世界一周双六ゲーム
『世界一周双六ゲーム』(せかいいっしゅうすごろくゲーム)は、テレビ朝日系列局ほかで放送された朝日放送(ABCテレビ)製作のクイズ&ゲーム番組である。製作局の朝日放送では1980年4月6日から1986年3月30日まで放送。
目次
概要
知識・反射神経・運を試すクイズ&ゲーム番組。赤・青・黄・緑の4人の解答者がクイズに解答してサイコロを振りながら、双六に見立てた世界地図上を進み、世界一周を目指すというコンセプトの番組である。
朝日放送での番組放送開始当初は関西ローカルの番組で、日曜 11:00 - 11:45に放送された。その後、瀬戸内海放送でも同時ネットされるようになったほか、北海道テレビ放送などの一部の系列局でも遅れネットで放送され、1983年3月6日からはテレビ朝日系全国ネット番組に昇格。以降は日曜 19:00 - 19:30の30分番組として放送された。
番組の収録は、ABCホール(2代目)での公開録画形式で行われ、『三枝の国盗りゲーム』との隔週での収録となった。全国ネット進出時の番組宣伝のCMでは「30分間世界一周!『うっそー!』うそじゃありまへん。本当なんです」をキャッチフレーズとした。また、その後は「クイズ番組、クイズ番組いうても普通のクイズ番組やない!!」とのフレーズのCMも製作された。
全国ネット進出当初はタケダ[1][2]の一社提供。中期はタケダと複数スポンサー提供となり、末期はタケダが降板[3]し、シマヤを筆頭とした複数スポンサーでの提供番組となった。
出演者
司会
出題ナレーター
- 松本洋子 → 寺嶋千恵子 → 中村友美
アシスタント
- 不明 → 田口美幸 → 岩崎ちひろ
番組構成
- 45分番組時代は序盤戦 → CM → 中盤戦 → CM → 終盤戦で構成。
- 30分番組となってからは前半戦 → CM → 後半戦で構成。
- オープニングの際、乾が「皆さん、今晩は。日曜の夜(「今晩は。日曜の夜」の部分は全国ネット化以後)いかがお過ごしでしょうか。クイズとサイコロでお楽しみ頂いております(前半戦あとのCM明けでも言う)(タケダ一社提供時代は「武田薬品提供」と言う)世界一周双六ゲーム、司会の乾浩明です。どうぞよろしくお願いします。(次に出題者、アシスタントが挨拶する)この番組は4人の解答者がクイズを競っていただきまして、正解者にはサイコロを振っていただきます[4]。サイコロの出た目の数だけ世界の各都市を回っていただくと、こういう番組でございます。そして首尾良くゴールインした方には、ハイ!」と言ったあと、出題者がアメリカ西海岸旅行を紹介して、乾が順位別の賞金と今週の「ガックリ都市」の箇所を紹介する。
ルール
- 早押しクイズで解答権を得て乾が色の名前(「赤!!」というように。ただし、当初は名前で指名していた。また、解答席は基本的に赤と黄は男性、青と緑は女性の席となった)で解答者を指名してクイズに解答後、正解・不正解に関わらず電子サイコロを操作し、出た目の数だけすごろく形式の世界地図の50都市を進んでゴールを目指した。正解はサイコロの出た目の数だけ進んだが、逆に不正解の場合は出た目の数だけ下がった。ただし、不正解で戻ったにもかかわらず、飛行機に乗れる都市へ戻ったために、逆に前進するケースもあった。各解答者席の左下に進んだマスのカウント(0-50を電光表示)、右下に現在位置の表示(鉄道などで用いる反転フラップ式案内表示機。ソラリーとも言う。俗にいう「パタパタ」)をしていた。なお、問題文が途中だった場合は、出題者が解答した後に残りを読んだ。なお、現在の『パネルクイズ アタック25』(1994年3月6日放送分から採用開始)にあるような、画面下部への「答:○○××」の字幕スーパーは一切表示しなかった。
- 世界地図を模したセットのゴール付近の真下に、長四角の枠に沿って123456の目が各4つずつ並べられたルーレット型の電光サイコロが配置されており、解答者はこれを見ながらボタンを押してルーレットを止めた(解答席のモニターを見て止めることはできない)。その際、解答者の顔を映した映像を枠の中に合成した画面が映し出され、その映像の隅を1 - 6の出目が高速で時計回りに移動していた。タイミング良くボタンを押せば狙った目に止める事が出来る。そのため、完全な運任せではないが、緊張と電光サイコロが超高速(一周0.8秒)のため、上手くいかないことが多かった(もちろん上手くいく者もいた)。電光サイコロを振る前に乾がどこで止めなければいけないかを的確にアドバイスしていた。
- 問題文を読み上げている途中で解答した場合は解答後に問題文の続きが読まれるが、途中でもあと少しで問題文を読み終わるところで解答した場合は続きは読まれない。
