四股名
テンプレート:出典の明記 四股名(しこな)とは、日本の国技「相撲」における力士の名前である。
もともとは醜名と書いた。この場合の「醜」とは「みにくい」という意味ではなく、「醜男」などの言葉と同じように「逞しい」という意味である。いつからか四股と相まって「四股名」と書かれるようになった。しこ名と書かれることも多い。
改名するときは、各場所の千秋楽から番付編成会議までの間に改名届を提出し、編成会議において承認される。
歴史
四股名の誕生は江戸時代、興行としての勧進相撲が始まった頃からと考えられている。例えば『信長公記』など戦国時代の歴史書にあらわれる相撲取りは、本名かそれに準ずる通り名などで相撲を取っていた。
職業として相撲を取る者が現れたことで、四股名が用いられる様になったが、当初は古典に登場する豪傑の名を取ったような、荒々しいものが多かった。
由井正雪の謀反事件の後、江戸幕府によって一時期四股名の使用が禁じられた。叛意を持った浪人が来歴を偽って相撲取りの巡業の中に潜伏するようなことを、取り締まるためだった。やがて幕政が安定するとこれも解禁され、谷風梶之助、小野川喜三郎らの活躍する寛政期になると、現在に通ずるような勇ましさだけでなく優雅さを強調した、「山」「川」「花」「海」といった文字を盛り込んだ四股名が使われ始めた。
現在では、「朝青龍明徳」の「朝青龍」のように、一般で言う「姓」の部分が四股名であるという認識が強いが、かつては「姓+名」までが四股名だった。例えば、現存する最古の相撲部屋の一つである高砂部屋では、師匠が代々「高砂浦五郎」を襲名しているのを始め、部屋ゆかりの四股名にも「小錦八十吉」「朝潮太郎」など姓名がひとくくりになったものがあり、その名残を残している。他の部屋でも、横綱二代目若乃花は本名にかかわらず初代と同じ「若乃花幹士」(ちなみに、前名「若三杉壽人」の前に「若三杉幹士」)を名乗っている。
近年の傾向として、かつてほど「山」や「海」が用いられなくなっている。日本人の郷土意識の希薄化と、自然破壊の進行でかつての名勝地でも荒廃が進み、避けられるようになったことが、要因として挙げられる。「山」は現役の関取にもまだそこそこあるが、「海」は現役の関取では隠岐の海と佐田の海の2人となっている。「川」は、山や海よりも前に若瀬川あたりからあまり使われなくなった(2009年に入りモンゴル出身の德瀬川が十両昇進するも2011年に大相撲八百長問題により引退)。現在「川」のつく四股名は、本名を除くと現役力士では安芸乃川ただ1人しかおらず、旧桐山部屋の力士の「○瀬川」の四股名も改名により皆無となっている。川は流れるので星も流れるというので好まれなくなったという。「○ヶ嶽」の形の名前も昭和戦前までは多かったが、戦後の関取では琴ヶ嶽綱一と、階ヶ嶽松太郎(十文字友和が一時名乗っていた名前)の2人しかいない。駒ヶ嶽が横綱昇進を期待されながら現役で亡くなったり出羽ヶ嶽が悲劇的な土俵人生を過ごしたことから避けられるようになったという。一方、琴欧洲、把瑠都のように郷土を遠く離れた外国出身力士に郷土ゆかりの四股名が目立つが、欧州、東欧などの漠然とした地名[1]や「把瑠都」など強引とも取れる当て字の使用に関しては批判もある。また、トンガ王国出身ということで「南ノ島」と安直?な四股名を付けられた挙句、勝ち名乗りの際に行司が四股名を忘れて「トンガ~」と勝ち名乗りを受けた南ノ島勇(南乃島勇の父)のような力士もいた。貴乃花が一時代を築いた頃から「ノ」や「の」よりも「乃」の使用が多くなったり、大鵬の影響で大鵬部屋以外でも「鵬」の付く四股名が増えるなど、大横綱の四股名に影響されて四股名の流行が動くこともある。
音読の四股名がかなり目立つのも最近の傾向である。現役力士の中に旭天鵬、鶴竜、豪栄道などのような音読みだけで構成された四股名の力士がおり、中でも慶天海孔晴などは下の名前も含めて全て音読みというかなり珍しいケースと言える。同じく、1980年代には鶴嶺山宝一という下の名前も合わせてすべて音読みの力士がおり、「鶴嶺山」を「かくれいざん」と読むことに対しては違和感があったとされる。ただし「鶴嶺山」は師匠であり父親でもある鶴ヶ嶺昭男が十両まで名乗っていた四股名である。
