新千歳空港

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:Infobox 空港 新千歳空港(しんちとせくうこう、テンプレート:Lang-en-short)は、北海道千歳市苫小牧市にまたがる空港である。国際航空輸送網または国内航空輸送網の拠点となる空港として空港法第4条1項5号に該当する空港として政令で定める空港に区分されている。空港ターミナルビルは千歳市に位置する。

概要

航空自衛隊と民間航空機が共用していた千歳飛行場(千歳基地、旧「千歳空港」)は東京国際空港線を抱えており、この路線は1978年に旅客数世界最多となった。千歳空港は事実上北海道のハブ空港として機能する一方、ソ連機の領空侵犯による航空自衛隊機のスクランブル出動が年間200回にも及ぶ状態で、それらが滑走路1本で共存するという綱渡りの運用が続いていた。スクランブル発動時、民間機は地上や周辺空域での待機を余儀なくされ、長い場合は30分程度にも及んだ。こうした安全・防衛上の問題から隣接地に新千歳空港の建設が始まり、3,000 mの平行滑走路を2本持つ、日本で初めて24時間飛行機の離着陸が可能な空港として1988年(昭和63年)に開港した。

北海道内にある空港では最大の規模を誇り、航空自衛隊千歳基地と隣接・接続し、航空管制も航空自衛隊にて一体的に行なわれるなど、日本の防空上の重要な拠点としての意味合いも併せ持つ空港である。空港整備特別会計の空港別の財務状況で、数少ない黒字の空港である。

年間利用客数は、国内17,600,619人、国際1,343,530人(2013年度)[1]。日本国内の空港では東京国際空港、成田国際空港に次いで第3位であり[2]、北海道の空の玄関口として機能している。

滑走路は長さ3000 mのものが2本、ほぼ南北方向に並行して設置されている。原則としてターミナルビルに近いA滑走路 (01L/19R) を離陸用、遠いB滑走路 (01R/19L) を着陸用で使用しており、ILSはカテゴリーIIIbが19Rに、カテゴリーIが01L、01Rに設置されている。滑走路のターミナル側に1本の平行誘導路を有し、滑走路と誘導路は高速脱出誘導路で結ばれている。

国際線ターミナルビルは、2010年3月26日に新ターミナルへ移転開業し、国内線ターミナルビルとは連絡橋で結ばれている。また、誘導路を挟んだ国内線ターミナルの北側には貨物ターミナル(オープンスポット併設)が、国内線ターミナルの南側・国際線ターミナルの北側にオープンスポットがあり、特に冬季間は夜間駐機にも使用されている。

2008年7月の北海道洞爺湖サミットの開催に伴い、新千歳空港にやってくる先進各国の要人用の貴賓室や専用駐機場を新設するなどの工事を行い、各国のVIP機専用の乗降スポット、貴賓室、駐機場の増設(6機分)、構内駐車場(500台分)、各国代表団が構内から直接車で移動できるよう、構内道路の補修などの整備を行った。一部施設についてはサミット終了後に撤去されたが、駐機場などについては、夜間駐機などで2012年現在も使用されている。

2010年春からは、空港の敷地内に高さ8 m以上、縦200 m、横100 mの雪山を造り、ターミナルビルの冷房に活用する。空港の冷房にこれだけの規模の雪を集めるのは世界でも例がないという。ターミナルビル全体でこれまでの重油使用量の3割を賄い、2100 tの二酸化炭素削減が見込まれている[3]

北海道内では比較的降雪の少ない地域に位置しているが、気圧配置や風向きによっては滑走路閉鎖に追い込まれるほどの大雪となる。滑走路を2本有し、1本の滑走路を路面検査を除き20分程度で完了可能な国内最大規模の除雪体制をとっているため終日麻痺することは稀だが、滑走路閉鎖ならびに出発機材の除氷液の効果切れ・再塗布(デアイシング)による大幅遅延の影響が全国に波及することもある。このうち後者の影響を軽減するために、2010年12月に国内線ターミナル - 滑走路南端(01L、01R)の中間地点にデアイシング専用スポットを1機分設置・運用開始した[2]。また、2011年度に更に1機分設置された。

路線展開

2012年現在、道外から北海道に入るには空路がもっとも効率的な交通手段であることから、季節運航も含め30路線以上の国内線ネットワークを持ち、北海道の空の玄関となっている。とりわけ東京国際空港(千歳 - 羽田)便は現在、日本航空(JAL)・全日本空輸(ANA)・AIRDO(ADO)・スカイマーク(SKY)の4社が競合し、2006年には単一路線としては世界で初めて年間乗降客が1,000万人を突破した[4]。近年、利用者数は減少に転じているものの、直近でも年900万人以上の利用がある世界一の巨大幹線である。