- 毎回、50都市のうち3都市に「ラッキー都市」(赤い丸型電光で表示)が配置され、ここに止まると賞品が獲得できた。同じく3都市に「ガックリ都市」(紫の六角形型の電光で表示)が配置されており、ここに入るとスタート(東京)に戻された。
- 同じ朝日放送の『パネルクイズ アタック25』や『三枝の国盗りゲーム』は解答席の色によって効果音が違っていたが(アタックは早押しとパネル獲得の音、国盗りは領地獲得の音)、この番組では色の区別無く同じ効果音が使われた。
- 正解して他の解答者と同じマスに止まった場合にはファンファーレが鳴りさらに6マス進む。上手くいけば1問で最高24マス(サイコロで6を出して別の解答者のマスに止まり、以降は飛び石の様に、他2人の解答者のマスに止まる。オーロラコースを併用すれば1問で最高40マス前進できる[5]。)、飛行機を利用すればさらに前進できる可能性がある。逆に不正解で同じマスに止まった場合には「ボヨーン」という間が抜けたBGMが鳴り、逆に6マス戻った(全国ネット化以降)。前進、後退に関わらず、移動した先に他の解答者のコマや飛行機、「ラッキー都市」や「ガックリ都市」があった場合、乾のアドバイスによりその指示に従った。
- ローカル時代前期は、先にそのマスにいた人が、後から来た人が移動してそのマスから離れるまで解答権が無かった(3人以上が重なった場合は、後に入った人から出て行かなければならなかった。不正解で戻って他の人と同じマスになった場合は、自分に解答権が無くなった。解答権が無い者は、その間『パネルクイズ アタック25』で不正解した時のようにずっと立っていなければならなかった)。
- ローカル時代後期は、先にいた人が6マス戻るというルールだった。このルールのため、ローカル時代後期は、最初のCM入りあたりまで全員でスタート近くをウロウロしている状態が続いた(中盤戦以降は徐々に進んだ)。後述の「オーロラコース」とともに、全国ネットで30分番組になるのに合わせ、早く前進できるルールに改められた。全国ネット化後の初期は、先にいた人が6マス戻って後から来た人が6マス進むというルールだった。ローカル時代後期に、応募してから出場が決まるまでの間に関西を離れてずっと番組を見ていなかった人が、不正解で他の解答者と同じマスになったら立ち上がってしまって、乾に制止されたこともあった。
- 景品を獲得すると解答者席上に「ラッキー都市」札が置かれる(景品については後述)。また解答者が「ジャスト宣言」を行った場合は「ジャスト宣言」札も置かれる。
- 最後にゴールの東京に戻り「世界一周」を達成すると、天井(解答者席上)に吊るされていたくす玉が割られて紙吹雪が降り(ゴールデンタイム進出後の途中から。紙テープと風船はなし)、日本交通公社のLOOK(現・ルックJTB)による海外旅行獲得となったが(目録代わりにプレートが贈呈された)、ローカル放送の時代、ノーマル(ゴールに必要な出目の数字以上)の場合はハワイ旅行、「ジャスト宣言」(これについては後述)をしてゴールに必要な出目と同じ数字のサイコロを振れば(オーバーした場合はその分戻された)、アメリカ西海岸旅行がペアで獲得できた。「ジャスト宣言」せずにジャストでゴールした場合はアメリカ西海岸旅行1人。全国ネット化後はアメリカ西海岸旅行に統一されたが、「ジャスト宣言」しなかった場合には1人のみ、「ジャスト宣言」して成功すればペア分を獲得できた。後期はゴールして海外旅行を獲得した場合、解答者の座っている色で「西海岸旅行決定」(ジャスト宣言ゴールの場合はこれに「ペアで」の文言が付く)というテロップが表示された。
- ゴールの際に流れるファンファーレは以前に放送されていた「メナード・メロディアタック」での海外旅行獲得クイズ・ダイヤモンドチャレンジでクリアした時をショートバージョンに仕立てたものでその後、同局のローカル番組「娘100人ムコ6人?」でオーストラリア旅行獲得成功のときにも使われていた。
- ゴールを決めて海外旅行を獲得した場合、司会者席と解答者席の間のステージで世界地図をあしらったパネルのバックは一瞬だけそのゴールした解答者の色に変わり(パネルのバックは水色で、青の場合は濃い青が使われている。ラッキー都市に入った場合も同じ様に変わる)、さらにその解答者が目録(プレート)を受ける際、ゴールのランプから画面を引いた上で解答者と同じ4色のバックラインを虹色のように見せる演出があった。
- 後期にはアメリカ西海岸旅行であるのに、ハワイのレイをかけられた。
- 解答者の1人がゴールしても時間が余った場合には他の解答者でクイズとゲームは続行するため、1回の放送で旅行獲得者が2人以上出たこともあった。そのため、ゴールインした解答者を専用席へ誘導させた後、乾は必ず、「時間はまだまだありますので、問題の方を続けてまいりましょう!」とのセリフで進行した。
- なおスタートの東京からゴールまでに理論上必要な最低正解数は3問であるが、以下の条件がある。この場合、ガックリ都市は考えないものとする。