また、垣添、片山のように学生相撲出身力士が十両、幕内に昇進しても本名で取り続けることが多くなってきている。幕内力士が最初に本名で土俵に上がった例は1947年6月場所で入幕した岩平貞雄だが、これは幼少のときに生き別れた母親に健在を知らせ、名乗り出てほしいという希望をこめたものと言われている(しかし母親は現れず、一場所で若葉山貞雄と改名した)。出島武春は初土俵から引退まで、幕内75場所(うち大関12場所)を含む81場所にわたって下の名も含め本名のまま取り続けた。本名のまま幕内を長く務めた力士には幕下以下で改名を経験していたり(成山→小野若→成山、蜂矢→栃ノ矢→蜂矢など)、部分的に改名する場合(長谷川勝利→勝敏→勝廣→戡洋、輪島博→大士、霜鳥→霜鳳など)が多い中では極めて異例である。また、出島と同部屋の垣添も幕内40場所以上を経験しながら初土俵から下の名を含め1度も改名しないまま2012年に引退している。曙太郎、武蔵丸光洋など、外国出身力士が日本国籍取得に際して、四股名をそのまま本名にした例もある。
他に、四股名として使うことが忌み嫌われている字も存在する。一般社会での「名前に付けるのが相応しくない字」に含まれるものは当然であるが、北勝海が大関昇進時に本名の「保志」から改名するに当たって出身地十勝からとって「北十海(ほくとうみ)」とする予定のところ親方に「十勝止まりのようで縁起が悪い」と言われて、ほくとうみの読みはそのままで「北勝海」と名乗ることになった例のように縁起を担ぐ場合がある。また、一般には武器の名称である剣の字も「剣は折れるもの」という意に通じる事から長年四股名に使われる事が避けられてきた経緯があったが、剣晃敏志は本人の強い希望で四股名に剣の字を入れた。しかし「けんこう=健康」に通じるとされながらも、本人は現役のまま30歳で病没するという悲劇的な結末となってしまい、その後は以前にも増して「剣」の字は使用が避けられるようになったという。ただし、他にも五剣山博之などが「剣」の字を使用している。その他、変わった例では、「土左衛門」の語源になった成瀬川土左衛門という四股名があるが、成瀬川土左衛門はもちろん成瀬川だけですらここ100年以上名乗った関取はいない。"双"という字は、双葉山本人を含む事件を起こした双葉山系列の力士3人に付いていたため近年では決して縁起の良いものとはされていない。双葉山が警察と乱闘事件を起こして逮捕されたことを皮切りに、双羽黒廃業事件と続き、双津竜順一が時津風部屋力士暴行死事件を起こし解雇され、より一層"双"の字は印象を悪くした。
無病息災を願った四股名もいくつか存在しており、上記の剣晃のほか増健がいる。三保ヶ関(元大関・二代目増位山)は学生時代より左膝の怪我を抱えていた柳川信行に「膝が悪いので怪我をしないように」という願いを込めて命名したのであった。しかし2003年7月場所4日目の北桜戦で立ち合い直後につきひざを喫した例のように、柳川は下半身の脆さが現役生活全体において目立ち、さらに2000年代前半から糖尿病のにも悩まされるなど決して健康とは言えない力士であり、元学生横綱の経歴の持ち主としては物足りない十両在位14場所、最高位西十両6枚目に留まった。この2人は直接字面から無病息災の意図が読み取れるが、栃ノ巌、春日錦など、それぞれ頑強そうな印象の字や字画のバランスに無事な土俵生活を祈る意図が込められるといった間接的に表現するケースもあり、どちらかと言うと健康・安全を願った四股名は間接的表現のケースが多い。
一般の名付けにおいて極めて個性的で難読な名前が増えたこともあり、四股名でも一読して読めないものが増えてきており、2013年の1月場所以降は光源氏の例(後述)に端を発して現在に至るまで続出している。特に9代式秀継承後の式秀部屋では所属力士に度々珍四股名が命名されることが話題となり、日本経済新聞でも「キラキラ四股名」という概念が取り沙汰された。これに対して9代式秀は、命名したときにはキラキラネームの存在を知らなかったといい「なんとか力士のやる気を引き出してやりたい」との一心で付けた名前が、結果的にキラキラネームと呼ばれる名前になってしまっただけだという。[2]
1996年第41回衆議院議員総選挙・比例近畿ブロック単独候補(新進党公認)で小結経験者旭道山和泰が史上唯一の現役力士として公選法に基づく被選挙権の行使、選挙運動の際や当選(力士としては引退<これを機に「廃業」の用語が廃止された>)後の国会議員としての活動における通称、議員引退後の実業家や芸能活動における芸名にも相撲協会の承諾を得て「旭道山和泰」を用いている。
