ツバキ

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:生物分類表 ツバキ(椿、海柘榴)[1]またはヤブツバキ[2](藪椿、学名: テンプレート:Snamei)は、ツバキ科ツバキ属常緑樹照葉樹林の代表的な樹木。

日本内外で近縁のユキツバキから作り出された数々の園芸品種、ワビスケ、中国ベトナム産の原種や園芸品種などを総称的に「椿」と呼ぶが、同じツバキ属であってもサザンカを椿と呼ぶことはあまりない。

形態・生態

常緑性の高木。普通は高さ5–6mだが、樹高18m・胸高直径50cmにも達する例も知られる。ただしその成長は遅く、寿命は長い。樹皮はなめらかで灰白色、時に細かな突起がまばらに出る。はよくわかれる。冬芽は線状楕円形で先端はとがり、円頭の鱗片が折り重なる。鱗片の外側には細かい伏せたがある。鱗片は枝が伸びると脱落する。

互生、長楕円形から広楕円形、鋭尖頭(先端が突き出す)で、葉脚は広いくさび形、縁には鋸歯が並ぶ。葉質は厚くて表面につやがあり、濃緑色で裏面はやや色が薄い。

期はからにかけてにまたがり、早咲きのものは冬さなかに咲く。

サザンカとの見分け方

ツバキ(狭義のツバキ。ヤブツバキ)とサザンカはよく似ているが、次のことに着目すると見分けることができる(原種は見分けやすいが、園芸品種は多様性に富むので見分けにくい場合がある)。

  • ツバキは花弁が個々に散るのではなく萼と雌しべだけを木に残して丸ごと落ちるが(花弁がばらばらに散る園芸品種もある)、サザンカは花びらが個々に散る。
  • ツバキは雄しべの花糸が下半分くらいくっついているが、サザンカは花糸がくっつかない。
  • ツバキは、花は完全には平開しない(カップ状のことも多い)。サザンカは、ほとんど完全に平開する。
  • ツバキの子房には毛がないが(ワビスケには子房に毛があるものもある)、サザンカ(カンツバキ・ハルサザンカを含む)の子房には毛がある
  • ツバキは葉柄に毛が生えない(ユキツバキの葉柄には毛がある)。サザンカは葉柄に毛が生える。

分布

日本原産。日本では本州四国九州南西諸島から、それに国外では朝鮮半島南部と台湾から知られる。本州中北部にはごく近縁のユキツバキがあるが、ツバキは海岸沿いに青森県まで分布し、ユキツバキはより内陸標高の高い位置にあって住み分ける。

下位分類

琉球列島から台湾のものをタイワンヤマツバキあるいはホウザンツバキ テンプレート:Snamei subsp. テンプレート:Snamei としたこと、あるいは屋久島のものは果実が大きく果肉が厚いことからリンゴツバキ テンプレート:Snamei var. テンプレート:Snamei として分けたこともあるが、それぞれに中間型もあり、分けないことも多い。ユキツバキは種内変異として変種ないし亜種とされたこともあるが、別種との扱いもある。 テンプレート:Main2

花容による品種

花色

  • 白斑 - 星斑、雲状斑、横杢斑
  • 覆輪 - 白覆輪、紅覆輪、底白
  • 絞り - 吹きかけ絞り、小絞り、縦絞り、紅白絞り

花形

ファイル:Camellia0068.jpg
千重咲きの例。乙女椿(オトメツバキ)
  • 一重咲き - 猪口咲き、筒咲き、抱え咲き、百合咲き、ラッパ咲き、桔梗咲き、椀咲き、平開咲き
  • 八重咲き - 唐子咲き、八重咲き、千重咲き、蓮華咲き、列弁咲き、宝珠咲き、牡丹咲き、獅子咲き