- 賞金は長らく到着都市番号(0-50)×2000円だったが、タケダがスポンサーを降りた末期は1位20万円、2位10万円、3位5万円、4位はゼロだった。なお、末期の途中で順位を示す表示灯(1位のみ周りの赤ランプ点灯)が解答席に設置された。
- 鐘の音が鳴ると、時間が一杯になったことを告げて最終問題に突入した。
主なクイズコーナー
- 「人物クイズ」(前半戦途中 2回サイコロを振る。なお乾が正解について確認していたときは「問題を振り返ってみます」と言っていた)
- 「HIROくんのちょっとブレイク」(前半戦最後に出題。なぞなぞ問題が2問、後に音楽問題2問、写真問題1問がこのコーナーに内包された)
- 「ラッキーチャンス」(後半戦1問目 正解・不正解にかかわらず、解答権を得た解答者は2回サイコロを振る)
- また、「ラッキーチャンス」とは呼ばれなかったが、末期には最終問題も2回サイコロを振ることが出来た。
- 「世界一周地理クイズ」(2回サイコロを振る。途中で廃止)
- 「漢字クイズ」(後半のラッキーチャンスから少しして出題)
- 曲のタイトルを使って文章を作り、歌手やグループ名を当てる問題(『パネルクイズ アタック25』でも出題されている問題)
- なぞなぞの問題では、「双六はそろそろヤメにしようと話していたら、今度はカルタを持ち出してきた東南アジアの町はどこでしょう?」(正解「ジャカルタ」(じゃあカルタ))などダジャレ系の問題が出題された。また番組が用意した正解と異なっても正解になることがあった。「いつも巣がぎゅうぎゅうになっている鳥は何でしょう?」という問題(正解「コンドル」(混んどる))で、「スズメ」と答えた解答者に不正解のブザーの後で理由を聞き「巣に詰めてるから」と答えると、「おもろい!正解にしよ!」と乾の裁量で正解になった。乾は問題に入る前に「ダジャレ、ひらめきでいきましょう!難しく考えないようにね」と言った。
本番組の司会の特徴
- 本来は基本的に標準語を話さなければならないはずであるアナウンサーながら、まるでタレントのような乾の出場者への大阪弁のツッコミや、独特の強引な司会進行ぶりが笑いを誘うのが特徴であった。
- そのため、解答者の中にはサイコロを振る時、乾のツッコミの影響で緊張してしまい、サイコロを止めるスイッチを押すところを、誤って解答用の早押しボタンを押して収録会場内が爆笑になったこともあった。
- その一方で、解答者へのアドバイス(「サイコロでどの目を狙うのがよいか」など)では、即時に計算し正確かつ的確に行うなど、解答者を応援する姿勢を明確にしていた。
- 司会の乾は同局制作のクイズ番組『霊感ヤマカン第六感』にも解答者として出演しており、霊感ゲームの問題で乾に対して「双六」が出題された。
双六のルート
- ルートの都市名は番組内の表記と同じものとする。第1回から最終回までルートは同じであった。解答者席の表示はソウル以外、全て黒に白文字。東京から西回りのルートで進行する。
- 東アジア
- 0…東京 (テンプレート:Flagicon 日本)(スタート)
- 1…ソウル (テンプレート:Flagicon 韓国)(このマスのみ全国ネット化後の解答者席の表示は白に黒文字) →オーロラコース:次回の出目 1 で29.モスクワへ飛べる(全国ネット化後のみ)
- 2…ウランバートル (テンプレート:MNG1949)
- 3…北京 (テンプレート:Flagicon 中華人民共和国)
- 4…上海 (テンプレート:Flagicon 中華人民共和国)
- 5…ホンコン (番組放送当時テンプレート:Flagicon イギリス領・現中国領テンプレート:Flagicon 香港特別行政区)
- 6…マニラ (テンプレート:PHI)
- オセアニア
- 7…グアム (テンプレート:Flagicon アメリカ領) →飛行機で11.ジャカルタへ
- 8…ウェリントン (テンプレート:Flagicon ニュージーランド)
- 9…シドニー (テンプレート:Flagicon オーストラリア)
- 10…パース( テンプレート:Flagiconオーストラリア)
- 南アジア
- 11…ジャカルタ (テンプレート:Flagicon インドネシア)
- 12…シンガポール (テンプレート:SIN)
- 13…バンコク (テンプレート:Flagicon タイ)
- 14…コロンボ (テンプレート:SRI) →飛行機で21.アジスアベバへ
- 15…ニューデリー (テンプレート:Flagicon インド)
- 中東
- 16…カブール (テンプレート:Flag2)
- 17…テヘラン (テンプレート:IRI)
- 18…アンカラ (テンプレート:Flagicon トルコ)
- 19…カイロ (テンプレート:Flagicon エジプト)