分類
- 自然現象などに由来
- 郷里の地名、名勝などに由来
- 本名および本名の一部改名
- 恩人の名前、母の旧姓などに由来
- 無病息災を願った四股名
- 古典文学などに由来
- 歴史上や同時代の著名人・著名キャラクターに由来
- 実在・架空の動物に由来
- 師匠や先輩の四股名から文字を受け継ぐなど
- 母校に由来
- タニマチに由来
- 部屋ごとに四股名に決まった文字をつける例
- 出羽海部屋の「常」「常陸」「出羽」、春日野部屋の「栃」、佐渡ヶ嶽部屋の「琴」、片男波部屋の「玉」、友綱部屋、旧放駒部屋の「魁」、旧安治川部屋(現・伊勢ヶ濱部屋)の「安」、旧大島部屋の「旭」、玉ノ井部屋の「東」、入間川部屋の「司」、追手風部屋の「大翔」「追風」、時津風部屋の「時(津)」「双」「豊」、尾車部屋の「風」、井筒部屋の「鶴」、高田川部屋(8代高田川時代)の「前」、九重部屋の「千代」、八角部屋の「北勝」「保志」、高砂部屋の「朝」(旧若松部屋も)、「富士」を前につける(旧富士ヶ根部屋より)、旧三保ヶ関部屋の「増」、千賀ノ浦部屋の「舛」、錣山部屋の「寺尾」、旧伊勢ヶ濱部屋、旧桐山部屋の「瀬川」など。多くは部屋の名前あるいは師匠や創設者の現役名に由来する。この中で八角部屋の「保志」は師匠の本名であり、このような例は現代では稀である(ただし師匠北勝海は関脇まで本名で取っていた)。また錣山部屋の「寺尾」は師匠の現役時代の四股名ではあるが、元々の由来は寺尾の母親(先代井筒夫人)福薗節子の旧姓である(節子の父寺尾政喜も力士ではあったが最高位は幕下であり継承する程の功績があったとは言えない)。
- 出羽海部屋や立浪部屋などのように、入門からしばらくは「出羽田中」「立山田」のように「(部屋の文字)+本名」(他に同名の力士がいない場合は本名のまま)を名乗らせ、幕下にあがるか関取になって初めて四股名を名乗らせる習慣を持つ部屋もある。また、高田川部屋は当時の高田川親方(元大関前の山)が2006年1月場所で「日本人にとって太郎は大切な名前。国技の中で、この名前を大事にしていこうという者がいてもいいだろう。」という理由から、所属力士の多くが下の名を師匠の現役時代と同じ「太郎」に改名した。
- 部屋に代々伝わる
- 伊勢ノ海部屋の「柏戸」「藤ノ川」「四ツ車大八」、高砂部屋の「小錦八十吉」「朝潮(朝汐)太郎」、「高見山」、井筒部屋の「西ノ海嘉治郎」「源氏山」「逆鉾」「星甲」、二子山部屋の「若乃花」「貴乃花」、出羽海部屋の「両國(国)梶之助」「出羽の花」のように、それぞれの部屋代々で受け継がれてきた、ゆかりの四股名も存在する。これらの名はある程度番付を上げないと襲名を許されないことが多く出世名と呼ばれる。「若乃花」は、当初大ノ海の花籠親方が自分の若い頃の四股名(若ノ花)を弟子に名乗らせたものだが、その弟子が横綱初代若乃花となり独立して二子山部屋を興したため、二子山部屋の四股名となった。同様に、柏戸剛、高見山大五郎がそれぞれ独立して部屋を興して以降、本家の部屋では柏戸、高見山を名乗る力士は登場していない。
変わった四股名
- 大正時代まで
- 九 九之助(いちじく きゅうのすけ)[4]:明治時代の幕内力士、最高位は小結。
- おだやか 常吉(おだやか つねきち)
- い 助治郎(かながしら すけじろう)[4]:明治時代の力士。
- 寒玉子 爲治郎(かんたまご ためじろう)
- ステッセル 寅太郎(すてっせる とらじろう)
- 一二三山 四五六(ひふみやま よごろく)
- 三ッ△ 鶴吉(みつうろこ つるきち)
- 相引 森右衛門(あいびき もりえもん)
- 釘貫 禰次兵衛(くぎぬき ねじべえ)
- 兎角 是非内(とかく ぜひない)
- 忍山 色助(しのぶやま いろすけ)
- 山巡り 雷蔵(やまめぐり らいぞう)
- 縄張 綱右衛門(なわはり つなえもん)
- 横巾 楯之助(よこはば たてのすけ)
- 晴天 照蔵(せいてん てるぞう)
- 螺貝 鳴平(ほらがい なるへい)
- 白旗 源治(しろはた げんじ)
- 宝年 万作(ほうねん まんさく)
- 猪シ 鍋吉(いのしし なべきち)
- 電気燈 光之介(でんきとう こうのすけ)
- 羽衣 天昇(はごろも てんしょう)