花の大きさ

  • 極大輪 - 13cm以上
  • 大輪 - 10-12cm
  • 中輪 - 7-9cm
  • 小輪 - 4-6cm
  • 極小輪 - 4cm以下

地域による品種

江戸のツバキ
徳川幕府が開かれると、江戸に多くの神社寺院武家屋敷が建設された。それにともない、多くの庭園が営まれ、ツバキも植栽されていった。ことに徳川秀忠が吹上御殿に花畑を作り、多くのツバキを含む名花を献上させた。これが江戸ツバキの発祥といわれる。『武家深秘録』の慶長18年には「将軍秀忠花癖あり名花を諸国に徴し、これを後吹上花壇に栽(う)えて愛玩す。此頃より山茶(ツバキ)流行し数多の珍種をだす」とある。権力者の庇護をうけて、ツバキは武士、町人に愛されるようになった。江戸ツバキは花形、花色が豊富で、洗練された美しさをもつ、一重では清楚な「蝶千鳥」「関東月見草」「蜀紅」、唐子咲きでは「卜伴」。八重では蓮華咲きの「羽衣」「春の台」「岩根絞」など。
上方のツバキ
古来、がおかれた上方でもツバキは古くから愛玩されてきた。ことに江戸期には徳川秀忠の娘東福門院和子中宮として迎えた後水尾天皇誓願寺安楽庵策伝などの文化人がツバキを蒐集した。寛永7年(1630年)には安楽庵策伝によって「百椿集」を著した。さらに寛永11には烏丸光広によって『椿花図譜』が著され、そこには619種のツバキが紹介されている。現在でも京都周辺の神社仏閣には銘椿が多い。品種としては「五色八重散椿」「曙」「菱唐糸」など。上方のツバキは変異の多いユキツバキが北陸から導入されたことと、京都、大坂の人々の独自の審美眼によって選抜されたことに特色がある。
尾張のツバキ
江戸時代より名古屋を中心に育成されてきた品種群は、一重、筒咲き(または抱え咲き、椀咲き)、小中輪の茶花向きのものが多いのが特徴である。「関戸太郎」「窓の雪」「紅妙蓮寺」「大城冠」などがあるほか、名古屋好みの豊満な花容のものもある。近隣の三河伊勢美濃のものとあわせて「中部ツバキ」とも呼ばれている。
加賀のツバキ
北陸各地に誕生したユキツバキ系の品種の京都の中継地として、この地は園芸の隆盛の大きな役割を果たした。茶の湯のさかんな土地柄ゆえに茶花向けの品種が多く、旧家の庭に多くの銘木がある。代表的な品種には「東方朔」「ことじ」「祐閑寺名月」などがある。
富山越後のツバキ
ユキツバキの自生地であることから、変化に富んだ選抜品種や、ヤブツバキとの交配によるユキツバキ系の品種が古くから栽培されてきた。氷見市老谷の「さしまたの椿」のような巨木も多い。代表的な品種に「大日の暁」「雪白唐子」「栃姫」「千羽鶴」など。
山陰のツバキ
「つばきのふるさと」と言われるほどの自生地の多い地域である。古くから品種改良が盛んで、ことに江戸期松江藩がおかれてから盛んになり松平不昧は各地からツバキを集めた。から松江にかけて清楚な一重咲きが作られ愛好されている。代表的な品種は「花仙山」「意宇(おう)の里」「角(すみ)の光」など。
久留米のツバキ
肥後のツバキ
肥後椿(ひごつばき)は、肥後・熊本藩の大名だった細川家にて、育種・保存されていた系統で、かつては門外不出であったが、現在では苗木が販売され、愛好者が多い。鉢植え・盆栽として栽培され、花は大輪一重で、梅蕊(ばいしん)咲きという花形で、花の中心から多数のおしべが放射状に広がり、赤・白・ピンクやその絞り咲きの花の色と、黄色のおしべとのコントラストが非常に美しい。肥後六花の一つ。

人間との関わり

ツバキの花は古来から日本人に愛され、京都龍安寺には室町時代のツバキが残っている。他家受粉で結実するために変種が生じやすいことから、古くから品種改良が行われてきた。江戸時代には江戸将軍肥後加賀などの大名、京都の公家などが園芸を好んだことから、庶民の間でも大いに流行し、たくさんの品種が作られた。茶道でも大変珍重されており、冬場の炉の季節は茶席が椿一色となることから「茶花の女王」の異名を持つ。また、西洋に伝来すると、冬にでも常緑で日陰でも花を咲かせる性質が好まれ、大変な人気となり、西洋の美意識に基づいた豪華な花をつける品種が作られた。

花が美しく利用価値も高いので、『万葉集』の頃からよく知られたが、特に近世に茶花として好まれ、多くの園芸品種が作られた。美術音楽の作品にもしばしば取り上げられている。