- 20…リヤド (テンプレート:Flagicon サウジアラビア)
- アフリカ
- 21…アジスアベバ (テンプレート:Flag2)
- 22…ナイロビ (テンプレート:Flagicon ケニア)
- 23…アンタナナリボ (テンプレート:MAD)(なお放送開始当初は「タナナリブ」だったが、視聴者の投書によって改められた)
- 24…ケープタウン (テンプレート:ZAF1928)
- 25…アクラ (テンプレート:Flagicon ガーナ)
- 26…カサブランカ (テンプレート:Flagicon モロッコ) →飛行機で33.モントリオールへ
- ヨーロッパ
- 27…ローマ (テンプレート:Flagicon イタリア)
- 28…ウィーン (テンプレート:Flagicon オーストリア)
- 29…モスクワ (番組放送当時テンプレート:URS・現テンプレート:Flagicon ロシア)
- 30…ストックホルム (テンプレート:Flagicon スウェーデン)
- 31…ロンドン (テンプレート:Flagicon イギリス)
- 32…パリ (テンプレート:Flagicon フランス)
- 北アメリカ東部
- 33…モントリオール (テンプレート:Flagicon カナダ)
- 34…ニューヨーク (テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国)
- 35…シカゴ (テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国)
- 36…ニューオーリンズ (テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国)
- 37…ハバナ (テンプレート:Flagicon キューバ)
- 南アメリカ
- 38…カラカス (テンプレート:Flagicon ベネズエラ)
- 39…リオデジャネイロ (テンプレート:BRA1968)
- 40…ブエノスアイレス (テンプレート:Flagicon アルゼンチン)
- 41…ホーン岬 (テンプレート:Flagicon アルゼンチン・テンプレート:Flagicon チリ)(このマスのみ都市名ではなく観光地名である)
- 42…サンチアゴ (テンプレート:CHI)
- 43…リマ (テンプレート:Flagicon ペルー)
- 北アメリカ西部
- 44…パナマ (テンプレート:Flagicon パナマ)(このマスから後述するジャスト宣言の申告が可能となる)
- 45…メキシコシティー (テンプレート:Flagicon メキシコ)
- 46…ロサンゼルス (テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国)
- 47…バンクーバー (テンプレート:Flagiconカナダ)
- 48…アンカレジ (テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国)
- 49…ホノルル (テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国)
- ゴール
- 50…東京 (テンプレート:Flagicon 日本)(末期はゴール表示であった)
50都市選定には、冷戦時の世界情勢や民族対立を考慮し、番組スタッフらも相当慎重だったという。
特別マス
- 「飛行機」(全3か所)
- 7番グアム、14番コロンボ、26番カサブランカのマスにそれぞれ設定されていた。このマスに止まった解答者は、7番グアム→11番ジャカルタ、14番コロンボ→21番アジスアベバ、26番カサブランカ→33番モントリオール、とそれぞれ自動的に移動できた。不正解の時にも適用されるため、クイズに不正解だったが飛行機を使い結果として前進、というケースも度々見られた。
- 全国ネット化以降しばらくして、後述の「ガックリ都市」が3か所となった際、飛行機に搭乗できる都市に止まるとサイコロの「振り直し権」が獲得でき、後にガックリ都市のマスに止まる数字を出してしまった際、一度だけ振り直すことが可能となった。振り直し権の目印は、解答者席の机上に電照式のサイコロ形の置物が置かれ、内蔵のランプが点灯すると振り直し権取得を意味していた。ただし、後にこれも後述するガックリ都市のうちの1つが、15番ニューデリー - 25番アクラ間に移された際に廃止された。
- 「ラッキー都市」(全3か所)
- 赤丸の縁取りのマス。このマスに止まった時に、景品を獲得できる。景品はシャープ製等の家電品・スーツケース(旅行カバン)・カメラ(コダック(当時は長瀬産業の事業部)のディスクカメラもあった)・腕時計・SSKスポーツ品のジャージなど多種多様であった。景品は同じマスに何度止まっても同じ景品ではあるが獲得することができる[6]。