- 自動車 早太郎(じどうしゃ はやたろう)
- 自転車 早吉(じてんしゃ はやきち)
- 雷り 光五郎(いなびかり みつごろう)
- 文明 開化(ぶんめい かいか)
- 不了簡 綾丸(ふりょうけん あやまる)
- 貫キ 透(つらぬき とおる)
- 突撃 進(とつげき すすむ)
- 膃肭臍 市作(おっとせい いちさく)
- 黒猫 白吉(くろねこ しろきち)
- 猩々 善介(しょうじょう ぜんすけ)
- 鬼ノ臍 常吉(おにのへそ つねきち)
- 百足山 千太(むかでやま せんた)
- 蟻ノ子 藤太郎(ありのこ とうたろう)
- 三毛猫 泣太郎(みけねこ なきたろう)
- 大虎 寅吉(おおとら とらきち)
- 山猫 三毛蔵(やまねこ みけぞう)
- 玉猫 三毛蔵(たまねこ みけぞう)
- 小猫 三毛蔵(こねこ みけぞう)
- 招猫 春吉[5](まねきねこ はるきち)
- 改心 政太郎(かいしん せいたろう)
- 妨 四郎盛足(さまたげ しろうもりたり)
- 凸凹 太吉(でこぼこ たきち)
- 新刑法 源七(しんけいほう げんしち)
- 野晒 勘三郎(のざらし かんざぶろう)
- いろは 幸吉(いろは こうきち)
- ヒーロー 市松(ひーろー いちまつ)
- 唐辛 多喜弥(とうがらし たきや)
- 初陣 一二(ういじん いちじ)
- 片福面 大五郎(かたおかめ だいごろう)
- 軽気球 友吉(けいききゅう ゆうきち)
- 〆切り 玉太郎(しめきり たまたろう)
- 豆鉄砲 芳太郎(まめでっぽう よしたろう)
- 馬鹿の 勇介(ばかの ゆうすけ)
- 十七 八十平(としち やそへい)
- 八重山 八十八(やえやま やそはち)
- 一夢 百吉(ひとゆめ ももきち)
- 一ノ里 七五三市(いちのさと しめいち)
- 京 昇(かなどめ のぼる)[4]:大正時代の力士。最高位は序二段。
- 子 音二郎(えとがしら おとじろう)[4]:明治時代の力士。最高位は三段目。
- 昭和
- い 一(かながしら はじめ)
- 野狐 三二郎(のぎつね さんじろう)
- 一 匡(かずはじめ はじめ)[4]:最高位は幕下。
- 海乃山 勇(かいのやま いさむ、出羽海部屋):本人は四股名を「海力山」にするつもりで改名届を出したが、番付表に間違って「海乃山」と書かれてしまい、そのままで通すことにした。一見普通の四股名だが「海の山(うみのやま)」という意味になる。最高位関脇。
- 轟 亘(とどろき わたる、時津風部屋):轟の四股名で十両の土俵に上がる。真偽は不明だが、私生活で仲の良かった友人(後援会員の1人であったとする説もある)の本名をそのまま四股名として採用したとされている。その後、牧本の四股名で41歳3ヶ月まで相撲を取った。最高位前頭12枚目。
- 丸勇 高利(まるゆう たかとし、二子山部屋):序二段の二子竜から改名。当時国会でマル優廃止法案が成立した直後の改名だけに政治風刺の珍しい四股名となった。
- ジェシー クハウルア(じぇしー くはうるあ、高砂部屋):ジェシーの四股名で初土俵を踏み、後に髙見山と改名した、最高位は関脇。後に東関親方となり、曙、高見盛などを育てた。
- 大車輪 松五郎(だいしゃりん まつごろう、時津風部屋):松乃山の四股名で十両へ、最高位十両6枚目。
- 平成
- 武蔵坊 弁慶(むさしぼう べんけい、武蔵川部屋):ハワイ出身で素質は後輩の武蔵丸以上だったといわれるが、相撲界になじめず帰国してしまった。
- 前進山 良太(ぜんしんやま りょうた、高田川部屋):新弟子の頃から投げ技に頼るところがあり、師匠から「もっと前に出ることを心がけるように」と命名されたもの。最高位十両2枚目。
- 大翔鶴 亀太郎(だいしょうかく きたろ、追手風部屋)
- 大魔王 暁志(だいまおう さとし、芝田山部屋):細身で弱気な性格だったので脱皮させる意を込めた。改名の場所で一番相撲から5連勝(2敗)した。
- 月ノ輪 熊之介(つきのわ くまのすけ、錣山部屋):気が優しく大人しい性格だったので、土俵上では熊のように荒々しく
- 猫又 虎右衛門(ねこまた とらえもん、伊勢ノ海部屋):部屋伝統の出世名
- 鳩弾力 豆太郎(はとだんりき まめたろう、出羽海部屋):鳩のように素早く、弾丸のように力強く。豆のように小さいが強くなれることを証明したい
