玉ノ井部屋

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玉ノ井部屋(たまのいべや)は、日本相撲協会に所属する出羽海一門の相撲部屋。

概要

1977年(昭和52年)1月場所限りで引退して春日野部屋の部屋付き親方に就任していた年寄・13代玉ノ井(元関脇栃東)が、1990年(平成2年)1月場所後に3名の内弟子を連れて春日野部屋から分家独立して玉ノ井部屋を創設した。この時、春日野部屋の部屋付き親方である11代山分(元幕内・栃富士)も共に玉ノ井部屋へ移籍した。東京都足立区に初めて創設された相撲部屋である。1991年には日系人を含む5人のブラジル出身の力士を入門させて話題となった。

13代玉ノ井は実子である大関栃東を筆頭として、他にブラジル出身の国東などの関取を育てた。2009年9月3日に13代玉ノ井は定年退職を迎えたため、玉ノ井部屋の部屋付き親方である栃東親方が14代玉ノ井を襲名して玉ノ井部屋を継承した。2011年1月場所において富士東が新十両へ昇進し、14代玉ノ井が師匠に就任してからは初となる関取が誕生している。

所在地

師匠

  • 13代:玉ノ井 友宣(たまのい ともより、関脇・初代栃東、福島
  • 14代:玉ノ井 太祐(たまのい だいすけ、大関・2代目栃東、東京)

力士

現役の関取経験力士

横綱・大関

大関

十両

所属力士のタクシー運転手暴行事件

2008年9月7日、泥酔した同部屋所属の三段目(当時)・東心山が乗車したタクシー内で、大相撲力士大麻問題に対し「力士が大麻やマリファナを吸って何が悪い」と発言し、運転手が注意したことに立腹して後部座席から運転手へ暴行を加えた。全治2週間の怪我を負った運転手は東心山を降ろした後で交番へ直行し、運転手を伴って部屋へ出向いた警察官に対して師匠の13代玉ノ井夫妻が謝罪して、運転手との示談が成立した。東心山は謹慎として同年9月場所を全休した。

後に東心山は雑誌『相撲』(ベースボール・マガジン社)に掲載された記事で事件を否定し、13代玉ノ井も事件後に東心山に対して「今辞めたら逃げたことになる。やっていないのなら堂々としていなさい」と説得して引責引退を慰留していた。その後、2010年5月場所で東心山は引退し、現在は寿司職人として勤務している[1]

脚注

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  1. 『相撲』2012年4月号104頁「力士が歩む第二の人生」

外部リンク

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