- また3か所の「ラッキー都市」の景品は、それぞれ別々に設定されている。場所は毎回移動するが、ある程度の傾向があり、特に10番パースはラッキー都市の常連だった。クイズが不正解なのに獲得したケースも「飛行機」同様に見られた。その際に出題者は「おめでとうございます。○○さんには××を差し上げます。どうぞ、お持ち帰り下さい」とコールするお約束事があった。なお3番目のラッキー都市は、2番目または3番目のガックリ都市の前後1マスに設定されていた。例として、37番ハバナと40番ブエノスアイレスがガックリ都市の場合は、36番ニューオーリンズ・38番カラカス・39番リオデジャネイロ・41番ホーン岬のいずれかがラッキー都市だった。
- 最終回では10番パース、19番カイロ、31番ロンドン、39番リオデジャネイロの全4か所に設定されていた。その最終回で、赤の解答者は3回もラッキー都市に入り(パースに2回、ロンドンに1回)、10番に再び入った時の乾は「持って帰るんやったら、何ぼでも持って帰って。こうなったらな」と言った。
- 「ガックリ都市」(ローカル放送時は1か所→2か所、全国ネット化以降は2か所→3か所)
- 紫色の六角形で縁取られているマス。番組当初は「動乱の都市」といわれた。このマスに止まると、自動的にスタート位置(0番東京)に戻されてしまう。場所は毎回移動するが、大抵は後半のマス部分に有り、3番目の「ラッキー都市」の隣とその前後3マスに必ず設定されていた。なお、中期においては振り直し権があったため、南北アメリカに2マス空けて3か所並びの場合があった。サイコロを振って入る可能性があると、「ガックリ都市」の電飾がゆっくり点滅し、警告していた。
- 全国ネット化されてからは、乾がオープニングで解答者の紹介前に、「一番嫌な所、ガックリ都市です。例によって2つ(3つ)あります」とコールし、その後すぐに設定された都市の紹介をするお約束事が有った。
- ガックリ都市に指定されたマスは、大抵が35番シカゴ - 43番リマの間であった。特に35番シカゴ・38番カラカス、又はカラカス・41番ホーン岬か、37番ハバナ・40番ブエノスアイレス、又はブエノスアイレス・43番リマの組み合わせが多かった(ただし、36番ニューオーリンズ・39番リオデジャネイロ、又はリオデジャネイロ・42番サンチアゴの組み合わせは、26番カサブランカから飛行機で33番モントリオールに到着後、他解答者と居るマスと重複して6マス進んだリオデジャネイロで、東京に戻されるので設定しなかった)。
- なお、中期においては飛行機に乗るとサイコロの振り直し権があったため、南北アメリカに2マス空けて3か所並びの場合があった。その3か所のガックリ都市は、シカゴ・カラカス・ホーン岬か、ハバナ・ブエノスアイレス・リマの組合せが殆どだった。そのため振り直し権を獲得しないと結構厳しい配置だった。
- カラカスとホーン岬がガックリ都市だった翌週は、どちらかがラッキー都市になっていることが多かった。
- 1985年4月からは35番シカゴ - 43番リマ間のガックリ都市は2か所となって残り1か所のガックリ都市は15番ニューデリー - 25番アクラ間に設定されたが、15番ニューデリー - 20番リヤド間に設定されるのが多かった。特に16番カブールと19番カイロがガックリ都市の常連だった。
- 解答者の中には、1回の放送で2回もガックリ都市に止まった者や、またガックリ都市に止まり振り出しに戻ったにもかかわらず、最終的にゴールした者もいた。さらに関西ローカル時代の頃には、2回ガックリ都市に止まりながらも最終的にゴールした者も稀にいた。
- (実例)1985年放送で黄色の解答者が2回ガックリ都市に入り東京にされてしまったが、ゴールできた。その日は解答者全員が男性だった。
- 他解答者の居るマスと重複して、それから6マス先がガックリ都市に入ってしまう回も存在した(この時乾は「ちょっと待った、これはいかんで!」と言っていた。中にはマスが進む最中後から乾のアドバイスのミスに気付いて、ガックリ都市に入ってしまった後で乾が「ごめんね」と謝る一幕もあった)。
- (実例)1986年放送で最初に赤の解答者(岡山県在住の女性)が6番マニラから、さらに緑の解答者(福岡県在住の女性)が9番シドニーから12番シンガポールで黄色の解答者(神戸市在住の女性)と重複後、6マス進んだらガックリ都市の18番アンカラに入り東京に戻されてしまった。
- (実例)最終回では赤の解答者がラッキー都市の10番パースに入ったが、緑の解答者(大阪府在住の女性)がいたため6マス進んだ結果、ガックリ都市の16番カブールから東京に戻された。その時乾は解答者に「おめでとう」と言った(その赤の解答者は最終的に「トップ賞」を獲得)
- 「オーロラコース」(全国ネット化以降)