17世紀オランダ商館員のエンゲルベルト・ケンペルがその著書で初めてこの花を欧州に紹介した。後に、18世紀イエズス会の助修士で植物学に造詣の深かったゲオルク・ジョセフ・カメルフィリピンでこの花の種を入手してヨーロッパに紹介した。その後有名なカール・フォン・リンネがこのカメルにちなんで、椿にカメルという名前をつけ、ケンペルの記載に基づきジャポニカの名前をつけた。19世紀には園芸植物として流行し、『椿姫』(アレクサンドル・デュマ・フィス小説、またそれを原作とするジュゼッペ・ヴェルディオペラ)にも主人公の好きな花として登場する。

ツバキの花は花弁が個々に散るのではなく、多くは花弁が基部でつながっていてを残して丸ごと落ちる。それがが落ちる様子を連想させるために、入院している人間などのお見舞いに持っていくことはタブーとされている。この様は古来より落椿とも表現され、俳句においては季語である。なお「五色八重散椿」のように、ヤブツバキ系でありながら花弁がばらばらに散る園芸品種もある。

呼称

和名の「つばき」は、厚葉樹(あつばき)、または艶葉樹(つやばき)が訛った物とされている。

「椿」の字の音読みは「チン」で、椿山荘などの固有名詞に使われたりする。なお「椿」の原義はツバキとは無関係のセンダン科の植物チャンチン(香椿)であり、「つばき」は国訓、もしくは、偶然字形が一致した国字である。歴史的な背景として、日本では733年『出雲風土記』にすでに椿が用いられている。その他、多くの日本の古文献に出てくる。中国ではの王朝の第2代皇帝煬帝の詩の中で椿が「海榴」もしくは「海石榴」として出てくる。海という言葉からもわかるように、を越えてきたもの、日本からきたものを意味していると考えられる。榴の字は、ザクロを由来としている。しかしながら、海石榴と呼ばれた植物が本当に椿であったのかは国際的には認められていない。中国において、ツバキは主に「山茶」と書き表されている。「椿」の字は日本が独自にあてたものであり、中国においては椿といえば、「芳椿」という東北地方の春の野菜が該当する。

英語では、Camellia japonica と学名がそのまま英語名になっている珍しい例である。

用途

材木
ツバキは生長すると樹高20mほどになるが、日本のツバキの大木はほとんど伐採され、最後の供給地として屋久島からも切り出されたが、現在では入手の難しい材である。大木は入手しにくいので、建築用にはあまり使われない。木質は固く緻密、かつ均質で、木目は余り目立たない、摩耗に強くて摩り減らない等の特徴から、工芸品細工もの等に使われる。代表的な用途は印材将棋の駒で、近年は合成材料の判子が多くなったが、椿材は、つげ材に次ぐものとして、安価な印鑑などに利用されていた。平成20年度税制改正により、法人税等の「減価償却資産の耐用年数等に関する省令」が改正され、別表第四「生物の耐用年数表」によれば、平成20年4月1日以後開始する事業年度にかかるつばき樹の法定耐用年数は25年となった。
木灰
日本酒醸造には木灰が必要で、ツバキの木灰が最高とされている。また、アルミニウムを多く含むことから、古くは染色用にも用いられた。しかし、ツバキが少ないため、灰の入手は難しい。
木炭
ツバキの木炭は品質が高く、昔は大名の手焙りに使われた。
椿油
椿油は、種子(実)を絞ったで、用途の広さは和製オリーブオイルとも言える。高級食用油整髪料として使われるほか、古くは灯りなどの燃料油としてもよく使われた。ヤブツバキの種子[3] から取る油は高価なため、同じくツバキ属の油茶などから搾った油もカメリア油の名で輸入されている。また、搾油で出る油粕は川上から流して、川魚タニシ川えび等を殺すのに使われた。
薬用
葉のエキス止血薬になる。特に朝廷では毒消し(悪魔祓い)として祭事が行われた。その祭祀司を稲幡と言う。

花以外の観賞

ツバキは葉や枝も観賞の対象になる。

ファイル:Camellia japonica 'Koshi-no-fubuki'.jpg
斑入りの園芸品種「越の吹雪」。覆輪または散り斑が入る

江戸時代には好事家たちが、葉の突然変異を見つけ出し、選抜育成して観賞した。

  • 錦魚葉(金魚葉と書かれることもある)
  • 梵天葉
  • 百合葉・孔雀葉
  • 鋸葉・柊葉・やすり葉・銀葉などの鋸歯の鋭い細葉
  • 斑入り(ウイルスの感染により葉に斑のような模様が入ることもあるが、ツバキ園芸においてはこれは園芸品種として区別されていない)
  • 弁天葉
  • 盃葉
  • 桜葉・枇杷葉