国際線は2012年12月現在、運休中・定期チャーター便を除き12社により10路線が運航されている。チャーター便を含む利用者は2007年に年間80万人、2012年には年間100万人を突破している。最近はアジア圏の北海道ブーム等により、既存路線の増便や新路線開設の動きが活発になっている。以前のようなヨーロッパオーストラリアへの定期長距離路線はないものの、ハワイへの路線復活や東南アジアへの新路線開設など新たな動きも見せつつある。

格安航空会社(LCC)は、2012年8月現在で国内拠点3社、海外拠点1社が就航している。特に国内LCCはすべての会社が就航しており、成田国際空港や関西国際空港との国内路線を運航している。海外LCCも複数の会社が就航検討中との報道もあり、今後就航の動きが活発化する可能性もある。この動きを受けて、空港ビル会社の子会社によるグランドハンドリング業務実施など、海外LCCに対する空港側の環境整備も進みつつある。

貨物便

新千歳空港は、アジア北アメリカとを結ぶ国際航空路上にあり、千歳空港時代から貨物機の給油地として使われていた。航空機の高性能化により、旅客機は地球の反対側まで無寄港の直行便化が進んできているが、重量物を満載した貨物機が東南アジア台湾中華人民共和国からアメリカ合衆国に向かう際は今でも途中で着陸して給油を行う必要があり、極東側では主に新千歳空港やホムトヴォ空港(ユジノサハリンスク)が、アラスカ側ではテッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港フェアバンクス国際空港が用いられる。

特に、アメリカ国内消費の1/3が集中すると言われるクリスマス商戦の頃は、「世界の工場」となったアジア各国からアメリカへと向かう貨物機で混雑する。新千歳空港では、大型貨物機の十分な運用のため、滑走路の3,500 m×2本化を計画し、「国際エアカーゴターミナル構想」を目論んでいるが、空港周辺地区住民の、騒音問題による反対により、計画は凍結されている。

深夜便の運航

新千歳空港は日本で初めて24時間運用を実現した空港である。ただし、深夜時間(22時 - 翌朝7時)の運用は周辺住民との調整により1日6便に限られており、2010年12月現在発着枠は国内旅客便(4便)、国内貨物便(2便・運休日あり)によってほぼすべて使用されている。最近国内深夜貨物便の需要が高まってきていること、元々は上記の国際エアカーゴ構想の一環として貨物便を含む国際線主体を想定した発着枠であることから、深夜発着枠の拡大を行う計画もある。2013年には、30枠程度への拡大計画案が示された。[5]

施設

新千歳空港ターミナルビル

フロア構成

ファイル:Hokkaido New Chitose Airport09s5s4272.jpg
国内線ターミナル(センタービル)内部
4F
  • 国内線 - オアシス・パーク
  • 国際線 - フードコートウイング
3F
  • 国内線 - グルメ・ワールド
  • 連絡施設 - スマイル・ロード
  • 国際線 - 出発フロア
2F
  • 国内線 - 出発ロビー/ショッピング・ワールド
  • 国際線 - 到着フロア
1F
  • 国内線 - 到着ロビー
  • 国際線 - 車寄せロビー
B1F

国内線ターミナル

ファイル:Hokkaido New Chitose Airport03s5s4272.jpg
国内線ターミナル2F JAL出発ロビー
ファイル:New Chitose Airport 001.JPG
レンタカー各社のカウンター
(国内線センタービル1F)

滑走路北端付近の西寄りに位置しており、地上4階地下1階構造である。アメリカテキサス州のダラス・フォートワース国際空港を模した滑走路側に弧を持つ半円周型をしている。開業以来国内線・国際線とも同一建物を使用していたが、2010年3月26日より国際線ターミナルの運用が開始され、国内線専用となった。円弧上に18基のボーディングブリッジが等間隔で並んでおり、大部分がボーイング747型機クラスの大型機も使用可能である。

