1992年の日本シリーズ
テンプレート:出典の明記 テンプレート:Infobox プロ野球日本シリーズ 1992年の日本シリーズ(1992ねんのにっぽんシリーズ、1992ねんのにほんシリーズ)は、1992年10月17日から10月26日まで行われたセ・リーグ優勝チームのヤクルトスワローズとパ・リーグ優勝チームの西武ライオンズによるプロ野球日本選手権シリーズである。
目次
概要
森祇晶監督率いる西武ライオンズと野村克也監督率いるヤクルトスワローズの対決となった1992年の日本シリーズは、西武が4勝3敗で勝利し、3年連続11度目の日本一(西鉄時代を含む。西武では8度目)。
2位に大差を付けて早々と3年連続の優勝を決めた西武に対し、ヤクルトは4球団が優勝を争う大混戦をシリーズ開幕の1週間前に辛うじて制しての優勝であった。このため、戦前の予想は圧倒的に「西武有利」「ヤクルト劣勢」であったが、ヤクルトが予想を覆す大健闘をみせた。「守り」の王者・西武に「攻撃力」の挑戦者・ヤクルト。シリーズ7試合中4試合が延長戦で、西武が王手をかけた後の第5戦から残り3試合すべて延長戦という熱戦。終盤まで接戦が続いた上、長い緊迫した試合が多く、屈指の名勝負となったシリーズである。最終的には重要な場面で鉄壁のディフェンス力を発揮した西武に凱歌が上がった。西武ナインは第7戦に勝利した後に、はじめてといううれし涙を流したのだった。
なお、明治神宮野球場での日本シリーズは1962年(当時は東映フライヤーズが本拠地としていた)以来30年ぶりだったが、ヤクルトの主管では初めての開催となった。これはヤクルトが球団史上初めてリーグ優勝した1978年は東京六大学野球との日程の調整がつかず後楽園球場で代替開催したためだったが[1]、本シリーズも当初は東京六大学側との交渉が難航し、一時は東京ドームでの代替開催も検討された。だが最終的には東京六大学側がナイトゲームでの開催を承諾したため、神宮球場でのヤクルト戦開催が決まった。それらの事情から日本シリーズとしては異例の12時30分の試合開始となった。一方、六大学野球の試合は日本シリーズを見た後にそのまま残って見た観客もいたため、普段よりはるかに多い観客の中で行われた。表彰式が終了し、両チームの選手が引き上げる中、大学生の選手がウォーミングアップ開始するという珍しい光景が見られたのである。
シリーズ開始前は森、野村両監督の舌戦が話題となった(ただし、野村の側から一方的に仕掛けた面が強い)。シリーズも互いの策が火花を散らすこととなり「狸と狐の化かし合い」という声もあった。野村は「俺は中小企業の社長、森は大企業の中間管理職」「初めの勝ちは、嘘の勝ち」などの名言を残した。
試合結果
第1戦
○ヤクルト 7-3 西武●(明治神宮野球場) テンプレート:Linescore
ヤクルトの先発はエースの岡林洋一、西武の先発は渡辺久信。西武が2回表にデストラーデのソロホームランで先制。デストラーデは3年連続日本シリーズの初打席でホームランとなる。ヤクルトは3回裏、笘篠賢治がヒット、飯田哲也のタイムリーツーベースで同点。続く荒井幸雄がタイムリーヒット。このとき走者の飯田は捕手伊東勤のタッチを巧妙に掻い潜くスライディングを見せる。6回裏には古田敦也がソロホームランで追加点。西武は7回表にデストラーデのこの試合2本目のソロホームランで1点差。そして、9回表1死から清原、デストラーデが連続ヒット1死1,3塁となる。ここで石毛宏典がライトへフライを上げる、ライトの秦真司が好返球を見せたが、3塁ランナーの清原和博は古田を突き飛ばさんばかりのスライディングを見せ、同点。試合は延長戦に入る。12回裏、西武の投手は鹿取義隆。先頭の秦真司がレフトへの2塁打。続く笘篠が敬遠で無死1,2塁。岡林の代打角富士夫はバント失敗に倒れたが、飯田がショートへの内野安打。ここで代打・杉浦享がシリーズ史上初の代打サヨナラ満塁ホームランを放ち、ヤクルトが7-3でサヨナラ勝ちした。ヤクルトの日本シリーズでのサヨナラ勝ちはこれが初めて。岡林は161球を投げ、12回を完投。