  • 雲龍(三河雲龍、三原雲龍、紀州雲龍など)
  • 枝垂れ(孔雀椿など)

文化

ツバキは『日本書紀』において、その記録が残されている。景行天皇が九州で起こった熊襲の乱を鎮めたおり、土蜘蛛に対して「海石榴(ツバキ)の椎」を用いた。これはツバキの材質の強さにちなんだ逸話とされており、正倉院に納められている災いを払う卯杖もその材質に海石榴が用いられているとされている。733年の『出雲風土記』には海榴、海石榴、椿という文字が見受けられる。しかし、これらが現在のツバキと同一のものであるかについては議論の余地がある。

『万葉集』において、ツバキが使用された歌は9首あるが、サクラウメといった材料的な題材と比較すると数は多くない。『源氏物語』においても、「つばいもち」として名が残されている程度であり、室町時代までさほど芸術の題材として注目された存在ではなかった。しかし、風雅を好む足利義政の代になると、から椿堆朱盆、椿尾長鳥堆朱盆といった工芸品を数多く取りよせ、彫漆螺鈿の題材としてツバキが散見されるようになった。また、豊臣秀吉茶の湯にツバキを好んで用い、茶道においてツバキは重要な地位を占めるようになる。江戸時代に入ると、二代目将軍徳川秀忠がツバキを好み、そのため芸術の題材としてのツバキが広く知られるようになった。この時期、烏丸光広林羅山が相次いで『百椿図』を描き、絵画、彫刻、工芸品へツバキが定着する。また、ツバキの栽培も一般化し、園芸品種は約200種にも及んだ。

「花椿」は季語であるが、「寒椿」「冬椿」は季語

伝承

年を経たツバキは化けるという言い伝えが日本各地に残る。新潟の伝説では、荒れ寺に現れる化け物の正体が椿の木槌であったり、島根の伝説では、牛鬼の正体が椿の古根だったという話がある。

忌避

の世界においても落馬を連想させるとして、競馬競走馬馬術競技馬の名前としては避けられる。特に競馬では、過去にはタマツバキの様な名馬もいるが、1969年の第36回東京優駿日本ダービー)で大本命視されたタカツバキが、スタート直後に落馬で競走中止するというアクシデントを起こして以降、ほとんど付けられることがなくなったとされている。

武士はその首が落ちる様子に似ているというのを理由にツバキを嫌った、という話もあるがそれは幕末から明治時代以降の流言であり、江戸時代に忌み花とされた記述は見付からない[4]1600年代初頭には多数の園芸品種が流行。1681年には,世界で初めて椿園芸品種を解説した書物が当時の江戸で出版される。

作品

切手

  • 1961年(昭和36年)3月20日発売 10円 花切手シリーズ
  • 1969年(昭和44年)10月26日発売 15円 第24回国民体育大会 ラグビー大浦天主堂ツバキ
  • 1972年(昭和47年)5月20日発売 20円 国土緑化運動
  • 1980年(昭和55年)10月1日発売 30円 普通切手
  • 1994年(平成6年)1月28日発売 80円 四季の花シリーズ第4集 寒椿図酒井抱一
  • 1997年(平成9年)4月10日発売 コイル切手、額面印字
    • 50円、80円、90円、120円、130円用 スズメイネツバキ
    • 270円用 スズメ・モミジツバキ
  • 2001年(平成13年)6月1日発売 50円 ふるさと切手 東京の四季の花・木
  • 2012年(平成24年)12月3日発売 50円と80円 ふるさと切手 季節の花シリーズ第4集

模造

プラスチックなどで椿の花を象ったブローチ(一般にカメリアと呼ばれる)が作られ、女性の礼装で装飾として用いられる。

自治体の木

各地のツバキの名所

脚注

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参考文献

関連項目

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外部リンク

  • 日本において広く見られる野生の「ツバキ」はヤブツバキであり、植物学上はこの名で呼ばれる。ただし、標準和名としてツバキの名を採用した例もある(北村・村田(1979))。
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