- 桃太郎 研二(ももたろう けんじ、朝日山部屋):同部屋に「赤鬼」「青鬼」がいたので、他の部屋に鬼退治をする桃太郎が出ないように
- 闘牙 進(とうき すすむ、高砂部屋):「とうが」でなく「とうき」と呼ばせる当て字に、改名当初は首をかしげる好角家も多かった。最高位小結。
- 中尾 蓮宝輝(なかお れんほうき、松ヶ根部屋)
- 鶴竜 力三郎(かくりゅう りきさぶろう、井筒部屋):「鶴」と「竜」の異なる生き物同士の漢字をつなぎ合わせた四股名(プロレスのタッグチームに「鶴龍コンビ」が存在するが、ジャンボ鶴田と天龍源一郎のコンビだったことに由来するもの)。大関で2014年3月場所、14勝1敗で初優勝。翌5月場所に第71代横綱に昇進。
- 苍國来 栄吉(そうこくらい えいきち、荒汐部屋):中国簡体字を使った四股名。のちに蒼国来と改名。
- 大越前王 力(だいえちぜんおう りき、千賀ノ浦部屋):8音節の四股名。
- 大翔大 豪志(だいしょうだい つよし、追手風部屋):上から読んでも下から読んでも大翔大。最高位十両筆頭。のちに大翔山と改名。
- 山中山 和洋(やまなかやま かずひろ、間垣部屋):上から読んでも下から読んでも山中山。最高位十両13枚目。
- 山本山 龍太(やまもとやま りゅうた、尾上部屋):上から読んでも下から読んでも山本山。その上に海苔で有名な食品会社と同名。最高位前頭9枚目。
- 李 大源(り でうぉん、春日野部屋):1音節の四股名。その後、栃乃若 導大(とちのわか みちひろ)と改名。
- 翔皇騎 昇(しょうこうき のぼる、式秀部屋):勝ち越し負け越しを交互に繰り返し序二段と三段目を度々行き来していたいわゆる「エレベーター力士」だったため、「もう下りはいらん、昇りだけの昇降機になれ」と師匠によって2008年九州場所より玄海丸から改名。その効果か2場所連続勝ち越し、翌年春場所には番付も自己最高位となる西三段目32枚目まで上げるも何故か全休してそのまま引退。
- 若戸大橋 剛(わかとおおはし つよし、式秀部屋):北九州市若松区出身で小学校時代に描いた若戸大橋の絵手紙が入選したことから。後援会の人が若戸大橋の近くにある「高塔山」を薦めたが押し切ったという。[6]2013年11月場所から若戸桜に改名。
- 右肩上り 博保(みぎかたあがり ひろやす、大嶽部屋):「全体が暗いのでみんなが幸せになれるように」との思いをこめてつけられたものの、改名した2009年名古屋場所から2場所連続の負け越しで、四股名とは対照的に番付は"右肩下がり"。2009年九州場所からは"右肩上"(読み方は変更せず)に変更した。同年九州場所では5勝2敗の成績だった。2010年九州場所では初めて幕下で勝ち越し、翌2011年初場所でも勝ち越し。ようやく番付も"右肩上がり"になってきている。
- 森麗 勇気(もりうらら ゆうき、大嶽部屋):2003年夏場所初土俵、番付に初めて名前が載って以来2009年秋場所まで38場所連続負け越しの不名誉な記録を持つ「史上最弱力士」森川勇樹が史上最弱の競走馬ハルウララにあやかり、2009年九州場所直前に改名。小学校2年から相撲を始めている。あまりの弱さに二子山親方(元大竜、現大嶽親方)から「もう引退したら」と何度も言われるも、そのたびに「辞めたくない・・・・!」と泣きながら直訴、現役を続けている。二子山親方曰く「あの子は相撲未経験の高校生よりも弱いけど、とにかく相撲が大好きなんですよ」。同年九州場所では4勝3敗で勝ち越し、連続負け越しの記録に終止符を打った。翌2010年初場所は東序二段97枚目に昇進するも、主戦場だった序ノ口から1ランク上の相手にはね返され7戦全敗に終わり、序ノ口への陥落が決定した。2011年初場所に自身2度目の勝ち越し。
- 鰤の里 強志(ぶりのさと つよし、千賀ノ浦部屋):2010年5月場所、出身地である石川県七尾市の名物ブリにちなんで改名。
- 大砂嵐 金太郎(おおすなあらし きんたろう、大嶽部屋):2012年3月場所、エジプトでのあだ名「サンドストーム(砂嵐)」にちなんで。エジプトのギザ出身であることから、ピラミッドを意味する「金字塔」も候補に挙がったが、命名した大嶽親方が「金字塔は四股名らしくない」と却下。そのかわり、クマと相撲を取って勝ったほどの力がある「金太郎」の名を付けた。