- 1番ソウルに設定されている、虹色で縁取られた丸いマス。ここに止まった際、次回以降の問題で正解してサイコロを振り 1 を出せば、29番モスクワまで移動できる。ただし、1 以外のサイコロの目(2 - 6)の時は、何度正解しても移動せずずっとソウルに留まったままとなり、有る意味酷なマスとも言える。不正解時には自動的に振り出し(0番東京)に戻された。
- なお、1番ソウルのマスに既に他解答者と重複した場合は、0番東京からの前進時なら6マス進んで7番グアム→飛行機に乗って11番ジャカルタに到着となる。逆に不正解で後退時なら振り出しに戻された。つまり、「オーロラコース」に挑戦出来るのは1人だけである。
※その他に特番だけであったが、そのマスに止まると簡単な罰ゲームが課せられる「ドッキリ都市」も存在していた。赤い紅葉を模った縁取りのマスである。
ジャスト宣言
- 番組開始当初には存在していなかったが、のちに「ジャスト宣言」ルールを追加した。これはゴール(50番東京)の手前6マス以内(44番パナマ - 49番ホノルルの間)に、解答者のコマが進んだ場合適用されるルールである。この時、乾が「さぁゴール手前に入りましたでぇー!!ジャスト宣言できますがどないしますか!?」と解答者に聞く。なおこの時に宣言しなくても、ゴール手前6マス以内であればいつでも「ジャスト宣言」はできるが、一度申告した「ジャスト宣言」は取り消しできない。
- 宣言した場合には「ジャスト宣言」札が解答者席上に置かれ、ゴールを超える分のサイコロの数についてはその分がゴールから戻される。ゴールできるとペアでのアメリカ西海岸旅行が獲得できた。特にゴールの3マス手前に位置していた47番バンクーバーで、「ジャスト宣言」を申告する解答者が多かった。また、「ジャスト宣言」制定までは「ジャスト賞」があったが、すぐに無くなった。
- また例外として、44番パナマから49番ホノルルまでの都市に誰か入っていて、他の者が初めて同じマスに正解で入った場合は、「ジャスト宣言」することなく強制的にゴールとなった。この場合、アメリカ西海岸旅行はジャスト宣言していない場合と同じく、1人分のみ獲得となる。
- (実例)1985年秋の放送では前半戦で振り出し(0番東京)にいた赤の解答者は後半最初の「ラッキーチャンス」で2回連続して6を出し、その次2問も連続して正解し、かつ1を連続して出し、14番コロンボ→飛行機で21番アジスアベバに到着した。だが、この場所に緑の解答者が先客でいたため、さらに6つ先に進んで27番ローマへ到着。しかし、そのローマにも青の解答者がいたため、3問連続正解(サイコロ4回)ながらも、一気に33番モントリオールまでたどり着いた。
- しかし、前半戦で10番パースにいた黄色の解答者が正解し、その時に4を出した。するとまず14番コロンボ→飛行機で21番アジスアベバ→緑先客でさらに27番ローマへ→青先客でさらに33番モントリオールへ→さらにまたも赤が先客だったので39番リオデジャネイロに飛び込み、1問正解・1回のサイコロで一気に逆転に成功する。
- その後しばらくして、モントリオールにいた赤が正解し、6を出して今度は黄色が先に着いていたリオデジャネイロに到着したため、さらに6つ先の45番メキシコシティーに着いた。
- さらに1問挟んでリオにいた黄色が正解。その黄色も6を出したが既に6つ先・メキシコシティーに赤がいたため、さらに先へ進みジャスト宣言無しで一気に世界一周のゴールにたどり着いた。後半わずか2問の正解・2回のサイコロで飛行機や先客追い抜きのルールをうまく利用してゴールした珍しいケースでもある。
- 1986年2月の放送では、青の解答者(神奈川県在住の女性)は47番バンクーバーでジャスト宣言をせずに3を出し、50番東京にゴールした。その際に、乾に「おっと!ジャスト入ってたのにぃ…」「一発で入ってたのにぃ…」と突っ込まれた。赤と緑の解答者がガックリ都市のアンカラに入ったのも同じ回だった。その日は解答者全員が女性だった。
- 正解が多かった解答者の中には、全国ネット化以降はCMに入る前の前半戦の内にゴールできた者も稀にいた。また、関西ローカル時代にあった中盤戦でゴールを達成した者もごく少数ながらいた。
- 1回の放送で2人以上ジャスト宣言をしてゴールした回もあった。
トップ賞・トップゴールイン賞
- 番組開始当初より「トップ賞」があった。ただし、誰もゴールできなかった場合のみに限り、解答者の座っている色で「今週のトップ賞」というテロップが表示され、最高成績をあげた解答者に贈られていた。