1階部分が到着ロビー、2階部分が出発ロビーとなっており、地下1階にはJR新千歳空港駅が直結している。出発・到着部は北半分の0 - 10番ゲートをANA・ADO・APJ(Peach)・JJP(ジェットスター・ジャパン)・WAJ(バニラ・エア)、南半分の11 - 19番ゲートをJAL・SKY・FDA(フジドリームエアラインズ)が使用している。ビル内には通常の空港施設以外にも多数の飲食店や土産物屋が軒を連ね、さらにホテルも併設されている。着陸料以外の非航空系の収入については地方空港では那覇空港と並んでトップクラスの収入を記録し続けている。そのため、他の地方空港の関係者による視察が絶えず、中部国際空港も開港に際しては経営モデルとして新千歳空港を参考にしたと言われている。

2010年より、国際線ターミナルとの接続部付近を中心とした増築工事が行われ、2011年7月15日に第1期施設がオープンし、2012年3月16日に全面オープンした。増築工事により繁忙期の出発ロビーの混雑緩和や商業施設の充実が図られるとともに、アミューズメント施設の新設も行われた。

その1つが天然温泉付温浴施設の「新千歳空港温泉」(2011年7月開業時から2014年4月末までは「新千歳空港温泉 万葉の湯」の名で営業)で、ターミナルの一部を常時開放し、午前10時から翌9時までの23時間営業を実施している。これにより、空港内での深夜帯の滞在が前述のホテル以外でも可能となり、入浴や休息のほか、道内遠隔地からの早朝便の利用や、悪天候などでの夜間の欠航の際に一時待機先として選択できるようになった。ただし、定員を超えるとホテル宿泊者を除く一切の入場は無条件で断られる。

ほかにも千歳市内では27年ぶりとなる映画館じゃがポックルシアター」も設置された。この施設も、大規模な欠航が発生した場合に空港側の判断により乗客に開放されることがある。

国際線ターミナル

国際線ターミナルは長らく、現国内線ターミナル北端(0 - 2番ゲート)に併設されていた。しかし、急増する国際線の乗客をさばくための充分なキャパシティを備えていないことに加え、航空自衛隊(防衛省)との空域調整の関係から特定曜日・時間帯に発着便が集中し、搭乗・出入国手続きによるカウンターやロビーの混雑が顕在化していた。

それを改善するべく、地上4階・地下1階・延べ床面積61,000平方メートルの国際線旅客ターミナルビルを建設し、2010年3月26日に運用を開始した[6]テンプレート:出典無効。旧国際線エリアは順次改築の上国内線用に転用され、一部はLCC用エリアとして主にジェットスタージャパンが使用している。

国際線ターミナルは、国内線ターミナルの約300 m西側に位置し、搭乗口は航空自衛隊千歳基地の滑走路に面している。国内線ターミナルとは2011年7月15日にオープンした商業施設を含んだ連絡橋で結ばれており、JRや国内線からの乗り継ぎも容易になっている。5基のボーディングブリッジを有しており、1時間あたり530人、年間100万人の利用客にも十分対応可能な処理能力を持ち、将来的な拡張も可能になっている。将来的には1時間あたり730人程度まで対応可能となる。

2階部分が到着ロビー、3階部分が出発ロビーとなっており、2階、3階部分が連絡橋として国内線ターミナルと接続している。 1階部分はバスやタクシーとのアクセス施設、4階部分は搭乗客向けのフードコートやラウンジが設けられている。 将来構想として、エアポートミュージアムやホテルなどを併設する計画もある。

国際線ターミナル完成後は一部路線の増便が行われ、北海道を訪れる海外観光客の増加が見られた。また、アジア系LCCの定期便就航・チャーター便運航の動きも活発になっている他、ターミナル内案内表示板にはロシア語が併記されているなど、将来的なロシア路線拡張も見込まれている。さらには、欧米方面路線の展開次第では、首都圏(羽田 - 成田)もしくは関西圏(伊丹・神戸 - 関西)で空港間の移動を強いられている地方空港利用者にとって、最寄の空港から当空港乗り継ぎで海外へ向かうルートが便利になる可能性も秘めている。しかし、中国・ロシア等、軍用機が日本の防空識別圏を伺う動き(東京急行など)を行い軍事的緊張関係にある国の航空会社の乗り入れ時間帯制限が、防衛上の観点から冷戦時代以来行われているために、自由なダイヤが組めないなど課題も多い。

ラウンジ・接遇室・待合室

ラウンジ
  • 国際線
    • ロイヤルラウンジ - 4F、カード・有料ラウンジ(全28席)、航空会社専用ラウンジ(全108席)
  • 国内線
接遇室
  • 国内線
    • 接遇室1A - 1F、10席
  • 国際線
    • ハマナス - 2F、8席
    • エゾマツ - 3F、8席
団体待合室
  • 国内線
    • 団体待合室1A - 1F、34席
    • 団体待合室2A - 2F、60席
    • 団体待合室2B - 2F、24席
  • 国際線
    • セタナリア - 2F、80席
    • スズラン - 2F、48席
    • ラベンダー - 2F、48席
    • ライラック - 2F、48席
    • イチイ - 3F、42席
    • シラカバ - 3F、42席