- 丹蔵 隆浩(たんぞう たかひろ、阿武松部屋):十両に昇進した2012年9月場所に本名の寺下から改名。石川県能登町にある実家の屋号から。江戸時代には漁師として加賀藩主前田家にも魚を献上していたほど由緒ある屋号で、入門時から関取に昇進したら「丹蔵」を名乗ることを希望していたという。
- 爆羅騎 源氣(ばらき げんき、式秀部屋所属):2013年1月場所デビュー。身長160cm。新弟子検査で基準に7cm足りなかったが、びんつけ油で髪を高く逆立てたり、背伸びなどをして基準ギリギリで合格。四股名は本名の「伊藤爆羅騎」からであるが、伊・仏合作のマフィア映画『バラキ』(1972年製作)に因む。なお三段目に実兄の羅王丸 希望(らおうまる のぞむ、立浪部屋所属)がおり、本名も「伊藤羅王」。人気漫画『北斗の拳』に登場するラオウに因んでいる。兄弟の本名は共に父親が名付けた。
- 光源治 晴(ひかるげんじ はる、峰崎部屋所属):2013年3月場所、「若源治 光治(わかげんじ みつはる)」より改名。「光源氏」に因む。
- 桃智桜 五郎丸(ももちざくら ごろうまる、式秀部屋所属):2013年9月場所、「式乃川 知和(しきのかわ ともかず)」より改名。嗣永桃子の愛称「ももち」に因む。
- 宇瑠虎 太郎(うるとら たろう、式秀部屋所属):2013年11月場所、「桜潮 功道(おうしお こうどう)」より改名。「ウルトラマンタロウ」に因む。
- 天空海 翔馬(あくあ しょうま、立浪部屋所属):2014年3月場所、「豊乃浪 祐貴(とよのなみ ゆうき)」より改名。上昇の願いを込めた「天」と、出身地である茨城県大洗町の「空」や「海」をイメージしており、それまでは成績に波があったので、浪を取ることで波が無くなることを願って改名した。
- 横綱
横綱の阿武松緑之助や稲妻雷五郎なども一種の掛け言葉になった四股名である。大鵬幸喜も漢語由来の四股名ということで最初は違和感を覚えるむきもあった。北の湖敏満も「湖」を「うみ」と呼ばせる当て字が、千代の富士貢も5文字の四股名は珍しいと話題になった。平成の横綱では武蔵丸光洋なども、「丸」の文字がやや異色で、これは本名のフィヤマル・ペニタニから来ている。いずれ大関、横綱になったら別の四股名を名乗るものと思われていたが、結局この名で現役を通した。これらの人たちは四股名より土俵上の実績で名が残った。
- 朝青龍明徳(あさしょうりゅう あきのり):「あさ」の次に「しょうりゅう」が来る湯桶読みである。千代大海、琴欧洲など近年は湯桶読みの四股名も多いが横綱としては初めて(千代の富士・旭富士の「ふじ」も一応音読みではあるが日本の古語であり湯桶読みの違和感は全くなかった)。
難読な四股名
- 鯨波 源太夫(ときのこえ げんだゆう):最高位前頭筆頭、四股名は「時声」とも表す。
- 友鵆 寿作(ともちどり じゅさく):最高位前頭4枚目。
- 輦 文治郎(てぐるま ぶんじろう):最高位前頭6枚目。
- 廣原海 浪右エ門(わだつみ なみえもん):寛政期の看板大関だが出場は1場所のみ。
- 鱝野上 あき太夫(えのえ あきだゆう):最高位前頭筆頭、最初の四股名も「猫又虎右衛門」と珍名。
- 鯱 和三郎(しゃちほこ わさぶろう):最高位前頭3枚目。
- 梁 富五郎(うつばり とみごろう):最高位小結。
- 階 玉右衛門(きざはし たまえもん):最高位前頭3枚目。
- 繯 長治郎(おだまき ちょうじろう):最高位前頭4枚目。
- 桟シ 初五郎(かけはし はつごろう):最高位前頭筆頭。
- 璞 歳之助(あらたま としのすけ):最高位前頭2枚目。
- 勢見山 兵右エ門(せいみざん ひょうえもん):最高位小結。
- 鑛 石松(あらがね いしまつ):最高位前頭7枚目。
- 濃錦里 諾右衛門(のぎのさと だくえもん):のちの第8代横綱不知火諾右衛門。
- 籬野 雲右エ門(まがきの くもえもん) :最高位前頭2枚目。
- 燧洋 荒五郎(ひうちなだ あらごろう) :幕末の幕内力士、最高位前頭筆頭、浦風部屋所属。
- 扌雹ヱ 熊吉(てごたえ くまきち、「てごたえ」は“手偏”に「雹(ひょう)」という字):明治初期の大坂相撲の幕内力士、「黒岩」に改名前の四股名(この四股名は1878年9月(新入幕)~1880年9月まで3場所名乗り、のち黒岩熊吉→黒岩庄太郎と改名)、陣幕部屋所属、最高位は小結。
- 高越山 谷五郎(こうずざん たにごろう):明治初期の大坂相撲の幕内力士で、五条家より横綱を許された。
