小結

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小結(こむすび)とは、大相撲番付の階級の一つ。関脇の下の地位で、三役の最下位。由来やその語源はわかっておらず、諸説があるにとどまる。

概要

通常は、前頭筆頭付近の地位で勝ち越すか、幕内上位で大きく勝ち越せば小結へ昇進できる。逆に小結の地位で負け越せば、原則としてすぐ平幕の地位への陥落が決定する。ただ最低でも東西に1人ずつ必要なため、適任者がいない場合、前頭5枚目あたりの位置で8勝7敗程度の勝ち越しでも昇進する場合がある。このことが実力の伴わない三役を作り出しているとの批判もある。

一方で小結から関脇に昇進する場合、全取組横綱大関を含む最上位力士とあたる中で勝ち越しが必須であり、関脇との間には数枚分の差があると見るべきである。また、関脇に負け越した力士がいない場合は小結で8・9勝で勝ち越しても据え置かれる場合が多いが、10勝ないしは11勝以上の好成績を挙げると関脇昇進となることがある[1]。2008年5月場所に稀勢の里が東小結で10勝5敗の好成績を挙げたものの、翌7月場所でも東小結に据え置かれた[2]事例が示すように、関脇に実力者が長く在位する傾向が強くなった平成期以降は、並の勝ち越しでは関脇への昇進は困難となっている。

関脇に比べると小結の地位で3人以上(以前の張出)が出ることは少ない。近年の番付では東前頭筆頭の勝ち越しが昇進として最優先される傾向が強くなり、昇進枠が少ない場合、それより下の番付で単純計算で東前頭筆頭の力士を上回る成績を挙げたとしても、小結に昇進できない事例が見られるようになった。2008年3月場所では黒海が西前頭5枚目の位置で12勝3敗の成績を挙げたが、東前頭筆頭の位置で8勝7敗の成績を挙げた朝赤龍の昇進が優先され、翌5月場所では黒海は東前頭筆頭に留まった。平幕から優勝や優勝同点の力士が出たとしても例外ではなく、2010年11月場所に西前頭9枚目の位置で14勝1敗という優勝同点の成績を挙げた豊ノ島や、2012年5月場所に西前頭7枚目の位置で12勝3敗の成績を挙げて優勝した旭天鵬は、いずれの三役の枠も空かなかったため、翌場所では東前頭筆頭までの昇進に留まっている。

平幕から小結を飛び越えて関脇に昇進する場合や、関脇から小結を通り越して平幕に陥落する場合があるため、「初小結」には「新小結(平幕からの昇進)」以外に、「関脇からの陥落による初小結」(平成以降では、寺尾・武双山・玉春日・琴奨菊・阿覧が該当)や「関脇から平幕に陥落後、小結へ昇進(返り三役としての初小結)」(同じく琴富士・出島・琴光喜が該当)といった場合もある。また関脇に昇進したが小結を経験することがないまま引退した力士もおり、戦後では高鐵山・佐田の山・追風海・北勝力が該当する。

「3場所連続で三役にあって、その通算の勝ち星が33勝以上」とされる近年の大関昇進の目安から、小結での勝ち越しは後の大関昇進を検討する際に起点の成績とみなされる。平成以降大関に昇進した力士で昇進3場所前が平幕だった力士はおらず、大関昇進の議論においては小結と平幕は明確に区分されている。戦前までは小結で優勝に近い成績を挙げて、関脇を飛び越して大関に昇進することもあったが、戦後においては全くない。1991年11月場所の小結・琴錦は、前場所に平幕優勝を飾っており、この11月場所の終盤で、琴錦が2場所連続優勝を果たせば、関脇を飛び越えて大関の地位に抜擢も検討するという声も上がったものの、結果的に琴錦は優勝を逃したために昇進の話題は出なかった。

なお西小結は、同部屋でない限り初日に東方正横綱と取組が組まれることが多い。同様に西方正横綱がいる場合は、同部屋でない限り東小結が西方正横綱と初日の取組が組まれる場合が多い。

協会からの給料は、三役と扱われ、関脇と同額である。

記録

小結で優勝した力士

場 所 地 位 四股名 成 績 翌場所 最高位
1931年(昭和6年)5月場所 東小結 武藏山武 10勝1敗
清水川
東小結(8勝2敗1休) 横綱
1932年(昭和7年)3月場所 西小結 沖ツ海福雄 9勝1敗 東関脇(6勝4敗1分) 関脇
1944年(昭和19年)1月場所 西小結 佐賀ノ花勝巳 13勝2敗 東関脇(7勝3敗) 大関
1957年(昭和32年)5月場所 西小結 安念山治
(のち羽黒山礎丞)
13勝2敗 西関脇(9勝6敗) 関脇
1974年(昭和49年)11月場所 西張出小結 魁傑將晃 12勝3敗
(○北の湖
東関脇(11勝4敗) 大関
1992年(平成4年)9月場所 西小結 貴花田光司
(のち貴乃花光司)
14勝1敗 西関脇(10勝5敗) 横綱
1993年(平成5年)3月場所 東小結 若花田勝
(のち若乃花勝)
14勝1敗 西関脇(10勝5敗) 横綱
2000年(平成12年)5月場所 西小結 魁皇博之 14勝1敗 東関脇(11勝4敗) 大関
  • 四股名は優勝当時の四股名。
  • 成績の()内は優勝同点力士。星は優勝決定戦。同制度は1947年(昭和22年)6月場所から導入、それ以前の優勝同点は上位者優勝。武藏山には他に小結での優勝同点がある(昭和5年10月場所)。
  • 武藏山の時代には2場所ごとの成績で番付編成が行われており、翌1932年(昭和7年)1月場所で西大関。この場所は春秋園事件のために開催されず、武藏山も一時脱走するがすぐに帰参し、同2月場所では西大関で5勝3敗。
  • 沖ツ海は現役死。

通算小結在位

順位 小結在位 四股名 最高位
1位 19場所 高見山大五郎 関脇
2位 15場所 安芸乃島勝巳 関脇
3位 14場所 出羽錦忠雄 関脇
4位 13場所 琴錦功宗 関脇
土佐ノ海敏生 関脇
6位 12場所 出羽の花義貴 関脇
稀勢の里寛 大関☆
8位 11場所 貴闘力忠茂 関脇
魁皇博之 大関
武双山正士 大関
  • 2013年5月場所現在。
  • ☆は2013年3月場所終了時点で現役。
  • ※は年6場所制定着以前の入幕。

小結連続在位

順位 小結在位 四股名 在位期間
1位 5場所 麒麟児將能 1969年1月場所-1969年9月場所
土佐ノ海敏生 1999年11月場所-2000年7月場所
琴光喜啓司 2004年5月場所-2005年1月場所
4位 4場所 信夫山治貞 1955年1月場所-1955年9月場所
朝潮太郎 1954年1月場所-1954年9月場所
高見山大五郎 1971年7月場所-1972年1月場所
出島武春 1998年9月場所-1999年3月場所
稀勢の里寛 2006年7月場所-2007年1月場所
  • 2013年5月場所現在。
  • ※は年6場所制定着以前の入幕。

同時最多在籍小結

番付上に小結が最も多く同時に在籍したのは4小結で、現在までに14例がある。なお、1961年9月場所から1962年1月場所まで、3場所連続で4小結が続いたことがある。

脚注

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関連

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en:Makuuchi#Komusubi
  1. 戦後、小結の地位で11勝以上挙げた力士で翌場所も小結に据え置かれた事例はない。
  2. この時、東西関脇の安馬琴奨菊が揃って勝ち越したため据え置かれてしまったと見られる。