高木豊

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テンプレート:Otheruseslist テンプレート:Infobox baseball player 高木 豊(たかぎ ゆたか、1958年10月22日 - )は、山口県防府市出身[1][2](生まれは山口市[3][4])の元プロ野球選手内野手外野手)、野球解説者

来歴・人物

プロ入り前

山口県山口市で生まれる[4]。父親の仕事の都合で転居が多く、福岡県鹿児島県愛媛県→福岡県→北海道帯広市へと転居を繰り返すが[3][4]、中学卒業時までに山口県へ戻る[3]。野球では中学3年時に北北海道で頭角を現し、多々良学園高校に進学。その後東京都中央大学へ進学。中央大学硬式野球部では、東都大学リーグ通算107試合出場、402打数115安打、打率.286、2本塁打、28打点。ベストナイン4回。115安打は藤波行雄の133安打に次いでリーグ歴代2位。

現役時代

テンプレート:Byプロ野球ドラフト3位で横浜大洋ホエールズに入団。2年目のテンプレート:Byより二塁手のレギュラーに定着。テンプレート:Byから4年連続で打率3割を記録。テンプレート:Byに56盗塁盗塁王を獲得。

近藤貞雄が監督に就任したテンプレート:Byには、俊足の加藤博一屋鋪要と共に「スーパーカートリオ」を結成。また同年より山下大輔二塁手、高木が遊撃手にコンバートされる。テンプレート:Byからは高橋雅裕の台頭に伴い、元の二塁手に戻る。1983年に一時右打ちに取り組みスイッチヒッターとなったが、右打席の状態が思わしくなく、すぐに左打ち一本に戻している[5]テンプレート:Byは打率.323でリーグ2位。テンプレート:By巨人戦において通算300盗塁を達成。また、失敗も多く、盗塁成功率.643は300盗塁以上で歴代ワーストである。

1992年オフの契約更改で年俸の交渉がまとまらず(3年連続3割でアップを主張する高木に対して、球団は前年より貢献度が下がったことを理由にダウン提示)、年俸調停を申請。この結果、高木は球団の提示額よりわずかな上積みを勝ち取ったが、これが翌年の解雇の要因になったのは間違いないと高木は後に語っている。

横浜ベイスターズに球団名を変更したテンプレート:Byは、二塁手のロバート・ローズの入団により、開幕から三塁手として出場したが、弱肩および石井琢朗進藤達哉の成長もあり、間も無く一塁手にコンバートされる。閉幕まで全試合に出場したが同年オフ、チームの若返り策の一環として屋鋪、山崎賢一ら多くのベテラン選手とともに自由契約を通告される(同オフから導入のFA制度で巨人から移籍した駒田徳広獲得の為の資金調達の犠牲となったとする報道もあった)。

テンプレート:Byの所属先については、当初中日ドラゴンズ入りが内定したものの、後に白紙撤回となった[6]挙句、結局日本ハムファイターズに入団した。日本ハムでは左翼手としてプレーしたが、低調な成績に終わり、チームも10年ぶりの最下位に低迷、同年オフに現役を退いている。当時日本ハムの監督だった大沢啓二は、著書の中で高木について「横浜を自由契約となった高木を獲得したんだが、あいつはもっとやれると思っていた。けど、やっぱり力が衰えてたんだなあ。打線のブレーキになっちまった。」と記している[7]

現役時代2度退場処分を受けている。

現役引退後

引退直後、サンミュージックと契約し、芸能人に転身。芸能人としてはドラマや歌番組・料理番組に出演し、朴訥なキャラクターとして活躍する。その後は、テンプレート:Byよりフジテレビ野球解説者となる。

テンプレート:Byには横浜の内野守備走塁コーチに就任するが、1年で辞任。再びフジテレビ解説者となる。プロ野球中継ベンチ解説などの傍ら、テンプレート:Byにはアテネオリンピック野球の代表チーム内野守備走塁コーチを務めた。また、「野球解説者」という肩書でtwitter上に公式アカウントを開設したが、2011年7月12日の投稿を最後にtwitterから事実上手を引いている[8]