第2戦
10月18日 神宮 入場者35876人
西武 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ヤクルト | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
(西)○郭(1勝)、S潮崎(1S)-伊東
(ヤ)●荒木(1敗)、伊東、金沢-古田
【本塁打】
(西)清原1号2ラン(6回荒木)
[審判]パ寺本(球)セ谷 パ藤本 セ井野(塁)パ五十嵐 セ友寄(外)
ヤクルトの先発は荒木大輔、西武の先発は郭泰源。この年シーズン終盤にようやく故障から復帰したばかりの荒木を先発マウンドに送らなければならないところにヤクルトの苦しい投手事情が表れていた。だが予想に反して試合は投手戦となる。5回まで両投手ともピンチらしいピンチもない好投。均衡が破れたのは6回表、秋山幸二がショートへの内野安打で出塁すると、続く清原が荒木のカーブをレフトへの2ランホームラン。清原は甲子園の先輩として荒木を尊敬しており、待望の対決での一発だった。郭は完封ペースだったが、7回表に先頭のハウエルの打球を右手に当て降板。潮崎哲也がリリーフとして登板し、2死1,2塁のピンチを招くが、笘篠を見逃し三振にしとめる。結局西武が2-0で完封勝利。
第3戦
10月21日 西武 入場者31370人
ヤクルト | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 |
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西武 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 4 | X | 6 |
(ヤ)●石井一(1敗)、金沢、伊東-古田
(西)○石井丈(1勝)-伊東
【本塁打】
(ヤ)広沢克1号ソロ(7回石井丈)
[審判]セ友寄(球)パ五十嵐 セ谷 パ藤本(塁)セ小林毅 パ前川(外)
ヤクルトの先発は高卒1年目の速球派左腕石井一久。後にヤクルトのエースとして君臨する石井一だが、この年はシーズン中に一勝もできなかった高卒ルーキーであり、日本シリーズの大事な先発マウンドに上げるのは奇策と言えた。やはりこれも岡林と並ぶもう一人のエースだった西村龍次の離脱が影響してのことであり、苦しい台所を示している。西武はこの年15勝3敗と大躍進し一気にエースの座を掴んだ石井丈裕。西武は4回裏先頭の秋山がヒットで出塁し、1死後、デストラーデ、石毛の連続タイムリー二塁打で2点を先制し、石井一をKOする。6回まで石井丈にわずかヒット2本に抑えられていたヤクルトは7回表、広沢克己がライトスタンドにソロ本塁打を放ってようやく1点を返す。しかし西武は8回裏、石井一を救援して好投を続けてきた金沢次男を攻め、2死1・2塁とする。ここでヤクルトは金沢から3番手の伊東昭光にスイッチするが、伊東は石毛を四球で歩かせて満塁とすると、続く大塚光二にぶつけてしまい、押し出し。さらに伊東勤の2点タイムリー、そして奈良原浩にもタイムリーが出てこの回4得点で勝負を決めた。石井丈は9回表、無死2塁のピンチを招くが後続を断ち、1失点完投勝利。
第4戦
10月22日 西武 入場者31457人
ヤクルト | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
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西武 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | X | 1 |
(ヤ)●岡林(1勝1敗)-古田
(西)渡辺智、○鹿取(1勝1敗)、S潮崎(2S)-伊東
【本塁打】
(西)秋山1号ソロ(4回岡林)