千歳飛行場と新千歳空港の関係

ファイル:CTS airport diagram.png
空港地図
千歳飛行場は新千歳空港の北西
(図の左上)に位置する
ファイル:Chitose Air Base Aerial photograph.1975.jpg
1975年撮影の千歳空港。この画像の撮影当時には新千歳空港はまだ建設されていない。画像中央滑走路の右下(東南方向)に新千歳空港が建設された。1975年撮影の16枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

千歳飛行場(旧・千歳空港)と新千歳空港は、隣接はしているものの、法的には別の飛行場である。しかし、航空自衛隊千歳基地でもある千歳飛行場は現在も共用飛行場となっており、新千歳空港とは誘導路でつながっていて航空機の行き来が可能であり、管制も一括して航空自衛隊が行っている。政府専用機2機の整備、および運用を行う航空自衛隊航空支援集団特別航空輸送隊が置かれている。政府専用機が訓練等で新千歳空港の滑走路を使用することや、冬期の除雪作業などで新千歳空港の滑走路運用が難しい時には、千歳飛行場で民間航空機離着陸が行われることも稀にある。

千歳飛行場側には、滑走路は平行に2,700 mと3,000 mの2本がある。後者は900 mの過走帯があり、実質4,000 m級である。新千歳とあわせて4本の滑走路があり、これらはほぼ並行している。2本ずつ同じ方向に隣接した滑走路は、パイロットからも混同される場合がある。大事には至っていないものの、空港北側からアプローチする場合を中心に、千歳飛行場との滑走路の誤認が、2006年までの3年間に11件発生しており、その対策が課題となっている。

旧千歳空港ターミナルビル建物はNEWS (商業施設)として再利用され、閉鎖の後、立地していた場所は空き地となったが、海上保安庁庁舎の隣に日本航空ハンガー、政府専用機のエプロンより南側に、千歳飛行場時代からあるスポット国土交通省管理のまま残されており、現在も民間機の駐機(通常は夜間駐機用が主体)に使用されている。これらにより、北方圏、アジア・太平洋地域とより利便性の高い輸送体制を確立した。管制業務は千歳飛行場と新千歳空港の両空港で一体運用され、航空自衛隊千歳管制隊が、両飛行場の間にある管制塔およびレーダールームで、航空管制業務を行っている。