- 殿り 源吉(しんがり げんきち):明治初期の幕内力士(主に大坂相撲で活躍)、大坂での別派「広角組」に参加し大関を張る。
- 鉞り 鉄五郎(まさかり てつごろう):明治中期の幕内力士、最高位前頭13枚目。
- 京 石松(かなどめ いしまつ) 明治中期、大坂相撲の幕内力士、最高位前頭10枚目、猪名川部屋所属。
- 明 虎吉(あきらか とらきち):大正時代の幕内力士、最高位小結、旧八角部屋所属、のち「阿蘇ヶ嶽寅吉」に改名。
- 小牛田山 金太郎(こごたやま きんたろう) :大正時代の幕内力士、最高位前頭2枚目、伊勢ノ海部屋所属。
- 東雲 衑藏(しののめ れいぞう):大正時代の幕内力士、最高位小結、雷部屋所属。
- 可愛嶽 実男(えのだけ さねお):昭和初期の十両力士、最高位十両4枚目、出羽海部屋所属。
- 渡嶌洋 公義(おしまなだ きみよし):昭和初期の幕内力士、最高位前頭筆頭、高嶌部屋所属。のち「松前山」に改名。
- 緋縅 力弥(ひおどし りきや):1950年代の幕内力士、最高位前頭10枚目、錦島部屋所属。
- 羽子錦 徳三郎(はねにしき とくさぶろう):昭和30年代前半の幕内力士、最高位前頭10枚目、高島部屋所属、一時「雷虎山(らいこざん)」と名乗った。
- 追風山 裕邦(おいてやま ひろくに):1960年代の幕内力士、最高位前頭6枚目、追手風部屋所属、読み方はそのままで「追手山」より改名。
- 禊鳳 英二(みそぎどり えいじ):昭和40年代前半に活躍した幕内力士、最高位前頭2枚目、出羽海部屋から九重部屋へ移籍、本名の「佐々木 禊」より命名。
- 魁罡 功(かいごう いさお):昭和40年代半ばの幕内力士、最高位前頭5枚目、二子山部屋所属、のち「二子竜」に改名。
- 巨砲 丈士(おおづつ たけし):昭和50年代から平成の幕内力士、最高位関脇、大鵬部屋所属、前四股名は「大真(だいしん)」、明治の18代横綱大砲と読みは同じである。
- 純光 隆彰(よしみつ たかあき):最高位前頭13枚目、時津風部屋所属、本名の「丸山孝彦」で関取へ。
- 嗣子鵬 慶昌(ししほう よしまさ):最高位前頭2枚目、大鵬部屋所属、前四股名は「満山(みつるやま)」。
- 頂ノ郷 昌登(かみのさと まさと):最高位十両12枚目、二所ノ関部屋から大鵬部屋へ移籍。
- 比咩の里 芳正(ひめのさと よしまさ):最高位十両6枚目、時津風部屋所属、のち「松乃山」から「大車輪」に改名。
- 追風海 英飛人(はやてうみ ひでひと):最高位関脇、追手風部屋所属。
- 増健 亘志(ますつよし のぶゆき):最高位十両6枚目、三保ヶ関部屋所属、のち本名の「柳川」に改名。第74代学生横綱。
- 増昴 勇二(ますのぼり ゆうじ):三保ヶ関部屋所属。
- 笠洋 正好(りゅうよう まさよし):北の湖部屋所属。
- 天降川 彰彦(あもりがわ あきひこ):井筒部屋所属。
- 寒水山 雅直(そうずやま まさなお):井筒部屋所属。
- 鳰の湖 真二(におのうみ しんじ):北の湖部屋所属。
- 常陸號 達也(ひたちごう たつや):武蔵川部屋所属。
- 宇映 圭将(たかてる けいしょう):追手風部屋所属、2012年5月場所「若圭将 裕康(わかけいしょう ひろやす)」に改名するが、翌7月場所に「若圭翔 裕樹(わかけいしょう ひろき)」に再改名。
- 望櫻 将太(みざくら しょうた):宮城野部屋所属、のち部屋の先輩が名乗った「光法(現立田川、最高位前頭9枚目)」に四股名を改名。
- 猛十八 卓(たけとば たく):宮城野部屋所属、読み方はそのままで「竹十葉」より改名。
- 日馬富士 公平(はるまふじ こうへい):伊勢ヶ濱部屋所属、安馬 公平(あま こうへい)より改名。第70代横綱。
- 臥牙丸 勝(ががまる まさる):北の湖部屋所属。
- 碧天 大市(あおぞら だいち):田子ノ浦部屋から春日野部屋へ移籍、読み方はそのままで「碧天 太一」より改名。
- 福生乃花 将輔(ふさのはな しょうすけ):貴乃花部屋所属、2011年5月技量審査場所より「嵐望(らんぼー)」に改名、長音符も稀。
- 阿夢露 光大(あむうる みつひろ):阿武松部屋所属。
- 暁司 健二(ときつかさ けんじ):入間川部屋所属。
- 高麗の国 譲二(こまのくに じょうじ):芝田山部屋所属。