[審判]パ前川(球)セ小林毅 パ五十嵐 セ谷(塁)パ寺本 セ井野(外)
西武の先発は前年防御率1位を記録した渡辺智男。しかし、今ひとつ波に乗れなかったシーズン同様、不安定なピッチング。3回、飯田に早くも3つ目の四球を与え、続く荒井に安打を許したところで西武は無失点にも関わらず、早くも2番手の鹿取に交代。結果的にはこの交代が功を奏した。ヤクルトの先発岡林も好投したが、4回秋山にソロホームランを浴び、結局この1点が勝負を分けた。西武が1-0で勝ち、シリーズの王手をかける。ヤクルトは第1戦こそ14安打を放ったが、第2戦~第4戦でわずか計13安打、打率.143と打線の不振ぶりが際立つ。
第5戦
10月23日 西武 入場者31489人(延長10回)
ヤクルト | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 7 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
西武 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 |
(ヤ)高野、金沢、○伊東(1勝)-古田
(西)渡辺久、小田、新谷、●潮崎(1敗2S)-伊東、大宮
【本塁打】
(ヤ)ハウエル1号3ラン(4回渡辺久)、池山1号ソロ(10回潮崎)
(西)デストラーデ3号ソロ(7回伊東)
[審判]セ井野(球)パ寺本 セ小林毅 パ五十嵐(塁)セ友寄 パ藤本(外)
西武の先発は渡辺久、ヤクルトの先発は高野光。ヤクルトは4回、ハウエルの3ランで先制、5回には古田のタイムリーヒットで2点を追加、6回にも飯田のタイムリーで、今までの貧打の鬱憤を晴らすかのように6-0とリード。ヤクルトの楽勝かと思われたが、6回裏、高野が突如コントロールを乱してしまう。3つの四死球で1死満塁としたところでヤクルトは金沢に交代。しかしその金沢が大塚、代打・森博幸、田辺徳雄に3連打を浴び、辻発彦は打ち取ったものの、平野謙にもレフト前に運ばれ、わずか1死を取っただけで5点を失い降板、伊東昭光に交代となった。さらに西武は7回裏、先頭打者のデストラーデが伊東からホームランを放ってついに6-6の同点になる。1死後、大塚がヒットを放ち大宮龍男が送って2死2塁のピンチを招くが、続く鈴木健のライトへの打球を柳田浩一がフェンスに激突しながら好捕。西武に向かいかけていた試合の流れを変えるプレーと絶賛された。試合は今シリーズ2度目の延長戦に。10回表、池山隆寛が西武の4番手・潮崎からソロホームランを放ち、7-6と勝ち越し。その裏を伊東が抑えて、ヤクルトが勝利した。
第6戦
10月25日 神宮 入場者35391人(延長10回サヨナラ)
西武 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 7 |
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ヤクルト | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1x | 8 |
(西)工藤、渡辺久、小田、新谷、鹿取、●潮崎(2敗2S)-伊東
(ヤ)荒木、石井一、金沢、○伊東(2勝)-古田
【本塁打】
(西)石毛1号2ラン(4回荒木)、鈴木健1号3ラン(6回金沢)
(ヤ)橋上1号ソロ(3回工藤)、池山2号2ラン(4回渡辺久)、ハウエル2号ソロ(7回鹿取)、秦1号ソロ(10回潮崎)
[審判]パ藤本(球)セ友寄 パ寺本 セ小林毅(塁)パ前川 セ谷(外)