- 45分番組時代の全国ネット格上げ前の頃の「トップ賞」はサイコロの目ごとに景品が設定され、獲得した解答者が電動サイコロを振って決めていた。しかし全国ネット化された際に「トップ賞」はダイヤモンドの指輪のみになったためサイコロの目による景品設定は廃止された。また番組開始当初は「トップゴールイン賞」が存在した。この賞品はトップでゴールした解答者に限り、旅行の副賞として「グローバル時計(世界時計)」が贈られた。のちに「トップゴールイン賞」は廃止となった。
- ゴールインした解答者がいた場合は、「トップ賞」の賞品は「視聴者プレゼント」(当時クイズ番組では一般的に存在していた)に回された。この場合、全国ネット化前は司会者の乾がゴールインした解答者席に行ってサイコロを振って決めていた。このときの進行は出題者の松本が担当した。これも全国ネット化以降は指輪となった。応募は今週の「ガックリ都市」のマスに書かれている3か所の地名のうち1か所を葉書に書いておくことが条件だった(ただし、全国ネットセールス化後も、系列外など遅れ放送となった地域では「この地域ではプレゼント募集は行っておりません」と表示された局があった)。
主な特集や大会
- 「芸能人大会」
- 「美人アナウンサー大会」 - 1983年6月5日に放送、翌年以降も放送された可能性あり。1983年の場合、製作局の朝日放送からは永井由起子[7]、テレビ朝日からは堀越むつ子が出場。
- 「人気漫才大会」 - 1983年7月10日放送。オール阪神・巨人、明石家さんま・島田紳助、ゆーとぴあ、レツゴー三匹が出場したものの、サイコロの目の狙いすぎか、あまり前進しなかった。
- 「夏休み小学生大会」 - 1983年8月14日に放送、翌年以降も放送された可能性あり。全国の小学生が解答者となる夏休み特別企画。司会者・スタッフ・出場者全員が、番組ロゴ入りのオリジナルTシャツを着用していたが、ゴールインしても贈呈される賞品はアメリカ西海岸旅行ではなく(これは旅行自体が大人向けのメイン賞品であるため)、ラッキー都市に止まった際にもらえる賞品と同じ賞品に差し替えられていた。ジャスト宣言のルールは通常ルールと同じ。
- 「正月大会」 - 1984年に『三枝の国盗りゲーム』と合同で行われた特番。芸能人カップルが参加。全問サイコロが2回振れる特別ルールだが、6か所ほど「ドッキリ都市」と呼ばれるスペシャルポイントが設けられ、ここに止まると罰ゲームを受けなければならなかった。
- 「大学生大会」
- 「ガックリさん大会」 - ガックリ都市に止まって振り出しに戻った出場者のリベンジ大会。
なお、現在の『パネルクイズ アタック25』にある「高校生と高校教師の対抗戦」(1997年8月31日放送分で新設・初登場)や、毎年9月第2 - 3日曜日[8]にある「熟年(60歳以上)大会」、そして毎年12月最終放送日に行われている成績優秀者を選抜して寄せ集めた「チャンピオン大会」は、本番組では一度も行われなかった。
ゴールインした芸能人・著名人
最終回
最終回で行われたのは「ダブルガックリさん特集」で、それ以前に行われた「ガックリさん大会」でさらにガックリ都市に入った出場者が登場した回だったが、ガックリ都市に3回ハマり(うち2回は、1人の解答者によるもの)、誰もゴール圏内に入ることができず、有終の美は飾れなかった。エンディングでは乾、出題者の中村、アシスタントの岩崎が大きく手を振りながら締めくくり、最後に「長い間、ご支援いただきありがとうございました」のテロップを表示した。
スタッフ
- 構成:池田幾三
- 音楽:奥村貢
- 問題作成:鈴木マンペイ、秋田千吉、吉田清、青木一郎、平岡麿紀子、武枝幸子、元生茂樹
- 美術制作:野田和央
- デザイン:好宮靖範
- ディレクター:山村啓介
- プロデューサー:松田和夫
- 制作協力:大阪東通(現・関西東通)
- 制作著作:ABC
放映ネット局(全国ネット昇格後)
○はローカル時代に放送していた局。系列は当時の系列。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | ネット形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|
近畿広域圏 | 朝日放送 (ABC) |
テレビ朝日系列 | 製作局 | |
関東広域圏 | 全国朝日放送 (ANB) |
同時ネット | 現在のテレビ朝日(EX)。 | |
北海道 | 北海道テレビ放送 (HTB) |
○[9] | ||
宮城県 | 東日本放送 (KHB) |
|||
山形県 | 山形放送 (YBC) |
日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
○[10] | |
福島県 | 福島放送 (KFB) |
テレビ朝日系列 | ||
新潟県 | 新潟テレビ21 (NT21) |
1983年10月開局から、現在の略称はUX。 | ||
長野県 | 信越放送 (SBC) |
