高川学園高等学校・中学校
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高川学園高等学校・中学校(たかがわがくえんこうとうがっこう・ちゅうがっこう)は、山口県防府市に所在し、中高一貫教育を提供する私立高等学校・中学校。設置者は学校法人山口高川学園。旧称は多々良学園高等学校(たたらがくえん こうとうがっこう)。全国高等学校サッカー選手権大会の常連校として知られているが、2008年6月に白井三津雄監督が退職し、多々良学園時代より15年続いた連続出場が途絶えた。
概要
前身は1878年に山口県吉敷郡山口町(現在の山口市)に創立された曹洞宗山口専門学支校。曹洞宗の西日本における教化・僧侶養成機関としての役割を果たしていた。
1948年、新制高等学校制度の施行に伴い多々良学園高等学校に改称。1956年、独立の学校法人に改組。普通科全日制の男子校として整備された。曹洞宗の教育機関としての位置づけは変わらず、理事の過半数は曹洞宗の僧侶によって占められていた。在校生は仏教専修科を履修し定められた規律に従った寮生活を修めることによって、僧堂に準ずる修行歴の取得が可能であった。
2004年、防府市台道へ校地を移転し男女共学となった。 しかし移転に伴う資金計画に問題があり経営破綻。2005年、民事再生法適用申請。私立高等学校を経営する学校法人としては初の申請となった。その後、徳島市を拠点に予備校を経営するタカガワが再建者となり経営譲渡された。 2006年9月、現在の法人名、校名に改称した。
沿革
ファイル:Tatara Gakuen.jpg
多々良学園 旧校舎(2006年11月)
- 1878年(明治11年)2月 - 曹洞宗山口専門学支校として山口町瑠璃光寺に創立。
- 1896年(明治29年)2月 - 曹洞宗第十六中学林と改称、山口市大附に移転。
- 1902年(明治35年)7月 - 曹洞宗第四中学林と改称、防府町に移転。
- 1906年(明治39年)9月 - 宗門以外の生徒の入学を許可。
- 1928年(昭和3年)1月 - 多々良中学校と改称。
- 1948年(昭和23年)4月 - 多々良学園高等学校と改称、新制高等学校の開設。
- 1956年(昭和31年)4月 - 法人改組。学校法人多々良学園となる。
- 1963年(昭和38年)4月 - 工業科(電気・建築)設置認可。
- 1965年(昭和40年)4月 - 普通科に特別進学コースを設置。
- 1974年(昭和49年)11月 - 付属幼稚園設立認可。
- 2003年(平成15年)4月 - 総合学科設置認可。
- 2004年(平成16年)4月 - 防府市大字台道に移転、男女共学化。
- 2005年(平成17年)10月 - 学校法人多々良学園、民事再生法適用を申請。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)4月 - 中高一貫教育を開始、高川学園中学校が開校
- 2009年(平成21年)8月 - 民事再生手続終結
設置形態
施設
出身者
- 安部雄大(サッカー選手;ヴィッセル神戸ジュニア監督)
- 藏川洋平(サッカー選手;ロアッソ熊本所属)
- 高松大樹(サッカー選手;大分トリニータ所属、元日本代表)
- 高木豊(野球解説者;元大洋ホエールズ選手)
- 中原貴之(サッカー選手;ベガルタ仙台所属)
- 中山元気(サッカー選手;レノファ山口FC所属)
- 秦郁彦(近現代史家;元大蔵官僚)
- 藤田泰成(サッカー選手;FC町田ゼルビア所属)
- 横山聡(サッカー選手;元ブラウブリッツ秋田)
- 伊藤淳嗣(サッカー選手;流通経済大学サッカー部コーチ)
- ハウバート・ダン(サッカー選手;横浜スポーツ&カルチャークラブ所属)
- 片山朗(サッカー選手;FC岐阜SECOND)
関連項目
- 日本の工業高等学校一覧
- 山口県中学校一覧
- 山口県高等学校一覧
- 旧制中等教育学校の一覧 (山口県)
- 大道駅 - 学校の最寄り駅。旧・多々良学園の移転と同時に駅舎を改築した。
- 寮がある日本の中学校・高等学校の一覧
- 民事再生法を適用した企業一覧
外部リンク
- 学校法人山口高川学園 高川学園中学校・高等学校(タカガワグループの支援の元に入ってからのページ)
- 学校法人YIC学園 多々良幼稚園(YICグループの支援下に入ってからのページ。名称は、多々良学園附属幼稚園から学校法人YIC学園 多々良幼稚園に2007年4月に変更された。)
- 僧侶が駒澤大学をつぶす日 巨額損失から一年半、進まぬ再建:リーダーシップの不在 多々良学園の二の舞か(週刊金曜日2010年2月26日号「金曜アンテナ」)