テンプレート:Byシーズンより、横浜DeNAベイスターズの一軍ヘッドコーチに就任。2012年9月15日、神宮球場で行われた対ヤクルト戦で監督の中畑清が当時3塁塁審だった深谷篤審判員に暴力行為を働いて退場処分を受けた事に伴い、試合終了まで監督代行を担当した[9]テンプレート:Byには一軍チーフ兼打撃コーチを担当したが、10月9日に球団からコーチ契約を更新しないことが発表されたため退団した[10]

なお、横浜DeNAからの退団を機に、公式ブログを開設。テンプレート:Byからは、フジテレビで三たび野球解説者を務める[11]

人物

長男の高木俊幸、次男の高木善朗(共に清水エスパルス)、三男の高木大輔東京ヴェルディ1969の下部組織出身のプロサッカー選手であり、ユース時代から揃って年代別日本代表に選出されるなど、「高木三兄弟」として注目されていた[12]。そのこともあって、『すぽると!』出演時には、「サッカー通の野球解説者」として、野球解説だけでなくサッカー解説を担当することもある。

テンプレート:By1月より男性用かつらメーカー・アートネイチャー「ヘア・フォーライフ」のCMキャラクターを務め、出演するテレビCMが放送されていた。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 大洋
横浜
88 156 141 18 31 6 0 0 37 7 6 3 2 1 12 1 0 29 2 .220 .279 .262 .542
テンプレート:By2 104 315 277 36 72 12 4 7 113 33 6 2 5 1 31 0 1 62 4 .260 .335 .408 .743
テンプレート:By2 125 548 465 73 146 22 5 12 214 49 27 22 20 3 56 4 4 72 6 .314 .390 .460 .850
テンプレート:By2 117 524 443 76 133 20 4 11 194 39 56 28 7 4 66 4 4 51 6 .300 .393 .438 .831
テンプレート:By2 125 577 488 105 155 33 5 11 231 50 42 20 5 1 77 3 6 50 6 .318 .416 .473 .889
テンプレート:By2 126 531 468 63 145 37 5 1 195 29 24 16 6 5 50 2 2 81 8 .310 .375 .417 .793
テンプレート:By2 127 560 509 75 148 24 5 12 218 52 21 10 8 5 36 0 2 68 4 .291 .337 .428 .765
テンプレート:By2 114 489 416 67 125 21 3 7 173 46 29 14 9 4 59 1 1 45 6 .300 .385 .416 .801
テンプレート:By2 127 567 497 71 138 29 2 5 186 31 32 17 6 0 61 6 3 72 6 .278 .360 .374 .734
テンプレート:By2 118 475 406 61 131 21 3 10 188 55 13 8 4 4 57 5 4 57 3 .323 .408 .463 .871
テンプレート:By2 131 588 490 81 163 30 2 4 209 62 24 14 7 6 76 6 9 55 7 .333 .427 .427 .853
テンプレート:By2 131 599 500 76 150 32 2 5 201 39 24 12 10 7 81 5 1 62 7 .300 .394 .402 .796
テンプレート:By2 130 557 489 53 131 21 0 3 161 42 9 7 7 3 57 1 1 80 9 .268 .344 .329 .673
テンプレート:By2 日本ハム 65 225 193 22 48 8 0 0 56 11 8 5 3 0 28 0 1 32 5 .249 .347 .290 .637
通算:14年 1628 6711 5782 877 1716 316 40 88 2376 545 321 178 99 44 747 38 39 816 79 .297 .378 .411 .789
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更