第6戦は逆転に次ぐ逆転のシーソーゲームとなった。ヤクルトの先発は荒木、西武の先発はシリーズ初登板の工藤公康。西武が2回表に工藤のショートゴロで先制。しかし3回裏、橋上秀樹のソロホームランで同点とし、飯田のタイムリーで逆転。西武は4回表に石毛の2ランで逆転。ヤクルトがその裏池山の2ランで再逆転。5回表西武が代打鈴木健の3ランで逆転。ヤクルトは6回裏に杉浦の押し出しで1点返し、7回裏にハウエルが同点ソロホーマーを放ち、ジョニー・パリデスのタイムリーで逆転し、7-6。西武は9回表2死ランナーなしと追い込まれるが、大塚が四球で出塁し、続く秋山が右中間への当たり。ここで大塚が一気に本塁へ突入し、土壇場で同点になる。試合はシリーズ3度目の延長戦に。10回裏、潮崎から秦が劇的なサヨナラホームランを放ち、8-7で勝利。ヤクルトのサヨナラ勝ちは第1戦に次いで2度目となり、シリーズの逆王手をかける。一方、西武はシリーズ終盤に来て自慢の救援陣だった鹿取や潮崎が調子を落とし、この試合だけでなく第7戦にも不安を残す内容となった。
第7戦
10月26日 神宮 入場者34101人(延長10回)
西武 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 |
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ヤクルト | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
(西)○石井丈(2勝)-伊東
(ヤ)●岡林(1勝2敗)-古田
[審判]セ谷(球)パ前川 セ友寄 パ寺本(塁)セ井野 パ五十嵐(外)
ヤクルトの先発は岡林、西武の先発は石井というエース同士の対戦となった(森監督によると、7戦までもつれ込むことを想定して、第7戦にこの年最も信頼できる石井を送るために逆算して第3戦に初登板させたとのこと)。ヤクルトは4回裏に飯田が二塁打で出塁。続く荒井の送りバントの処理を石毛が誤り悪送球する間に飯田がホームインして先制。岡林は6回には三者三振を奪うなど力投。しかし西武は7回表、投手石井がセンターオーバーの同点タイムリーを放つ。ヤクルトは7回、8回、9回と毎回ランナーを得点圏に進め得点する好機を得るものの、ここで西武が持ち前の堅い守りを見せつけ相手の好機をことごとくはね返していった。大ピンチを耐え抜いた西武は10回表、先頭打者の辻が二塁打で出塁し、続く大塚が確実に送りバントを決め1死三塁とすると、次打者秋山がセンターへ犠牲フライを放ちついに西武が勝ち越し。なお、この失点の原因として、野村監督は古田が秋山の打席で岡林に(犠打になりやすい)横のカーブを投げさせたためと指摘しており[2]、そのリードを取り上げてシリーズ後「古田はアマチュア」と評していた。その裏石井は古田、広沢を打ち取り2死とすると、最後はハウエルを空振り三振に仕留め、西武が3年連続の日本一になった。
ヤクルトは同点の7回1死満塁から代打杉浦の2塁ゴロで、3塁走者広沢が判断ミスでアウトになり点に結びつかなかった。広沢はスタートが遅くさらにゲッツー崩し狙いでベースではなく一塁方向寄りにいた捕手の伊東に向かってスライディングしたが、二塁手の辻が捕球後一回転して投げた本塁への送球が高く捕手の伊東はジャンプしてベースから離れており、真っ直ぐベースに向かえばセーフとなっていた。広沢は伊東にぶつかりながらホームに手で触れようとしたものの、倒れこんだ伊東のミットがそれより早く体に触れていた(伊東がベースを踏めたかは不明)。これはダブルプレーを恐れた野村監督が、三塁コーチを通して「ライナー性の打球で飛び出すな。ゴロと確認してから飛び出すこと。クロスプレーならゲッツー崩しを狙ってスライディングをせよ。」と広沢に指示した結果である。このプレーは、森・野村両監督がシリーズの命運を分けるプレーとしており、野村監督は「もし点を取れていれば西武に大恥をかかすことができたのに」と後々まで悔やんだという。これがきっかけとなり、野村は打球判断を全くせずに突っ込む「ギャンブルスタート」を考案したという。