TBS系列 | 遅れネット | 日本テレビ系列とテレビ朝日系列の クロスネット局・テレビ信州(TSB) での放送実績はなかった。 |
静岡県 | 静岡県民放送 (SKT) |
テレビ朝日系列 | 同時ネット | 現・静岡朝日テレビ(SATV) |
中京広域圏 | 名古屋放送 (NBN) |
○[11]、現在の名古屋テレビ放送。 | ||
富山県 | 富山テレビ放送 (T34) |
フジテレビ系列 | 遅れネット | 現在の略称はBBT。 |
福井県 | 福井放送 (FBC) |
日本テレビ系列 | ||
島根県 鳥取県 |
山陰中央テレビジョン放送 (TSK) |
フジテレビ系列 | [12] | |
広島県 | 広島ホームテレビ (UHT) |
テレビ朝日系列 | 同時ネット | ○[13]、現在の略称はHOME。 |
山口県 | 山口放送 (KRY) |
日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
遅れネット | [14] |
香川県 岡山県 |
瀬戸内海放送 (KSB) |
テレビ朝日系列 | 同時ネット | ○[15] |
愛媛県 | 愛媛放送 (EBC) |
フジテレビ系列 | 遅れネット | 現在のテレビ愛媛[16]。 |
福岡県 | 九州朝日放送 (KBC) |
テレビ朝日系列 | 同時ネット | ○[13] |
鹿児島県 | 鹿児島放送 (KKB) |
|||
沖縄県 | 沖縄テレビ放送 (OTV) |
フジテレビ系列 | 遅れネット | 1984年4月から[17]。 |
番組関連商品
- 1983年、タカラ(現・タカラトミー)よりボードゲーム『TV双六ゲーム』が発売された。全国ネット化以前には、視聴者プレゼント用の非売品として『双六ゲームセット』(正式名は不詳)が作られていた。番組中の世界地図パネルを模したシートのほか、ラッキー都市とガックリ都市を任意に設定して遊ぶためのリング(プラスチック製)、サイコロなどが付属していた。
脚注
- ↑ 前番組『三角ゲーム・ピタゴラス』の流れを汲み、19:00の時報の後、タケダの歌(オープニングキャッチ)が流れた。タケダと複数スポンサー提供になってからオープニングキャッチは無くなった。
- ↑ 司会者席の上に「タケダ」のロゴとマークが付いていた。
- ↑ 降板後の日曜19:00 - 19:30におけるタケダ一社提供枠は1992年4月からTBSへ移行し、『さんまのからくりTV』→『さんまのSUPERからくりTV』(『SUPERからくりTV』の一社提供は前半のみ)の一社提供を2007年3月まで続けた。また、TBSは、かつてタケダ一社提供枠である『タケダアワー』を日曜 19:00 - 19:30に放送していた。
- ↑ 実際には解答権を得た解答者が正解・不正解にかかわらずサイコロを振ったため、不正解だった時には出た目の数だけ後退した。
- ↑ 1番ソウル → オーロラコースで29番モスクワ → 35番シカゴ → 41番ホーン岬。
- ↑ 公正取引委員会の通達に基づき、100万円から賞金を差し引いた額まで獲得可能。なおゴールインの場合はさらに旅行代金相当額を差し引いた額までの獲得となる。
- ↑ 1983年当時は、製作局アナウンサーの自局クイズ番組の出場禁止の取り決めは無かったと推測される。現在は、『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレビ朝日)等スポンサー提供賞品や賞金など個人への授与がない番組に限って制作局のアナウンサーが出演する場合が見られる。
- ↑ 原則として敬老の日に最も近い日曜日を放送日に極力充てるようにしているが、実際の放送日をどう決めるかはスタッフなどの裁量に委ねられている。
- ↑ ローカル時代にも時差ネットで土曜 11:00 - 11:45に放送(1982年4月10日 - 1983年3月5日)。
- ↑ その後、1993年3月に山形テレビ(YTS)のネットチェンジに伴い現在は日本テレビ系フルネット局。
- ↑ ローカル時代にも時差ネットで金曜 10:30 - 11:15 (1980年7月11日 - 1981年3月27日)、土曜 7:45 - 8:30 (1981年4月4日 - 1982年3月27日)に放送。
- ↑ スポンサーも差し替え。ローカル時代には日本テレビ系列の日本海テレビジョン放送(NKT)で時差ネットで放送されていた。
- ↑ 13.0 13.1 ローカル時代にも時差ネットで放送。
- ↑ 武田薬品一社提供時にはスポンサードネット、複数社提供時にはスポンサーを差し替え。
- ↑ ローカル時代にはABCとの同時ネット。
- ↑ CM枠もオールスポット扱い。
- ↑ 武田薬品一社提供時にはスポンサードネット、複数社提供時には武田薬品のみスポンサードネットであとはローカルスポンサー(一部CMは差し替え)。