1990年代、冬季に新千歳空港で凍結があった際、千歳飛行場の滑走路を使用して離陸したこともある。

ほとんどの内外航空会社のシステムでは空港コードにCTSを使用しているが、唯一日本航空のみ札幌の都市コードであるSPKを当空港用に使用している。

年表

  • 1926年大正15年)10月22日 - 千歳村民の労力奉仕により、約10 haの着陸場を造成、この年の10月22日には小樽新聞社の飛行機「北海1号機」(酒井憲次郎が操縦)が初めて着陸する。
  • 1939年昭和14年) - 海軍航空隊が開庁。着陸場は海軍の飛行場となる。
  • 1945年(昭和20年) - 終戦と同時に連合国軍に接収される。
  • 1951年(昭和26年) - 民間航空が再開され、千歳 - 東京間に民間航空機(日本航空)が就航する。
  • 1959年(昭和34年) - 連合国軍から日本政府(防衛庁)に返還される。
  • 1961年(昭和36年) - 航空事業者や北海道、千歳市、フジテレビジョン(現:フジ・メディア・ホールディングス)等の出資により、ターミナル施設を運営する北海道空港が設立される。
  • 1963年(昭和38年)3月24日 - 千歳空港ターミナルビルが完成し、供用を開始する。
  • 1969年(昭和44年) - 千歳空港が出入国港に指定される。ILS供用開始。
  • 1980年(昭和55年)10月1日 - 国鉄千歳空港駅(現南千歳駅)開業。空港ターミナルビルと連絡する。
  • 1981年(昭和56年) - 植物・動物検疫飛行場、税関空港、国際空港開港に指定され、成田国際空港経由ホノルル国際空港便が就航する。
  • 1988年(昭和63年)7月20日 - 新千歳空港が開港する。A滑走路(3,000 m×60 m)運用開始。
  • 1992年平成4年)7月1日 - 新千歳空港ターミナルビルが完成し、供用を開始する。
  • 1993年平成5年)9月12日 - 日本初の特別塗装機「マリンジャンボ」が初就航[7]羽田発,運航会社はANA)。
  • 1994年(平成6年) - 国内初の24時間運用空港になる。ただし貨物便のみ。
  • 1996年(平成8年)4月26日 - B滑走路(3,000 m×60 m)供用開始。
  • 1999年(平成11年) - 東京国際空港線年間旅客数が800万人を突破。
  • 2006年(平成18年) - 東京国際空港線年間旅客数が1000万人を突破(12月27日)。
  • 2008年(平成20年)6月18日 - 空港法改正により、4条1項5号に該当する空港として政令で定める空港に区分される。
  • 2010年(平成22年)3月26日 - 国際線ターミナル運用開始。
  • 2010年(平成22年)10月17日 - エアバス社の運航による世界最大の旅客機・エアバスA380が初飛来(羽田発)[8]。日本の第二種空港では、初めての寄港地となった。
  • 2011年(平成23年)7月15日 - 国内線ターミナルビルリニューアル第1期開業。増築部と連絡施設3階を供用開始。
  • 2011年(平成23年)12月15日 - 国内線ターミナルビルがリニューアル第2期開業。2階出発ロビー拡張などの改修部を供用開始。
  • 2012年(平成24年)3月16日 - 国内線ターミナルビルリニューアル全面開業。3階フードコート・展望エリアを供用開始。

拠点・焦点都市としている航空会社

3社が焦点都市として運航している。

就航路線

航空会社が2社以上の場合、最前の航空会社の機材・乗務員で運航する共同運航便

国内線

テンプレート:Airport-dest-list

国際線

複数名の路線は最前太字)の航空会社が運航するコードシェア便(共同運航便) テンプレート:Airport-dest-list

統計

(新千歳空港発)就航路線別旅客数/順位[9]
就航空港 旅客数 国内線順位
東京国際空港 約895万人 上位 1位
関西国際空港 約143万人 上位11位
中部国際空港 約127万人 上位14位
成田国際空港 約118万人 上位17位
仙台空港 約 73万人 上位37位
大阪国際空港 約 55万人 上位43位
福岡空港 約 48万人 上位49位
国際線定期便就航路線別旅客数[10]
就航空港 2012年旅客数 2013年冬季ダイヤ便数
台湾桃園国際空港 383,657人 週7便(CI)、週7便(BR)、週2便(GE)
香港国際空港 171,278人 週7便(CX)
仁川国際空港 302,325人 週12便(KE)、週4便(LJ)、週7便(TW)
金海国際空港 25,736人 週3便(KE)
上海浦東国際空港 47,490人 週5便(MU)
グアム国際空港 23,627人 週2便(UA)
北京首都国際空港 39,486人 週3便(CA)
大連周水子国際空港 9,101人 運休中
ホムトヴォ空港 8,646人 週2便(HZ)
ホノルル国際空港 8,199人 週3便(HA)
スワンナプーム国際空港 12,679人 週7便(TG)

国際線乗継専用便

仙台空港、成田国際空港、中部国際空港、関西国際空港便には、コードシェア便として国外航空会社便名が付与される便がある。利用は国際線乗継旅客に限られ、国内区間のみの利用は国内航空会社便名での利用となる。

就航都市

国内線

国際線

休廃止路線

国内線

航空会社名は休廃止時点

国際線

航空会社は休廃止時点

空港へのアクセス

  • 千歳市街まで約6 km、札幌まで約45 km、苫小牧まで約21 km。
  • 運行本数・運賃・経路等の詳細は、該当項目や公式サイトにて最新情報を確認されたい。

鉄道

バス

札幌市内方面は、ANA到着口前・JAL A到着口前・国際線ターミナルにて乗車可能(夜間便を除く) その他路線の大部分は旧国際線到着口・JAL B到着口前・国際線ターミナルにて乗車可能

札幌市内方面

千歳市方面

胆振、日高、十勝方面

期間限定路線

夏期
冬期
  • 道南バス
    • ホワイトドルフィン号 ホテルノーザンリゾートアンヌプリ(旧 ホテル日航アンヌプリ)行(ルスツ高原、京極倶知安、ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフ、ニセコビレッジ経由)
  • 北海道中央バス
    • スキーバス千歳ニセコ号 ニセコいこいの村行(ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフ、ニセコビレッジ、ホテルノーザンリゾートアンヌプリ経由)
  • 北海道中央バス・夕張鉄道
    • 夕張(ホテルシューパロ)行(ホテルマウントレースイ(夕張駅)、夕鉄本社ターミナル経由)

