙述
  51. 歴史学研究会 2005 テンプレート:要ページ番号
  52. 歴史学研究会 2005 テンプレート:要ページ番号
  53. 歴史学研究会 2001 第2章「混乱する古代の日本像―生徒に混乱を与える天皇中心・日本中心の記述」
  54. 安田・吉村 2001 100頁
  55. 『ゴー宣・暫』第2巻
  56. 56.0 56.1 安田・吉村 2001 136頁
  57. 『どうちがうの? 新しい歴史教科書vsいままでの歴史教科書』(夏目書房)
  58. 伊藤隆大石慎三郎の専攻は日本近代史であるが、明治維新以前の日本史についてはいない
  59. 毎日新聞2001年3月9日朝刊2頁、産経新聞2001年5月18日東京朝刊12頁
  60. そのような記載があったことを評論家・松本健一も公に証言・確認したとの記事が産経新聞2001年5月18日東京朝刊12頁に掲載された
  61. 朝日新聞2001年4月10日朝刊12頁、北海道新聞朝刊全道2001年5月14日7頁、週刊東洋経済2001年5月5日92-93頁など
  62. 村野・事件犯罪研究会 2002 25頁
  63. 安田・吉村 2001 136頁~140頁