タイトル

表彰

記録

初記録
節目の記録
  • 1000本安打:1989年6月13日、対中日ドラゴンズ8回戦(ナゴヤ球場)、6回表に今中慎二から右前安打 ※史上156人目
  • 1000試合出場:1989年8月1日、対阪神タイガース14回戦(阪神甲子園球場)、1番・二塁手として先発出場 ※史上288人目
  • 300盗塁:1992年8月19日、対読売ジャイアンツ20回戦(横浜スタジアム)、3回裏に二盗(投手:木田優夫、捕手:吉原孝介)  ※史上22人目
  • 1500本安打:1992年8月27日、対ヤクルトスワローズ21回戦(明治神宮野球場)、8回表に伊東昭光から中前安打  ※史上60人目
  • 300二塁打:1993年6月27日、対中日ドラゴンズ15回戦(ナゴヤ球場)、5回表に山田喜久夫から二塁打 ※史上30人目
  • 1500試合出場:1993年7月8日、対読売ジャイアンツ13回戦(東京ドーム)、3番・一塁手として先発出場 ※史上107人目

背番号

  • 16 (1981年、1994年)
  • 3 (1982年 - 1993年)
  • 85 (2001年)
  • 77 (2012年 - 2013年)

関連情報

出演番組

※特記ない限り、フジテレビ系列の番組

著書

単著

  • 『オレだから言えるプロ野球・奇想天外の舞台ウラ』(スコラ、1995年3月、ISBN 4796202722)
  • 『父親次第』(日本経済新聞出版社(日経プレミアシリーズ)、2009年7月、ISBN 9784532260521)

監修

  • 『プロから学ぶ野球技術:第2巻(バッティング+走塁編)』(アポロ出版、2005年2月、ISBN 487454990X)
  • 『プロから学ぶ野球技術:第3巻(守備編)』(大野豊共監修、アポロ出版、2005年2月、ISBN 4874549918)
  • 『小・中学生のためのワンコイン野球教室:3(フィールディング編)』(簑田浩二共監修、ベースボール・マガジン社、2006年8月、ISBN 4583613938)
    • 『小・中学生のための野球上達トラの巻:2(フィールディング編&フォーメーション編)』(新装改訂版、簑田浩二・本西厚博共監修、2007年6月、ISBN 9784583614618)
    • 『小・中学生のための野球上達法:決定版!:1 (打撃編&守備編)』(新装改訂版、大島康徳・簑田浩二共監修、2008年5月、ISBN 9784583615325)

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:アテネオリンピック野球日本代表 テンプレート:Navboxes

テンプレート:横浜大洋ホエールズ1980年ドラフト指名選手
  1. 『スポーツ人名事典新訂第3版』、2002年
  2. 日本経済新聞出版社 著作一覧
  3. 3.0 3.1 3.2 『12球団全選手カラー百科名鑑2000』P210に掲載のプロフィール
  4. 4.0 4.1 4.2 『12球団全選手カラー百科名鑑2002』P235に掲載のプロフィール
  5. スイッチヒッターであった1983年の対阪神タイガース戦で、同点で迎えた9回裏2死満塁で、左投手の山本和行に対し、通常なら右打席に入るところを左打席に入り、セーフティースクイズを成功させた。この試合を契機に右打席を捨てて、左打席一本に絞ったとされる。
  6. 【11月8日】1993年(平5) 旧大洋の顔を大リストラ 横浜流FA参戦 -スポニチ
  7. 大沢啓二『球道無頼』(集英社、1996年)、P239。
  8. Twitter上の公式アカウント
  9. 試合後、『誰にでも間違いはあるが、あの判定は俺でも納得がいかない。アイツ(深谷)は審判を辞めた方がいい』と名指しで深谷審判員を強く批判している。
  10. 2014年度コーチ契約について横浜DeNAベイスターズ球団公式サイト2013年10月9日配信
  11. 高木豊オフィシャルブログ2014年1月15日付記事
  12. 高木豊 「“蛙の子は蛙”ではない」 ~プロ野球選手の息子3人がサッカー選手になったわけ~ -NumberWeb: 2011年6月29日