- 土佐颯 一光(とさはやと かずみつ):錣山部屋所属、2012年9月場所より「とさはやて」に読み方変更。
- 琴弥山 幸基(ことみせん こうき):佐渡ヶ嶽部屋所属。
- 若樫固 光(わかけんご ひかる):松ヶ根部屋所属、読み方はそのままで「若堅固」より改名。
- 風斧山 泰雅(かざふざん たいが):錦戸部屋所属、2012年9月場所より読み方はそのままで「風冨山」に改名。
- 鴜洲 和樹(しじま かずき):荒汐部屋所属。
- 大小林 央弥(だいしょうりん ひろや):荒汐部屋所属。
- 荒馬強 強(あらうまごう つよし):伊勢ノ海部屋所属。
- 星ヶ嶺 知足(ほしがね ともたり):井筒部屋所属、2012年1月場所「星冑 鐵足(ほしかぶと かねたり)」に改名。
- 華吹 大作(はなかぜ だいさく):立浪部屋所属。2013年1月場所現在、現役最年長力士。
- 碧の正 謙太(あおのしょう けんた):田子ノ浦部屋から出羽海部屋へ移籍。
- 久勢 和正(ひさちから かずまさ):田子ノ浦部屋所属。
- 鳳龍 良光(たかりゅう よしみつ):藤島部屋所属。
- 天鎧鵬 貴由輝(てんかいほう たかゆき):尾上部屋所属。
- 皇風 俊司(きみかぜ としじ):尾車部屋所属、2012年5月場所、元関脇笠置山以来77年ぶり早大出身の幕内力士。
- 颯天 浩明(はやて ひろあき):藤島部屋所属。
- 東輝 孝二(あずまひかり こうじ):玉ノ井部屋所属。
- 海士の島 信之(あまのしま のぶゆき):八角部屋所属。
- 真裟刃 勝(まさや しょう):千賀ノ浦部屋所属。
その他の逸話
- 藤田山→藤田→藤田山→藤田→藤田山
- 昭和20年代後半の藤田山忠義は、幕内下位と十両をエレベーターしながら何かというと改名し、藤田山と藤田を繰り返し名乗ること5回(下位力士の時代を含めると6回)、ついには当時の相撲協会から「いい加減にしろ」と事実上の改名禁止通達を出された。
- 川田→出羽龍→岩木山→出羽港→出羽湊
- 同じ昭和20年代後半の幕内力士出羽湊秀一は幕下から十両にかけて、本名の川田から4場所連続で四股名を改名した。
- かたや栃錦(とちにしき)、こなた時錦(ときにしき)
- 昭和30年代の横綱と小結でよく似た名前だが部屋も一門も別、本場所での対戦もあった。行司や呼び出しはアクセントに大きな違いをつけることで呼び分けた。
- 野口→開聞嶽→星兜→薩摩富士→星薩摩→大岩濤→星岩濤→星甲→星岩涛
- 初土俵から所要115場所、新十両からの所要46場所は歴代二位の超スロー出世の星岩涛は8回の改名歴があり、井筒部屋(のち陸奥部屋)由来の四股名である星甲(星兜)を名乗った。
- 葛生→前の里→富乃里→大富里→大富ノ里→大黄鬼→大昇鬼
- 大昇鬼(最高位は幕下)は短期間の間に富乃里→大富里→大富ノ里→大黄鬼→大昇鬼と改名しており、話題を呼んだ。
- 北の洋
- 「キタノナダ」は呼びにくいと、その速攻相撲とあいまってアナウンサー泣かせの四股名と言われた。のち解説者として放送に携わる側に回った時には、「緒方昇」の本名を名乗った。
- 旭里
- 本来の読みは「アサヒサト」と濁らないが、それでは呼びにくいとアナウンサーから請われて、「アサヒザト」でもかまわないと認めていたという。
関連項目
注釈
- ↑ これに関しては琴欧洲も引退後に「大雑把だ」と自身の四股名に対して自覚するところを話し、関ノ戸も「黒海は地域を絞っているから」という趣旨の意見を述べていた。
- 相撲塾 関ノ戸(元小結・岩木山)との対談(両国国技館) 2014年5月10日
- ↑ [http://www.nikkei.com/article/DGXNASDB07004_X00C14A7000000/ 角界にも「キラキラネーム」? 伝統の国技でなぜ ] 日本経済新聞 2014/7/9 6:30
- ↑ 上部分の「前田山」は骨髄炎で切断必至とされていた自身の右腕を完治させてくれた前田和三郎に因んでいるが、下の名前の由来と本人の暴れん坊ぶりから四股名そのものが大前田に由来しているという誤解を生むことが少なくなかった。
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 珍四股名大全集参照
- ↑ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
- ↑ [1]