道路

丘珠空港発着便との乗り継ぎ

丘珠空港発着便との乗り継ぎに必要な時間は150分以上。丘珠空港への交通機関がある麻生駅や札幌都心にて乗り継ぐことになる。

ホテル

国内線ターミナル内南側に北海道空港傘下の丸瀬布観光公社運営の「エアターミナルホテル」がある。なお、新千歳空港ターミナル開業から三井観光開発により「三井アーバンホテル新千歳空港」として、同社のグランビスタ ホテル&リゾートへの社名変更後の2008年から2011年度いっぱいまでは「ホテルコムズ新千歳空港」として営業していた。ホテルコムズからの一時閉鎖を経ての2012年4月28日に再開業であるが、施設の大きな改装などは行われておらず、以前の雰囲気をそのまま保っている。なお、千歳市内にも複数のホテルがあるが、空港ターミナルに直結しているのは同ホテルのみである。

事故・重大インシデント

  • 2005年5月8日:JAL47便(日本航空インターナショナル運航、ボーイング747-400、JA8072)は、高度36000フィートで成田空港へ飛行中、客室の与圧が突然急減圧した。客室高度が制御できなくなり、警報音が鳴動する中、管制機関に非常事態を通報、機は直ちに10000フィートまで急降下した。幸いにも新千歳空港から280nmを飛行中だったため、新千歳空港へ緊急着陸を行った。与圧減少の原因は、キャビンプレッシャーコントローラの誤動作。機器の誤動作の原因は判明していない[12]
  • 2006年11月20日:ANA72便(エアーニッポン運航、ボーイング737-500、JA8596)は、新千歳空港に着陸後スポットに向け走行中、補助動力装置に火災が発生したため停止して消火した。原因は補助動力装置の燃焼室を固定するカップリングに繰り返し加重により亀裂が生じ、破断したためである[13]
  • 2007年6月27日SKY730便(ボーイング767-300、JA767F)は、新千歳空港滑走路19Rから離陸のため滑走を開始したが、同滑走路をANA79便(ボーイング777-200、JA8967)が誘導路B9Nから誘導路A8Sに向け19Rを横断しているのに気づき離陸を中止した。原因は管制官の疲労による誤指示である[14]
  • 2008年2月16日:JAL2503便(日本航空インターナショナル運航、ダグラスMD-90-30、JA8020)が新千歳空港滑走路01R(B滑走路)に着陸したところ、同じく滑走路01Rで待機していたJAL502便(日本航空インターナショナル運航、ボーイング747-400、JA8904)が、離陸許可がないまま離陸滑走を開始した。管制官はただちに離陸を中止させたが、502便は滑走路を1200 m滑走して停止した。原因は、悪天候と、管制官が管制方式基準に則った「迅速な離陸を予期せよ(EXPECT IMMEDIATE TAKE-OFF)」との指示を送信したのを、502便の機長が「迅速に離陸せよ((CLEARED FOR) IMMEDIATE TAKE-OFF)」と聞き違え、しかも502便の副操縦士(オブザーバー席)と副操縦士昇格訓練中の操縦士(右操縦席)が機長に助言しなかったためである[15]

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:Sister

外部リンク

テンプレート:Airport-info

テンプレート:日本の空港
  1. テンプレート:Cite press release
  2. 2.0 2.1 テンプレート:Cite book
  3. [1]テンプレート:リンク切れ
  4. テンプレート:PDFlinkテンプレート:リンク切れ
  5. [http://www.tomamin.co.jp/2013128094 深夜早朝枠を「6」から「30」に 新千歳空港運用で道が提案 ] 苫小牧民報 2013年12月14日付
  6. [2]
  7. 1995年5月31日に、マリンジャンボとしてのラストフライトを迎えることとなるが、ラストフライトも同路線であった。
  8. 環境効率の高いA380は日本の持続可能な成長に貢献
  9. テンプレート:Cite press release上位50位までを記載
  10. テンプレート:Cite press release
  11. じょうてつバスとの共同運行だったが、2014年3月1日より北都交通の単独運行になっている。じょうてつからのおしらせ参照。
  12. テンプレート:PDFLink
  13. テンプレート:PDFLink
  14. テンプレート:PDFLink
  15. テンプレート:PDFLink