他にも、不振の清原を途中交代させるなど、細かいプレーと決断力、ピンチにも動じないディフェンス力で西武が勝り、ヤクルトは14年ぶりの日本一には届かなかった。西武の石井が2完投2勝自責点1で文句なしのMVP。ヤクルトの岡林は1964年のスタンカ以来の3完投、1959年の杉浦忠以来の30投球回を記録するなど奮闘したが、第4戦と第7戦は打線の援護に恵まれず、結局1勝2敗。しかし奮闘が讃えられて敢闘賞を受賞した。
表彰選手
テレビ・ラジオ中継
テレビ中継
- 第1戦:10月17日
- 第2戦:10月18日
- 第3戦:10月21日
- 第4戦:10月22日
- 第5戦:10月23日
- 第6戦:10月25日
- 第7戦:10月26日
※ゲスト解説で出演した現職および辞任直後の監督は、翌年および後年に当該系列の放送局の解説者を務めている。
※ 第6戦の行われた10月25日(日曜日)。フジテレビ系の通常は競馬中継だが、シリーズ中継を優先したため生中継されず、試合終了後に録画ダイジェストを放送。ちなみにこの日のメインはローズステークス(エリザベス女王杯トライアル)。
※当時刊行されていたテレビ情報誌では、阪神タイガースが優勝した場合の第1・2・6・7戦の放送予定が記述され、以下の各局が割り当てられていた。関西テレビが阪神主管の日本シリーズ中継権を得たのはこの時だけで、また非開催に終わったため、現在に至るまで実現していない。
※関東地区での視聴率は(ビデオリサーチ調べ)、第1戦(フジテレビ系)は28.6%。第2戦(テレビ朝日系)は28.0%。 第3戦(TBS系)は16.3%。 第4戦(テレビ朝日系)は14.1%。 第5戦(テレビ朝日系)は16.3%。第6戦(フジテレビ系)は35.2%。第7戦(テレビ朝日系)は26.3%だった。
ラジオ中継
- 第1戦:10月17日
- NHKラジオ第1 解説:鈴木啓示 ゲスト解説:高木豊(大洋)
- TBSラジオ(JRN) 実況:林正浩 解説:山下大輔 ゲスト解説:田淵幸一
- 文化放送(NRN) 解説:若松勉、東尾修 ゲスト解説:野茂英雄(近鉄)
- ニッポン放送(NRN) 実況:胡口和雄 解説:江本孟紀(当時はスポーツ平和党および参議院議員)
- ゲスト:アントニオ猪木(当時はスポーツ平和党代表および参議院議員)
- 第2戦:10月18日
- 第3戦:10月21日
- 第4戦:10月22日
- 第5戦:10月23日
- 第6戦:10月25日
- 第7戦:10月26日
エピソード
- 西武は3年連続日本一になったにもかかわらず、日本一を決めた同日に大相撲の貴花田光司と女優の宮沢りえが婚約を発表したために、翌日のスポーツ紙での扱いが小さく、ニュースやワイドショーでも「西武日本一」を特集される事がほとんど無かった。さらに、森監督は「野球人生でこれほどの屈辱は無い」と悔やんでいた(その後、貴花田と宮沢は結婚には至らず破局。)。
- 第1戦で代打サヨナラ満塁ホームランを放ったヤクルトの杉浦は、当初同年限りでの引退を決意していたが、シリーズ終了後に野村監督からの強い慰留を受け、引退を撤回し現役続行を決めた。(杉浦は翌年、チーム15年ぶりの日本一を花道に引退。)
- この年は日本シリーズ史上初めて審判員全員がインサイドプロテクターで球審を務めた(翌年はセ・リーグでは福井宏、パ・リーグでは林忠良がアウトサイドプロテクターで球審を務めている)。また、パ・リーグ審判員の青スラックスと青ブレザーはこの年まで使用された。
- なお、同一チームの日本シリーズ連覇はこの年を最後に出ていない。翌年以降では同年の西武(この場合は4連覇)、2000年のダイエー、2007年の日本ハム、2013年の巨人に連覇の可能性があったが、いずれも敗れている。
- このシリーズを最後にデストラーデが退団したためAKD砲が迎えた最後の日本シリーズとなった。
脚注
- ↑ 1962年の日本シリーズは第3戦と第4戦は神宮で開催したが、第5戦は大学野球を優先したため後楽園で開催した。
- ↑ 野村監督は現役時代に通算最多犠打を記録しており、その極意のひとつとして「横のカーブを待つ」と語っていた。